日本の「食の強み」が崩壊の兆し…ミシュラン世界一の裏で進む“素材と人”の空洞化

●この記事のポイント
・日本は世界で最も多くのミシュラン星付きレストランを持ち、「食」は訪日観光の最大の動機となっている。
・しかし、物流危機と一次産業の衰退により、高品質な食材供給の基盤が揺らぎ始めている。
・調理師免許取得者数の減少、人手不足、労働環境の厳しさが「食文化の担い手」の減少を加速させている。

 観光庁の調査によれば、訪日外国人の旅行目的として「日本の食を楽しむこと」は2019年以降、一貫して1位を占めている。寿司、天ぷら、和牛、ラーメンなど、日本独自の食文化は“クールジャパン”の象徴として世界に浸透し、ミシュランガイドでも東京は世界最多の星付きレストランを誇る。

 だがその「食の強み」が、静かに崩れ始めている。ある観光庁OBは次のように警鐘を鳴らす。

「ミシュランの星の数が多いということは、それだけ『素材と物流の質』が高いということの裏返しです。ところが今、日本の物流網そのものが揺らいでいる。物流が止まれば、日本食の評価も維持できなくなります」

2024年問題が直撃、物流網が支えてきた“味の品質”

 日本の外食産業を世界水準に押し上げてきた最大の強みは、全国津々浦々まで高品質な素材を安定供給できる「物流インフラ」だ。

 しかし、2024年4月からの労働時間上限規制(いわゆる「2024年問題」)によって、長距離ドライバーの労働時間が制限され、輸送能力が減退。さらに燃料費高騰、人手不足、輸送コストの上昇が重なり、外食業界の調達構造に影を落としている。

 食糧問題に詳しいアナリストの山田和人氏は危機感をあらわにする。

「和牛、魚介類、野菜、調味料──すべてが『適時・適温・適量』で届くことで、レストランは一流の味を再現できていました。ですがいま、物流の遅延やコスト増で、素材を日々扱う飲食店のオペレーションが限界に近づいています。これは単なる運輸業の問題ではなく、日本の“味”そのものの存続危機です」

 実際、国内の食品流通企業の間では「従来の配送スピードを維持できない」状況が広がり、冷蔵・冷凍チェーンを維持するコストが経営を圧迫。地方の高級食材を都市部に運ぶ仕組みが縮小すれば、“地方の味”が都市のレストランから姿を消すリスクも高まる。

素材の確保も難化…一次産業の衰退が「味の根幹」を脅かす

 さらに深刻なのは、素材そのものの供給力だ。日本の農業・漁業・畜産業は高齢化と人手不足で急速に縮小しており、農林水産省のデータでは農業従事者の平均年齢は68歳を超えた。

 後継者不足によって一部の特産品や地魚の出荷量が減少し、外食産業が必要とする高品質な素材を安定的に確保することが難しくなりつつある。

「一次産業の衰退と物流危機は、表裏一体です。生産地が維持できなければ物流は成り立たない。物流が止まれば、地域の食材が都市のレストランで使われなくなる。つまり“日本の食の多様性”が消えるということです」(山田氏)

 さらに続けて、「今のままでは、2030年頃には“食材の質”で韓国・台湾・東南アジアに逆転される可能性がある」とも警鐘を鳴らす。これまで日本が誇ってきた「どこで食べても一定以上においしい」という品質の底上げ構造が崩れれば、観光の競争力にも直結する。

 素材だけではない。料理人そのものの担い手も急速に減っている。文部科学省の統計によれば、調理師学校の入学者数は2000年代初頭から半減しており、調理師免許の新規取得者もピーク時の約6割にまで減少した。

 背景には、長時間労働・低賃金・修行文化など、他業種と比較して労働環境が厳しい構造がある。山田氏は、この構造的課題をこう解説する。

「飲食業は“技能の承継産業”ですが、長時間修行しても報われにくい。独立まで10年かかるといわれる世界に、今の若者はなかなか入ってこない。結果として、国内の食のクオリティを支える人材層が薄くなっている」

 特に地方では、観光施設や宿泊業のレストランに熟練料理人が確保できず、「地産地消メニュー」が形骸化するケースも出ている。山田氏も、「食の継承者を育てるための制度設計が急務」と語る。

「観光立国を目指すなら、“食文化の担い手”を守ることが国家戦略であるべきです。観光庁、厚労省、農水省が連携して、料理人・生産者・物流事業者を一体で支える枠組みが必要です」

“食×観光”のブランド再構築へ:地域・政策・企業の3層連携

 こうした課題に対し、再生へのカギはどこにあるのか。山田氏は「地域単位でのブランド形成」を挙げる。

「全国一律の“日本食”ではなく、地域ごとの食の物語を発信する時代に移っています。たとえば北海道の酪農、金沢の和食、九州の焼酎文化など、“地域×食”のストーリーを磨くことが、次のインバウンド競争力になる」

 また、行政と企業の協働を訴える。

「観光庁は『持続可能な観光地域づくり』を掲げていますが、食もまさにその中核です。物流・人材・生産の三位一体での支援を行い、観光事業者・飲食事業者・農業者が連携できる仕組みを政策的に整える必要があります」

 実際、政府は2025年度から「地域食材輸出促進プロジェクト」を拡充し、観光と輸出を一体で支援する方針を示している。だが、輸出偏重になれば国内供給が逼迫する懸念もある。“日本の食”を「外向き」と「内向き」の両面で守る仕組みが求められている。

 山田氏は、最後にこう締めくくった。

「これまで日本は“味の国”でしたが、これからは“味の供給国”を目指すべきです。つまり、世界の食文化を支える側に立つ。そのためには国内の素材・人・流通のすべてを持続可能に再設計する必要があります」

「食」は日本の観光・地域経済・文化を支える最後の砦であり、同時に最も脆い基盤でもある。ミシュランの星が輝く裏で、その光を支える人と仕組みが失われつつある今、
「日本の味」をどう未来に継承するかが問われている。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部)

「大阪万博は大成功」は本当か? 運営費は黒字でも建設費などに3000億円以上の公金投入、インフラ整備に10兆円以上

 10月13日、ついに大阪・関西万博が閉幕したが、少し前からメディアやネット上では「来場者数が目標突破」「黒字は確実!」「万博は大成功!」という声が広がり、万博を推進していた政治家や維新応援団も、「万博に反対していたマスコミは懺悔しろ!」「批判していた連中はこの結果にどの面...

AIがAIを防ぐ時代へ…グーグル「CodeMender」が示す、サイバー攻防の最前線

●この記事のポイント
・グーグルがAIで脆弱性を自動修正する「CodeMender」を発表。生成AIによる攻撃が急増する中、防御もAI化が進む。
・攻撃AIが数分でエクスプロイトを生成する時代に、企業は自動防御エージェント導入を加速。AI対AIの攻防が現実化。
・勝敗を決めるのはAIの性能ではなく、信頼とデータ共有。防御AIが社会インフラとして機能できるかが次の焦点となる。

 2025年10月7日、グーグルが発表した新技術が、サイバーセキュリティの常識を塗り替えようとしている。その名は「CodeMender(コードメンダー)」。AIが自動でアプリの脆弱性を調査・修正し、セキュリティパッチまで生成するという、自律的な防御エージェントだ。

 一見すると開発者支援ツールのように思えるが、その本質はまったく異なる。グーグルが目指すのは、“人間を介さずにシステムを守る”という新たなサイバー防衛構造の構築だ。背景には、生成AIを悪用した攻撃が急増し、もはやAI対AIの攻防が現実のものになっているという事実がある。

●目次

「AIが攻撃を仕掛け、AIが防御する」──新たな戦場の始まり

 かつてハッカーがシステムの脆弱性を突くには、高度な知識と多くの時間が必要だった。だが、いまや生成AIがそのプロセスを自動化している。

「イスラエルの研究チームが2025年夏に公開した報告によれば、OpenAIの『openai-oss』やアリババの『Qwen』などの大規模言語モデル(LLM)をローカル環境で動かすことで、攻撃用プログラム(Auto Exploit)を数分で生成できることが確認されました。

 これにより、個人レベルでもサイバー攻撃が可能になり、世界中でAIを利用した攻撃の事例が相次いでいます。従来のマルウェア開発では、コード作成・テスト・展開まで数日から数週間を要していましたが、生成AIは過去の攻撃コードや既存の脆弱性情報を学習しており、攻撃対象の仕様を与えれば最適なエクスプロイトコード(脆弱性を突くコード)を瞬時に出力できるようになりました。しかも、モデルをローカルで動かすことで検知を逃れ、匿名で攻撃を仕掛けることも可能なのです」(ITジャーナリスト・小平貴裕氏)

 AIがAIを武装化している――。この現実を前に、グーグルは防御側の切り札として「CodeMender」の開発を急いだ。

グーグル「CodeMender」が担う“自動防御”の仕組み

 CodeMenderは、グーグルの最新AIモデル「Gemini Deep Think」を基盤として開発された。このモデルは、自然言語の理解力とコード解析能力を兼ね備え、アプリケーションのコードを深く読み込み、脆弱性の検出・デバッグ・修正を一貫して自動で実行する。

主な機能は以下の3つだ。

 ・脆弱性スキャン
 アプリケーションのコードや依存ライブラリを解析し、セキュリティ上の欠陥を特定する。従来の静的解析ツール(SAST)よりも文脈理解に優れ、コード間の依存関係まで考慮した検出が可能。

 ・自動修正とパッチ生成
 検出した脆弱性に対し、AIが自ら修正版コードを生成し、セキュリティパッチを自動的に適用する。修正内容は人間のレビューを経て本番環境にデプロイできる設計になっている。

 ・継続学習による強化
 修正履歴や攻撃トレンドを継続的に学習し、より高度な防御ロジックを自律的に形成。新たな脆弱性が発見された際には、世界中の開発者に対して共通パッチを自動配信することも想定されている。

 この仕組みを使えば、開発者が気づく前にAIが自動で不具合を見つけ、修正してくれる。グーグルは「AIが攻撃者より速く動けるようにすることが、次世代のサイバー防衛の鍵になる」と説明している。

“攻撃AI”の台頭──闇市場で拡がる「Auto Exploit」

 一方、ダークウェブでは「AIハッキング・ツール」と呼ばれる新しい闇市場が急速に拡大している。そこでは、生成AIを使って攻撃用コードを自動生成し、ランサムウェア攻撃やフィッシング詐欺を効率化するツールが売買されている。

「例えば、『Auto Exploit』という生成AIベースの攻撃フレームワークでは、標的企業のシステム構成を入力するだけで、AIが脆弱性を探索し、最適な侵入経路を提示します。攻撃者は、それをほぼワンクリックで実行可能です」(同)

 さらに、AIによる“ソーシャル・エンジニアリング”も進化している。人間の声を完全に再現し、取引先や上司を装って情報を引き出す「ボイスフィッシングAI」も登場。技術的脆弱性がなくても、“人”という最大の脆弱点を突く攻撃が容易になっている。

 つまり、防御の対象は「コード」だけではなく、「人間の判断」や「運用プロセス」にまで広がっているのだ。

 このようなAI攻撃の急増を受け、企業側でもAIによる自動防御の導入が進んでいる。すでに、アメリカや欧州を中心に複数のスタートアップが「AutoPatch」「DefAI」「VulnFix」といった自動修正AIをリリースしており、“AIセキュリティエージェント”市場が新たな成長分野となりつつある。

 市場調査会社Allied Market Researchによれば、AIを活用したサイバー防御市場は2024年に約180億ドル規模に達し、2030年には600億ドルを超えると予測されている。特に、金融・通信・クラウドサービス企業など「24時間稼働が求められる業種」で導入が加速している。

 クラウドサービスを提供する企業にとって、システム停止は致命的だ。それゆえ、「AIによる自動防御」は単なるコスト削減ではなく、事業継続の生命線と位置づけられている。

“AI vs AI”の最前線──勝つのは攻撃か、防御か

 AIが攻撃し、AIが守る──。その戦いは、まるで自律進化する軍拡競争のようだ。攻撃側のAIは「創造的」である。既存のルールを破り、未知の手段で侵入経路を探る。

 一方、防御側のAIは「規律的」である。安全性と整合性を維持しながら、既知のルールに基づいて修正を行う。この構造的な非対称性が、攻撃側を常に一歩先に進ませてきたのが現実だ。

 しかし、CodeMenderのようなシステムが登場したことで状況は変わりつつある。AIが攻撃コードを学ぶのと同様に、防御AIも“攻撃のパターン”を学び、自己修復のスピードと精度を高めている。グーグルはCodeMenderを自社クラウド「Google Cloud Security Stack」に統合し、クラウド利用企業が自動的に防御を享受できる仕組みを構築する予定だ。

 最終的な勝敗を決めるのは、AIそのものの知能ではなく、「人間がどちらのAIに権限を与えるか」だ。攻撃AIを制御できず拡散させるか、防御AIを共通インフラとして広く展開できるか──社会全体の選択が問われている。

 セキュリティ研究者の一人は次のように語る。

「AIは人間の作業を自動化するだけでなく、“攻撃と防御の速度”を変えた。いま重要なのは、誰がより多くのデータとコンテキストをAIに与えられるかだ。攻撃AIはオープンデータから学ぶが、防御AIは企業内部のコードにアクセスできる。つまり、守る側の情報共有が進めば進むほど、AIは強くなる」

 この言葉が示すように、AI戦争の本質は「知識の非対称性」にある。企業や政府が連携し、防御AIに十分な学習機会を与えられるかどうかが、今後の勝敗を左右する。

 AI同士が戦う時代に、最も問われるのは“信頼”だ。ユーザーがAIを信じ、AIがユーザーを守る。その関係をどう設計するかが、サイバーセキュリティの新たなテーマとなる。

 グーグルのCodeMenderは、単なる技術的革新ではなく、AI時代における「信頼のインフラ」の一端を担う存在だ。それは、もはや人間が全てを理解・管理できない領域で、AIに“任せる勇気”を持てるかどうかを社会に問う試みでもある。AI vs. AIの戦いは、単なる技術競争では終わらない。それは、人類がAIとどう共存するかという哲学的な問いへとつながっている。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部)

事業の中長期成長に、テレビCMが有効な理由とは?

本連載では、広告主のKPIや課題を踏まえて、どのようにテレビCMを活用していけばよいかをお伝えします。

「効果がすぐには分かりにくいから、テレビCMは必要ないのでは?」「商品やサービスの認知や好意を向上させることが、本当に売り上げにつながるのか?」。これらは、テレビCMを含むメディアプランニングを考えるうえで、論点になることがあります。

前回記事の中で、広告主がテレビCMの活用を考えてみるべきケースの1つとして、「特に3年以上を見据えて商品・サービスの成長を望む場合」を挙げました。今回はこの点を深掘りし、中長期の事業成長戦略にテレビをどう活用するべきか、電通のメディアプランナー・山崎博史が、実例を交えてお伝えします。

<目次>
広告の事業貢献効果を正しく計測する

「効果が見える=効果がある」は、正しいのか?

トップファネル投資が、中長期成長を促す

「認知」や「好意」は、売り上げにつながるのか?

数年先の売り上げを作るために、トップファネルコミュニケーションは非常に重要

広告は投資である

 

広告の事業貢献効果を正しく計測する

私は普段のメディアプランニング業務において、「広告をいかに事業成果につなげるか」という点に重きを置き、プランニング・実行・検証のプロセスに当たっています。このプロセスを実現するには、広告の事業貢献効果を、いかに正しく計測するのかが重要になってきます。

特にテレビCMを活用するうえでは、この計測アプローチを誤ってしまうと、広告の投資先を誤ってしまい、本来であれば獲得できた顧客や売り上げを逃してしまうことになりかねません。

近年、広告に関する分析・プランニングツールは増加しており、高度な効果検証が可能な環境が整いつつあります。例えば、テレビとデジタル動画の接触データと、クライアントの売り上げデータを突合させて、それぞれの媒体がいかに事業成果や売り上げに貢献したかを可視化できるようになっています。一方で、事業成果の計測方法やアプローチをカテゴリー特性に合わせたものにしないと、思わぬ落とし穴に陥ることがあります。

「効果が見える=効果がある」は、正しいのか?

事業成果への貢献という観点で真っ先に思いつくのは、ボトムファネルを狙ったデジタル広告、テキストやバナー形式の広告でしょう。ボトムファネルを狙った広告は、まさにいま需要が顕在化している層に効率的にターゲティングすることが可能であり、効率的に売り上げやコンバージョンにつながる顧客を獲得できます。また、その効率がリアルタイムに運用画面などで確認できるのも特徴です。

一方で、テレビをはじめとする動画広告は、トップファネルを狙うコミュニケーションに用いられることが多く、効果が見えづらいと思われてしまうこともあります。これは、事業成果につながるまで時間がかかるうえ、データ連携がされていないことから、成果がそもそも可視化できないことが大きく関係しています。併せて、需要が顕在化していない層にも幅広くリーチするという特徴から、一見すると無駄打ちが多いと捉えられてしまいます。

ボトムファネルコミュニケーションは、トップファネルコミュニケーションに比べ効果が可視化しやすい傾向がありますが、だからといって「ボトムファネルを狙う方が事業成果につながる」と捉えてしまうのは危険です。

よく「ボトムファネルコミュニケーションの方がコンバージョンにつながるのであれば、予算をそちらに寄せた方がよいのでは?」というお声もいただきます。しかし、私は事業成果を求めるなら、テレビCMをはじめとしたトップファネルコミュニケーションも上手に活用すべきだと考えています。トップファネルコミュニケーションは中長期でじわじわと効果を発揮する性質を持っており、ボトムファネルコミュニケーションとは異なった形で事業成果につながっていくからです。

トップファネル投資が中長期成長を促す

下図は、ある事例において、最適なトップファネルとボトムファネル向け広告予算の比率を分析したものです。トップファネルとボトムファネルの予算の比率を変えると、1年後、3年後、5年後に、売り上げがどのように成長するのかを分析したものです。青く示したところは、それぞれの年の最高の売り上げとなる比率とその値です。

テレビCM
※実際の分析事例を基に加工。翌年の売り上げを100とした場合。

トップファネルへの配分を増やしていくほど、数年先の売り上げが伸びていく傾向が読み取れます。数年先の成長を見据えた場合は、トップファネルへの投資を増やす戦略が有効と言えるでしょう。

「ボトムファネルコミュニケーションは刈り取り」「トップファネルコミュニケーションはブランド」と言われることがあります。上の表では、1年後という短期でみるとボトルファネルが100%、80%(最高値)、60%という、高い比率のときに売り上げが最高になっています。このことからも、デジタル広告をはじめとしたボトムファネルを狙う広告は短期の売り上げに寄与し、テレビCMなどのトップファネルを狙う広告は長期の売り上げに寄与することが読み取れます。

「認知」や「好意」は、売り上げにつながるのか?

トップファネルは「認知」「好意」などの意識指標を高めると一般的に言われますが、それらの意識指標が高まると売り上げは上がるのでしょうか?

ここで、あるブランドに対する顧客を「無関心層」「興味層」「好意層」の3つに分けて、「興味」「好意」が年間金額を変化させるのかを、アンケート調査と購買データを突合して調べた事例を紹介します。

「興味」という意識指標を獲得することで年間購入金額は約1.8倍、「好意」まで至ると2.7倍まで購入金額が増えていることが確認できます。

テレビCM
※実際の分析事例を基に加工

意識指標が上がれば期待されるリターンが増えることは理解いただけたかと思いますが、意識指標と売り上げの関係を語るうえでもう1つ重要な視点があります。それは「意識指標は一度上がれば長期で残り続け、ストックし続ける」ということです。

下のグラフは、ある事例での意識指標の推移ですが、広告をやめている期間もゆっくりしか下降していません。意識指標は一度獲得すると数年単位で残り続けるのです。

テレビCM
※実際の分析事例を基に加工


 


数年先の売り上げを作るために、トップファネルコミュニケーションは非常に重要

ここで少し分かりやすくお伝えするために、なるべくシンプルな事例を取り上げます。日本の人口が1億人で、あるブランドの商品の価格は1000円だったとします。その中で、好意がない人は1カ月に平均0.1個買う、つまり月あたりの売り上げ期待値が100円。好意がある人は1カ月に0.3個買う、つまり月あたりの売り上げ期待値が300円だったとします。

このとき、トップファネルに10億円投下して広告を打ち、好意を0%から12%に上昇させることができるとしましょう。この12%は、5年(60カ月)かけて直線的に減少して0%になるとします。好意という意識指標の獲得によって、売り上げ期待値が広告を実施したタイミングから上昇し、60カ月かけて元の水準に収束するという現象が起きます。

テレビCM

広告を打った場合とそうでない場合の売り上げ期待値の差は、60カ月合計で720億円となります。つまり、10億円の広告投資に対して72倍のリターンがあるわけです。

一方で、最初の1カ月だけを取り上げて、同じような評価をしてみると、売り上げ期待値の上昇の効果は24億円分しかなく、2.4倍のリターンという捉え方になってしまいます。

また、獲得単価で置き換えてみると、今回のケースでは、商品の単価を1000円と設定したので、広告は、60カ月では7200万個の商品売り上げ個数増、1カ月では24万個の商品売り上げ個数増に貢献したことになります。これを獲得単価にしてみると、60か月では、10億円÷7200万個=約14円、最初の1カ月では、10億円÷24万個=約4167円と、捉え方に大きな差が出てきます。

商品カテゴリーによりますが、約4167円の獲得単価はボトムファネルの施策より効率が悪く、約14円の獲得単価はボトムファネルより効率良く見えることが多いかと思います。

これはあくまでモデルケースですし、実際にはこんなに単純なものではなく、電通に蓄積されている知見をもとに、各ブランド・カテゴリーの状況に合わせて分析を行っていく必要があります。しかし、評価する時間軸を変えると、トップファネルの効果・費用対効果は大きく変わってしまうのです。ボトムファネルは獲得単価をリアルタイムに確認でき、そちらの方が、効率が良い投資に見えてしまうと冒頭で申し上げましたが、投資の目的・特徴を踏まえて適切に分析を行い、2項対立ではなくうまく組み合わせてトップファネルとボトムファネルに広告を投下していくべきです。

この考えに基づき導かれた1つの結論が、記事冒頭で申し上げた「特に3年以上を見据えて商品・サービスの成長を望む場合、テレビCMの活用を考えてみるべき」というものです。

各カテゴリー・ブランドの状況に合わせてディテールは変わってきますが、大きくは「数年先の売り上げを作っていくにはトップファネルコミュニケーションは非常に重要である」ということは共通した方向性であると考えています。

広告は投資である

「広告で売り上げを作っていく」。まさに広告とは、予算を投下して売り上げというリターンを得ていく「投資」であると捉えることができます。また、トップファネルとボトムファネルをうまく組み合わせることも、分散投資して相乗効果を生み出していくという、投資の原則に類似しています。

これはトップファネル・ボトムファネルというレイヤーだけではなく、トップファネルの中のメディア投資先においても同様のことがいえます。認知・興味・好意などの意識指標を高め、将来の売り上げを作るトップファネルコミュニケーションにおいて、テレビCMだけ、OTTサービス(※)などのデジタル動画広告だけでは、効果を最大化できません。すべての手段をうまく組み合わせながら効果を最大化していく必要があります。

例えば、20~49歳に対して3回以上広告をリーチさせたい場合、以下のグラフのように、テレビCMだけ(左端)・OTTサービスだけ(右端)に投下するより、両者をうまく組み合わせて投下した方が、3回以上広告にリーチする人数が増えます。

※OTT:Over The Top。インターネットを利用することで、マルチデバイスでエンドユーザーにコンテンツを提供するサービス。動画配信サービスやコネクテッドTVに対応しているサービスも該当する。
 
テレビCM
※電通メディアシミュレーションツールより 2億円投下時の20~49歳の3回以上リーチ 最大を100とする 

メディアを目的に応じて効果的に組み合わせることが重要ですが、その中でもテレビは日本市場において、いまだに強いパワーを有しており、優先度の高いメディアです。「効率的にリーチを獲得できる」ということに加えて、「大画面という良い視聴環境下で広告接触が可能」「同時視聴性により世の中ごと化しやすい」といった特性を持っており、意識指標を高めて将来の売り上げを作ることに向いています。

本記事では、中長期の事業成長戦略にテレビをどう活用するべきなのかについて、認知や好意といった意識指標を形成するというテレビの特性に焦点を当てて解説しました。短期視点での売り上げも大切にしながら長期の事業成長にも貢献していく、このバランス感覚がメディア戦略において重要になると思います。

次回は、「メディアの典型的な視聴スタイル」が不在となった昨今、どのような点を踏まえてメディアプランニングを考えればよいか、「マーケットの流動性」にも目を向けながらお伝えします。

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介護離職10万人超の衝撃…知らないでは済まされない“年間93日休める制度”

●この記事のポイント
・公的制度として、従業員は「年間93日の介護休業」を取得可能。しかも賃金の約7割が支給される。
・2025年5月の法改正で、企業には介護支援の「義務化」が進行。
・介護離職は年間10万人を突破。人材流出防止には、企業が制度を理解し“辞めさせない仕組み”づくりが不可欠。

 厚生労働省によると、介護や看護を理由に離職した人は2023年度で10万4000人。過去最多を更新した。働き盛りの40〜50代が中心で、企業にとってはまさに「中核層の喪失」である。

 特に中小企業では「介護のために退職します」と告げられて初めて事態を知るケースが多く、制度を理解していれば離職を防げた可能性も高い。人事労務コンサルタントの松田美里氏はこう指摘する。

「介護休業や時短勤務など、法律で認められた制度を会社がきちんと周知していないケースが非常に多い。社員本人が“迷惑をかけるから”と辞めてしまうのは、制度を知らないことが最大の要因です」

●目次

勤務先に関係なく使える「年間93日」の介護休業

 意外と知られていないが、介護休業は企業の就業規則に関係なく、公的制度として誰でも利用できる。
 厚労省の「育児・介護休業法」により、家族1人につき通算93日(約3か月)まで取得可能だ。分割して最大3回に分けて取ることもできる。

 さらに、休業期間中には雇用保険から「介護休業給付金」が支給され、休業前賃金の約67%(手取りベースで約7割)を受け取れる。このため、経済的に仕事を辞める必要はない。

 しかも、有給休暇とは別に介護休暇(年5日:家族1人につき)も取得でき、短期の通院付き添いなどにも活用できる。

「“うちは介護休暇なんて制度ないよ”という企業がいまだにありますが、それは誤解です。介護休業も休暇も“法律で定められた権利”であり、企業は就業規則に記載していなくても対応義務があります」(松田氏)

2025年5月の法改正で企業義務が強化

 2025年5月に施行された法改正では、企業の責任がさらに明確になった。改正ポイントは次の3点である。

・介護と仕事の両立支援制度の説明義務化
 企業は社員から申し出がなくても、介護休業や時短勤務など利用可能な制度を説明しなければならない。
・個別面談・相談対応の義務化
 介護が必要な社員に対し、業務調整や在宅勤務などの選択肢を検討・提示する必要がある。
・残業免除制度の義務化
 介護を理由に残業を免除することが法律で定められた。これを拒否すれば法令違反となる。

 つまり、「社員が言ってこないから対応しない」では済まされない。企業側の“先回り支援”が求められているのだ。

 それでも認知度は低い。厚労省の2024年調査では、「介護休業を取得できると知っている」社員はわずか34%にとどまる。背景には、中小企業における人事担当者のリソース不足がある。

「大企業では介護離職防止セミナーを実施したり、社内ポータルで情報発信をしていますが、中小企業では“知る人がいない”という構造的課題がある。社会保険労務士や外部研修を活用して仕組みを作ることが重要です」(同)

介護離職が「経営課題」になる理由

 介護離職は単なる個人事情ではない。企業にとっては深刻な経営リスクだ。生産性が高いベテラン層の離職は、育成コストや知識継承の面でもダメージが大きい。特に今は、あらゆる業界で人手不足が深刻化している。

 帝国データバンクの調査によれば、正社員不足を感じる企業は過去最高の57.2%。その中で介護離職が進めば、採用コストの上昇とともに現場の負担も増大する。

「“介護支援は福利厚生”という認識は時代遅れです。もはや“人材確保戦略”の一環。介護対応の柔軟性がある企業ほど、社員のエンゲージメントが高く、採用・定着率も上がる傾向があります」(同)

 では企業は、どうすれば介護離職を防げるのか。ポイントは「制度の可視化」と「先回り支援」の2つだ。

1.社内での情報共有と相談ルートの整備
 介護は突然始まる。親の入院、要介護認定などで、数週間で生活が激変する。そのため、社内イントラネットや人事面談で制度を“見える化”することが第一歩。また、直属の上司が制度を知らないと、相談すらできない。管理職研修で最低限の知識を持たせる必要がある。

2.仕事の“再設計”を前提にする
「長期休む=仕事が止まる」ではなく、タスクの分散・チーム体制化を平時から設計する。介護休業中の代替人材を社内で確保できるよう、リスキリングやジョブシェアも有効だ。

3.柔軟な勤務制度を導入する
 在宅勤務・時差出勤・短時間正社員などを組み合わせることで、介護と両立しながらキャリアを継続できる。特に、ICT化でリモート管理が容易になった今、「勤務形態の柔軟化」こそ最大の防止策となる。

成功企業の事例:トヨタ・NTT・花王の共通点

 すでに多くの大手企業が「介護離職ゼロ」に向けた取り組みを進めている。

トヨタ自動車:家族介護の段階に応じて、休業・時短・在宅を組み合わせた「フェーズ型支援」を導入。
NTTグループ:社員が介護状態を匿名相談できる「ケア・コンシェルジュ」制度を導入。
花王:介護経験社員が相談員として支援する「ピアサポート制度」を設置。

 これらの企業に共通するのは、“法定以上の制度整備”と“早期の情報共有”だ。田島氏はこう強調する。

「介護は“突然始まり、終わりが見えない”という特徴があります。だからこそ、企業が早い段階でサポートに入る仕組みを作っておくことが、結果的に人材を守り、企業の競争力にもつながるのです」

 2025年には団塊世代がすべて75歳以上となる。つまり、社員の3人に1人が親の介護リスクを抱える時代が到来している。介護はもはや特別な事情ではなく、「全員に訪れるライフイベント」だ。

「企業にとって“介護離職を出さない”ことは、これからの人的資本経営のベースラインです。制度を知らなかった、伝えていなかった――それはもう言い訳になりません」

企業側が把握しておくべき3つのポイント

 ・介護休業は「法律で定められた権利」であり、勤務先の制度に関係なく取得可能。
 ・2025年法改正で、企業に説明・支援の義務化が進行。無知はリスクになる。
 ・介護離職を防ぐことは“人材戦略”。柔軟な勤務制度と早期のサポート体制づくりがカギ。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=松田美里/人事労務コンサルタント)

広がるSora2ショック…日本のアニメ産業を揺るがす「動画生成AI規制」の現実味

●この記事のポイント
・OpenAI「Sora2」登場で、著作権侵害リスクを懸念する声が世界的に噴出。日本では「利用禁止論」も浮上している。
・OpenAIは日本のアニメキャラ無断利用を制限し、著作権者への還元策を検討と発表。
・だが実現は容易でなく、日本のIPビジネス構造上、厳格な規制が避けられない可能性もある。

世界を驚かせた「Sora2」登場と日本の衝撃

 2025年10月、OpenAIが発表した動画生成AI「Sora2」は、文字入力から高精細な映像を数分で生成できる能力を持つ。特に「アニメ風」「日本的演出」の生成精度が飛躍的に高まったことで、日本のアニメ・ゲーム業界に衝撃が走った。

 SNS上では「数秒で京アニ風の映像ができる」「作画監督が不要になる」といった声が飛び交い、同時に「誰が権利を守るのか」という懸念も広がった。日本では早くも、「Sora2は国内での利用が事実上不可能になるのではないか」との論調すら出ている。

 OpenAIは10月3日、「日本のアニメキャラクターを含む著作物の無断利用を制限する」方針を発表。加えて、「著作権者に利益を還元する仕組みを検討している」と述べた。
 だが、その「仕組み」がどのようなものになるのか、現時点では明らかでない。

 AI生成物の著作権を巡る議論では、2つの課題が指摘されている。一つは、学習データの段階で著作物が無断利用されている点。もう一つは、生成物に既存作品の特徴が再現されても権利者が補償を受けにくい点だ。

 仮にOpenAIが「データ使用の追跡」と「自動ロイヤリティ分配」を実装する場合、膨大なメタデータの管理と権利者の特定が必要になる。だが、現行の著作権法では、AIが生成したコンテンツの学習・再利用過程に明確な権利処理の仕組みが存在しない。AI倫理に詳しい明治大学の湯浅墾道教授はこう指摘する。

「現状のAI生成モデルは“どのデータをどの程度学習したか”を明示できない構造です。還元策を実装するには、データトレーサビリティの完全可視化が前提になりますが、技術的にも法的にもまだ現実的ではありません」

「権利者保護」か「技術封じ」か…日本で高まる“禁止論”

 日本政府内や与党関係者の間でも、Sora2を含む生成AI動画サービスへの警戒が急速に強まっている。自民党内ではすでに「アニメ・ゲームIP保護に関する特別委員会(仮称)」の設立が議論されており、経済産業省や文化庁も、著作権者保護の観点から「AI生成映像の利用指針」策定を急いでいる。

 ある自民党議員は匿名を条件にこう語る。

「日本のアニメ・ゲームIPはGDPを支える輸出資産です。Soraのような動画AIが自由に使える状況では、産業基盤そのものが崩れかねません。極端な言い方をすれば、“禁止”という判断も現実的な選択肢になり得ます」

 背景には、アニメやマンガといった日本固有の創作文化が、AIによって容易に模倣・再利用される構造的リスクがある。Sora2のデモ映像には、特定の作品名を明示しなくても、視聴者が「これは『鬼滅の刃』っぽい」「ジブリ風だ」と連想できるほどの再現力があった。

 これが国際的な模倣コンテンツとして流通した場合、日本のクリエイターは著作権料を得られないどころか、市場を奪われる恐れもある。

 問題は、大手IP企業だけではない。むしろ影響を受けるのは、同人クリエイターや中小事業者だ。

 AI生成の原理上、ネット上に公開された画像や動画が学習データに取り込まれる可能性がある。つまり、SNSやPixivに投稿したオリジナル作品が、本人の許可なくSora2の学習素材として使われる恐れがあるのだ。

 しかも生成物が似ているか否かを立証するには、膨大な検証コストと専門知識が必要になる。コンテンツビジネスに詳しい弁護士はこう警告する。

「著作権を主張するにも、生成AIがどのデータを参照したのか特定できない。権利侵害の証明責任を個人が負うのは非現実的です。結局、“泣き寝入り”構造になるリスクが高い」

 生成AIがもたらす“創作の民主化”の裏で、権利保護の格差が広がる。特に日本では、個人クリエイターがアニメ・漫画産業の裾野を支えている。そこに信頼が失われれば、業界全体の生態系が崩れる可能性もある。

規制とイノベーションのせめぎ合い

 ただし、Sora2のような動画生成AIを一律に禁止することが、必ずしも最適解ではない。

 AIによる映像生成は、広告・教育・ゲーム開発・プロトタイピングなど多様な産業での活用が期待されており、禁止は新産業の芽を摘むリスクもある。

 経産省関係者の一人はこう語る。

「禁止ではなく、“透明化と還元”を進める方向が現実的だと考えています。AIが利用するデータを明示し、学習元の著作物に応じた分配を行う“AIコンテンツライセンス制度”のような仕組みを整える必要があります」

 実際、米国や欧州では、AI企業が音楽・映像会社と包括的な利用契約を結ぶ動きが進んでいる。

 だが日本では、IP管理団体が業界ごとに分かれており、統一的な窓口を設けるのは難しい。アニメ、漫画、ゲーム、ライトノベル――それぞれの権利体系が異なるため、包括ライセンス制度の導入は容易ではない。

“AI映像の時代”をどう迎えるか 日本が問われる選択

 Sora2をめぐる騒動は、単なる技術問題ではなく、日本の「文化輸出モデル」の根幹に関わる。AIによって創作コストが劇的に下がる一方で、コンテンツの希少性が失われ、正規のIPが価値を維持できなくなる。つまり、「創作物=資産」という考え方が変わる可能性がある。

 一方で、生成AIを敵視するだけでは、国際競争に取り残される。アメリカや中国では、すでにAIアニメ制作ツールが続々と商用化され、広告・SNS・教育現場での映像生成が当たり前になりつつある。

 規制と育成、どちらの舵を切るか――それは「文化立国」としての日本の戦略選択でもある。

 Sora2が突きつけたのは、AIと著作権の“根本的な矛盾”だ。AIは学習なしに進化できない。しかし学習は既存の創作物なしに成立しない。その矛盾を解くには、透明性・追跡性・還元性を兼ね備えた新しい著作権制度が必要だ。

 OpenAIの還元策がどこまで現実的かは未知数だが、少なくとも日本が主導して“AI時代のIP保護モデル”を構築することが、文化産業を守る唯一の道となる。Sora2は、その出発点を突きつけた存在にほかならない。

 Sora2の登場は、テクノロジーではなく「制度設計」の時代が来たことを示している。創作の民主化が進むほど、権利の再定義が求められる。“AIが創る世界”をどう制御するか――その答えを出すのは、技術者ではなく、社会全体だ。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部)

スーパードライが消える?DX先進企業・アサヒを襲ったランサムウェアの衝撃

●この記事のポイント
・DX先進企業のアサヒGHDがランサムウェア被害を受け、グローバル統合ERPが停止。効率化の裏に潜む「集中リスク」が露呈した。
・ERP一本化は業務効率を高める一方で、障害時に全体停止の危険を伴う。企業は防御より「継続」を前提にしたBCP設計が急務に。
・今後はERP集中から分散型アーキテクチャへ転換が進む可能性。DX成功企業ほど脆弱になるという逆説が突きつけられた。

 2025年9月、国内外のビール事業を展開するアサヒグループホールディングス(以下、アサヒGHD)が、サイバー攻撃を受けて基幹システムが停止した。攻撃の影響は物流や販売システムにまで波及し、一部商品――特に看板ブランド「スーパードライ」が一時的に店頭から姿を消す可能性も指摘されるほどだ。

 アサヒGHDは「グローバル統合ERP(基幹業務システム)」を導入し、調達から製造、販売までの全業務を一本化していた。DX(デジタルトランスフォーメーション)先進企業として名高い同社が、なぜ深刻な被害を受けたのか。この事件は、ERP一本化という「効率化の象徴」が、いかにしてリスクの集中点になり得るのかを示す警鐘ともなった。

世界をつなぐシステムが「世界を止めた」

 アサヒGHDの説明によれば、今回の攻撃はランサムウェアによるものとみられ、影響は日本国内にとどまらず、ヨーロッパやオーストラリアなど海外子会社の業務にも波及した。グローバルで統合されたシステムを採用していたことが裏目に出た形だ。

 同社は近年、SAPベースの統合ERPを中核に据え、グローバルサプライチェーンの一元管理を推進してきた。これにより、部門間のデータ共有や意思決定のスピードは飛躍的に向上したが、単一の障害が全社に波及する「集中リスク」を抱えることにもなった。

 実際、サプライヤーとの発注、物流指示、販売データの更新といった日常的な業務が滞り、商品の供給が一時停止。国内小売業界では「スーパードライが棚から消える」といった声も上がった。

「グローバル一体型システムは、効率化と標準化の切り札だが、攻撃を受けた瞬間、それが『単一障害点(Single Point of Failure)』になる」(セキュリティ専門家)

ERP統合は“善”か? いま再び問われるDXの方向性

 近年、多くの大企業がERP統合を進めてきた。NEC、花王、トヨタ、そしてアサヒGHDもその代表例だ。目的は明確で、業務の標準化・見える化・迅速化による生産性向上である。しかしその一方で、ERP化の進展は、サイバー攻撃による業務停止の「スケール」を拡大させるリスクをはらむ。

 ERPは、調達・生産・販売といった企業の“神経網”を1本化する。つまり攻撃者にとっては「中枢神経を断つ」ことと同義だ。ランサムウェア攻撃のターゲットが、近年、製造業やインフラ企業に集中しているのはそのためである。

 今回、アサヒGHDのようなグローバルDX先進企業が狙われたことは、「DX推進企業ほどリスクが高い」という逆説を浮き彫りにした。

 セキュリティ専門家の間では、攻撃者がアサヒを選んだ理由として「経済的な打撃力」と「ブランド価値」を挙げる声が多い。

「アサヒは国際的に知名度の高い上場企業であり、世界のビール市場でも存在感があります。攻撃が成功すれば、企業側は信用失墜やサプライチェーンの混乱を恐れ、身代金(ランサム)を支払う可能性が高い。つまり“費用対効果”の高いターゲットといえます」(ITジャーナリスト・小平貴裕氏)

 さらに、アサヒは社内外のIT基盤を連携させた「グローバル統合DX」を進めており、社内ネットワークの複雑性が増していた。このような構造では、セキュリティパッチや監視体制のわずかな隙間を突かれる可能性が高まる。

「100%防げない」時代の前提…事業継続計画の再設計へ

 今回の事件を受けて、多くの企業で議論が高まっているのが「防御ではなく、持続可能な復旧」への発想転換である。

 どれほど堅牢な防壁を築いても、ゼロデイ攻撃や内部不正など、100%の防御は存在しない。むしろ重要なのは、被害を前提に業務を継続できる「レジリエンス型のシステム設計」だ。

たとえば、
 ・ERPとは別にオフラインで動くバックアップ発注システムを保持する
 ・クラウドとオンプレミスを併用した「二重系構成」にする
 ・社内BCP訓練に「システム停止時の手作業シナリオ」を組み込む
といった“システム断絶前提の運用設計”が求められる。

 経営層の間でも、BCP(事業継続計画)を「防災対策」ではなく「サイバー防災」として再定義する動きが加速している。

 アサヒ事件を機に、ERP一本化を進めてきた企業の間で「分散アーキテクチャ」への回帰が話題となっている。

 クラウドネイティブな時代においては、業務ごとに独立したマイクロサービスを連携させる「疎結合型システム」がトレンドだ。これにより、1つのシステムが攻撃されても全体が止まることを防げる。

 一方で、ERP一本化はデータ整合性や統治性を担保できるという利点がある。効率か、分散か――DXの次なる焦点は「冗長性設計」に移っていくだろう。

 クラウド事業者やSIerの間では、今回の事件を受けて「モジュール単位の独立復旧が可能なERP」や「オフライン復元機能付き基幹システム」への問い合わせが増えているという。

DXの「光」と「影」

 DXは、業務効率化とスピードをもたらすが、同時に「依存構造」を強化する。そのため、真のDXとは「集中」ではなく「分散」をいかにデザインできるかにかかっている。

 経営層に求められるのは、IT投資を「成長コスト」ではなく「生存コスト」として捉えることだ。セキュリティ対策費を「コスト削減の敵」とみなすのではなく、事業継続性を維持するための“生命保険”として位置づける発想転換が必要である。

 アサヒGHDの一件は、DX成功企業にとって他人事ではない。むしろ「DXが成功すればするほど、攻撃リスクも増大する」という構造的現実を、経営戦略としてどう受け止めるかが問われている。

 アサヒグループのサイバー攻撃は、単なるIT障害ではなく、デジタル経営そのものの“脆さ”を突かれた事件だった。グローバル化と効率化の果てに、システムが一点に集中した構造――それが、ランサムウェアという“新たな戦場”において最大のリスクになった。

 この事件が残した教訓は明確だ。

 DXの未来は、スピードではなく「耐久性」で測られる。どれだけ止まらないか――それが、次世代経営の競争力である。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部)

「感情を読む」エアコンの進化…三菱電機「霧ケ峰」が示すAI活用の未来

●この記事のポイント
・三菱電機のルームエアコン「霧ケ峰」が、AIとセンサーで人の感情を推定し、快・不快に応じて風や温度を自動調整する機能「エモコテック」を強化。
・宇宙衛星技術を応用した赤外線センサーとバイタルセンサーを組み合わせ、人の手足の温度や脈から快適さを数値化し、心地よい空間を実現。
・ 国内生産にこだわり、顧客の声を迅速に製品開発へ反映。AIとものづくりの融合で「空気を読む家電」時代を切り開いている。

 かつてエアコンは、ただ部屋を冷やす、暖めるといった単機能の機器にすぎなかった。ところが近年、AIやセンサー技術の進歩により、エアコンは「人の快適さを追求するパートナー」へと進化している。

「人の快適さを追求するパートナー」へと進化している。

 この進化の最前線に立つのが三菱電機のルームエアコン「霧ケ峰」だ。同社は上位モデルにおいて、使用者の感情まで推定して空調を最適化する「エモコテック」を搭載している。

 三菱電機 広報担当者はこう語る。

「エモコテックは、当社独自の赤外線センサー『ムーブアイmirA.I.+』とバイタルセンサー『エモコアイ』の2つのセンサーによって、在室者にあった空調を行う機能です。温度だけでなく“キモチ”を見ながら気流・温度を自動で調節し、くつろぎやすい空気を提供できるのが特徴です」

 いまやエアコンは「空気を読む家電」へ。三菱電機の挑戦は、日本の家電市場にどのような変化をもたらそうとしているのだろうか。

「エモコテック」とは何か

 今回の進化の核を成すのが「エモコテック」だ。ここには、人間の快・不快を推察し、それに応じて空調を制御するという、従来のエアコンにはなかった視点が盛り込まれている。

 三菱電機によれば、エモコテックは以下の2つのセンサーを基盤にしている。

 ムーブアイmirA.I.+:約64,000エリア[徹山1] (Zシリーズ)の温度情報を検知し、360°の視野角を持つ高精度赤外線センサー。床や壁、住宅の断熱性・気密性まで検知し、人の手先・足先の温度を把握することも可能だ。

 エモコアイ:微弱な電波を用い、人の脈を非接触で計測。その結果から快・不快を推定し、風の当て方や運転モードを調整する。

「エモコアイによって計測した脈から在室者の快・不快を推定し、不快と推定した場合には風を大きくよける運転を行うなど、くつろぎやすい空気環境に調整します」(三菱電機広報担当者)

 単に「寒い」「暑い」に対応するのではなく、「居心地がいいかどうか」に寄り添う。この一歩踏み込んだ制御こそが、エモコテックの最大の価値だといえる。

宇宙からリビングへ──技術の源泉

 注目すべきは、この技術の背景に宇宙開発がある点だ。ムーブアイmirA.I.+は、もともと人工衛星「だいち2号」に搭載された赤外線センサー技術を応用したものである。

「ムーブアイmirA.I.+は、当社がJAXAから受注・製造した地球観測衛星『だいち2号』に搭載された赤外線センサー技術を活用しています。人の手先・足先の体感温度まで検知できる精度を備えており、そのノウハウが家庭用エアコンに生かされています」(同)

 宇宙観測のために開発された最先端のセンサー技術が、いま家庭のリビングで人々の快適な暮らしを支えている。異分野の技術転用によるイノベーションの好例といえるだろう。

エアコン市場全体の潮流

 こうしたAIの導入は、三菱電機だけの動きではない。エアコン市場全体が高度化・知能化へとシフトしている。

 ダイキン工業はクラウドAI「うるるとさらら」により、外気データや気象予報をもとにした空調制御を推進。

 パナソニックは「ナノイー」技術とAIを組み合わせ、空気質改善と快適性の両立を目指す。

 シャープはプラズマクラスターを活用し、AIと連動させて空気清浄効果を最大化している。

 しかし、多くのメーカーが「外部環境」や「空気質」に焦点を当てているのに対し、三菱電機は「人の感情」に踏み込んでいる。これは市場の中でも際立ったアプローチであり、「空気を読む」ことを真に実現する試みといえる。

国内生産へのこだわり

 もう一つの特徴は、生産体制へのこだわりだ。多くのメーカーが海外生産を進める中、三菱電機は霧ケ峰をすべて国内で生産している。

「静岡製作所内に営業・マーケティング・企画・開発・製造・サービスの各部門を集約しています。部門間の距離をなくすことで、社会トレンドやお客様のニーズを早期に把握し、製品開発に即反映できる体制を整えています」(同)

「国内生産」という選択は、コスト面で不利に映るかもしれない。しかし、その裏には「顧客の声を迅速に製品に反映する」という思想がある。スピードと品質の両立こそ、同社が掲げる競争力の源泉だ。

市場背景:省エネとウェルビーイング志向

 エアコン市場が進化を続ける背景には、社会全体の変化がある。

 ・人口減少・高齢化:操作の容易さや健康への配慮が求められる。
 ・省エネ要請:脱炭素社会を目指す中で、省エネ性能の高さは購買基準の中心になりつつある。
 ・ウェルビーイング志向:生活空間を「心地よく過ごす場」として設計する動きが強まっている。

 エモコテックは、まさにこうした時代背景を反映する技術といえる。単なる冷暖房機器ではなく、人の心身の状態を踏まえた「ウェルビーイング家電」へ──その方向性を明確に示している。

未来の空気をつくる挑戦

 三菱電機の取り組みは、家電業界に限らず、ビジネス全般に学びを与える。

 ・異分野の技術転用:衛星技術を家庭用に転用したように、自社の強みを他分野に展開できるかがイノベーションの鍵となる。
 ・顧客体験の深化:「温度」ではなく「感情」にまで踏み込む発想は、顧客中心主義の真髄である。
 ・体制の一体化:開発から製造まで一気通貫で行う体制は、スピード経営を志向する企業に大きな示唆を与える。

 AIが生活に浸透し、人の感情を推定して快適さを提供する時代が到来した。「霧ケ峰」のエモコテックは、その象徴ともいえる存在だ。

 単なる冷暖房機器から「感情に寄り添う家電」へ。エアコンが空気だけでなく人の心をも整えるようになったとき、暮らしはどのように変わるのか。その先駆けとして、三菱電機の挑戦は確実に市場をリードしていく。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部)

AIが“声”でだます時代へ…セールスフォース情報漏洩が突きつけたクラウド運用の盲点

●この記事のポイント
・セールスフォースを通じた情報漏洩が発覚。AIを使った“ボイスフィッシング”により、脆弱性がなくても人を介して情報が奪われるリスクが浮上。
・生成AIが声を模倣し、社員をだます新たな詐欺手口が拡大。クラウドCRMの利便性の裏で、運用や人の判断が最大の脆弱点となっている。
・企業は多要素認証やゼロトラスト導入に加え、社員教育の再構築が急務。AI時代のセキュリティは「信頼をどう設計するか」が問われている。

 2025年10月9日、世界中で多くの大手企業が利用するクラウドサービス「セールスフォース(Salesforce)」を通じ、大規模な情報漏洩が発覚した。影響を受けた企業の中には、日本の自動車メーカーをはじめ、金融・小売・通信など幅広い業種が含まれると報じられている。

 セールスフォースは、企業が顧客情報を管理するためのCRM(顧客関係管理)システムとして広く利用されており、その信頼性と利便性の高さから「企業活動の中枢インフラ」とも呼ばれる。そのセールスフォースを経由した情報漏洩――。

 このニュースは、クラウドサービスを活用するすべての企業にとって他人事ではない重大な事件だ。

「脆弱性はなかったのに漏れた」異例の事態

 今回の事件で特筆すべきは、「セールスフォース自体のシステムには脆弱性が確認されていない」という点だ。

 つまり、クラウド側のセキュリティが破られたのではなく、人の操作や判断を狙った“社会工学的攻撃”によって、内部から情報が抜かれた可能性が高い。

 関係者によると、攻撃者は企業の従業員に対して直接電話をかけ、「システム更新のために一時的にアプリをインストールしてほしい」「セキュリティ強化のための確認をお願いしたい」などと伝えたという。その際、実在するIT担当者の名前や部署を正確に名乗り、自然な日本語で応対していた。

 従業員が指示通りにアプリをダウンロードすると、それが偽装されたマルウェアであり、端末に保存されていたログイン情報や顧客データが外部へ送信された、という仕組みだ。

AIで“声”を偽装する「ボイスフィッシング」

 この手口の背後にあるのが、生成AIを使った新手の「ボイスフィッシング(vishing)」である。

「従来のフィッシング詐欺といえば、メールやSMSによる偽サイト誘導が主流だったが、今は“音声”を使った攻撃が台頭している。生成AIによって、本人そっくりの声を数分の音声データから再現できるようになった。たとえば、社内ミーティングの録音やオンラインセミナー動画に登場した担当者の声をAIに学習させ、その声で電話をかければ、『あの人の声だから信頼できる』と従業員は疑わない」

 実際、今回の攻撃でも「上司の声を再現したAI音声が使われた可能性がある」と専門家は指摘する。

 AIの進化が生んだのは、生産性だけではない。“声を信じる”という人間の心理そのものを突いた、きわめて巧妙な詐欺が現実になっている。

クラウド時代の「盲点」──システムよりも人が狙われる

 多くの企業は、クラウドを導入すればセキュリティもクラウド事業者任せにできると考えがちだ。しかし、今回の事件はその認識を根底から覆した。

 セールスフォースは世界最高水準のセキュリティを誇るが、どれほど堅牢なシステムでも、利用者の判断を欺かれれば一瞬で破られる。

 CRMクラウドのように、営業履歴・顧客リスト・見積情報・契約書ファイルなどが一元管理されている場合、1つのアカウントが乗っ取られるだけで、数千・数万件の個人情報が一度に漏洩するリスクがある。

 さらに、APIを通じて他の社内システムや外部アプリと連携している場合、その被害は芋づる式に拡大する。

 クラウド化の進展は、利便性と引き換えに「運用リスクの複雑化」をもたらしている。
つまり、システムではなく“人とプロセス”が最大の脆弱性になっているのだ。

なぜセールスフォースが狙われるのか

 攻撃者がセールスフォースを標的に選ぶ理由は明白だ。1社を突破すれば、その企業が持つすべての顧客情報、取引履歴、営業戦略データにアクセスできる。

 さらに、多くの企業が同じクラウド基盤を使っているため、1つの成功例が他社にも“横展開”できる。攻撃者にとって、セールスフォースは「一撃で大規模収益を得られる格好の獲物」なのだ。

 加えて、最近はAIを使った攻撃の自動化も進んでいる。攻撃者がわざわざ電話をかけるのではなく、生成AIがスクリプトを読み上げ、ターゲットの反応に応じて回答を変える――。そんな自動ボイスフィッシングがすでに確認されている。

 AIが攻撃を“24時間働く詐欺オペレーター”に変えた時代ともいえる。

企業が取るべき防衛策とは

 では、企業はどう守るべきか。専門家が口をそろえて挙げるのが、「多要素認証(MFA)」の徹底と、「ゼロトラストセキュリティ」の考え方だ。

 ・多要素認証(MFA)
 パスワードだけでなく、指紋認証やワンタイムコードなど複数の認証要素を組み合わせることで、仮にログイン情報が盗まれても被害を防ぐ。

 しかし実際には、「利便性が下がる」として導入を先送りにしている企業も少なくない。

 ・ゼロトラストセキュリティ
 「社内だから安全」「一度認証したら信頼する」といった前提を捨て、常に全てのアクセスを検証するという考え方。

 クラウドやリモートワークが広がる今、セールスフォースのような外部サービス利用では特に重要となる。

 さらに、従業員教育の再設計も欠かせない。
「上司の声でも確認なしに指示に従わない」「セキュリティ更新を促す電話やメールは、必ず社内IT担当に確認する」など、具体的な“行動ルール”を共有する必要がある。
特に、電話対応を担う営業やサポート部門が最前線の標的になりやすい。

「AIが人間の信頼を試す時代」に

 今回のセールスフォース情報漏洩事件は、単なるサイバー攻撃ではない。AIが人間の信い頼構造そのものを揺るがした事件といえる。

 人は「見慣れたメール」「聞き慣れた声」「信頼する企業名」などに安心感を覚える。
だがAIは、その“信頼の兆候”を正確に学習し、完璧に再現する。

 つまり、信頼の証拠がもはや証拠にならない時代に、私たちは踏み込んでいるのだ。

 企業が守るべきは、技術だけではない。社員一人ひとりの「疑う力」、そして「手順を守る文化」こそが、最大の防御壁となる。AI時代のセキュリティとは、「テクノロジーと人間の信頼の共進化」なのかもしれない。

今後の課題と展望

 セールスフォースに限らず、クラウド型のCRMやERPを利用する企業は今後さらに増える。政府・自治体・教育機関など公的セクターでも利用が進む中、情報漏洩のリスクは社会全体のリスクへと広がっていく。

 一方で、セールスフォースをはじめとするクラウド事業者も、AI検知システムや異常行動分析、音声パターン識別などの高度な防御策を打ち出し始めている。
攻撃と防御のいたちごっこは続くだろうが、今後は「AI対AIのセキュリティ戦争」が常態化する可能性もある。

 今回の事件は、「セールスフォースなら安全」「クラウドだから安心」といった思い込みが、いかに危ういかを痛感させた。クラウドは安全か危険かという二元論ではなく、「安全に使いこなす責任」をどう果たすかが問われている。

 AIが便利になるほど、信頼のハードルは上がる。セキュリティとはもはやIT部門の仕事ではなく、経営課題であり、組織文化の問題だ。

“脆弱性ゼロ”のシステムは存在しない。だからこそ、信頼を再設計することが、今の時代の最も現実的なセキュリティ対策である。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部)

人手不足が限界に達する物流2030年問題…“待ち時間ゼロ社会”は実現するか

●この記事のポイント
・国交省と実証実験に挑むスタートアップが、バッテリー不要の「自動物流道路」で待ち時間ゼロを目指す。
・「標準化」と「協働」を軸に、2030年問題に直面する日本の物流を根本から変える構想を描く。
・人手不足や非効率な積み替え作業を減らし、誰もが無理なく働ける社会インフラを目指す挑戦。

 日本の物流業界は、今まさに大きな転換点にある。ドライバー不足、残業規制による「2024年問題」が広く報じられたが、CUEBUS(キューバス)社長の大久保勝広氏は「むしろ本当に深刻なのは2030年問題だ」と語る。

 トラックドライバーの高齢化が急速に進み、今後数年で3割ものトラックを運行できなくなる可能性がある。労働環境も厳しい。長時間労働に加え、待機や積み替えといった非効率な作業がドライバーの負担となっている。

 EC需要が高まり続ける一方で、人手は減る――物流は社会インフラそのものであり、この課題は経済全体に直結する。そんな大きな課題に、スタートアップのCUEBUSは挑んでいる。

●目次

国交省が注目した「バッテリー不要の自動物流道路」

 今回、CUEBUSが一躍注目されたのは、国土交通省と連携して始まる大規模な実証実験だ。そのきっかけは、2024年9月の「国際物流総合展」。展示会でCUEBUSのシステムを目にした国交省関係者が「自動物流道路に最適ではないか」と声をかけたことが始まりだった。

 最大のポイントは「バッテリーを使わない」ことだ。東京―大阪間500kmをEVで走行するには頻繁な充電が必要だが、CUEBUSのリニア搬送技術なら給電ストレスがない。また、保管と搬送を一体化させることで「載せ替え」や「待機時間」を削減できる。これは従来の物流インフラにはなかった発想だ。

 物流センターを訪れると、荷物をトラックから下ろし、再び積み替える作業に多大な時間が割かれている現実が見えてくる。大久保社長は「CUEBUSの最大の価値は、この“待ち時間”をなくすことだ」と強調する。

 さらに重要なのが「標準化」である。国交省は実証実験を通じ、荷物サイズやパレット規格を統一する方針を掲げている。これが実現すれば、輸送から保管、配送に至るまでオペレーション効率が劇的に向上する。

「日本人は荷物の載せ替えやサイズ調整を真面目にやる。でも最初から規格を統一すれば不要になるはず。標準化は国が取り組むべきテーマです」と大久保氏は語る。

技術の独自性――「リニアで保管する」という発想

 CUEBUSの技術的なユニークさは、リニアモーターを保管領域に応用した点にある。一般的なロボット倉庫は回転モーターを使い、部品が多く故障リスクや制御の曖昧さがつきまとう。一方リニアモーターは摩擦が少なく、位置制御が精密で「ピタッと止められる」。

 搬送にリニアを使う事例は多いが、「保管」で活用するのは世界的にも珍しい。これにより、荷物を柔軟に並べ替えたり、必要な順序で素早く取り出したりすることが可能になる。大久保氏は「待機中の荷物をバッファとしてプールし、必要な順番で正確に出す。これはCUEBUSにしかできない」と自信を見せる。

 テクノロジーの進化は「人を置き換えるもの」と見られがちだが、CUEBUSの思想は異なる。大久保氏は「人がいた方がいい作業は人がやればいい。ただ、人に依存しなくても回せる仕組みを整えることが大事」と語る。

 特に冷凍倉庫など過酷な環境や、夜間の残業といった負担を減らすことを重視する。テクノロジーによって「人が普通に働き、普通に生活できる」状態を目指しているのだ。

 物流ロボットというと大規模導入が前提になりがちだが、CUEBUSは小規模から始められる設計になっている。数千万円単位の投資は必要だが、「バックヤードから少しずつ導入し、規模を拡大できる」点は中小企業にとって大きな魅力だ。

国交省プロジェクトが意味する「社会インフラ化」

 今回の実証実験は、単なる技術検証にとどまらない。国交省が掲げる「標準化」が浸透すれば、輸送・保管・配送のあり方そのものが変わる。

「トラックの形状や法律も、標準化されたパレットに合わせて変わっていく。これは物流の“インフラ”をつくる話です」と大久保氏は言う。

 スタートアップが国の大規模プロジェクトに参画するのは極めて稀だ。大久保氏は「5000億円規模の事業を想定している。小さな会社が国のインフラを担う覚悟で臨んでいる」と力を込める。

 海外との違いについて尋ねると、大久保氏は「意外と倉庫の中身は似ている」としながら、日本特有の課題も指摘する。欧州では「腰を曲げる作業は禁止」とされるが、日本では年配者が黙々と重い荷物を扱う現場が多い。

「日本の物流は“真面目さ”に支えられている。だが、それは現場の人の負担に依存しているということ。改善の意識を社会全体が持つべきです」と語る。

店舗や生活空間へ広がる未来

 CUEBUSの技術は倉庫にとどまらない。すでに有名ブランド店舗への導入が進んでおり、商品搬送を担うだけでなく「動くロボット」として来店客の目を楽しませる計画もある。物流だけでなく、小売や生活空間にも広がりを見せているのだ。

 最後に大久保氏は、経営者としての視点を語った。

「国のプロジェクトは公共性が高く、民間がお金を出してインフラを築いてきた歴史がある。CUEBUSもその流れに挑戦する。株主からは“まだ早い”と言われるかもしれないが、短期・中期・長期で戦略を分け、5000億円を調達してサブスク型モデルを築く覚悟でいる」

 物流は古くからの産業でありながら、社会課題が集中する分野だ。そこに果敢に挑むCUEBUSの挑戦は、単なるビジネスの枠を超え、日本社会全体にインパクトを与える可能性を秘めている。

(文=UNICORN JOURNAL編集部)