JXTGエネルギー パラリンピック聖火リレーサポーティングパートナーに決定

JXTGエネルギーは12月23日、東京2020組織委と契約を締結し、パラリンピック聖火リレーサポーティングパートナーに決定した。
同社は、東京2020大会のゴールドパートナーであり、オリンピック聖火リレーサポーティングパートナーも兼ねる。聖火リレーでは、グループ会社のENEOSグローブが、トーチで使用するガスの供給を行う。

 🄫Tokyo 2020

大田勝行社長は「当社は、ダイバーシティ&インクルージョンの推進のもと、障がい者スポーツ団体への協賛や、社員の応援観戦・ボランティア参加などを通じ、パラリンピックスポーツと交流を深めている。今回、パラリンピック聖火リレーサポーティングパートナーとして、多様性が活かされる社会の発展に貢献できることを大変光栄に思う。日本中へ記憶に残る感動を届けられるよう“ENERGY for ALL”の合言葉の下、パラリンピック聖火リレーを盛り上げていく」とコメントした。

組織委の森喜朗会長は「オリンピックに引き続き、パラリンピック聖火リレーのサポーティングパートナーとして同社をお迎えできることになった。パラリンピック聖火リレーは、原則として“はじめて出会う3人”がチームになってリレーを行う。パラリンピックとオリンピック、内容の異なる2 つの聖火リレーのサポーティングパートナーとして、また聖火リレートーチへのガス供給に協力いただきながら、東京2020大会に向けた機運が醸成していくことを期待する」とコメント。

パラリンピック聖火リレーは、オリンピック終了後の2020年8月13日から、パラリンピック開会式までの期間に開催する。2020年を契機に共生社会を実現し、人と人、人と社会との、「新しいパートナーシップ」を考えるきっかけとなることを目指し、原則として「はじめて出会う3人」がチームになってリレーを行う。聖火は8月13日から全47都道府県で採火され、イギリスのストーク・マンデビルで採火された炎とともに、8月21日に開催都市東京で行われる“集火式”で統合され、パラリンピック聖火になる。全ての人の熱意が一つになった聖火は、翌22日から東京の街をリレーで駆け抜け、25日の開会式に届けられる。

 

 

「国立競技場オープニングイベント」 文化、スポーツ、音楽コンテンツで 6万人が完成を祝賀(動画あり)

日本スポーツ振興センター(JSC)は12月21日、新設なった国立競技場(東京・新宿区)を一般に公開し、完成を祝うオープニングイベント「HELLO, OUR STADIUM」(協賛=アシックスジャパン、日本コカ・コーラ、JR東日本、久光製薬、NTTグループ、日本航空、パナソニック、朝日新聞社、三井住友フィナンシャルグループ、グーグル、復興庁、読売新聞社)を開催し、約6万人の観客が詰め掛けた。同競技場は、2020年東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとして、開閉会式をはじめ陸上競技などの会場として使用される。

イベントでは「文化」「スポーツ」「音楽」の各コンテンツが展開され、それぞれに競技場と縁の深いアスリートやアーティストらが登場した。
MCは、フリーアナウンサーの平井理央さんが務め、スペシャルサポーターの松岡修造さんが会場を盛り上げた。

イベントは、太鼓芸能集団「鼓童」の勇壮なパフォーマンスで幕を開け、“文化パート”の「東北絆まつり」に引き継がれた。絆まつりには、東北6県の夏祭り(秋田竿燈まつり、盛岡さんさ踊り、山形花笠まつり、福島わらじまつり、仙台七夕まつり、青森ねぶた祭)が参加。45分間、踊り手ら約600人がトラック上で本番さながらの演舞を見せた。

続いて、マーチングバンドが行進を開始。その後を、住民や学生、アスリート、近隣の企業関係者ら地元にゆかりのある人々が連なり、祝賀パレードを行った。
絆まつりは、2011年の東日本大震災の鎮魂と復興を願い、同年から16年まで東北6県の持ち回りで開催された「東北六魂祭」が前身で、翌年から絆まつりとして継続している。

前半の“スポーツパート”では、サッカー界のレジェンド・三浦知良選手(Jリーグ 横浜FC)が、スポットライトを浴びながら登場した。国立競技場での最多ゴール数を誇る三浦選手は、日本代表時代のユニホームをアレンジしたウエアに身を包み、初めて芝生のピッチに足を踏み入れる大役を務めた。
三浦選手が、ボールをドリブルしながら走り始めると、観客からは大きな歓声が起き、最後にボールを観客席に蹴り込むと、最高潮に達した。
会場には、ラグビーW杯日本大会で、史上初のベスト8進出を果たした日本代表の、リーチ・マイケル、中村亮土、田中史朗選手も駆けつけ、競技場の完成を祝った。
三浦選手は「素晴らしいスタジアムでセレモニーに参加し、大役を任されたことに興奮している。皆さんの力で、この聖地を勇気ある場所にしていきましょう」と呼び掛けた。
リーチ選手らは、W杯で受けた応援に感謝を述べ「これからこの競技場で、オリンピアン・パラリンピアンの皆さんが最高の結果を出せることを祈ってます」などと祝辞を述べた。

【以下の動画、画像=JSC提供】

 

後半は「音楽パート」1組目の、DREAMS COME TRUE(ドリカム)のスペシャルライブでスタートした。ドリカムは、ヒット曲の「決戦は金曜日」「OLA!VITORIA!」「何度でも」の3曲を熱唱。吉田美和さんは「今日は短い時間ですが、皆さんと喜びを分かち合いたい。皆さんは国立のオープニングベイビーズだ」と呼び掛け大きな歓声を浴びた。ドリカムは、07年にSMAPに続き史上2組目の“国立ライブ”を行った。
音楽パートの最後は、アイドルグループの嵐が華やかなライブで締めくくった。嵐は、アーティストとして国立競技場で最多の公演を行ってきた。5人は特製のトロッコに分乗して周回しながら、「Love so sweet」「Happiness」「A・RA・SHI」「BRAVE」のスぺシャルメドレーを披露し、観客を熱狂させた。5人は「一生の思い出になった」「ここから、さまざまな伝説が生まれると思うとワクワクする」「アスリートにもアーティストにも目標の場所になると思う」などとコメントした。

スポーツパートの最後は、人類初の陸上レース「ONE RACE」。健常者や障がい者、性別の枠を超えたアスリートたちが、特別に混合チームを結成。1チーム6人で4チームを編成し、200メートル×6走の計1200メートルで行うエキシビションレース。
参加選手は、陸上界のレジェンドで金メダリストのウサイン・ボルト氏をはじめ、パラ陸上のハンナ・コックロフト、マール・ファン・ライン選手ら金メダリストや世界記録保持者、日本からは、オリンピック代表のケンブリッジ飛鳥、桐生祥秀、飯塚翔太選手や、パラ陸上の村岡桃佳、高桑早生選手らで、日本選抜、世界選抜の各2チームを組んだ。世界選抜2チームの1~4走は、2024、28年のオリンピック開催都市のパリとロサンゼルスにある競技場を走行。その模様を、NTTグループの協力によりリアルタイムで同期し、ひとつのレースとして成立させた。
世界選抜“BLUE”のアンカー・ボルト氏にバトンが渡ると、会場は大きな声援に包まれたが、優勝したのは、ケンブリッジ飛鳥、高桑、飯塚選手らの日本選抜“RED”チームだった。
ボルト選手は、「素晴しく、とてもうれしい体験をさせてもらった。自分は、東京オリンピックで走らないので、大変に貴重で特別な経験になった」と語った。


イベントのフィナーレには、サプライズゲストとして人気デュオ「ゆず」が登場した。北川悠仁さんは「完成を祝い、東京オリンピックの大成功を祈って、この曲を皆さんと歌えたらうれしい」と04年アテネオリンピックのNHKテーマ曲「栄光の架橋」を観客と大合唱。会場は、観客がペンライト代わりに点灯したスマホの光が揺れる中、エンディングを迎えた。

同競技場では2020年1月1日、新設後初のスポーツイベントとして「天皇杯 JFA 第99回全日本サッカー選手権大会」(ヴィッセル神戸 対 鹿島アントラーズ)が開催される。

三大SNSの特性と支持を得た理由

電通メディアイノベーションラボ主任研究員の天野彬です。2019年10月に『SNS変遷史「いいね!」でつながる社会のゆくえ』(イースト新書)を刊行しました。

社会のありようを大きく変えたSNS。本書では、mixi、Facebook、Twitter、Instagram、LINE、TikTokといった代表的なものはもちろん、2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)、メルマガやブログなども、その前史から説き起こしました。個人ページ型からタイムライン型、さらには体験をシェアする画像・動画共有まで、多様性を増すに至ったSNSの目まぐるしい変化を、ユーザー視点、事業者視点、文化視点などから多角的に描き出しています。

また、オリジナル調査の結果解説に加えて、SNSをテーマとした映画や小説などの作品分析を行っています。そこに描かれたものを分析することで、現代の私たちのコミュニケーションやマインドのあり方の変化に深くフォーカスしています。

この連載では、本書で展開した議論の一部を、ダイジェスト的に編集することでご紹介したいと思います。第1回では、今、最も代表的なSNSといえるTwitter、Facebook、Instagramの特性とその来歴について取り上げます。

Twitter、Facebook、Instagramの特性はどう異なるのか?

Twitter、Facebook、Instagramは、現在のSNSを代表するサービスだといえるだろう。日本国内のMAU(Monthly Active Users)数は、Twitter4500万、Facebook2700万、Instagram3300万となっていて、他のSNSのMAUを大きく上回っている。人と人とのつながりが価値を持つSNSだからこそ、このMAU数をもって「三大SNS」と評することができると思う。

Twitterは、あるニュースが拡散され、それに対する人の反応や意見が見えるという特性がある。「世の中の今を見る場」として、ユーザーも自身のアイデアや考えを広めたり、告知・拡散したりするときに使う。

Instagramは、「個人のとっておきの体験をビジュアルでシェアする場」という際立つ特性があり、自分の“好き”を掘り下げることにアクティブなユーザーが多い。

Facebookは、地元の人や同じ関心を持つ人、会社の同僚など、いろいろな世代の人がつながり、しかも実名なので、フォーマル性を強く帯びる。人生の節目の「ご報告」など、みんなに知らせたい公的な情報を伝える場になっている。もちろん、ニュースや日常の様子を投稿する人もいるので、TwitterとInstagramの中間にあると位置づけることもできるだろう。

各SNSの特性をわかりやすく伝えると、Twitterは世の中の話題を知り、会話に加わるために「広場に出かける」感覚、Instagramはその人の趣味や世界観を知るために「家に遊びに行く」感覚、そしてFacebookは社交的でフォーマルな会話が飛び交う「知った人が参加するパーティー会場に出掛ける」感覚に近い。

Twitter
イラスト:渡邊はるか(電通)
Instagram
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Twitterの象徴となった「なう」:リアルタイムウェブの幕開け

Twitterの「なう」は2010年の流行語大賞ベストテンにも選ばれた。この「なう」こそが、Twitterのもたらした変化を最も象徴的に伝えている。つまり、私たちの生活がリアルタイムウェブの方向へシフトしたということだ。

例えば「スタバなう」(今スターバックスにいます)のように使って、何げない近況のシェアを友人知人、ひいては日本中、世界中へと広げる。しっかりとしたメッセージ、つくり込まれたコンテンツを発信するのではなく、何げない「今」のシェアがコミュニケーションとして流通する足場を築き、N to N(多対多)で広がる空間を開拓した。

このような「リアルタイムウェブ」の在り方、その価値観が日本社会にインストールされたことが、Twitterのもたらした社会的な変化のコアにある。それまでの日記・掲示板・ブログ文化にはなかった、“速いコミュニケーション”を生み出した。

実はツイートは「つぶやき」と訳されることが定着しているが、「さえずり」と表現する方が適切だ。それは、Twitterは個人の独白の集合ではなく、小さなコミュニケーションを手早く重ね合いながら交響するようにメッセージが広がっていくさまが頻繁に起こる場であるためだ。

Twitter2

リアルタイムウェブの象徴としてのTwitterは、エンターテインメントのあり方も大きく変えた。例えば、金曜ロードショーで放送される「天空の城ラピュタ」では、クライマックスで主人公たちが唱える滅びの呪文「バルス」がネットでも大きく盛り上がる。その瞬間に、日本中で「バルス!」とつぶやく楽しさは、同期的なつながりのもたらす盛り上がりによって説明できるだろう―実は、Twitter以前の2ちゃんねるでもこの「祭り」は恒例となっており、「サーバーダウンの呪文」としても知られていた。

一般的にコンテンツは初めて接触するときに効用が高くなるものが、この事例はバルスが来るタイミングが分かっている人ほどカタルシスを味わえるという逆説的な楽しさを立証した。

先が分かっていても、いや分かっているからこそ楽しめるということ。加えて、それが社会的な“祭り”のレベルにまで達していたことに、この事例のメディアコミュニケーション史的な意義がある。見る予定のなかった人でも気になってしまうその同期性の引きの強さは、コミュニケーションとコンテンツとの密接な結び付きを示唆している。

Facebookは、なぜ世界一のSNSになったのか?

Facebookは、始めは大学生専用のSNSだった。ハーバード大学を起点に、近隣のアイビーリーグなど優秀な大学同士がつながるネットワークを作ろうというのが元々のアイデアだった。限られた人しか使えないという制限を設けることによって、「ぜひともその優秀な大学生しかいないネットワークに入りたい!」という気持ちが刺激されるわけだ。

Facebookを使う理由は、実名性という最大の機能的特性ゆえの種々のメリットと社会的な価値にあるだろう。創業者のマーク・ザッカーバーグ氏も「大学の社交(ソーシャル)を全部ここに移すんだ」と述べている。匿名性ゆえの「荒れた」コミュニケーションにはなりにくい(という傾向がある)、大人な、穏やかな場になるということだ。

Facebook

企業もその方がマーケティング上有益なので、社会的な注目度は高まり、ユーザーのボリュームも大きくなっていった。そして若者から流行は始まったものの、日本には、大人のためのソーシャルネットワークがなかったため(LinkedIn〈※〉はあったが)、Facebookがそのポジションを代替的に占め、普及への足掛かりとした。

実名で社会的なポジションを背景にしていることから、さまざまなサービスにFacebookのアカウントを使ってログインできたことも普及の要因として大きいと、筆者は考えている。Facebookでアカウントを持っていれば、サービスごとに面倒なアカウント登録作業やログインをしなくても済む。このような利便性は、日々ウェブサービスへの依存を深める私たちにとって重要なことだ。

こうしてFacebookは存在感を高めていった。もともと世界各地にあるローカルのSNSを全て駆逐するように広がってきたわけで、日本でもそれが成功したということができる。「海外の人が使っている」「自分の身の回りの人が使い始めた」といった蓄積がある日、臨界点を超え、一挙に普及していく。まさに「ネットワーク効果」の勝利である。“意識高い系”の大学生が使うところから始まった Facebookは、現在では世界中で22億人のMAUを抱えるまでになった。

※LinkedIn:いわゆるビジネス特化型のSNSで、職歴やキャリアをまとめ、仕事上のネットワークを広げたり交流したりするためのサービス。
 




SNSの成否を左右する「ネットワーク効果」

ここで大事な概念「ネットワーク効果」について説明しておこう。ネットワーク効果とは、物やサービスの価値が、それを利用するユーザーの数に依存して増えたり減ったりすることを指す。より多くの人々が使ってネットワークが広がればその価値は高まる。しかも、ネットワーク内の人だけでなく、ネットワークの外部にいる第三者にとっての価値も高めるという意味から、ネットワーク外部性と呼ぶこともある。

例えば自宅の冷蔵庫は誰が使っていようが関係なく、自分自身の使い心地のみがその価値を決めるが、電話は自分だけが持っていても全く価値がなく、多くの人にコンタクトできるというネットワークの広さが価値となる。SNSもまさにそのようなものだろう。

ネットワーク効果は、SNSの普及を考える上で非常に大切な考え方だ。先ほど述べたように、Facebookのつながりの価値も、ネットワーク効果に基づいて雪だるま式に大きくなっていったのだ。

Instagram誕生の秘密

SNS拡大期の最大の立役者Instagramは、2012年にサービスが開始された。当時からいまのような状態だったわけではなく、始めはそもそも名前さえ異なるものだった。それが現在ではスマホユーザーにとって最も重要なSNSの一つにまで成長した。現在では世界中で10億人のMAUを誇るが、そこに到達するまでに、わずか7年しか要していない。

Instagramは、スマホユーザーのビジュアルコミュニケーションの中心地で、ユーザーが写真を撮って自分の体験を手軽にシェアするための場を築いた。スマホの操作に長けた若年層は、写真の加工もお手の物で、ウォールとフィードによって自分なりの世界観をつくりあげるためにシェアする。

Instagram2

もともとは、「Burbn」という名前で、知り合いと自分の予定や位置情報を共有するためのアプリであったが、使われ方のデータを見たところ、ユーザーはあまり位置情報をシェアしておらず、その代わりそこで撮った「写真」をシェアしていたのだ。創業者のケビン・シストロム氏は、この写真シェア機能を初めはあまり重視していなかったが、当のユーザー自身はこれを求めていたというわけだ。そして、名前も「Burbn」から「Instagram」に変更された。

機能をそぎ落とす、シンプルにする、それはユーザーの体験、そして口コミのためでもある。シストロム氏は「“これは何のサービスなのか”を明快に伝えたいと思っていました。あれこれ機能が詰まったサービスだったら、ユーザーは友達になんと紹介したらいいのでしょう」と述べている。 

当時はまだスマートフォンのカメラの性能が高くなかったため、写真へのフィルター機能(色味の調整や写真全体のトーン&マナーの調整機能)が斬新かつ、綺麗な写真を残しておきたいというユーザーのニーズを満たしてくれるものだった。フィルターをかければ、誰でもオシャレな写真が出来上がるというわけだ。

また、Instagramの初期は、いわゆるセレブではなくカメラマンやデザイナーなどクリエーターたちに告知し、使ってもらうことに注力していた。いわゆるインフルエンサーマーケティングだが、クリエーティブな場を支援するツールという理念がそこに表れている。

こうした戦略が功を奏し、アメリカ国内で感度の高いユーザー層に根付き、日本でも流行に敏感な層、特に女性ユーザーに人気が出始めていった。コアなユーザーに刺さり、そこから広がっていったという構造は、Facebookと同様である。

Instagramと「映え」の切っても切れない関係

そのような出自もあいまって、Instagramは、オシャレな写真をシェアしなければならないというユーザー間でのコード(法律や規則ではない、社会的・文化的に定められたお作法)があり、結果として写真の構図も似通ってくるという現象が見られた。レフ・マノビッチ『インスタグラムと現代視覚文化論』(2018)によれば、四つのタイプがある。

(1)フラットレイ (2)ファーストパーソン
(3)ミニマリズム (4)シーン

簡潔に説明を加えると、

(1)フラットレイは真俯瞰から撮影して被写体/対象物が平らに並べられたもの。高低差がないので構図がシンプルになり、見せたいものを見せられる。

(3)のミニマリズムは背景をシンプルに、被写体を減らし、画面を映したいものだけにフォーカスできるよう「最小限の要素(ミニマル)にする」ということ。

スマホの小さな画面で写真を見るというUXを踏まえた上での最適化という意味では(1)と(3)には共通性がある。

筆者が考えるこの中で最も重要な概念である(2)は、一人称視点(ファーストパーソン)、つまりスマホを持った撮影者の視点で撮られた写真を意味する。例えば洋服の写真であれば、モデルに着せて第三者のカメラマンが撮るのではなく、自分の視点で着ているところを撮影するような在り方を指す。

(4)のシーンもこれと似た概念で、洋服の例で話を続けると、どこかのスタジオで撮るものではなく、実際にその洋服がどんな場所で着れば最も映えるものになるのか、素敵な経験になるのか、それを満たす場所・瞬間(シーン)で撮るべしということだ。

Instagramが個人の体験・経験のシェアの場であるという特性が、(2)(4)には反映されているのだ。

今回は「三大SNS」の出自とその特性を概観してきたが、重要なことはそれぞれの機能を補完し合いながら、ユーザーはSNS上でのコミュニケーションを成立させているということだ。

次回は、SNSがもたらした情報の広がり方について、筆者の提唱するモデルを示しながら分析したい。

SNS変遷史
イースト新書、328ページ、920円+税 ISBN978-4-7816-5118-7

コミュニケーションの新潮流? 「クラフトPR」って聞いたことある人、手挙げてー!

今、本当の意味での広告とPR、言い換えればクリエーティブとPRの本質的連携、融合が求められる時代となっている。そんな新たなステージで新機軸の提案を行うために立ち上げられた「dentsu CRAFTPR Laboratory」について、電通パブリックリレーションズの井口理氏と電通のクリエーターの橋本怜悦氏が語った。

左から電通・橋本怜悦氏、電通パブリックリレーションズ・井口理氏
左から電通・橋本怜悦氏、電通パブリックリレーションズ・井口理氏

Q:「クラフトPR」という言葉の出自は?

井口:「聞いたことある人、手挙げてー」と書きましたが、造語なんで誰も手、上げてないですよね、多分。(笑)実はこれは2019年のカンヌライオンズで、PR部門の審査委員長が「PR is a Craft, Not a Channel」と語ったところからきています。その意味においてはいろんな解釈があると思いますが、われわれはこれを「メディアを含む第三者経由のアプローチだけがPRの主戦場ではない」ということを言い表したのだと受け取りました。そういう「限定されたチャネル」ではないということです。

昨今、PRに関心が高まる一方で「PR=パブリシティー」という一元的な理解が蔓延してしまっていて正直「これはヤバい」と思っています。「パブリシティー」はPRにおけるひとつの手法でしかありません。PRは広告も含めたさまざまなソリューションを駆使して、生活者や社会の理解と共感をつくり、最終的な着地点へと導くこと。その役割は統合コミュニケーション戦略の指揮官であるべきという気持ちがあり、これを機に再度こういった誤解を払拭すると共に新しい価値ややり方を示さねばと思ったんです。

今回出てきたこの「Craft」という言葉はクリエーティブではすでに当たり前に定着しているところに、「何かブリッジできそうだな」とわれわれは考えました。折しも私が2012年にカンヌの審査員をしたときのPR部門審査委員長が「PR業界には表現力が不足している。これは大きな反省点である」と嘆いていましたからPRもクリエーティブをもっとうまく活用しなければいけない。今まさに、この「Craft」という言葉がきっかけとなって「クリエーティブとPRの連携」を見直す時期なんじゃないかなと思ったわけです。

2019年PR部門グランプリ「Tampon Book」(掲載許諾:Female Company)
2019年PR部門グランプリ「Tampon Book」(掲載許諾:Female Company)

事例解説
ドイツの生理用品に掛かる高い税制の変更を迫る取り組みで、エントリーしたのはドイツのオーガニック生理用品販売をするThe Female Company。実はドイツの消費税は標準税率が19%と非常に高く、食料品や水道水といった生活必需品や新聞雑誌、書籍といった文化的なものは軽減税率として7%の設定となっている。一方で、それらのカテゴリーに入るということから、いわゆる贅沢品と言われそうな食品であるトリュフやキャビア、文化関連でいえば油絵なども7%と低い税率である。

ドイツ人は内税方式に慣れきってしまっており、あまり「何々の税率は高い!」といった不満は噴出しないようだが、女性の生理用品であるタンポンもそういった矛盾する税率の中、19%という高い税率で置き去りになっていたという。このアンフェアな事実を顕在化させ、議論し変更させるために行われたのがこの取り組み。

書籍にかけられる消費税が7%(生活必需品のカテゴリー)であることを逆手に、15個のタンポンが入った46ページの本として販売することで税率の矛盾を突いた。「言われてみればひどいよね」と、これに気付いた女性たちが一斉に声を上げ、税率を議論する議会でも女性議員が賛同し、50年ぶりに税制改正への動きが始まる。国内での署名は瞬くまに17万を超えており、社会を巻き込んだ事例となっている。

生理用品を書籍としてリポジショニングする、またその書籍には女性の生理が自然の摂理であることをイラストなど用いて分かりやすく伝えており、こういった表現にクリエーティブ力が存分に生かされているといえるだろう。

例えば、2019年のPRグランプリである「Tampon Books」。これはPRとデザインひいてはクリエーティブが高い次元で融合し着地をしている好事例です。PR目線で紡いだストーリーを、より分かりやすく伝えるための表現としてクリエーティブが生きている。これを見ても分かるようにクリエーティブも今後はクライアントの真の理念を共有し、共に歩む存在として全体設計の中でどのような関わり方ができるのかを常に考えていかねばならない状況なのではないかなと。

実際に営業戦略や事業企画、さらには経営企画などにも意見が求められる場面は日々増えてきていますから。そんな中、昨今いわれる「企業の社会的存在意義」の再確認、またそれらをいかにコミュニケーションへ融合していくかの提案が期待されるようになっています。次の時代に向けて、クライアントと共に“あるべき姿”を突き詰め、その実現のためにどのような軸足でアプローチしていくのか、これを考えたときにクリエーティブとPRの融合でクライアント貢献するというのがチームの目標です。

Q:実際にクリエーティブとPRの連携、融合はどのようになされるのでしょうか。
 


橋本:僕らが目指すのは、社会における生活者の関心をベースに、企業・団体といった情報発信主体側のメッセージを「クリエーティブ×PR」の目線で融合させ理解促進、共感醸成を達成するコミュニケーションプランニングです。例えば僕らはかなり長い年月一緒に仕事をしています。僕らのやり方はクリエーティブとPR双方の視点でつくられたストーリーを持ち寄り、ビジュアルやファクト、その他アウトプットに関わる要素までをすべて検証した上で最適な解を提供する、というものです。

そもそもクリエーティブ領域には「Craft」という言葉がありましたが、それはメッセージを伝えきるその表現力、また品質のことでした。同じく今回、PR領域でも「Craft」という言葉がフィーチャーされましたが、これはあらゆるコミュニケーション施策を統合し、意識変化、態度変容まで導く推進力だと定義づけました。

これまでのクリエーティブとPRの連携は、広告表現に話題になりやすそうな要素をまぶしておく、あるいは動画クリエーティブをPRで拡散させる(バズをつくる)といったところにとどまってしまっていた。今回の連携ではもっと深いものを目指します。

企業の意思をくみ、さまざまなコミュニケーションにきっちりと練り込んでいく。その連携自体が既にストラテジーでもあり、また企業好感度を上げるコーポレートコミュニケーションの要素も持ち合わせるといった高いレイヤーで実行されます。そういうプランニングの最上位レイヤーでこの有機的な連携、融合を実現します。

CRAFTPR

Q:今後の活動スケジュールについて教えてください。

井口:まずはこの「クラフトPR」の概念を皆さんに知ってもらうべく、国内外の事例などをひもときながら実際の業務に取り組んでいきます。この概念に興味のあるクライアントや営業さんをはじめ、クリエーター、マーケター、PRパーソンなど、いろいろな領域の方が声を掛けてくれることを期待したいですね。

われわれが目指すのは目前の仕事ではなく、そういった業務領域の進化です。現場的な仕事の中で、現在のマーケティングの変化を理解しながら、それに応えるコミュニケーションプランニングを実践していく、そういった立場を目指しています。また日々積み重なる事例をひもとくことで、「クラフトPR」の業務推進に理想的なチーム体制やプランニングプロセスなども、どんどん共有していければと思っています。

「クラフトPR」のサイト
「クラフトPR」のサイト

橋本:「dentsu CRAFTPR  Laboratory」はラボという体を取っていますが、研究で終わるものではありません。日々の取り組み、すなわち実践を踏まえた上での知見の蓄積とさらなる実務への反映をスパイラルに展開していきます。僕らの事例を中心にしたworksサイトを立ちあげたので是非皆さんに見てほしいですね。それぞれがどういう視点で仕事に取り組んでいるかなどその立ち位置やプロセスがよく分かると思います。またここからダイレクトに仕事の相談もできるようにしていますので、まずは一声掛けてくだされば。この最初の会話だけでも皆さんに何かを残せる自身があります(笑)。

問い合わせ先:offer@craftprlaboratory.com


【dentsu CRAFTPR  Laboratory】

 困っている人、手をあげてー!今から会いに行きます!

dentsu CRATPR LABORATORYは、クリエーティブとPRの高次元での融合をベースに、クライアントの真の課題に対し、その社会的存在意義を背景としながら統合コミュニケーション提案をする専門集団です。日々のマーケット状況や社会環境を把握しつつ、最新のデータや社会目線を取り込み、最適なソリューションを提示いたします。

「Yakult 1000」新CM発表会 貴景勝関とダチョウ俱楽部がにぎやか会見 (動画あり)

ヤクルト本社は12月19日、乳製品乳酸菌飲料「Yakult(ヤクルト)1000」の新CMキャラクター発表会を、東京・港区のヤクルトホールで行った。
同飲料は10月から、関東の1都6県で発売。ヤクルト史上最高菌数・密度の「乳酸菌 シロタ株」を含み、同社初の機能性表示食品として、ストレスを和らげ睡眠の質を高める機能がある。

ステージには、新CMキャラクターに起用された大相撲の大関・貴景勝関が登場した。今回の起用は、レーシングドライバー・佐藤琢磨さん、ダンサー・菅原小春さんに続き3人目になる。
大関は「商品の機能は、プロの自分にはありがたい。部屋の人間にも薦めている」と話し、初めてというCM出演について「実際の稽古場での撮影だったので、緊張もなく楽しめた」と明かした。


成田裕専務執行役員は「大相撲で注目の大関は、CMのコンセプト“第一線で活躍するプロフェッショナルも、ストレスと睡眠の問題と戦っている”にピッタリだ」と起用理由を述べ、林田哲哉常務執行役員は「商品の販売は好調だが、大関の起用でさらに売り上げがアップするはず」と期待を示した。大関が出演するCMは、2020年1月から放送予定。

同社からは、赤色の地に商品をレイアウトした鮮やかな化粧まわしと、商品1年分が贈呈された。大関は「赤いまわしは初めてなので、身の引き締まる思い。ますます精進して頑張りたい。商品も毎日飲めると思うとうれしい」と語った。

会場には、年末にかけて多忙で、ストレス緩和と睡眠が必要な芸人・ダチョウ俱楽部の3人が“ヤクルト応援隊”として駆け付けた。
メンバーの肥後克広さんと寺門ジモンさんは「最近、上島(竜平)の芸にキレがない」と嘆き、大関に、ダチョウ俱楽部改め上島さんを外した“ドスコイ倶楽部”の結成を持ち掛けるなど、はじめからハイテンション。遅れて登場した上島さんは、けんか腰で相手に迫って最後はキスをするというお約束の芸を女性MCに試すも、あえなく失敗して会場を沸かせた。
大関はヤクルトを試飲して「「場所中はストレスにさらされるので、それを和らげ質の高い睡眠が取れるのは大切なこと。飲みなれた安定の味わいでおいしい」と話した。

ダチョウ俱楽部は、3人のファンという大関の前で、“ストレス緩和ギャグ”を2本披露。新作にもかかわらず、大関の判定はどちらも「面白くない」で撃沈。あきらめきれない3人は、大関との腕相撲対決を提案。いつもの押し付け合いの末、勝負するのは結局上島さんに決定。上島さんは両手使用OKのハンディ戦だったが、2回とも瞬殺され「何で真剣にやるんだよ!」とキレ芸で笑わせた。
大関は「念願の共演で、ストレス解消になった」「ヤクルトを飲んで、初場所も好成績を目指したい。これからも応援してください」と締めくくった。

公式サイト:
https://www.yakult.co.jp/yakult1000/

映画レビュー「ラ・ポワント・クールト」

右岸派のゴダールやトリュフォーに先駆けて、左岸派のアニエス・ヴァルダが撮ったヌーヴェルヴァーグの記念碑的作品。

投稿 映画レビュー「ラ・ポワント・クールト」映画遊民 映画をもっと見たくなる! 映画ライター沢宮亘理の映画レビュー、インタビューetc に最初に表示されました。

もはや人ごとではない!? 中国インバウンド入門。 AISAS、SIPS、そして…

最近、外国人観光客の方々が一段と増加していると思いませんか?

中でも中国人観光客の増加が目立ち、日本におけるインバウンド消費もさらなる盛り上がりを見せています。日本と中国の消費は、ますますつながりが深まることが予想されます。

その状況下、日本と中国の企業が抱える日本・中国ハイブリッド市場のマーケティング課題にクロスボーダーで対応していくための電通グループ横断組織「Dentsu China Xover Center」略称「Dentsu CXC(デンツウ シー・バイ・シー)」が、2019年6月に発足しました。

本連載の1回目となる今回は、Dentsu CXCが12月に発表した日本・中国クロスオーバー消費行動モデル概念「SSSフレーム」をストラテジック・プランナーの武藤隆史から紹介させていただきます。

Dentsu CXC、発足!

外国人観光客の数は、10年前の2009年には約680万人でしたが、2018年には3000万人の大台を超え、政府は2020年に4000万人達成を目指しています。

中でも訪日中国人はここ5年で大幅増加。2018年には838万人に達し、今では国・地域別で最大となっています。

中国からの訪日外客数推移
出典:日本政府観光局 (JNTO)

日本市場が成熟化する中で、中国の需要をいかに取り込めるかが、日本企業の成長エンジンのひとつとなり得ます。マーケターにも両方の市場を俯瞰的にとらえたプランニングが今後ますます求められるようになります。

この事実を背景に、電通は、グループ横断組織「Dentsu CXC」を発足しました。

CXCロゴ
Dentsu CXC 公式HP
https://cxc-dentsu.com/

電通リリース
https://www.dentsu.co.jp/news/release/2019/0529-009829.html


日本・中国クロスオーバー消費行動モデル概念「SSSフレーム」を開発

私たちは、これからの消費の大きなトレンドである、訪日中国人の需要を効果的に取り込むために、日本・中国クロスオーバーの消費行動をくくる概念が必要であると考え、「SSSフレーム」を開発しました。各種調査をベースに、CXCメンバー、電通・インバウンド担当セクションの高橋(邦)チーム、外部有識者と検討を重ねて開発しています。

電通は過去にネット時代の消費行動モデル概念として「AISAS」、SNS時代のモデルとして「SIPS」を開発しましたが、これからの日本・中国クロスオーバー時代に対応するモデルが「SSSフレーム」となります。

SSSフレーム
電通リリース
https://www.dentsu.co.jp/news/release/2019/1202-009966.html

それでは、架空の中国人女性Lilyさん(20代/上海)が初めて日本旅行に行く際を例に、彼女へのインタビューを交えながら、各プロセスを具体的にご説明します。


旅マエは「共感:Sympathize」獲得が大切。
その後「探索:Explore」して納得したら買い物リストへ

【Lilyインタビュー】

Q.普段はどのようにして日本の商品/サービスを知るのですか?

RED(小红书:中国版インスタグラム)でタレントやKOL(キー・オピニオン・リーダー)のコスメレポート動画を見て、日本の商品をチェックしています。Weibo(微博:中国版ツイッター)アカウントでは面白い日本のニュースもチェック。フォローしたWeChat(微信:中国版ライン)アカウントでよく日本のファッショントレンドや日用品の投稿記事を見て、その美しいデザインと実用的な機能に感心したり、bilibili(哔哩哔哩:中国版ニコニコ動画)では日本の商品を扱った面白い動画も楽しんで見ています。

イラスト①
イラスト:中尾 仁士(電通クリエーティブX)

Q.旅マエにどのように日本の商品/サービスを調べましたか?

はじめての日本旅行。Baidu(百度:中国版Google)で地名を入れて検索し、みんなの旅行記を見たり、東京のカフェランキングを調べたり。気になっていた化粧品、日本のコスメに詳しい友達に改めて聞いた化粧品をREDで調べて、買いたいものをスマホに保存しました。Ctrip(携程:中国版エクスペディア)で航空券を購入したら、WeChatグループに追加され、V-guide(微领队:オンライン旅行ガイド)が日本旅行のアドバイスや注意事項を教えてくれました。

イラスト②

【ここで解説】

SSSフレーム一部①

旅マエは、まずは「共感:Sympathize」が大切です。「注目:Attention」を狙うだけでは中国国内の商品、欧米商品、韓国商品、日本商品など、膨大な商品情報の中で埋もれ、スルーされてしまうため、「共感:Sympathize」まで獲得できる出合い方が大切であると考えます。

中国人の商品に関する情報収集源として、テレビCMなどのマス広告以上に、家族・友人・知人からの情報や、SNSからの情報源(有名KOLなど)を重視していることが下記の調査結果から分かります。共感できる人、共感できる情報源を介して出合ってもらう場を設ける必要があります。

商品やブランド・メーカーに関する情報収集減
出典:2018年バイドゥ中国EC調査/2000ss(中国ECサイト半年以内利用者)

「共感:Sympathize」されれば、その後の自発的な「探索:Explore」につながり、納得できれば買い物リストに入れてくれます。下記調査結果からも分かるように、旅マエに買い物リストを作成していない人はたった13.5%しかいません。旅マエに、買い物リストに入れてもらうことが重要となります。

買い物リスト作成状況
出典:2018年バイドゥ訪日中国人買物動向調査/1099ss(上海&北京居住者)


旅ナカは、「驚感:Surprise」が競争優位をつくり、「初回購入:Purchase」のプッシュになる

【Lilyインタビュー】

Q.旅ナカでは、どのような情報に接触しましたか?また印象に残ったことは?

機内にあった雑誌を読んでいたら、知らなかったコスメ商品の情報をゲットできたり、ドラッグストアのクーポン券を入手できました。空港の化粧品の広告が中国語で書かれていてとても親切だなと思いました。電車に乗ると静けさにビックリ。一方で渋谷の交差点の人や広告の多さに驚きました。山手線で見たスキンケアの広告が良さそうで百度で検索しました。街の人たちもとても親切で観光客に優しい国だなと思いました。V-guideがグループチャットに新宿の百貨店でコスメ品がセール中という情報を流してくれて、活用しようと思いました。

イラスト③

Q.どのように初回購入しましたか?

化粧品やサプリメントを買うために、安く買えると聞いていたドラッグストアに行きました。WeChat Pay(微信支付:中国版PayPay)、Alipay(支付宝:中国版PayPay)のロゴが見えて親切なお店だと思いました。入店したら商品が多過ぎて、漢字以外読めないし、迷ってしまいました。スマホに保存したメモを見ながら探したり、店員に聞きながらかごに入れていきました。見たことがあって興味を持った商品はとりあえずかごに入れました。REDで大人気だけど中国では買えないコスメを見かけて、迷わずかごに入れました。化粧水にNO.1のシールがついたものも買いました。

イラスト④

【ここで解説】

SSSフレーム一部②

旅ナカのSは、「驚感:Surprise」と設定。旅マエよりも深い情報提供、体験提供が可能な旅ナカにおいては、大なり小なり、「驚感:Surprise」まで獲得できると強く印象に残すことができ、「購入:Purchase」や「共有:Share」に、良い影響を与えることができると考えます。

「Dentsu CXC」が実施した訪日中国人インタビュー調査で、今回の訪日旅行で印象に残ったことを聞いたところ、下記のような、街のきれいさ、人の優しさ、マナーの良さに驚き感動したという声を多数聞くことができました。

CXC調査①
出典:2019年Dentsu CXC訪日中国人インタビュー調査

まだ商品やブランドに関連したエピソードを語る人が少ない状況下、中国国内よりも深い体験や情報を伝えることができる旅ナカにおいて、驚きや感動のあるコト体験の提供や、深くタイムリーな情報提供を行うことができれば、競合に先駆けて競争優位性をつくれる好機であると考えます。

SSSフレーム一部③


旅アトは、「共有:Share 」そして「継続購入:Purchase」にまでつなげていく

【Lilyインタビュー】

Q.帰国して、使って良かったらどのように薦めますか?

旅行中、その日に買った商品をWeChatモーメント(朋友圈:SNSのタイムライン)にアップしたら、代理購入してほしいと友達から連絡が来ました。サプリメントや美顔器に対する推薦コメントももらえました。帰国してお土産を友達や会社の同僚に渡すときに、旅の思い出や、今回の旅行で買って使ってみて良かった商品を紹介しました。ちょうど来月日本に行く友達がいて、自分の話を聞いて早速スマホにメモを残したり調べたりしていました。

イラスト⑤

Q.どのように次回購入しますか?

旅行1カ月後、日本旅行でとても気に入ったスキンケアグッズが切れそうになって、忙しくて日本へ行けない中、そろそろ11月11日(中国の「独身の日」)セールキャンペーンなので、Tmall(天猫:中国版Amazon)の旗艦店を調べたら、ちょうど事前販売キャンペーンをやっていて、日本よりやや高いけど、限定パッケージを2セット予約しました。
イラスト⑥

【ここで解説】

SSSフレーム一部④

訪日時に初回購入して、使って良かった商品は、SNSやリアルで「共有:Share」してくれて、それが、周辺の人々の旅マエの「共感:Sympathize」に繋がっていきます。

CXC調査②
出典:2019年Dentsu CXC訪日中国人インタビュー調査

また良かった商品は、越境ECなどで多くの人々が継続購入してくれることも調査結果から判明しています。

出典:2018年バイドゥ中国EC調査/2000ss(中国ECサイト半年以内利用者)②
出典:2018年バイドゥ中国EC調査/2000ss(中国ECサイト半年以内利用者)

以上、「SSSフレーム」の概要をLilyさんの体験の形で紹介しました。


「SSSフレーム」を自由にご活用ください

SSSフレーム

今回説明したように、「旅マエ」「旅ナカ」「旅アト」と日本と中国市場を一気通貫でプランニングすることが、これからのインバウンド、越境EC、中国マーケティングを考えていく上で、重要な視点であると考えます。

Dentsu CXCは、日本・中国クロスオーバー消費行動モデル概念「SSSフレーム」を多くの人々に自由に活用していただくことで、日本・中国ハイブリッド市場が今後ますます盛り上がることを願います。次回以降の連載もお楽しみに。
 

お問い合わせはこちら。
株式会社電通 Dentsu CXC(デンツウ シー・バイ・シー)
Email:dentsucxc@dentsu.co.jp
 

守りのSDGsと攻めのSDGsのソリューションとは?

これまで4回にわたって、SDGsに関してどんな意識や行動が芽生えているのか、調査結果を基に解説してきました。SDGsという言葉を知っていても知らなくても、すでに行動している人もたくさんいます。また、17の目標に対して、関心や共感がどこにあるかは人や地域によってさまざまです。今回は、企業の課題に対して、電通TeamSDGsが何を提供できるのか、お話しいたします。

SDGsへの取り組みは待ったなし

今年7月に行われたG20大阪サミット、9月にNYの国連で開催された環境サミットなど、多くの重要な国際会議でSDGsへの取り組みがメイントピックとして議論されてきました。そしてその間にも目を疑うような国際問題や気候変動による大規模な災害が起きています。SDGsへの取り組みは世界規模でもはや待ったなし。遠い現実ではなく今ここで起きている危機になっています。金融業界も動きだし、投資や融資という点で、ESGやSDGsに貢献していない企業には非常に厳しい状況になっていきます。それを受けて、企業のSDGsへの取り組みもより一層加速していくと考えられます。

G20大阪サミット

守りのSDGsと攻めのSDGs

電通TeamSDGsには、さまざまなクライアントから日々問い合わせや提案依頼が寄せられています。昨年から今年前半までは「SDGsについて知りたい/社内で勉強会をやりたい」というものが多かったのですが、ここにきて企業の取り組みも加速し始め、「新たなサービスや事業を開発したい/具体的な取り組み先を教えてほしい」という問い合わせが増えてきています。同時に、どうやって社内の理解や共感を得るかという悩みも寄せられ、具体的な実施という第2フェーズに進んできているといえます。

電通TeamSDGsが考える「SDGsについて取り組むべきこと」は大きくは下の七つに分類されます。上半分はこれまでの事業の延長線上にあるもので、きちんと取り組んで情報を発信していく、いわば「守りのSDGs」です。下半分はSDGsを達成するために不可欠な非連続のイノベーションやチャレンジで、企業のビジネスにもつながるものです。

そして全てに共通するのは、企業としてのスタンスや方針をきちんとコミュニケーションしないと伝わらない、伝わらないとやっていないと見なされるということです。

今回はその中から電通TeamSDGsが提供しているソリューションをいくつかご紹介します。

電通TeamSDGsのソリューションその1 「SDGs発想法」

SDGsが掲げる17のゴールは非常に多岐にわたっており、自社の資産をどう生かし、どの課題にどこから手をつけたらいいかを考えるのはなかなか難しいと思います。そこで電通では四つのステップに分けてSDGsへの取り組み方を考える発想法を提唱しています。

STEP1 自社の資産や強みを生かし、目的などをもとに、取り組む課題を選定
STEP2 企業としての成長が見込めるかどうかの検証
STEP3 相乗効果を得られる他業種・他セクターとの連携体制の検討
STEP4 17目標の10(人や国の不平等をなくそう)を基準に新たな不平等を生まないかを検証

電通TeamSDGsのソリューションその2 「SDGsヒントマップ」

自社のリソースを社会課題に結びつけるに当たって、17のゴール別に家庭から職場、市町村、日本や海外まで、それぞれのレイヤーでどんなことが課題になっていくか、をまとめたマップです。取り組むべき課題の発見や新しい商品やサービス、あるいは事業の開発のためのヒントにお使いいただけます。

1番目の「貧困をなくそう」というゴールでは、円の中心から例えば、家庭では 貧困家庭 、学校・職場では 賃金格差、都道府県・日本では非正規労働者の増加、 世界・地球では人口急増と、それぞれのスケールでのどのようなことが問題になっていくかがプロットされています。

電通TeamSDGsのソリューションその3「コミュニケーションガイドライン」

持続可能な社会のためには企業そのものも持続可能、つまり企業として収益を上げていく必要があります。そのためにはSDGsに取り組んでいるけどあえて口に出さない、陰徳の美では伝わらないし、事業として広がっていきません。

インナーはもちろん、投資家や消費者など外に向けてのコミュニケーションが必要不可欠です。コミュニケーションしていくことで、新たな連携先も広がり、さらに大きなうねりになっていく可能性があります。そのコミュニケーションにおけるSDGsのロゴの使い方やSDGsウォッシュと言われないための注意点を示した「コミュニケーションガイドライン(※)」を制作して、公開しています。

※下記のURLからダウンロード可能
https://www.dentsu.co.jp/csr/team_sdgs/pdf/sdgs_communication_guide.pdf
 

サービスや事業開発、インナーやアウターに向けたコミュニケーションなどを手掛けています。今後はさまざまなステークホルダーが集まり、アイデアやソリューションをつくるための場づくりを進めます。

この他にも広告業界の動きとして、2020年からは広告電通賞にSDGs特別賞が新設されました。SDGsに関するさまざまな知見を持つ方々を審査員に迎え、広告を通じてSDGsに対する啓発や取り組みそのものを促進していくことを目的としています。

「SDGsの取り組み」三つのキーワード

①「共創(=アライアンス)」
SDGs達成のためにはパブリックセクター(官公庁)、企業、大学、地域、NPOなどさまざまなステークホルダーがつながり、議論して、新たな何かをつくり出す、「共創」が重要です。

②「アイデア/クリエーティビティー」
どの課題のどんなところに目をつけるのか?そこで何をつくり出すのか?それを誰と組んでやるのか?どうやって分かりやすく魅力的に伝えて、人の心を動かしていくのか?そのすべてのプロセスでアイデアやクリエーティビティーが必要です。

③「持続可能なソリューション」
SDGsは2030年そしてそれ以降の社会のために設定されたものです。SDGsに関するソリューションそのものもは、「持続可能」かどうかの観点が重要となります。状況の変化に合わせてもちろん途中で見直し、より良い結果を求め柔軟に対応していくことも、同時に求められます。

チャンスに向けて今すぐ動きだそう

来年には2020東京オリンピック・パラリンピック。そしてその先には2025年の大阪万博も開催が予定されています。日本が国際的にも注目され、情報発信していくチャンスが続きます。

何の社会課題やニーズに、どんなリソースで誰と組んで取り組むか、テストも含めて今から取り組む必要があります。SDGsという壮大な目標に向かって、皆さんの課題やリソースを持って議論し合い、新たなものを一緒につくり出し、持続可能な世界をつくっていきましょう。

何か一緒にやりたいと思っていただいた方は、ぜひteam-sdgs@dentsu.co.jpまでご連絡ください。


*電通TeamSDGs
さまざまなステークホルダーの連携を促して、SDGsに対する社会の大きなうねりを生み出すことを目指し、SDGsに関する情報発信、ソリューションの企画・開発、ビジネス支援を行っていく専門チームです。

 

山田監督、どうして今寅さんは帰ってきたんですか。<ほぼ全文掲載スペシャル>

山田洋次監督、高崎卓馬氏
山田洋次監督、高崎卓馬氏

僕は山田学校の生徒です。2011年にサントリーのオランジーナで「ムッシュはつらいよ」というキャンペーンを立ち上げたのですが、コマーシャルをつくるたびに毎回、松竹にある監督の部屋で何時間も企画をさせてもらっていました。

カット割りのこと、喜劇とは何かということ、映画のこと、昔のこと、今のこと、本当にいろんなお話をしてもらいながら、いっしょに企画をしました。なんと贅沢な時間だったか。そこでの学びは振り返るとそれ以降の自分のアウトプットにかなり大きな影響を与えています。

そんな山田学校での学びを一部でもみなさんに共有したいと思って山田監督にお声がけさせていただきました。監督は当日1時間半惜しみなくいつものように、たくさんのお話をしてくださいました。

本来電通報は数千文字程度で連載されていくものだそうですが、あの場にあった奇跡のような濃密な時間を少しでも再現したいので、編集の皆さんに無理を言ってあえて「ほぼ全文掲載」という形にしてもらいました。そういえば、このデザイントークはもともと僕の新しい小説の刊行がきっかけで企画されたものですが、監督の話が面白過ぎてすっかり忘れていました。(文責・監修 高崎卓馬)

<目次>
50年かけてつくった映画
笑いをつくるということ
つくり続ける理由
渥美清という人
幸福の黄色いハンカチのポスターの秘密
小津安二郎を見る黒澤明を見る山田洋次

※本記事はイベント「Dentsu Design Talk Vol.190 山田監督、どうして今寅さんは帰ってきたんですか?」の内容を再構成したものです。
※対談中、一部の職業名など名称について、現在では使われていないものがありますが、状況を再現するため、当時の言い回しをそのまま記載しています。

50年かけてつくった映画

山田洋次監督
山田洋次監督

高崎:小さい奇跡が起きました。オランジーナの仕事が終わってからも監督にいろんなお話を伺う機会があって。いつも大切なことを教えていただいているのですが、それを僕だけが独り占めするのではなく少しでも皆さんと共有したいと思い、この対談を思いつきました。でもご相談したときはあまりご機嫌が良くなかったのか(笑)、お返事は頂けず半分あきらめていたのですが。山田洋次監督、よろしくお願いします。「男はつらいよ50 お帰り 寅さん」のお話から伺わせてください。いわゆる来年のお正月映画ですね。

山田:そうです。

高崎:試写のとき、途中から涙が止まらなくなりました。当然「男はつらいよ」はフィクションなのですが、50年同じ役を演じ続けてきたことでノンフィクション化しているというか。ドキュメンタリーに昇華されていて、そこにあるのはまったく見たことのない映画でした。時という残酷なものにゆっくり押し流されて消えていくけれど、そこに確実に存在していた大切なものに胸が締め付けられる。

試写室を出たらあらゆる知っている人が大切に思えました。顔見知りの松竹の人を見つけるだけで涙があふれちゃったりして。後ろで倍賞千恵子さん(さくら役)もご覧になっていたんですが、僕があまりに泣いているので笑ってらっしゃいました。当初からその読後感のようなものは狙ってつくられたんでしょうか。

山田:いや、涙が出るという感想は、試写会を見た人たちからよく聞いてね、最初は驚きましたよね。そんな映画をつくるつもりはなかったわけで。

というよりも、今から50年前から、この寅さんという映画を49本も作って、全部頭から回すと見終わるまで3日くらいかかるんですよね。長い長い映画をつくったんだと考えて。渥美さんもよく言ってたんだけどね、「長い映画を私たちはつくってるんですよね」っていう。その長い映画を、もう一回縮めてみるってことはできないんだろうかなというふうによく思ってたんだよね。

高崎:昔からそういうことを。

山田:そう。それで、どういう編集の仕方があるのかなと思ったりしているうちに、現代…渥美さんはいないけど、吉岡(秀隆さん、満男役)にしても、さくらさんたちにしても、ゴクミ(後藤久美子さん、泉役)にしてもみんな元気なんだから、この人たちの舞台をつくって、いろんな回想の形で過去が入っていくと、一つの映画になるんじゃないかというね。そういうことを考えた。

それで、どこにどういう昔の映像が入るかということは、ある程度予測した場面もあるし、全然予測しない場面もいっぱいあってね。現代、つまり2019年の今の時点で物語は始まって終わるんだけども、どういう過去の映像が入るかっていうのはつくりながら、あるいはつくり上げた後で、いろいろと工夫して入れてみたんですよね。

だから、最初からここにこういう回想が入るっていうことはあんまり深く考えてないわけで、出来上がったらああいう映画になったんで。オールラッシュといって、出来上がったものを見るんだけど、その時はそんなにね、あなたのように、あなた以外のお客さんもわりによく涙が出てっておっしゃるんだけど、涙が出るような映画とは僕自身はあまり思ってなかった。つくり手っていうのはそういうもんだよね。分かんない、どんな映画ができてるのか。だから、結果としてそういう作品になったんだなということを、いろんな人の意見から今感じ取っているわけで。

それは今考えてみれば、50年前、第1作をつくった時に、この映画はなんだかどこもおかしくないなぁと思ったことがあるんだよね。変に真面目な映画をつくっちゃったなと。撮影所で試写をやるんだけど、試写の時も関係者は誰も笑わない。なんだかこれは失敗したなと思ってたんだけど、映画館で封切ってみたら、みんなとてもよく笑う。ああ、僕の映画はおかしいんだとそのとき思った。ちょっと似てるんですよ。今度の映画はみんな泣くんだと。

悲しいってことだけじゃないと思うんです。涙ってのは何も、悲しい物語で泣くっていうことじゃないような気がするんだけど、とにかく涙が出るんだということの中に、やはり今あなたが言ったように、ドキュメンタリーって言うけども、それぞれ、倍賞千恵子さんや吉岡くんにとっては、ドキュメントなんだよね、50年のね。それを通して人生みたいなものを感じた時に、ふと自分の問題として胸を突かれたりする思いがするのかななんてことを、あなたの意見を聞きながら思ったりしているわけです。

高崎:1作目がそんな感覚の中で生まれていたとは意外です。観客の反応によって自分のつくったものの意味を知るというのは少し分かります。寅さんでもそうなんですね。

山田:そうねえ。それまでに僕も何本も映画つくってましたからね、だから観客は意外なところで笑ったりするんだなというのは、ときどき経験してたね。

高崎:「寅次郎相合い傘」(第15作)の“メロン騒動”のくだりで、浅草の映画館と渋谷の映画館では笑い方が違ったという話をどこかで見た覚えがあります。みんながメロンを食べているときに寅さんが帰ってくる。「よし、そいじゃあ俺のメロンを出してくれるか」というと寅さんのメロンはなくて、みんなが自分のメロンを差し出すと寅さんが怒り出すという名シーンですが、渋谷ではメロンごときでそんなに騒いでと笑うのに、浅草だとなんで寅にメロンをとっておかないんだという反応の方が強かったと。

山田:かわいそうだと。

高崎:そういう繊細なところが笑いにはある。観客の反応って、監督でも気になるんですか?

山田:観客と一緒に映画を初めて見るときっていうのは、被告が判決を聞くような気持ちで、こんな嫌なことはないの(笑)。本当に、できることなら自分の映画の試写には行きたくないって感じですね、怖くて怖くて。それはね、どんな作家にも共通してるんじゃないかしら。小説家にも、舞台の演出家にも、みんな共通してるんじゃないかしらね。怖いのよ。

高崎:慣れたりはしないものなんですか。

山田:そうですね、慣れたりしちゃいけないものなんじゃないかな。

笑いをつくるということ

高崎卓馬氏
高崎卓馬氏

高崎:オランジーナのCMの企画をずっと一緒にやらせてもらいましたが、その時、監督が本当に永遠に「考え続ける」ことに驚きました。僕もしつこいタイプだと思っていたのですがそれよりもはるかに。

お昼にずっと一緒にいて、企画がある程度形になったのに、夕方に新しいことを思いついたと連絡があったり。「高崎くんは呼ぶとすぐ来るけど、君は暇なのかい?」とおっしゃってました(笑)。

山田:そう言った?

高崎:はい(笑)。監督は昔、雑誌のインタビューでこんなことをおっしゃっていました。

私が大事にしたいことは、自分の書く脚本、自分の演出についてつねに疑問を投げかけていく、ほんとうにこれでいいのか、間違っていないのかと疑いを持ち続ける精神です。大天才でもないかぎり、これが最高の表現で、これ以上のものはない、というものはけっしてつくりえないのです。しかし、こうでもない、こうでもないという気持ちで根気よく書き続けるうちに、すこしづつ絶対の表現に近づいていくということはたしかで、


長い時間打ち合わせをしていると、監督がふいに黙る時というのがよくあって。そういうとき僕は、このあとの晩御飯のこととか別のことを考えたりしちゃっているのですが、監督が「こういうのはどうだい」と再び話し始めて、あ!監督はずっと考え続けていたんだ!それなのに自分は…と恥ずかしくなって。

カメラマンの高羽(哲夫)さんも、シナリオ集の巻末にこんなことを書いていて、あ、一緒だ!と笑いました。

この人が考え始めたら、時間なんてケチなものは虚空の彼方へ飛んで行ってしまうようだ。突然話が中断し、およそ1時間の沈黙の後で、『だから、やっぱり…』というような接続詞でつながる

その後に高羽さんは、「最近はそうでもなくなったけどね」って書いてたんですが、それから30年くらいたってると思うんですが、全然変わってないですね。

山田:確かに、自分じゃ気がついてないけどね、若いときは何度もあった気がした。ふっと気がつくとね、スタッフがみんないなくなっちゃってるのよ(笑)。みんな外に出てタバコなんか吸ってんの。「どうしたんだい、みんな」って言ったら、「いや、あなたが考えてるから、みんな表に出てんですよ」と。そういうこと時々あったね。

じゃあ何考えてるんだってことなんだけども、僕はそんなにね、具体的に「こうだ」っていうようなイメージ、力強いイメージを、そういうのを浮かべる力はあんまりないような気がするんだよ。ただね、「そうじゃないな」ってことは言えるような気がするんだよね。自分で考えておいて、「違うな」と思う。

一番分かりやすいのは、現場ですよね。俳優がセリフ与えられて、しゃべって、動いてるじゃないの。違う、そうじゃない、じゃあどうすればいいってことを今度は考えないといけないのね。まあ、いろんな俳優さんに、「それは良くないから、何か考えられないか」っていうのを一緒に考えることがあって。

うまいアイデアがなくて苦しむこともあるけど、要するに、なんで違うんだ、じゃあ他に方法がないかと一緒に考えているうちに、何か思いついて、「あ、それならいいな」という時に、イメージが決まるわけですよね。だから、どうも「そうじゃない」というところから始まっているような気がしてしょうがないの。僕がつくるっていうのはね。

高崎:自分のイメージにすべてをはめていくのではなくて、選ぶ作業ということですか?

山田:まあ、そういうことかな。

高崎:渥美さんのお芝居でも、そういう時ってあるんですか?

山田:うん、それはいろんな俳優のタイプがありますからね。寅さんの御前様をやっている笠(智衆)さんは、何もしない、ただじっとしてるだけ(笑)。これがもう、すごい値打ちなんですよ。松の木が植わっているようにじっとしているなんて、普通の役者はできないよね。普通の人は何かするの、持たないから。だけど笠さんはそこに立ってくださいというと、黙っていつまでも立ってる人なの。

これは本当にすごい、だからすべての俳優が笠さんを理想とするわけだけど、普通はそうはいかないからいろんなことをやるわけでしょ。で、渥美さんという人は、両方ができるのね。アイデアを何か考えてほしいと言うと、じゃあこんなの、こんなのといろいろ。それがとても素晴らしかったりするから。今のはとてもいいと言って採用すると、そういうことはよくありましたよね。

高崎:“メロン騒動”のときに、最初に渥美さんがやった一連のお芝居に違和感を覚えたそうですね。

山田:寅さんがあるちょっとしたお金持ちと知り合いになって、メロンをもらったわけね。この映画をつくったのは、40年近く前、37、8年前かなあ。今でもメロンは高価なものだけどね、とにかく寅さんの家族としてはメロンはとても大事なもので、冷蔵庫に入れてあったんだけど。ある日浅丘ルリ子さんが扮するリリーが来たので、ちょうどいいからみんなで食べようというので、大騒ぎしてメロンを、6人いたから六等分して、みんなでおいしい、おいしいと食べ始めたところに寅が帰ってきちゃうの。

あれ、寅ちゃんの分ないよということになって、どうしようどうしよう、隠そうって言って慌てて隠したりなんかして(笑)。そこに寅が帰ってきて、おいメロン食ってんのかと。まあ、バレちゃってるのね。うまいか?っていうと、とても美味しい。じゃあ俺のを出してくれって言う。しょうがないから、さくらが、私のちょっとしか食べてないからどうぞと。博(前田吟さん)も、僕のを食べてくださいと言う。寅がちょっと待てと。なんで俺がお前たちの汚いツバキのついたメロンを食べないといけないんだ、俺のはどうしたんだってことから大騒ぎが始まるという、かなり長い芝居なんですが。最後はかなり大げんかになっちゃって、ついに寅が飛び出して行くまでいっちゃうんだけども。

それで何度か通して稽古をする。リハーサルってのを、ワンシーン通してやるんですよね。僕もかなりうまくできた本だなとは思ってんだけどね、なんだか違うんですよ。どこかピッタリこない。それでね、ちょっと休んでくれと言って、一生懸命考えてたわけ。今の芝居を思い浮かべながら。そして僕が気がついて、ハッと思ったのは、その本を書いたときに、僕の中にある思い出があって。

僕が小学生の頃にお客さんが来て、子どもだから早く寝なさいと寝かされる。夜中におしっこがしたいので階段降りてきて、座敷にまだお客さんがにぎやかに笑ってる、そーっとのぞくと、ケーキ食べてるんですよね(笑)。もちろん、何で俺がいない時!って文句言いたいんだけど、子どもでもそれは言えない。第一僕はもう寝たことになってるんだから。それでおしっこしながら、なんか涙が出てくるのね。それは何かというと、なんか自分が疎外されてるというかな、あの子には食べさせなくても、子どもはいいんだから食べちゃえ食べちゃえという、その疎外された感じが悲しくてね。お菓子もケーキも食べたいんだけど、疎外された感じが悲しくて涙が出てしょうがなかったという追憶があるから、そういう芝居を書いたんで。

で、今の渥美さんの芝居にはその悲しみはなかったなと思ったのね。メロン一つで大騒ぎしている男を面白く演じてるというかな、滑稽に演じてる。それで渥美さんを呼んでね、その時の僕の少年時代の思い出話をして。寅はね、もともとこの家では何かというと勘定に入れてもらえない人間なんだから、そういうことが典型的に表れたことが、彼にとっては実はとても悲しかったんじゃないかと。かと言って、俺は悲しいと言えないから、逆に怒って、文句になって、結果大げんかになったと。結果としてますます家族も含めて悲しくなるような、そういう物語なんだ。だから、寅はね、本当は悲しいんだと思うよ渥美さん、というふうに話したんですよね。

渥美さんはそういうところはすごくやっぱり、頭いいんだよね。あ、分かりましたと。じゃあもう一回テストしたら今度はピタッときたんですよ。それでいいと思ったのね。おかしかったし。もちろん僕は笑ったりなんかしながら、それでいい、それでいいと。そういうことがありましたね。

だから、やっぱり人間の真実の感情をちゃんと描くということが、それがつまり映画をつくるってことなんだろうと。おかしいものをつくるんじゃなくて、その状況における真実の感情がどのように表現されてるかということを、真剣に考えて真剣に演じる。そうすると、観客はああ、本当に人間ってそうだな、そういうことってあるよなって言ってみんな笑い出すということ。そういうことじゃないかっていうことを、そんな仕事をしながら改めて感じたりした、そんなことがありましたね。

高崎:そういうことあるなあ、という感情をつくるということが、笑いをつくる上で大事なことなんですね。

山田:そうです。そういうことってあるなあってことが僕にとっては、つまり共感ね。共感している時に人間はうれしくなっちゃうというのかな。それは、いろんな笑いがあると思いますよ。だけど僕にとっては、そう、そういうことってあるよなというのが、おかしさですね。

高崎:誰がやってもできるものじゃなくてその人がやるから面白いというものがいい。と監督に言われたことがあります。ギャグと喜劇の違いというか、面白味をどう生み出すかという。

山田:そうね、確かにそのどんな短い秒数であれね、そこに一瞬人間を垣間見たということが大事じゃないかと思いますよね。コンテでもってポンポンポンと見せるってことじゃなくてね。

高崎:監督と企画しているときに「お葬式でさあ」というアイデアが出てきて。監督はあまりCMをやられてないかと思うのですが、さすがにCMでなかなかお葬式を設定にしづらいんですが、そのとき僕は「CMじゃあ無理なんです」というのがとても嫌で。「そんなこともできないのかい、コマーシャルって」と言われたくなくて。監督のお葬式のアイデアより面白いアイデアを出すしかないと自分を追い詰めていきました。それで設定の面白さよりも、人間っぽさみたいなところにある笑いについて考えるようになったんです。改めて監督が考える笑いについて伺わせてください。さっきも共感によって引き出されるという話がありましたが。

山田:60年以上昔、新宿に、渋谷にもあったかな、「50円食堂」ってのがあったんですよ。なんでも50円。ショーウィンドウにだーっと並んでるのよ。ラーメンから玉子丼からカツ丼からうな丼まで並んでて全部50円。チャーハンから焼きそばからね。

だけど、僕なんかその50円の常連だったんだけど、つまり、どれが一番中身が充実してるかっていったら、当然値段からいってさ、そんなカツ丼の50円なんか良くない、大したことないって分かるわけでしょ。だから僕はいつもラーメンなんか食ってんだけど。

ある日の夜、かなり遅い時間にそこに行って、例によって僕は50円のラーメンを頼んで。僕の向かいに年配のおばさんが疲れた感じでどっこいしょと座ったのね。たぶん保険の勧誘なんかしているおばさんじゃないかな、大きな荷物持って。その人は、なんと、うな丼くださいと言ったのね。ラーメンが50円でうな丼が50円で食えるわけないのね(笑)。だから、このおばさんダメだなあ、素人だな、こんなとこに来て50円のうな丼食えるわけないじゃないか、しょうがないなあと思ってたの。だけどおばさんは明らかに期待してるわけ。うな丼食いたいと思って。

やがてそこに運ばれてきたのね、うな丼がポンと。おばさんは本当に幸せそうな顔して、ふたを開けたのね、そしたらこんな消しゴムみたいなうなぎが。途端におばさん、「あっ」って言ったのね(笑)。

ここで分かれるかなと思ったの。もし生意気な若者だったら、おばさんバカだな、あははと笑うだろう。もしお金持ちだったら、まあお気の毒に、そんなに安いものでなく私がちゃんとごちそうしますよって何百円もするうな丼を頼んでくれたかもしれない。もっと貧しければ、50円も出せない人にとってみれば、おばさん贅沢言っちゃいけないよってことになるかもしれない。

だけど、おばさんと生活レベルが同じだとね、ダメダメダメって笑えるのね。だいたい同じレベルの人間が失敗したら、バカだねおまえは、自分が貧しいことに気がつかないでと言って笑える。それがつまり僕にとっての、寅さん映画の笑いなんじゃないかってその時思ったことあったけどね。

高崎:「あっ」っていうのがたまらないですね。

山田:おかしい、あるいは悲しい、それともかわいそうだ。「あっ」て言うのがね。

高崎:違うエピソードなんですが、客人が来た時に盆栽を燃やすっていう教訓があって。薪の代わりに自分が大事にしていた盆栽を燃やしてお客をもてなすという、さもいい話があるんですが、山田さんの手にかかると、燃やしたくないけど燃やさなきゃいけない、その葛藤が面白いというか。盆栽やったことがなくても、その葛藤は分かる。

山田:そう。だから、さあ、うな重食べようと思ってそのイメージが膨らんでそれを見たときの絶望ね。

高崎:そういう小さい不幸って楽しい。

山田:愛の告白をしたら絶対彼女にいい返事をもらえると思って言ったら、残念でしたと言われてガックリするのと、ほとんど同じ問題なんだよね。それで、えっだめなの?俺こんなに好きだったのにと。それを笑えるのか、かわいそうにと思うのかって問題だよね。

だから「幸福の黄色いハンカチ」の頃、武田鉄矢がよく言ってたけど、高校生の頃、彼は博多の街で不良で威張ってたんだけど、年中恋愛をして、必ず失恋する。ちょうど失恋する頃に寅さんが封切りになるんですって。彼が博多の映画館に寅さんを見に行くと、寅さんがかわいそうで涙が出てしょうがない、僕は泣いたんですよと。

ある時ね、たしか若尾文子さんが出てるやつだったと思うんだけど、彼女が自分の夫を紹介するんで、寅がキョトンとしてたまたま手に持っていた餅つきの臼がコツンと頭に当たるという芝居で、それはおかしいんだけど、武田鉄矢の隣にいるアベックがケタケタ笑ったんで、もうたまり兼ねて、こら笑うなって言ったって。ここは泣くところなんだ!って言ったと。

それで鉄矢くんに言ったんだけど、それは君が失恋しているから悲しかったんだよと。もし君が彼女と二人で手なんかつないで映画を見たら、きっと君は笑うよと。だから同じ出来事でも同じ風景でも同じ音楽でも、それを見た、体験した人間の精神的な状況によって、それがおかしくもあり、悲しくもあったりするんだよと。だから一つの風景なり、物語なり、事件なりが受け取り手によっていろいろ違ってくるのは決して悪いことじゃない。そんなことを鉄矢くんと話したことがあったね。

高崎:全員が笑わなければいけない。全員が泣かなければいけない。ということはない。

山田:そうそうそう。だから美しい夕焼けが、失恋した男にとっては悲しいし、今恋が成就した男にとっては祝福するようである。あるいはモーツアルトの音楽にしても、ショパンのピアノにしてもそうだよね、祝福するように聞こえたり、悲しみを癒やすように聞こえたりするってことなんじゃないかな。

つくりつづける理由

山田洋次監督

高崎:映画をつくるとき、テーマというものはどのタイミングで決めるんですか?この映画でこれを伝えよう、という意思をどこで決めますか?

山田:うーん、それはね、難しくて面倒くさい問題ですね。そういうふうに考えがちなんだよ。だけどね、こういうテーマだって言葉で考えることと、映画の中身というのは、ほとんど関係ないことなんだよね。例えば、音楽や絵だったら一番分かりやすいでしょ。こういうテーマだってこの絵を見たって、そういうふうにテーマが分からなければしょうがないって。音楽だって同じですよね。

映画だって、じゃあそういうセリフを言えばいいんだということじゃない。そんな映画は大した映画じゃないってことになる。だから、まあ物語を考え、芝居を考え、一番ここんとこが俺にとって大事なとこなんだなということは、考えているうちに分かってくる。その中につまり、それをもし言葉に変えたら、僕の信じてること、あるいは僕が人に伝えたいことが、言葉で言えばこうだというものが、ちゃんと隠されているかどうかっていうのは、出来上がったものから想像するしかないよね。

高崎:そうか、そうですよね。伝えたいことを説明するために物語があるわけじゃない。

山田:そうそう、メッセージのために映画をつくるわけじゃないから。

高崎:よく映画の批評で「これは単なる娯楽作ではない」と書かれるのが一番嫌だとおっしゃってますが。

山田:そうね、うん。昔、若いときにアルバイトでよくいろんなテレビの脚本書いてたんだけど、あるテレビ局の同年輩のプロデューサーが、「山田さん、この作品はね、単なる青春ドラマにしたくないんです」と言ったときに、とても戸惑ったことがあるのね。「青春ドラマをつくりたいんだよ、俺は」というね。「単なる青春ドラマということは、青春ドラマを低く見てるのかい?」と言ったことがあるのね。だから、単なる娯楽作品ではないとかいうけど、本当に人を楽しませる、心から笑わせたりする、そういう映画やドラマをつくることがどんなに難しいかってことが、分かってない人しかそういう言葉は言えないんじゃないかな。

高崎:娯楽として本当に受け入れてもらえるものをつくる難しさを分かっていない。

山田:そう。娯楽って言葉をああだこうだって言うのは、あまり意味のあることじゃないと思うけど、ともあれ人を楽しませるっていうことは、とても大変なことだし、難しいことだし、そのために僕たちは一生をかけてるんじゃないかな。また大勢のつくり手たちがね。あなた方を含めて。

高崎:星新一さんが、人間は誰でも毒があってその毒を処理できなくなったときに笑いが必要になって、その毒を笑い飛ばしてくれるのが落語で、だから落語を愛する人間は健康だと。毒が抜けているという意味で。(立川)談志師匠も「落語は業の肯定」とおっしゃっていました。

山田:似たようなこと言ってるよね。星さんは、その前にずっとそれをおっしゃってるね。

高崎:監督の映画にも落語に通じるものを感じます。娯楽と人の関係、笑いと人の関係の見つめ方というか、生きるというどうしようもなく大変な作業をどんな角度からでも肯定してみせるというか。

生きているのはそんなに悪くないことなんだと観客がしみじみ思うような映画をつくりたい

とかなり前におっしゃっていましたがそれは今も変わりませんか?

山田:そうね。今度の第50作にもそういうセリフがあったでしょう。「生きてるうちに何度か『ああ生きててよかった』と思うことがある。そのことだけで人生は生きるに値するんだよ」なんてことを寅が言ったりしてるんだけど。基本的にはとても大変なことばかりなんだということを、まず肯定すべきじゃないでしょうかね。そんな人生の中でもときどきいいことがある。それは例えば今日映画見て楽しかった、この映画を見られてよかったなと。そういう映画をつくることができるとすれば、大いに満足すべきだなと僕は思いますよね。

高崎:そういうものを、つくり続けるモチベーションはどこから生まれるのでしょうか。

山田:小津安二郎が言った有名な言葉で、俺は豆腐屋だからね、せいぜいがんもどきくらいまではつくれるけど、とんかつなんかはつくれねえと。それはつまり、自分には自分の作風があるんだってことなんだけど。でも豆腐屋さんが一生懸命豆腐をつくる、それは彼の仕事でもある、それからやっぱりおいしい豆腐をつくり続けることの苦心というのがある、それをお客さんにおいしいと言われたときの喜びもある。そんなことと僕が映画をつくることとは、そんなに遠い開きはないような気がしますよ。

今度は今までとまったく違う物をつくってみんなを驚かせたいというふうには、あまり僕は思わないのね。特に寅さんはそれを徹底してるんですけど、毎回寅さんという映画を見に来るわけだから、突然全然違う、寅さんがやたら女にモテたとか、結婚して子どもができちゃった、とかそんな映画を見たいと思ってないわけ、客は。だからよくマンネリズムだって批判されたんだけど、僕はそういう批評を読むたびにそう思ってたのね。いつも同じ味を保ち続けるのは実はとても大変なことだよね。

それと、少しずつ変化をつけないといけない。前よりも良くなってないといけない。寅さんの場合はファンがいたから、ファンといつも力くらべみたいなところがあって。なんだこんなの前より落ちるぞと言われたらいけない。前より良くなったと常に言われ続けないといけない。しかも基本的にテイストは同じでないといけない。そういうことはとても大変なことなんだけど、それはつくり手にしか分からない。マンネリズムという批評を聞くとそんなふうに悔しい思いをしながら、お前たちにはわからないなんて一生懸命思ったものですよ。

高崎:寅さんを改めて振り返ると、構造的に大きな変化をしているときが何度かあります。前半でいうとマドンナが登場するシステムが生まれたり、寅次郎というキャラクターが安定すると、誰かに「自分のことを棚に上げて説教する」みたいな構図になり、そして後半になると満男の恋という軸が現れる。結果論かもしれませんが、家族という枠があるからここまでつながっている気がします。監督はどこまでの展望を想定していましたか?長く続くと確信したのはいつ頃でしょう。

山田:それはね、第1作の時はそれでおしまいにしようと思って。普通映画ってのはそうですよね、1本でおしまいだから。特に寅さんっていうのは会社がとても反対してた企画だから。今は違うけど、あの時代はテレビより映画が上だとみんな映画界の人は思ってたからね。テレビでやったものをまた映画でやったってしょうがないよということで、随分反対された企画を必死になって僕が実現したわけで。それが意外に成功したのでだんだん続くようになったんだけど。

ですから、最初はようやく反対を押し切ってつくって、第1作が終わってやれやれという感じで、この次何つくろうかな、あるいはもうダメかなと、あんまりおかしい映画じゃなかったからね。もしかしたらこれで監督終わりかなと思ったりなんかしてたんだけど、これがヒットしたら会社は掌を返すように続編をつくってくれないかってね。ちょっと僕もいい気持ちになってじゃあつくりましょうと。それで続編をつくったらこれも成績がよかったので、もう一回つくってくれというから、僕はもう降りますと。そんなにたくさん映画はつくれるもんじゃないと。

じゃあ僕は脚本を書きますから、他の監督、森崎(東)くんという友人の監督に撮ってもらって。正月映画だったっけな。それがまたヒットしたんで、もう1本っていうから、じゃあもう1回だけは僕が本書くって言って書いて、フジテレビの小林(俊一)くんというディレクターに撮ってもらって。二人とも僕の信頼している友人の監督だし、僕は脚本書いてキャスティングしてるんだから、ほとんど同じテイストのものができていいはずだったんだけど、実は見ると全然違うものができちゃってるのね。僕は日本料理をつくっているつもりができたものは中華料理くらいに違うわけ。さすがに僕も良い悪いじゃなくて、これでおしまいにするのはなんかちょっと気持ち悪いなと。だからもう1回だけ僕がつくろうと。それでもっておしまいにしようと。

そう会社に提案して、もうこれで終わりにしましょうってことで、第5作目の「望郷篇」をつくった。ところが、よしこれで終わりにする、これは僕の作品にするんだっていう思いが僕にはあったし、渥美さんもこれが最後という思いがあったのかな、これがとてもパワーのある映画になっちゃって、またバーンと客が入っちゃったから、やめるにやめられなくなって。そんないきさつがありますね。

高崎:「望郷篇」は見直すとやっぱりちょっと異質というか、異常なパワーがあります。

山田:そうでしょ。ちょっとシュールですらあるよね。

高崎:絵もすごいし。

山田:そうそう。

高崎:なんか今の寅さんとか、のちの寅さんとちょっと違いますよね。一つのロードムービーのようでもあり。

山田:ヤクザもんが出てくるしね。あそこにはね。

高崎:もともと人の死みたいなものがベースにあって。それをどう扱うかというのが、最初から最後までずっとある感じがちょっと特別な一本ですね。これがあったんでまた続けるという話に。

山田:そうなんです、ええ。

男はつらいよ 望郷篇
©1970松竹株式会社

 
渥美清という人

寅のアリア

高崎:「望郷篇」の頃に渥美さんがおっしゃっていたんですが、「私という独楽が山田さんという独楽にぶつかって、勢いよく転がり始めたような気がします」と。もともと渥美さんと山田監督の最初は、渥美さんが山田監督を脚本にぜひ入れてくれとオファーしたと伺いました。

山田:たぶんそうだろうと僕は想像するよね。フジテレビで、当時渥美さんは大変なコメディアンのスターだったから、渥美清主演シリーズというのがありまして、13回1クールなんだけど、その一つにフジテレビから僕のところに注文が来た。それはたぶん渥美さんが、山田さんという人に書かせろと言ったんじゃないかと思うのね。だから僕は渥美さんをキャスティングしてるんじゃなくて、僕は渥美さんに選ばれたんじゃないかと思ってますよ、今でも。

高崎:渥美さんと映画の中身をどうするかみたいな話はされていない?渥美さんはそういう話をあまりしない印象もありますが。

山田:なんていうかな、28年くらい付き合いながら、渥美さんの側からこんな女優さんでどうだとか、こんなストーリーにしたらどうだってことは1回も言ったことはないね。渥美さんはそういうことは言うべきではないと思ってるんじゃないかな。監督に対して。あるいはそういうことは言わない方が監督は良い仕事をするんだと思ってるんじゃないのかな。一切言ったことはないですよ。

高崎:この「望郷篇」の後から、地方ロケとマドンナが柱になって。そのシナリオハンティングにスタッフと回って、次どういう話にしようかと大体の打ち合わせをするんだと聞いたことがありますが、渥美さんはその時はいないんですか?

山田:いや、よく一緒でした。渥美さんが誘うんでね。どっか行きましょうよって言って。行き先も決めないで、なんとなく広島行きますかとか、とりあえず釧路に行きますかとか、そういう旅を何度もしたことがある。

高崎:そこで話しながら、じゃあ次の寅さんはここでこういうことをしたら面白いかもっていう話をするんですか?

山田:そういうこともあったかもしれないね。まあ仕事のために行くわけではないから。ただブラブラしようっていうことでね。

高崎:“寅のアリア”っていう寅さんの長口上が「望郷篇」以降、定番化しています。有名なもので言うとリリーのものがありますが。これは本当に名シーンですが、寅のアリアは台本にすでにあるんですか?それとも渥美さんのアドリブなんでしょうか。

山田:ある時期から登場するようになった。旅先でこんなことがあったんだよと寅が語る、家族みんなにね。それはあんまり彼の話が見事だから、触発されて僕がつくるようになった。一人であれだけのことを語って、観客にちゃんとイメージを湧かせることができるなんて名人の落語家クラス。だからあの人は噺家になってもきっと一流になったでしょうね。一流の噺家じゃなきゃ、あんな見事の語りはできないですよ。それにつられて毎回毎回このアリアが出てくるようになったのね。

だからこの場面、ラッシュというのがあるでしょ、撮り終えて、後でラッシュを見るんだけども、その時たまたま浅丘ルリ子さんも一緒に、私も見ていい?っていうからいいよと。このシーンだけやったんだけども、見終わったら彼女泣いてるのね。涙拭いてるの。

高崎:ああ…。リリーっていうのは浅丘さんそのものでもあるんですね。きっと。

山田:そう、そうですね(笑)。

高崎:リリーも最初は流れ着いてきた歌手でではなくて、確か牧場の農婦という設定だったそうですが。

山田:そうです、そういう設定で。浅丘ルリ子さんをいつかマドンナにと思っていたもんですからね。たまたまそういう話を一つ考えて、牧場の農婦として彼女は登場する。浅丘ルリ子は北海道が似合うんじゃないかと。一応そういうストーリーを考えて、シノプシスって僕必ず書くんですよね。で、それをルリ子さんに読んでもらったわけね。

それである日打ち合わせに行って、まあ彼女が登場することはもう決まってたんだけど、彼女が言うには、私農婦なのねと。まあそうなんだけども。私この腕で牛なんか引けるのかしらって。細い腕を見せるのね。その腕にチラチラと指輪やブレスレットが付いてて、それが妙に華やかで似合っててね。これじゃ無理だなと思ったのね。こんな人が農婦は無理だなと。

それで、分かった、2、3日考えさせてくれと言って。全部やめてみようと、あの人を生かすもっと別の方法があるはずだって考えたときに、前にロケハンで釧路に行ったことがあって。その頃の釧路はまだ漁が盛んで、今と違ってサンマの時期なんかは町中がサンマの匂いがプンプンするような、大変な景気のいい時でしたよね。

釧路の繁華街にはキャバレーってのがいくつもあって。キャバレーの入り口には今夜の出演者って花形スターが。まあ、釧路までそんな大スター来るわけないので(笑)、聞いたこともないような歌手の名前があちこち出てるんだけど、その中に「コロムビア専属・リリー松岡」という。

高崎:あ、本物のリリーがいたんですね(笑)。

山田:うん、本当にいたの(笑)。かわいい顔した写真なんかもあって。そんなの見ながらスタッフと一緒に、こんな子はどんなふうにして人生を過ごしてるんだろうと言ってたのよ。きっとお付きなんかいなくて一人でカバン持って売り込んだりしてるんじゃないのかなってね。それがピンときてね、あれなんだ。ああ、あれを浅丘ルリ子にやらせようと。それが始まり。

高崎:マドンナに合わせてそうやって話を変えるっていうのは、浅丘さんくらいですか?

山田:マドンナが最初に決まって、どんな役にしようかというのは何度もあったと思いますよ。

高崎:映画の中で地方がとても大切にされています。逆に言うと都心があまり描かれない。日本の原風景がそこにある気がしますが、それは意識的にされているのでしょうか。

山田:寅さんに大都会はあまり似合わないのよね。寅さんはもちろん下町育ちで、下町のゴタゴタとしたにぎやかなところで、少年の頃からテキヤに憧れて育ったという背景はあるんだけども。やっぱり寅さんは旅をする、寂しくなってなんとなく故郷のことを思いながらも、しかし俺は故郷に歓迎される人間じゃないんだから帰りたくても帰れないという思いでフラフラ旅をする。それはやっぱり昔の面影の残った古い日本の方が似合うんですよね。

だから柴又は一応、東京のごちゃごちゃした下町…正確には下町とは言えないかもしれないけど、でも下町的な雰囲気のたっぷり残ってる町。そこに憧れて彼はときどき帰っていく。

寅さんが田舎にいる、あるいは仕事をしている場合は、寅さんが泊まる旅館は必ず小っちゃな、御宿と書いてあるような小っちゃな和風の旅館で、今どきはないんだけども。その旅館に馴染みの女将さんがいたり、近所に馴染みの居酒屋、お姉ちゃんがいたりするという、そういう寅さんを取り巻くコミュニティーが必ずあって。その中で寅さんはけっこう楽しく暮らしたり過ごしたりするんだけども、今はそれが逆になりましたよね。今は東京暮らしの方がむしろそういうコミュニティーがあって。子ども食堂じゃないけども、新しくつくられたコミュニティーを持っていて、田舎住まいの人はみんな孤独で寂しいですよね。だから今寅さんはとてもつくりにくいですよね。

高崎:地方は人が減って空き家が多くなっていたりしますからね。渥美さんのエピソードで僕が好きなのが、新幹線のホームで、渥美さんがおばさんに「寅さん!」と声かけられて、「渥美さんによろしくね!」と言われたっていう話があります(笑)。車寅次郎と渥美清みたいな関係で語られる役者さんは他にいない気がします。ちょっと前ですけど、NHKでやっていた、最後の48作目のロケーション現場にテレビ局が珍しく入ったシチュエーションがありまして。

山田:そうそう、ありましたね。あの人は最後の頃は一切インタビューを受けなかったんですよ。だからあれはNHKだったんだけども、珍しくやりますと言ったんでね。むしろ僕たちはギョッとしたね。なんだろうと。

高崎:そのときの貴重な映像をごらんください。

<映像>
―渥美さんのコメント―

寅さんが、手を振り過ぎたのかな、愛想が良過ぎたのかな、うん。スーパーマンの撮影の時に見てた子どもたちが、飛べ、飛べ、早く飛べって言ったっていうけども、スーパーマンはやっぱり、2本の足で地面に立ってちゃいけないんだよね、うん。だから寅さんも、黙ってちゃいけないんでしょう。24時間手を振ってなきゃ。はっはっは。ご苦労さんなこったね。飛べ、飛べって言われても、スーパーマン飛べないもんね。針金で吊ってんだもんね

高崎:貴重です。

山田:そうだね、これは。本当に最後のインタビューじゃないかな。

高崎:沁みます。ずっと寅さんをやってた渥美さんの一言一言が。いつもの語り口調だからなおのこと。

山田:あの、これはね、つまり最後の47、48作あたりの渥美さんは、本当にC型肝炎でとてもだるいのよ。いつでも横になってたいというくらいだるい。その身体を押しての撮影だったので、僕なんかもとても心配したし、困ったな困ったなと思いながら撮影してたんだけど。

ロケーションもあるわけでしょ、そうすると大勢の観客が必ず来て、「寅さん」「渥美さん」なんてワーワー言う。それに対して、こんにちは、みなさんと手を振るのが、彼はもうつらかったのね。だから、もう私はそういうことを一切やめましたと。観客はさぞかし不愉快だと思うでしょうけどしょうがないんですよと、僕は彼に言われたことがあるの。

実際、関敬六という彼の友人が言ってたけど、岡山県でロケーションしたんだけど、橋のたもとに彼が座って出番を待ってると、川のほとりから寅さん、渥美さんってみんな手を振る。関敬六が、おい渥美、手くらい振ってやれよって言ったんですって。そしたら渥美はね、暗い顔で、関やん、もういいんだ、俺はもういいんだって言ったっていうんですよね。だから一切もう、そういうことには。やっぱりとても疲れることですから、笑顔をつくるっていうのは。

奄美大島でロケーションしたときも、その時は随分悪口も言われたのね。みんな渥美さんって言って行くんだけど、あの人は不機嫌に返事もしないと。去年皇太子様がいらしたときはにっこり手を振ってくれたのに、渥美さんは黙っているという(笑)。そういうことを言われたというのも聞いてたのね。でも渥美さんが亡くなった後で、その人たちがとっても悪いことを言いましたとみんなで謝ってたという話を僕は聞きました。とにかく、手を振ってにっこり笑いたいんだけど、それがとても疲れるんだから勘弁してほしい、申し訳ないという気持ちがある時の渥美さんだと思う。

高崎:そうですね。

山田:だからああいう言い方をね。飛べ飛べって言われるけど、飛べないんだよねって言って笑ってたのはとても悲しいね。この時の渥美さんはすでに、あと1年か2年というのは覚悟してたから。お医者さんにも宣告されてたんですって、後で奥さんに聞いたけど。

幸福の黄色いハンカチのポスターの秘密

山田洋次監督

高崎:「お帰り 寅さん」を見たときに、試写室で見ていて、冷静に考えると「望郷篇」もそうですが、初期の頃の寅さんを自分は大きなスクリーンで見てなかったって気がついたんです。

山田:ああー。

高崎:それこそ「相合傘」のメロン騒動とか、もちろん知ってはいるし何度も見てるんですが、でもやっぱり家でビデオで見てたりしていて。それが大きなスクリーンでそれを見ると新鮮な驚きがたくさんありました。くるまやのみんなのお芝居が見事なハーモニーというか、全員が実に細かくいい演技を無駄なくしている。おばちゃん(三崎千恵子さん)が目を大きくしたり、倍賞さんが何か言葉を飲み込んだり、大きいスクリーンで見ると全部が見える。改めてやっぱり大きいスクリーンで見た方が面白い。

山田:そうですね、ぜひ映画館で見てほしいと思う。50年前のね、第1作がけっこう延々と映ったりするんだけど、去年、最初にこの映画の撮影を始めるときは、昔のプリントがたぶん傷んでいるから、色を変えて、白黒やセピア色にするかとか、そういう風に考えたんです。カットバックは無理だろうと。

ところが今はやっぱり、僕はデジタルはそんなに賛成してなかったけども、今はデジタルでネガを全部リマスターすると、ほとんどニュープリントになっちゃうのね。だから、ああいうふうに50年後の作品から一挙にパーンと50年前の作品にカットバックできるんですよ。昔だったらあんなのできないよ。古いプリントは傷もつくし、いろいろ傷むからね。今は完全にリニューアルされてるから、全くニュープリントみたいに、平気でどんどんカットバックできるということは、やっぱりデジタルのおかげなんだなあと。この映画ができたのはね。そんなふうに思いますね。

高崎:僕らは映画のプロモーションとかよくやらせていただきますが、よくポスターなんかをつくるときに「幸福の黄色いハンカチ」の話をします。映画は(高倉)健さんが出所して戻ってきたときに、自分を受け入れてくれるなら黄色いハンカチを出しておく、というお話なんです。だから結末でOKかどうかをずっと楽しみにしながら見るんですが…よく考えるとすでに結末がポスターになっているという(笑)。見る前にオチが分かるという衝撃の(笑)。これは監督のプランなんでしょうか。

幸福の黄色いハンカチ
©1977松竹株式会社

山田:いや、それは随分もめたんですよ(笑)。最初僕のイメージでは、黄色いハンカチを背景にして健さん、倍賞さんがいるんだと、絶対そういうポスターになったと思ったら、宣伝部が最初提案したのは、全然黄色いハンカチ出さないのよ。どうしてって言ったら、だって結末を見せちゃったらネタバレになるでしょうというので。

高崎:普通はそう思います。

山田:僕はその時考えもしなかったの、そういうことを。それでとても腹が立ってきて(笑)。つまり、結末が分かってる映画、よくそういうのあるじゃないですか、結末最後まで言わないで。

高崎:はい、よくありますね。

山田:結末が分かってたら面白くなくなるような映画を僕はつくってるんじゃないと(笑)。いいんだ、そういう結末なんだと。だから良さそうじゃないかと見に行くってことだってあり得るだろうと。それで散々もめましてね。結果、こっちのを使ってもらったんですけど。

高崎:逆に監督の意向じゃないと実現しない気がします(笑)。落語もそうですよね、オチは分かっている。

山田:そう、その時そう言ったの。オチが分かっていて落語を聞くじゃないか。シェークスピアの芝居だってセリフまでちゃんと分かってて、みんな見に行くじゃないかと。

高崎:好きな映画は何度も見るし。でもよく考えるとやっぱりこれって…。

山田:「ネタバレ」なんて言葉はとてもひどい言葉だと思ってね。非常にバカにしてる。

高崎:すみません(笑)。そうですよね…気をつけなきゃ(笑)。「どこをどう切り出すと人に何が伝わるか」という話をするときに、このポスターの話をよくしています。


小津安二郎を見る黒澤明を見る山田洋次

高崎卓馬氏

高崎:どうしてもこのお話を聞きたいんですが、監督が松竹に入った時は、小津さんはまだ松竹にいらっしゃった?

山田:ええ、いました、いました。

高崎:かつ、東宝には黒澤明という怪物のような人がいて。淀川長治さんと監督の対談を読んだことがあるんですが、淀川さんが、山田さんが黒澤さんの自宅に行っているという話を聞いてすごく驚いていて。しかも映画の話をしているというのに、めちゃくちゃ嫉妬していて(笑)。自分が行くと批評家だからか映画の話は絶対にしてくれない。君にはそんなに映画の話をしているのか、って。実際よく黒澤さんのお宅には行かれていたんですか?

山田:ええ、僕は成城というところにいるんですが、黒澤さんも成城にいらしたからね。黒澤さんの晩年ですけど、「八月の狂詩曲」とか「まあだだよ」とかその前の作品かな、その頃から僕は割としょっちゅう黒澤さんの家に遊びにいったり、お正月に呼ばれたり。黒澤さんのスタッフと一緒にお正月、お酒を飲む会に加わったりしたことはよくあって。僕も、いわば長年の憧れの人でしたからね、行って黒澤さんと話ができるのはとてもうれしかったんだけども。小津さんとの話をしていいかな?

高崎:はい。

山田:今から60年も前ですよね、僕が松竹の撮影所に入った頃、まだ小津安二郎は健在で「彼岸花」とかそういう映画をつくっていた時代。最後はまあ「秋刀魚の味」で。当時の僕はまだ20代の、若い若い生意気な助監督だった時代で、僕の同じ世代の誰もが小津安二郎なんて全然認めなかったよね。つまり、単に古くさい映画でしかなかった。娘が嫁に行くのが悲しい、それだけでおしまいになるような映画のどこがいいんだと思ってたのね(笑)。

で、全然手法的にも、ローアングルで、ワイプとかフェードアウトとか、つまり映画的手法はまるで使わないでしょ。もちろんオーバーラップもしない。パンもしない、移動もしないんだからね。とにかくカット、カットを積み重ねてつくり上げていくというのが小津さん独特の映画で。当時の僕らにすればもうやたらに古くさいわけよ、それは。

で、黒澤明が「七人の侍」をつくったと。見に行くと、ものすごい500ミリの望遠レンズかなんかで馬が走るのをウワーッとパンしたり、複数のキャメラで大格闘シーンを撮ったりして、まあものすごいダイナミックで。もうこれじゃなきゃいけない、映画はこれなんだという、当時みんな圧倒的に黒澤明にみんな憧れたのね。

それに引き換え小津さんはなんだと、いつまでたったってダラダラと、夫婦はどうだとか兄弟はどうだとか(笑)。最後までそうでしたからね。ナンセンスと思ってたなぁ。それは大体の若者はそうだったんじゃないですか。でも僕はそういうものだと思うし、今でも若い大学生が小津さんの映画は素晴らしいと言うと、なんか、おまえ大丈夫かと言いたくなる(笑)。まずおまえの歳ではああいうものは否定していいんじゃないかという気持ちになったりもするんだけど。

それで僕自身が監督になってからですよね、だんだん、小津さんの映画ってすごいんだなと思うようになったし。それから、特に外国の人ですね、僕の寅さんなんか見て、小津の影響がある、なんて言うの。本当かなぁと思って(笑)。でも考えたら、僕の映画は常に家族が中心になっている。家族を中心に物語を考えるというのは、僕は松竹撮影所で育ったんだけど、当時松竹の映画には伝統としてあったんですね、ホームドラマというのは。その伝統の中心にいたのが小津安二郎で。

小津安二郎の映画ってのは、家族の微妙な心の触れ合いとか、気持ちの離れ方を、丁寧に丁寧に描きながら、一つの美の世界をつくり上げるというのが小津さんの世界。それがどんなにすごい技術かというのはね、分かり出したのは、僕も自分が監督になって何本も撮ってからなんですよ。小津さんってすごいなあと思い出して。

それからうんとしばらくして、黒澤さんと知り合いになって、おい、君も成城に遊びに来いよと言われて、黒澤さんの家に遊びに行ってたんだけど。ある日サンダル履きで、サンダル履きで行ける距離だったんでね、サンダル履きで黒澤さんの家に行って、2階に黒澤さんの書斎があるんだけど、門のところに立って、「黒澤さーん」と呼ぶと声が聞こえるんですよね。「おー」って言うので「山田です」と言うと、「入って来い」なんて。

高崎:へぇー。

山田:滅多に人はいない、普段お手伝いさんもいない。だから入りますって言ってガラガラ入っていって、2階の階段上がって、ひょいとドアを開けてみたら、黒澤さんはじーっとテレビ見てるのね。当時はまだビデオだったね。こっちに背中を向けてじーっと見てるんですよ。で、何見てるんだろうと思ったら、小津安二郎の「東京物語」のね、笠さんが映ってるのよ。その時、僕びっくりしたね。ああ、黒澤明が小津を見てるというのが(笑)。しばらく僕はそこにたたずんでいたんだけど、黒澤明という人はね、そういう時はものすごい集中力なの。本当にそこに近寄れないような、電波が出てるような、すごい集中力で見てるのね。だから僕はそばに近寄れないので、ずっと「東京物語」を見てました。

で、今日のことは一生忘れちゃいけないと。あの小津を、あの黒澤が、こんなに真剣に見ている、いったい今、黒澤さんは何を感じてるんだろう。もちろん黒澤さんはこの作品を何度も見てるに違いないんだけど、見ながらどんなことを思ってるんだろう。こういうユーモアは俺にはできないな、俺には出せないなと思ったりしてるんだろうかと。そんなことを思いながら、その日ずっと黒澤さんの背中を見ていたってことをいまだにまざまざと僕は覚えてます。黒澤さんはほんとに小津さんを尊敬していたね。

高崎:小津安二郎を見ている黒澤明を見ている山田洋次っていう(笑)。すごい構図になってるんですけど。

そろそろ時間なんですが、ここでもう一度だけ、「お帰り 寅さん」の予告を。

山田:さっきの?

高崎:山田さんのお話を聞いて、もう一回寅さんの予告を見ると、またちょっと違って見えるんじゃないかなと。

山田:ああ、そうか。どうですかね(笑)。

男はつらいよ お帰り 寅さん
©2019松竹株式会社

高崎:若い人にも見てもらいたいですね。寅さんをリアルタイムで知らない世代にも伝わるものがここにはあると思います。普遍的な、大切なものが。そして若い世代がこれをどんなふうに受け取るのかとても興味があります。

山田:もう40年以上前になっちゃうけど、寅さんがガーッと人気が出て、映画館で上映している頃、あの頃の映画館っていうのはホラ、今みたいに座席指定でもないし、いつでも入れたし。また2本立てかなんかで、ぎゅうぎゅう詰めで、お正月なんかは中に入れなくて。タバコも吸ったし、ビールは飲んだし、ワーワー叫びましたよね、みんなお客さんが。いいぞーとかなんとか。本当に映画館はにぎやかだったし、映画を見る人たちもなんか元気だったような気がするなあ。

今はとてもみんな行儀が良くなって、時間も決まってるし、おまけにほら、大声出したらいけませんなんて余計なことを(笑)。何言ってんだと僕は言いたいね。大きなお世話じゃないかと。おかしけりゃ笑えばいいじゃないかってね。隣の人とワーワー語り合えばいいじゃないかと。

高崎:注意ばっかりされますよね(笑)。

山田:そういうことが今の時代で、そういう時代だからこそ寅さんを見てほしい。寅さんなんか一番怒るんじゃないかなぁ。ああいうの聞いたら。何言ってやがるってことになる。

高崎:面白いなら声を出せと(笑)。

山田:つまんなきゃつまんないと言えって。金返せって言えばいいじゃない。

高崎:「お帰り 寅さん」は、何回か声出して笑っちゃいます。そして不思議なんですが、笑った瞬間に感情が緩むのか涙がこぼれるんです。

山田:そういうことあるね、笑いながら涙が出るってことあるねぇ。

高崎:山田監督、長い時間ありがとうございました。監督まだしゃべりたそうに(笑)。

山田:いやいや(笑)。

高崎卓馬氏、山田洋次監督


※後日、山田監督から小説の感想コメントをいただきました。


高崎君が愛情を込めて描いたあの時代の、
ヒリヒリするほど過激でパセティックで痛々しい青春群像。
それが現代の読者には胸をつかれるほど愛おしくてなつかしいのは何故だろうか。
山田洋次

オートリバース 高崎卓馬
オートリバース』(発行:中央公論新社)

スタートアップと大企業と協業する中で分かってきたこと

今回は、古くも新しいテーマであるスタートアップと大企業の関係性について。

電通グロースデザインユニット(以下、DGDU)は、スタートアップと大企業の双方と協業する機会があります。その中で、両者に大きな違いがあることが分かってきました。その違いがいわゆる大企業とスタートアップの間の「ストレス」を生んでいるのではないかと思います。

なぜストレスが生じているのか?そして、それにどう対応すればよいのか?DGDU的な手法で協業を進めた際の知見を共有することで、スタートアップと大企業の間に起こる「アレコレ」を解決する、ひとつの処方せんを提示できればと思います。

<目次>
あるある「スタートアップと大企業のすれ違い」
スタートアップのための「大企業担当者のトリセツ」
大企業担当者のためのスタートアップとの壁の溶かし方
 

 

あるある「スタートアップと大企業のすれ違い」

「スタートアップと大企業がうまく協業する」

これはスタートアップ、大企業ともに更なるイノベーションを生むために必要なことだと私自身思っていますし、両者からもそのような意見をよく聞きます。一方でその必要性を認識していても、現実的にうまく進めるのが難しいのは事実です。海外カンファレンスなどに参加しても頻繁に議論されている、国の内外を問わない永遠のテーマだと思います。

しかし、どちらに問題があるのでしょうか。スタートアップと大企業のコラボレーションについてのインタビューでは、下記のような結果が報告されています。

スタートアップと大企業、パートナーシップに不満がある
※「不満」または「やや不満の合計」
※BCGアンケート参照
https://www.bcg.com/ja-jp/publications/2019/corporate-startup-relationships-work-after-honeymoon-ends.aspx

つまり両者とも、協業にもやもや感を抱いているということ。「どちらにも何かしらの責任がある」ということだと思います。

私はさまざまな大企業の状況を見て、スタートアップの話を聞く中で、この両者の立ち位置と視座にこそ最大の違いがあると思いました。

大企業は長年の歴史、社員や取引先、株主も含めた多数のステークホルダーを背負い、継続的に事業を進めていかなければなりません。一方で、スタートアップはまだ歴史が浅く、経営者の意思決定の範疇で進められることが多いため、短い時間軸で大きな成功を目指しています。

以下、もう少しかみ砕いて、その違いを書きます。

スタートアップと大企業の協業イメージ
イラストレーション:電通 第1CRプランニング局 竹村優奈

① スピード感の違い
大体の場合、スタートアップは社長やそれに準じる存在が多くの権限を保有し、コミットメントレベルも高い状態で、フロントに出て意思決定を実施していくため、速いスピードで物事が決まっていきます。

それに対して、大企業はあくまで部署レベルの担当者であるため、どうしても周囲の承認が必要であったり、多数の案件を担当する中で、優先順位をつけざるを得なかったりします。この点で、両者が物事を進める時のスピード感や取り組みレベルに差が出てしまい、「大企業は遅い」という不満をよく聞きます。

② リスク感度の違い
一方で、大企業の他部署や上長への確認といったプロセスはリスクの低減や品質管理のために長年培われてきたプロセスだと思います。もちろん中には形骸化した不要なプロセスもありますが、長年培ってきたそのような仕組みを全部無意味と切り捨てるのも違うような気がします。

逆に、スタートアップには明確な進め方の手順がないケースが多く、NDA(機密保持契約)を結んでいても、ベンチャー村界隈にうっかり情報漏洩していることも。「ガバナンスや情報の管理体制は大丈夫なの?」と不安になり、情報を全て開示できない、といった大企業側の意見もよく聞きます。

③ 成果に関する認識の違い
これが最も大きな違いであり、本質的な問題だと思います。
もちろん大企業もスタートアップも中期的には企業の価値向上、売り上げや利益に対する貢献が目的です。しかし、大企業の担当者は部署や人にもよりますが、それ以上に面白い仕事をすること、いろんな人に会えること、評価が上がることなど、多様な仕事の成果やインセンティブで動いています。

一方で起業家は会社が自分そのものであり、企業価値を上げることが直接的な目的。それ以外は全て手段です。この成果への認識レベルに大きな違いがあることを理解せずに、共通の目的を見いだせないまま物事を進めて、うまくいかなくなった場面を私も多々目撃しました。

上記の三つの壁をクリアするためには、両者の歩み寄りが不可欠だと思います。
ここからは、大企業担当者の行動原理を私の経験を元に分析し、最適な歩み寄り方を紹介します。

スタートアップのための「大企業担当者のトリセツ」

① 企業名ではなく、担当してくれる人が最重要!
シード、アーリーのスタートアップの場合、協業の始まりは偶然の出会いで、軽い気持ちで進むことが多いのではないでしょうか。そういったノリから生まれた関係性を、具体的な「案件」にまで持っていけるかどうかは、大企業担当者側のモチベーションや、社内への説得力にかかっています。特に初期のフェーズで担当者の判断の範疇で収まる内容の場合、本人がやる気を持って対応すれば、たとえ大組織であってもある程度のスピード感を持って物事を進めることができます。

つまり、企業名で人を決めるよりは、人を指名するなど担当をしっかり見極める必要があるということだと思います。逆にある企業のAさんに言ったら進まなかったけど、Bさんに言ったら進んだというのもよくあることだと思いますし、その人の見極めが全てだと思います。

② 大企業とwin-winになる大きな絵柄を構想しよう!
さて、「何かしようぜ」と思い立ち、実際に何ができるのかを考えます。

大企業側からすると、特にシード期などのスタートアップとの協業で大企業のサイズに見合った収益を短期的に期待すると、投資などの高レバレッジ高リスクなやり方か、手離れの良いやり方をしないと難しいです。

そのため一番初めに短期的な視点ではなく、「3~5年の中期的に両社が大きくもうかる絵柄」を構想して協業の在り方を一緒に考えることが重要だと思っています。スタートアップだからといって、とりあえずスピード重視で何か始めてみるのはよいのですが、短期的な思考だけだと、うまく成果が出せず、途中で頓挫する例はよくあることだと思います。

また大企業の担当者も進めていくうちに成果が出ないと、社内の目が厳しくなりモチベーションが落ちてしまうことがあります。このような時に大きな構想に立ち戻って議論できると、大企業の担当者側も社内的に説明しやすくなると思います。

③ 進め方はあくまでスタートアップ流のやり方をメインに!
大企業も新規事業の必要性を感じてはいても事業の立ち上げ経験がなかったり、スピードを上げたくてもその感覚が分からず、なかなかペースを上げられないことが多いです。新しいビジネスを生んだり、成果を出していくためには、ベンチャー的なアジャイル&スピーディーに進めるやり方が良いことは肌感的に分かっています。

こういった「スタートアップのノウハウや進め方を知りたい、体感したい」という大企業側のニーズは一定程度あり、今までのやり方ではダメだという危機意識もあります。協業する際には大企業流のプロセスに対する理解はもちろん必要ですが、その点を踏まえた上で、できる限りフラットにコミュニケーションをとるなどスタートアップ流で進める。これにより成果の出る可能性が高まるというのが私の実感です。

大企業担当者のためのスタートアップとの壁の溶かし方

DGDUイメージ
イラストレーション:電通 第1CRプランニング局 竹村優奈

DGDUはスタートアップを支援する立場ではありますが、同時に大企業の担当者の立ち位置でもあり、協業をする中で当然ギャップは生まれます。
ここからは、DGDUがスタートアップ支援でギャップを生まないために工夫している点をご紹介します。

① 複数の職能を持つ「パーティ編成」で臨む
スタートアップといえど、社長は一企業のオーナー。企業の一担当者だけで向き合うには限界があります。そこで、DGDUでは複数の職能を持つメンバーによる「パーティ編成」でスタートアップと向き合うことにしました。多角的にプロとしての意見を言えるようにメンバー同士が相互補完して、はじめて圧倒的なコミットメントを持つ経営者と対等に向き合えます。

例えばダイレクト系の化粧品会社に対しては、メーカでのプロダクトマネージャー経験者やCRMのプロフェッショナル、コピーライター、アートディレクターといったように、複数の職能を持つ人を組み合わせたパーティを編成します。そのため、その場で専門知識をベースに多角的な論点から経験や情報を提供することで、最適な意思決定をサポートできるのです。

大手の会社の新規事業担当であれば、既存の部のメンバーの中だけでやろうとするのではなく、熱意や能力があると見込んだ人を巻き込みながら進めていくことが大事です。

② 参加者の興味やインセンティブと仕事を一致させる
例えば、電通の中にも「広告会社の行うプロモーションの範疇を超えたマーケティングをしたい」という人がいます。そこで、このような人をスタートアップの新商品のブランドマネージャーサポーターに任命することによって、高いモチベーションとコミットメントを引き出しています。

一緒に頑張る仲間をつくり、彼らの果たしたい責務や深めたい専門性の希望を反映しながら、やる気を引き出す体制をつくっています。

③ スタートアップとwin-winになれるビジネススキームを構築する
DGDUでは、一部に業績連動型レベニューシェアモデルを導入しています。スタートアップの経営者のリスクテイクに対して共感を示すことに加え、スタートアップの成長と一蓮托生のスタンスで支援を行うためです。このスキームを導入することで、これまで受発注の関係にとどまっていたクライアントと広告会社の関係を超えた共創関係を構築することもできるようになりました。

繰り返しになりますが、今後、更なるイノベーションを社会に生んでいくためには、スタートアップと大企業の協業が不可欠です。共に両社の視座や持ち味の違いを生かして協業していくことが成功のポイントだと思います。

上記で説明してきたナレッジは、ほんの一例です。興味を持たれた方は、お気軽に問い合わせください。今後もスタートアップサイド、大企業サイドの両面から新しいサービスを展開し、スタートアップ支援、大企業の新規事業を推進していきます。

お問い合わせ:dgdu@dentsu.co.jp