歴史学者が読み解く「眞子さまへの思い」…秋篠宮ご夫妻はなぜご結婚を取り消されないのか

 2021年9月11日、秋篠宮文仁親王妃紀子さまが55歳の誕生日を迎えられ、宮内記者会の質問に対し文書を発表された。

 注目されたのはやはり、長女である眞子内親王のご結婚に関して。文書最終部で紀子さまは、「長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております」などと語られ、先に報じられた眞子さまと小室圭氏との「年内結婚」を、基本的には追認なさる方向であろうとの報道が相次いだ。

 その「眞子さまと小室圭氏、年内にご結婚へ」の報が駆け巡ったのは、この9月1日のこと。ご結婚後はアメリカで暮らすご予定とのことで、各メディアはこれを「駆け落ち婚」などと騒ぎ立て、紀子さまによる上記の文書もそれを受けてのものだったわけだが、そもそも秋篠宮ご夫妻はこれまでも、自身の誕生日に行われる記者会見ないし文書発表などによって、折に触れて「お言葉」を発せられてきた。

 秋篠宮文仁親王のお誕生日は11月30日。紀子妃のお誕生日は9月11日。ちなみに眞子内親王のお誕生日は10月23日、佳子内親王のお誕生日は12月29日である。つまり秋篠宮一家のお言葉は、秋から冬にかけて世に発せられることが必然的に多くなる。

 2017年9月3日に眞子さまの婚約発表がなされてから4年。秋篠宮夫妻のお言葉から垣間見える「お気持ち」について、日本近現代史が専門で近代皇室史にも詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授に読み解いてもらった。

●小田部雄次(おたべ・ゆうじ)
1952年生まれの歴史学者で、静岡福祉大学名誉教授。専門は日本近現代史。皇室史、華族史などに詳しく、著書に『皇族―天皇家の近現代史』(中公新書)、『肖像で見る歴代天皇125代』(角川新書)、『百年前のパンデミックと皇室』(敬文舎)などがある。

 

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 眞子さまが小室圭氏と結婚するという。納采の儀などは行わず、一時金も辞退して、アメリカで生活するらしい。しかし、これで一件落着と思う人は少ないだろう。多くの国民は、長年の国民の懸念の声を黙殺したこの決着に、眞子さまのみならず、宮家や宮内庁への不信感を募らせている。一部には秋篠宮家への皇位継承を疑問視する声もある。かつて「眞子さま萌え」とまで叫ばれた人気の内親王が、ここまで国民感情を逆なでするようになるとは、誰が想像しただろうか。

 始まりは、今から4年前の2017(平成29)年9月3日であった。26歳の誕生日を翌月にひかえていた眞子さまが、結婚内定を発表したのである。お相手は、今まであまり国民には知られていなかった小室氏。ICU(国際基督教大学)在学中の同級生で、大学時代から交際が続いていたという。26歳はそれほど遅い婚期ではないが、記者会見でのお2人は、緊張もあってか、やや幼げに見えた。とはいえ、「天皇陛下もお許し」になり、「秋篠宮ご夫妻もお認めになった」という婚約内定発表に、表立って異議を唱える人は少なかった。

 その後、小室氏の母の借金問題が話題となったときも、母親の借金の責任を子どもに負わせるのも酷ではないかという声もあった。さらに、小室氏の過去の私生活が細かに追跡され、破廉恥な行動をかなり重ねてきたことも暴露されていった。それでも結婚前の私生活をほじくる動きには賛否両論あった。

 国民感情を決定づけたのは、多くの国民がコロナ禍のなかで、失業したり、結婚や出産を躊躇したりしている状況で、眞子さまが「結婚は生きていくために必要な選択」と主張したことだろう。それは確かに結婚相手がいながら、なかなか結婚できないことへの切実さがあった。ただ、多くの国民は、小室氏をめぐるさまざまな報道の真偽と、小室氏の正確な事実の説明を聞きたかったのだが、そうした本題にはまったく触れず、さまざまな疑惑に対してもなんの説明も聞けなかった。次代の天皇の娘であり、さらには次の天皇の姉となる内親王のこうしたふるまいに、多くの人々はショックを受けた。

当初は肯定的に語られていた眞子さまのご結婚…「真面目な人」という小室圭氏への第一印象

 眞子さま婚約発表前年の2016(平成28)年11月、秋篠宮さまは誕生日の記者会見で、眞子さまの結婚について、こう述べている。(以下、会見記録の引用は宮内庁HPによる/基本的に原文ママ)

「考えてみますと私たちも比較的若くて結婚して、今の長女の年齢の時には、つまり私が25歳の時に長女が生まれていますし、それから3年後に次女が生まれています。それで今、もうじき51歳ですが、比較的自分が若いうちに子供もある程度の年齢になっていることから、何と表現していいのか分かりませんけれども、ある意味大人としての話を楽しむことができているように思います。これは悪いことではないなと思います。ただこれは人それぞれ考えも違いますので、私は結婚については娘たちの意思をできる限り尊重したいなと思っております」

宮内庁HP「文仁親王殿下お誕生日に際し(平成28年)」より

 秋篠宮さまは、眞子さまの年齢には、すでに結婚していて眞子さまをもうけていたことを述べ、暗に早い結婚を肯定していたし、また本人の意思の尊重も語っていた。このとき紀子さまも、「結婚については、娘たちの気持ちや考えを大事にしたいと思います」と語った。

 翌2017(平成29)年に眞子さまの婚約が内定し、恒例の誕生日の会見では、小室氏と2013年ごろにすでに会っていたと語った。

「多分、2013年ぐらいかと思いますけれども、そのときが、初めてになります。そのときの印象は、大分その、緊張していたということもあったかもしれませんけれども、非常に真面目な人だというのが第一印象でした。そして、その後も何度も会っておりますけれども、その印象は、変わっておりません。また、娘のこと、娘の立場もよく理解してくれていると思います」と、かなり好意的だった。

宮内庁HP「文仁親王殿下お誕生日に際し(平成29年)」より

 また同会見では記者の「結婚後、どのような家庭を築いてほしいとお考えですか」という問いに、「どのような家庭というのも、なかなか、私から言うのも難しいですけれども、本人たちが幸せだと思う家庭であれば、それでいいなと思います」と述べ、紀子さまを見て「どうでしょうか」と話題を振った。

 紀子さまは、「初めの印象についてですが、初めてお会いし、話をしましたときに、丁寧で穏やかな印象を受けました。そして今も、同じような印象を持っております。先日になりますが、小室さんのピアノを聴きたいと話をしましたところ、快く応じてくださり、小室さんの優しいピアノの音色を聴きながら、私たちは心和むひとときを過ごしました。これから、二人が歩み、築いていく生活が幸せであるよう、心から願っております」と述べた。

 さらに記者から、「両陛下からは、どのようなお言葉を」と問われ、秋篠宮さまは、「そうですね。両陛下からは、おめでとう、良かったねという趣旨のお言葉がありました。大変うれしそうなご様子でした」と答えた。また、紀子さまも「両陛下は、長女の眞子が初めての孫であり、大切にお見守りくださり、結婚する相手に会ったことを、大変お喜びくださりました」と答えている。平成の両陛下が喜ばれ、同意されたと語ったのである。

眞子さまが皇籍を離れてからも、「皇族としてできることをやっていく」という秋篠宮ご夫妻の決意

 また同会見では、「皇籍を離れて、皇族が減少することについては、いかがですか」との問いに、秋篠宮さまは、こう述べていた。

「今の制度では、女性の皇族が結婚をすれば、皇籍を離れることになります。一方で、皇室の中で、女性の占める割合が非常に多いわけです。結婚して皇籍を離れるというのは、制度の問題ですので、そのことについて、私が何か、ここで言うことではないと思います。よくその、皇族の数が少なくなると、いろいろ活動に支障が出るのではないか、ということを耳にすることがあります。しかし、それぞれの皇族の活動の中で、もちろんその、共通、共通というのは同じという意味ではなくて、皇族としてのその仕事を、何と言いましょうか、例えば、ある行事に出席する、宮中の行事に出席するとか、その他もろもろあるわけですけれども、それ以外に、かなりの部分で、個人に帰属しているものも多いですね。そのことを考えますと、これは飽くまで、個人に帰属してしまいますので、仮に人数が減少したとしても、そこには、その点に関しては、それほどの影響は出ないのではないかと思います。先ほども申しましたように、これは、今の制度では少なくなっていく、これは、そのとおりなわけですけれど、私は、以前もお話ししたかなと思いますが、やはり現状では、その人数の中で、できる範囲、できる仕事をしていくのが、適当ではないかと思っております」

 紀子さまも、「長女が結婚しましてからも、(私は、宮様とご一緒に)お互いに健康に気をつけながら、期待される皇族としての大事な務めや、さまざまな活動を、心を込めて努めてまいりたいと思います」と答えたが、秋篠宮さまが「これは、あなたがですね」と念を押し、紀子さまは「はい。私たち、そうですね」とうなずいた。眞子さまが皇籍から離れても、自分たちはがんばるという意味だったのだ。

眞子さまのご結婚延期が決定し、次第に膨らんでいった父子、母子の間の“わだかまり”

 この後、眞子さまと小室氏の結婚が延期され、2018(平成30年)年の誕生日会見では、記者から以下のようなストレートな質問があった。

「両殿下にお伺いします。眞子さまと小室圭さんとのご結婚に関する行事が2年延期され、小室さんはこの夏から3年の予定でアメリカに留学しました。小室家を巡るさまざまな報道もありますが、小室さんからどのように聞き、どう受け止めていらっしゃいますか。眞子さまの最近のご様子とともに、お二人の結婚についてのお考えや今後の見通しをお聞かせください」

 これに対して、秋篠宮さまは、こう回答した。

「小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは、私も全てをフォローしているわけではありませんが、承知はしております。(記者に質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか、どうでしょう。2、3か月に一度くらいでしょうか、時々もらうことがあります。これは、娘と小室さんのことではありますけれども、私は、今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。まだ、婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども、やはりその今お話ししたような、それ相応の対応というのは大事ですし、それから、これは、二人にも私は伝えましたが、やはり、今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。そしてそれとともに、やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません。私が今お話しできるのはそれぐらいのことになります」

宮内庁HP「文仁親王殿下お誕生日に際し(平成30年)」より

 回答にある「人の家のこと」というのは、小室家の内情のことだろう。そして紀子さまは、

「昨年の夏から、様々なことがありました。そして折々に、私たちは話合いを重ねてきました。そうした中で、昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした」
「私は、本当によく頑張っているなと長女のことを思っております」
「今以前にも増して、このように長女と過ごす時間をとても大切に感じています」
「家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております」

などと、長女眞子さまへの思いを強く語られた。その分、母娘の間のわだかまりの深さを感じさせもした。

元号が令和へと変わり、秋篠宮ご夫妻のお言葉は慎重に、そしてかたくなになっていった

 元号が変わって後の2019(令和元)年の紀子さまの誕生日会見では、紀子さまの言葉が慎重であるだけに、親子の間の断絶を感じさせるものがあった。

「延期のことも含め、現在、長女は、さまざまな思いを抱えていると思います。このような状況で、長女の気持ちを推測するなどして現状や今後についてお伝えすることは、控えたいと思います」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和元年)」より

 2カ月後の同年11月の秋篠宮さまの誕生日会見では、以下の質問があった。

「眞子さまと小室圭さんとのご結婚に関する行事が延期され、来年の2月で2年となります。昨年の記者会見の際、『多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ、納采の儀を行うことができない』と話されましたが、お二人の結婚に対する殿下の現在の考えや、見通しをお聞かせください。最近、眞子さまとは、どのような話し合いをなさっていますか。小室家とは何らかの連絡をとられていますか。併せてお聞かせください」

 答える秋篠宮さまは、かなりかたくなになっていた。

「結婚の見通し、これについては私が昨年お話ししたことと変わっておりません。ただ、今質問にもありましたけれども、この次の2月で2年たつわけですね。やはりその、昨年の2月に今の気持ちというのを発表しているわけですので、何らかのことは発表する必要があると私は思っております。それから長女との話し合いですね。それについては、結婚のことについては話をする機会はありません。最近ですと、この即位礼の一連の行事についての事柄については話をいたしました。また、小室家とは連絡は私は取っておりません。以上です」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和元年)」より

騒動から3年、眞子さまが発せられた「結婚についての二人の気持ち」という問題

 そして昨年の2020(令和2)年にも、結婚問題について、以下の質問があった。

眞子さま小室圭さんとのご結婚に関する行事が延期されています。眞子さまは13日に発表された文書で、『結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択』と現在のお気持ちを明らかにされました。皇嗣職大夫は会見で、両殿下が『お2人のお気持ちを尊重された』と説明しましたが、『お気持ちを尊重』とは具体的にどういうことなのか、今後のスケジュールや見通しと共にお聞かせください。殿下が以前記者会見で指摘された『多くの人が納得し喜んでくれる状況』になったと受け止められているかについてもあわせてお聞かせください」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和2年)」より

 ここで言及されている「13日の文書」というのは、同年11月13日の「眞子内親王殿下が記されたご結婚についてのお二人のお気持ち」である。ここで眞子さまは、こう述べた。

「一昨年の2月7日に、私と小室圭さんの結婚とそれに関わる諸行事を、皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の本年に延期することをお知らせいたしました。

 新型コロナウイルスの影響が続くなかではありますが、11月8日に立皇嗣の礼が終わった今、両親の理解を得たうえで、改めて私たちの気持ちをお伝えいたしたく思います。

 前回は、行事や結婚後の生活について充分な準備を行う時間的余裕がないことが延期の理由である旨をお伝えいたしました。それから今日までの間、私たちは、自分たちの結婚およびその後の生活がどうあるべきかを今一度考えるとともに、様々なことを話し合いながら過ごしてまいりました。私たちの気持ちを思いやりあたたかく見守ってくださっている方々がいらっしゃいますことを、心よりありがたく思っております。

 一方で、私たち2人がこの結婚に関してどのように考えているのかが伝わらない状況が長く続き、心配されている方々もいらっしゃると思います。また、様々な理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。しかし、私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」

宮内庁HP「眞子内親王殿下が記されたご結婚についてのお二人のお気持ち」より

令和2年、秋篠宮ご夫妻は「長女の気持ちを尊重したい」との思いを吐露された

 この文書に対して、秋篠宮さまは、以下のように答えられた。

「娘の結婚について、つい先日、一週間ほど前になりますけれども、長女が今の自分たちの気持ちというものを文書で公表いたしました。皇嗣職大夫の、気持ちを尊重するということでしたね」

「それは結婚することを認めるということです。これは憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」

「今回はあくまでも2年前に2020年に延期をするということをお伝えしたことに関わるものです。つまり、一連の行事が終わった2020年というのは今年であり、今年は間もなく終わろうとしています。やはりその間に何らかのことを伝える必要があると本人も考えておりましたし、私もそのように思っておりました。そのようなことから現在の気持ちというものを公表したわけです。ですから、今後の予定、見通しなどについてはこれから追って考えていくということになると思います」

「私が多くの人に納得し喜んでもらえるというお話をしたわけですけれども、実のところ多くの人というのを具体的に表すことはなかなか難しいと思います。長女の結婚について反対する人もいますし、賛成する人もいますし、全く関心の無い人もいるでしょう。どれをもって多くというふうに客観的に言うことができるかというとなかなかそれは難しいわけですけれども、あくまで私の主観になりますけれども、感じとしては決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています。で、そのことは娘も恐らく同じ気持ちを持っていると考えております。以上です」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和2年)」より

 長い回答となったが、結婚は認めるが、多くの人が納得し喜んでいる状況ではないというのが結論だった。こうして、儀式なき結婚の道が定まったのである。

 他方、紀子さまは、先の2019年の誕生日の回答に続き、2020年の誕生日回答では、以下のように詳細の説明を避けた。

「長女の結婚については、対話を重ねながら、親として娘の気持ちを受け止め、一緒に考えていくことが大切だと考えています。その中では、共感したり意見が違ったりすることもありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合いつつ、長女の気持ちをできる限り尊重したいと思っております。現状や見通しを含め、話したことの内容をお伝えすることは控えさせていただきます」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和2年)」より

 さらに今年、2021(令和3)年の紀子さまの回答では、以下の通り、再び詳細の説明を避けた。

「長女の結婚については、親として娘の思いや考えを受け止められるよう、対話を重ねております。こうした中、共感できることもあれば、意見が違うこともありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合い、長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております。一連の対応についての受け止めや、今後の見通し、話したことの内容などをお伝えすることは控えさせていただきます」

宮内庁HP「秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和3年)」より

秋篠宮ご夫妻の深い絆の根底にある「自由恋愛」を、眞子さまもまた希求されたのではないか

 母娘の間には、国民も安易には入り込めない深い事情があるのだろう。とはいえ、国民の象徴である天皇家の内親王の結婚の内情を、国民が聞かされないまま、結婚して皇籍を離れてしまうことに、多くの国民はとまどっている。

 なぜ、秋篠宮ご夫妻は許可した眞子さまの結婚の取り消しができないのだろうか。その真相はまだ闇の中だ。こうして、結婚内定から現在までの、秋篠宮ご夫妻の会見での発言を追ってみると、当初は好意的に理解していた小室氏の印象が崩れ、皇室と結婚するにふさわしい人物ではないと感じるようになったことがわかる。

 しかし、初めは早い結婚を奨励していたし、小室氏との関係も諸手を挙げて許していた。その矛盾の説明を、眞子さまにうまくできないでいるし、眞子さまも素直には受け入れられないのだろう。平行線なのだ。

 闇の中の真相を、諸情報をもとに想像をたくましくすれば、秋篠宮ご夫妻も学習院大学での先輩後輩の関係にあり、そうした身近な者同士の自由恋愛を大事に考えてきたのだろう。妹の清子さまと黒田慶樹氏の結婚を成就させ、その考えはさらに深いものとなったろう。大学での自由恋愛は自分たち夫婦の深い絆の源流でもある。そのことを2人の娘に幼い頃から語り聞かせてきたろう。そして、天皇とはならない次男の家であったことは、秋篠宮家に自由な風潮をもたらし、その自由さが国民に支持された時期もあった。

 その後、男系男子のいない皇室にあって、男子出産を願われ、将来の天皇たる責務も負うこととなって、秋篠宮家は大きな転換を余儀なくされた。天皇と天皇にならない皇族とでは、生き方の心構えも違うし、育ってきた環境も異なる。2人の娘が思春期を迎える頃、将来の天皇となる弟が生まれ、家としてのライフスタイルを変えざるを得なくなった。

 さらには眞子さまも、年長の内親王として、女性宮家の創設や旧宮家との縁談などに関連する多くの「雑音」を聞くことが増えたろう。天皇にならない家の長女として自由に育った心は、将来、自分が選んだ伴侶に出会い、世界に羽ばたくことを夢見ていたかもしれない。しかし、父と弟が将来の天皇に予定される家となり、自由なくらしも限られてきた。結婚相手も自由に選べなくなるかもしれない。そうした圧迫感が生まれたとしても不思議はない。そんなとき、話が合う異性の同級生と将来は結婚して、窮屈な世界から抜け出そうと思ったかもしれない。

秋篠宮ご夫妻と眞子さまの間の“隔たり”を埋めるための妥協策としての「駆け落ち婚」

 秋篠宮さまは、憲法24条の「結婚の自由」を掲げて、納采の儀はできないが、結婚は許さざるを得ないと述べた。しかし、この条文は一般国民に適用されるものであって、皇族ははじめから対象外と考えるべきではないか。そもそも憲法の条文を理由にするのであれば、職業選択の自由もなく、納税の義務もなく、思想の自由も、信仰の自由も、戸籍すらない皇族の置かれた特殊な状態を、憲法上どう説明するのだろう。都合のいい部分だけ、一般国民と同列に扱ったことに、国民の違和感は増したのではないか。

 むしろ、秋篠宮さまは皇室典範の第12条の条文「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」を理由にすべきだったろう。しかし、それではいかにも法の不備を利用したように見え、さらなる反発が生まれると懸念したのかもしれない。それほどに、秋篠宮ご夫妻と眞子さまの間で、この結婚をめぐる意見の隔たりは深いのだろう。その隔たりを埋める妥協策が、「駆け落ち婚」なのだろう。

 秋篠宮ご夫妻と眞子さまの確執は、1937(昭和12)年の盧溝橋事件以後の戦線拡大を止めようとした石原莞爾が、部下の武藤章に「あなたが満州でやられたことをしているに過ぎません」と皮肉られ返事ができなかったという、あの有名なエピソードにどこか似ている気がする。

「自由恋愛による結婚」を大切に説いてきたご夫妻は、長女の説く「自由恋愛による結婚」の主張に、なんの反論もできないでいるのではないか。

(文=小田部雄次/歴史学者)

菅田将暉と小松菜奈、同棲しても“結婚が許されない”複雑な事情

 人気俳優同士のビッグカップルの結婚が、また世間を賑わすのだろうか――。

 今月発売の週刊誌「フライデー」(講談社)で、都内のマンションで同棲中と報じられた菅田将暉小松菜奈。今、飛ぶ鳥を落とす勢いの2人の熱愛が初めて報じられたのは、昨年3月のことだった。スクープしたスポニチアネックスによれば、2人は2015年から映画3作品で共演し、19年秋頃から交際に発展したという。

 さらに今年6月には「女性セブン」(小学館)が、菅田が小松の住むマンションの別の部屋に引っ越した後、すでに同棲生活をスタートさせていると報道。「フライデー」によれば、そこから2人は別のマンションに引っ越し“新生活”を送っているという。

 もともと菅田は大阪の進学校、府立池田高校の学生時代は数学教師になるのが夢で早稲田大学を目指していたほど秀才だったことで知られている。目標を芸能界に移してからは、09年に『仮面ライダーW』(テレビ朝日)でデビューし、以降はNHK連続テレビ小説や大河をはじめとするドラマや映画、舞台で活躍。18年には映画『あゝ、荒野前篇』で日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を獲得し、19年放送のドラマ『3年A組―今から皆さんは、人質です―』(日本テレビ系)ではその演技が高い評価を受けるなど、すでに俳優として確固たる地位を確立している。

 一方、小松は12歳のときにファッション誌「ニコ・プチ」の専属モデルとしてデビューし、現在は映画やCMなどで活躍している。

 そんな今をときめく芸能人同士の交際ということもあり、メディアからマークされるのは当然の成り行きといえるのかもしれない。

「菅田は以前から“若いうちに結婚したい”といろんな場で公言してきたので、結婚願望が強いのは間違いない。年の離れた弟のオムツを替えたり、ご飯をつくってあげたりしていたというので、家庭的で父親願望を持っているような面もあるのかも。一本気で情熱的な菅田が小松に“ベタぼれ”とも報じられていますが、もし小松が覚悟を決めればゴールインも近いのでは」(テレビ局関係者)

 しかし、そんな2人の結婚には大きなハードルがあると、スポーツ紙記者は言う。

「菅田が所属するトップコートは、結婚に待ったをかけています。とはいえ、本人の機嫌を損ねてしまっては仕事にならないので、落としどころとして同棲容認というかたちになったようです。同じ事務所の松坂桃李が昨年に戸田恵梨香と結婚したばかりで、新田真剣佑も4月に退社したばかり。中村倫也の活躍は目覚ましいものの、女性人気に支えられてきた俳優陣をめぐる動きが落ち着くまでは、待ってほしいというのが本音なのかもしれません。

 また、トップコートは俳優のファンクラブ収入も大きいため、結婚で異性のファンが離れていくのは切実な問題。一方、クレバーな菅田はそうした事務所の事情も理解しているでしょうから、事務所の反対を押し切ってまで結婚を強行するなんてこともない。来年はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の仕事も控えており、それを終えるまでは結婚はないとみられています」

 ゴールインまでは、もう少し時間がかかりそうだ。

(文=編集部)

森友再調査を問われ河野太郎、岸田文雄が呆れた安倍忖度発言! 高市早苗は「桜を見る会」問題で「誠実に答弁してきた」と大嘘

 たんなる党内の覇権争いにすぎないというのに、あたかも「これでこの国の未来が決まる」かのように取り上げられつづけている自民党総裁選。「期待度1位は河野太郎氏」「女性初の総理大臣誕生なるか」「説明能力と指導力に期待」などと期待感を煽る報道により、あれほど吹き荒れていた菅政権に...

「1億円報奨金」でも話題のNEXUSグループ、世界最高峰のバーチャルレースに参戦!

 関東を中心にパチンコホール「D’STATION」などを展開するNEXUSグループは先日、同社のレーシングチーム「D’station Racing」が、世界最高峰のバーチャルレースとして2021年9月25日にイタリアのモンツァ・サーキットを舞台にオンラインで幕を開ける、「2021年/22年 ル・マン バーチャルシリーズ」へ参戦することを公式HP上で発表した。

 NEXSUSグループは主幹事業である「D’STATION」のCSR活動の一環として、2010年よりモータースポーツへのサポート活動を開始。レーシングチームの公式戦デビューは2013年で、2017年からは国内主要レースのSUPER GTやスーパー耐久へ参戦するなど、本格的なチーム活動を続けている。

 8月7日には、静岡県の御殿場工場を一般開放し、子供向けの仕事体験イベントも実施。親子含めて400名が参加し、記念品のほか、子供たちにはおかしも配布した。

 そんなチームが参戦を表明した同シリーズは、昨年の2020年バーチャル・ル・マン24時間レースの発展型公式シリーズ戦で、賞金総額はUSD250L(約2,800万円)。ル・マン24時間レース主催者のACO及びFIFA世界耐久選手権シリーズのプロモーター協力のもと、数々のモータースポーツ系eスポーツ競技を手掛ける「Motorsport Games Inc」により運営されている。

 対戦はPC用のソフトウェア「rFactor 2」(アールファクターツー)を利用して行われ、FIFAドライバーライセンスを保持するプロレーシングドライバー及びeスポーツドライバーがタッグを組み、シリーズ全5戦を戦う。最終戦は2022年1月のイギリス「2022 Autosport International show in Birmingham,U.K」開催期間中の1月15日~16日にル・マン24時間レースが行われる予定だ。

 また、同レーシングチームは9月25~26日に富士スピードウェイで開催されるフォーミュラー・リージョナル・ジャパンへにスポット参戦することも発表済みで、こちらにはWEB一般公募144名の中から19歳の澤龍之介選手を起用するそうだ。

 ちなみに、同社グループはレーシングチームのほか、フェンシングクラブも運営している。このフェンシングクラブには、東京五輪の男子エペ団体で金メダルを獲得した見延和靖選手などが所属。8月10日に群馬県高崎市で行われた同社グループのメダル報告会では、同社グループの代表が見延選手に夢のある報奨金「1億円」を送り、多くのメディアで取り上げられた。 

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JRA福永祐一100勝達成も脇役に!? 実況アナの「関西弁」連呼に話題騒然

 18日、雨中の中京競馬場で行われた4R・2歳新馬(ダート1800m)は、ドゥラメンテ産駒のアスクドゥラメンテが快勝。鞍上の福永祐一騎手は、この勝利で12年連続となるJRA年間100勝を達成した。

「良い勝ち方ができました。キックバックも問題なかったですし、追ってからもしっかりしていました。調教よりも実戦にいって良かったですし、これからもっと良くなると思います」

 2着馬に2馬身半差をつける会心の勝利を振り返り、福永騎手はそうコメントを残した。スポーツ各紙も「福永騎手年間100勝目」の一報を次々と報道……。

 ところがネット上で話題をかっさらったのは敗れた2着馬の方だった。

 その馬の名前はナオミニデレデレヤ(牝2歳、栗東・杉山佳明厩舎)。12頭立て9番人気という伏兵だったが、直線はいったん先頭に立つ見せ場十分の内容で2着を確保した。

 勝ち馬以上に注目を集めた理由は、レース実況を担当したラジオNIKKEIの山本直アナが発した“関西弁”だ。

「なおみに、デレデレや~」

 ナオミニデレデレヤが見せ場たっぷりの2着に入ったこともあって、レース中は山本アナの口から何度も「なおみに、デレデレや」という言葉が……無論、馬名を実況しているのだが、気を遣ったのか、馬名を呼ぶ度に特別に関西弁のイントネーションを用いたため、聞いている側には「なおみに、デレデレや」と言っているように聞こえるのだ。

 これにはTwitterなどでたくさんの反響があったようで『競馬予想TV!』(フジテレビONE)でもおなじみのパソコン競馬ライター、市丸博司氏も「山本直アナの『ナオミニデレデレヤ』の発音、すげーす」とツイートするなど、まさかの関西訛りにほっこりしたファンが次々と反応。

 数分後にはTwitterのトレンドで「ナオミニデレデレヤ」が1位にランクインしていた。

 当の山本アナはレース直後、自身のTwitterに「非ネイティブの弱み。」と投稿。関東の神奈川県出身だけに100点というわけにはいかなかったようだが、これを見たファンからは「日本競馬史に残る名実況」、「これぞプロフェッショナルの仕事!」など好意的な意見が目立った。

「一方で、『実況はお遊びじゃない』、『ナオミニのイントネーションがちょっと違うよね』といったネガティブな反応も少なからずあったようですが、おかげでナオミニデレデレヤが注目されることになりましたし、面白い試みだったことは間違いないでしょうね。

ちなみにオーナーの塩澤正樹氏は滋賀県の方なので、関西訛りのイントネーションに悪い気はしていないと思いますよ。どちらにしても、ナオミニデレデレヤが次のレースに出走した際の実況アナはプレッシャーを感じるでしょうね(笑)」(競馬誌ライター)

 珍しい馬名の由来は、冠名の「ナオミ」と「デレデレや」の組み合わせで、父エスケンデレヤから連想したものだという。

 今後も注目を浴びる存在となったナオミニデレデレヤ。次走はそのパフォーマンスで話題をかっさらえるか。

(文=中川大河)

<著者プロフィール>
 競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。

期待の甘デジ新台で打つほど負ける!?【濱マモルののほほんコラムVol.114~高過ぎる思い出への代償~】

 こう見えて、小学生時代は賢い部類だった。

「塾に行かない?」。きっかけは、母のひと言だった。小学4年生の純真無垢な濱少年は塾なんて言葉を知らず、それは何かと問うたところ、笑顔で「公文式みたいなもの」との回答。友人たちの何人かは公文式の教室へ通っていたし、なるほど、学校の延長みたいなものか…ってなイメージでOKしたところ、いざ通い始めて驚愕、ライトな感覚など微塵もない、ゴリゴリの進学塾だったのである。

 それでも、当初は定期券で電車に乗って塾へ通うという行為が新鮮で楽しくもあった。そこで新たな友人もできたし、学校の友人たちと遊ぶ時間が少々減ったこと以外に不満はなかったのだが、5年生、6年生と進むにつれて勉強の時間が飛躍的に増加。その結果、受験に必要な知識は頭に詰め込まれたものの、「いい中学校に入り、いい大学に進み、いい会社に就職する」という塾講師たちが勝手に掲げる目標に疑問を抱くようになり、「いい学校って何?」と、だんだんバカらしくなったアタシはドロップアウトし、以降、勉強らしい勉強をしたことがない。

 ライターと名乗りながらも稚拙な文章なのは、そういった理由もある。みなさま、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 メーシーのパチンコ『Pナムココレクション』を打つと、そんな当時のことを思い出す。というのも、進学塾へ通うことへの交換条件がファミリーコンピューター、略してファミコンの購入だった。白状すると、このファミコンがどうしても欲しかったことから、母の要望を受け入れたという経緯もある。

 同年代の方々ならばご存じの通り、ファミコンは子供たちの間で大流行した。とりわけ「パックマン」「ゼビウス」「ディグダグ」「ドルアーガの塔」などのナムコ初期作品は徹底的にやり込んだだけに、まぁ細かいところはともかく、当機のその画面、そのサウンドなどを体感すると、少年時代の心を一瞬、取り戻せる気がするのである。

 リミットを「残機」とした点もナイスアイデア。ナムコラッシュ中はゲーム感覚で消化でき、「DANGER」を回避できた際の興奮は、まさしくゲームに通ずるものがある。思わずガッツポーズしてしまうのも、仕方のない話だ。

 ただ、良い点ばかりではない。ホールの調整にも大いに問題があるのだろうが、小当りRUSH中は死に玉が多発。画面上では景気よく得点が加算される一方、出玉はさほど増えないといった状態も多々あり、正直、ストレスが溜まらないと言えばウソになる。

 ならばと通常時の回り具合に目を向けても、こちらもしっかりとボーダー以下。近隣はどこのホールも1台のみの設置で台を選べないというのもあるが、打てば打つほどに負債を抱えている状況である。

 全て『89ver.』を打っていながらも、現在の累積負債は2万8千円。ノスタルジーに浸るための対価としては高過ぎるだけに、こんなクソ調整にするなら導入するんじゃないよ、バカ…と文句を言いたくなるが、それでもきっと、アタシはまた打ってしまう。少年時代の思い出を巧みに利用したメーカーの戦略に、まんまとハマっているわけです。

 

 

(文=濱マモル)

武豊とシーキングザパールを幻惑し、サイレンススズカの心を折った稀代の逃げ馬。1000m通過62.7秒と56.5秒「変幻自在」の逃げ馬を手掛けた個性派調教師【特別寄稿】

 17日、報道各社を通じて残念なニュースが届いた。騎手、調教師として活躍した野村彰彦さんが病気のため、13日に死去したことを日本調教師会が発表したのだ。

 野村調教師といえば、やはり1997年の桜花賞馬キョウエイマーチが真っ先に思い出される。旧阪神コースの大外18番という圧倒的な不利を跳ね返し、女王メジロドーベルとの一騎打ちを制した本馬は、今なお最強の桜花賞馬の1頭に挙げられるほどだ。

 しかし、筆者個人的な思い入れで恐縮だが、キョウエイマーチの強さを最も実感したのは、桜花賞(G1)を勝った3歳春ではなく、むしろ3歳秋だった。

「シーキング敗れたりー!」

 ゴール前で馬場鉄志アナの悲鳴にも似た実況が印象深いのは、1997年のローズS(G2)だ。

 オークス(G1)を勝ったメジロドーベルが不在にもかかわらず、桜花賞馬のキョウエイマーチが単勝3.9倍の2番人気に甘んじたのは、当時NHKマイルC(G1)を含め重賞4連勝中だったシーキングザパールが1番人気に推されていたからだ。

 幼さを見せて敗れた阪神3歳牝馬S(現・阪神ジュベナイルフィリーズ、G1)以降、シンザン記念(G3)、フラワーC(G3)、ニュージーランドT4歳S(現・ニュージーランドT、G2)、そしてNHKマイルCと全く危なげなく4連勝。主戦の武豊騎手が惚れ込む大器が、後にフランスのモーリス・ド・ゲスト賞を制し、日本調教馬初の欧州G1制覇の偉業を成し遂げることはあまりに有名だ。

 しかし、このローズSでキョウエイマーチはシーキングザパールを“幻惑”。果敢にハナを奪うと、鞍上の松永幹夫騎手(現調教師)は単勝1.4倍という大本命馬にマークが集まっていることを尻目に1000m通過が62.7秒という超スローに落とし込む。

 これにはシーキングザパールの武豊騎手も早めにキョウエイマーチを捕えに行くが、2頭の最後の600mをまったく同じ35.3秒でまとめられては、物理的に届かない。伏兵メイプルシロップに先着を許したシーキングザパールは、このレースで3着に敗れている。

 これだけを見れば、キョウエイマーチの逃げが「上手くハマっただけ」という話になるだろう。この馬の真の恐ろしさは、2走後のマイルCS(G1)で見せたパフォーマンスで一気に跳ね上がる。

 1000m通過「62.7秒」と「56.5秒」。

 熱心な競馬ファンなら、これが競馬においてどれだけ大きな差があるのか容易に想像できるはずだ。超スローペースと超ハイペース、そこには「まったく異なる世界」と言えるほど、途方もなく大きな隔たりがある。

 秋華賞(G1)でメジロドーベルに再度敗れたキョウエイマーチは、マイル路線に舵を切った。その初戦となったのが、1997年のマイルCSである。本馬はそこで1000m通過56.5秒という超ド級のハイペースを刻んでいる。

 これには後に武豊騎手とのコンビで稀代の逃げ馬と称されたサイレンススズカでさえ、ハナに立つことを諦めたほど。ちなみに逃げ馬に転向した本馬がハナに立てなかったのは、後にも先にもこのレースだけだ。

 しかし、述べるまでもなく、これはスタミナを温存したい逃げ馬にとって、あまりに無謀といえるペースだった。実際にこのレースで2番手だったサイレンススズカは15着に沈んでおり、3番手を追走したヒシアケボノも14着に大敗している。

 だが、このハイペースを刻んだ“張本人”キョウエイマーチは、ゴールまで驚異的な粘りを見せての2着。それも唯一本馬を捕えることができたのは、後の世界のマイル王タイキシャトルである。

 超スローペースでシーキングザパールを幻惑し、あのサイレンススズカに自身のスタイルを曲げさせた超ハイペースでも、タイキシャトルに最後まで抵抗したキョウエイマーチ。これだけ完成度の高い逃げ馬となったのは、本馬の資質や松永騎手の手腕も然ることながら、やはり野村厩舎の厩舎力に他ならない。

 野村厩舎といえば、ミホノブルボンの三冠が懸かった菊花賞(G1)で、主役にハナを譲らなかったことで有名な刺客キョウエイボーガン、三冠馬ナリタブライアンに日本ダービー(G1)で挑戦状を叩きつけたナムラコクオーなど、競馬の歴史を彩った名脇役たちも思い出される。

 JRA通算488勝でG1・2勝は名調教師と呼ばれるには一歩及ばないかもしれないが、紛れもなく競馬を盛り上げ続けた個性派伯楽だった。どうか安らかに。

(文=浅井宗次郎)

<著者プロフィール>
 オペックホースが日本ダービーを勝った1980年生まれ。大手スポーツ新聞社勤務を経て、フリーライターとして独立。コパノのDr.コパ、ニシノ・セイウンの西山茂行氏、DMMバヌーシーの野本巧事業統括、パチンコライターの木村魚拓、シンガーソングライターの桃井はるこ、Mリーガーの多井隆晴、萩原聖人、二階堂亜樹、佐々木寿人など競馬・麻雀を中心に著名人のインタビュー多数。おもな編集著書「全速力 多井隆晴(サイゾー出版)」(敬称略)

早世したあの天才作曲家、失効した著作権が復活…突如“承継人”が現れ莫大な権利を獲得

ラプソディ・イン・ブルー』『サマータイム』など、アメリカを代表する作曲家として知られるジョージ・ガーシュウィンは1937年、38歳の若さでこの世を去りました。そんな短い生涯のなかで、オペラ2曲、ミュージカル50曲、オーケストラ曲7曲、ピアノ曲10曲、歌曲はなんと500曲も残しています。35歳で早世したモーツァルトと同じように、短い生涯のなかで溢れるように作曲をしたという点で、ガーシュウィンは“アメリカのモーツァルト”といえると思います。

 もし長生きしていたら、もっと多くの作品を作曲していたに違いなく、『ラプソディ・イン・ブルー』よりも素晴らしい曲を書いてくれたかもしれません。しかし、不謹慎ではありますが、皮肉にも彼が早く世を去ったことで演奏が広がった側面もあるのです。

 それは、コンサートの予算編成に関係があります。プログラムを組む際、ただ音楽的欲求に従って、自由にやりたい曲を演奏できれば最高なのですが、残念ながらそこには限られた予算があります。いくら素晴らしい音楽であっても、多人数の演奏家が必要となるマーラーやリヒャルト・シュトラウスばかり演奏していたら、オーケストラは経営破綻してしまうでしょう。これらの作品は“赤字覚悟”どころか“大赤字確定”なので、通常のコンサートでベートーヴェンやチャイコフスキー、モーツァルトのようなスタンダートなプログラムを演奏してコツコツとお金を貯めてから、演奏するのです。

 もうひとつ予算に重くのしかかってくるのは、作曲家の没後70年間かかってくる「著作権」です。これが馬鹿にならない金額で、もしコンサートの予算作成時に著作権のことを失念してしまうと、コンサート後の財務処理を終えてホッとした頃に、JASRAC(日本音楽著作権協会)から請求書が届き、大慌てすることになります。

 余談ですが、このJASRACは、まるでCIA(アメリカ中央情報局)のように膨大な情報ネットワークを持っているのか、かなり小さなコンサートに至るまで目を光らせています。実際に、僕の友人のピアニストが個人で開催したリサイタルで、著作権が残っている作曲家の曲を演奏したところ、JASRACがどこからかそのプログラムを手に入れたようで、後日、請求書が送られてきたそうです。

突如現れた、ガーシュウィンの“承継者”

 先ほど、著作権がかかってくるのは「作曲家の没後70年」と述べましたが、かつては没後50年でした。ガーシュウィンは1937年に亡くなっているので、1997年末で著作権は切れており、それ以降は著作権料の心配をする必要なく自由に演奏できるようになりました。これはオーケストラ経営陣にとっては朗報ですし、クラシック界だけでなくテレビや映画でもガーシュウィンの音楽を無料で使用でき、たとえポップ歌手がアレンジを加えてカバーすることも問題なく、著作権料を気にせずに、どんどん演奏されていたのです。

 ところが最近になって、“ガーシュウィンの承継者”と名乗る人物の代理人が現れ、「ジョージ・ガーシュウィンの多くの楽曲に歌詞を書いたのは兄のアイラ・ガーシュウィンであり、アイラが亡くなったのは1983年なので、現在も共同著作権は存在するはずだ」と主張したのです。

 この“承継者”が誰なのかはわかりませんが、生前のガーシュウィンはパーティに出席したのち、いつも美女を2~3人、家まで連れ帰るほどのモテ男で、ずっと独身を通していたとはいえ、実は何人も子供がいたといわれています。そのなかのひとりか、またはアイラの子供なのかもしれませんが、とにかく超有名作曲家を親族に持った血縁者が一儲けしようと思ったのでしょう。うがった見方をすれば、著作権協会にとっても、再び著作権料の徴収手数料を稼げるわけで、すんなり受け入れられたのかもしれません。

 とはいえ、超有名な『ラプソディ・イン・ブルー』はピアノとオーケストラ曲で、作詞家のアイラはかかわっておらず著作権はかからないので、僕たちオーケストラ関係者はホッとしていますが、歌手やオペラ界にとっては衝撃が走りました。アイラが作詞した337曲には著作料がかかることになったからです。大人気オペラ『ポギーとベス』の歌曲も多く含まれており、そのなかにはアメリカ人なら誰でも口ずさむことができる『サマータイム』も入っています。この1曲だけでも、“承継者”は莫大な収入を得ることができるはずです。

 今の時代、コンサートやCD、DVDのみならずCM、ゲーム音楽、インタラクティブ配信に対しても著作権収入が見込めるので、“承継者”は高級車どころから豪邸でも建てられるのではないでしょうか。

 JASRACも、「これほど有名な作曲家で、一度はパブリックドメイン(著作権フリー)となっていた楽曲の著作権管理を再開するケースは極めて珍しい」とコメントしていますが、著作権は作曲家やその家族にとって正当な権利なので仕方がありません。とはいえ、作曲したガーシュウィン自身ではなく、ほとんどの人が知らなかった兄のアイラを持ち出して権利を主張したことは、アメリカの訴訟社会の縮図を見るようです。

クリムトの名画で大金を手にした人物

 実は、これと似たような話があります。墺ウィーンの巨匠画家グスタフ・クリムトが1907年に制作した「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」は、「20世紀のモナ・リザ」とも呼ばれている名画です。作品のモデルでタイトルになっているアデーレは、クリムトと恋愛関係にあったといわれている女性です。彼女は40代半ばで亡くなった際、この絵をウィーンの美術館に寄贈してほしいとの遺言を残していました。

 ところが、残された夫のフェルディナンドは所有権を主張していたのです。そこに目をつけたアメリカ在住のこの夫妻の姪マリア・アルトマンが、長い間裁判で争って、この名画を手に入れます。そして大切なおばの絵画を大事に保管するかと思いきや、裁判に勝利した同年の2006年、さっさとオークションにかけ、当時としては史上最高値の1億3500万ドル(約156億円)で化粧品メーカー、エスティ・ローダーの社長であるロナルド・ローダー氏に売却してしまったのです。

 実は、マリアはこの絵だけでなく計5枚のクリムトの名作を手に入れ、すべて売却してしまいます。いずれも傑作中の傑作で、僕もウィーン留学中に何度も観にいきましたが、そのうちの3枚は個人所有となってしまい、現在は誰も観ることができなくなってしまいました。クリムトの芸術の一部が奪われた瞬間でした。

 この話を題材とした映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』が制作されるほど、注目を浴びましたが、こんなことになるとは、絵を描いた当人のクリムトやモデルのアデーレは想像もしていなかったでしょう。本稿のテーマであるガーシュウィンも、同じ心境だと思います。

(文=篠崎靖男/指揮者)

2021年10月10日(日)開演14:00 すみだトリフォニー大ホール
一柳慧 弦楽オーケストラのためのインタースペース
リヒャルト・シュトラウス 『4つの最後の歌』
 ソリスト 山畑晴子
グスタフ・マーラー 交響曲『大地の歌』
 ソリスト 池田香織、安藤英市
イル・テアトロ・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 篠崎靖男
全席指定 S席・5500円、A席・4000円
チケットぴあ http://t.pia.jp TEL 0570-02-9999

●篠﨑靖男
 桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
 2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
 国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
 現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。エガミ・アートオフィス所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/

JRAルメール・デムーロさえ霞む「月曜日の帝王」!? セントライト記念(G2)この夏「最大の上がり馬」の超強力援軍はあの男

 今週の中央競馬は、中京と中山で18日(土)から20日(月)の3日間開催。台風14号の影響が懸念されたが、まず土曜競馬が開催できたのは幸いだ。

 年に数回ある3日間開催は、多くの場合全休日の月曜日にレースが開催され、翌火曜日が全休日となる。特に騎手は調整が難しく、翌週にかけてリズムを崩しやすくなるといわれている。

 リズムを保つ以上に大変なのが体力面だ。例えば週休2日に慣れているサラリーマンが、めったにない“土曜出勤”をすれば心身ともにかなりつらいはず。体を酷使する騎手ならなおさらだろう。

 そんな3日間開催の月曜競馬を得意とする騎手がいる。先週の京成杯AH(G3)をカテドラルで勝ち、勢いに乗る戸崎圭太騎手だ。今週は3日間すべて中山で、土曜8鞍、日曜5鞍、そして月曜7鞍の合計20鞍の騎乗を予定している。

 そして、戸崎騎手が月曜の中山メイン・セントライト記念(G2)でコンビを組むのが、夏の上がり馬ソーヴァリアント(牡3歳、美浦・大竹正博厩舎)だ。

 半姉のマジックキャッスルは昨年の秋華賞(G1)で2着に入るなど、3歳秋に上昇カーブを描いて見せた。弟は昨秋に薬物による失格という一頓挫もあって、春のクラシックには間に合わず。夏の札幌で自己条件を2連勝したが、その勝ちっぷりから春の実績組と違わぬ評価を受けている。

 その鞍上が月曜競馬に強い戸崎騎手なら、期待はさらに膨らむ。実際に月曜競馬のデータをひもとくと2016年以降、戸崎騎手は東西の全騎手で最も多い29勝を記録。2位C.ルメール騎手の25勝、3位M.デムーロ騎手の23勝を上回っている。

「戸崎騎手はもともと南関東の大井競馬出身。中央とは違い、主に平日の5日間がレース日です。そのため騎乗回数がとにかく多く、最も多いときで年間1700鞍以上に騎乗していました。戸崎騎手がJRAに来て8年ほどたちましたが、土日開催に慣れた中央騎手に比べると、体力があるのかもしれません」(競馬誌ライター)

 戸崎騎手がかつて南関で培ったスタミナをセントライト記念で披露できれば、ソーヴァリアントの勝利は近づくかもしれない。

 ただ、一方で管理する大竹調教師には一抹の不安が残る。

 大竹調教師は戸崎騎手とは対照的に月曜競馬の成績がイマイチ。16年以降、36戦1勝で勝率は2.8%にとどまっている。さらにソーヴァリアントの最終追い切りに着目したのが前出のライターだ。

「ソーヴァリアントは最終追い切りを15日(水)に行いましたが、ライバルと目されるタイトルホルダーやオーソクレースなど他の多くの有力馬は月曜競馬を見越して木曜に追い切りがかけられました。通常より1日長くなる中4日というレースまでの間隔が悪い方に出なければいいのですが……」(同)

 月曜競馬を得意とする戸崎騎手がソーヴァリアントを勝利に導くのか、それとも月曜苦手の大竹調教師が足を引っ張ってしまうのか……。どちらにしても、その走りに注目したい。

(文=中川大河)

<著者プロフィール>
 競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。

パチンコ店で台を殴る蹴る…ギャンブルで“必ず負ける人”の共通点とは?凄腕パチプロの教え

 先日、愛知県名古屋市のパチンコ店でスロット台を蹴りつける男性客のニュースが注目を集めた。台を2回蹴った上に殴った男性客はエレベーター内でも壁を蹴り続け、さらに駐車場でもコーンを蹴り上げるなど迷惑行為を連発。大事なタネ銭を失ったようだが、その映像を見て「自業自得だ」と感じたギャンブラーは少なくなかっただろう。

熱くなると「絶対に勝てない」理由

 今から30年ほど前、大学生だった筆者は数年間、パチプロと行動を共にしていた。いわゆる“ジグマ”(特定の数店で稼ぐパチプロ)であるそのプロは、常に目立たぬ存在ながら、気がつけばほぼドル箱を積んでいた。

 ツルさん、と呼ばれたそのプロは常に冷静沈着だった。あるとき、財布の中の3万円をすべて失った筆者がパチンコ店の床に唾を吐いた。当時流行っていた一発台にタネ銭を注ぎ込んだが、一度も当たらず、むしゃくしゃして自暴自棄になっていたのだ。

 その直後。一発台を当てたツルさんが筆者にこう語った。

「今日は帰れ。もう絶対に勝てないし、やるだけムダだ」――その瞬間は負けが込み熱くなっていたが、頭を冷やした後日、言葉の意味がよくわかった。

 数日後。3万円勝った直後のツルさんに、酒を飲みながらこう言われた。

「なあ、イヤマよ。この前みたいになると絶対に勝てねぇぞ。なぜだかわかるか?」

 ギャンブルの経験値の少ない筆者は、首を横に振った。

「パチンコを筆頭に、ギャンブルにはいろいろな必勝法がはびこっている。そのほとんどは理論的だが、一つだけ、どんな種目にも共通するものがある。何だかわかるか?」

 筆者は、またも首を横に振った。

「直感だ。頭の中が冴えていると、たとえば釘を見たときに『この台だ!』とピンとくる。その直感が、勝つために一番大事なんだ」

 当時は今よりも釘の重要性が高かった時代だが、それはさておき、ツルさんいわく、直感こそ勝利への入口だという。

「ピンときた台を試し打ちするだろ。一発台ならストレート(球が真横に飛ぶ回数)が多いか否か、デジパチならボーダーライン(「1000円で20回転以上」などの勝利戦略)を超えているかどうかで判断するよな。ただ、『その台を見つける、最初の瞬間』こそ直感だ。直感を閉じたら、勝てる台をほかのヤツに取られちまうんだよ」

「いつまでも負け組」の特徴とは

 1カ月後、ツルさんの言う通りに行動した筆者は、ギャンブルで稼ぐためのイロハを覚えた。負けが込むほど熱くなり周囲が見えなくなっていたが、経験を重ねるにつれて、熱くならず冷静にいることが大事だと悟った。

 そう、熱くなると直感を感じなくなる。どこかへ逃げていってしまうのだ。

 パチプロはもちろん、馬券プロも株の投資家も、勝利者は常に冷静である。いくら負けたのか知らないが、件のニュースのように熱くなってしまうのは「いつまでも負け組」。自分自身に敗因がある、と理解しなければ、いつまで経っても泥沼から逃れることはできない。

 ツルさんは、筆者にこう教えてくれた。

「まず、冷静でいること。基本中の基本だ。もちろん、たまには負けることもある。そんなときも、直感が冴えていると『このは勝てない』とピンとくる。つまり、負けを最小限にできるんだ」

 あれから30年。パチンコをやめた筆者の種目は株や競馬に替わったが、勝利に共通するのは「冷静さによる直感力」。これは、どのジャンルでも変わらぬ永久的な必勝法である。

(文=井山良介/経済ライター)