“天気予報”を超越、気象情報がインフラに…「デジタルアメダス」で気象庁が大変貌
●この記事のポイント
・気象庁が提供する「デジタルアメダス」は、全国を1km四方でカバーする面的気象情報で、従来の“点の観測”を超えた社会基盤へ進化している。
・北海道での実証では農業の追肥判断や水産養殖の水温管理などに活用が始まり、一次産業から幅広いビジネスへの波及が期待されている。
・気象庁は産学官連携やAI活用を視野に、災害対策から物流・エネルギーまで社会全体の意思決定を支える存在へ変貌を遂げようとしている。
気象庁が新たに打ち出した「デジタルアメダス」の取り組みが注目を集めている。従来のアメダスは全国に約17km間隔で設置された観測所の“点”の情報だったが、新たな仕組みでは気象衛星「ひまわり」や気象レーダーなどの観測成果を組み合わせ、1km四方(積雪・降雪は5km)の格子で解析した「面的気象情報」を提供する。
つまり、日本列島全体を隙間なくカバーし、知りたい地点の気象状況をピンポイントで把握できるのだ。
気象庁に狙いを聞くと、担当者はこう説明する。
「アメダスのような点の情報に比べ、面的気象情報は気象状況の分布を視覚的に把握できる利点があります。これまで近傍の観測所データを参照するしかなかったケースでも、知りたい地点の気象データを直接取得できるようになります。私たちはこの活用を『デジタルアメダス』と称し、デジタル社会の基盤的データとして様々な分野での活用を目指しています」
“点から面へ”の進化は、気象データを社会のインフラへと押し上げる大きな一歩といえる。
●目次
一次産業で進む利用実証
デジタルアメダスの利活用は、まず農業や水産業といった一次産業から始まっている。
担当者はこう語る。
「農業や水産業など多くの社会・経済活動が気象の影響を受けています。デジタルアメダスを活用すれば、全国の任意地点の気象状況を具体的な数値で把握でき、今後の活動の参考にしていただけます」
実際、北海道では2023年度から関係機関の協力を得て「デジタルアメダスアプリ」の開発を進めている。
「農業分野では追肥の判断に降水量データを確認するといった利用が、水産業では養殖の管理に水温を監視するといった活用が報告されています」
農業における肥料の追加判断は、収量や品質に直結する重要な作業だ。過剰な施肥はコスト増や環境負荷を招き、不足すれば生育に悪影響を及ぼす。降水量データをもとに判断できれば、農家は科学的な根拠をもって意思決定できる。
また、養殖業では水温の変化が魚の健康状態を大きく左右する。従来よりも細やかに水温を把握できれば、疾病リスクの軽減や死滅防止につながる。
一次産業におけるこうした事例は、デジタルアメダスの実用性を裏付けるものとなっている。
民間との協創を進めるWXBC
気象庁は、民間の力を引き出す仕組みとして2017年に設立された「気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)」を支援している。
「WXBCは、産業界における気象データの利活用を一層推進することを目的に設立されました。気象データをビジネスに活用できる人材育成や、先進的なビジネスモデル構築のためのワーキンググループを設置しています」
また、会員外も参加できる「気象ビジネスフォーラム」や「気象データのビジネス活用セミナー」を開催し、事例紹介や展望を共有しているという。
「気象庁はWXBCや各WGの活動を事務局として支援し、人材育成や企業間の交流機会を提供することで、市場拡大を図っています」
気象庁が直接ビジネスに関与するのではなく、土台を提供し民間企業が主役となる――このスタンスが特徴だ。
今後の展開とAIの役割
デジタルアメダスの今後についても展望を聞いた。
「情報通信技術の急速な進展を踏まえ、今後も民間気象サービスと協調しつつ、面的気象情報を基盤としたサービスの高度化を進めていきます。AI技術の活用も含めた技術開発を進め、気象庁クラウドを通じて様々な分野で利用可能とする計画です。さらにWXBCとの連携など産学官協力を強化し、民間サービスの高度化を推進します」
現時点ではAIは導入されていないが、今後の展開では重要な役割を担うと見られる。
「現在のデジタルアメダスではAIを活用していませんが、今後は面的気象情報の拡充や利用においてAI活用を念頭に取り組んでいく予定です」
AIが加われば、データの解析精度や予測能力は飛躍的に高まる可能性がある。局地的豪雨や突発的気象現象の高精度な予測、自動化された農業・水産業支援など、新たな応用の扉が開かれるだろう。
広がる社会的インパクト
デジタルアメダスが社会に普及すれば、その影響は一次産業にとどまらない。
・災害リスクの軽減:面的データで豪雨や大雪の広がりを迅速に把握し、避難勧告や事業継続判断に活用できる。
・サプライチェーン管理:製造・物流企業が天候リスクを事前に織り込み、在庫や輸送計画を最適化できる。
・脱炭素社会の推進:再生可能エネルギーの発電量予測精度を高め、需給調整を効率化できる。
・日常生活の利便性:イベント開催や観光、外出計画などにも応用可能で、生活者にとっても恩恵が広がる。
まさに「気象データが社会基盤となる」時代が到来しつつある。印象的だったのは、気象庁が「データの提供者」であり続け、ビジネス創出はあくまで民間に委ねている点だ。その姿勢は「天気を伝える組織」から「社会の意思決定を支える基盤提供者」へと役割を広げているように映る。
今後、企業が問われるのは、この基盤をどう生かすかだ。小売業は購買予測に、保険業はリスク評価に、建設業は作業計画に。応用次第で競争力を大きく左右する。
気象庁の「デジタルアメダス」は、点から面へと進化した気象データの象徴であり、社会・経済活動に広く影響を与える可能性を秘めている。
同庁が描くのは「産学官が協力し、気象データを社会インフラへと昇華させる未来」であることが見えてきた。
今後、AIやクラウド、民間企業の創意工夫が加われば、気象情報は単なる“天気予報”を超え、社会の新しい羅針盤となるだろう。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部)
「窓で発電」で都市が変わる…YKK APだからこそできる建材一体型太陽光
●この記事のポイント
・YKK APが「窓で発電」する建材一体型太陽光の実装検証を開始。都市部の再エネ拡大に新たな解を提示。
・内窓にフィルム型ペロブスカイト太陽電池を組み込み、断熱と発電を両立。景観や施工性の課題にも対応。
・都市のビル群を「発電所化」する構想。災害時のレジリエンス向上や脱炭素経営への貢献を目指す。
2050年カーボンニュートラルの実現に向け、日本各地で再生可能エネルギーの導入が進んでいる。しかし、都市部では「設置スペースが限られる」という根本的な課題が立ちはだかる。大規模な太陽光発電設備を設置する余地は乏しく、都市における再エネ拡大は新しい発想を必要としている。
窓・建材メーカーのYKK APは、その解のひとつとして「窓を発電体に変える」建材一体型太陽光発電(BIPV:Building Integrated Photovoltaics)に取り組んでいる。同社は東京都港湾局・東芝エネルギーシステムズ・関電工・東京テレポートセンターとの5者による協定に基づき、東京・お台場のテレコムセンタービルにて実装検証を開始した。
今回、新規事業開拓部長の中谷卓也氏に、開発の背景や狙い、社会的意義について聞いた。
●目次
建材メーカーが太陽光に挑む理由
――なぜ窓メーカーが太陽光に取り組むのか。
「私たちはこれまで、断熱性能の高い窓やドアを提供することで快適な住環境づくりに貢献してきました。その延長線上に、窓そのものを発電体にするという新しい価値を見いだしたのです。東京都が掲げる再エネ導入拡大目標に対し、建材メーカーとして貢献できる可能性があると考えました」(中谷氏)
YKK APは、すでに千代田区や札幌市で実証実験を重ね、羽田イノベーションシティでは実証実験ラボを開設している。今回のテレコムセンタービルでの取り組みは、都市型BIPVの本格的な実装検証として位置づけられている。
同社が今回の実装検証で注力するのは、軽量で柔軟性のある「フィルム型ペロブスカイト太陽電池」だ。特筆すべきは、その設置方式である。
「屋外の外窓ではなく、室内側に取り付ける“内窓”に太陽電池を組み込む方式を採用しました。これにより、施工が容易になり、足場を組む必要がありません。さらに、風雨にさらされないため耐久性が向上します。加えて断熱性能も高まるため、“発電と省エネの両立”という二重の価値を提供できます」(中谷氏)
外観に大きな変化を与えない点も重要だ。都市の景観を損なうことなく、既存ビルに発電機能を付加できる。
都市特有の環境を活かす可能性
札幌での実証実験では、屋根に設置された従来型パネルが雪で覆われ発電不能になった一方、壁面の発電体は反射光を活用して一定の発電を続けた。
「雪や隣接ビルからの反射光によって発電できることが確認できました。北向きの窓でも発電の可能性があることは、都市環境に適した新たな知見だと考えています」(中谷氏)
都市部では「高層ビルが立ち並び日照が限られる」というネガティブ要因があるが、反射光というポジティブ要素を取り込む発想は注目に値する。
――普及した場合、社会や利用者にどのような利益をもたらすのか。
「第一に、都市部における再エネ導入の拡大です。地産地消の電力供給が可能になり、災害時の自立電源としても役立ちます。また、ビル所有者にとっては光熱費削減や環境配慮型不動産としての付加価値向上につながります。テナント企業にとっても、カーボンフットプリント削減に寄与できるでしょう」(中谷氏)
BIPVの導入は単なるコスト削減策にとどまらず、ESG経営や脱炭素経営を推進する企業にとって戦略的な意味を持つ。
一方で、課題は少なくない。ペロブスカイト太陽電池は、量産化技術や長期耐久性がまだ確立途上にある。
「太陽電池そのものの性能や耐久性の確立には時間がかかります。私たちの役割は、そうした新素材をいかに建材として実装するか、という点にあります。ガラスやサッシの知見を活かし、安全性や法規適合性を確保しながら市場に届ける。それが建材メーカーとしての使命です」(中谷氏)
普及に向けてはコストも大きな壁となるが、YKK APは「発電+断熱・防音効果による快適性向上」を複合的な価値提案として訴求していく考えだ。
――今後の展望について伺いたい。
「今回のテレコムセンタービルでの検証は、既存ビルへの適用方法を示すモデルケースとなります。今後は都市のビル群全体を視野に入れ、エネルギーを生み出す“都市の発電所化”を実現していきたい。YKK APは太陽電池メーカーではなく、“BIPVメーカー”として社会に貢献することを目指します」(中谷氏)
都市の再エネ拡大には、「限られた空間をどう使うか」という発想の転換が不可欠だ。「窓で発電」するというYKK APの挑戦は、その解を提示しようとしている。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部)
“ステマ”は小泉進次郎だけじゃない 自民党が十数年、組織ぐるみでやってきた卑劣な“ステマ”野党攻撃と情報操作の手口を検証
赤羽、せんべろの街が“住みたい街”に変貌…「まるで吉祥寺」専門家が指摘するわけ
●この記事のポイント
・飲み屋街の印象が強い東京・赤羽だが、近年は人口増と住宅価格の上昇で人気エリア化している。
・専門家は交通利便性や生活のしやすさに加え、再開発や多様な世代の共存が人気を後押しと指摘。
・一方で地価上昇に伴う課題や住環境の変化もあり、赤羽の住宅事情は新たな局面を迎えている。
東京・北区の赤羽と聞けば、まず思い浮かべるのは「せんべろ酒場が集まる街」というイメージかもしれない。駅前の飲み屋街はテレビ番組でもたびたび取り上げられ、“サラリーマンの聖地”と称されてきた。
だがここ数年、その赤羽が「住みたい街」として注目を浴び、住宅価格も大きく上昇している。なぜ“飲み屋の街”が、今やファミリー層をも惹きつける住宅地に変貌したのか。住宅評論家の櫻井幸雄氏に話を聞いた。
●目次
10年ほど前からじわじわと人気上昇
櫻井氏によれば、赤羽人気の高まりは突然ではなく、5~10年ほど前からの傾向だという。
「北区は23区の中でも比較的“安い”場所と認識されていました。しかし、安いといっても池袋や新宿など都心部へのアクセスが良い。そのコストパフォーマンスが評価され、徐々に人気が上がってきたのです」
東京23区内で“まだ手が届くエリア”としての存在感を持ち始めたのが、赤羽だった。
飲み屋街の印象が強い赤羽だが、駅から少し離れれば閑静な住宅地が広がる。この構造は「吉祥寺と似ている」と櫻井氏は語る。
「吉祥寺も駅前はごちゃごちゃとした商店街ですが、その周囲には落ち着いた住宅地が広がっています。赤羽も同じで、駅前の賑わいと住宅地の静けさが共存している。それでいて以前は吉祥寺の半額程度で住宅が買えていたという価格差も、人気を押し上げた要因です」
駅前の活気を“騒がしい”ではなく“便利で暮らしやすい”と捉える層が増えたことが、人気上昇に拍車をかけた。
同じ城北エリアの十条や板橋と比べても、赤羽は駅周辺の活気と交通利便性で優位に立つ。JR東日本の主要5路線が乗り入れ、湘南新宿ラインや上野東京ラインを使えば新宿や東京駅にも直通。複数路線が利用できる安心感は大きい。
さらに商業施設やスーパーが駅前に充実しており、生活利便性の高さも人気を支えている。
山手線外で価格が急騰、赤羽は“スターエリア”に
東京23区の住宅価格はこの10年で大きく上昇した。特に山手線内側は高騰が著しく、一般の会社員世帯では到底手が届かない水準となった。
「山手線外側にはまだ現実的な価格帯が残っていました。その中で特に人気を集めたのが赤羽と北千住です。いわば“スターエリア”ですね」
赤羽では駅近の新築マンションが人気を牽引した。数年前までは3LDKで6000万~8000万円程度と、共働きファミリーがぎりぎり手を伸ばせる価格帯だった。これが「なんとか買える場所」として脚光を浴びた。
「赤羽は飲み屋街だけではありません」と櫻井氏は指摘する。人気の幼稚園や緑の多い公園が点在し、教育環境も一定の評価を得ている。駅前の賑やかさに隠れがちだが、子育て世代にとっては“思った以上に暮らしやすい街”だという。
実際、飲み屋街がある駅前も歩道が広く、反対側に出れば水辺の公園や住宅街が広がる。ディープな印象とのギャップが、新たな発見として移住者に受け入れられている。
赤羽人気は長く続く可能性
赤羽での新規マンション供給の多くは、工場跡地や社宅跡地で進められている。そのため、既存住民の戸建て住宅地を壊して開発するケースが少ない。
「新しく移ってきた人たちが既存住民と摩擦を起こさず、新しい生活をゼロから始められるのが赤羽の特徴です。これも住みやすさにつながっています」
赤羽駅周辺では再開発計画も進んでいる。新たな商業施設や高層マンション建設が予定され、街の魅力はさらに高まる見込みだ。
ただし価格はすでに高止まりしている。3LDKで1億円を超える物件も出てきたが、実需層にとって1億円は現実的ではない。
「一般的に6000万円台までが“なんとか手が届く”水準です。投資目的の買い手が集まらない限り、これ以上の急騰は難しい。ただ、今の水準で下がりにくい“高止まり”は続くと考えられます」
「赤羽人気は間違いなく長期的に続きます」と櫻井氏は断言する。共働き世帯が増えるなかで、都心アクセスの良さと買い物利便性、教育環境を兼ね備えた街は貴重だ。夜も活気がある街のほうが「住んで楽しい」と感じる人も多い。
周辺エリアへの波及は?
価格高騰で赤羽に手が届かなくなった層は、戸田や川口など近隣エリアにも目を向けている。ただし、外国人住民が多い地域では好みが分かれるため、実際に現地を確認することが重要だという。
「川口は赤羽より安く、潜在的な魅力があります。外国人コミュニティの存在をどう捉えるかで評価が分かれますが、実際に行ってみれば“住みやすい”と感じる人も多いはずです」
東京全体で見ると、住宅価格は上昇一辺倒ではない。超高額化した都心部に対し、城北・城東エリアは“最後の手の届く場所”として注目を集めてきた。赤羽や北千住はその象徴だ。
今後、価格が大幅に下がることは考えにくいが、実需層の購買力を超える水準に達した物件は動きにくくなる。結果として「高止まり」が続く可能性が高い。
赤羽はもはや「せんべろの街」という枠を超え、「暮らす街」として存在感を増している。街の活気、交通の便、生活インフラ、教育環境――これらを兼ね備えた赤羽は、東京の住宅事情の縮図でもある。
「赤羽は楽しい街です。街の賑わいが生活を豊かにし、共働き世帯にとっても暮らしやすい。だからこそ多くの人が憧れるのです」と櫻井氏は結んだ。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=櫻井幸雄/住宅評論家)
アメリカ発の教育系アプリ「Duolingo」はいかにして日本市場に参入・成功できたのか?
現在教育系アプリのカテゴリーでは日本で最もダウンロードされている、アメリカ生まれのアプリ「Duolingo」(デュオリンゴ)。
「デュオリンゴロゴロ」の歌にあわせて緑のフクロウのマスコットDuo(デュオ)がゴロゴロと転がるCMを、目にしたことのある人も多いのではないでしょうか。
そんなDuolingoですが、2020年に日本に本格参入した当初は、認知度は5%以下でした。それが2025年現在は認知度20%を超え、デイリーアクティブユーザー数も10倍以上となっています。その背景には、電通による綿密なメディアプランニングと、日本人に刺さるクリエイティブの力が大きく寄与しました。
今回は、Duolingo日本市場責任者の水谷翔氏と、本件のクリエイティブを担当した電通の奥野圭亮氏にインタビュー。電通のビジネスプロデューサー荒川太一氏が聞き手となり、「デュオリンゴロゴロ」のテレビCM放送までの裏側を中心に、Duolingoのこれまでの歩みや電通がどのように伴走してきたかを振り返ります。
<目次>
▼認知度3.8%からの挑戦。テレビCMにこだわった理由は?
▼お風呂で楽しむユーザーからヒントを得た「デュオリンゴロゴロ」
▼徹底したリサーチで本国を説得!テレビCMの効果を数字でアピール
▼テレビCMの成功で、教育カテゴリー売り上げ1位アプリに
▼日本市場進出の鍵は、メディアプランとクリエイティブの徹底した準備
認知度3.8%からの挑戦。テレビCMにこだわった理由は?
荒川:水谷さんは2020年8月にDuolingo に入社されています。日本に本格参入するタイミングだったと思いますが、当時はどのような課題を抱えていたのでしょうか。
水谷:2021年3月時点でDuolingoの日本国内での認知度は3.8%で、そもそも知られていないことが課題でした。一方で、
- アプリの存在を知ってさえいれば高い確率で利用してくれる
- そして利用者は継続使用してくれる割合が高い
といったことも分かっていました。だからこそやるべきことは明確で、まずは認知度アップに向けて取り組む必要がありました。その中でも私は入社当初からテレビCMをやりたいと考えていたんです。
荒川:なぜテレビCMだったのでしょうか?
水谷:一つは前職で関わっていたアプリでもテレビCMを活用した経験があり、そこで「アプリの認知度向上にはテレビだ」と、効果を体感したからです。もう一つの理由は、Duolingoという商材自体もテレビCMと相性が良いと考えていたからです。
というのも、Duolingoは若年層だけでなく、老若男女すべてに受け入れられています。特に、テレビ視聴者が多い年齢層が高めの方々は、使ってさえもらえばアプリの定着率が高いことも分かっていました。そのため、当初からテレビCMと親和性が高いと感じていたんです。
荒川:グローバル展開しているアプリの場合、各国でクリエイティブを統一していたりすることが多いと思います。日本オリジナルのクリエイティブにした理由はなんでしょうか?
水谷:DuolingoはアメリカでもテレビCMを放送していますが、アプリの認知向上が目的というよりもブランディング寄りの内容となっています。それに、いかにも海外らしい3Dアニメーションで制作されているので、本国のクリエイティブを日本でそのまま活用するのではなく、オリジナルで作る必要があると考えていました。
荒川:奥野さんは、初期からDuolingoのCMでクリエイティブディレクターを務めていますよね。関わることになったきっかけはなんだったのでしょうか?
奥野:私は水谷さんの前職時代から付き合いがあったんです。そして今でも印象に残っているのが、水谷さんになぜDuolingoに入社されるのかを聞いたときのことです。
「Duolingoは、教育格差を解消し、貧富の差が教育環境に影響しない世界の実現というミッションを掲げている。僕も世界を良くすることに人生をかけたい」
とおっしゃっていて。これは何か手伝わなきゃいけない!と思ったんです。
その後、二人で相談しながら、アプリの認知度を高めるにはまずDuolingoというネーミングを訴求したほうがいいという話になり、ウェブ用の動画を制作しました。「デュオリンゴロゴロ」のフレーズを用いてオリジナルソングを作り、結果的にこれがテレビCMの種になりました。
お風呂で楽しむユーザーからヒントを得た「デュオリンゴロゴロ」
荒川:「デュオリンゴロゴロ」というあの印象的なフレーズは、どこから生まれたのでしょうか?
水谷:私がDuolingoの利用者にインタビューを重ねる中で、気づいたことがヒントになっています。利用者インタビューでは、Duolingoの価値について、「朝起きたときとか寝る前にできるから便利」という声を多く聞きました。
その中で、ある男性が「2年間、お風呂場でDuolingoを毎日使っている」とおっしゃったんです。そのときは特に引っかからなかったのですが、後からよく考えてみると、不思議だなと。リラックスタイムにわざわざ勉強するのはなぜだろう?と疑問がわきました。
そこでもう一度その男性に電話をして、なぜお風呂で利用しているかを聞きました。ご自身でも理由は分かっていないようだったのですが、「以前はお風呂でInstagramを見ていた」と聞いて、Duolingoはマンガを読んだりSNSを見たりするのと同じ感覚で使われているんだ!と気づいたんです。
つまり、ボーっとしているリラックスタイムでも語学を学べるところに、Duolingoのベネフィットがある。それは「ゴロゴロしながら学べるアプリ」とも言い換えられると思いました。
それを奥野さんに話したところ、「デュオリンゴロゴロ」が出来上がりました。ああこんな手があったかと、最初に動画を見たときは一人で笑ってしまいましたね(笑)。
奥野:「デュオリンゴ」と「ゴロゴロ」の「ゴ」がリンクしたのでこれは作りやすいぞと。でも僕としてはそれ以上に、言いたいことを絞って作らせてもらえたことが良かったと考えています。
Duolingoは、無料で、40言語以上が学べて、ゲーム要素があって……とさまざまな特徴があり、伝えたいことはたくさんあったと思うんです。それを我慢して、ネーミングと、アプリの最も大きな価値を伝えることだけに注力したことが、最初に作成するクリエイティブとしては良かったポイントですね。
徹底したリサーチで本国を説得!テレビCMの効果を数字でアピール
荒川:まず「デュオリンゴロゴロ」のウェブ動画が作られ、その後、全国でテレビCMが放映されたのは2022年5月でした。実現までいろいろな苦労があったと思いますが、そもそも日本の地上波でテレビCMを放送したいと、アメリカ本国を説得するのは大変だったのではないでしょうか。
水谷:そうなんです。大前提として、日本と韓国以外の市場ではテレビCMがあまりうまくいっていないので、グローバルからすると「なぜテレビCM?」という疑問が最初にあります。テレビCMはコストが高すぎる上に、それが結果につながらないケースも多い。ましてやアプリという商材だと、効果をトラッキングできるデジタル広告と比べてコストに見合わないと、消極的になるグローバル企業が多いと思います。
日本や韓国でテレビCMが有効な理由は、テレビ離れと言われながらも、他国と比べるとまだまだテレビ自体が見られているから。そして日本はチャンネル数が少ないことも理由の一つです。アメリカなどではケーブルテレビが主流なんですが、そもそもの数が100チャンネル以上になるので、視聴者も分散されてしまうんですよね。
荒川:テレビのチャンネル数が少ない日本のメディア事情は、グローバルで見ると特殊なんですね。そこをどう説得していったのでしょうか。
水谷:テレビCMの全国放送の前に、地方でテストマーケティングを行えたことが説得材料としては大きかったです。実は最初のテストマーケティングでは予定していたクリエイティブの完成が間に合わず、別のグローバル素材を使用しました。とはいえそこで諦めることができず、追加でテストを行い、そのスコアが最初のテストの数値を大きく上回れたら再度挑戦させてほしいと、本国に粘り強く交渉しました。
「デュオリンゴロゴロ」を含む何パターンかのテスト動画で検証を行い、結果的に最もスコアが良かった「デュオリンゴロゴロ」でテレビCMを作ることに。最終的には、CPI(※)も最初のテストマーケティングのときの三分の一ぐらいになりました。
※CPI=Cost Per Install。アプリの1インストールあたりにかかる費用
荒川:テレビCMを実施する前、最後は電通も交えてDuolingoのメディアディレクターにプレゼンをしましたよね。
水谷:すでにテストマーケティングのスコアを上回る結果が出ていたので、本国の経営陣からGOサインはもらっていたのですが、メディア部門のトップが最後までテレビCMに懐疑的だったんです。そこで、電通のメディアプランナーである吉岡俊祐さんを中心にプレゼン資料を作り、当社のグローバルチームとミーティングを行いました。
そこで日本のメディア事情というものを説明し、地方でのテストマーケティング結果から算出した、「デュオリンゴロゴロ」の全国のCPIについても話しました。吉岡さんが何を聞かれても定量的な数字で答えてくれるので、説得力がありましたね。
また、説明の際に効果的だったのが、電通のソリューションである「STADIA」(※)の活用です。「STADIA」を使えば、テレビCMを見た人がどの程度アプリをダウンロードしたのか、パフォーマンスが良かった放送局・番組・時間帯までわかるので、説得材料として非常に有効でした。こうしたテレビ視聴ログやその効果測定というのは、グローバルでは取れないデータなので、本国でも高く評価されました。
※STADIA=電通による、テレビの実視聴ログに基づくデジタル広告配信・効果検証の統合マーケティングプラットフォーム。従来は効果測定が難しかったテレビで、デジタルとかけ合わせた分析が可能。

もう一つ大きかったのが、日本ではテレビCMが効くということに加えて、「テレビCM期間中はデジタル広告のCPIも良くなる」という副次的効果があります。つまり一度テレビCMで見たアプリは、その後にデジタル広告で接触した際に、「テレビで見たアプリだ」といういわば“ハロー効果”が働くんですね。これも実際のテストの数値を示しました。
こうした詳細な分析と説明のおかげで、メディア部門のトップを含めて社内に理解してもらえたことで、全国放送までこぎつけることができました。
テレビCMの成功で、教育カテゴリー売り上げ1位アプリに

荒川:テレビCMは、結果的に大成功でしたね!
水谷:はい、社内からも「今期の最も大きな成功が、日本のこのキャンペーンだ」と評価いただき、私自身も一安心でした。Appストアでもダウンロードランキングが約100位から3位へと急上昇し、課題だった認知度も2023年6月には16%までアップしました。その後、デイリーアクティブユーザー数も日本に参入した2020年と比べると2024年には10倍を超え、2023年から現在まで、教育カテゴリーのダウンロード数・収益ともにナンバー1のアプリになるまで成長しました。
奥野:その後も全国版のテレビCMをいくつか作りましたよね。2023年にはよりアニメのクオリティを高めた「デュオリンゴロゴロ」のCMを作ることになり、辻川幸一郎監督と細かいディテールまでつめたアニメーションにしていきました。
水谷:このCMは、クオリティが高いと社内でも好評で、当社のクリエイティブチーム含め皆とても気に入っています!


奥野:Duolingoのグローバルクリエイターであるジェームス・クジンスキーさんともお付き合いが長くなり、良い関係が築けていると感じます。日本とアメリカではクリエイティブにも違いがあって、例えば日本はCMのアニメーションは2Dが主流ですが、アメリカでは3Dが多いんです。
また、「かわいい」の認識も少し異なっているように思いました。というのも、緑のフクロウであるDuo(デュオ)はDuolingoの世界共通キャラクターですが、僕は最初に見た時にかわいいなって思ったんです。でも本国ではどちらかというと“変わり者”のキャラクターなんですよね。学習をサボると「まだやらないの?」「今日がもう終わっちゃうよ!」としつこく圧をかけてきたり怒ったり(笑)。キャラクターへの認識の違いをお互いに探り合いながら、本国にも説明をして、ご理解をいただき、少しずつすり合わせていきました。
でも、今振り返ると、最初にDuoのかわいらしさが伝わるようなCMを作れてよかったと思っています。ジェームスさんがそこをしっかりご理解してくださったのはありがたかったなと。最初からDuoらしさ全開でいくと、もしかしたら日本ではなかなか受け入れられなかったかもしれません(笑)。とはいえ、5年かけて少しずつ世界基準のDuoにキャラクターを歩み寄らせていて、2024年に放送された実写版のCMは、かわいいだけではないDuoの個性的な一面も伝わるものになっていると思います。
水谷:CMの数値的な結果はもちろんですが、奥野さんたちが手掛けるクリエイティブ自体のクオリティが高く、キャラクターのこともよく理解していただいているので、当社のクリエイティブチームから信頼を勝ち得ていると思います。
そしてクリエイティブだけでなく、メディアプランニングの側面でも電通への信頼は厚いと感じます。最初はテレビCMの放送前に電通を交えたキックオフミーティングを実施して、吉岡さんたちからメディアプランのシミュレーション結果や分析結果を説明いただいていましたが、次第にその必要もなくなりました。というのも、上層部から「彼ら(電通)は“マニアック”だからもう大丈夫だろう」と言われるようになったからです(笑)。
奥野:“メディアマニア”だと(笑)。
水谷:また、キャンペーンが終わった後も、STADIAのおかげで、例えば「デュオリンゴロゴロ」のCMは土日の方がパフォーマンスが良いから、次は平日に効果を出せるクリエイティブを作ろう、といった次回の施策に向けた建設的な議論ができます。この点も社内では評価されています。
日本市場進出の鍵は、メディアプランとクリエイティブの徹底した準備

荒川:今回のDuolingoの成功事例から見えた、グローバル企業が日本に進出する際に重要なポイントを聞いてみたいのですが、水谷さんはどうお考えでしょうか。
水谷:まず、精緻なメディアプランを準備することが重要だと思います。本件では電通が、日本の特殊なメディア事情を熟知しており、またSTADIAなどを用いた細かな分析をしてくださったことで、最初から社内の信頼を一気につかむことができました。おかげで「デュオリンゴロゴロ」以後は予算も取りやすくなり、動きやすくなりましたよね。
また、クリエイティブに関しては、言語の壁があるので、できるだけ具体的なイメージを本国に共有することが大切だと感じました。テキストだけの説明や参考動画の共有だけでは、正確に伝わらない場合もありますよね。「デュオリンゴロゴロ」のクリエイティブは、歌も入ったビデオコンテを奥野さんに最初に作っていただけたので、社内でもイメージの共有がしやすく、ありがたかったです。
総じて、メディアプランもクリエイティブも最初からしっかりと具体的なものを準備をすることで、本国を説得しやすく、動かしやすくなると思います。
荒川:ありがとうございます!最後に、日本におけるDuolingoの今後の展望を教えてください。
水谷:現在、Duolingo内でユーザーと売り上げが最も多いのはアメリカです。そこを日本が抜くような立ち位置になることが今の目標で、当社の社長もそれを望んでいます。
マーケット的にはまったく無理な話ではなく、特に英語学習者のマーケットは、非英語圏である日本を含めたアジア地域に大きなポテンシャルがあると考えています。Duolingoの今後の戦略の上でも日本はとても重要な国。今後も新規ユーザー拡大に向けて取り組んでいきます。
生成AIは人間の人間らしさを拡張し、世界をつなぐ?
日立製作所と電通、電通デジタルの3社による共創プロジェクト「AI for EVERY」は、生成AIを用いて生活者と企業、社会のより良い接点を構築し、さまざまな社会課題を解決しようというプロジェクトです。
フードロスを減らすために生まれた「今日の気まぐレシピ」は、その一つ。「社会課題」という大きなテーマを生成AIで解決するには、一つ先を行く「発想力」と「実装力」が必要です。
前編に引き続き今回も、プロジェクトを主導する日立製作所(以下、日立)の越智啓之氏と赤司卓也氏、Dentsu Lab Tokyoの越智一仁氏、岸本和也氏、電通デジタルの高橋優太氏に、各社の考える「実装力」や、生成AIとともに描く未来や希望についてお聞きしました。
※同姓の越智氏が2人いるため、日立の越智氏は「越智(日)」、電通の越智氏は「越智(電)」と記載します。
<目次>
▼アイデアを“絵に描いた餅”にしない。社会インフラの実装を担う日立
▼1億人規模の「AIペルソナ」で実装前の検証を行う電通
▼生成AIが人間の人間らしさを拡張していく未来はある!
アイデアを“絵に描いた餅”にしない。社会インフラの実装を担う日立
越智(電):前編では、生成AIで社会課題を解決する「AI for EVERY」のソリューション第一弾となる「今日の気まぐレシピ」(※)について、発想に至った経緯や発想方法についてお聞きしました。
ここからは、日立と電通グループの「実装力」について深掘りして伺います。日立の越智さんは主にサービスやソリューションの実装のお仕事が多いそうですね。課題解決に向けて、実際に発想を実現して機能させるという点で、日立さんが普段からどのように取り組まれているかを伺えますか。
※今日の気まぐレシピ=
日立の在庫管理システムや需給予測・受発注システムを基に「売れ残りそうな食材」を高精度に予測し、電通クリエイターの知見を学習した生成AIがその食材に関連するユニークなレシピやクーポンを生成。電通デジタルが提供する「∞AI Ads」のノウハウを活用し、これらのレシピやクーポンを、販促素材として自動生成し、店舗のアプリや店頭サイネージなどで配信する。(現在フィジビリティスタディ中)
越智(日):それでは、日立が日常的な社会課題に取り組んだ事例について、二つお話しいたします。一つ目ですが、日立はJR東日本さんと一緒に、鉄道路線の運行システムを開発しています。この取り組みは、首都圏の在来線の運行を管理するシステムや保守業務にAIエージェントを適用した事例であり、安全で持続可能な鉄道運行の実現をめざし取り組んでいるものです。
日立はこうしたシステムの運用管理に長年取り組んでいますが、年を追うごとに働き手の数は減っており、さらにシステムがバージョンアップすることで仕様が増えてメンテナンスも複雑になっています。何か問題が起きたときに、就業経験が浅い方でもすぐに扱えるようにするにはどうすればよいのかという課題もあります。そこで、これらの課題に対しては、生成AIにマニュアルなどの情報を取り込み、何か問題が起きたときに人間を支援できるように、今、検証を進めているところです。働き手不足という日本全体の社会課題と、システムそのものの複雑さに生成AIでアプローチするということですね。
日立、JR東日本における輸送の安定性向上に向け、鉄道運行管理システムにて初めてAIエージェントを活用する共同検証に合意
二つ目の話ですが、日立がダイキンさんと一緒に行っている、生成AIを活用した工場設備の異常の発見に関する検証です。生成AIが図面の情報を読み取って、工場設備の細かい構造を把握し、異常がある場合はその前後に問題がないかを確認してから原因らしきものを回答します。検証中ですが、非常に精度が高く、一般的な保全技術者が回答するのと同程度のことができます。
ダイキンと日立が協創、工場の設備故障診断を支援するAIエージェントの実用化に向けた試験運用を開始
このように日立は、時代ごとにtoB領域のお客さまの課題に対して、さまざまな技術でアプローチすることで解決してきました。しっかりと課題を把握し、そこに日立が持っている技術——例えば生成AIなどのIT技術もそうですし、他にもエネルギーをはじめとする科学技術の強みもたくさん持っていますので、それらを組み合わせながら解決に向かっていくことが、日立の使命だと思います。
越智(電):やっぱり日立さんは本当に社会に入り込んだサービスを実装されているので、ダイナミックさが、私たちが主に取り組んでいる広告領域とは全然違いますね!日立で長年デザインを担っている赤司さんにお伺いしたいのですが、「デザインと発想」という視点で見たときに、日立さんの実装力をどのように感じていらっしゃいますか。
赤司:僕はずっと日立でデザインの仕事をしている人間なので(笑)、他社と比較ができないんです。ただ、社会インフラを作っている会社なので、最初から実現する見込みの薄い“絵に描いた餅”として進め、結局何も実現しないということがないようにはすごく気をつけていますし、そういう企業文化で育ってきています。要は「デザイナーがアイデアを発想しました、実現してください」という仕事の仕方では、何も実現しないんです。
だから、最初からエンジニアやアーキテクトと一緒になって“よーいどん!”で動くとか、AIを活用するなら越智さんのような実装をする人と一緒に動くということは、ずっとやってきていることですね。
そして、早め、早めにフィジビリティ(実現可能性)についてチェックを入れています。技術的に実現できるかだけではなくて、実行する時に人や組織の観点で課題が無いかどうかも大切になるので、そういった準備を一緒に考えていかないと、今考えている発想の善しあしがジャッジできないんです。
越智(日):ここまでは日立の社内について主に話してきましたが、BtoB領域で社会実装するためには、1社だけではなかなか難しいです。対象領域におけるオペレーションを推進している会社さんと一緒に取り組まないと、「ものだけがある」みたいなことになってしまうんです。
つまり日立の行う社会実装とは、実際にオペレーションに取り組んでいるエンタープライズ企業と、いっしょにオペレーションを作り込むことが非常に大きなウエイトを占めていると思います。ただ、技術だけあればいいということではないんですね。
1億人規模の「AIペルソナ」で実装前の検証を行う電通
越智(電):続いて電通グループの「実装」についてお話しできればと思います。私は普段、Dentsu Lab Tokyoという組織でデジタルやテクノロジーを使ったクリエイティブに携わっていますが……電通ももちろんフィジビリティを意識しながらアイディエーションしていくけれど、序盤は結構、無邪気だったりするというか(笑)。その点、社会インフラを実装する日立さんは、電通よりも実現可能性への意識がかなり高い印象を受けました。電通グループのお二人は、何か違いを感じましたか。
高橋:実装という観点でいうと、電通グループは、コミュニケーションや表現を通じて「人の心を動かす」ことが、ゴールに設定されることが多いと思います。ただ、実際どれくらい人の心が動くかは、暗黙知に頼っている部分も大きくて、成果をどこまで約束できるかというと、やってみないと分からないという、難しい面もあります。それに類似事例があまりないようなコミュニケーションを手掛けることが多いのもあり、「実装後」について保証しにくい点を悩ましく思っていました。
ただ、最近の生成AIの発展により、実装の面まで意識したプランニングも増加しつつあります。例えば国内電通グループには「People Model」というものがあります。これは大規模生活者調査をもとに、仮想空間上で1億人規模のAIペルソナを作って、その中で広告表現をシミュレーションしたり、模擬的なインタビューをしたりできるようになっているんですね。
こうして、これまでにない新しい表現については、生成AIを使うことで「どれぐらい人の心が動きそうか」をある程度検証しつつ、初めての表現として社会に送り出すことを両立できるようになると思います。従来のようにやってみなくては分からないところがありながらも、それはある程度AIの中で試せるようになりつつあるというのが、国内電通グループの実装領域における直近の動きですね。
岸本:先ほど、日立さんがJR東日本さんと一緒に運行システムを開発している話を伺って、電通のクリエイティブでは考えられない、ものすごい堅牢さを感じました。
私たちの実装についてお話しすると、所属するDentsu Lab Tokyoでは、「クリエイティブテクノロジスト」というクリエイティブ職内の技術担当とフィジビリティを詰めつつ、生活者の方や目の前の人の心がどうすれば動くのか、整合性をすり合わせてプランニングすることが多いです。しかし、やっぱりインフラレベルの社会実装にまでは思い至れない。その点、日立さんはそもそもの能力が違うとも思うんです。
越智(電):たしかに、お互いが持っている能力や文化は、大きく異なると思いますよね。日立さんがこれほどまでにフィジビリティを意識していることや、取り組みの規模、期間、領域など、何をとっても電通グループと企業文化が違うなと、正直圧倒されています。
今回のコラボレーションでは、私たちは日立さんの「実装力」に期待を掛けているんです。期間が短く、影響を与えられる部分が狭いという電通グループの弱点が、日立さんと一緒に取り組むことでダイナミックな成果に転換できるんじゃないかと楽しみになっているところです。
生成AIが人間の人間らしさを拡張していく未来はある!
越智(電):今後、生成AIを利用していくと世界がどのように変化していきそうか、希望も込めて議論できればと思います。
……どうなっていくんでしょうね。例えばアバターのように、店員さんがAIであるようなことは入り口としてありえると思います。AIが活躍する方法っていろいろあるような気がしていて。みなさん、どうお考えですか。
岸本:手段はどんどんそろっていくので、AIにできることもどんどん増えると思うんですよ。それゆえに、人間が「どうしたいか」「どうなるとより良いのか」という意思を明確にした方がいいかなという気持ちがあります。
多分今後は、生成AIを使うことで、人に寄り添ったサービスやプロダクト、インフラがもっと作られるようになると思います。どういうことかというと、例えば今のいわゆるマルチモーダルなAIは、文章や音声、画像などいろいろなものを一気に入力しても理解してくれるし、あるいはその場で解釈して返答してくれたり、ざっくり言うとかなり「空気を読んでくれる」ようになりました。
こうなってくると、AIがもっともっと人の気持ちに寄り添ったり、場の雰囲気を読んだりもできるし、より高度な表現ができるようになります。さらに、さっき高橋さんがおっしゃったPeople Modelの例にあったように、AIが「この表現は人々にどう伝わるか」というシミュレーションを事前にできるようになっていくかもしれない。
そんなふうに進化していく中では、AIが「人に取って代わる」よりは、「人に溶け込んでいく」ことを目指せるといいのではないかと思います。そのための手段はどんどんそろってきていますよね。
越智(電):なるほど。変な思いつきだと思われるかもしれないのですが、例えば、打ち合わせの雰囲気が良くなるようにAIが手伝ってくれる、なんてこともあるのかもしれないですね。参加者それぞれのバックグラウンドを読んで、アイスブレークをしてくれるとか。
岸本:沈黙が訪れたら空気を読んで突っ込んできたり、「そろそろ飽きてきましたね」とコメントを差し込んでくれたり(笑)。そういう役割は、マルチモーダルな生成AIが、人間たちの「ことば」だけでなく、「表情」や「音」などの情報を取り込めるようになると実現できるのかなと思います。
越智(電):日立のお二人はいかがでしょう。
越智(日):未来の予測は、なかなか難しいですね。ただ言えるのは、コンピュータープログラムとのやり取りが、プログラミング言語ではなく自然言語になったというのが、やっぱり一番大きな変化なのかなと思います。
例えばAIチャットボットは、自然言語の中にある意味的な「深さ」や「幅」をかなりいい感じに理解してくれます。だからできることがものすごく多くなったし、プログラマーじゃない人でもかなり高度にAIを使えるようになりました。そうした変化は、やっぱりインターフェースが自然言語だからというのがものすごく大きいと思っています。
今後はさらにAIの能力が拡大・拡張されていき、AIエージェント同士がコミュニケーションし、複雑な課題解決もどんどんできるようになっていきます。操作できる対象もコンピューターの中の世界だけではなく、例えば人がブラウザをマウスで操作するのを生成AI上でシミュレートできるようにもなっています。
さらにその先のことですが、未来ではロボットとのコミュニケーションがもっともっと簡単になっていくかもしれない。今、世界はインターネットという通信でつながっていますが、生成AIによって、もっと「つながり」が意味的に広がっていくと思います。世界とつながるためのコストはもっと安くなっていきますし、つながるときの情報のやりとりの深さ、意味的な深さは、自然言語をインターフェースにすると、どんどん発達するでしょう。それが将来、一体何になるのかっていうところは……どうなるんでしょうねえ(笑)。
越智(電):今のお話を伺っていて、生成AIは「いろんな人の力を拡張できる能力」を高めていくんじゃないかという気がしました。 例えば「プログラミングの知識はないけど、すごくセンスのよい人」のアイデアを、生成AIによってデザインやアプリケーションなどに置き換えることができて、それを求めている人が購入できる……みたいなことも実現していくのではないかと。それがいろんな領域で起こる気がしています。赤司さんはいかがですか?
赤司:うちの越智さんが、私の伝えたいことを結構話してしまったのですが(笑)。マン・マシン・インターフェースとしてのAIが世界を変えていくという流れは、絶対にあるじゃないですか。コードやプロトコル、キャリブレーションやパラメーターを一切操らなくても、何か価値交換が生まれるって、すごいことですよ。私は、「人間の仕事はAIに代替されて、仕事を失っちゃうよね」っていう話よりは、こちらの議論をもっともっと盛り上げていきたいんです。
もう一つ、私は、先ほどの「人と人をつなぐコスト」の話が大好きなんですよ(笑)。前編で、日立で取り組んでいる「ビジョンデザイン・プロジェクト」活動の話をしたんですが、社会課題においては結局何らかの「新しい関係性」みたいなものが社会に登場しないと、その価値って実現されないじゃないですか。例えばフードロスが社会課題だとして、フードロスをしている現場と生産者の間に「新しい関係性」を作り出してあげて、そこにサービスを通さないと、フードロスの解決は実現しない。でも今までは、その「新しい関係性」を作るコスト、つまり「つなぐ」コストがものすごく高かったんです。
あるいはギグワーカーの世界でも同じで、例えば僕が一対一で高橋さんと仕事を交換したいと思っても、高橋さんは僕を信頼しうる情報を持ってないので、信頼してもらえないわけです。結局その信頼情報は誰かが作り出さないと、ギグワークやCtoCのような話も実現しません。
じゃあそこは誰がつなげてくれますか?というと、なかなかビジネスにするのが難しい。データはありますよね。それに人と人をつなぐことで社会が良くなることも分かっていますよね。でも、できない。この「できないもどかしさ」も、生成AIで「つなぐ」コストが下がれば、実現できるかもしれないと思うんです。
AIエージェントが、これまで社会インフラの中であまりにコストが高すぎて「つなげなかったもの」を、「つないでくれるピース」になったら、できることはめちゃくちゃ増えると思いますよ。
越智(電):面白いですね!生成AIによってもたらされる効率化を考えてしまうと、「人はAIに代替されちゃうんじゃないか?」と、つい想像してしまいます。しかし今のお話を伺うと、やっぱり生成AIで目指すべきは、人の存在価値がすごく担保されていて、人と人がマッチングして新しい価値が生まれていくというところにあるんですね。本当に「目からうろこ」の話でした。高橋さんはいかがですか。
高橋:まず前提として、いろいろな生活領域に生成AIが拡張していくトレンドがすでに動いていますし、今後、多くの人がアクセスできるようになるというのもおっしゃる通りだと思っています。
例えば、私自身はコードを書けなかったんですが、今はAIに頼むことでプログラミング言語であるPythonを書いてもらうことができます。人間の力をAIで拡張することで、いろんな可能性が生まれます。もう少し進化すると、例えばシニアの方が肉声でAIに話しかけるだけで、介護に関する情報を簡単に得られるような世界が広がっていくのかなと思います。
そこで、「人間が根源的にやりたいこと」と「AIにお願いしてもいいこと」をいかに分けるかということが、今後の論点として大きくなっていくと思っています。「AIが何でもできる」からこそ、「人間があえて何をやりたいか」ということを、より問い直す機会が訪れるのではないかと。
そういう意味では、人間の人間らしさを担保できるシステムづくりであるとか、逆に人のミクロな視点で「そもそも人が持つ欲求とは何なんだっけ?」とか、「これから社会がどのように移り変わっていくのか?」というようなことを行ったり来たりしながら、AIを通じて社会のあり方をよりよくしていけたらと思います。日立さんと電通グループがタッグを組むからこそ、「人間らしさを拡張していく」という軸がぶれないAIの社会実装を実現できると思います。
越智(電):〆としてふさわしいお話をありがとうございます(笑)!このAI for EVERYのプロジェクトも、今のような発想で、人と人をつなぎ、人の能力・価値を拡張していくAIのあり方を提示していけるような、そんな取り組みになるといいなあと、聞いていて思った次第です。
高橋:人を置き去りにもしないし、“絵にかいた餅”で終わらせない。あくまでも実装力をもって取り組む。そのバランスを取ることが大切だと思います。
越智(電):ありがとうございます!今日は非常にエキサイティングな、本当に楽しいお話ができました。今後ともよろしくお願いいたします。
AIがブラウザを動かす時代へ…ChromeとClaudeのタッグがもたらす変革
●この記事のポイント
・Chrome拡張機能「Claude for Chrome」は、指示を出すだけでブラウザ操作を自動化するAIエージェント。
・Googleと正式提携ではないが、普及率の高いChromeで展開されることで大きなインパクトが期待される。
・OpenAIやGoogleも同領域に参入し、ネット体験を塗り替える「AIエージェント時代」の到来が近づいている。
AIが人々の仕事や生活に入り込みはじめてから、まだ数年しか経っていない。それでも、生成AIはすでに「文章を考える」「プログラムを書く」といった創造的タスクにとどまらず、実際の操作を肩代わりする「エージェント」領域に足を踏み入れようとしている。
その象徴ともいえるのが、ブラウザChromeとAnthropic社の大規模言語モデル「Claude」が組み合わさった拡張機能「Claude for Chrome」だ。
一見すると「GoogleとAnthropicが正式に提携した」と受け止められがちなこのニュースだが、実態はどうなのか。そして、そこから見えるインターネットの新しい姿とは。
今回は、AIの社会実装に詳しい株式会社ウレルブン代表取締役の酒井麻里子氏に話を聞いた。
●目次
Claude for Chromeとは何か
「Claude for Chrome」は、Anthropic社が開発したChrome拡張機能である。ブラウザのサイドパネルにチャット画面が表示され、ユーザーが自然言語で指示を出すと、そのままページ移動やクリック、入力操作をAIが代行してくれる。
酒井氏はこう説明する。
「たとえば『受信メールの内容を読み、そこに記載された会議をカレンダーに登録し、さらに返信メールの下書きを作る』といった一連の操作が、チャット上のシンプルな指示だけで完結します。経費申請の処理やWebサイトの機能テストなどもユースケースとして示されています」
これまで生成AIは文章や画像の「生成」が主軸だったが、Claude for Chromeは一歩進んで「操作の自動化」にまで踏み込んでいる点が新しい。
こうした仕組みを耳にすると「AIが勝手に操作するのでは」と不安を抱く人もいるだろう。しかしAnthropicは安全性を強く意識し、アクセス権限の制御や操作前の確認、高リスクサイトのブロック機能を実装している。
現段階ではプレビュー版に限られ、誰もがすぐに利用できるわけではない。だが酒井氏は「可能性は非常に大きい」と強調する。
「“やってほしいこと”をそのまま伝えるだけで作業が終わるインターフェイスは直感的で利便性が高い。実装が進めば、従来の“自分でクリックして入力する”というネット体験が、大きく変わる可能性があります」
ChromeとClaudeの「タッグ」の実像
今回の発表を受け、「GoogleがAnthropicと正式に提携したのか」との声もある。しかし実際にはそうではない。
酒井氏は次のように整理する。
「Claude for ChromeはあくまでもAnthropicが開発した拡張機能です。GoogleがClaudeを公式に採用したわけではありません。ただし、世界的に圧倒的なシェアを誇るブラウザChromeに組み込めることで、多くのユーザーにリーチできるという点では大きな意味があります」
つまり「タッグ」といっても業務提携ではなく、「Chromeのプラットフォーム上にAnthropicが乗り込んできた」というのが正しい構図だ。
実際に広がるかどうかは、料金体系や認知度に左右されるだろう。
ClaudeはChatGPTやGoogleのGeminiに比べると日本での知名度はやや低い。そのため有料提供になった場合、「Claudeのために課金するかどうか」が利用拡大の分かれ目になる。
また、現状のプレビュー版は「すぐに業務効率化に直結する」というレベルには至っていない。タスクによっては時間がかかることや、人間がログイン作業を代行しなければならない場面も残されている。
他社との比較:OpenAIやGoogleの動き
この分野で競合となるのが、OpenAIやGoogleだ。
OpenAIはすでに「ChatGPTエージェント」を有料ユーザー向けに提供している。仮想ブラウザを開き、ECサイトで商品を検索・カートに追加したり、旅行予約サイトで航空券を探すといったことが可能だ。ただし「自分のアカウントでログインした状態から操作を開始する」ことは現時点ではできず、完全自動化には至っていない。
一方Googleは、自社AI「Gemini」を検索に組み込む「AIモード」を開始。さらに「チケット購入やレストラン予約を自動化するエージェントモード」も導入予定で、これはClaude for Chromeと真っ向から競合する機能といえる。
酒井氏はこう指摘する。
「各社とも“AIに任せられる領域”を着々と広げています。現状ではまだ実験的な要素が強いですが、課題が解決すれば私たちのネット利用のあり方を根本から変える可能性があります」
もしAIエージェントが日常的に活用できるようになれば、どんな世界になるのか。
まず考えられるのが「定型的で手間のかかる作業の自動化」だ。たとえば出張の際、これまでのように航空券と宿泊を自分で探して入力する必要はなく、「来週の大阪出張に必要なフライトとホテルを予約して」と指示するだけで済むかもしれない。
ビジネス現場では、経費処理やスケジュール調整などの“雑務”が大幅に削減され、より創造的な仕事に時間を割けるようになるだろう。
「AIエージェント時代」の入り口
AIの進化は、単なる“答えを返すツール”から“実際に行動するパートナー”へとシフトしつつある。Claude for Chromeは、その変化を実感できる最初の一歩だ。
酒井氏は最後にこう展望を語った。
「今はまだ『すぐに生活や業務を激変させる』段階ではありません。しかし、複数の大手がこの分野に参入している以上、AIエージェントは確実に進化を続ける。私たちはまさに“AIに操作を任せる時代”の入り口に立っているといえるでしょう」
「ChromeとClaudeがタッグを組む」というニュースは、見方によっては誤解を招きやすい。しかし、その本質は「AIエージェントが一般ユーザーのブラウザ体験に近づいてきた」という事実にある。
OpenAI、Google、Anthropic。巨頭が揃って「操作するAI」に注力していることは、これが一過性の実験ではなく、今後のネット体験を形作る基盤技術であることを示している。
Claude for Chromeは、AIエージェントの可能性と課題を同時に映し出す鏡のような存在だ。私たちがネットをどう使うか――。その常識が近い将来、大きく塗り替えられるかもしれない。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=酒井麻里子/株式会社ウレルブン代表取締役)
特集 ザンドラ・ヒュラー 変幻する〈わたし〉のかたち
次々と名高い映画賞を受賞し、世界的に注目されるドイツの女優ザンドラ・ヒュラー。今回、未公開作3本を含む主演作7本が特集上映される。
投稿 特集 ザンドラ・ヒュラー 変幻する〈わたし〉のかたち は 映画遊民 映画をもっと見たくなる! 映画ライター沢宮亘理の映画レビュー、インタビューetc に最初に表示されました。
メタ×グーグルの衝撃タッグ…GAFAMの競争関係が崩壊、新たなAI戦争時代へ
●この記事のポイント
・メタが競合のグーグルに1.5兆円を発注、生成AI開発加速のため「時間を金で買う」戦略を選択。
・両社は広告やAIで競合しつつも、AIインフラでは利害一致し「協調と競争」の関係に移行。
・今後のAI競争はインフラ・モデル・アプリの三層構造で、最強のアライアンス構築が勝敗を左右する。
米メタ(旧フェイスブック)が、生成AI開発を加速させるために競合であるグーグルのクラウドサービスを利用し、総額1.5兆円(約100億ドル)規模の発注を行った──。このニュースはテック業界に大きな衝撃を与えた。
両社は広告市場でライバル同士であり、またAI開発でも覇権を争う立場にある。そのメタが、あえて「宿敵」のインフラを頼る選択をした背景には何があるのか。そしてこの動きは、GAFAM+OpenAIという巨大勢力の競争構造にどのような変化をもたらすのか。
ニューズフロントLLPパートナーでテックジャーナリストの小久保重信氏に話を聞きながら、この動きを紐解いていく。
●目次
メタがグーグルに頼った理由:「時間を金で買う」
「一言で言えば『時間を金で買う』ためです。あるいは『スピードと専門性』を買うのです」
小久保氏はこう語る。AI開発は、スピードがすべてのゲームだ。世界中の研究者や企業が日々新しいモデルを発表し、数か月単位で技術の優劣が入れ替わる。自社でゼロから大規模データセンターを建設し、GPUを百万基超で調達・稼働させるには数年単位の時間がかかる。その間にライバルは前進を続け、取り返しのつかない差がつく。
メタはオープンソース戦略を掲げ、生成AIモデル「Llama」を公開している。しかし、その開発や学習には膨大な計算資源が必要だ。そこで同社は「世界最高水準のAIインフラ」を持つグーグルを利用する決断を下したのである。
言い換えれば、メタにとってグーグルは「敵」であると同時に「最速の武器を調達できるサプライヤー」でもあるのだ。
なぜ競合同士が接近できるのか
ここで浮かぶ疑問は、なぜ競合関係にあるメタとグーグルが「共存」できるのかという点だ。
小久保氏は次のように指摘する。
「これは両社にとって明確なWin-Winの関係だからです。
・メタのWinは、AI開発に必要な『スピード』を手に入れること。
・グーグルのWinは、1.5兆円という巨額の売上と、競合すら利用するほど優れたインフラであるというブランド効果です」
この関係は、スマートフォン市場の構図にも似ている。サムスンはアップルのライバルでありながら、iPhone向けの有機ELディスプレイを供給している。両社は販売の現場では戦うが、供給網では互いに欠かせない存在なのだ。
今回のグーグルとメタもまた、事業部単位で見れば利害が一致した「合理的な提携」といえる。
GAFAMの競争関係は変質している
では、この動きはGAFAM(Google, Apple, Facebook/Meta, Amazon, Microsoft)間の競争構造にどのような意味を持つのだろうか。
「単純な競争関係は崩れつつあります。今は“Co-opetition(協調と競争)”の時代です」と、小久保氏は強調する。
背景には、AI開発にかかる莫大なコストと技術の専門性がある。AIの研究開発は、単に金を積めばできるものではなく、GPU調達ルートの確保、最適化されたデータセンター設計、そして高度な研究チームの存在が不可欠だ。
もはや一社ですべての領域でトップを走り続けるのは不可能に近い。そのため、GAFAMの各社は「自社の強みに集中し、不足部分は競合からでも調達する」という現実的な戦略をとり始めているのだ。
AI競争の「三層構造」
小久保氏によれば、今後のAI競争は「3つの階層」で展開されるという。
1.インフラ層(計算基盤)
クラウドや半導体をめぐる戦い。グーグル、アマゾン、マイクロソフトが中心で、NVIDIAも不可欠な存在。
2.モデル層(頭脳)
GPT(OpenAI)、Gemini(Google)、Claude(Anthropic)、Llama(Meta)など、生成AIそのものの競争。
3.アプリ層(製品・サービス)
ユーザーが直接触れるアプリケーション。Copilot、ChatGPT、Siri、WhatsAppのAIアシスタントなど。
勝者は一社が独占するのではなく、この三階層をまたいで「最も強力なアライアンスを築いた陣営」となる。すでにマイクロソフトとOpenAIの提携は、その典型例だ。
今回の「メタがグーグルに1.5兆円発注」という事実は、単なるIT業界のニュースにとどまらない。日本のビジネスパーソンにとっても、次のような示唆を含んでいる。
・スピードが最大の武器になる
競合からでも「使えるものは使う」という柔軟性が、AI時代の成長企業に共通する。
・競争と協調の二重構造
かつての「敵か味方か」という二分法ではなく、状況に応じて協調も競争も使い分けることが重要になる。
・生態系で勝つ発想
単独で全領域を制覇するのではなく、自社の強みを軸にして最適なアライアンスを築くことが、AI時代の生き残り戦略となる。
新しいAI覇権争いの幕開け
メタの今回の決断は、AI時代における企業戦略の縮図といえる。かつては「GAFAM同士は敵」という単純な構図だったが、いまや彼らは競い合いながら、必要に応じて互いの力を借り合う「共進化」の関係にある。
そして、この動きはさらに複雑なアライアンスと競争を生み出し、次世代のAI覇権争いを形作っていくだろう。
ビジネスパーソンに求められるのは、「敵か味方か」の発想を超え、状況に応じて協調と競争を柔軟に使い分ける視点だ。AI時代の勝者は、スピードとアライアンスを制する企業──そして個人である。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=小久保重信/ニューズフロントLLPパートナー)
