突然の出血にうつ状態……。更年期の現実ってどんなカンジ!?

フェムテックを、女性のみならず社会全体に関係するものとして捉え、さまざまな取り組みを推進する電通の社内横断組織「Femtech and BEYOND.」(フェムテックアンドビヨンド)。

この連載では、本組織の取り組みを通して、フェムテックの潮流の変化やそこに関わる意義などを多彩な企業・メディアなどと意見を交わしながら考えていきます。

今回は、「Femtech and BEYOND.」とアンファーの出会いから始まった、更年期をはじめとするホルモン変化とともに歩むための取り組み、「ホルモンハグプロジェクト」のメンバーが集まり座談会を実施。小学館の下河辺さやこ氏、ラキャルプの新井ミホ氏、アンファーの矢幡路子氏、電通Femtech and BEYOND.の石本藍子氏が、更年期のつらさ、課題、対処法、プロジェクトの今後などについて語り合いました。

ホルモンハグプロジェクトとは
業界業種の垣根を越えた有志が運営する、ホルモンバランス変化に伴う生理痛やPMS、男女双方の更年期などの健康課題に向き合うプロジェクトです。「Femtech and BEYOND.」とアンファーが中心となり2025年3月に活動をスタートし、同年5月22日に電通ホールでメディア向け説明会を開催しました。活動を応援していただける方、協賛していただけるブランド・メーカーさまを随時募集しています。

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(左から)アンファー 矢幡路子氏、小学館 下河辺さやこ氏、ラキャルプ新井ミホ氏、電通 石本藍子氏

電通とアンファーの出会いによって、「ホルモンハグ プロジェクト」が始動

石本:「ホルモンハグ プロジェクト」は、今年3月に立ち上がり、以降、有志のインフルエンサーの皆さんや、フェムテック商品を扱う企業の方々などを巻き込みながら、少しずつ、更年期に関する情報を発信し、議論の機運を醸成する活動を行ってきました。

プロジェクト立ち上げのきっかけは、私が、たまたまフェムテック系のイベントを見に行って、アンファーさんに出会ったこと。名刺交換をして立ち話をしていたら、どんどん女性の課題についての話が盛り上がっていったんですよね。すぐに意気投合し、なにか一緒に新しいことをやりたいですねということになりました。

矢幡:アンファーというと男性用の薄毛ケア製品を扱う会社だと思われがちなんですが、実はバックボーンに医療がありまして……。大学機関などと連携しながら、予防医学などの観点に基づいた幅広い商品開発をしているんですよ。女性向けの製品も多く扱っており、例えばまつ毛美容液や女性向けのヘアケア用品、デリケートゾーンケア用品なども販売しています。

私はアンファーで女性向けブランドのプロモーションを担当しており、長年、女性の健康課題や美容課題に向き合ってきました。そんななかで、自然と、「生涯にわたって健康で美しくいるにはどうしたらよいか」「輝きながら年齢を重ねること──アクティブ・エイジングに必要なことは何か」といったことを考えるようになったんです。

そんなときに、偶然、イベント出展で石本さんに出会って、「Femtech and BEYOND.」の活動について知りました。すぐに「面白い!」と感じて、ご一緒したいとお伝えしたことを覚えています。

矢幡氏

ファッションエディターの大草直子さんと話しが盛り上がり、その後小学館の下河辺さやこさんをご紹介いただきました。このようにだんだんネットワークが広がっていき、ラキャルプを経営されている新井ミホさん、瀧渕絵美さんが加わってくださるようになって。

石本:みんなでざっくばらんに話をするうちに、「実は更年期がとてもつらかった」「更年期について悩みを抱える女性は多いはず。フェムテックが浸透してきた今だからこそ、アクションを起こそう!」ということになったんですよね。

不正出血にうつ症状。つらい更年期と共存できるようになり人生が変わった

石本:プロジェクトの立ち上げ時に皆さんからお聞きして驚いたのが、「更年期に関するエピソード」です。私はまだ更年期を経験していないため、“それ”がどんなものなのかイマイチ想像しきれないところがあったんです。ですから、実際に更年期を経験し、ともに生きていらっしゃる先輩たちのお話をお聞きして、「そんなことが起こるのか」「こんなふうにざっくばらんに話していいものなんだな」「困難だけでなく、よい変化をもたらすものでもあるんだな」と、いろいろな点で気付きがありました。

せっかくなので、今日、この場でも、少し皆さんの更年期エピソードをお聞きできたらと思うのですが……。まずは新井さんから、いかがでしょうか?

新井:私は50歳ぐらいになって不調を自覚するようになりました。更年期に差し掛かるまではとても健康で、働くことに意欲があり、夢も希望もたくさんあって、とにかくよく動くタイプでした。2012年にオーガニックライフ専門の美容PR会社を設立し、以降は、理想に燃えて走り続けてきたように思います。

ところが50歳になって、急に、体と心が動かなくなってしまったんです。眠れないし、起きられないし、肌はやたらと乾燥するし、不正出血は止まらないし。働きたくても働けない、会社の仲間や友人と仲よくしたくても仲よくできない……。肉体と魂のバランスがすべて崩れてしまい、うつ状態になってしまいました。

新井氏

「これはなんだ?」ということで更年期に気付き、それからは、本当にいろいろな治療にトライしました。まずはホルモン値を測る検査をして、漢方を始めて、食事・運動・睡眠といった生活習慣を見直し、瞑想なども行って。それでも改善せず、最終的にナチュラルホルモンを補充する治療法にたどり着き、現在は、以前と変わらないパフォーマンスで仕事ができています。

新井氏グラフ

不調の渦中にいたときはただただつらく感じていたのですが、今振り返ると、更年期は“自分の体と心を改革する時期”だったように思うんですよね。変化に気付き、立ち止まり、改めて自分と向き合って、そしてアップデートする時間。不調を抱える女性社員の気持ちもわかるようになりましたし、女性がより長くいきいきと働けるよう会社の環境や制度を見直すきっかけにもなりました。

更年期というとネガティブなイメージを持つ方も多いと思うのですが、更年期は決してつらいだけではない、意味のあるもの。実際に経験してみて、人生100年時代を健やかに生きるためのライフイベントなのだと思うようになりました。

えっ、職場のあの先輩もこの先輩も生理がないの!? 更年期の衝撃事実

石本:下河辺さんは、お若いときから“ホルモンの影響力”を感じることが多かったとお聞きしています。どのようにホルモンとかかわり、今に至っているのでしょうか?

下河辺:初めてホルモンのすごさを実感したのが、妊娠・出産のとき。若いころからファッション誌で女性の健康に関するページを担当していたため、ホルモンについてある程度の知識を持っているつもりでいたのですが、実際に自分が出産してみて、産んだ途端に涙は出るわ、肌は荒れるわ、太るわ、むくむわで、「ホルモンってとんでもない影響力を持つものなんだな……」と改めて実感してことを覚えています。

下河辺氏

その後、仕事で、ゲイの方々が登場する小説や映画に関わることになったのですが、ここでも、“ホルモンのすごさ”を感じました。徐々にネットワークが広がりLGBTQの方のお話を聞く機会が増えました。なかにはホルモン治療を受けている方がいらっしゃるのですが、私が話を聞いた方は「男性ホルモンを補充しはじめたら、ヒゲが生えるだけでなく性欲も強くなった」「男性が浮気をする気持ちがわかるようになった」など“ホルモンによる体の変化”に心から驚いていらっしゃって。あちらこちらでそのような話を耳にして、「やっぱりホルモンって強烈なんだなあ」と思いました。振り返ると、なんだかずっと、ホルモンのすごさを感じながら生きてきたような気がします(笑)。

そうこうするうちに45歳を過ぎて、急に、自分自身の生理の様子が変わってきたんですよね。突然、すごく長く不正出血が続いたかと思ったら、そのあとは3カ月ぐらい生理がスキップしてしまったり、かと思ったら、またドバッと血が出たり。最初は子宮がんかもしれないということでがん検査をしたのですが、がんではないとわかり、医師から「更年期では」と指摘されました。

下河辺氏グラフ

そのときに知ってびっくりしたのが、「閉経の平均年齢は50歳前後である」(※)という事実。知識としてはうっすら理解していたのですが、自分ゴトとしてとらえたことがなかったため、「えっ!?ウソでしょ!あと2、3年しかないじゃん!!」と驚きました。同時に、「職場のあの先輩もこの先輩も、もう生理ないの!?」「みんな更年期だったってこと!?」と衝撃を受けてしまって。

※参考:更年期に負けたくない!更年期症状に直面する令和のアラフィフ女性たち 


美容・ファッション業界だからというのもあるかもしれませんが、みんな誰にも言わずに人知れず闘い、我慢していたということなんですよね。いつもおしゃれでさっそうとしているけれど、実は更年期による心身の不調を抱えながら、会社ではバリバリ仕事をして、家庭では子育てや介護に向き合っている。これはものすごくしんどいことだと。とても大きな社会課題だと思いました。

幸いにも私には知識やサポートが得られる環境があったので、すぐに友人知人に相談して、更年期の症状がひどくなる前にホルモン補充療法で対策することができたのですが、「知らない」「話せない」状況だと、ただただ我慢をすることになってしまう。だからこそ、正しい情報を発信すること、話せる場を作ることが大事だと思い、ホルモンハグ プロジェクトに賛同しました。

更年期は隠れ社会課題。対処法と、今後の見通しとは?

石本:お話を聞いて、新井さんや下河辺さん、そして先日行われたホルモンハグのメディア向け説明会に登壇してくださった大草さんや瀧渕さんなど、アクティブでキラキラした女性たちが、こんなにも更年期に悩んでいたということを知って衝撃を受けました……。下河辺さんがおっしゃるように、まさに“隠れ社会課題”ですよね。

下河辺:そう思います。昔は働く女性が少なかったから表面化しにくかったけれど、今は管理職になる女性や定年まで働く女性が多い時代です。働く女性が増えたからこそ、仕事と更年期に悩む女性が増え、外に出るからこそ、薄毛など見た目の問題も気にする人が増えるようになったのだと思います。しかも更年期の時期って、ちょうど、子どもの反抗期や親の介護が重なる時期なんですよね。更年期の悩みを抱えながら、子育ても、家事も、介護も、責任ある仕事や昇進もしなければならない。これが大変でないわけがありません。たぶん女性活躍推進法によって仕事における活躍をより強く意識するようになった私たちの世代が、仕事と家庭と更年期に悩みながらキャリアを切り開く、いわゆるパイオニアのような世代なんだと思います。

石本:そう考えるといろいろ重なっているし、ロールモデルはいないしで、すごく過酷ですよね……。こうしたお話をお聞きして、「更年期ってとてもじゃないけど一人で乗り越えられるものじゃないんだな」と。「共存して、抱きしめて、乗りこなすものなんだな」と感じました。乗りこなすためには、どのようなことが必要だと思いますか?

石本氏

下河辺:私は知識があったことで早めに医療につながれて対処できたので、まずはきちんとした知識を持っていただくことが大事だと思っています。あとは我慢しないこと。更年期だと思っていたら、実はがんなど別の病気だったということも少なくありません。「どうせ更年期だから」「我慢すればなんとかなる」と思わず、更年期を治療するためにも、大きな病気を未然に防ぐためにも、おかしいと思ったら、早めに婦人科にかかっていただきたいなと思います。

新井:私は怖がらずにポジティブに受け止めていただきたいなと思っています。つらいことも多いのですが、先ほども申し上げた通り、更年期にはよい変化もたくさんあります。自分の生活を見直し、いらないものを捨て、よりよく人生の後半戦を生きるすべを身に付けるための、人生の更新期のようなものなのかなって。いい気付きがいっぱいあり、悟りが開けます(笑)。

矢幡:あとは話せる環境を作ることも大切ですよね。いまだに「更年期って恥ずかしい」「人に言うもんじゃない」と、一人で抱えていらっしゃる方も多いと思います。そのもやもやした気持ちを誰かと分かち合えば、きっと心が軽くなると思うんです。対処法が見つかることもあるでしょうし、後輩たちに知識や経験を共有することにもつながりますよね。

新井:話しにくい場合は、ズバリ更年期ではなく、デリケートゾーンのケアや腸活の話など、周辺の話題から入るといいかもしれません。相手が男性の場合は男性更年期や、パートナーの不調をとっかかりにしてもよいと思います。

下河辺:それはとてもいいですね。男性更年期への理解が深まれば、自然と女性の更年期のこともわかるようになると思うので。

矢幡:ほかに、セミナーなんかもいいですよね。弊社の場合は、日ごろから、予防医学の観点でいろいろなセミナーを行っているため、更年期のセミナーもすんなりと受け入れられているように感じます。医師など専門家の視点から、ファクトベースで語っていくと、特に男性は抵抗感なく受け入れられるように思います。

石本:私たち「ホルモンハグ プロジェクト」の使命は、更年期をはじめとするホルモンに関する正しい情報を発信し、つながって、共感し、安心できる場を作ること。これからも、矢幡さん、新井さん、下河辺さんをはじめとする多くのインフルエンサーや専門家の方々と、全国に、話せる場を作っていきたいと思っています。

同時に、更年期に関するビジネスも盛り上げていきたいですね。グローバルではいろいろなメノポーズ(更年期)プロダクトが出ているのですが、日本のサービスや商品はまだまだ少ない状態です。あったとしても、点在していると言いますか……。参入企業が、それぞれで活動しており、あまり大きな動きになっていないような気がします。

新井:わかります。更年期って、点で対処しても解決しないんですよね。先述したように、運動をして、食生活を変えて、漢方を飲んで、病院に行って血液検査して、ホルモン療法についても調べたり。ものすごくやることが多くて忙しいんです。

下河辺:確かに。お金も時間もかかるし、知識も必要だしで、すごく複合的な課題解決が必要だと感じます。

矢幡:だからこの領域は、一社でなにかをやる感じじゃないと思うんです。企業の垣根を越えて、力を合わせて、新しいプラットフォームを作り、面で取り組む必要がある。今までのやり方とは違うやり方をする必要があると思っています。

石本:ホルモンハグのハグには、「抱きしめる」以外に、ハブですとか、人をつなぐみたいな意味も込めています。いろいろな人や企業をつないで、課題を解決するビジネスをきちんと作っていきたい。日本におけるメノポーズ・メノテック分野は、今、ブルーオーシャンの状態です。そこでしっかりと存在感を発揮し、女性が長く快適に暮らすための環境を整えていきたいと思っています。

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パナソニック オートモーティブシステムズ永易社長×dentsu BX 「移ごこちデザイン」カンパニーとして描くモビリティの未来

あらゆるバイアスを壊し、自らアーキテクト(全体設計者)として社内の事業変革を遂行しているトップエグゼクティブの方々に話を聞きながら、その神髄に迫る本連載。

前編では、パナソニック オートモーティブシステムズ代表取締役 社長執行役員の永易正吏氏に、ビジョンである世界一の「移ごこちデザイン」カンパニー策定の経緯や背景をお話しいただきました。後編では引き続き、永易社長にビジョン策定を経て考えるモビリティの未来や、事業変革について、電通の田幸佑一朗氏と小林麻里絵氏が伺います。

前編:パナソニック オートモーティブシステムズ永易社長×dentsu BX 車載事業会社から「移ごこちデザイン」カンパニーへの変革

永易氏、田幸氏、小林氏
(左から)電通 田幸佑一朗氏、小林麻里絵氏、パナソニック オートモーティブシステムズ 永易正吏社長

クルマの「知能化×多様化」時代における「移ごこちデザイン」とは?

小林:世界一の「移ごこちデザイン」カンパニーというビジョンに加え、ステートメントも作成しました。特に「居ごこちや着ごこちや寝ごこちのように、「移ごこち」のよい世の中にしたい。」という冒頭の文章は永易さんからも好評をいただき、「世の中に対してこれぐらい大きな価値を届けていきたい」とおっしゃっていただいたのが印象的でした。

ステートメント

田幸:こうしたエンドユーザーを表現する言葉を、BtoBの会社が掲げるのはインパクトがありますよね。これからのモビリティ業界をカーメーカーの皆さんと一緒にリードしていく、一緒になってモビリティの未来をつくっていくという意思の表れにも受け取れると思います。

永易:数年前から私たちはBtoBだけど、BtoBtoCでもあると考えていました。C、つまりエンドユーザーをわかろうとしないと、新たな価値を生み出すことはできない。メーカーの要望に忠実に対応するだけではダメだと思ったんです。EVやSDV(Software Defined Vehicle)など、クルマの技術革新が目覚ましい中で、カーメーカーもどのようにオリジナルの価値をつくり、差別化していくか悩まれています。これからはカーメーカーの「共創パートナー」として、一緒に答えを見つけていくような関係を築けないと、この業界では生き残れないでしょう。

田幸:モビリティ業界でトピックとなっている、「クルマの知能化、多様化」にもつながるお話だと感じました。知能化×多様化という文脈の中で、御社としてはどのように「移ごこち」をデザインしていこうとお考えでしょうか。

永易:今後「移ごこち」をつくっていくのは、ソフトウエアやAIの技術だと思います。知能化の中心にあるのがSDV、つまりスマートフォンのように、ソフトウエアのアップデートで機能を進化させていくクルマでしょう。そして、SDVを実現するために不可欠なのが、HPC(High Performance Computing)です。これは、膨大な情報をリアルタイムで処理したり、ユーザーの状態を分析して環境を自動で整えたりといった、高度な判断や制御を支える頭脳の役割を担う技術です。

永易氏

当社にはテレビや携帯等の開発経験者が多数所属しており、ソフト開発において大きな強みがあります。こうした卓越した技術を生かし、HPC事業にさらに注力していきます。私たちは理想的なSDVを実現していく存在にならねばなりませんし、僕はなれると思っていますからね。

そしてもう一つ、多様化に通じる部分が当社のイノベーションである「キャビンUX」です。私たちはこれまで、人の状態を読み取るセンサや、環境を調整するデバイスを開発してきました。これからはそれらをもっと高度につなぎ、人の気持ちや状態に合わせて動くような技術へと進化させたいと考えています。例えば顔の表情や血流などから感情を読み取り、それに合わせて光や音、空調などを自動で調整する。そうすることで、一人ひとりに合った快適な「移ごこち」を届けられるようになると思います。

つまり、ソフトウエアやAIでクルマの「知能化」を進めながら、人に合わせて変化する「多様化」も実現していく。その両方を支える技術を、私たちはすでに磨いてきていると自負していますし、今後も強化していくつもりです。

経営の筋肉質化やDEIの推進 永易社長が進める変革の取り組み

田幸:多様性の話にも通じると思いますが、永易社長自らDEI(Diversity・Equity・Inclusion)の推進を担当されていますよね。

永易:そうですね。社長に就任したタイミングで、自らDEIの担当を引き受けました。まずは自分自身の意識を率先して変革し、会社、そして業界に変革のきっかけを生み出したかったんです。社内をあらためて見渡すと、業界柄かやはり男性が多く、考え方や価値観もまだまだ画一的だと感じています。僕は、同じ考えの人が集まる会社では、新しい価値は生まれないと思っています。性別・国籍・キャリア・ライフスタイルなど、多様な背景を持つ人たちが集まり、挑戦できる環境こそが新しい発想や事業につながっていくはずです。

小林:先日「ここちよさの深掘り」というテーマで永易さんとビジュアルセッションを実施しました。その際、「ここちよさは世代や性別、人それぞれの価値観などによって感じ方が全く違うかもしれない」というお話になり、若手の社員の方々にも「ここちよさ」に関するセッションを実施させていただきましたよね。すると、本当に人それぞれで違いがあって。適度な緊張感がここちよいという方もいれば、フェスのようなにぎやかさが好きな方、一人の時間が大切な方など、人の数だけここちよさがありました。やはり御社がつくる「移ごこち」も画一の価値観でつくられたものではなく、多様であることが理想的とお話ししたことが印象に残っています。社員の多様性を大切にするという視点は、永易さんが先ほどお話しされていた、“一人ひとりに合った「移ごこち」を提供する”ことにつながるように思いました。

小林氏

永易:多様性を重視することは、いくら経営が変わろうと続けていかなければいけないことだと思っています。トップが変わったら文化も変わるというのはよくないですよね。

田幸:パナソニックグループからカーブアウトされていますが、それでも創業者は変わらないということは、従業員の皆さんも矜持として持ち続けていらっしゃるように感じていました。不変のものを大切にしながらも変えていくべきところは変えていく。まさに御社は変革期にあるように思います。

私が永易社長の変革で印象的だったのが「経営の筋肉質化」というキーワードのもと、事業部制を廃止されたことです。100年近く本社グループが培ってきた在り方を変えていくのは相当な決断だったと思いますが、どのような背景があったのでしょうか。

永易:もともと我々の事業は、お客さまごとに地域でしっかり納入していく必要があることから、地域軸でグローバル展開してきました。ただ、その一方で、長年「ジャパンセントリック(日本中心)」な体制が残っていたのも事実です。

これまでの「グローバル事業部軸経営」は、事業部長が事業単位で意思決定を行う形で、一気通貫で動きやすいというメリットがありました。しかし、オペレーション面では縦割りになりやすく、特にサプライチェーンの連携や生産性の面で非効率が生じていたのも事実です。また、お客さまにとって社内の部署の違いは関係なく、「会社としてどう対応してくれるか」が重要です。組織もお客さま目線に立ち返った在り方が必要なのではと感じ、地域軸での経営体制へと大きく舵を切りました。まだ始まったばかりで未知数な面ももちろんありますが、私たちにとって大きな変化点になったと思います。

田幸:まさに「移ごこちデザイン」への考え方と同じですね。永易さんは「ユーザー視点」で物事を考え、変革を起こしていらっしゃるのだと思いました。

すべての人がストレスフリーで移動し、QOLが上がる未来をモビリティでつくる

小林:永易社長が見つめるモビリティの未来についておうかがいしたいと思います。永易さんは、“一つ一つの「移ごこち」が、社会課題と密接に関わっている”とお話しされています。特に永易さんが重要と捉えている、移動にまつわる社会課題にはどのようなものがあるのでしょうか。

永易:私が目指すモビリティの未来は、すべての人がストレスフリーで移動できる社会をつくることです。そのために特に重要視しているのは、高齢化などによる「移動弱者」をどう救うかです。移動が困難になると、生活の満足度や幸福度が下がってしまいます。「行きたいときに、行きたい場所へ、ストレスなく移動できること」が非常に大切ですし、そんな世界を目指したいと思っています。

また、今注目されている「地方創生」もモビリティの活性化と深く関わっており、自動運転の導入や過疎地での移動支援は、まさにそのカギを握っています。ただし、法制度や安全性といったハードルも多く、そうした障壁をどう乗り越えていくかが重要です。こうした課題を私たちだけで解決することは難しいので、多様な会社と連携しながら取り組んでいきたいですね。

多くの課題がある一方で、モビリティには「楽しさ」を生み出す力もあると感じています。例えば、スポーツ観戦や観光といった非日常の体験を支える移動の価値。それから最近気になっているのが「推し活」です。地方で行われるコンサートなどのイベントと移動とを絡めて何かできるのではないか。これは地方創生にもつながると思いますし、新しい事業として挑戦していきたいと考えています。社会課題の解決と、人々の心を動かす体験の両方に貢献していきたいです。

田幸:これから先、さらに高齢化が加速する中で必要不可欠な取り組みですよね。御社が描くモビリティの未来を実現するために、会社として大切にしていることや社員の皆さんに伝えていることはありますか?

田幸氏

永易:私たちの最大の強みは人です。これは自信をもって言えます。社員一人一人がもっと挑戦できるようになれば、さらに強い会社になっていくはずです。つまり、当社の進化は、社員が挑戦しやすいカルチャーをつくれるかどうかにかかっているともいえます。

そのために大切にしているのは、「ゼロベースで考える」ことです。この思考ができれば、過去のやり方にとらわれず、今やっていることが本当に必要かという視点のもと、これまでと違った判断軸が出てくると思うからです。

もう一つ「失敗を許容するカルチャー」をつくることも重視しています。特に、失敗したときに「なぜ」は絶対に聞かないようにと繰り返し伝えています。「なぜ」ではなく「今後失敗しないためにどうするか」を建設的に考えられる風土をつくる。社員が失敗を恐れることなく、安心してトライできる環境を育てていきたいと思っています。そのうえで、社員には「健全な危機感」を持つようにと伝えています。危機感ばかりをあおると人は萎縮してしまいますが、健全な危機感を持つことは挑戦するうえでも大事な基盤になるはずです。

小林:個人的な思いになりますが、御社の皆さんはとても謙虚でいらっしゃいますし、自社の価値をことさら強くはアピールされない印象もあります。でも、実際にお話をうかがうと、とても独自性のある事業を手掛けられていて、細やかなインサイトの捉え方や、ユニークなソリューションなど、思わず誰かに伝えたくなるようなお話ばかりです。また、社員の方々のプロフェッショナリズムやお人柄に、感銘を受ける場面もたくさんあります。

だからこそ御社がすでにお持ちの価値を、外からの視点で引き出し、言葉にして世の中に伝えるお手伝いができればと思っています。

田幸:御社は今、大きな変革の真っただ中にあります。私たちが貢献できるのは、コミュニケーションやクリエイティブといった人の心に届ける力を通じて、御社の変革をドライブすることだと考えています。皆さまの思いや意志を「戦略」や「施策」という形で可視化する。それを多様なステークホルダーに浸透させていくことで、期待を生み出し熱量を高め、変革を駆動させる原動力をつくる。そんな存在でありたいと思っています。

永易:ありがとうございます。これまでの取り組みを振り返ると、「移ごこちデザイン」という言葉を生み出していただいたことには、感謝の思いしかありません。ワークショップをはじめ、さまざまなプロセスを通じて、私たちは“ともに価値をつくっている”という実感を強く持っています。だからこそ、これからも変わらぬ共創パートナーとして、私たちの変革を多方面から支え、力を貸していただけたら心強いです。

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販売支援向けBPaaS、注目サービス5選…顧客管理・受注処理・営業進捗管理の効率を向上

●この記事のポイント
・販売支援向けBPaaSは、販売業務全体の効率化と高度化を実現す業務支援ソリューション
・必要な機能をオンデマンドで利用可能にするため、コスト面・運用面でのハードルを大幅に下げる
・注目の販売支援BPaaSサービス5選とは

 企業の販売活動は、顧客管理から受注処理、営業進捗管理まで多岐にわたり、効率化が経営課題となっている。そんな中、注目を集めているのが「販売支援向けBPaaS(Business Process as a Service)」だ。クラウド上でビジネスプロセスをサービス化し、販売業務全体の効率化と高度化を実現する最新の業務支援ソリューションである。

●目次

販売支援向けBPaaSの意義

 従来、販売管理システムや営業支援ツールは自社内でのシステム構築や複雑なカスタマイズが必要で、初期コストや運用負荷が大きかった。しかしBPaaSは、クラウド環境に業務プロセスを組み込み、必要な機能をオンデマンドで利用可能にするため、コスト面・運用面でのハードルを大幅に下げることができる。さらにリアルタイムの情報共有や営業活動の可視化により、営業組織の意思決定スピードを加速させる点も大きなメリットだ。

注目の販売支援BPaaSサービス5選

 ここからは、国内で利用可能な注目すべき販売支援BPaaSサービスを紹介する。

1.Salesforce
業界最大手のCRM/SFAプラットフォーム。顧客管理から商談追跡、営業予測まで豊富な機能を持ち、あらゆる業種・規模に対応。多数の連携アプリも魅力。

2.Microsoft Dynamics 365 Sales
Office製品との連携が強力なクラウド営業支援。見積作成や顧客分析に優れ、Microsoft 365ユーザーにとって導入のハードルが低い点でも人気。

3.SAP Sales Cloud
大企業向けの販売支援に特化。複雑な販売チャネル管理や販売計画、インセンティブ計算まで包括的にサポートする。

4.Kintone
ノーコードで営業管理アプリをカスタマイズできるプラットフォーム。業務に合わせた柔軟な運用が可能で、現場での使い勝手の良さに定評がある。

5.Sansan
名刺管理を基盤とした営業支援サービス。営業ネットワークの可視化と情報共有を促進し、新規開拓や顧客フォローの効率を高める。

販売支援向けBPaaS導入時の留意点

 販売支援向けBPaaSの導入は、営業担当者の業務負担が軽減されるだけでなく、営業活動の質が向上し、売上拡大にも貢献する。特にコロナ禍でリモートワークが増えた中、クラウドベースのBPaaSはどこからでもアクセスできる点で利便性が高い。今後もAIやデータ分析を活用した高度な営業支援機能の追加が期待され、販売現場のデジタル化はさらに加速すると見られる。

 しかし、導入に失敗したケースや予期しづらい運用課題も散見される。例えば、多機能なサービスでも標準仕様が自社に合わない場合、運用面での負担や効率低下を招く恐れがある。また、クラウドサービスを活用する以上、顧客情報や営業データのセキュリティ体制を厳しくチェックし、情報漏洩リスクを最小限に抑えることが不可欠だ。さらには、営業現場の担当者が新たなシステムをスムーズに使いこなせるよう、操作教育や運用ルールの整備、定期的なフォローアップも重要となる。

 コスト面でも、BPaaSは初期投資を抑えられる一方、月額料金制やユーザー数による従量課金体系が多く、長期的な活用や機能拡充でコストが増加する懸念がある。導入から運用までの総コストを長期視点で試算し、費用対効果(ROI)をしっかりと把握することが肝心だ。

 留意点を踏まえた上で、戦略的にBPaaSを選定・導入すれば営業の効率化と売上拡大を実現できる。販売支援向けBPaaSは、単なるITツールの提供に留まらず、営業戦略や組織運営の改革を後押しする重要な武器だ。これからの競争激化の時代、企業の販売力強化に欠かせないソリューションとして一層注目を集めることになるだろう。

(文=齋藤めぐみ/有限会社リーゼント、ライター)

楽天銀、AIを融資審査に試験導入=音声相談システムも開発―東林社長インタビュー

 楽天銀行の東林知隆社長がインタビューに応じ、住宅ローンや不動産担保ローンの融資審査に人工知能(AI)を試験導入する考えを表明した。AIの可能性について、「期待している。いかに早く成長させて活用するかが勝負だ」と強調。顧客の相談にAIが音声で応じる仕組みの開発にも意欲を示した。

 AI審査は既にカードローンの融資の一部で試験導入しており、対象を拡大する。AIによる音声相談システムは試作中。銀行によるAI利用の規制はまだ不明確だが、実用化すれば金融商品や資産運用の提案などで「能動的な対話ができる」と説明した。店舗を持たないインターネット専業銀行の「弱点が解消される」とも指摘した。 

 楽天銀は、通販サイトを中心とする楽天グループの会員を取り込めるのが強み。会員の取引データを基にAIで顧客ごとに最適な商品・サービスを紹介するネット広告事業も手掛けており、「今後かなり伸ばせる」と意気込んだ。

「金利のある世界」の到来で預金獲得競争が激化し、大手銀各行も個人向けデジタル金融サービスを強化している。東林氏は「『楽天経済圏』の商流に絡んだ銀行取引をもっと掘り起こす余地がある」と述べ、グループ内の連携を深めてポイント優遇などで対抗する方針を示した。(了)
(記事提供元=時事通信社)
(2025/08/14-00:06)

能登の未来へ走れ――「のと鉄道の旅」をCMに。 広告小学校、被災地・穴水町で特別授業

CMづくりを通して次世代のコミュニケーション力の育成を目指す電通の社会貢献活動「広告小学校」が、能登半島地震からの復興に歩みを進める石川県・穴水(あなみず)町で、特別授業を実施した。

このプログラムは、子どもたちがCMづくりのプロセスを実際に体験しながら、伝える力や表現力、チームでの創造力を育むことを目的としたもので、2006年からこれまでに全国約530校、延べ6万7000人以上が体験してきた。今回の授業には、2024年元日に発生した能登半島地震で大きな被害を受けた地域にある、穴水中学校の2年生39人が参加。復興への願いを胸に、「のと鉄道の旅」をテーマにしたCMづくりに挑戦した。

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特別授業は6月30日(月)のリモート授業からスタート。電通1CRプランニング局 木村亜希氏が講師となり、「つたえる=つたわる、にするために、大事なこと」をテーマに、CMづくりに必要な視点や考え方について授業をした。その後の7月4日(金)、生徒たちは実際にのと鉄道に乗車し、沿線の魅力を取材。7月11日(金)、穴水中学校で「広告小学校」の特別授業が行われた。

当日は、木村亜希氏や電通2CRプランニング局の田中元氏をはじめとする講師陣が授業アドバイザーとして参加。多様な視点からアイデアを導き出す方法や、映像で人の心を動かすヒントを生徒たちに伝授した。

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講師を務めた木村氏は「決まった答えのないCMづくりに、生徒たちは最初こそ戸惑いながらも、自由に発想する楽しさに目覚めていくようでした」と語る。多様な意見を取り入れながら新しい価値を生み出し、拡散させた思考を収束させていく過程では、広告の現場でプロが使う「考え方の考え方」も自然と身につく授業となった。

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10のグループに分かれた生徒たちは、最後に30秒のCM劇という形で「のと鉄道の旅」の魅力を発表。自然や車窓風景はもちろん、人とのふれあいやのと鉄道が取り組んでいるさまざまな仕掛けなど、それぞれが選んだテーマを個性豊かに表現し、見る人の心を引きつける作品が次々と披露された。

特別授業に全面協力している、のと鉄道の宮上哲夫氏は「被災してもなお、ふるさとには数えきれないほどの魅力があることへの気づきや、その魅力を伝えようとするみずみずしい感性を引き出してくださり、生徒自らの手で能登の未来に希望を生み出していく、大きな一歩になったと思います」と振り返った。

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今後、生徒たちはさらにコンセプトやストーリーを練り上げ、のと鉄道の全面協力のもと停車中の車両や駅ホーム、学校などでの本格的な撮影。完成した30秒のムービーは、来年、東京にある石川県のアンテナショップ「八重洲いしかわテラス」で放映される予定。

目指すのは、単なる紹介映像ではなく、「のと鉄道に乗ってみたい」「能登を訪れてみたい」と見る人の心を動かす30秒CM映像。中学2年生たちの挑戦は、復興の歩みと重なりながら続いていく。

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また、「広告小学校」のノウハウをもとにした授業プログラム「みんハピ」が新たに開発され、その体験会を8月25日(月)に開催する。現在、参加者を募集している。

※「みんハピ」体験会の概要・申し込みはこちら(定員に達し次第締め切り)
https://forms.cloud.microsoft/r/MKx2sn97f2

最終章を迎える日本橋の大規模再開発、期待と不安…「トーチタワー」ですら安泰ではない?

●この記事のポイント
・東京駅の東側、八重洲・日本橋の再開発が進んでいる。28年には高層ビルとしては日本一の高さとなる「トーチタワー」が開業予定。
・東京23区のオフィス供給過多も懸念されているなか、八重洲・日本橋の再開発の先行きを不安視する見方も
・IT系のテナントで埋まりコンセプトが明確な渋谷の再開発とは対照的

 東京駅の東側、八重洲・日本橋の再開発が進んでいる。2023年に「東京ミッドタウン八重洲」が本格開業し、28年には高層ビルとしては日本一の高さとなる「トーチタワー」が開業予定。日本橋1丁目中地区でも超高層ビルが開業予定であり、日本橋エリアは地下道や地上デッキなどで八重洲方面と連結。2030年代に入ると日本橋川沿いの再開発事業が相次いで展開され、2040年をメドに日本橋の上にかかる首都高速道路の高架が撤去され、日本橋は大きく生まれ変わる。だが近年、丸の内や渋谷、虎ノ門をはじめ東京23区では大規模な再開発が進み超高層ビルが数多く開業してきたこともあり、オフィス供給過多も懸念されている。そうしたなかで今後次々と高層ビルがオープンする八重洲・日本橋の再開発の先行きを不安視する見方も少なくない。果たしてディベロッパーの計画どおりにことは進むのか。そして、街全体がどのように変貌するのか。専門家の見解を交えて追ってみたい。

●目次

日本橋と八重洲、三越前がつながりを持つかたちで一体感

 まず、丸の内・八重洲・日本橋という東京駅周辺の再開発について、不動産業界ではどのように認識されているのか。不動産事業のコンサルティングを手掛けるオラガ総研代表取締役の牧野知弘氏はいう。

「主に三菱地所などが中心となって進めてきた丸の内側と、三井不動産や東京建物などが進める八重洲・日本橋側の再開発は、別個のものと認識されています。丸の内側と八重洲側のテナントは従前からかなり差があり、賃料水準にも少なからず格差がありました。八重洲仲通りと丸の内仲通りを比較していただくと分かりますが、八重洲が丸の内と同じような街づくりを目指してきたのかといえば、少し違っており、八重洲はどちらかというと下町的・庶民的なエリアであり、丸の内とはテナントの属性も異なります。ただ、三井不動産や東京建物は今、丸の内に対抗するかのように超高層の複合施設の建設を進めているという印象があります。

 八重洲は大きなビルとしては東京ミッドタウン八重洲が開業したばかりであり、三菱地所が中心になって開発を進めてきた丸の内、大手町、有楽町といったエリアが持つような付加価値の創出は、これからの話であると考えています」

 今後開発が本格化する日本橋は、どのように変貌していくのか。

「日本橋と八重洲、三越前がつながりを持つかたちで一体感が出てくると思います。日本橋はもともと古いオフィス街、商業街でありますが、開発によってオフィス街としての地位は一段上がってくるでしょう。ただ、三井不動産や東京建物が八重洲・日本橋に京橋、三越前を加えたエリアをどういうふうに開発していくのかというコンセプトをみると、超高層建物を建てて、そこにホテルや商業施設を組み合わせた複合施設、国際交流拠点を開発するという内容であり、このエリアでコアとなる産業やオフィスとしての新しい付加価値をどのように生んでいくのかが見えづらいという印象を受けます。ディベロッパー各社が発表しているテーマや戦略を見ても、テンプレート的な内容しか掲げていません。 

 例えば東京ミッドタウン八重洲も当初はテナント集めに苦戦したといわれており、入居しているテナントの構成を見ても、とりあえず大企業を他のビルから引っ張ってきたという印象で、一貫したコンセプトが見えてきません。対照的なのは渋谷であり、見事なくらいにIT系のテナントで埋まっています。もともと八重洲は大規模ではない企業が多かった場所であり、そのイメージを脱却して企業を集め、どういうまちづくりを行うのかが、今のところよく見えてこないという印象を受けます。

 また、もともと薬問屋が多い日本橋には武田薬品工業やアステラス製薬があり、製薬企業に加えて宇宙関連企業なども集めて特徴を出していくといったことを三井は謳っていますが、宇宙産業はまだ収益化が進んでいない業界であり、高い賃料を負担できるのかという点も含めて、“街の色”がまだついておらず、そうしたなかでオフィスの供給だけ極端に増えていくと、どうなるかなという疑問はあります」

街としてのコンセプトが明確な丸の内・大手町との違い

 すでに渋谷や丸の内などに超高層ビルが数多く立ち並ぶなか、この先、数年の間に日本橋に相次いで超高層ビルが開業し、テナントが埋まるのかという問題もある。

「もともと八重洲は大手企業や情報通信系の新興産業などが集積する街ではなく、近くに日銀があるため地銀が支店を出したり、東京駅の前という立地から地方の企業が支社・拠点を置くというニーズが非常に強かった街です。大手企業や大手の国際法律事務所などは、やはり丸の内、大手町のビルに入るという傾向があり、丸の内・大手町は街としてのコンセプトが明確になってます。

 それに対して八重洲は、たとえば東京ミッドタウン八重洲の入居テナントを見ても、近くに本社があった老舗大企業が移ってきただけという印象があり、兜町や新川に多かった証券会社のオフィスも減ってきているなかで、日本橋に先端的な産業が多く集積するのか、そして、そうしたなかでオフィスの供給量が極端に伸びるということには、やや心配があります」

 28年に開業予定のトーチタワーも、安泰とはいえないという。

「トーチタワーのアドレスは実は中央区ではなくて千代田区なので、開発事業者の三菱地所は千代田区大手町というアドレスが欲しい大企業を積極的に集めていく考えでしょう。おそらくその他の日本橋のビルに比べると賃料水準を含めて良い条件でテナントを集めることができると思いますが、供給量がとてつもなく大きいので、あの貸付面積を綺麗に埋めるというのは、三菱地所であっても苦労するのではないかと業界内ではいわれています。日本橋に今後開業する新築のビルとの間で早くもテナントの争奪戦が始まっているともいわれていますが、そうなると本来の目標であった賃料水準を守れるのかという問題も出てくるかもしれません」

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=牧野知弘/オラガ総研代表取締役)

パナソニック オートモーティブシステムズ永易社長×dentsu BX 車載事業会社から「移ごこちデザイン」カンパニーへの変革

あらゆるバイアスを壊し、自らアーキテクト(全体設計者)として社内の事業変革を遂行しているトップエグゼクティブの方々に話を聞きながら、その神髄に迫る本連載。

今回のゲストは、パナソニック オートモーティブシステムズ代表取締役 社長執行役員の永易正吏氏です。パナソニックグループの持株会社制移行に伴い、2022年に設立された同社は、モビリティサービス事業に強みを持ち、「クルマでの移動体験」に新たな価値を提供し続けています。

2024年には、世界一の「移ごこちデザイン」カンパニーというビジョンを策定。ビジョン開発の経緯やビジョンに対する思いについて、変革のパートナーとして伴走する電通の田幸佑一朗氏と小林麻里絵氏がインタビューしました。

永易氏、田幸氏、小林氏
(左から)電通 小林麻里絵氏、パナソニック オートモーティブシステムズ 永易正吏社長、電通 田幸佑一朗氏

「100年に一度」の大変革期を勝ち抜くための戦略的な経営投資を

田幸:御社とは1年半以上にわたりご一緒させていただいています。まずは御社の概要をお聞かせください。

永易:私たちは2022年にパナソニックの事業会社として発足しました。ミッションは、「一人ひとりのより良いくらしの実現のため、持続可能なモビリティ社会を創造する」です。カーナビやディスプレーオーディオ、電子ミラー等、多彩な車載システムをグローバルに展開し、安心・快適なモビリティ体験を国内外の自動車メーカーに提供しています。

田幸:御社といえば、2023年11月に発表されたパナソニックグループからのカーブアウトが印象に残っています。どのような背景があったのでしょうか。

永易:自動車業界はいま、「100年に一度」とも言われるような大変革期を迎えています。電動化や自動運転などの技術開発が活発化しており、技術革新のスピードも速く競争がますます激化しています。そんな業界で私たちが勝ち抜いていくには、自社の強みをしっかりと発揮し、勝負できる分野に戦略的に投資していくことが不可欠です。

永易氏
パナソニックは100年以上の長い歴史の中で、時代に応じて事業のポートフォリオを変えてきました。企業として、どの分野にどれだけの資本を投入できるのか。いわゆる「キャピタルアロケーション(資本配分)」は常に見直されており、それは車載事業においても例外ではありません。私たちは車載機器、特にコックピット領域でグローバルに一定のポジションを確立してきましたが、グループ全体の資本戦略の中では、資本を投入すべき領域ではないと判断されました。

一方で、この領域はまだまだ成長の可能性があると私たちは考えています。だからこそ、自分たちの意思と力で積極的に投資を進めていく必要がある。その実現に向けて、2024年にアポロ・ファンドとパートナーシップを組み、自立した形で成長を目指すタイミングだったと捉えています。

田幸:パナソニックグループ全体の視点で見れば、資本の使い方に関する戦略的な判断ですよね。一方で御社の視点で見れば、自社で資本を集め、成長分野に投資していく体制を整えていける。成長や変革への可能性が広がっていくという前向きなお話だと感じました。

世界一の「移ごこちデザイン」カンパニーを掲げる意義とは

田幸:私たちにはビジョン開発時にお声がけいただき、最終的に世界一の「移ごこちデザイン」カンパニーを採用いただきました。どのような経緯でご相談いただいたのでしょうか。

田幸氏

永易:実は会社を設立した2022年に、ミッションと一緒にビジョンも設定していました。ですが、ビジョンに盛り込みたい要素が多岐にわたってしまい、かなりの長文になってしまったんです。ビジョンは誰からもわかりやすいことが理想で、ワンフレーズやワンワードで表現したいと考え、ご相談しました。

小林:新しいビジョンをつくるにあたって当初のビジョンを拝見したとき、「愛を持って」という言葉がとても印象的でした。永易社長が「愛」をビジョンに盛り込んでいた背景をぜひお聞きしたいです。

永易:若いころの経験が影響していると思います。27歳で初めて海外赴任をして、課長として働いていたのですが、1カ月で現地の部下が全員辞めてしまったんです。日本では平社員でしたから当時はイケイケで(笑)、そこまで気に留めていませんでした。しかし、尊敬していた上司から「お前には愛がない!」と、ものすごく怒られたんです。「上司と部下という関係上、時には厳しいことも言わないといけないけれど、その裏には必ず愛がないといけない。そうでなければ信頼関係は築けない」と指導してもらいました。この後も、僕の心にはずっと上司の言葉が残っていて、「愛」はとても大事にしたい言葉なのだと思います。

小林:今のお姿からは想像できないエピソードですね。私は永易社長の「愛」に加えて、ビジョン作成時に参考としていただいた資料に「感謝」や「笑顔」、「心動かす出会い」といった感情キーワードが見られたのも御社らしさを感じていました。

永易:パナソニックの創業者である松下幸之助は、「より豊かなくらしをおくりたい」という人々の願いを満たすことに企業の役割があると考えていました。その思いが根底にあるからこそ、パナソニックは人やくらしに寄り添った事業を多く展開しているのだと思います。ですから、自然に「人」や「感情」などを大切にしたいという考えが育まれているのかもしれません。

僕は何かを決めるときは、損得ではなく「誰かが幸せになれるか」という判断基準をできるだけ持ちたいと思っています。ビジネスなので理屈ももちろん大切ですが、自分の心、感情にも正直でありたいですね。

小林:まさに、そんな永易さんや会社の皆さんの思いをビジョンに反映したかったんです。「人の“心”に寄り添う」という御社の姿勢をどのように価値として言い換えるべきか考え、「移ごこち」という言葉を提案させていただきました。御社の商品群を拝見すると、単にスペックを高めたものではなく、使う人の感情や日常にまで目を向けたものづくりをされていることが伝わってきます。「心」に寄り添うからこそ「心地よさ」という価値まで到達できると感じ、「移ごこち」と表現しました。「移ごこちデザイン」というキーワードをご提案したとき、「これだ!」とおっしゃっていただきましたよね。

小林氏

永易:ガツン!ときましたね。すばらしいと思いました。私たちのバックボーンであり、最大の強みでもある「人に寄り添う姿勢や心」を生かして提供できる価値を、ワンフレーズで表現していただけたと感じました。

それと、「デザイン」という言葉もとてもよかったです。私たちはずっと「モノ」を売ってきた会社ですが、例えば快適な移動空間から生まれる「コト」を売ることもあるなと。それを総称できる言葉としてグッときました。

小林:ありがとうございます。「デザイン」の部分は「クリエーション」などの代案も含めてご提案し、社員の方々と、最も自社らしい動詞はどれかと議論を重ねた部分ですよね。結果的に人を中心に考え実現するものがデザインであるということで、デザインに決定したんです。ここは皆さんとの共創で生まれた部分でもありますね。

田幸:社員の皆さんが「自分たちは何業です」と言いやすい言葉を開発したいと考えていました。一見、御社はBtoB企業ですから技術からの発想になりがちです。しかし、ビジョン開発を進めていく中で、高度な技術や性能だけではなく、その先の笑顔や心動かす出会いを見つめているのだと感じました。私たちも自信を持ってつくり上げることができたビジョンです。

永易:確かに、かなり前から「当社は何屋なのか」という話がありました。ビジョンを提案していただいて、“私たちは「移ごこちデザイン」屋である”という共通認識を持てるようになり、本当によかったです。

余談ですが、ビジョン策定のあと、「移ごこちデザイン」の紹介動画も制作しましたよね。この映像は展示会などで繰り返し上映しており、複数の自動車メーカー幹部の方々にもご覧いただいています。その中のお一人からは、「こうした取り組みを私たちがやりたかった」とのお言葉をいただきました。また、「居心地」ではない「移ごこち」という表現に共感してくれたメーカーの社長もいらっしゃり、業界関係者の方々に思いがしっかり届いている手応えを感じています。

「移ごこちデザイン」は社会課題の解決にもつながっていく

田幸:ビジョン開発と合わせて、御社がデザインする「移ごこち」の提供価値を1~5つ、そして無限大という表現で計6つに紡ぎあげた移ごこちデザインキャンバスも制作しました。僕はここに御社の事業部の英知が結集されていると感じ、とてもいいなと思っているんです。同時に制作したオウンドメディア移ごこちデザインスタジオでも、キャンバスやそれをひもといたコンテンツを掲載しています。

移ごこちデザインキャンバス

永易:移ごこちデザインキャンバスで、社員の「移ごこちデザイン」への解像度が上がったと思います。自分が担当する事業や商品、技術がどの「移ごこち」の開発につながっているのかがわかりやすいですよね。

僕がこのキャンバスを見て感じたのは、「移ごこち」が社会課題の解決そのものにもつながっていくということです。人は必ず移動しますが、現状はまだまだストレスや不安が多い。少子高齢化や交通手段の不足といった課題も含めて、モビリティを取り巻く問題は今後ますます深刻になっていきます。これは日本だけでなく、グローバルな社会課題でもあります。

当社のミッションは「持続可能なモビリティ社会を創造する」こと。だからこそ私たちは、誰もが安心して、自由に、ここちよく移動できる社会をつくっていかなければならない。これを僕は求めていたんだと改めて気づくこともできました。

<後編に続く>

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末永幸歩さん

末永幸歩さん

電通・宮川裕による連載「マーケティングの世界の住人が、アートの世界を覗いてみた。」

今回対話をともにしたのは、アート教育実践家の末永幸歩さん。

2020年のこと。僕は丸善で黄色い本を手に取ってみた。表紙をめくると大原美術館所蔵のクロード・モネ「睡蓮」が目に飛び込んでくる。最初から最後まであまりに素敵な内容だったので、ちょっとだけ勇気を出して著者にメールを送った。今や22万部のベストセラーとなった『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』の著者、末永さんとの出会い。以来、末永さんに仕事を依頼したり、末永さんのワークショップの現場を見学させてもらったり、なんだかんだで数年が経った。今回、末永さんの母校の武蔵野美術大学を二人で訪問。そこでの内容を記しつつ、もう少しはみ出して僕の目に映った末永さんのことを書き留めておきたいと思った。

協力:武蔵野美術大学 美術館・図書館
 

◆21世紀に生まれた1つのアート作品

『13歳からのアート思考』では、「自分だけのものの見方で世界を見つめ」「自分なりの答えを生み出し」「それによって新たな問いを生み出す」ことこそアーティストが作品の制作過程でしていること、と定義している。20世紀の巨匠アーティストたちが生み出した6つの作品を中心に、アート作品がどうやって生まれてきたのか、その核心は何なのか、ワクワクする文章で語られている。

書籍のジャンルで言えばまさに「アート・美術」なのだと思うが、ビジネスパーソンである僕にとってもおもいっきり関係のある内容だと思った。またこの本には、末永さんの知見もふんだんに盛り込まれており、「末永さんという人」の魅力にも自然と目がいく。そして巻末にはこんな一文がある。
 

おわりに、いつも無計画で手探りの教育で、しかしいつも私の好奇心を最優先してくれた家族に感謝の気持ちを伝えたいと思います。家族が私に与えてくれたのが最高の教育だったとよく思い返しています。


この「おわり」につながる「はじまり」のお話、いわばエピソード0を記したい。インタビューで末永さんが語ったほぼそのまま記載するので、是非まるまる味わっていただきたい。
 

子どもの頃、かなりユニークな家庭に育ったんじゃないかな、と思います。父親は、ベースとしてはイラストの仕事をずっとやっていたんですけれど、とにかく手当たり次第いろんな活動をしている人だったんです。パントマイムだ!と思ったら独学で練習を始めてしばらくすると観客を呼んでショーをやっちゃうとか、タップダンスだ!と思ったらそれ以前に専門的なダンス経験もないのにショーの中で披露しちゃうとか。油絵作品をいっぱいつくって個展を開いたり。家族でキャンプに行ったら、この石いいなって持って帰ってきて、そこに絵を描いて売ったり。65歳過ぎた最近では漫才を始めたそうです。何でも一回形にしてみる、という感じ。そんな姿を間近に見ていた子ども時代だったので、「人生、何でもできるんだな」っていうのは植え付けられたと思います(笑)。

自宅に来る父の友だちもユニークな人が多くて、手品がとても上手な人がいたり、ジャズ演奏が本当に上手なフリーのピアニストとか、占いが得意な人、父のプロデューサーを名乗る人がいたり。ゴミの埋立地建設に抗議して多摩の山奥に住み込んでいる人もいました。子どもの私はその人たちの本名も本職も知りませんでしたが、楽しかったです。雑多な環境でしたけど、良い原体験だと思っています。自宅に父が使っていた画材道具だったり芸の小道具があったりして、思い付いたら何かができる環境だったかな。

そんなこんなでお金はなかったのですが、母は市区町村の瓦版なんかで無料の体験とかをいろいろ探してきてくれました。田植え体験とか、田舎でのホームステイとか、キャンプ体験、劇団、人形劇鑑賞とか。探せば無料でいろいろあるんですよね。そういう体験をさせてくれたことは有り難かったなって思っています。その甲斐あって(笑)、私はすごく好奇心旺盛に育ちました。勉強好きでどの教科も「5」ばっかりという感じでした。図工や美術だけが大好きだったわけではなく、いろんな活動の中に、何かをつくることとか表現することも入っていた、そんな感じですね。

 

高校生になった時にすごく海外に行ってみたくなったんです。両親も海外に行けるような余裕は全然なくて、行ったことがなかったんですよ。なので海外は自分にとっては本当に未知の場所。日本と違う場所があるということ自体がすごい不思議な感じがして。それでスーパーでアルバイトして、1年間くらいで30万円貯まって、10日間のショートステイでイギリスに行ったんですが、それがまた良い経験になって。今自分が持っている考え方とか、ものの見方、常識とは、全然違うことがあるんだ!と気付き、それを発見するのがとても好きでワクワクしました。それが海外の文化なのか、アートなのか、という違いはあっても、ものの見方の多様性に惹かれる感じは、今にもつながっていると思います。

 

この海外経験が大きかったので、大学を考える時には美大は選択肢になく、語学や国際関連の勉強ができる大学に行きたいと思っていました。私は勉強が好きな子ではあったものの、受験のために情報収集するとか計画を立てるとか、そういうことはまったくしなかったんですよ。赤本を開いたこともなく、模試を受けたこともなく。両親も、「まあ、あなただったらいけるでしょ」という放任で。無謀に国立1本で受けたらダメだったんですね。それで浪人することになっちゃったんですよ。で、浪人したら予備校に行ってがっちり勉強するじゃないですか。そんな発想すらなくて、バイトをしたり図書館で勉強したりしながら1年間過ごしていたんです。そして案の定、また受験に失敗して。

2浪生活が始まった頃、母が見かねてとんでもない提案をしてきて。「子どもの頃からつくることが好きだったよね。藝大を受けてみたら」と急に言ってきたんですよ。「うまくいかなくても、この時期に制作に打ち込んだ経験は、きっとそれだけでも糧になるよ」と。東京藝大は最高峰で、当時は数十倍の倍率でした。でも自分もその気になっちゃって。2浪目にして進路変更したんですね。画塾に急に入ってきて、そこの先生もちょっと驚いていたと思います。でも、石膏デッサンなんかもぐんぐん上達し、藝大の一次試験は通ったんです。ただ、すでに2浪目ですから絶対今年決めなきゃっていう年だったのに、滑り止めのことを考えるの忘れちゃっていて。気付いた時には私立の美大の願書の締め切りがほとんど過ぎてたんですよ。

 

そんな中、まだ間に合ったのが、ここ武蔵野美術大学の芸術文化学科(芸文)だったんです(笑)!運良く合格しました。しかしこんな形で芸文に入ったので、ウキウキして上京してきた新入生たちの中で自分はみんなより2年も年上かぁ、と斜に構えた感じでした。芸文は、多方面で活躍している方の講演会やさまざまなアート・プロジェクトなど、いろんな面白い講座や課外授業もあったりしましたが、ほとんど参加していなくてあまり意欲的な学生ではなかったです。ただ、制作には打ち込んでいました。

決して褒められない大学生活だったんですけど、今考えてみると芸文にいられて本当に良かったなって思っていて。自分が『13歳からのアート思考』に書いた、「アートって花(=作品)だけじゃないよね、自分の興味のタネから探究の根を伸ばしていくことにアートの本質がある。その結果として咲く花の形って、いろんな表現であり得る。絵画だからアート、彫刻だからアートというわけじゃなくて、文章も音楽も、もっと言えば形のない思想とか活動だって、根元にその人の興味のタネや探究の根があるのであれば、アートの花だといえる」っていうのは、まさに芸文の考え方なんですよ。芸文は比較的新しくできた学科で、武蔵野美術大学で、絵画とかデザインとか分かれていた学科をつなぐような存在。それこそ、プロセスにフォーカスして、学生が生み出す表現はいろんな形でいいという学科だったので、私はもろに芸文の思想に影響を受けているわけです。芸文にいたことは、今、大きな糧になっているなって思います。

 

2年も浪人したという負い目があったからか、資格でもなんでも取っておいたほうがいいという浅はかな思いがあり、教職は取っていたんです。4年生になって教員採用試験も受けました。そうしたら奇跡的に受かって。採用試験もかなりの倍率があった時代でしたので、受かるとは思わなくて、パソコンで合格発表を見た時に「何かのミスで自分の受験番号が一瞬表示されたのかも」と思い、すぐに写真を撮ったほどです。証拠として(笑)。あと、就活もしていました。美大出身ということでデザイナーになりたい気持ちも強くあって、憧れの洋食器メーカーの内定をもらいました。ということで教員と会社員の二者択一になりました。

ゼミの先生に神妙に相談したところ、「どっちでもいいんじゃないですか」って言われたんですね。適当な答えだなぁ、と思ったんですけど、続きがあって、「でも一旦選んだら、選ばなかったほうはきっぱり忘れて、選んだ道に進むといいと思います」って言ってくれたんですね。その時はあまり響かなかったんですが、今考えると良いメッセージをいただけたなと思っていて。この先、選択する場面はいっぱい出てくるので、計画段階でどっちが良いのかとこねくり回すのではなく、自分の気持ちに素直になって、流れに従って出たとこ勝負で、というふうに受け取っています。最終的に教員を選びましたが、後から振り返ってみると、小学校の時も中学校の時も卒業アルバムに「学校の先生になりたい」って書いてありました。しかも物語形式で(笑)。やっぱりすべてはつながっているんだな、と思いました。

 

中学校の美術の先生になったんですけど、もう天職だと思うくらいすごく楽しくて。きっと学校の先生になった多くの人は、そういう実感を持つんじゃないかな。教員(大人)同士の時間もありますが、基本的には子どもたちとずっと関わって、もう今までの人生にないくらい泣いて笑って怒ってっていう熱いものが中学校にはあるので。出会いと別れを繰り返しながら、あっという間に数年間が経ちました。でも、もちろん楽しいことばかりじゃなくて、教育方針であったりとか、悩んだり葛藤することとかもありました。それでも全体を通して教員になって良かったと思っていました。

 

でも数年経った時に、絵画制作をもっとしたいなと思うようになり。自分自身の制作活動が大学卒業後にプツっと途切れちゃったな、と。今しかないという気持ちになって、教員の職を辞めて制作に打ち込もうと思い、大学院に行くことにしました。東京学芸大学の修士課程に絵画の研究室があって、そこに入りました。ですが、入ってみると自分の気持ちが絵画制作には向かなくなっていて。そもそもアートっていうものに対しての疑問が出ちゃったんです。何のために絵を描くのか?アートっていったい何なんだろう?って思ったりすると、全然絵が描けなくなっちゃったんですね。

でも良かったのはその当時の学芸大学の修士課程には、ワークショップの研究をされている先生方が多くて、自分も自然とそこに目が向くようになり、子ども向けの造形ワークショップをするようになったんですよ。大学院で知り合った仲間と一緒に地域の子どもたちを集めてワークショップを開き、そこでの気づきをディスカッションしたりして。まさに実践研究で、自分にとってすごく学びになりました。今まで、学校教育だけしか見えていなくて、考え方が凝り固まっちゃっていたんですが、学校外のワークショップについて考えることによって解きほぐされていくのを感じて。仲間たちも大学院まで進んでしまった人たちなので、言う事、考える視点、見る視点がユニークなんですよ。それまでとは異なる角度から教育を捉え直す良い経験になりました。

その当時、中学校教諭の職は辞めたものの、中学校や高校の非常勤(時間講師)として週に数日、美術の時間だけで教えるという形で教鞭を取っていました。そこで大学院のワークショップで得た柔軟な考え方を学校教育にも自然と生かしていくようになって、そこから授業づくりがとても楽しくなりました。その中で、『13歳からのアート思考』で書いた、「アートは花だけではない。自分の興味のタネと、探究の根こそが本質だ」という考え方も自分の中で認識しました。中学校の教諭時代は、やっぱり「花(=作品)づくり」ばかりになっていたことに改めて気付けた。花以上にタネや根にフォーカスするような授業の形があってもいいと思った。そういう問題意識から、『13歳からのアート思考』に著したような授業がつくられていき、美術が苦手・好きでないと言っていた子どもたちが「自分なりの答え」を自信を持って表現する姿が見られるようになって、良いサイクルができていました。

家でもパートナーと美術の授業や、現代アートについていろいろ話していたんですね。それこそブリロ・ボックスの話とか。そうしたらパートナーが、「アートのことは全然興味なかったけど、面白いね」って言ってくれて。「こういう授業だったら受けてみたかった。自分みたいなアートと無縁のビジネスパーソンも、こういう形だったら楽しめると思う」と。それでその気になって。中学校の生徒だけじゃなくて、社会のいろんな人に授業を届けたいなという気持ちが沸いたんです。

 

ちょっと矛盾するようですが、自分はやはり表現することが好きなので、アウトプットをしたいという気持ちもあるんです。そこで、本にしたんです。『13歳からのアート思考』の3分の1くらいのボリュームでしたが、ちゃんと表紙もつけて、本の形に仕上げました。いわばプロトタイプ。出版のお話とかがあったわけではないんですけど。自分なりの「作品」をつくったわけです。考えを形にしてみたら、そこからいろんなご縁が転じてきました。まず、教育系の出版社に原稿を送ったら、編集者さんから連絡をもらい会うことができました。会えただけでもすごいと思いつつ、「内容は面白いんですけど、イチ美術教師が書いた本だと読む人が限られちゃうので、ビジネスの有名な方とタッグを組んで共著にしたらどうですか」って言われたんです。自分の作品だと思ってつくったものを今から共著にするっていうのは自分にとっては許容できず、その日は家に帰って悩みながら、でもやっぱり違うなと思ってお断りした直後に、もう一つのご縁が舞い込んできました。

佐宗邦威さんという、後に『13歳からのアート思考』の巻末に解説文を寄稿してくださった方がいるのですが、仕事のつながりで私のパートナーが「家族が書いたんです」と、プロトタイプを渡してくれたんですよ。そうしたら佐宗さんが「その日に自宅のお風呂で一気読みして、めっちゃ面白かったです。自分の担当編集の方に送りました」って連絡をくださって。佐宗さんがダイヤモンド社で本を刊行された直後だったということで、編集者の藤田悠さんに渡り。私の計画していないところで、出版社に自分の書いたものが辿り着いたわけです。藤田さんも一気に読んでくださったそうで、すぐにご連絡をくださいました。すごく不思議なご縁で、佐宗さん、藤田さんのお二人に出会えた。そこから最終的な形にするのには、そのプロトタイプからさらに1年間くらい執筆を続けることになりましたが。

 

こうして21世紀に、『13歳からのアート思考』という作品が生まれたのである。

 
13歳からのアート思考
 

 

◆7つ目のクラス

末永幸歩さん

末永さんの半生を知ることは意義深い。ベストセラーの著者だから「副読本」的にその半生も覗いてみよう、というのもなくはないが、僕はちょっと別の受け止め方をしている。

『13歳からのアート思考』では、

 

かつて、西洋美術が花開いたルネサンス期の画家たちには「目に映るとおりに世界を写しとる」という明確なゴールがありました。それ以来、彼らはおよそ500年あまりにわたって、3次元の世界を2次元のキャンバスに描き出す技術を発展させてきたのです。

しかし、19世紀に発明された「カメラ」が20世紀に普及していったことによって、彼らを取り巻く状況は一変しました。絵画による「目に見える世界の模倣」は、写真撮影という技術革新によって容易に代替されてしまったからです。

しかし、これによってアートが死に絶えることはありませんでした。

 

マティス、ピカソ、カンディンスキー、デュシャン、ポロック、ウォーホルそれぞれによる、「20世紀に生まれた6つのアート作品」を主な題材とし、6つのクラス(授業)を時系列で展開していく形で書籍は構成されている。

 

「目に映るとおりに描くこと」「遠近法的なものの見方」「具象物を描くこと」「アート=視覚芸術」「イメージを映し出すためのもの」……20世紀のアーティストたちは、過去のアートがとらわれてきたさまざまな常識を乗り越えようとしてきました。

そして、ついにウォーホルの《ブリロ・ボックス》に至っては、そうした格闘が行われてきた「アートという枠組みそれ自体」にもヒビが入ることになったのです。

 

これはアート、これはアートではない、と分断する壁。壁は、権威的なものとそうではないものとを振り分けるということでもあり、権威の側はやがて聖域ともなり得る。しかし!そんな因習的な壁あるいはわれわれの心の中にある壁は、実は幻想だったのでは?そう気付かせるに至った20世紀のアート作品、アーティストたちの功績を、末永さんは6つのクラスを通して分かりやすく表現している。6つの作品に代表されるそれぞれのイノベーションは、今振り返ってみるとあたかもつながっているようで、そのつながりはなんとも美しい。言わば歴史の「Connecting the dots.」。そこに立ち現れたのは、だだっ広いフラットな世界。

フラット。つまり誰しもが参加できる。不当な圧力のない自由な世界。と言えば聞こえは良いが、後ろ盾のない厳しい世界、とも言える。心細くもなる。

そして、アートの歴史とは違うところでの、大きなうねりもある。社会の複雑性が高まり、これまで正解とされてきたことが通用しにくくなった。僕らの不安はちょっとずつ募っていった。そこにきて、2022年あたりから急激にAIが身近になった。AIに任せていけば安心かも、と少しだけ気持ちが軽くなった。しかし、別の不安が顔を出し始めた。AIが幅を利かせた世界で、人は、僕は、何をしていけば良いのだろう?心細くもなる。

そこで僕らの背中を押してくれるのが、末永さんによる提案。「われわれには、アート思考がある」。ここ数年、傍から末永さんの活動を覗かせてもらっている中で、末永さん自身がアート思考を実践・体現しているのだと思い至った。末永さんの存在こそ最良のテーマだと思えた。つまり、僕にとって「7つ目のクラス」。末永さんの半生を知ることは、生きた歴史をリアルタイムで学ぶことでもあり、だからこそ意義深い。

そして末永さんの探究の根は、まだまだ伸びていく。

末永幸歩さん
 

今書いているのは、「感性」についての本です。『13歳からのアート思考』では、アーティストが作品を生み出す過程でしていることは3つ、と書きました。「自分だけのものの見方で世界を見つめ」「自分なりの答えを生み出し」「それによって新たな問いを生み出す」。そこに共感してくださった学校、企業、さまざまなところから講演やワークショップのご依頼をいただいていろんな現場に関わっていく中で、思ったことがあります。企業で研修をさせていただくと、皆さん「自分だけの答え」を出すことに目が向いていて、とにかく新規価値を創造しなきゃ、これまでにはない答えをつくらなきゃ、というところに注目されていると感じました。かたや学校では今、探究学習が取り入れていることもあって、まず「新たな問い」を立てることが大事だと生徒たちに指導している場面も多く見かけ、問いの立て方を教えてほしいと言われたりもします。

これらの状況に対し、私は3つのうちの最初の「自分だけのものの見方」を徹底しなきゃいけないと思ったんですよ。逆に言うと、答えをつくる方法とか問いを立てる方法なんていうのはなくて、自分だけのものの見方さえできてれば、答えや問いは勝手に出てくる。そして、自分だけのものの見方で世界を見るっていうのは、観察眼を鍛えましょうとかそういう話じゃなくて、「感性」だと思うんですよね。感性を開いて、世界からのいろんな働きかけを受け入れることが、自分だけのものの見方で世界を見つめることにつながるというふうに考えています。感性とは、扉のようなイメージです。そこが閉じていたらこの世界にいろんなものがあったとしても受け取ることができない。逆に、扉を開くことができれば何かを探し出そうとしなくても、勝手に入ってくるんだと思う。入ってくるものを受け止める。そうすることによって初めて「自分だけの答え」が出てくるわけです。

 

感性の扉を開くためのヒントを、アーティストと子どもから見出す、という構成の本です。アーティストは、まさに自分だけのものの見方で自分の答えを創造している人たちなので、作品や生き様の中にヒントを見出すことができる。それに加えて、子ども。小さい子どもたちは自然に世界を自分なりのものの見方で捉えているので、子どもの視点を想像することによって大人も感性の扉を開くヒントを得られると思っています。

私は大学院時代にも造形ワークショップで子どもと関わる時間が多かったですし、子どもの工作番組の監修を3年間に渡ってさせていただいているんですが、全国のいろんな子どもたちの表現した作品に触れたり、制作プロセスを見ることができて、そこから得た視点もたくさんあります。ただ、一番大きいのは自分自身の子どもと直接触れ合い、一心同体で感じ取ったこと、親だからこそ分かることがあるなっていうのはしみじみ感じていて、そんなことをもとに書いています。

 

だだっ広いフラットな世界を前に、僕らあらゆる人びとの感性が開かれた時、結果として末永さんの作品は、自然な形で「20世紀に生まれた6つのアート作品」に連なるんじゃないだろうか。その時僕らは、「歴史のドットがまた一つ、つながったんだぁ」という言葉をもらす、そんな気がしている。

◆「悔しい。」

末永さんは寛容な人、ひらたく言うと気が長い人だと僕は思っている。詳細は書かないが、一般的な感覚からいってイラっとしたりクレームを入れてもおかしくない場面を何度かお見かけしたが、末永さんは声を荒げるでも顔をピクつかせるでもなく、それどころか場を和やかにしていた。盤面をひっくり返していた。その度に、肝が据わっているなぁ、と感じた。

今回のインタビューで末永さんの半生を知ることで、ああ、なるほど、こんなふうに価値観形成されてきたからか、と妙に腑に落ちた。まさに「Connecting the dots.」。そしてもう一つ知ったことがある。

 

2020年までは中学校の先生だったんですけれど、本を出版してから180度活動が転換したというか、本当に多方面で教育や美術に関わることができています。講演やワークショップとか、プロジェクトでの協業とか、新しい教育の取り組みとか、いっぱいアウトプットする機会があるんですけれど、そのアウトプットが自分にとって毎回インプットになっていて、アウトプットとインプットが同時にできているような感じ。この5年間で書いたノートが何冊もあって、本を読んで勉強したことや取り止めもないアイデアなど、びっちり書いてあるんですよ。この5年、すごい頑張っていたんだな、と自分で思いました。アウトプットするということは、同時にそれくらいインプットをしているんだなと思います。

他方、活動が広がって、難しさもいっぱい感じました。たとえば、フリーランスとして働いているのですが、公務員や会社員として働くことと比較した時、福利厚生のある組織に所属していた方が安泰だという価値観は根強い気がします。会社員こそ「しがみついてでも頑張れ」と言われますが、フリーランスについては「なにかあればすぐ崩れちゃうような働き方でしょ」という認識が存在していて、まして、家庭や子育てに犠牲を払ってまで力を注ぐようなものじゃないと捉えられてしまうことが、すごい悔しいなって思うんですよ。そんなことないじゃないですか。

また、自分は5歳の子どものお母さんなので、母親としてまた女性として活躍することの難しさもすごく感じています。活動が小さいうちは気になりませんでしたが、その規模が大きくなるにつれて顕在化していった気がします。もう21世紀になんだからフリーランスも全然ありでしょ、とか、昭和じゃないんだから女性が仕事するのも普通でしょ、という考え方がある一方で、現実的にはまだまだそこに対するネガティブなものの見方があるな、と。小さい子どもを持つ女性が働こうとする場合、子どもを保育園に預けて子どもを持たない人とほぼ同様にフルタイムで働くか、それか仕事を辞めて子育てに専念するか、二者択一になりがちです。事実、多くの会社のシステムも、保育園の制度もそうなっています。「週3だけ保育園に預ける」というのができません。

私の場合、子どもとの時間が自分にとっての大きなインプットにもなっているので、子どもと過ごす時間を大切にしたい。他方、どんどん広がっていく仕事や活動にも全力を注ぎたい。人一倍仕事に打ち込むことで、その先の景色を見てみたい。その両方を取ろうとすることに対する社会からの否定がある。どっちかを選ばなきゃいけない。でも、従来の二者択一に限らない在り方があってもいいじゃないかと思う。ものすごく大変ですが。でも、もし過去に遡って選択できるとしても、今の在り方を選択したい。

大学院で子どもの造形ワークショップを通した研究をしていたというのもあり、私にとって子どもと過ごす時間は勉強でもあるんですね。子どものありのままの姿を観察して何かを学び取るっていうことを研究でも実践していたので、今も自分の子どもに対してそういう向き合い方をしていて、お金を払ってでも得たい時間だと思っています。仕事の時間が思うように持てずに焦りを感じることも多々ありますが、そんな時には子どもとの時間が自分のための大事なインプットの時間だと捉え直すようにしています。

 

『13歳からのアート思考』という末永さんの本(作品)から、声が聞こえてきた。今回インタビューをするまでは、聞こえてこなかった声だった。切実な声。末永さん本人が社会の不公平や不寛容に物申す、改善を促す、そんなことを目的に書いたのではまったくないと思われるが、この作品には、そして末永さんの生き様には、不公平や不寛容を指摘できるようになるための社会の土壌づくり、そんな作用があると思った。22万部というポピュラリティとともに、「結果的に」軽やかに世間に流布している。副産物でありつつも、本質的だと思った。

二者択一だなんて、誰が決めた?

アートと非アートを分けていた壁。それが幻想だと気付いたフラットで自由な世界で、感性を開き本当の意味で自由を獲得できるか。アーティストになる可能性を秘めた僕ら一般人の手にそれが委ねられた時、改めてこの末永さんの「悔しい」という言葉や状況に目を向けたい。あらゆる人に目を向けてほしい。

末永幸歩さん

◆いまを生きる

末永幸歩さん

冒頭でも書いたが、『13歳からのアート思考』は大原美術館所蔵の「睡蓮」からスタートする。大原美術館のエピソードに対し、きっと末永さんは特にお気に入りというか、深い敬意を払っているのだろうと思った。美術史家で元大原美術館館長の高階秀爾さんと末永さんを引き合わせられるのは僕しかいないと勝手に思い、2022年に二人の対談の場をセットした。探究の根が伸び、つながるような、活気のある場になった。

その対談の締めくくりに、アートがわれわれにもたらすものとは?と二人に投げかけてみた。末永さんは、

 

美術の授業を終えて、学生たちにレポートを出してもらったり、話を聞いてみたりするんですね。そうしたら、自分がつくった作品についてのことじゃないなんてことも。かなり離れていて。自分の幼少期の体験を書いていたりだとか、最近自分が実は引っかかっていたこと、違和感を持っていたことを書いている学生がいたり。あと、日常の中でこの一連の授業のことを思い出しながら歩いていたら、今まで当たり前だと思っていたものの面白さとか、ばかばかしさに気付いたとか。今まで見過ごしていたものが異様に目に付いたとか。そんな感想がたくさんありました。こんなことから、こうやってアートに関わっていくことによってもたらされるものっていうのは、「あれ?」っていうふうに、物事に対して引っかかりを持つような「感性」というか、心なんじゃないかなとも思うんですね。自分なりの物の見方をして、自分の答えをつくっていくような、その「駆動力」になるのかなって。いつも「あれ?」って引っかかって疑っていくことなんじゃないかな、と。それを繰り返していくことによって、徐々に自分の問いが出てきたりとか、自分が考えていきたいなって思うような主題が生まれたりとか、そんなことにつながっていくんじゃないかな。それがアートというものなんじゃないかなと考えました。

 

高階さんは、「今の末永さんのお話に尽きるので、私はそれを繰り返して言えばいいと思うんですけど」と笑わせ、場を和ませた。「最後に付け加えるとすると、アートは生きる喜びを与えてくれる。アートっていうのは本当に全人間的なもの」という言葉で締め括った。

末永さんは、自分の中の違和感を見過ごさず、そして行動を起こしてきた。幼い頃から、ブレずに、極々自然に。まさに全人間的に。

そして今、末永さんは新しい環境へ飛び立とうとしている。

末永幸歩さん

画像制作:岩下 智

超高齢社会で「電動車いす」増加の兆し、どれを選ぶべき?意外に知らない基礎知識…自己負担1割で利用

●この記事のポイント
・超高齢社会に突入で新たな移動手段として注目されているのが「電動車いす」
・厚生労働省がGPSを搭載した電動車いすを介護保険の給付対象に加える方針を決定
・ユーザー自身が操作できる「自操式」と、自らの操作が難しく介助者が後ろから操作する「介助式」

 団塊世代が75歳以上となり、日本はいよいよ本格的な超高齢社会に突入した。認知機能が低下した高齢運転者に免許返納を促す動きはさらに加速しそうな中、新たな移動手段として注目されているのが「電動車いす」だ。

 そもそも電動車いすは電動式のバッテリーによってモーターで動く車いすのことで、ジョイスティックやボタンで簡単に操作できるのが特徴。基本的には障害や高齢などによって歩行が困難な人の移動をサポートすることを目的としている。よく「シニアカー」と混同されがちだが、シニアカーはハンドルで操作する点が大きく違う。交通ルールはどちらも歩行者と同じ扱いで、歩道や横断歩道を通行し、歩行者用信号に従う。そしてどちらも要介護認定などの条件を満たせば介護保険制度が適用され、レンタルも可能だ。

●目次

2026年にはGPSを搭載した電動車イスを介護保険の給付対象に

 現在、介護保険の給付対象となる電動車いすはおよそ300製品。要介護度2以上の人が借りた場合に限り、介護保険の適用を受けることができる。保険適用されれば、原則1割の自己負担でレンタル利用が可能。自己負担額は所得に応じて1〜3割となり、負担額は月2,000円程度(1割の場合)からとなる。

 さらに最近は厚生労働省が全地球測位システム(GPS)を搭載した電動車イスを介護保険の給付対象に加える方針を決定したことも話題に。実はこれまでの介護保険制度では、福祉用具の本体部分と通信機能部分が物理的に分離できない場合、本体部分も含めて介護保険の給付対象とならなかったのだ。それに該当するのがまさに、GPSの搭載やリモート操作ができる車椅子。まずはGPSの搭載が認められた形だが、GPS搭載製品を借りた場合、料金は数千円程度高くなる見込みだという。

電動車いすはどんな種類がある?

 では具体的にどんな電動車いすがあるのか。まず電動車いすはユーザー自身が操作できる「自操式」と、自らの操作が難しく介助者が後ろから操作する「介助式」の2つに分かれる。さらに自操式はジョイスティックを自ら操作する「標準型」と、一般的に使用されている手押し車椅子にバッテリーとモーターを取り付けた「簡易型」に分類される。

 現在、国内の電動車いすでシェアトップなのは日進医療器。1964年に設立され、1999年には国内車椅子メーカーで初となる国際品質規格(ISO9001)に登録された老舗のメーカーとしても知られている。こちらの看板商品は6輪電動車いす「NEO-PR」。2分割にして折り畳みができるので、車への積み降ろしがスムーズな点が好評だ。ほか介助用の電動車いすでは、電動モーターで坂道や長距離も楽に移動できる「軽e(かるいー)」も有名だ。

 さらに新進気鋭の電動車いすメーカーとして注目を集めるのが、2012年に設立された「WHILL(ウィル)」。従来の電動車いすの機能性を維持しながらも、誰もが乗りたくなるデザイン性に優れていることが特徴で、全国の取扱店では気軽に試乗することも可能。多くのメディアでもたびたび取り上げられている。介護保険が適用となる「WHILL Model R」は狭い道のりでもスイスイ移動でき、その場で旋回できる小回りが特徴だ。

 ペルモビールは福祉大国・スウェーデンで1963年に創業された電動車いすメーカーで、約70カ国以上に事業を展開している。同社の人気モデル「F3 コルプス」は前輪駆動方式で室内での取り回しを助け、75mmの段差も乗り越えることが可能。立ち上がった姿勢に近い状態になり、足底から各関節などへ適切な荷重を加えることで身体への良い影響も報告されている。

 また、1989年より「ヤマハ発動機」も電動車いすの開発に着手。1995年にテスト販売を開始、翌1996年には本格的に販売をスタートさせている。そして2024年には同社で約10年ぶりとなる車いす電動化ユニット「JWG-1」を発表。ただし、こちらは完成車ではなく、後付けで手動車いすに装着することで電動車いす化することができるシステムユニットとなる。主に車いすメーカーに供給して手動車いす製品に装着することで電動化をおこない、新車として販売することを想定。電動車いすの新たな可能性を広げる形として注目を集めている。

 どれを選べばいいのかはユーザーの身体の状態にもよるので、ケアマネジャーや福祉用具の相談員、町や市など各自治体に相談するといいだろう。

 日本ではまだ高齢者の電動車いす移動は少数というイメージはあるかもしれないが、電動車いす普及協会によると2024年の出荷台数は1万9632台。これから高齢化が加速すれば、さらに増えるのは間違いないだろう。ちなみに中国では近年、気軽な移動手段として電動車いすを活用する若者も増えているというから驚きだ。日本でも今後さらに電動車いすが普及するのかが注目される。

(文=高山恵/ライター、有限会社リーゼント)

環境配慮素材のTBM、ベトナムFPT子会社と覚書=企業の脱炭素経営支援

【ハノイ時事】環境配慮型の素材開発や製品製造、販売などを手掛けるTBM(東京都千代田区)は12日、ベトナムIT大手FPT傘下のFPT IS(ハノイ)と、企業の脱炭素経営を包括的に支援することを目的とした戦略的協業に関する覚書を結んだと発表した。

 提携を通じてFPTが提供する温室効果ガス排出量プラットフォーム「VertZero」と、TBMの環境配慮型素材「ライメックス」を組み合わせ、ベトナム国内外の企業における脱炭素戦略の最適化や温室効果ガス排出量削減、炭素排出実質ゼロ(ネットゼロ)の達成に貢献していく。

 TBMとFPTは両社の顧客に対し、双方の製品やサービスを共同で提案。互いのソリューションを提案できる体制を整えることで、温室効果ガス排出量の算定、報告から削減までのプロセス全体を一貫して支援できるようになる。(了)
(記事提供元=時事通信社)
(2025/08/13-13:30)