最終章を迎える日本橋の大規模再開発、期待と不安…「トーチタワー」ですら安泰ではない?

●この記事のポイント
・東京駅の東側、八重洲・日本橋の再開発が進んでいる。28年には高層ビルとしては日本一の高さとなる「トーチタワー」が開業予定。
・東京23区のオフィス供給過多も懸念されているなか、八重洲・日本橋の再開発の先行きを不安視する見方も
・IT系のテナントで埋まりコンセプトが明確な渋谷の再開発とは対照的

 東京駅の東側、八重洲・日本橋の再開発が進んでいる。2023年に「東京ミッドタウン八重洲」が本格開業し、28年には高層ビルとしては日本一の高さとなる「トーチタワー」が開業予定。日本橋1丁目中地区でも超高層ビルが開業予定であり、日本橋エリアは地下道や地上デッキなどで八重洲方面と連結。2030年代に入ると日本橋川沿いの再開発事業が相次いで展開され、2040年をメドに日本橋の上にかかる首都高速道路の高架が撤去され、日本橋は大きく生まれ変わる。だが近年、丸の内や渋谷、虎ノ門をはじめ東京23区では大規模な再開発が進み超高層ビルが数多く開業してきたこともあり、オフィス供給過多も懸念されている。そうしたなかで今後次々と高層ビルがオープンする八重洲・日本橋の再開発の先行きを不安視する見方も少なくない。果たしてディベロッパーの計画どおりにことは進むのか。そして、街全体がどのように変貌するのか。専門家の見解を交えて追ってみたい。

●目次

日本橋と八重洲、三越前がつながりを持つかたちで一体感

 まず、丸の内・八重洲・日本橋という東京駅周辺の再開発について、不動産業界ではどのように認識されているのか。不動産事業のコンサルティングを手掛けるオラガ総研代表取締役の牧野知弘氏はいう。

「主に三菱地所などが中心となって進めてきた丸の内側と、三井不動産や東京建物などが進める八重洲・日本橋側の再開発は、別個のものと認識されています。丸の内側と八重洲側のテナントは従前からかなり差があり、賃料水準にも少なからず格差がありました。八重洲仲通りと丸の内仲通りを比較していただくと分かりますが、八重洲が丸の内と同じような街づくりを目指してきたのかといえば、少し違っており、八重洲はどちらかというと下町的・庶民的なエリアであり、丸の内とはテナントの属性も異なります。ただ、三井不動産や東京建物は今、丸の内に対抗するかのように超高層の複合施設の建設を進めているという印象があります。

 八重洲は大きなビルとしては東京ミッドタウン八重洲が開業したばかりであり、三菱地所が中心になって開発を進めてきた丸の内、大手町、有楽町といったエリアが持つような付加価値の創出は、これからの話であると考えています」

 今後開発が本格化する日本橋は、どのように変貌していくのか。

「日本橋と八重洲、三越前がつながりを持つかたちで一体感が出てくると思います。日本橋はもともと古いオフィス街、商業街でありますが、開発によってオフィス街としての地位は一段上がってくるでしょう。ただ、三井不動産や東京建物が八重洲・日本橋に京橋、三越前を加えたエリアをどういうふうに開発していくのかというコンセプトをみると、超高層建物を建てて、そこにホテルや商業施設を組み合わせた複合施設、国際交流拠点を開発するという内容であり、このエリアでコアとなる産業やオフィスとしての新しい付加価値をどのように生んでいくのかが見えづらいという印象を受けます。ディベロッパー各社が発表しているテーマや戦略を見ても、テンプレート的な内容しか掲げていません。 

 例えば東京ミッドタウン八重洲も当初はテナント集めに苦戦したといわれており、入居しているテナントの構成を見ても、とりあえず大企業を他のビルから引っ張ってきたという印象で、一貫したコンセプトが見えてきません。対照的なのは渋谷であり、見事なくらいにIT系のテナントで埋まっています。もともと八重洲は大規模ではない企業が多かった場所であり、そのイメージを脱却して企業を集め、どういうまちづくりを行うのかが、今のところよく見えてこないという印象を受けます。

 また、もともと薬問屋が多い日本橋には武田薬品工業やアステラス製薬があり、製薬企業に加えて宇宙関連企業なども集めて特徴を出していくといったことを三井は謳っていますが、宇宙産業はまだ収益化が進んでいない業界であり、高い賃料を負担できるのかという点も含めて、“街の色”がまだついておらず、そうしたなかでオフィスの供給だけ極端に増えていくと、どうなるかなという疑問はあります」

街としてのコンセプトが明確な丸の内・大手町との違い

 すでに渋谷や丸の内などに超高層ビルが数多く立ち並ぶなか、この先、数年の間に日本橋に相次いで超高層ビルが開業し、テナントが埋まるのかという問題もある。

「もともと八重洲は大手企業や情報通信系の新興産業などが集積する街ではなく、近くに日銀があるため地銀が支店を出したり、東京駅の前という立地から地方の企業が支社・拠点を置くというニーズが非常に強かった街です。大手企業や大手の国際法律事務所などは、やはり丸の内、大手町のビルに入るという傾向があり、丸の内・大手町は街としてのコンセプトが明確になってます。

 それに対して八重洲は、たとえば東京ミッドタウン八重洲の入居テナントを見ても、近くに本社があった老舗大企業が移ってきただけという印象があり、兜町や新川に多かった証券会社のオフィスも減ってきているなかで、日本橋に先端的な産業が多く集積するのか、そして、そうしたなかでオフィスの供給量が極端に伸びるということには、やや心配があります」

 28年に開業予定のトーチタワーも、安泰とはいえないという。

「トーチタワーのアドレスは実は中央区ではなくて千代田区なので、開発事業者の三菱地所は千代田区大手町というアドレスが欲しい大企業を積極的に集めていく考えでしょう。おそらくその他の日本橋のビルに比べると賃料水準を含めて良い条件でテナントを集めることができると思いますが、供給量がとてつもなく大きいので、あの貸付面積を綺麗に埋めるというのは、三菱地所であっても苦労するのではないかと業界内ではいわれています。日本橋に今後開業する新築のビルとの間で早くもテナントの争奪戦が始まっているともいわれていますが、そうなると本来の目標であった賃料水準を守れるのかという問題も出てくるかもしれません」

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=牧野知弘/オラガ総研代表取締役)

末永幸歩さん

末永幸歩さん

電通・宮川裕による連載「マーケティングの世界の住人が、アートの世界を覗いてみた。」

今回対話をともにしたのは、アート教育実践家の末永幸歩さん。

2020年のこと。僕は丸善で黄色い本を手に取ってみた。表紙をめくると大原美術館所蔵のクロード・モネ「睡蓮」が目に飛び込んでくる。最初から最後まであまりに素敵な内容だったので、ちょっとだけ勇気を出して著者にメールを送った。今や22万部のベストセラーとなった『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』の著者、末永さんとの出会い。以来、末永さんに仕事を依頼したり、末永さんのワークショップの現場を見学させてもらったり、なんだかんだで数年が経った。今回、末永さんの母校の武蔵野美術大学を二人で訪問。そこでの内容を記しつつ、もう少しはみ出して僕の目に映った末永さんのことを書き留めておきたいと思った。

協力:武蔵野美術大学 美術館・図書館
 

◆21世紀に生まれた1つのアート作品

『13歳からのアート思考』では、「自分だけのものの見方で世界を見つめ」「自分なりの答えを生み出し」「それによって新たな問いを生み出す」ことこそアーティストが作品の制作過程でしていること、と定義している。20世紀の巨匠アーティストたちが生み出した6つの作品を中心に、アート作品がどうやって生まれてきたのか、その核心は何なのか、ワクワクする文章で語られている。

書籍のジャンルで言えばまさに「アート・美術」なのだと思うが、ビジネスパーソンである僕にとってもおもいっきり関係のある内容だと思った。またこの本には、末永さんの知見もふんだんに盛り込まれており、「末永さんという人」の魅力にも自然と目がいく。そして巻末にはこんな一文がある。
 

おわりに、いつも無計画で手探りの教育で、しかしいつも私の好奇心を最優先してくれた家族に感謝の気持ちを伝えたいと思います。家族が私に与えてくれたのが最高の教育だったとよく思い返しています。


この「おわり」につながる「はじまり」のお話、いわばエピソード0を記したい。インタビューで末永さんが語ったほぼそのまま記載するので、是非まるまる味わっていただきたい。
 

子どもの頃、かなりユニークな家庭に育ったんじゃないかな、と思います。父親は、ベースとしてはイラストの仕事をずっとやっていたんですけれど、とにかく手当たり次第いろんな活動をしている人だったんです。パントマイムだ!と思ったら独学で練習を始めてしばらくすると観客を呼んでショーをやっちゃうとか、タップダンスだ!と思ったらそれ以前に専門的なダンス経験もないのにショーの中で披露しちゃうとか。油絵作品をいっぱいつくって個展を開いたり。家族でキャンプに行ったら、この石いいなって持って帰ってきて、そこに絵を描いて売ったり。65歳過ぎた最近では漫才を始めたそうです。何でも一回形にしてみる、という感じ。そんな姿を間近に見ていた子ども時代だったので、「人生、何でもできるんだな」っていうのは植え付けられたと思います(笑)。

自宅に来る父の友だちもユニークな人が多くて、手品がとても上手な人がいたり、ジャズ演奏が本当に上手なフリーのピアニストとか、占いが得意な人、父のプロデューサーを名乗る人がいたり。ゴミの埋立地建設に抗議して多摩の山奥に住み込んでいる人もいました。子どもの私はその人たちの本名も本職も知りませんでしたが、楽しかったです。雑多な環境でしたけど、良い原体験だと思っています。自宅に父が使っていた画材道具だったり芸の小道具があったりして、思い付いたら何かができる環境だったかな。

そんなこんなでお金はなかったのですが、母は市区町村の瓦版なんかで無料の体験とかをいろいろ探してきてくれました。田植え体験とか、田舎でのホームステイとか、キャンプ体験、劇団、人形劇鑑賞とか。探せば無料でいろいろあるんですよね。そういう体験をさせてくれたことは有り難かったなって思っています。その甲斐あって(笑)、私はすごく好奇心旺盛に育ちました。勉強好きでどの教科も「5」ばっかりという感じでした。図工や美術だけが大好きだったわけではなく、いろんな活動の中に、何かをつくることとか表現することも入っていた、そんな感じですね。

 

高校生になった時にすごく海外に行ってみたくなったんです。両親も海外に行けるような余裕は全然なくて、行ったことがなかったんですよ。なので海外は自分にとっては本当に未知の場所。日本と違う場所があるということ自体がすごい不思議な感じがして。それでスーパーでアルバイトして、1年間くらいで30万円貯まって、10日間のショートステイでイギリスに行ったんですが、それがまた良い経験になって。今自分が持っている考え方とか、ものの見方、常識とは、全然違うことがあるんだ!と気付き、それを発見するのがとても好きでワクワクしました。それが海外の文化なのか、アートなのか、という違いはあっても、ものの見方の多様性に惹かれる感じは、今にもつながっていると思います。

 

この海外経験が大きかったので、大学を考える時には美大は選択肢になく、語学や国際関連の勉強ができる大学に行きたいと思っていました。私は勉強が好きな子ではあったものの、受験のために情報収集するとか計画を立てるとか、そういうことはまったくしなかったんですよ。赤本を開いたこともなく、模試を受けたこともなく。両親も、「まあ、あなただったらいけるでしょ」という放任で。無謀に国立1本で受けたらダメだったんですね。それで浪人することになっちゃったんですよ。で、浪人したら予備校に行ってがっちり勉強するじゃないですか。そんな発想すらなくて、バイトをしたり図書館で勉強したりしながら1年間過ごしていたんです。そして案の定、また受験に失敗して。

2浪生活が始まった頃、母が見かねてとんでもない提案をしてきて。「子どもの頃からつくることが好きだったよね。藝大を受けてみたら」と急に言ってきたんですよ。「うまくいかなくても、この時期に制作に打ち込んだ経験は、きっとそれだけでも糧になるよ」と。東京藝大は最高峰で、当時は数十倍の倍率でした。でも自分もその気になっちゃって。2浪目にして進路変更したんですね。画塾に急に入ってきて、そこの先生もちょっと驚いていたと思います。でも、石膏デッサンなんかもぐんぐん上達し、藝大の一次試験は通ったんです。ただ、すでに2浪目ですから絶対今年決めなきゃっていう年だったのに、滑り止めのことを考えるの忘れちゃっていて。気付いた時には私立の美大の願書の締め切りがほとんど過ぎてたんですよ。

 

そんな中、まだ間に合ったのが、ここ武蔵野美術大学の芸術文化学科(芸文)だったんです(笑)!運良く合格しました。しかしこんな形で芸文に入ったので、ウキウキして上京してきた新入生たちの中で自分はみんなより2年も年上かぁ、と斜に構えた感じでした。芸文は、多方面で活躍している方の講演会やさまざまなアート・プロジェクトなど、いろんな面白い講座や課外授業もあったりしましたが、ほとんど参加していなくてあまり意欲的な学生ではなかったです。ただ、制作には打ち込んでいました。

決して褒められない大学生活だったんですけど、今考えてみると芸文にいられて本当に良かったなって思っていて。自分が『13歳からのアート思考』に書いた、「アートって花(=作品)だけじゃないよね、自分の興味のタネから探究の根を伸ばしていくことにアートの本質がある。その結果として咲く花の形って、いろんな表現であり得る。絵画だからアート、彫刻だからアートというわけじゃなくて、文章も音楽も、もっと言えば形のない思想とか活動だって、根元にその人の興味のタネや探究の根があるのであれば、アートの花だといえる」っていうのは、まさに芸文の考え方なんですよ。芸文は比較的新しくできた学科で、武蔵野美術大学で、絵画とかデザインとか分かれていた学科をつなぐような存在。それこそ、プロセスにフォーカスして、学生が生み出す表現はいろんな形でいいという学科だったので、私はもろに芸文の思想に影響を受けているわけです。芸文にいたことは、今、大きな糧になっているなって思います。

 

2年も浪人したという負い目があったからか、資格でもなんでも取っておいたほうがいいという浅はかな思いがあり、教職は取っていたんです。4年生になって教員採用試験も受けました。そうしたら奇跡的に受かって。採用試験もかなりの倍率があった時代でしたので、受かるとは思わなくて、パソコンで合格発表を見た時に「何かのミスで自分の受験番号が一瞬表示されたのかも」と思い、すぐに写真を撮ったほどです。証拠として(笑)。あと、就活もしていました。美大出身ということでデザイナーになりたい気持ちも強くあって、憧れの洋食器メーカーの内定をもらいました。ということで教員と会社員の二者択一になりました。

ゼミの先生に神妙に相談したところ、「どっちでもいいんじゃないですか」って言われたんですね。適当な答えだなぁ、と思ったんですけど、続きがあって、「でも一旦選んだら、選ばなかったほうはきっぱり忘れて、選んだ道に進むといいと思います」って言ってくれたんですね。その時はあまり響かなかったんですが、今考えると良いメッセージをいただけたなと思っていて。この先、選択する場面はいっぱい出てくるので、計画段階でどっちが良いのかとこねくり回すのではなく、自分の気持ちに素直になって、流れに従って出たとこ勝負で、というふうに受け取っています。最終的に教員を選びましたが、後から振り返ってみると、小学校の時も中学校の時も卒業アルバムに「学校の先生になりたい」って書いてありました。しかも物語形式で(笑)。やっぱりすべてはつながっているんだな、と思いました。

 

中学校の美術の先生になったんですけど、もう天職だと思うくらいすごく楽しくて。きっと学校の先生になった多くの人は、そういう実感を持つんじゃないかな。教員(大人)同士の時間もありますが、基本的には子どもたちとずっと関わって、もう今までの人生にないくらい泣いて笑って怒ってっていう熱いものが中学校にはあるので。出会いと別れを繰り返しながら、あっという間に数年間が経ちました。でも、もちろん楽しいことばかりじゃなくて、教育方針であったりとか、悩んだり葛藤することとかもありました。それでも全体を通して教員になって良かったと思っていました。

 

でも数年経った時に、絵画制作をもっとしたいなと思うようになり。自分自身の制作活動が大学卒業後にプツっと途切れちゃったな、と。今しかないという気持ちになって、教員の職を辞めて制作に打ち込もうと思い、大学院に行くことにしました。東京学芸大学の修士課程に絵画の研究室があって、そこに入りました。ですが、入ってみると自分の気持ちが絵画制作には向かなくなっていて。そもそもアートっていうものに対しての疑問が出ちゃったんです。何のために絵を描くのか?アートっていったい何なんだろう?って思ったりすると、全然絵が描けなくなっちゃったんですね。

でも良かったのはその当時の学芸大学の修士課程には、ワークショップの研究をされている先生方が多くて、自分も自然とそこに目が向くようになり、子ども向けの造形ワークショップをするようになったんですよ。大学院で知り合った仲間と一緒に地域の子どもたちを集めてワークショップを開き、そこでの気づきをディスカッションしたりして。まさに実践研究で、自分にとってすごく学びになりました。今まで、学校教育だけしか見えていなくて、考え方が凝り固まっちゃっていたんですが、学校外のワークショップについて考えることによって解きほぐされていくのを感じて。仲間たちも大学院まで進んでしまった人たちなので、言う事、考える視点、見る視点がユニークなんですよ。それまでとは異なる角度から教育を捉え直す良い経験になりました。

その当時、中学校教諭の職は辞めたものの、中学校や高校の非常勤(時間講師)として週に数日、美術の時間だけで教えるという形で教鞭を取っていました。そこで大学院のワークショップで得た柔軟な考え方を学校教育にも自然と生かしていくようになって、そこから授業づくりがとても楽しくなりました。その中で、『13歳からのアート思考』で書いた、「アートは花だけではない。自分の興味のタネと、探究の根こそが本質だ」という考え方も自分の中で認識しました。中学校の教諭時代は、やっぱり「花(=作品)づくり」ばかりになっていたことに改めて気付けた。花以上にタネや根にフォーカスするような授業の形があってもいいと思った。そういう問題意識から、『13歳からのアート思考』に著したような授業がつくられていき、美術が苦手・好きでないと言っていた子どもたちが「自分なりの答え」を自信を持って表現する姿が見られるようになって、良いサイクルができていました。

家でもパートナーと美術の授業や、現代アートについていろいろ話していたんですね。それこそブリロ・ボックスの話とか。そうしたらパートナーが、「アートのことは全然興味なかったけど、面白いね」って言ってくれて。「こういう授業だったら受けてみたかった。自分みたいなアートと無縁のビジネスパーソンも、こういう形だったら楽しめると思う」と。それでその気になって。中学校の生徒だけじゃなくて、社会のいろんな人に授業を届けたいなという気持ちが沸いたんです。

 

ちょっと矛盾するようですが、自分はやはり表現することが好きなので、アウトプットをしたいという気持ちもあるんです。そこで、本にしたんです。『13歳からのアート思考』の3分の1くらいのボリュームでしたが、ちゃんと表紙もつけて、本の形に仕上げました。いわばプロトタイプ。出版のお話とかがあったわけではないんですけど。自分なりの「作品」をつくったわけです。考えを形にしてみたら、そこからいろんなご縁が転じてきました。まず、教育系の出版社に原稿を送ったら、編集者さんから連絡をもらい会うことができました。会えただけでもすごいと思いつつ、「内容は面白いんですけど、イチ美術教師が書いた本だと読む人が限られちゃうので、ビジネスの有名な方とタッグを組んで共著にしたらどうですか」って言われたんです。自分の作品だと思ってつくったものを今から共著にするっていうのは自分にとっては許容できず、その日は家に帰って悩みながら、でもやっぱり違うなと思ってお断りした直後に、もう一つのご縁が舞い込んできました。

佐宗邦威さんという、後に『13歳からのアート思考』の巻末に解説文を寄稿してくださった方がいるのですが、仕事のつながりで私のパートナーが「家族が書いたんです」と、プロトタイプを渡してくれたんですよ。そうしたら佐宗さんが「その日に自宅のお風呂で一気読みして、めっちゃ面白かったです。自分の担当編集の方に送りました」って連絡をくださって。佐宗さんがダイヤモンド社で本を刊行された直後だったということで、編集者の藤田悠さんに渡り。私の計画していないところで、出版社に自分の書いたものが辿り着いたわけです。藤田さんも一気に読んでくださったそうで、すぐにご連絡をくださいました。すごく不思議なご縁で、佐宗さん、藤田さんのお二人に出会えた。そこから最終的な形にするのには、そのプロトタイプからさらに1年間くらい執筆を続けることになりましたが。

 

こうして21世紀に、『13歳からのアート思考』という作品が生まれたのである。

 
13歳からのアート思考
 

 

◆7つ目のクラス

末永幸歩さん

末永さんの半生を知ることは意義深い。ベストセラーの著者だから「副読本」的にその半生も覗いてみよう、というのもなくはないが、僕はちょっと別の受け止め方をしている。

『13歳からのアート思考』では、

 

かつて、西洋美術が花開いたルネサンス期の画家たちには「目に映るとおりに世界を写しとる」という明確なゴールがありました。それ以来、彼らはおよそ500年あまりにわたって、3次元の世界を2次元のキャンバスに描き出す技術を発展させてきたのです。

しかし、19世紀に発明された「カメラ」が20世紀に普及していったことによって、彼らを取り巻く状況は一変しました。絵画による「目に見える世界の模倣」は、写真撮影という技術革新によって容易に代替されてしまったからです。

しかし、これによってアートが死に絶えることはありませんでした。

 

マティス、ピカソ、カンディンスキー、デュシャン、ポロック、ウォーホルそれぞれによる、「20世紀に生まれた6つのアート作品」を主な題材とし、6つのクラス(授業)を時系列で展開していく形で書籍は構成されている。

 

「目に映るとおりに描くこと」「遠近法的なものの見方」「具象物を描くこと」「アート=視覚芸術」「イメージを映し出すためのもの」……20世紀のアーティストたちは、過去のアートがとらわれてきたさまざまな常識を乗り越えようとしてきました。

そして、ついにウォーホルの《ブリロ・ボックス》に至っては、そうした格闘が行われてきた「アートという枠組みそれ自体」にもヒビが入ることになったのです。

 

これはアート、これはアートではない、と分断する壁。壁は、権威的なものとそうではないものとを振り分けるということでもあり、権威の側はやがて聖域ともなり得る。しかし!そんな因習的な壁あるいはわれわれの心の中にある壁は、実は幻想だったのでは?そう気付かせるに至った20世紀のアート作品、アーティストたちの功績を、末永さんは6つのクラスを通して分かりやすく表現している。6つの作品に代表されるそれぞれのイノベーションは、今振り返ってみるとあたかもつながっているようで、そのつながりはなんとも美しい。言わば歴史の「Connecting the dots.」。そこに立ち現れたのは、だだっ広いフラットな世界。

フラット。つまり誰しもが参加できる。不当な圧力のない自由な世界。と言えば聞こえは良いが、後ろ盾のない厳しい世界、とも言える。心細くもなる。

そして、アートの歴史とは違うところでの、大きなうねりもある。社会の複雑性が高まり、これまで正解とされてきたことが通用しにくくなった。僕らの不安はちょっとずつ募っていった。そこにきて、2022年あたりから急激にAIが身近になった。AIに任せていけば安心かも、と少しだけ気持ちが軽くなった。しかし、別の不安が顔を出し始めた。AIが幅を利かせた世界で、人は、僕は、何をしていけば良いのだろう?心細くもなる。

そこで僕らの背中を押してくれるのが、末永さんによる提案。「われわれには、アート思考がある」。ここ数年、傍から末永さんの活動を覗かせてもらっている中で、末永さん自身がアート思考を実践・体現しているのだと思い至った。末永さんの存在こそ最良のテーマだと思えた。つまり、僕にとって「7つ目のクラス」。末永さんの半生を知ることは、生きた歴史をリアルタイムで学ぶことでもあり、だからこそ意義深い。

そして末永さんの探究の根は、まだまだ伸びていく。

末永幸歩さん
 

今書いているのは、「感性」についての本です。『13歳からのアート思考』では、アーティストが作品を生み出す過程でしていることは3つ、と書きました。「自分だけのものの見方で世界を見つめ」「自分なりの答えを生み出し」「それによって新たな問いを生み出す」。そこに共感してくださった学校、企業、さまざまなところから講演やワークショップのご依頼をいただいていろんな現場に関わっていく中で、思ったことがあります。企業で研修をさせていただくと、皆さん「自分だけの答え」を出すことに目が向いていて、とにかく新規価値を創造しなきゃ、これまでにはない答えをつくらなきゃ、というところに注目されていると感じました。かたや学校では今、探究学習が取り入れていることもあって、まず「新たな問い」を立てることが大事だと生徒たちに指導している場面も多く見かけ、問いの立て方を教えてほしいと言われたりもします。

これらの状況に対し、私は3つのうちの最初の「自分だけのものの見方」を徹底しなきゃいけないと思ったんですよ。逆に言うと、答えをつくる方法とか問いを立てる方法なんていうのはなくて、自分だけのものの見方さえできてれば、答えや問いは勝手に出てくる。そして、自分だけのものの見方で世界を見るっていうのは、観察眼を鍛えましょうとかそういう話じゃなくて、「感性」だと思うんですよね。感性を開いて、世界からのいろんな働きかけを受け入れることが、自分だけのものの見方で世界を見つめることにつながるというふうに考えています。感性とは、扉のようなイメージです。そこが閉じていたらこの世界にいろんなものがあったとしても受け取ることができない。逆に、扉を開くことができれば何かを探し出そうとしなくても、勝手に入ってくるんだと思う。入ってくるものを受け止める。そうすることによって初めて「自分だけの答え」が出てくるわけです。

 

感性の扉を開くためのヒントを、アーティストと子どもから見出す、という構成の本です。アーティストは、まさに自分だけのものの見方で自分の答えを創造している人たちなので、作品や生き様の中にヒントを見出すことができる。それに加えて、子ども。小さい子どもたちは自然に世界を自分なりのものの見方で捉えているので、子どもの視点を想像することによって大人も感性の扉を開くヒントを得られると思っています。

私は大学院時代にも造形ワークショップで子どもと関わる時間が多かったですし、子どもの工作番組の監修を3年間に渡ってさせていただいているんですが、全国のいろんな子どもたちの表現した作品に触れたり、制作プロセスを見ることができて、そこから得た視点もたくさんあります。ただ、一番大きいのは自分自身の子どもと直接触れ合い、一心同体で感じ取ったこと、親だからこそ分かることがあるなっていうのはしみじみ感じていて、そんなことをもとに書いています。

 

だだっ広いフラットな世界を前に、僕らあらゆる人びとの感性が開かれた時、結果として末永さんの作品は、自然な形で「20世紀に生まれた6つのアート作品」に連なるんじゃないだろうか。その時僕らは、「歴史のドットがまた一つ、つながったんだぁ」という言葉をもらす、そんな気がしている。

◆「悔しい。」

末永さんは寛容な人、ひらたく言うと気が長い人だと僕は思っている。詳細は書かないが、一般的な感覚からいってイラっとしたりクレームを入れてもおかしくない場面を何度かお見かけしたが、末永さんは声を荒げるでも顔をピクつかせるでもなく、それどころか場を和やかにしていた。盤面をひっくり返していた。その度に、肝が据わっているなぁ、と感じた。

今回のインタビューで末永さんの半生を知ることで、ああ、なるほど、こんなふうに価値観形成されてきたからか、と妙に腑に落ちた。まさに「Connecting the dots.」。そしてもう一つ知ったことがある。

 

2020年までは中学校の先生だったんですけれど、本を出版してから180度活動が転換したというか、本当に多方面で教育や美術に関わることができています。講演やワークショップとか、プロジェクトでの協業とか、新しい教育の取り組みとか、いっぱいアウトプットする機会があるんですけれど、そのアウトプットが自分にとって毎回インプットになっていて、アウトプットとインプットが同時にできているような感じ。この5年間で書いたノートが何冊もあって、本を読んで勉強したことや取り止めもないアイデアなど、びっちり書いてあるんですよ。この5年、すごい頑張っていたんだな、と自分で思いました。アウトプットするということは、同時にそれくらいインプットをしているんだなと思います。

他方、活動が広がって、難しさもいっぱい感じました。たとえば、フリーランスとして働いているのですが、公務員や会社員として働くことと比較した時、福利厚生のある組織に所属していた方が安泰だという価値観は根強い気がします。会社員こそ「しがみついてでも頑張れ」と言われますが、フリーランスについては「なにかあればすぐ崩れちゃうような働き方でしょ」という認識が存在していて、まして、家庭や子育てに犠牲を払ってまで力を注ぐようなものじゃないと捉えられてしまうことが、すごい悔しいなって思うんですよ。そんなことないじゃないですか。

また、自分は5歳の子どものお母さんなので、母親としてまた女性として活躍することの難しさもすごく感じています。活動が小さいうちは気になりませんでしたが、その規模が大きくなるにつれて顕在化していった気がします。もう21世紀になんだからフリーランスも全然ありでしょ、とか、昭和じゃないんだから女性が仕事するのも普通でしょ、という考え方がある一方で、現実的にはまだまだそこに対するネガティブなものの見方があるな、と。小さい子どもを持つ女性が働こうとする場合、子どもを保育園に預けて子どもを持たない人とほぼ同様にフルタイムで働くか、それか仕事を辞めて子育てに専念するか、二者択一になりがちです。事実、多くの会社のシステムも、保育園の制度もそうなっています。「週3だけ保育園に預ける」というのができません。

私の場合、子どもとの時間が自分にとっての大きなインプットにもなっているので、子どもと過ごす時間を大切にしたい。他方、どんどん広がっていく仕事や活動にも全力を注ぎたい。人一倍仕事に打ち込むことで、その先の景色を見てみたい。その両方を取ろうとすることに対する社会からの否定がある。どっちかを選ばなきゃいけない。でも、従来の二者択一に限らない在り方があってもいいじゃないかと思う。ものすごく大変ですが。でも、もし過去に遡って選択できるとしても、今の在り方を選択したい。

大学院で子どもの造形ワークショップを通した研究をしていたというのもあり、私にとって子どもと過ごす時間は勉強でもあるんですね。子どものありのままの姿を観察して何かを学び取るっていうことを研究でも実践していたので、今も自分の子どもに対してそういう向き合い方をしていて、お金を払ってでも得たい時間だと思っています。仕事の時間が思うように持てずに焦りを感じることも多々ありますが、そんな時には子どもとの時間が自分のための大事なインプットの時間だと捉え直すようにしています。

 

『13歳からのアート思考』という末永さんの本(作品)から、声が聞こえてきた。今回インタビューをするまでは、聞こえてこなかった声だった。切実な声。末永さん本人が社会の不公平や不寛容に物申す、改善を促す、そんなことを目的に書いたのではまったくないと思われるが、この作品には、そして末永さんの生き様には、不公平や不寛容を指摘できるようになるための社会の土壌づくり、そんな作用があると思った。22万部というポピュラリティとともに、「結果的に」軽やかに世間に流布している。副産物でありつつも、本質的だと思った。

二者択一だなんて、誰が決めた?

アートと非アートを分けていた壁。それが幻想だと気付いたフラットで自由な世界で、感性を開き本当の意味で自由を獲得できるか。アーティストになる可能性を秘めた僕ら一般人の手にそれが委ねられた時、改めてこの末永さんの「悔しい」という言葉や状況に目を向けたい。あらゆる人に目を向けてほしい。

末永幸歩さん

◆いまを生きる

末永幸歩さん

冒頭でも書いたが、『13歳からのアート思考』は大原美術館所蔵の「睡蓮」からスタートする。大原美術館のエピソードに対し、きっと末永さんは特にお気に入りというか、深い敬意を払っているのだろうと思った。美術史家で元大原美術館館長の高階秀爾さんと末永さんを引き合わせられるのは僕しかいないと勝手に思い、2022年に二人の対談の場をセットした。探究の根が伸び、つながるような、活気のある場になった。

その対談の締めくくりに、アートがわれわれにもたらすものとは?と二人に投げかけてみた。末永さんは、

 

美術の授業を終えて、学生たちにレポートを出してもらったり、話を聞いてみたりするんですね。そうしたら、自分がつくった作品についてのことじゃないなんてことも。かなり離れていて。自分の幼少期の体験を書いていたりだとか、最近自分が実は引っかかっていたこと、違和感を持っていたことを書いている学生がいたり。あと、日常の中でこの一連の授業のことを思い出しながら歩いていたら、今まで当たり前だと思っていたものの面白さとか、ばかばかしさに気付いたとか。今まで見過ごしていたものが異様に目に付いたとか。そんな感想がたくさんありました。こんなことから、こうやってアートに関わっていくことによってもたらされるものっていうのは、「あれ?」っていうふうに、物事に対して引っかかりを持つような「感性」というか、心なんじゃないかなとも思うんですね。自分なりの物の見方をして、自分の答えをつくっていくような、その「駆動力」になるのかなって。いつも「あれ?」って引っかかって疑っていくことなんじゃないかな、と。それを繰り返していくことによって、徐々に自分の問いが出てきたりとか、自分が考えていきたいなって思うような主題が生まれたりとか、そんなことにつながっていくんじゃないかな。それがアートというものなんじゃないかなと考えました。

 

高階さんは、「今の末永さんのお話に尽きるので、私はそれを繰り返して言えばいいと思うんですけど」と笑わせ、場を和ませた。「最後に付け加えるとすると、アートは生きる喜びを与えてくれる。アートっていうのは本当に全人間的なもの」という言葉で締め括った。

末永さんは、自分の中の違和感を見過ごさず、そして行動を起こしてきた。幼い頃から、ブレずに、極々自然に。まさに全人間的に。

そして今、末永さんは新しい環境へ飛び立とうとしている。

末永幸歩さん

画像制作:岩下 智

パナソニック オートモーティブシステムズ永易社長×dentsu BX 車載事業会社から「移ごこちデザイン」カンパニーへの変革

あらゆるバイアスを壊し、自らアーキテクト(全体設計者)として社内の事業変革を遂行しているトップエグゼクティブの方々に話を聞きながら、その神髄に迫る本連載。

今回のゲストは、パナソニック オートモーティブシステムズ代表取締役 社長執行役員の永易正吏氏です。パナソニックグループの持株会社制移行に伴い、2022年に設立された同社は、モビリティサービス事業に強みを持ち、「クルマでの移動体験」に新たな価値を提供し続けています。

2024年には、世界一の「移ごこちデザイン」カンパニーというビジョンを策定。ビジョン開発の経緯やビジョンに対する思いについて、変革のパートナーとして伴走する電通の田幸佑一朗氏と小林麻里絵氏がインタビューしました。

永易氏、田幸氏、小林氏
(左から)電通 小林麻里絵氏、パナソニック オートモーティブシステムズ 永易正吏社長、電通 田幸佑一朗氏

「100年に一度」の大変革期を勝ち抜くための戦略的な経営投資を

田幸:御社とは1年半以上にわたりご一緒させていただいています。まずは御社の概要をお聞かせください。

永易:私たちは2022年にパナソニックの事業会社として発足しました。ミッションは、「一人ひとりのより良いくらしの実現のため、持続可能なモビリティ社会を創造する」です。カーナビやディスプレーオーディオ、電子ミラー等、多彩な車載システムをグローバルに展開し、安心・快適なモビリティ体験を国内外の自動車メーカーに提供しています。

田幸:御社といえば、2023年11月に発表されたパナソニックグループからのカーブアウトが印象に残っています。どのような背景があったのでしょうか。

永易:自動車業界はいま、「100年に一度」とも言われるような大変革期を迎えています。電動化や自動運転などの技術開発が活発化しており、技術革新のスピードも速く競争がますます激化しています。そんな業界で私たちが勝ち抜いていくには、自社の強みをしっかりと発揮し、勝負できる分野に戦略的に投資していくことが不可欠です。

永易氏
パナソニックは100年以上の長い歴史の中で、時代に応じて事業のポートフォリオを変えてきました。企業として、どの分野にどれだけの資本を投入できるのか。いわゆる「キャピタルアロケーション(資本配分)」は常に見直されており、それは車載事業においても例外ではありません。私たちは車載機器、特にコックピット領域でグローバルに一定のポジションを確立してきましたが、グループ全体の資本戦略の中では、資本を投入すべき領域ではないと判断されました。

一方で、この領域はまだまだ成長の可能性があると私たちは考えています。だからこそ、自分たちの意思と力で積極的に投資を進めていく必要がある。その実現に向けて、2024年にアポロ・ファンドとパートナーシップを組み、自立した形で成長を目指すタイミングだったと捉えています。

田幸:パナソニックグループ全体の視点で見れば、資本の使い方に関する戦略的な判断ですよね。一方で御社の視点で見れば、自社で資本を集め、成長分野に投資していく体制を整えていける。成長や変革への可能性が広がっていくという前向きなお話だと感じました。

世界一の「移ごこちデザイン」カンパニーを掲げる意義とは

田幸:私たちにはビジョン開発時にお声がけいただき、最終的に世界一の「移ごこちデザイン」カンパニーを採用いただきました。どのような経緯でご相談いただいたのでしょうか。

田幸氏

永易:実は会社を設立した2022年に、ミッションと一緒にビジョンも設定していました。ですが、ビジョンに盛り込みたい要素が多岐にわたってしまい、かなりの長文になってしまったんです。ビジョンは誰からもわかりやすいことが理想で、ワンフレーズやワンワードで表現したいと考え、ご相談しました。

小林:新しいビジョンをつくるにあたって当初のビジョンを拝見したとき、「愛を持って」という言葉がとても印象的でした。永易社長が「愛」をビジョンに盛り込んでいた背景をぜひお聞きしたいです。

永易:若いころの経験が影響していると思います。27歳で初めて海外赴任をして、課長として働いていたのですが、1カ月で現地の部下が全員辞めてしまったんです。日本では平社員でしたから当時はイケイケで(笑)、そこまで気に留めていませんでした。しかし、尊敬していた上司から「お前には愛がない!」と、ものすごく怒られたんです。「上司と部下という関係上、時には厳しいことも言わないといけないけれど、その裏には必ず愛がないといけない。そうでなければ信頼関係は築けない」と指導してもらいました。この後も、僕の心にはずっと上司の言葉が残っていて、「愛」はとても大事にしたい言葉なのだと思います。

小林:今のお姿からは想像できないエピソードですね。私は永易社長の「愛」に加えて、ビジョン作成時に参考としていただいた資料に「感謝」や「笑顔」、「心動かす出会い」といった感情キーワードが見られたのも御社らしさを感じていました。

永易:パナソニックの創業者である松下幸之助は、「より豊かなくらしをおくりたい」という人々の願いを満たすことに企業の役割があると考えていました。その思いが根底にあるからこそ、パナソニックは人やくらしに寄り添った事業を多く展開しているのだと思います。ですから、自然に「人」や「感情」などを大切にしたいという考えが育まれているのかもしれません。

僕は何かを決めるときは、損得ではなく「誰かが幸せになれるか」という判断基準をできるだけ持ちたいと思っています。ビジネスなので理屈ももちろん大切ですが、自分の心、感情にも正直でありたいですね。

小林:まさに、そんな永易さんや会社の皆さんの思いをビジョンに反映したかったんです。「人の“心”に寄り添う」という御社の姿勢をどのように価値として言い換えるべきか考え、「移ごこち」という言葉を提案させていただきました。御社の商品群を拝見すると、単にスペックを高めたものではなく、使う人の感情や日常にまで目を向けたものづくりをされていることが伝わってきます。「心」に寄り添うからこそ「心地よさ」という価値まで到達できると感じ、「移ごこち」と表現しました。「移ごこちデザイン」というキーワードをご提案したとき、「これだ!」とおっしゃっていただきましたよね。

小林氏

永易:ガツン!ときましたね。すばらしいと思いました。私たちのバックボーンであり、最大の強みでもある「人に寄り添う姿勢や心」を生かして提供できる価値を、ワンフレーズで表現していただけたと感じました。

それと、「デザイン」という言葉もとてもよかったです。私たちはずっと「モノ」を売ってきた会社ですが、例えば快適な移動空間から生まれる「コト」を売ることもあるなと。それを総称できる言葉としてグッときました。

小林:ありがとうございます。「デザイン」の部分は「クリエーション」などの代案も含めてご提案し、社員の方々と、最も自社らしい動詞はどれかと議論を重ねた部分ですよね。結果的に人を中心に考え実現するものがデザインであるということで、デザインに決定したんです。ここは皆さんとの共創で生まれた部分でもありますね。

田幸:社員の皆さんが「自分たちは何業です」と言いやすい言葉を開発したいと考えていました。一見、御社はBtoB企業ですから技術からの発想になりがちです。しかし、ビジョン開発を進めていく中で、高度な技術や性能だけではなく、その先の笑顔や心動かす出会いを見つめているのだと感じました。私たちも自信を持ってつくり上げることができたビジョンです。

永易:確かに、かなり前から「当社は何屋なのか」という話がありました。ビジョンを提案していただいて、“私たちは「移ごこちデザイン」屋である”という共通認識を持てるようになり、本当によかったです。

余談ですが、ビジョン策定のあと、「移ごこちデザイン」の紹介動画も制作しましたよね。この映像は展示会などで繰り返し上映しており、複数の自動車メーカー幹部の方々にもご覧いただいています。その中のお一人からは、「こうした取り組みを私たちがやりたかった」とのお言葉をいただきました。また、「居心地」ではない「移ごこち」という表現に共感してくれたメーカーの社長もいらっしゃり、業界関係者の方々に思いがしっかり届いている手応えを感じています。

「移ごこちデザイン」は社会課題の解決にもつながっていく

田幸:ビジョン開発と合わせて、御社がデザインする「移ごこち」の提供価値を1~5つ、そして無限大という表現で計6つに紡ぎあげた移ごこちデザインキャンバスも制作しました。僕はここに御社の事業部の英知が結集されていると感じ、とてもいいなと思っているんです。同時に制作したオウンドメディア移ごこちデザインスタジオでも、キャンバスやそれをひもといたコンテンツを掲載しています。

移ごこちデザインキャンバス

永易:移ごこちデザインキャンバスで、社員の「移ごこちデザイン」への解像度が上がったと思います。自分が担当する事業や商品、技術がどの「移ごこち」の開発につながっているのかがわかりやすいですよね。

僕がこのキャンバスを見て感じたのは、「移ごこち」が社会課題の解決そのものにもつながっていくということです。人は必ず移動しますが、現状はまだまだストレスや不安が多い。少子高齢化や交通手段の不足といった課題も含めて、モビリティを取り巻く問題は今後ますます深刻になっていきます。これは日本だけでなく、グローバルな社会課題でもあります。

当社のミッションは「持続可能なモビリティ社会を創造する」こと。だからこそ私たちは、誰もが安心して、自由に、ここちよく移動できる社会をつくっていかなければならない。これを僕は求めていたんだと改めて気づくこともできました。

<後編に続く>

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超高齢社会で「電動車いす」増加の兆し、どれを選ぶべき?意外に知らない基礎知識…自己負担1割で利用

●この記事のポイント
・超高齢社会に突入で新たな移動手段として注目されているのが「電動車いす」
・厚生労働省がGPSを搭載した電動車いすを介護保険の給付対象に加える方針を決定
・ユーザー自身が操作できる「自操式」と、自らの操作が難しく介助者が後ろから操作する「介助式」

 団塊世代が75歳以上となり、日本はいよいよ本格的な超高齢社会に突入した。認知機能が低下した高齢運転者に免許返納を促す動きはさらに加速しそうな中、新たな移動手段として注目されているのが「電動車いす」だ。

 そもそも電動車いすは電動式のバッテリーによってモーターで動く車いすのことで、ジョイスティックやボタンで簡単に操作できるのが特徴。基本的には障害や高齢などによって歩行が困難な人の移動をサポートすることを目的としている。よく「シニアカー」と混同されがちだが、シニアカーはハンドルで操作する点が大きく違う。交通ルールはどちらも歩行者と同じ扱いで、歩道や横断歩道を通行し、歩行者用信号に従う。そしてどちらも要介護認定などの条件を満たせば介護保険制度が適用され、レンタルも可能だ。

●目次

2026年にはGPSを搭載した電動車イスを介護保険の給付対象に

 現在、介護保険の給付対象となる電動車いすはおよそ300製品。要介護度2以上の人が借りた場合に限り、介護保険の適用を受けることができる。保険適用されれば、原則1割の自己負担でレンタル利用が可能。自己負担額は所得に応じて1〜3割となり、負担額は月2,000円程度(1割の場合)からとなる。

 さらに最近は厚生労働省が全地球測位システム(GPS)を搭載した電動車イスを介護保険の給付対象に加える方針を決定したことも話題に。実はこれまでの介護保険制度では、福祉用具の本体部分と通信機能部分が物理的に分離できない場合、本体部分も含めて介護保険の給付対象とならなかったのだ。それに該当するのがまさに、GPSの搭載やリモート操作ができる車椅子。まずはGPSの搭載が認められた形だが、GPS搭載製品を借りた場合、料金は数千円程度高くなる見込みだという。

電動車いすはどんな種類がある?

 では具体的にどんな電動車いすがあるのか。まず電動車いすはユーザー自身が操作できる「自操式」と、自らの操作が難しく介助者が後ろから操作する「介助式」の2つに分かれる。さらに自操式はジョイスティックを自ら操作する「標準型」と、一般的に使用されている手押し車椅子にバッテリーとモーターを取り付けた「簡易型」に分類される。

 現在、国内の電動車いすでシェアトップなのは日進医療器。1964年に設立され、1999年には国内車椅子メーカーで初となる国際品質規格(ISO9001)に登録された老舗のメーカーとしても知られている。こちらの看板商品は6輪電動車いす「NEO-PR」。2分割にして折り畳みができるので、車への積み降ろしがスムーズな点が好評だ。ほか介助用の電動車いすでは、電動モーターで坂道や長距離も楽に移動できる「軽e(かるいー)」も有名だ。

 さらに新進気鋭の電動車いすメーカーとして注目を集めるのが、2012年に設立された「WHILL(ウィル)」。従来の電動車いすの機能性を維持しながらも、誰もが乗りたくなるデザイン性に優れていることが特徴で、全国の取扱店では気軽に試乗することも可能。多くのメディアでもたびたび取り上げられている。介護保険が適用となる「WHILL Model R」は狭い道のりでもスイスイ移動でき、その場で旋回できる小回りが特徴だ。

 ペルモビールは福祉大国・スウェーデンで1963年に創業された電動車いすメーカーで、約70カ国以上に事業を展開している。同社の人気モデル「F3 コルプス」は前輪駆動方式で室内での取り回しを助け、75mmの段差も乗り越えることが可能。立ち上がった姿勢に近い状態になり、足底から各関節などへ適切な荷重を加えることで身体への良い影響も報告されている。

 また、1989年より「ヤマハ発動機」も電動車いすの開発に着手。1995年にテスト販売を開始、翌1996年には本格的に販売をスタートさせている。そして2024年には同社で約10年ぶりとなる車いす電動化ユニット「JWG-1」を発表。ただし、こちらは完成車ではなく、後付けで手動車いすに装着することで電動車いす化することができるシステムユニットとなる。主に車いすメーカーに供給して手動車いす製品に装着することで電動化をおこない、新車として販売することを想定。電動車いすの新たな可能性を広げる形として注目を集めている。

 どれを選べばいいのかはユーザーの身体の状態にもよるので、ケアマネジャーや福祉用具の相談員、町や市など各自治体に相談するといいだろう。

 日本ではまだ高齢者の電動車いす移動は少数というイメージはあるかもしれないが、電動車いす普及協会によると2024年の出荷台数は1万9632台。これから高齢化が加速すれば、さらに増えるのは間違いないだろう。ちなみに中国では近年、気軽な移動手段として電動車いすを活用する若者も増えているというから驚きだ。日本でも今後さらに電動車いすが普及するのかが注目される。

(文=高山恵/ライター、有限会社リーゼント)

環境配慮素材のTBM、ベトナムFPT子会社と覚書=企業の脱炭素経営支援

【ハノイ時事】環境配慮型の素材開発や製品製造、販売などを手掛けるTBM(東京都千代田区)は12日、ベトナムIT大手FPT傘下のFPT IS(ハノイ)と、企業の脱炭素経営を包括的に支援することを目的とした戦略的協業に関する覚書を結んだと発表した。

 提携を通じてFPTが提供する温室効果ガス排出量プラットフォーム「VertZero」と、TBMの環境配慮型素材「ライメックス」を組み合わせ、ベトナム国内外の企業における脱炭素戦略の最適化や温室効果ガス排出量削減、炭素排出実質ゼロ(ネットゼロ)の達成に貢献していく。

 TBMとFPTは両社の顧客に対し、双方の製品やサービスを共同で提案。互いのソリューションを提案できる体制を整えることで、温室効果ガス排出量の算定、報告から削減までのプロセス全体を一貫して支援できるようになる。(了)
(記事提供元=時事通信社)
(2025/08/13-13:30)

日本でもグーグルがAIモード導入、SEO対策の破綻で「真の社会貢献」が企業の存続を左右する

●この記事のポイント
・グーグルのAIモードの提供が年内に日本で開始される見通しに
・小手先のSEOは、相手がAIでは通用しなくなる
・ホリスティック・マーケティングやアドボカシー・マーケティングへの移行が進む

 グーグルのAIモードの提供が年内に日本で開始される見通しとなった。従来型のキーワード検索とは異なり、OpenAIのChatGPTやパープレキシティのPerplexity AIと同様に対話型で、ユーザは短い文章などを投稿しながらAIと会話するように検索を行う。ネット検索市場で9割のシェアを誇り、検索連動型広告で巨額の収益を得るグーグルだが、AI検索の普及により表示リンクや広告へのクリック数が減少して収益が減るという見方も強い。だが、グーグルのスンダー・ピチャイCEOは7月、検索全体のクエリ数と商業的な検索クエリ数は前年同期比で増加が続いていると発言。グーグルの持ち株会社アルファベットの2025年4~6月期決算は、売上高が前年同期比14%増の964億2800万ドル(約14兆1000億円)、純利益が同19%増の281億9600万ドルとなり、増収増益が続いている。

●目次

グーグル「世界中の検索数は増加」

 従来型のネット検索によってユーザを獲得してきたネットサービス企業は、流入減という打撃を受けるという指摘がなされている。グーグルのキーワード検索で自社の情報を検索結果の上位に表示させるためにSEO(検索エンジン最適化)対策に力を入れてきた企業は、自社サイトへの流入数が大きく低下し始めているという報告も海外では相次いでいる。加えて、グーグルが昨年(2024年)にリリースした、検索結果ページの上位に概要が表示される「AI Overviews」の普及も、ユーザがリンクをクリックする機会を減少させる可能性が指摘されている。

 ちなみにグーグル自身はこうした見方に反論している。ピチャイCEOは、新しいAI機能が世界中の検索数を10%以上増加させていると報告しており、グーグルは8月に公式サイト上で、世界でグーグル検索からサイトへの総クリック数は減少傾向にはないと説明している。

 とはいえ、日本国内でも、昨年以降のAI検索の普及に伴い、自社サイトへのユーザの流入が減っていると感じているネットサービス事業者は少なくないのは事実だろう。そうしたなかで日本でもグーグルのAIモードの提供が始まれば、既存のネット事業者はさらなる影響を受ける可能性はあるのか。また、どのような対策を打つべきなのか。専門家の見解を交えて追ってみたい。

SEOは、検索エンジンにとっての敵?

 グーグルによるAIモードの提供開始が、ネット関連企業やネット広告企業などに大きな影響をおよぼす可能性はあるのか。ギリア株式会社ファウンダー・顧問でプログラマーの清水亮氏はいう。

「グーグルの検索連動ネット広告やSEO業者は、これまでの取り組みを大きく変えざるを得ないでしょう。特に小手先のSEOは、相手がAIでは通用しなくなります。そもそもSEOは、検索エンジンにとっての敵であり、ネットの健全性を損なう手法だったため、この取り組みによってSEOが破綻することは、ネット業界全体にとって歓迎すべき事態といえます」

 では、ネットサービス事業者側は、どのような対応を求められるのか。

「SEO業者はAI対応SEOを謳うでしょうが事実上不可能でしょう。ネット広告は、グーグルの方針次第ですが、より熾烈かつ精密なターゲッティングが行われるようになるでしょう」(清水氏)

 従来のネット検索に変わってAI検索を行う傾向が強まることで、これまでネット関連企業が力を入れてきたSEO対策の有効性が薄れる、もしくは意味がなくなるという見方もある。

「そのような傾向になるはずです。そもそもSEOはネット業界全体にとって情報を不健全化する仕組みなので、SEOが通用しなくなるのは好ましい事態です」(清水氏)

企業は本質的な社会貢献活動を通して消費者とコミュニケーションをとるように変化

 では、ネット検索に変わってAI検索を行うユーザが増えてきた場合、ネット関連企業側は自社サイトへの流入を維持するために、どのような対策を求められるのか。

「ホリスティック・マーケティングやアドボカシー・マーケティングへの移行が進むでしょう。企業が小手先の小細工ではなく、根本的に社会に貢献したり、顧客の利益を最大化(たとえそれが自社の利益を損なうことになっても)を志向するようになり、例えば顧客や社会にとって真に価値のあるオウンドメディアの運営や、本質的な社会貢献活動を通して消費者とコミュニケーションをとるように変化するはずです。

 AIモードの導入は、グーグルにとって大きなリスクのある挑戦です。しかし実際問題、会話型AIによって検索トラフィックが激減している状況では、彼らがやらなければならない挑戦でもあります。グーグルがネットをどのように再設計していくのか、期待して見守りたいと思います」

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=清水亮/ギリア株式会社ファウンダー・顧問)

鰻の成瀬、開業わずか2年半で360店舗超の急成長の秘密…飲食チェーンの常識を逸脱

●この記事のポイント
・鰻料理チェーン「鰻の成瀬」、2022年9月の1号店オープンから2年半で360店舗以上となる急成長
・運営元は、これまで飲食業態未経験であり、店舗ごとの内装・外装はバラバラ
・国内では店舗網を拡大する計画はない。オーナー間で競合が発生することを避ける。

 高級食材である鰻(うなぎ)をリーズナブルな価格で味わえるとして人気が高まっている鰻料理チェーン「鰻の成瀬」。2022年9月の1号店オープンから、わずか2年半で360店舗以上となる急成長を遂げている。実は運営元のフランチャイズビジネスインキュベーション(FBI)は、これまで飲食業態未経験であり、取得した居抜き物件に最低限の改装を施して開業するため店舗ごとの内装・外装がバラバラであったりするなど、外食チェーンの常識にはとらわれない経営を展開。また、スケールメリットを発揮すべく拡大路線を続ける飲食チェーンも少なくないなか、これ以上は大きく店舗を増やす計画はないという。なぜ「鰻の成瀬」は極めて短期間で急成長を遂げることができたのか。FBI社への取材を交えて追ってみたい。

●目次

ブルーオーシャンの市場

 専門店では3000~4000円以上することも珍しくない鰻重を、1600円(並/梅)からという低価格で提供する「鰻の成瀬」。すでに鰻料理店が数多く存在するなかで、なぜ参入を決めたのか。

「弊社はフランチャイズブランドの立ち上げやフランチャイズを展開されたい方の支援をしていたのですが、より深い支援を行えるようになるために自社でもフランチャイズブランドを立ち上げることになったのが、きっかけです。商材を探しているなかで、ある商社が『うなぎ』のフランチャイズブランドを拡大したいと相談にこられ、いろいろと話をさせていただいているなかで協業というかたちでブランド展開をしていくというかたちになりました。こうして、それまで飲食店業態の経験がなかった弊社が鰻料理チェーンに進出することになったというのが経緯です。

 また、鰻は多くの日本人に愛されている食べ物である点や、鰻店は“見かけたから入る”タイプの店ではないので、お客様にわざわざ足を運んでいただけるような施策を打てば一定の来客数を見込めるのではないかと判断したという点もあります」

 チェーン店としては稀にみるほどの速いスピードで急拡大した要因は何か。

「鰻という商材は老舗店がとても多く、新規参入の店舗はあまり多くはなく、地元に根付いて地域のお客様を抱えている店がほとんどでしたので、逆にいうとマーケティング的な視点でいえばブルーオーシャンの市場であったというのが一つ目の要因です。2つ目が、店舗オペレーションが比較的軽く、一次加工をした鰻を店舗に配送することでアルバイト店員でも上手に調理できる仕組みをつくることができるという点です。

 場所を問わず出店できたという要因も大きいです。鰻は目的食なので、お客様は『鰻が食べたい』という明確な目的を持って店舗を探して足を運ぶので、わざわざ目につくような場所に出店する必要がありません。住宅街にあるような飲食店やコンビニエンスストアが撤退した居抜き物件に、低い初期投資で出店することができました。商業施設や駅前などへの出店は最近になってからです」

店舗の改装にお金をかけない

 飲食チェーンとしてユニークな手法などを取り入れたりはしているのか。

「弊社はもともと飲食業態は未経験でしたので、何がユニークな手法なのかが分かっていませんでした。一般的に同一のチェーンであれば、店舗間で外観・内観に統一性がみられますが、弊社は居抜き物件をそのまま使っていますので、前が寿司店の店舗にはカウンター席があったり、元がピザ店の店舗はモダンな内装になっていたりしており、統一されているのはロゴくらいです。看板のイメージやお店の雰囲気は基本的にはオーナーさんに任せてやっていただいています。店舗の改装にお金をかけるよりも、より低価格で美味しい鰻を提供したほうがお客様にとっても満足度の向上につながるのではないでしょうか。

 ですので、いまだにチェーン店だと認識されていないことも多く、『なんか地元にいいうなぎ屋ができたらしい』という噂が広がって、地元の方々に愛されるというような受け入れられ方が良いと考えております。『ここは、鰻の成瀬です』ということを打ち出す気はあまりありません」

 日本では鰻の確保が難しいといわれているが、300店舗以上で消費される大量の鰻をどのように調達しているのか。

「店舗数が増えてきたこともあり、1種類に絞っていると確保が難しいため、3種類の鰻を取り扱っています。関税などの影響も懸念されるため、リスク分散の観点からも3種類を取り扱っています。商社と一緒に品種の選定や在庫確保に動いており、養殖場のISO取得やHACCP(ハサップ)導入の状況なども確認しながら品質を担保するよう取り組んでいます」

長く地元の方々に愛されるお店づくり

 同社は集客のツールとしてLINEを積極的に活用している。

「これに関しては本部が主導するかたちで、オーナーさんに導入いただいています。本部のほうで利用状況を分析して、週単位で各店舗のお友達数がどれだけ増えたかを全店に公表しています。例えばオーナーさんからの『1周年なので、こういうお祝いをしたい』といった相談には本部としても応えますし、一緒に取り組んでいくというスタンスです。オープンから1年で一店舗あたり数千人のお友達がおり、メッセージ開封率もとても高くなっています。定期的に割引クーポンを配布するといったことはあまりしていないのですが、それでも開封率が高いというのは、質の高いお友達の方々にフォローいただいていると考えております」

 意外にも同社は今後、店舗数を大きく拡大させていくつもりはないという。

「国内に関していいますと、ここから大きく拡大する計画はありません。私たちの本来の目的は『鰻の成瀬』が拡大することよりもオーナーさんが儲かることなので、これ以上店舗数が増えるとオーナーさんの間で競合が発生してしまう恐れがあり、それを避けるということは非常に大事なポイントだと考えております。地元の方々に愛されるお店づくりを重要視しており、廃業率を上げることは避けるべきなので、なんらかの事情でオーナーさまが経営を続けられないとなった際には、他のオーナーさまを見つけることで、できるだけ長く地元の方々に愛されるお店づくりができるようにサポートしていく方針になっています。一方、海外出店に力を入れておりまして、数カ国で出店を進めている状況です」

 そんな同社が現在、力を入れているのが地方活性化だ。

「フランチャイズの力で日本の隅々まで元気にしていきたいという思いがあり、昨年の夏には本社を東京から滋賀県の高島市に移しました。弊社代表の山本の地元で人口約4万5000人の自治体ですが、そこで地域活性化に取り組み、その手法を全国に広げていきたいと考えています。地方自治体や地元企業さんと組んで新メニューを開発したり、地元が活性化していく取り組みを進めて、地方創生に寄与していく施策を計画中です」

(文=BUSINESS JOURNAL編集部)

沖縄北部観光の起爆剤に=「ジャングリア」に高まる期待

 沖縄の豊かな自然を体感できるテーマパーク「JUNGLIA OKINAWA(ジャングリア沖縄)」(今帰仁村、名護市)が7月25日に開業した。夏休みの親子連れらでにぎわい、北部観光・経済の起爆剤として期待が高まる。経営が苦しいテーマパークも多い中、成功事例となるか―。

「鉄とコンクリートのテーマパークとは全く違う」。企画したマーケティング会社「刀(かたな)」(大阪市)の森岡毅代表は自信を見せる。

「やんばる地域」の大自然を生かした数々のアトラクションが売り。特に「素通り」が課題になってきた北部観光の目玉として地元の期待は大きく、宮本勝浩関西大名誉教授らの試算によると、開業後15年間の経済波及効果は約6兆8080億円、約88万人の雇用創出が見込まれる。

 観光バスなどによる交通渋滞も懸念されるが、無料シャトルバスの運行に加え、沖縄県も道路拡張などで対応する構え。玉城デニー知事は「沖縄観光の魅力とブランド力が向上し、多くの観光客の来訪に期待する」と強調する。

 ただ、テーマパーク運営は東京ディズニーリゾート(千葉県浦安市)など一部を除くと厳しいのが実情。近年は福岡県のスペースワールドや東京都のとしまえんが閉鎖しており、山口有次桜美林大教授は「レジャーの多様化、高質化で、二極化が進んでいる」と話す。

 一方、「設備に再投資し続け、消費者のニーズをつかみ続けられるパークが堅調な運営をしている」と分析、ジャングリアについては「日本で唯一といった特徴が出せるかが生命線」とみる。

 森岡氏は「地域の皆さまと力を合わせ観光目的地として育てたい」とし、今後インバウンド(訪日客)へのアピールも強めたい考え。自然体験というコンセプトで仮想現実やゲームに慣れた消費者のニーズにいかにつかむか、挑戦は続く。(了)
(記事提供元=時事通信社)
(2025/08/16-15:26)

ミキハウス、海外事業拡大の秘密 海外店舗数が国内を上回る…規模拡大より品質、サービスにこだわる着実な展開

●この記事のポイント
・ミキハウスの海外事業が拡大、店舗数ベースでは海外が国内を上回っている
・海外で代理商になるオーナーの多くが、ミキハウス商品のヘビーユーザーやお客様
・海外の病院や高級リゾートホテルにコラボルームを設置するなど、BtoB事業も推進

 年間売上高は183億円(2025年2月期)に上る高級子ども服ブランド・ミキハウスの海外事業が拡大している。すでに店舗数ベースでは海外が国内を上回っており、着実に店舗数を拡大させているが、意外にも「規模の拡大よりも質を重視している」(同社)という。同社の強さの秘密、そして海外事業成長の背景について追ってみたい。

●目次

「ものづくり」に妥協を許さない姿勢

 ミキハウスの海外事業は1979年、アメリカ市場向けの輸出がスタートとなった。1987年にフランスのパリに第1号となる海外直営店、パリ ヴィクトワール店をオープンし、海外展開を本格的に開始。2010年には上海万博日本産業館への出店が契機となりアジア、特に中国でブランド認知度が向上し店舗数が拡大し、海外展開が急速に進展した。2025年7月現在の海外店舗数は107店であり、日本国内の直営店90店舗よりも多い。海外の旗艦店は、ニューヨークのザ・プラザホテル店、ロンドンのハロッズ店、パリのサントノーレ路面店、上海のIFC店、シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズ店、台北のべラヴィータ店で、海外におけるブランド発信の拠点となっている。

 ミキハウスの海外事業が順調に拡大している要因について、同社グローバル事業部は次のように説明する。

「弊社の一番のアイデンティティ、軸となるのは、子どもにとって着やすい、本当に安心安全であるという、子どもを第一に考えて、子供服ならでは高品質にこだわった『ものづくり』に妥協を許さない姿勢という点です。実際に使っていただいて、商品の肌触りや丈夫さなどへの驚きと気づきを世界中のお客様に感じ取っていただいているところなのかなというのは、すごく感じます。また、海外事業については現地の代理商様に商品を卸し、販売をさせていただいているため、弊社がもっとも大事にしている理念や考え方を、販売現場でお客様とじかに接する代理商様や販売スタッフの方々にどれだけ共有していただき、同じ温度感でお客様にそれを語って商品をご提供できるのかを重要視しています。

 そのためには、教育やレクチャーの前に、まず代理商様がなぜ弊社の商品を扱って商売をしたいと思われたのかがもっとも重要です。実は海外で代理商になっていただいている方の多くが、元々は弊社商品のヘビーユーザー、お客様なんです。みなさん、日本に来た際に弊社の商品を直営店で接客を受けて購入し、サービスも含めて共感・感動されたという方が非常に多いです。このような、私たちの子どもへの想いと、もの・サービスの価値に共感し、信頼関係のあるパートナーと一緒に現地でのブランド展開を進めています。

 近年では、各国の言葉できちんとミキハウスが商品に込めた思いを、世界中のお客様により伝えられるよう、弊社の教育研修と手を組んで、現地のスタッフの方々への教育も本格的にスタートしました。この取り組みを通して、我々の思いがこれまで以上に現地のお客様に届き始めたと実感しております」

 つまりミキハウスの海外展開については、ターゲットとする地域を定めて同社主導で出店を進めるだけではなく、各国・地域の代理商からの要請を受けて進出をするというケースも少なくないのだ。

「もちろん中長期的な海外進出計画を策定してマーケティングリサーチを行っておりますが、結果的にブランドの認知度が上がって、売り上げが大きくなる地域は、弊社の商品を扱いたいと手を挙げてくださった代理商様が手掛けられるところが多いのは事実です」

BtoB事業推進の理由

 ミキハウスは海外の病院や高級ホテルにコラボルームを設置するなど、BtoB事業も推進しているが、その目的は何か。

「前提として、ミキハウスというブランドは日本でこそ一定の認知度がありますが、世界ではまだまだ知られていません。上海万博を皮切りに中国においては、お子さまにとにかく良いものを求めるという、我々がターゲットとしている方々の約半分くらいは知ってるけれども、中国の全人口のうちで『ブランド名を耳にしたことがある』という人は10%に届くかどうかというイメージです。東南アジアやそれ以外の地域でも、残念ながら認知度的にはほぼ知られていないといっていい状況です。

 そうしたなかで、弊社としては、まずは『こういうブランドがあるんだよ』ということを少しでも多くの方に知っていただく必要があり、その方法としてモールや百貨店に店舗を構えてお客様に来ていただくというかたちがありますが、今ではSNSなどで先にブランド名を知ることも多いです。店舗はブランディングのベースであり、最終的にそこできちんとお客様に寄り添って接客をさせていただいて、商品をご購入いただく満足度を提供できる環境を整えていきたいという思いはありますが、そこに行き着くまでが非常に難しいです。

 そこで、より多くのお客様に弊社の安心・安全な商品と高付加価値なサービスをお届けできるように、産院や産前産後ケア施設、高級リゾートホテル等との法人の取り組みを強化しています。日本国内ではオリジナルのベビー肌着や授乳クッションなど新製品の開発や、退院ギフトの採用、産後セミナーの提供等、日本中の100以上の施設と提携しております。ホテルでもコラボルームやホテル内アメニティの採用、ホテル内ショップの展開等、お子さまとの滞在がより楽しく、快適に過ごして頂けるような取り組みが進んでいます。今はこのような取り組みが海外にも広がってきました。

 中国、タイ、ベトナムといった国々には全世界中から渡航者が集まっており、このような取り組みを通して、ホテルや産院でミキハウスというブランドを知っていただき、品質の良さを実感いただくという狙いもあります。例えばタイのバンコクで技術力の高い医療を提供するランカムヘンという病院では、退院する赤ちゃんにミキハウスの商品をプレゼントしたり、子どもが元気な気持ちで治療を受けられように小児科と産婦人科の空間をプロデュースしたりといったことも行っております」

 今後の海外事業の展開について、むやみに規模を追うことはしないと同社は言い切る。

「高品質の商品とサービスをワンセットでお届けすることを重視しながら、各国のニーズに合わせて代理商様と連携しながら、きちんとフォーカスを絞ってサービスを提供していきたいと考えています。海外のある企業から『当社と組めば一気に500店舗オープンできますよ』といったお話をいただくこともありますが、弊社の商品は素材を厳選し、生地から丁寧につくっているので、大量生産ができません。一時的なビジネス拡大と売り上げを追求するのではなく、子どものための安心・安全な高品質で信頼されるブランドとして、それぞれの地域で着実に顧客様を増やしていきたいと考えております。」

(文=BUSINESS JOURNAL編集部)

日本でも「AI失業」の兆候…企業で新規採用を控える動き、「人材採用よりAI活用」が定着

●この記事のポイント
・GAFAMなど米国テック企業ではAIによる効率化によって従業員が削減
・日本のスタートアップやメガベンチャーでもAIを使うことで雇用を抑えようという動き
・人とのコミュニケーションができて利益も上げていくことができるエンジニアは必要とされる

 AIの普及と性能向上に伴いエンジニアを含む労働者が職を失うことを意味する「AI失業」というキーワードが注目されている。米セールスフォースのマーク・ベニオフCEOは2月、同社が開発した新しいAIエージェント「Agentforce」を導入したことによりエンジニアを採用する必要がなくなったため、2025年度はエンジニアの採用をしないと発表。GAFAMでも同様の動きはみられ、米マイクロソフトは5月、約6000人の人員を削減すると発表。米アマゾン・ドット・コムも6月、CEOがAIによる効率化によって従業員数が減少すると発言した。こうした動きは日本企業でも広がるのか。専門家の見解を交えて追ってみたい。

●目次

新規雇用する代わりにAIを使って生産性を上げる

 まず、現在のシステム開発の現場における問題点を整理してみたい。企業のシステム企画・支援を手掛ける株式会社AnityA代表の中野仁氏は、経験豊富なオールラウンダー的なエンジニアが少なくなりつつあるという。

「コーディングや要件定義もできて、プロジェクトマネジメントもできて、顧客とも社内メンバーともきちんと会話・コミュニケーションができるという上の世代のエンジニアが、徐々に第一線を離れて少なくなってきているという印象があります。就職氷河期以降はエンジニアの仕事も割と分業化が進み、いわゆるオールラウンダー的な人が育っていません。需要に対して供給が間に合っていないという問題もあります。結果的にエンジニアの単価が上昇しており、大手コンサルファームに発注するとシニアクラスのマネージャーの人月単価が300万円くらいというのが当たり前になってきています」

 ここ数年はIT業界の大きな問題として人手不足が叫ばれ、新卒就職者の初任給をはじめとする給与引き上げ競争が進行してきたが、その状況も徐々に転換の兆しが見えつつあるという。

「AIの性能が飛躍的に向上してきて、私の周りでも20年以上、第一線でやってきた要件定義からプロジェクトマネジメントまでこなせるようなエンジニアたちから『3~5年後には、もう仕事ないかも』といった声が聞こえてきます。並のエンジニアを雇用して使うくらいなら、AIを使ったほうが2~3倍の生産性を出せるかもしれないという方向性になってきています。米国では大手テック企業がAI活用による開発効率の向上によって、大量の人員削減を進めていますが、日本でもすでにスタートアップでAIを使うことで雇用を抑えようという動きが出てきており、来年か再来年ぐらいからメガベンチャーあたりでもそうした動きは顕著になってくるといわれています。スタートアップやメガベンチャーの経営層の認識としては、『そろそろ景気後退も始まるので、新規雇用する代わりにAIを使ってどんどん生産性を上げましょう』となりつつあります。

 AIで生産性を上げるということは、従業員一人あたりの営業利益を最適化する、人を減らしてして利益を上げるということなので、外注費を減らして社内の人件費も抑制することになりますが、スタートアップやメガベンチャーはまず外注費の最適化を行って、今年から来年にかけて様子を見つつ、そこから先で社内の人件費に手を付けていくという動きになるという見立てが広まりつつあります。米国のシリコンバレーで起きた動きが数年遅れで日本でも起きる傾向がありますが、そうした動きに最初に敏感に反応するのがスタートアップとメガベンチャーです。

 ですので、少し前までは各社が高い給料を提示して若い人材を獲得しようとする動きがありましたが、今では新卒採用でもよほど優秀な人材でないと採用しないといったかたちで、すでに採用の凍結に動いている会社も増えており、近いうちに状況がガラッと一変するでしょう。特にスタートアップは景気変動の影響をもろに受けやすく倒産のリスクも抱えているので、少し前のエンジニアバブルの頃のような感覚の経営者は少ないのではないでしょうか」(中野氏)

人とのコミュニケーションができる広義の意味でのプロマネのスキルが必要

 企業としては、エンジニアを含めて人材を極力抱えない方向へシフトしていくという。

「円安や諸外国のインフレの影響で、相対的に日本人の人件費が安くなってきつつあるので、オフショア開発など海外の人材に発注するよりは日本人を使ったほうがコミュニケーションギャップも少ないしいいよね、という側面は残るかもしれません。ただ、新たに人材を採用したり外部に発注するよりも、ちょっとスキルが高いシニアクラスの人がAIを使ったほうが高いパフォーマンスを出せるということになれば、やはり企業は採用を控えるということになります。社員の人数を増やせば増やすほどマネジメントは難しくなるので、できるだけ関わる人を増やさないほうがいいというのは企業の原則論としてあるわけです。そう考えていくと、今後も企業が採用を増やし続けていくという状況が続くとは考えにくいです」

 では、そうしたなかでも必要とされるエンジニアとは、どのようなタイプなのか。

「単純にプロジェクトの進捗管理だけしているようなプロジェクトマネージャーは需要が減るでしょう。そうした業務はAIツールで置き換えが可能だからです。一方で、人とのコミュニケーションができて、仕事をきちんと前に進めることができて、利益も上げていくというのはAIでは無理なので、そういう広義の意味でのプロマネのスキルを持つエンジニアは必要とされると思います。シニアクラスでも単純に技術しかわからないような人は厳しく、GAFAMでも非常に優秀で業界内では名の知れたようなエンジニアですらレイオフの対象になっている様子です。

 逆にコンサルタントであれば、豊富に人との接点を持っていてコミュニケーション能力が高く、顧客から受注を取ってきて社内の多くの人員の仕事を確保し、顧客との関係性を維持してプロジェクトを完了まで持っていけるような営業的な仕事ができるような人は必要とされるでしょう。エンジニアもコーディングしかできませんという人は厳しく、PDM(Product Development Manager:製品開発マネージャー)と会話しながらプロジェクトを推進して利益を生み出せるところまで持っていけるようなエンジニアでないと、生き残っていくのは難しいでしょう」

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=中野仁/AnityA代表)