ソニー、60年前から電気自動車の開発に着手していた…“ソニーカー”はポルシェになる

 ソニーが再び“夢を語る”時代がやってきた……。“ソニーカー”の誕生がウワサされているのだ。「VISION-S」がそれだ――。

 じつは、「VISION-S」のルーツは、はるか昔だ。1960年代、ソニーは電気自動車の研究をスタートさせている。

「これからは電気自動車の時代です」

 ある日、ソニーの電池技術者が創業者の一人である井深大に提案をもちかけた。

「そうか。よし、やろう」

 井深は即答した。まだ、EVという言葉が聞かれなかったころの話である。彼は、既存の枠にとらわれずに技術を見る。子どものようにピュアな心で、無邪気に技術に向き合うのが、真骨頂だ。ソニーのもう一人の創業者である盛田昭夫は、日頃から「井深さんの夢を叶えるのが、僕らの仕事だった」と語っていた。ところが、こと電気自動車の研究については悲観的だった。とてもビジネスにならないと、盛田は井深を引き留めた。

 断るまでもなく、ソニーには自動車のエンジニアもいなかった。自動車開発の素人集団のソニーが、電気自動車をつくれるはずがない。しかし、そんなことであきらめる井深ではなかった。大手自動車メーカーから車体の設計ができるエンジニアを引っ張ってきて、1961年、横浜市保土ヶ谷に設立されたばかりの中央研究所で研究を始めたのだ。

 井深が楽しそうに電気自動車の試作車のハンドルを握る写真が、井深の著書『ものづくり魂 この原点を忘れた企業は滅びる』(サンマーク出版)に掲載されている。遊園地などにある屋根のないゴーカートのような一人乗りのクルマである。残念ながら、当時のモーターや電池の技術では、本格的な電気自動車の実現はムリだった。日本のマイカーブームの到来は、その後のことである。

 トヨタが小型大衆乗用車「パブリカ」を発売したのが、1961年である。そして、交通事故や排気ガスによる大気汚染など、自動車の普及にともなうさまざまな社会課題が浮上するのは、70年代に入ってからだ。いくらなんでも、早すぎた。ソニーは、電気自動車の技術と特許を売却した。

 井深は当時、「最後はバッテリーが課題になるだろう」と明言していたという。考えてみれば、ソニーは今日、電気自動車を支えるリチウムイオン電池を最初に実用化したメーカーである。1970年代中頃に基礎研究を始め、91年に量産化した。残念ながら、電池事業は2016年、村田製作所に譲渡されたが、ソニーは二次電池開発のパイオニアであるのだ。

クルマの未来の“先の先”を見ていた井深とホンダ

 井深には、もう一つ、クルマにかかわる話がある。彼には40年来の友人がいた。ホンダ創業者の本田宗一郎である。「私にとっては、かけがえのない兄貴であり、先輩でありました」と、井深は語っている。

 ある日、本田宗一郎が若い技術者を連れて、ソニー本社を訪ねてきた。エンジンを点火するのに、トランジスタ(半導体)が使えないかという相談だった。ソニーは、トランジスタラジオの開発で有名だった。ガソリンエンジンは、燃料と空気を混ぜた混合気をタイミングよく燃焼させて動力を発生させている。タイミングよく燃焼させるには、火花の波形をコントロールする必要があるが、この火花の波形をトランジスタできれいにできないだろうかと、本田は井深に相談をもちかけた。

 いまでこそクルマにはたくさんの半導体が使われているが、当時、クルマに半導体を使おうと考えたのは、本田以外いなかった。さすが天才技術者といわれた本田宗一郎である。

 この話はうまくいかなかったが、井深はこれ以降、「将来、エンジンの電気まわりは半導体がコントロールするようになる」という確信を深めたといわれる。実際に、半導体を使ったエレクトロニクスの着火方式のエンジンを組み立て、本田にデータを提供したりもした。

 このエピソードからもわかるように、井深と本田の二人は、クルマの未来の“先の先”を見ていたといえる。未来を完全に先取りしていたといっていい。その証拠に、井深は「やがて自動車は半導体のかたまりになる」とも予言しているのだ。

「VISION-S」は「aibo」の開発チームが手掛けた

 2021年3月28日、東京・二子玉川ライズのイベントスペースは、一眼レフカメラを携えた若い男性、小さい子どもを連れた家族づれでにぎわっていた。イベントスペースには、銀色に輝く「VISION-S」が展示されていた。道行く人は、「VISION-S」を一目見ようと足を止め、銀色の車体に見入った。

 ソニーがEVのコンセプトモデル「VISION-S」をお披露目したのは、2020年1月の米「CES」である。その年の12月、「VISION-S」は2020年12月、オーストリアで公道実験をスタートし、翌21年4月にはドイツで5G走行試験を行った。「VISION-S」には、5Gネットワークへの接続機能が搭載されており、車載システムとクラウドの常時接続で、データや制御信号の同期、また、OTA(Over The Air)アップデートが可能だ。

「VISION-S」の開発を担うのは、2018年に復活した犬型ロボット「aibo」の開発責任者としても知られる、ソニーグループの執行役員でAIロボティクスビジネス担当の川西泉氏だ。「VISION-S」は、「aibo」の開発チームが手掛けたことから「走るロボット」ともいわれている。

 自動車業界はいま、大きな転機を迎えている。果たして、ソニーがクルマをつくる日がやってくるのかどうかは、まだわからないにしても、その可能性はゼロではないだろう。例えば、ソニーはイメージセンサーの世界有数のメーカーであり、次世代車に活かせる領域も多い。完全自動運転車が実現すれば、ソニーの映像コンテンツを楽しむ環境をつくることもできる。

 ソニーグループ会長兼社長の吉田憲一郎氏は、この5月26日に開かれた経営方針説明会の席上、「今後もVISION-Sは探索領域として開発を進める」と述べた。川西氏は、ソニーがクルマをつくることについて、いまの段階ではないとしているものの、“ソニーカー”の実現を明確に否定しているわけではない。

 井深の“夢のプロジェクト”は、60年たったいま、モビリティのさらなる進化により、ようやく開花のときを迎えようとしている。電気自動車は、文字通りソニーのDNAである。

 ソニーはこれまでも、ウォークマンやトリニトロンテレビなど、“夢のプロジェクト”をかたちにしてきた。「VISION-S」はいよいよ、実車への展開へと歩み出したとみていいのではないか。“アップルカー”に続いて“ソニーカー”が走る日がやってくるとして、そのとき“ソニーカー”はおそらく、EV界のポルシェのような存在になるに違いない。

(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

●片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

愛知県名古屋市生まれ。2001年~2011年までの10年間、学習院女子大学客員教授を務める。企業経営論の日本の第一人者。主要月刊誌『中央公論』『文藝春秋』『Voice』『潮』などのほか、『週刊エコノミスト』『SAPIO』『THE21』など多数の雑誌に論文を執筆。経済、経営、政治など幅広いテーマを手掛ける。『ソニーの法則』(小学館文庫)20万部、『トヨタの方式』(同)は8万部のベストセラー。著書は60冊を超える。中国語、韓国語への翻訳書多数。

「規格外の馬でしたね」福永祐一&「幻のダービー馬」シルバーステート“第2章”開幕! 武幸四郎調教師「大したもんです」1番人気メリトクラシーが快速発進!

 13日、中京競馬場で行われた新馬戦(芝1200m)は、福永祐一騎乗の1番人気のメリトクラシー(牝2歳、栗東・武幸四郎厩舎)が勝利。新種牡馬シルバーステートの産駒にとっても記念すべき初勝利となった。

「厩舎サイドが勝つための準備をしっかりしてくれて、それがレースに反映されましたね。スタートから最後までしっかり走ってくれて、楽な競馬ができました」

 9頭立て、芝1200mのレース。抜群のスタートを決めたメリトクラシーがスピードの違いでハナに立つと、あっさりと主導権を掌握。単勝2.8倍の1番人気が楽にアドバンテージを握った時点で、レースはほぼ決着していたのかもしれない。そのまま内ラチを頼りに、2着馬に1馬身差をつけて逃げ切ってしまった。

「規格外の馬でしたね。エンジンの性能に関してはピカイチでした」

 昨年9月にアップされた『DMMバヌーシー公式チャンネル』の動画で、福永騎手が未だ消えぬ思いを語ったのは、5戦4勝で引退し「幻のダービー馬」とまで称された、メリトクラシーの父シルバーステートだ。

 昨年、コントレイルとのコンビで史上3頭目となる無敗三冠を成し遂げるなど、今や押しも押されもせぬ日本を代表するジョッキーになった福永騎手。そんな数多の名馬を知る大騎手をして「No.1」と言わしめたのがシルバーステートだった。

「最終的に競走馬として重賞を勝つこともなかったですし、大成することはできなかったですけど『そのエンジンの性能にボディがもたなかった』というのが、僕の印象です」

 2歳夏のデビュー戦こそ、後のG1馬アドマイヤリードにアタマ差後れを取ったものの、未勝利戦を5馬身差で圧勝。単勝1.1倍に推された紫菊賞(500万下当時)をほぼ馬なりのまま上がり3ハロン32.7秒の末脚で突き抜けると、一気にクラシック戦線の中心に躍り出た。

 しかし、翌年年明けに屈腱炎を発症してクラシック挑戦を断念。4歳5月に迎えた復帰戦のオーストラリアT(1000万下当時)は約1年7カ月ぶりのレースとなったが、終始持ったままで楽に抜け出して3馬身差の完勝を飾った。

 しかし、さらに続く垂水S(1600万下当時)も連勝し、いよいよG1制覇の期待が高まったものの再び屈腱炎を発症し無念の引退となった。

「いきなりこういう依頼をもらえたのは嬉しいね」

 志半ばでの引退を迎えてから4年。今年の新種牡馬となったシルバーステートの産駒に騎乗する機会を得て、福永騎手の声も弾んでいた。そんな4年越しの思いをぶつけた快勝劇だ。

「(種牡馬シルバーステートの)サークル内の評価が高かったので、嬉しく思っていましたが、産駒の初勝利も自分の騎乗で挙げられて嬉しいですね。いいスピードがあります」

レース後、福永騎手がメリトクラシーをそう評価すれば、武幸四郎調教師も「短いところが良いとは思っていたけど、(馬が)力んでの1200じゃない。トレーニング量もエサの量も牡馬と一緒。こうして勝ってくれたんだから大したもんです」と期待を寄せる。

 かつて福永騎手とシルバーステートが成し遂げられなかったG1制覇の夢と「No.1」の証明へ――。いよいよ“第2章”の幕が上がった。(文=銀シャリ松岡)

<著者プロフィール>
 天下一品と唐揚げ好きのこってりアラフォー世代。ジェニュインの皐月賞を見てから競馬にのめり込むという、ごく少数からの共感しか得られない地味な経歴を持つ。福山雅治と誕生日が同じというネタで、合コンで滑ったこと多数。良い物は良い、ダメなものはダメと切り込むGJに共感。好きな騎手は当然、松岡正海。

現場の超リアルな課題は、地球の課題につながっている

日本NPOセンターと電通で設立した「課題ラボ」。

日本NPOセンターのネットワークを通じて全国から集めた最前線の課題を、異なるスキルや業種の人たちで集まって考える。そんな、“ありそうでなかった”課題発見のシンクタンクです。

本連載では「子ども」「食」「シニア」など、さまざまなテーマにまつわる、ちょっぴり意外な、でも、つい解きたくなるような「課題」を見つけて、解決のヒントを模索していく予定です。

初回は「課題ラボ」立ち上げメンバーである日本NPOセンター事務局長の吉田建治氏、元電通でクリエーティブプロジェクトベース代表取締役の倉成英俊氏、電通の田中直樹氏による鼎談をお届け。なぜ「課題ラボ」をやるのか?何を目指しているのか?立ち上げ当時のエピソードから振り返ります。

吉田氏、倉成氏、田中氏

全国5万のNPOネットワークは、課題の宝庫!

田中:話の発端は2017年のこと。10年以上、協働プロジェクトをご一緒してきた日本NPOセンターの年次総会に初めて参加した際、壇上の吉田さんとNPOの参加者の方々がとても白熱した議論を交わしている光景に、衝撃を受けました(笑)。

吉田:当時はまさに転換期の真っただ中でした。2015年にSDGsが国連で採択され、企業も「本業を通じた社会課題解決」を意識し始めていましたし、NPOでもビジネス的な手法をより積極的に使って課題解決に取り組もうという団体が増えていました。その結果、営利/非営利の境界が曖昧になり、「NPOならではの取り組みは何か?」「自分たちは何を大切に活動するのか?」を再確認する必要に迫られていたのです。

田中:総会に参加したNPOの方が「我々はどこに向かうのか!」と発言されていたことが非常に印象に残っています。その後、吉田さんに詳しく話をお聞きするうちに、社会の大きな変化に企業もNPOも戸惑っているけれど、一方でこれは何か新しい変化が生まれるチャンスだと思い、倉成さんに相談しました。

倉成:よく覚えていますよ。「大好きな組織が困っているから知恵を貸して欲しい」と言われて、打ち合わせの場に連れていかれたんです。そこで組織のことをいろいろと教えていただく中で、特に驚いたのが「日本NPOセンターには全国5万のNPOネットワークがある」ということでした。

NPOは世の中の課題を解決するために存在していることを考えると、1つのNPOは少なくとも1つの課題と向き合っているわけで、つまり日本NPOセンターは「5万の課題を知っている組織」だと気付いたんです。しかも日本は課題先進国と言われる。世界最先端の現場の課題が集められるなんて、すごい、と。

田中:「矢印を反対向きにしませんか?」という提案をしてくれたよね。

倉成:そうです。つまり、企業のCSR部門や行政の依頼をNPOにつなげるのではなく、NPOの方々が現場で向き合っているリアルな課題を収集し、それらを企業や行政につなげる仕組みを作りたいと考えました。

なぜなら、僕がお付き合いしている各社の新規事業部界隈では「課題解決より課題発見が大事!」と言われ本もたくさん出ているけど、課題発見のいい仕組みはほとんどなかったからです。

吉田:まさに「課題ラボ」が生まれた瞬間でしたね。

課題ラボの仕組み
「課題ラボ」の仕組み。上の点線の矢印の逆で、下の矢印の流れを作る。

コピーライターが、ネーミングで課題を“見える化”

倉成:「課題ラボ」のスタートにあたって、二つのアイデアがありました。一つは、NPOの現場にある最前線の課題を収集すること。これは全国5万の素晴らしいネットワークを持つ日本NPOセンターにしかできないことです。

もう一つが、課題に名前を付けること。例えば「海洋マイクロプラスチック問題」とか「ゴミ問題」とか社会課題は名前がついて初めて認知される。だから、「〇〇問題」とネーミングすると、顕在化していない最先端の課題が認識されたり、自分ゴトに感じられて、より多くの人たちに理解を広げられると。

日本NPOセンターに集めていただいた課題に、電通のコピーライターが「〇〇問題」と名付ける。それが最初のコアとなるアイデアでした。

「…問題」の例

田中:早速、企業10数社の新規事業開発部署やCSR部署の方々に集まっていただき、「子どもの課題」をシェアしたら何が起きるかを実験しました。それが予想以上にすごく盛り上がって、これは絶対に面白くなる!という確証が得られましたね。吉田さんは印象に残っている課題ありますか?

吉田:神奈川県で子どもや若者の支援活動をしているNPO法人「パノラマ」代表の石井さんのお話から生まれた「教育困難校のキャリアのきっかけがない問題」。家庭環境などの都合で文化的な体験に触れられないことが、キャリアをつかむチャンスに影響してくるという話をされていて、そんな視点があったのかと驚きました。

倉成:学校や職場などのコミュニティーで何かの話題になったとき、それに関連する体験をしているかどうかで、その後のコミュニケーションや人間関係、ひいては人生にも影響するという話でしたね。例えば、自分が住んでいる県から出たことがない子がたくさんいる。出たことがないと他の県の話についていけない。それは経済の格差の影響です、と。

その経験は簡単なことでいい。例えば、豆から挽いたコーヒーを飲んだことがあるか、それだけで、会話のキッカケや幅が拡がる、とおっしゃっていて、非常に分かりやすいと思いました。

吉田:石井さんが文化的な体験を自分の中に作ることを「文化のフック」と表現されたことで、一気に頭の中にイメージが湧いてきました。

田中:セッションでは、文化的な体験を作ることは企業でもできるから、「株式会社フック」を作ろうという話も出ていました。課題ラボとしては、企業とNPOが、支援する/支援されるという関係性ではなく、共に社会課題の解決を目指す共同体と位置付ける。お互いに専門性を持ち寄り、面白いものを生み出していく活動を続けていきたいですね。

 

NPO法人「パノラマ」代表 石井様インタビュー 〜文化のフック(校内居場所カフェ)〜の一コマ。課題ラボセッションでは、このような現場の動画を流し、課題のリアリティーを伝えている。


全人類が有識者。一個人の課題に光を当てよう

吉田:もう一つ印象的だったのは、組織の肩書きで参加しながらも、一個人としての課題を語ってくれる方が多かったことです。

田中:自分の気持ち、血が通った思いを話してもらうことはとても大切ですね。

倉成:以前、企業の方と大学生を集めて「課題ラボ」のミニセッションを行いました。それは新しい試みで、日本NPOセンターさんが集めた課題じゃなく、その場の参加者が感じている自分が気づいた問題に名前をつけてシェアするというものだったんですが、女子大生から「東京のゲロ問題」という強烈な課題を頂きました(笑)。ネーミングは奇抜ですが、朝の登校中、道に吐瀉物が放置されているけれど、あれはだれも片付けなくていいの?という至極真っ当な疑問から生まれた課題です。

これについて、鉄道会社の方は、ホームの端に置いてある“おがくず”で処理しているとプロの実体験を話すと、身体活動データを蓄積している企業の方が「ウェアラブルを使って、人が吐く前にアラートを鳴らすことができるかも」と重ねてきて、ビジネスのアイデアがどんどん広がっていきました。

社会課題は、つい大きな組織や有識者の意見に注目が集まりがちですが、本来は個人が日常的に肌で感じている課題も対等に認知されるべきだと思うんです。「有識者が言う課題が偉いと思っちゃってる問題」が発生していますよね。

田中:現場のリアル感、個人の強い思いやワクワクする気持ちも大切ですね。NPOのみなさんが発見して自発的に向き合っている課題を知ると、知らなかったことを反省したり、何かやらなきゃという気持ちになります。なぜなら、誰かが本気で取り組んでいることが伝わるから。

倉成:僕は、世の中の人「全員有識者」だと思っています。みんな、この世界で仕事を持ち、納税して、生活している。全員がこの社会についての有識者なんです。それを互いにシェアして、みんなで解き合う社会にするといいと思いません?

吉田:解決が難しい課題の多くは、いろいろな問題が複雑に絡み合っているので、その構造を知っている人、つまり実際に現場で課題と向き合っている人と対話しながら考えていくことが大切です。と、こうやって私たちが話していることも厳密には現場の声ではないので、「勝手に代弁していいのか問題」がありますけれど。

自社だけで解決できない課題こそ、「課題ラボ」にぶつけて欲しい

田中:日本NPOセンターとして、今後「課題ラボ」に期待することや注力していきたいことはありますか?

吉田:さらに対話の場を広げていきたいです。「課題ラボ」に参加した企業の方から「社内でもやりたい」という声を頂くこともあるので、ラボから派生した活動を生み出していけるといいですね。

それから、今後は課題発見の先にあるNPOの現場と企業とのつながりも、もっと創出していく必要があると思っています。

田中:最近の活動では、フルリモートでセッションを重ね、課題ブックの作成まで導けた事例もあります。コロナ以前と比べて、地方など離れた現場にもアクセスしやすい環境が整いましたから、協働の可能性も広がります。

倉成:まだスタートしたばかりの活動なので、この先いろいろなカタチに発展していく可能性があると思います。例えば、組織を変革するために「課題ラボ」のワークショップを活用していただくなど、僕らでも想像していなかった使い方に出会えるとうれしいですよね。

田中:すでに企業・団体からご相談いただいている案件も多様です。一つの課題に複数の組織で取り組むことで解決策を目指しているケースもあります。自社だけで解決することに限界を感じたときは、ぜひお気軽に「課題ラボ」にお声がけいただければと思います。

次回以降、毎月のテーマを決めて、「課題」と「解決例」をたくさん紹介していきますので、今後の連載にもこうご期待ください!


課題ラボ

課題ラボ
電通と日本NPOセンターが協働し、 2018年に設立。NPOと企業が「支援される側、支援する側」の関係でなく、「ともに社会課題の解決を目指す協働体」となることを目指し活動するラボ。

「課題解決の前に課題発見あり。会議室でなく現場にヒントあり」をコンセプトに、全国の社会課題に対して、最先端の現場と接続できることを特徴とする。

コンサルティングサービスと事業開発の両面で、サービスを提供中。

  1. コミュニケーション/ブランディング(サスティナブル+現場の視点)
  2.  商品・事業開発/プラットフォーム開発(ダイバーシティ&インクルージョンをテーマにしたサービス開発など)
  3. 「課題発見」志向の人財開発プログラム
     

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社歌が情景を創る。音楽から生まれる企業活動の可能性

2016年に小さくも力強い産声をあげた「社歌コンテスト」は、2019年に日本経済新聞社が主催となって大きく育ち、いまや応募数193社、累計投票数68万票を記録する一大イベントへと成長しました。

そんな社歌コンテストを2017年から応援団長として支え続けているのが、シンガーソングライターの川嶋あいさん。

企業の想いが込められた歌の数々に触れて、川嶋さんが感じたこととは?
そして、当たり前の日常が揺らぐ今だからこそ、見えてくる音楽のチカラとは?

社歌コンテストを立ち上げた電通・森本紘平がインタビューを行いました。

川嶋あい

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社歌の “情”と“熱”に、心を揺さぶられる

森本:川嶋さんが応援団長に就任された2017年当時、社歌コンテストはまだまだ規模の小さいイベントでした。どうして応援団長を引き受けてくださったのか、改めて教えていただけますか?

川嶋:「社歌コンテスト」というネーミングだけで、すごくワクワクしました。全国の企業の皆さんと音楽が結び付いていく姿をイメージして、高揚したのを覚えています。

森本:ありがとうございます。なぜ川嶋さんに依頼したのかというと、応援団長には「説得力」が必要だと思ったからです。川嶋さんは1,000回の路上ライブに始まり、震災復興支援や途上国での学校建設支援など、実際に行動を伴いながら音楽活動を継続してきた方です。そんな「説得力」を持った人に応援してもらえたら、参加企業の皆さんも喜ぶのではないかと考えました。

川嶋:そうおっしゃっていただけるとうれしいです。2017年当時は今ほどの規模ではなかったかもしれませんが、“アツさ”みたいなものは変わっていないような気がします。

森本:僕もそう思います。毎年、応援団長として数多くの社歌に触れてきて、どんなことを感じますか?

川嶋:真っ先に浮かぶキーワードは、「情熱」。まさに“情”と“熱”が込められていると思いました。皆さんの動画を見ていると、その一つ一つに深い背景や人生がある。それを垣間見ることができて、いろんな企業の方々の人生を想像できるところが魅力ですよね。皆さんが自分たちの会社を愛しているからこそ生まれている楽曲や映像、メッセージに触れることができて、私はすごく幸せです。

森本:経営者の生き様そのものが映し出されている社歌もあって、心を打たれますよね。本当に毎年一つ一つ、丁寧に見てくださっていますが、どんな点を重視して観ているんですか?

川嶋:それが、本当に毎回絞るのが難しくて……。重視する点は人それぞれ違うと思うのですが、私はけっこう“情”を揺さぶられると残しちゃうタイプです。人の生き方に触れられる作品を見ると、応援したいっていう気持ちにさせられますよね。

※社歌コンテスト 3つの審査基準:
1.会社としてのメッセージが伝わるか?
2.会社の魅力が伝わるか?
3.心に響く音楽であるか?
 

森本:今回の社歌コンテスト決勝でも、「点数が付けられない」と真剣に悩んでいたのが印象的でした。

川嶋:上位3組だけの発表とかならまだしも、1位から10位までしっかりランク付けされるってけっこうシビアですよね(笑)。

森本:そこが川嶋さんらしさですよね。評価される側の企業に想いをはせる姿に、関係者もみんな感激していました。

川嶋:妄想家なので、いろいろと想像しちゃうんですよね。

第二回NIKKEI全国社歌コンテスト決勝戦・表彰式

テーマソング「へっちゃら」に込めたメッセージ

森本:今回はコロナ禍でのイベント開催でした。率直な感想はいかがですか?

川嶋:皆さんの歌を生で聴きたかった、というのが正直な想いですね。ステージに立ちたかった方々がどれだけいるのかを考えると、多くの方々の我慢があっての開催だったと思います。でも開催自体も危ぶまれるような状況の中、あの日を無事に迎えられたことが奇跡のようで。いろんな瞬間を昨日のことのように思い出せます。

川嶋あい氏01
第2回NIKKEI全国社歌コンテスト決勝の様子

森本:今回、日本経済新聞社主催の「中堅・中小企業活性化プロジェクト」と「社歌コンテスト」の共同公式テーマソングとして「へっちゃら」を書き下ろしてくれました。どんな想いを込めて作られたのでしょうか?

川嶋:社歌コンテストにずっと関わらせていただいて感じたのは、人が人を動かし、人が未来を作り、人が夢を叶えるということ。やっぱり、人の背中を押せるのは人でしかないと思うんです。まわりの人に何気なくかけてもらったひと言や、一緒に過ごした何気ない時間が、その人の助けや支えになったりする。

そう考えたときに、ふと浮かんだのが「へっちゃら」という言葉でした。ひょっとしたら今の若い子たちは知らないかもしれないし、私もふだん使わない言葉だけど、なんだか心がすっと軽くなれる、すごく良い言葉だと思って。人生はいろいろと困難もあるけれど、まわりに大切な仲間がいて、その人たちがかけてくれる言葉があれば、これからも乗り越えていける。そんな明日を生き抜いていくパワーのようなものを、「へっちゃら」という言葉に込めました。

森本:今回の決勝で、まさか生で歌ってもらえるとは思わなかったので、とても感動しました。コンテストの最後にあの歌を聴けたことで、参加者や関係者みんなの気持ちが一つになったような気がします。

川嶋:あの日が初お披露目でした。私自身もすごく気に入っている曲なので、生み出すきっかけをくれた社歌コンテストの場で歌うことができて、うれしかったです。

川嶋あい氏02

音楽は、人の気持ちに寄り添う「プチ小旅行」

森本:企業が社歌を作ることの意義や、音楽が企業や社会に与える影響ってどんなものだと思いますか?

川嶋:社歌を通じて企業の人と人がつながり、広がり、そして絆が深まっていくような雰囲気を感じています。それから音楽って、ふとした時に聴くと気分が変わるじゃないですか。人の気持ちを少しだけでも変えられる、「プチ小旅行」のような存在だと思うんです、音楽って。だから社歌も、聴くと社員の方々の気持ちがちょっとでも変わるような、そんな存在であり続けてほしいなって思います。

森本:「プチ小旅行」って良い言葉ですね。つながりというキーワードがありましたが、社歌コンテストの一番の目的はつながりを生むことなんです。社員同士はもちろん、社外の取引先やパートナー企業、学生も含めて、社歌をきっかけにいろんなつながりが生まれることを望んでいます。

本企画にもご協力いただいている、中小企業の社歌制作で有名な情熱の学校のエサキヨシノリさんは、「感動とは、情景を創ることだ」とおっしゃっていました。まさに音楽には情景を創るチカラがあって、みんなが共通で思い描ける情景が生まれるから、新しいつながりも生まれると思うんです。

川嶋:音楽って感覚的な部分が一番大事ですもんね。音楽を聴いてパッと何かが浮かんだり、昔を思い出したり。

森本:懐かしい情景が自然に浮かび上がってくる瞬間がたまらないですよね。

川嶋:うん、たまらない。

川嶋あい氏03

森本:コロナ禍で川嶋さんの活動にも大きな影響が出ていると思いますが、このような状況だからこそ、ご自身も音楽のチカラを実感したのではないでしょうか?

川嶋:私自身、音楽に励まされた1年でした。コロナ禍でもいろんな素晴らしい音楽に出会って、それこそ「プチ小旅行」のように心を動かされ、より音楽に対する憧れが強くなりましたね。子どもの頃からずっと追いかけているけれど、まだ全然たどり着けない。素晴らしいものだなって、心からそう思います。

森本:そんな想いを抱きながら、今年8月20日には2年ぶりにワンマイライブを開催されるんですよね?

川嶋:はい。今年は、私が17歳の頃ワンマンライブをやらせていただいた旧渋谷公会堂のLINE CUBE SHIBUYAでワンマンライブをやります。当時この場所でワンマンライブをすることを目標にやっていた、私にとって大切な場所です。私が今伝えたい想いを音楽に乗せて全力で出し切る日なので、無理のない範囲で参加していただけたらありがたいです。

森本:楽しみにしています!社歌コンテストは今年も日本経済新聞社が中心となり、JOYSOUNDをはじめとする協賛各社や審査員の皆さんの協力を得て、パワーアップして開催する予定です。

川嶋:皆さん、本当に企業を全力で応援してくださっていますよね。日経さんは紙面を割いて大々的に告知をしたり、JOYSOUNDさんは決勝に勝ち残った企業の社歌を全曲カラオケに配信してくれたり。とっても粋な計らいというか、そういう心遣いが最高ですよね。今年も素晴らしい社歌に出会えることを心から楽しみにしています。

森本:ありがとうございます!今年も応援団長をよろしくお願いします!

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注目高まる「昆虫食」、アレルギー発症リスクも…“食糧危機の救世主”に意外な危険性

 多くの専門家が、「近い将来に世界的食糧危機が訪れる」と警告を鳴らす昨今、テレビ番組『NHKスペシャル』で『2030 未来への分岐点「飽食の悪夢~水・食料クライシス」』を放送した。国連世界食糧計画(WFP)のデイビット・ビーズリーは、「食料不足による飢餓の拡大は、社会の不安定化を招き、大量の難民を生む」と警告している。さらに同番組では、「食料危機で日本にも飢餓や暴動が起きかねない」と警告している。

 そんな食糧危機を救うために近年、注目されているのが、「昆虫食」である。昆虫は栄養価も高く期待の食材ではあるが、一方でアレルギーを起こすリスクもある。アイドルが罰ゲームでコオロギを食べたところ、甲殻類アレルギーを発症したとしてツイッター上で話題になっている。昆虫食に関して注意すべき点を「埼玉みらいクリニック」院長の岡本宗史医師に聞いた。

アレルギー体質の人は要注意

 卵、牛乳、肉、大豆製品などのタンパク質が主成分の食品にアレルギーがある場合は、要注意だ。

「タンパク質を含むほとんどの食品と同様に、節足動物は免疫グロブリン(IgE)を介したアレルギー反応を引き起こす可能性があります。症状としては、湿疹、皮膚炎、皮膚掻痒から結膜炎、気管支喘息、下痢症状など一般的なアレルギー反応と変わりがありません。アレルギーを発症する原因として、アトピー要因の既往がある人もいますが、長期的な摂取や曝露によりアレルギー性過敏症を発症する可能性もあります」

 ツイッターで話題となっているアイドルは、まさにこのケースである。

「特に甲殻類(エビ、カニ)に対するアレルギーを持つ方は注意が必要になります。筋肉の収縮調節として重要な役割を果たすトロポミオシンと呼ばれる蛋白質が、甲殻類アレルギーのアレルゲン(アレルギーの原因となる物資)として重要ですが、このトロポミオシンは昆虫にも含有されています」

 昆虫に含まれるトロポミオシンを摂取することで、魚介類、甲殻類によるアレルギーが増幅することもある。また、その逆も然りだ。

「実際、ダニアレルギーの患者が、ダニ抗原への曝露を重ねることによって、魚介類のトロポミオシンに敏感になったとの報告もあります。(Reese, Ayuso and Lehrer, 1999)。つまり、例えば魚介類、甲殻類アレルギーの方が、食用の昆虫を食べることでアレルギー反応を起こす可能性を示唆しています。煮るなどの加工処理でアレルゲン成分が破壊されるかどうかは、まだはっきりとした答えがでていないため、温熱加工をしたので安全という保証にはなりません」

 実は、昆虫食は以前から食されているもので、その一例が「蜂の子」と呼ばれるミツバチの幼虫である。好奇心で食し、思わぬアレルギーを招くことがあるので要注意だ。

「ミツバチの幼虫には花粉が含まれているため、花粉アレルギーの人はミツバチの幼虫を食べるべきではありません。事実、花粉症を持つ人がミツバチの幼虫を食して喘息症状が生じた報告があります(Auerswald and Lopata, 2005)」

 こういった過去の報告からも、自分自身のアレルギーとアレルギー反応について認知しておく必要があると岡本医師は注意喚起する・

「特に、甲殻類、魚介類アレルギーの既往がある方は、昆虫食は控えておくべきかと思います」

 世界の食糧危機を救う期待を寄せられる昆虫食だが、その普及には、アレルギー等に関する基礎知識の啓蒙やガイドラインが必要かもしれない。
(文=吉澤恵理/薬剤師、医療ジャーナリスト)



吉澤恵理/薬剤師、医療ジャーナリスト
1969年12月25日福島県生まれ。1992年東北薬科大学卒業。薬物乱用防止の啓蒙活動、心の問題などにも取り組み、コラム執筆のほか、講演、セミナーなども行っている。

精神科医が語る“孝明天皇・毒殺説”…天然痘による病死?実際は岩倉具視がヒ素を盛った?

 幕末の重要な登場人物であるにもかかわらず、孝明天皇の知名度はあまり高くはないようである。

『歴代天皇総覧』(笠原英彦、中公新書)などによれば、孝明天皇は第121代の天皇で、1831(天保2)年7月22日に生まれ、1867(慶応2)年1月30日に死去している。孝明天皇は先代の仁孝天皇の第4皇子で、明治天皇の父親である。1846(弘化3)年2月、仁孝天皇の崩御を受けて即位をし、亡くなったときは、まだ30代の若さであった。

 孝明天皇は学問好きで、即位の翌年には先代の遺志である学習所を完成させた。ここには、次第に攘夷派のリーダーが集まるようになった。

 孝明天皇の生きた時代は、幕末の混乱期である。それまでは政治の蚊帳の外に置かれていた朝廷が、にわかに政治の中心として登場した。江戸幕府は時代の大きな変化に対応することができず、これに代わる政治の中心的な存在として朝廷が脚光を浴びるようになったのだった。けれども朝廷にも天皇にも、その自覚は十分ではなかった。

 1853(嘉永6)年7月、黒船を引き連れたペリーが浦賀に来航し、翌年には日米和親条約が締結された。1854(嘉永7)年には、内裏の炎上、大地震(後に「安政の大地震」を呼ばれた)と大事件が続発し、1855年1月(嘉永7年11月)に元号を安政と改元している。

 さらに米国との間に日米修好通商条約が締結されたが、攘夷か開国か、国論は二分されて激しい抗争が続いた。幕府も朝廷も、個々の諸藩においても激論が繰り返され、武力闘争にも至っている。海外との関係以外にも、尊王討幕か佐幕かと議論は入り乱れ、テロ事件も横行した。

 孝明天皇は徹底的な攘夷派で、開国は“神国”を汚すものとして、開国派の進言に耳を貸そうとしなかった。幕府が締結した日米修好通商条約にも大変な怒りを示し、即時鎖国に戻すことを強く主張して、戦争も辞さないとまで言い切った。

 この間にも時代は動き、幕府の大老に就任した井伊直弼が1858(安政5)年に反対派の志士らを大量に処刑した「安政の大獄」が勃発する。しかしその後は、井伊直弼自身が暗殺者の刃に倒れてしまう(1860[安政7]年、桜田門外の変)。

 またこの時期、朝廷の伝統的権威と幕府を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとする公武合体運動がさかんとなり、孝明天皇もこれを推し進めた。天皇には討幕の考えはまったくなく、幕府と一体になり、鎖国をすることを望んでいた。

 こうした流れのなかで、孝明天皇の妹・和宮と将軍家茂の結婚が推し進められ、1862年に婚姻が成立した。和宮には婚約者があったため、当初反対していた孝明天皇は、鎖国と攘夷実行の条件を付けて了承した。

 1865(慶応元)年、攘夷運動の最大の大もとは孝明天皇の意志にあると見た諸外国は、艦隊を大坂湾に入れて条約の勅許を天皇に要求し、天皇も条約の勅許を出すことになった。一方で、この年に西洋医学の禁止を命じるなど、保守的な姿勢は崩さなかった。

 この攘夷と開国で揺れる世情のなか、孝明天皇は突然死去する。天皇が健在であったならば、時代が討幕に大きく動くことはなく、天皇と将軍慶喜が手を結び、徳川幕府が形を変えて存続していたかもしれない。

孝明天皇は35歳で崩御…“公式見解”では天然痘による病死とされるが、疑問も残る

 1867(慶応2)年12月、孝明天皇は在位21年にして崩御した。満35歳であった。死因は天然痘と診断されたが、他殺説も唱えられている。なぜならこの天皇の死は、討幕派に大きなはずみをつける歴史上の転換点となったからだ。

 同年12月11日、風邪気味であった孝明天皇は、宮中で執り行われた神事に医師たちが止めるのを押して参加したため、翌12月12日に発熱した。このため、天皇の主治医であった高階経由が診察して投薬を行ったが、13日になっても病状が好転しなかった。このため、他の医師も次々と召集され、昼夜詰めきりでの診察が行われた。

 12月16日、高階経由らが改めて診察した結果、天然痘に罹患している可能性が指摘された。このため天然痘の治療経験が豊富な小児科医を召集して診察に参加させた結果、さらに天然痘の疑いは強まり、翌17日に天皇が天然痘にかかったことを正式に発表した。

 天然痘は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症であり、当時は疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)とも呼ばれた。このウイルスはヒトに対して強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率は平均で約20%から50%と高く、治癒しても瘢痕を残すことが多い。

 天然痘は独特の症状と経過をたどり、古い時代の文献からもその存在が確認されている。一般的な経過としては、40度前後の高熱、頭痛などの初期症状がみられたのちに、頭部、顔面を中心に皮膚色と同じまたはやや白色の豆粒状の丘疹が生じ、全身に広がっていく。

 発症して7〜9日目に再度40度以上の高熱になる。同時期に発疹が化膿して膿疱となるが、この病変は呼吸器・消化器などの内臓にも同じように現れ、呼吸困難等を併発し、死に至ることもある。一方で、2〜3週目には膿疱は瘢痕を残して治癒に向かうことも多い。

 日本においては、渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初の流行がみられたと考えられている。『日本書紀』にも、天然痘と思われる記載がある。735年から738年にかけては、西日本から畿内にかけて天然痘は大流行し、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した。

 その後も天然痘は何度も大流行を重ねて江戸時代には定着し、誰もがかかる病気となった。源実朝、豊臣秀頼、吉田松陰、夏目漱石らもこの疾患に罹患し、顔にあばたを残している。

 さて12月17日以降、天皇の拝診資格を持つ医師らにより、24時間体制での治療が始まり、病状はいったんは回復したように思われた。当時の記録には、「昨日からお召し上がり物も相当あり、お通じもよろしい」などと記載されている。

 ところが12月25日になって容態が急変した。下痢がひんぱんになり吐き気が強く、高熱が出た。意識がもうろうとして顔面に紫色の斑点がみられ、下血も持続しやがて出血は全身に及び、この日の夜に、孝明天皇は死去した。天皇の崩御の事実は秘され、公にされたのは12月29日になってからのことだった。

「孝明天皇は岩倉具視によってヒ素で毒殺された」なる根強く残る“暗殺説”

 生前の孝明天皇は壮健で痔疾患以外に持病はなく、周囲の人たちにとってこのような急激な病気の発症と死去はまったくの驚きだった。さらに全身状態が回復しつつあるなかでの突然の死は周囲に疑惑を抱かせることとなり、当時より毒殺の噂は絶えなかった。

 明治維新を経て、皇室に関する疑惑やスキャンダルはタブーとなったが、孝明天皇の暗殺の噂は囁かれ続けていた。暗殺の主犯とされたのは、明治維新の立役者のひとりである公家の岩倉具視だった。

 岩倉が疑われたのは、朝廷のなかにおいて倒幕の急先鋒だったためである。これに対して孝明天皇は、幕府の打倒はまったく考えておらず、公武合体の推進者だった。岩倉は下級公家の出身であったが、幕末維新において朝廷側の中心人物として動き、新政府でも要職を占めている。暗殺の件については、強く否定している。

 1940年7月には、日本医史学会関西支部大会の席上において、京都の産婦人科医の佐伯理一郎が「天皇が痘瘡に罹患した機会を捉え、岩倉具視がその妹の女官である堀河紀子を操り、天皇に毒を盛った」という発表を行った。

 戦後になると、歴史学者である禰津正志(ねず・まさし)は、天皇が順調に回復の道をたどっていたところが、一転急変して崩御したことから、その最期の病状からヒ素による毒殺の可能性を推定し、やはり岩倉首謀説を唱えた。

 一方、毒殺説に対する反論もみられている。1989年と1990年に、当時名城大学商学部教授であった原口清が、「孝明天皇の死因について」「孝明天皇は毒殺されたのか」というタイトルの論文を発表した。

 この論文のなかでは、これまでの毒殺説で示されていた「順調な回復の途上での急変」という構図は成立しないと述べ、孝明天皇は紫斑性痘瘡によって崩御したのだと結論している。

 孝明天皇毒殺説はさらにスケールの大きい陰謀説に発展し、睦仁親王暗殺説(睦仁は明治天皇の諱)も唱えられている。つまり明治天皇は睦仁親王に成り代わった別人(大室寅之祐なる人物)なのだという説である。大室は南朝の末裔であるとされたが、そこに納得のいく根拠は示されていない。

 歴史作家の中村彰彦は、孝明天皇の死について、過去の文献を網羅して詳細な検討を行っている(中村彰彦『幕末維新史の定説を斬る』講談社文庫)。このなかで中村は、病死説は元来『孝明天皇記』など公式の記録に記載されているものであったことを指摘し、前述の原口の論文など多くの資料を再検討している。

 この結果、天皇は天然痘の発症後、この病気の一般的な症状経過を示した後に順調に回復し、12月24日の午後には旺盛な食欲を示すまで回復している。ところが25日に容態は急変し、下痢と嘔吐に加えて全身から出血がみられて死に至った。これらのことから中村は、やはり孝明天皇はヒ素などの毒物により殺害された可能性が高いことを指摘している。実際、急変した天皇のその後の経過は、急性ヒ素中毒による経過とほぼ一致しているという。

 ヒ素は古来より知られている毒物であり、農薬などに用いられたが、医薬品として使用されたこともあった。その一方で、入手が容易であり、海外では遺産相続のための殺人などに利用されることも多かった。ルネサンス時代にはローマ教皇アレクサンデル6世と息子チェーザレ・ボルジアは、ヒ素入りのワインによって、次々と政敵を殺害した。

 ヒ素を服用した際には、吐き気、嘔吐、下痢、腹痛などがみられ、ショック状態となり多臓器不全により死亡することもある。最近の事件としては、「和歌山毒物カレー事件」においてヒ素が毒物として用いられた。この事件では、地区の夏祭りで提供されたカレーライスにヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒になり、うち4人が死亡している。

 孝明天皇の毒殺の首謀者と考えられるのは岩倉であるが、当時の岩倉は御所からは遠ざけられていたため、直接手を下した犯人は岩倉の同士であった宮廷内の「討幕派」の女官であったと推察されている。

公家である岩倉具視が、“主上殺し”という大罪を犯すのか

 あらためて検討を行ってみても、孝明天皇の毒殺説は、状況証拠的に“リーズナブル”である。ただし前述したように主犯とされた岩倉は蟄居中であり、完全なアリバイがあった。そうなると宮廷に共犯者がいたことになるが、特定はされていない。

 孝明天皇の死をきっかけにして時代は大きく動き、倒幕運動は激しくなり、戊辰戦争から新政府樹立へと突き進んだ。天皇の死によって利益を得たのは、明らかに長州・薩摩の志士たちと岩倉ら、討幕派の公家であった。

 しかし一方で、岩倉のような公家が主上殺しという大罪を犯すのであろうかという疑問も残る。この点については、回を改めてまた検討したい。

(文=岩波 明/精神科医)

●岩波 明(いわなみ・あきら)
1959年、神奈川県生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。都立松沢病院などで精神科の診療に当たり、現在、昭和大学医学部精神医学講座教授にして、昭和大学附属烏山病院の院長も兼務。近著に、『精神鑑定はなぜ間違えるのか?~再考 昭和・平成の凶悪犯罪~』(光文社新書)、『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春新書インテリジェンス)、共著に『おとなの発達障害 診断・治療・支援の最前線』(光文社新書)などがあり、精神科医療における現場の実態や問題点を発信し続けている。

『ラヴィット!』をTBSは2年は打ち切れない…“芸人の大渋滞”をさばく麒麟川島の今後

 お笑いコンビ・麒麟川島明(42)が“TBSの朝の顔”になって早2カ月。彼がMCを務める現在放送中の帯番組『ラヴィット!』は、満を持してスタートした3月29日の初回視聴率でさえ2.7%で、4月9日には過去最低の1.1%を記録(ともにビデオリサーチ調べ、関東地区)。同時間帯でトップを独走する『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)は2020年の年間世帯視聴率でも10.6%を叩き出しており、これと比べると『ラヴィット!』は、相当水をあけられた格好となっているわけだ。

 なぜ『ラヴィット!』はここまで苦戦を強いられているのか? 朝の情報番組を手がけるある放送作家は、こう語る。

「端的にいえば、番組として“うるさすぎる”んですよ。低音ボイスでテンポよく仕切る川島さんをメインMCに持ってきたのはいいのですが、レギュラー陣がやいのやいのうるさすぎて、川島さんの声をかき消すほど。朝の帯番組なのにこの“ノイズ”というのは、ちょっと生理的にチャンネルを変えたくなりますよね(笑)。

 その原因として、『レギュラー陣に芸人が多すぎ』というのは誰もが思うところでしょうが、特に見取り図やニューヨーク、そして隔週レギュラーで入っている第七世代のミキ、東京ホテイソン、EXITらが『とにかく結果を出さなきゃ』とばかりに前へ前へ出すぎている。まぁ、第七世代はまだ人気があるから画面映えはするのですが、大阪から出てきたばかりの見取り図や、やたら斜に構えて毒舌ぶるニューヨークはとりわけ“ノイズ感”が強い。彼らに加えて他の芸人やアイドルもいるわけですから、そりゃうるさくて当然です。視聴率を上げるなら、まずはこの芸人の大渋滞をなんとかしたほうがいい」

18年間も続いた“TBSの朝の顔”『はなまるマーケット』を思い出すべきではないか

 確かに、ほかにも馬場裕之(ロバート)、ぼる塾、ビビる大木、柴田英嗣(アンタッチャブル)、石田明(NON STYLE)、くっきー!(野性爆弾)、太田博久(ジャングルポケット)らが曜日ごとにレギュラー陣として配置されているため出演者における“芸人比率”が異様に高い同番組。各曜日、少なくとも3人以上の芸人がレギュラーとして出演していることになるのだ。

「さらにその他の芸人がゲストとして出演することも珍しくないので、“芸人比率”は間違いなく同時間帯のトップ。朝から、ほぼ『アメトーーク!』状態だともいえます(笑)。そもそも芸人は夜行性。深夜にロケがあったりネタを作っていたり、コロナ前だと朝まで飲み歩くというのが彼らの習性のようなものだった。なので、朝から面白いことを言うなんて、松本人志さんですら難しいと思うんですよ。その結果、面白い言葉も浮かばず、勢いだけでやいのやいのやってしまう。生放送で、あれだけ大人数の出演者のなかで……という状況で、彼らも“結果を出そう”としてついつい空回ってしまうんでしょうね。

 TBSとしては、『ビビット』や『グッとラック!』でやっていた“ワイドショー路線”をあきらめ、『はなまるマーケット』のような“生活情報バラエティ”に回帰しようとして『ラヴィット!』を開始したはず。実際、『はなまるマーケット』はTBSの朝の顔として18年も続いたわけですから、もっと参考にすべきではないでしょうか」(前出・放送作家)

『あさチャン!』夏目三久の引退、10月からの安住紳一郎アナの新番組は“朗報”

 かように、番組開始2カ月で早くも暗雲が立ち込めている同番組。このまま低空飛行が続くと、早期の打ち切りも……。あるテレビ局のプロデューサーはこう明かす。

「帯番組をゼロから立ち上げるには相当な予算がかかるので、年内の打ち切りはまずあり得ないと思います。このまま低視聴率が続き、1%を下回る日が出てきたりすると、川島さんが所属する吉本興業のほうからギブアップされる可能性もないではないですが、少なくともTBSサイドとしては、最低でも2年は続けるつもりでしょう。

 しかし、早期のテコ入れは必要だと僕も思います。ひとつは芸人を徹底的に少なくして、ジャニーズや2.5次元俳優など、主婦層がドキドキできる人材を入れてみること。今の布陣だと“渋滞芸人”たちがうるさすぎて川島さんの妙味が消えてるので、“非お笑い色”をどんどん高めていくべきかと。

 ちなみに、『ラヴィット!』の低視聴率は、その前の時間帯にオンエアされている『あさチャン!』も、同時間帯の番組中最下位だということにも大きく影響されているんですよ。よくいわれる通り視聴率というのは“つながる”もので、前の番組の視聴率がよければ、その次の番組も継続して観られやすいですから。

 で、その『あさチャン!』のMCの夏目三久さんが芸能界引退を発表したため、10月からは安住紳一郎アナの新番組が始まることが発表されました。安住さんの番組は高視聴率が予想されるため、『ラヴィット!』にとってはかなりの追い風になるはずです」

 果たして10月からの巻き返しなるか? 援軍が来るその日まで、麒麟川島のバランスのいいMC力でなんとか持ちこたえてほしい。

(文=藤原三星)

●藤原三星(ふじわら・さんせい)
ドラマ評論家・コメンテーター・脚本家・コピーライターなど、エンタメ業界に潜伏すること15年。独自の人脈で半歩踏み込んだ芸能記事を中心に量産中。<twitter:@samsungfujiwara

門倉健、失踪劇の真相は?「うつ病」発表の違和感、別の精神疾患による失踪の可能性も

 5月15日から行方がわからなくなり、一時は失踪と騒がれたプロ野球・中日ドラゴンズ前2軍投手コーチの門倉健氏が、6月6日夜に自宅に戻ったと妻が報告した。門倉氏の妻は夫のブログを更新し、門倉氏がうつ病と診断されたと述べているが、今回の失踪劇を振り返ると、その診断に首をひねりたくなる点も多い。

 精神科医の高木希奈氏に話を聞いた。

失踪自体が不可解

 最近、芸能人や著名人がうつ病であることを報じるニュースが多い。うつ病が「気力、エネルギーを失った状態」に陥る傾向にあることは明らかであり、門倉氏が2~3週間もの間、自らの意思で失踪していたという事実から考えると、うつ病との公表に首を傾げたくなる。

「確かに、失踪するにはかなりのエネルギーを要します。パジャマのまま突然フラッと出て行ったとか、死に場所を求めて1~2日彷徨ったという状態であればまだわかりますが、身なりや荷物を整えて、どういうルートでどこに行くかを考え、交通機関を利用して移動することは、うつ病では難しいのではないかと考えます。重度のうつ病であれば、物事を考えられなくなったり、外出はおろか身の回りのこともできなくなり、寝たきり状態になるケースが多いのも事実です」

 妻がブログでうつ病との診断を受けたと発表している件については、どう感じるか。

「本人を診察していないので、うつ病なのかどうかはわかりませんが、少なくとも3週間以上の長期間にわたり失踪していたということは、本人にとってはかなりのストレスとなるような大きな要因があったのだと思います」

うつ病以外の病気による失踪の可能性

 インターネット上では、多くの専門家がさまざまな意見を述べているが、なかにはうつ病以外の精神疾患による失踪ではないかとの意見もある。そういった可能性はあるのだろうか。

「可能性としては、回避性パーソナリティ障害、解離性障害で現れる解離性とん走があります」

【回避性パーソナリティ障害とは】
回避性パーソナリティ障害は、批判、否認、避難、拒絶、嘲笑、屈辱など、自分が否定的に評価されるリスクのある、あらゆる状況(対人接触を伴う社会的・職業的活動)を回避することで、その不安感を解消する。「自分は社会的に不適格である」「人間として長所がない」「人柄に魅力がない」「他人よりも劣っている」などの強い不全感を抱いており、確実な安心感を求めるため引っ込み思案になり、新しい活動や交流をしないなど、限定的な生活習慣を好む傾向にある。

【解離性障害】
解離性障害のひとつである解離性遁走は、事件、事故、災害、予想外の死別などトラウマ的出来事からくる極度のストレスにより、突発的に発症する。明らかに意図的に家庭や職場から離れる旅をし、失踪して新しい生活を始めたりするなど、その期間中は自らの身辺管理は保たれているが、その間の記憶は一切ない。通常は2~3日で終わることがほとんどだが、時には数カ月~年単位の長期にわたることもある。ふいに帰ってくることもあるが、その間の記憶は欠如している。

「このどちらも、今回の件に当てはまるかどうかはわかりませんが、もしこれらの疾患だったとしたら、もう少し若年から症状が出現するのが典型的だと思われます」

 一時は、事件に巻き込まれたかとも心配された門倉氏の失踪。無事に戻ってきたことに安堵はするが、しばらく真相は闇の中かもしれない。
(文=吉澤恵理/薬剤師、医療ジャーナリスト)



吉澤恵理/薬剤師、医療ジャーナリスト
1969年12月25日福島県生まれ。1992年東北薬科大学卒業。薬物乱用防止の啓蒙活動、心の問題などにも取り組み、コラム執筆のほか、講演、セミナーなども行っている。

吉村知事の大阪府は「時短協力金」支給も大幅遅れでダントツ最下位! 原因は民間業者への丸投げ、維新の民営化が府民の生命奪う

 またまた、大阪府・吉村洋文知事の失政を暴露するデータが出てきた。昨日の記事では今年1月から5月21日の間に、入院できず「自宅死」した感染者が全国で最多の28人にのぼっていることをクローズアップしたが、今回、明らかになったのは医療崩壊ではなく、「給付金の遅れ」の問題だ。 ...

広瀬すず主演ドラマ、なぜ視聴率低い?『なつぞら』以外は惨敗、『ネメシス』最終回は?

 広瀬すずと櫻井翔のダブル主演の連続ドラマ『ネメシス』(日本テレビ系)が13日、いよいよ最終回を迎える。放送開始前は同年齢の広瀬と橋本環奈が初共演することなどで話題を集めていたが、いざ蓋を開けると、ここまでの最高視聴率は第1話にマークした11.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)が最高で、第2話以降はすべて一桁と苦戦が続いている。

 実は、広瀬が主演もしくは主演クラスで出演した連ドラは、平均視聴率21.0%を記録した朝の連続テレビ小説『なつぞら』(NHK)以外、数字が取れていないという事実があるのだ。

『学校のカイダン』(平均視聴率9.3%)

 広瀬が最初に主演した連ドラは2015年1月期の『学校のカイダン』(日テレ系)である。彼女が演じる地味な女子高生・春菜ツバメは生徒会長の役を押しつけられるものの、謎の天才スピーチライターと出会い、その教えを受ける。そして言葉の力によって腐った学校に革命を起こすという学園ドラマだった。

 共演に天才スピーチライター役の神木隆之介や杉咲花、間宮祥太朗、飯豊まりえ、成田凌などが揃っていたが、今となっては若手実力派の役者たちが、このときは“早すぎた”ということなのかもしれない。

 加えて学園ドラマということもあって、観る層が限られてしまった感はある。当時、広瀬は伸び盛りの若手女優として注目を浴びていたが、ドラマの主演女優として観たいかと言われれば、ドラマのコアターゲットとなっているF1層(20~34歳女性)・F2層(35~49歳女性)からはズレてしまった感が否めない。結局、平均視聴率は9.3%と、二桁に届いていない。

 この『学校のカイダン』以来、3年ぶり二度目の主演となった連ドラが、2018年1月期に放送された『anone』(日テレ系)である。広瀬演じる主人公・辻沢ハリカは、ネットカフェで過ごす孤独な少女。両親と弟を亡くし児童養護施設で育ったこともあり、過去の辛い思い出に蓋をして、なんとかその日を生きていた。そんな日々のなか、ある事件をきっかけに、老齢の女との運命的な出会いをする。

 生きることの意味や生きていく上で本当に大切なものを問いかける作品で、真実の人間愛を見つけていくヒューマンストーリーである。哀しく切ない一方で、温かい人々の物語が紡がれていく。ただ、勧善懲悪が好きな人や、善人・悪人など登場人物の立ち位置がはっきりとした脚本が好きな人には向かないドラマである。

 ドラマチックな展開も特になく、細かくエピソードを積み上げていく地味な作品だったこともあってか、観る人を思いっきり選んでしまったのが数字に表れてしまったように思える。賛否両論あったこともあり、視聴率は第1話の9.2%が最高で、一度も二桁に乗ることなく終わってしまった。平均では6.1%という、文字通りの“惨敗”である。

 それでも、淡々と展開し、観るものの心をじわじわと打つ本作は、18年3月度のギャラクシー賞月間賞を受賞したほか、フランスのカンヌにて開催されたコンテンツ見本市『MIPCOM2018』において、“IPCOM BUYERS’ AWARD for Japanese Drama”グランプリを受賞するなど、高い評価を受けている。作品のクオリティと視聴率は別物だということを端的に表した一作といえよう。

『怪盗 山猫』(平均視聴率10.7%)

 3本目は、主演ではなくヒロインとして出演した作品である。16年1月期のドラマ『怪盗 山猫』(日テレ系)で、主演は亀梨和也だった。怪盗及び探偵として活躍する山猫の姿を描いたエンターテインメント。

 本作で広瀬が演じたのは、常に無表情かつ無愛想な性格の少女・高杉真央である。真央は山猫に会うまではいじめられっ子だったが、天才的なハッカーでもあった。山猫と出会ったことをきっかけに心を開き、彼に協力していくのである。

 人気アイドルグループKAT-TUNの亀梨主演ということもあって、第1話で14.3%という高視聴率をマークしたものの、平均視聴率は10.7%と、ぎりぎり二桁を確保して終わっている。

 このドラマは土曜の21時枠ということもあり、視聴者層が限定されてしまう(=年配の視聴者は少ない)点が難なのだが、それがまさに当てはまった格好だ。軽快なノリである一方で、きちんとストーリーに重みもあって面白かっただけに、残念といえば残念。本作もある意味、観る人を選んでしまったワケである。

『ネメシス』、前回視聴率は7.9%

 ここで、注目の『ネメシス』に話を戻す。本作は第1話で11.4%を獲得したものの、第2話で9.5%と下降してしまった。第1話を視聴した“お客”を放してしまったワケだ。理由はいくつか考えられるが、まずは前評判で“極上のミステリーエンターテインメントが誕生!”と謳っていた割には、謎解きが“稚拙な種明かし”に見えてしまったことが挙げられよう。

 また、殺人事件が起こるまで尺が長すぎてテンポが良くなかった点も気になった。いくら関係者が多いとはいえ、死体が発見されるまでに20分かかるのは長すぎだ。

 このような点が致命傷となって、離脱する視聴者が増えてしまったのではないだろうか。6月6日に放送された第9話は最終回の直前回なのに、これといった新鮮な見どころがなく数字も7.9%と低空飛行となった。映画化の噂もあるが、こんな調子で果たして大丈夫なのだろうか。

 最後に、広瀬すず自身について触れておきたい。今月19日に誕生日を迎え23歳となるが、連ドラの主演女優としては、まだ“若すぎる”のである。ドラマの視聴者層は20代半ばから30代後半の女性が大半を占めている。ヒット作は、その同世代の女性たちの等身大の姿を描いた作品が多くなるワケだ。

 要するに、こうした役を演じるには、広瀬はまだ早いのである。テレビCMでは好感度が高くても、いざドラマになったら主演として演じられる役がない。それでも、演技力には定評がある。だからこそ、ドラマよりも映画のほうに傑作が多いのも納得である。

 ちなみに、朝ドラ以外で主演や主演クラスで出演した連ドラは、すべて日本テレビ制作だ。となれば、次は他局での主演作を観てみたい。とはいえ、年齢を重ねた先に、広瀬すずに相応しい役柄が待っているのかもしれない。

(文=上杉純也/フリーライター)