日本で共働きが進まなかったのはなぜか:ほんとうに必要な働き方改革

正解のないWEBマガジン~wezzyより】

「GettyImages」より

前回の連載では、日本の独特の働き方について書きました。ここでもう一度、簡単に振り返ってみましょう。

 日本の組織はその内部で労働力を調整します。海外の組織では、ある仕事で人が足りなくなればその仕事をする人を雇い、ある仕事で人が余れば、基本的には解雇してしまいます。

 人材の育成についても、日本の組織では内部で育成するという考え方がまだ強いのですが、海外の組織では特定の仕事をする能力のある人を外部から雇い入れる、という発想が優勢です。

 日本では組織の内部で労働力を回しますから、人手が足りなくなれば時間外労働時間が増えますし、部署間の異動(配置転換や転勤)も頻繁になりやすいといえます。そしてこれらの働き方の特徴は、日本では「専業主婦あるいは主婦パートの妻がいる男性」の働き方に合わせるかたちで発達しました。

JRA【外国馬出走ゼロ問題】ジャパンC(G1)わずか「4年で3度目」の褒賞金増額……変わらぬ「お金を積めば、何とかなる」姿勢に落胆

 JRA(日本中央競馬会)は1日、ジャパンC(G1)の褒賞金基準を一部変更したことを発表。本レースに出走した特定の外国調教馬に対して、ボーナスとなる褒賞金をさらに増額する。

 昨年、1981年の創設から39回目にして、史上初の「外国馬の出走ゼロ」に終わったジャパンC。

 日本競馬最大の国際競走として、その存在意義が大きく揺らいだ。この事実を受けて、JRAが動いたという形だ。

 具体的には、凱旋門賞(仏G1)やキングジョージ6世&QES(英G1)など、JRAが指定した世界の主要レースにおける同年の勝ち馬がジャパンCを勝った場合、褒賞金が従来の200万米ドル(約2億2000万円)から、1.5倍の300万米ドル(約3億3000万円)に増額されることとなった。

 これに伴い、2着も40万米ドル(約4400万円)から120万ドル(約1億3200万円)に、3着が25万米ドル(約2750万円)から75万米ドル(約8250万円)、4着以下に敗れた場合に支払われる褒賞金も10万米ドル(約1100万円)から20万米ドル(約2200万円)に増額された。

 昨年、ジャパンCが史上初の外国馬出走なしに終わった事実について、JRAの横田貞夫国際担当理事は「今回の結果を十分に検証し、今後のジャパンCを盛り上げることができるよう努力してまいりたいと思います」とコメントを発表。

 そして今年「同じ轍は踏まぬ」と、さっそく“動き”を見せた格好だが「甚だ疑問」という声が挙がっている。

「この決定に疑問を持っている人は私だけではないと思いますよ。というか昨年の外国馬ゼロ問題が、あれだけ大きくクローズアップされたにも関わらず、まだJRAが『お金を積めば、何とかなる』と考えていることに落胆を禁じ得ません。

というのもジャパンCの外国馬を対象とした褒賞金の上乗せは、今回が初めてじゃないんですよね。2016、17年に続いて、今回が3度目の増額。ただ、それがほとんど機能していないことは、昨年の外国馬出走ゼロで実質証明されたはずなのでは……。

わずか4年で3度の増額は涙ぐましい努力と言えば聞こえはいいですが、『馬鹿の1つ覚え』と捉えられても仕方ないと思います。仮に今年のジャパンCに外国馬が出走したとしても、今回の褒賞金増額がどれだけの影響を及ぼしたのかは甚だ疑問だと思います」(競馬記者)

 今回の褒賞金増額によって、JRAが指定したレースに勝った馬にとってのジャパンC・1着賞金は「3億円+3億3000万円」の計6億3000万円となった。

 ただ、元々5億2000万円(3億円+2億2000万円)だったことを鑑みれば、今回の決定で1億1000万円上積みしたところで、停滞を極めている昨今の外国馬招致問題が改善されると本気で考えるのは、いささか無理があるのではないだろうか。

 今年の年頭に『週刊ギャロップ』(サンケイスポーツ)のインタビューに応じた後藤正幸JRA理事長が「物理的にクリアできるものは、クリアしていきたい」と、これまで千葉の競馬学校施設内にあった外国馬の検疫所を東京競馬場内に建設する意向を語るなど、JRAは決してジャパンCを蔑ろにしているわけではない。

 しかし、そういった期待が高まっていた分、今回の決定を残念に感じたファンは少なくないだろう。これを「一の矢」とし、二の矢、三の矢が放たれることを願うばかりだ。

JRA武豊「今週6勝」大爆発でリーディング猛追! O.マーフィー帰国で12年ぶり「頂点」現実味

 今年、51歳のシーズンを迎えるレジェンド武豊が好調だ。

 昨年、JRA111勝と2015年以来、4年ぶりの100勝超えを達成した武豊騎手。この日は前日と同じく東京参戦となったが、5戦3勝としっかり固め打った。

 まずは7Rだ。16頭立てのダート2100mで行われたレース。前走出遅れながらも3着に追い上げ、2番人気に支持されたゴールドスミスの武豊騎手は、課題のスタートを決めると、好ダッシュから一気にハナへ。これまでキャリア12戦で1度も逃げたことがない本馬を巧みに操ると、レースの主導権を掌握した。

 こうなれば武豊騎手のペースだ。

 ダートの2100mという騎手の腕が問われがちな長丁場で、巧みにペースを支配すると、最後の直線でも力強い脚取りのまま先頭でゴール。2着に後方からエグジットラックが追い込んだものの、3着は2番手を進んだ10番人気のトランスポーター。4着にも道中3番手のニューツーリズムが入線し、“豊マジック”で前残りのレースを演出した。

 冴えわたるレジェンドの勢いは止まらない。続く8Rで2番人気のフローラルパークに騎乗した武豊騎手は、またもスタートを決めてハナを主張したハヤブサレジェンドを行かせる形の2番手。最後の直線入り口まで逃げ馬を“可愛がる”と、力強く抜け出してライバルの追撃を封じて2連勝を飾った。

 続く9Rこそ2着だった武豊騎手だが、10Rの早春S(3勝クラス)では1番人気のボスジラで大外一気。着差こそ2着とクビ差だったが「着差以上に余裕があって、まだまだ伸びそう」と、OP入りを果たしたパートナーを好評価。

 ボスジラはこれで3連勝。兄にスプリングS(G2)勝ちのマウントロブソンや、菊花賞(G1)3着のポポカテペトルがいる良血馬は今後が楽しみな存在だ。

 また、武豊騎手は前日の3勝と合わせて、今週6勝を上積みする絶好調ぶりだ。これで今年19勝とし、リーディング3位。1位のO.マーフィー騎手が今週一杯で帰国することを鑑みれば、2位川田将雅騎手とは4勝差。

「久々に獲りたい」と2008年以来、12年ぶりのリーディング獲得へ意欲を燃やす武豊騎手。大ベテランの手綱さばきが、いよいよ冴えわたってきた。

JRA「WIN5」史上2位「4億円馬券」炸裂! 14番人気勝利の大波乱をしのぎ切った「1票」の”猛者”は……

 2日、WIN5が史上2位となる「4億3390万7040円」という超高額配当を記録し、ファンの話題を呼んでいる。

 この日のWIN5は京都10Rの飛鳥S(3勝クラス)、東京10R早春S(3勝クラス)、小倉11R周防灘特別(2勝クラス)、京都11RシルクロードS(G3)、そして東京11R根岸S(G3)の計5レースが対象。5レース中、3レースが3番人気以内で決着したものの、最後の的中はわずか1票だった。

 619万8672票でスタートした、この日のWIN5。“開幕戦”となる飛鳥Sで、いきなり9番人気のバイオスパークが勝利する波乱の幕開けとなったが、それでも11万6209票の生き残りがあった。

 続く早春Sでは1番人気のボスジラが勝利したものの単勝3.3倍の“好配当”。人気が割れた難解な1戦を通過したのは2万1601票だった。

 この日「WIN5で勝負しよう」と思った人にとって、最大の山場はこの第3の関門、小倉の周防灘特別だったに違いない。芝1200mのハンデ戦に18頭のフルゲート。これだけを見ても“素人”が手を出し辛い極めて難解な1戦だったことがうかがえる。

 そして案の定、レースは14番人気のナーゲルリングが勝って大波乱の結末。三連単も280万馬券となり、WIN5の生き残りは、わずか191票まで減少した。

 この時点で的中の可能性を残していた“猛者”たちは、祈るような気持だったに違いない。お気楽な我々“外野”は「久々のキャリーオーバーあるかも」と来週に向けて腕をまくっていたところだ。

 続くシルクロードSは、3番人気のアウィルアウェイがほぼ順当な勝利だったが、生き残りはわずか11票に。この時点で夢の「億越え」が強烈に匂ってきた。

 そして、最後の根岸Sも3番人気のモズアスコットが勝利したものの、単勝1.9倍のコパノキックングが2着に敗れる“波乱”の結果。キャリーオーバーの可能性が高まったが、最後の1票が「4億3390万7040円」という超高配当を手にすることとなった。

 この結果は昨年2月の4億7180万9030円に次ぐ、WIN5史上第2位という大波乱。的中させた方、本当におめでとうございます!

かつては「幸せな気分になる薬」だったが… 人類の歴史を変えた「薬」たち

 

 人類の発展に対して、「薬」は非常に重要な役割を果たしてきた。時にそれは歴史を大きく変えるきっかけとなった。

 

■幸せな気分になるボーナス付きの「薬」はなぜ取り締まられたか

 例えば、「アヘン」と「モルヒネ」。

 アヘンは「麻薬に関する単一条約」のもと、国際統制下にある麻薬だが、20世紀までは「薬」とみなされていた。そのうたい文句は「痛み止め、睡眠薬、消化薬、咳止め、頭痛止め、目の炎症、ケガ、痛風に しかも幸福な気分になるボーナスつき」(『歴史を変えた10の薬』カバーより)というものだったそうだから、驚きである。

 かつて魅惑の薬とされ、大航海時代において重要な商品であったアヘンは、1840年に清国とイギリスの間で戦争を引き起こしている。「アヘン戦争」である。

 アヘン戦争が起きる前の1830年代後半では、当時の中国の人口の1%にあたる400万人がアヘン常用者だった。それを問題視した清国は、大量の金が動くアヘンの密輸入を断ち切ろうとして、輸入を促進していたイギリスと戦争する。

 この戦争はイギリスが勝利したが、清の皇帝・道光帝はそれでもアヘンに対して毅然とした態度を取り続けており、「我が民の悪習と苦悩から利益を得るという誘いに一切応じることはない」としていた。

 彼の3人の息子は、実はアヘンの影響で亡くなっていたのだ。アヘンは鎮痛剤だけでなく、娯楽として使われる世界中の一般市民が求める薬だった。だがそれは、大きな問題を起こす原因にもなっていた。

 一方のモルヒネは、19世紀にアヘンのメリットの部分に対する研究が発展する形で精製された。アヘンからモルヒネを初めて単離したのは、ゼルチュナーという当時20代前半の若手研究者だったが、無名のまま亡くなっている。

 医療における実用化が進んだのはそれからだ。

 アヘンより鎮痛効果がはるかに強いモルヒネは、病院の薬局や医師のカバンにつねに収まっている薬剤になる。1841年にはシャルル・ガブリエル・プラバというフランスの医師が、新しいツールである「注射器」を医学に導入。「プラバ」と呼ばれるようになった注射器は、モルヒネの投与に使われるようになった。

 しかし、モルヒネは一方で殺人の道具にもなったのである。

 有効に作用する容量の幅が狭く、多すぎると呼吸がとまる。1900年頃は過剰摂取による事件が新聞に常に載っていたという。まさに「金になるし、殺しの道具」にもなったのだ。

 それから、より安全で常用性をもたらさないオピエート(モルヒネアルカロイド)を探す研究が1世紀にわたって重ねられ、現在でも厳格な管理のもと、医療用麻薬としてがんの治療などでモルヒネは使われている。

 一方で、アヘンやモルヒネは法的に管理されている。なぜならば、これまでの人類の歴史に深く根差し、影響を与えてきた薬物だからだ。

短所がなく長所だけを得ることはできない。あらゆる科学的発見は諸刃の刃で、身体的にも心理的にも、利益には間違いなく危険が結びついている。
人は利益に飛びつき、危険は放置してあとで処理しようとする。それこそ、喜びをもたらす植物から生まれた、神の薬であるアヘンに対して人びとが起こした反応である。
(『歴史を変えた10の薬』p.76より引用)

 これは、メディカルライターであり、オレゴン大学プレスのディレクターを務めるトーマス・ヘイガー氏による『歴史を変えた10の薬』(久保美代子訳、すばる舎刊)による一節であり、「薬」というものの本質を言い表している。

 メリットがあれば、デメリットもある。アヘンはその振れ幅がとてつもなく大きかった例だ。

■「天然痘」の根絶をはじめとした10の事例。そして薬の将来。

 本書は、タイトル通り、歴史を変えた薬を10例取り上げている。もしこれらがなければ私たちの住む世界は大きく変わっていたかもしれないというものばかりだ。

 例えば「天然痘」は今でこそ根絶している感染症だが、1796年にイギリス人医学者のエドワード・ジェンナーが、牛にできる牛痘の膿を接種する(ワクチン接種)と予防になることを突き止め、根絶の道が開けている。

 天然痘はそれまで致死率が極めて高く、身分の高い低いを問わず人を殺していく「怪物」だった。本書ではジェンナー以前の1700年代における「ワクチン接種」への道のりを克明に辿りつつ、今のワクチンを巡る現状についても触れている。

 ヘイガー氏は「ワクチンの義務化が公衆衛生のためになることは明らかだ」と反対活動に対して牽制し、その歴史を通してワクチンの重要性を提示するのである。

 章を追うごとに現代と近づいていき、エピローグで語られるのは「薬の将来」だ。

 一大ビジネスと化している製薬業界において、自社医薬品を売るための様々な宣伝活動がなされている一方で、その裏にあるデメリットは伝わりづらくなっており、医療そのものへの信頼が危うくなることをトーマス氏は危惧する。

「あらゆる科学的発見は諸刃の刃で、身体的にも心理的にも、利益には間違いなく危険が結びついている」

 繰り返しの引用となるが、この言葉は肝に銘じておくべきだろう。その中で何が最善の判断となるのかは、これまでの歴史が教えてくれるのではないだろか。
(新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

非公式「2020東京オリンピック」チケット転売サイトが登場 騙されるな!

生活をもっと楽しく刺激的に。 オトナライフより】

 2020年、いよいよ東京オリンピックが開催される。残念ながら観戦チケットの抽選に漏れた人も多いだろうが、そんな人の心理につけ込んだ、東京オリンピックチケット転売詐欺と思われるサイトが登場している。下手に手を出すと、大変な被害に遭う可能性が高いので十分注意しよう!

そもそも非公式サイトで買ったチケットは無効!

 いよいよ2020年がやってきた。東京オリンピックの観戦チケット抽選で1枚も当たらなかった人も多いだろう。だが「どうしても東京オリンピックを観戦したい!」そんなアナタの心理につけ込んで、早くも東京オリンピックチケット転売詐欺と思われるサイトが登場している。

 このサイトは「olympictickets2020」というサイトで、パッと見は組織委員会の公式サイトのように見えるが、詐欺サイトである可能性が極めて高い。なぜなら、東京オリンピックのチケットは組織委員会の公式リセールスサイト以外では転売が禁止されているからだ。

 公式サイトでは、すでに各国のリセールスサイトが公表されており、「olympictickets2020」というドメインは見当たらない。つまり、「olympictickets2020」は少なくとも公式リセールスサイトではないのだ。もし、詐欺でなかったとしても非公式サイトで入手したチケットでは入場できないので、くれぐれも、このような非公式サイトで、東京オリンピックのチケットを買おうなどと思わないでほしい。最悪の場合は、個人情報やクレカ情報などを抜かれてしまうぞ!

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離婚に発展も…夫or妻が「整理整頓できない」ことに我慢できないときの対処マニュアル

 社会人になったのを機に独立して、一人暮らしをされる方が多いのではないでしょうか。子供時代は親がいる家庭で暮らし、それが当たり前だと思っているものです。そして一人暮らしをして初めて掃除洗濯、料理などの家事を経験し、これほど時間を費やすということを初めて知り、親のありがたみを身をもって知る方も少なくはないでしょう。

 日々の暮らしのなかで、「整理」は欠かせません。料理をして片付ける、掃除をするにも片付けて掃除をする、洗濯をしたらたたんで収納するという行為が発生します。そして整理は家事だけでなく、暮らしの中で「整える」という行動として常に意識されます。

 整えるという行動の基準は、いつのまにか「習慣」として“マイルール”が身についています。幼い頃の経験を生かしている方もいますね。片付けが得意な方も苦手な方も、親の影響を受けているようです。片付けが苦手な人は「親も片付けが苦手だったのです」「親が片付けできすぎたので、私ができなくなりました」と言い、片付けが得意な人は「親が苦手だったので、反面教師で片付けられるようになりました」などと言います。

 そうした意識を頭の片隅に持ちながら一人暮らしを経験していくなかで、自分の暮らし方を構成しマイルールを持つようになると、同居人との生活で何気ないルールの違いに違和感を覚えてしまうことでしょう。

夫婦喧嘩、恋人とのイライラは「整理」の相違が原因?

 朝起きたところから、洗面所での動作や台所での朝ごはんづくり、ダイニングでの食事などなど、家の中で暮らす行動があるからこそ物があり、それを使ったあとに「戻す」作業をすることで、暮らしは「整理」されていきます。しかし、その「戻す」「戻さない」や「整っている」「整っていない」という価値感の違いが、小さなストレスを感じてしまう要因になりますね。暮らす行動、つまり生活の中にある「整える」の不一致です。

 すでに育ってきた環境が異なり、暮らしてきた過程が異なるのですから、生活の「整える」のマイルールが異なるのも当然ですね。異なることはお互いに、どちらが多く「折れる」ではなく、「ほどよい譲り合い」が必要ですね。

 そのためには、気になることは溜め込まずに、少し軽いタッチで確認し合うのも良いですね。最初はお互いへの思いやりで「仕方ないなぁ」と思うことも、長年一緒にいると「なぜここまで私が、僕がやらなくてはならないのか」と言葉に出せなくなって、少しのズレがのちのち大きなズレを生みかねません。

「家族の物はどんどん捨てるけど、自分の物は捨てない」という方はとても多いです。相手に捨ててほしいと思うのであれば、自分を見直してから、一緒に協力していきましょう。

 まずは「自分はがんばっています」アピールを静かに行います。自分の領域ではなく、共有領域の物の整理をし、少しずつ使わない物が減っていくことを実感していきましょう。自分の気持ちを上げることが大切です。少しずつ自分の領域も進めていきましょう。相手には、絶対にイライラを見せてはいけません。何か整理ができたら褒めましょう。何かうまくいくと、あとはコツをつかめるようになってきます。

 今年は「整える」を、家族に思いやりを持って楽しくできると良いですね。

(文=小林朗子/整理収納コンサルタント)

パチスロ6号機「純増8枚」×「一撃2400枚」の衝撃!「最強マシン」ついに降臨!!【新台分析―パチスロ編―】

 

 アニメや映画化もされた人気ゲームをモチーフにしたパチスロ6号機が間もなくデビュー。

「AT初当り時の高確率で完走2400枚に達する」と話題になっていた衝撃マシンがついに降臨する。

『パチスロ青鬼』(オリンピア)

※2月3日導入予定

 プレイヤーが青鬼となり、生徒を襲い捕食するという新たなホラーパチスロ。5人の生徒を捕食することが出来ればATへ突入する。通常時の444Gには、必ず生徒の捕食チャンスが訪れる仕組みだ。

 最大の特徴は「純増8枚」という高純増仕様のATが搭載されている点。Vストックの数だけATが継続する仕様となっており、1セット約160枚のメダルが獲得できる。

 消化中の演出は「ポイント直乗せモード」「最終告知モード」の2種類から選択することが可能。5連させるとエンディングへ到達し、ブラックアウト発生で「ATTACK THE 2000」発動。演出成功で「2400枚」完走が濃厚となる。

 出玉増加スピード、一撃性は6号機「最高峰」と言えるだろう。導入後は大きな反響が寄せられそうだ。

なぜ東京大学の周囲には“なまめかしい遊び場”が密集していたのか?下谷・湯島・白山ほか

 文京区の根津に明治時代遊廓があったが、東京大学が隣の本郷にできるというので江東区の洲崎に移転させられたということは前に書いた。じゃあ、きれいさっぱり東大のまわりはお色気が消えたかというと、そんなことはない。今でいうと本郷三丁目の駅から東に言問通りを下っていけば右手に湯島天神があり、地名は湯島となって、その近辺の本郷区内には花街が5つもあったのである。

 まず1つは下谷、あるいは池之端と呼ばれる花街。今の湯島の交差点の東側から松坂屋の向かい側に至るまでの歓楽街がそれ。池之端は、古くは下谷区数寄屋町、池之端仲町から本郷区同朋町にまたがる一帯で、本来下谷と同朋町で芸妓組合が異なるが、その後合併して下谷芸妓組合となった。芸妓屋160軒、芸妓400名。料理屋20軒、待合110軒と大規模で、東京のなかでも柳橋、新橋、吉原などに次いで二流の上に位置付けられた。上野の山の精養軒から見下ろすと池之端にずらりと並んだ料亭の明かりが、不忍池に映ってなまめかしかったらしい。ここで遊んだ東大生もいただろう。

 かつての料亭で今もあるのは鰻料理の伊豆栄。池之端から本郷側に上ったところにある竜岡町を先日歩いていたら、伊豆栄のために鰻を料理する店を見つけた。

 2つ目は湯島天神の南側の天神花街。芸妓屋30軒、芸妓80名、料理屋14軒、待合25軒。周辺には天ぷら屋、すき焼き屋、寿司屋、鳥料理屋などが散在し、旧花街の余韻を残している。古い地図を見ると、旅館だったところがマンションやラブホテルに変わっている。

 隣に湯島新花町という町名が昔あったが、これは花街とは関係ない。本当に花畑があった場所である。宝永7年(1710年)、上野の寛永寺の東叡山寛永寺貫主の輪王寺宮の隠居屋敷が置かれたが、宮はまもなく亡くなり、屋敷は廃止され跡地が菜園となり、大根畑、お花畑と呼ばれた。宝暦7年(1757年)、町屋が開かれ、新町屋と呼ばれたので、「新」と「花」を取って新花町となった。

武道の練習と偽り女遊び

 3つ目が神田明神のある台地の崖下で、神田三業地。または講武所(こうぶしょ)という。講武所は江戸幕府が設置した武芸訓練機関である。神田区同朋町、台所町、旅籠町にかけての一帯であり、旅籠町まで来ると今は秋葉原のアニメ街である。花街にしてはいかめしい名前の由来は、安政年間に幕府が鉄砲洲に講武所を設置した際、当時加賀ッ原といわれていた旅籠町に、講武所の附属機関を設けたことによる。

 神田明神の隣は湯島聖堂であり、旗本の息子たちが講武所や聖堂に来た帰りに遊んだのが花街発展の最初である。そのうち、講武所に行くと称して花街で遊ぶ者も増えたという。芸妓屋55軒、芸妓130〜140名。料理店10軒、待合21軒。有名な鰻料理店「明神下 神田川本店」はまさにこの花街の旧台所町の位置にある。文化2年(1805)創業の江戸前鰻の老舗であり、加賀藩の料理賄い方であった三河屋茂兵衛が、当時、流行り始めた蒲焼に目をつけ、大根河岸に来る人足たち相手に、よしず張りの屋台で鰻を焼いたのが始まりという。

 4つ目と5つ目は以前本連載で紹介した白山と駒込。根津遊廓は根津神社の参道にあったので、東大の北東側の裏手だが、池之端は東大の南東の裏手であり、天神もすぐ近くで、距離的には根津とさして差はない。講武所も駒込も白山も歩いてすぐである。売春のための遊廓と芸者遊びの花街では違うというだけで、勉学に差し障りがあるには違いないが、果たしてどれだけの東大生が遊んだのか。

森鷗外『雁』の舞台は本郷と湯島

 森鷗外の小説『雁』は、まさに東大から池之端あたりが舞台で、散歩と小説が好きな人々の格好の散歩ネタになっている。二度映画化されているが、高利貸しの中年男と、無縁坂に住むその妾、そして妾が恋する東大医学部の学生が主人公。二度目の映画の若尾文子主演のほうは、池之端の松源という料亭(架空の名前だと思われる)で若尾が高利貸しと見合いをし、同時に東大生が同窓会の宴会をしている。

 妾になったのは父親が貧しい飴細工で、二人で浅草の鳥越の貧乏長屋に住んでいたが、妾になれば娘のみならず、父親もましな家に女中付きで住まわせてくれるからである。父親の家は池之端の仲町という設定。

 東大生は本郷で有名だった木造三階建ての下宿・本郷館に住んでいる。小説では学生は鉄門という東大の門の真向かいの下宿「上条」(かみじょう)に住んでいたが、鷗外自身もここに住んでいたらしい。鉄門から無縁坂まではすぐであり、無縁坂を下れば不忍池である。

 学生はドイツに留学することになり、妾は失恋する。つまり設定としては『舞姫』以前の学生を描いたことになる。ドイツから来た博士と上野の精養軒で食事をする。また高利貸しの男は、妾に貸した金の利息で仕入れた反物で娘に着物をつくってやるが、その反物の元の持ち主の女が落ちぶれて身体を売るのが柳原。今の御茶ノ水駅から浅草橋までの神田川沿いであり、道端で男を誘う女が集まる場所だった。

下宿屋の増加

 映画で学生が住んでいた本郷館がそうであるように、東大があったために本郷に増えたものに下宿屋がある。学生も住むし、出張で東京に来た人が旅館として使うこともあり、本郷区の下宿屋は全盛期の明治40年(1907年)で541軒もの下宿屋があった。神田区にも338軒、牛込区にも362軒があり、同時期がピークである。下宿といっても、旅館を兼ねている所も多く、上京してきた人が1週間だけ泊まる、上野でしばしば開催された博覧会のときだけ泊まる、病院に通院するときだけ泊まる、といった利用のされ方も多かったらしい。今でいうとゲストハウスやウイークリーマンション、マンスリーマンションである。

 下宿屋は今はもうほとんど残っていないが、旅館に業態を換えているものはわずかにある。一度その1つに泊まってみたが、庭が立派で都心にいながら行楽気分が味わえる。泊まった旅館は違ったが、下宿屋の造りはしばしば料亭のように中庭のあるかたちである。学生時代、戦後の安い木造モルタルのアパートに住んでいた私からすればずっと豪華である。下宿とはいえ、次代を担うエリートが多く住むわけだから、しっかりした建物が建てられるケースも多かったのであろう。

下宿は堕落の根源

 下宿人の属性は男性がほぼすべてだった。本郷神田あたりは学生が多かったが、京橋、浅草、本所、深川はサラリーマンが多かったらしい。いずれにしろ独身男性ばかりであるから、次第に風紀が乱れることも多かったらしい。

 下宿数がピークを迎えつつある頃から、下宿を問題視する論調が増えていった。いわく、「堕落の根源」「学生の堕落期間」「学生を腐敗」させる、「魔窟」「悪書生の巣窟」「魑魅の巣窟」「罪悪の養成所」といった具合である。学生たちは勉強もせず、礼儀作法をわきまえず、街に繰り出して飲食し、歓楽街で遊び、揚弓場(ようきゅうじょう。矢場<やば>ともいう。今で言うとダーツバーだが、実は女性と遊ぶ場所)、銘酒屋(めいしや。酒を並べているが実は売春する)、遊廓で女性を買い、翌朝は寝坊をし、昼寝をして過ごした。

 学生が勝手に遊んでいただけではない。下宿屋のほうも、客を集めるためにきれいな女中を置いた。その女中が、住人を誘惑したり、売春の手引きをすることもあった。下宿している者だけでなく、彼を訪問してくる客も誘惑することがあったという。

 こういう具合であるから、真に修養を積み、将来成功したいなら、下宿屋などというものは最も選ぶべきではないといわれたのである。

(文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表)

参考文献

堀江亨・松山薫・高橋幹夫著『日本の近現代における都市集住形態としての下宿屋の実証研究』第一住宅建設協会

パチスロ「1発確認」で天国ゲット! 特化ゾーンから快勝……激レア台でも要チェック!!

 大松のパチスロ「ハイエナ」実戦。今回は2020年1月24日の実戦について書いていきたい。この日は用事があったために夕方からのスタートだ。

 まずは『パチスロ リング 強襲ノ連鎖』が287ゲームでヤメられていたので、384ゲームの強いゾーンまで打つことに。

 するとゲーム数でのチャンスゾーンに当選。期待度3まで上げた演出から疑似ボーナスをゲットするもATには繋がらず、有利区間開始時の時計演出も通常パターンのため即ヤメ。投資94枚の回収が101枚だ。

 続いて『天晴!モグモグ風林火山 全国制覇版』が残り3国の状態でヤメてあったので打つことに。液晶ゲーム数は268ゲームだ。

 順調に残り1国まで減らしていくも、「織田モグ長」が強くて全く倒せない。1度惜しいところまで追い詰めるが、そこで仕留められなかったのが響いて「モグー提督との決戦の刻」まで来てしまった。

 負けてしまうと有利区間をリセットされてしまうこの演出だが、残り1国の状態であれば約35%でATに当選する。ここは何とか勝ちたい、が失敗。何事もなく「再起の刻」が終了しヤメ。投資470枚の回収が46枚だ。

 次は『パチスロ ガン・ソード』で16ゲームヤメの台を発見。本機のゲーム数当選は少し特殊で、左の小型液晶に青・黄色・緑・赤の天体が表示される。青なら256ゲーム周期、黄色は128ゲーム周期、緑は64ゲーム周期、赤は32ゲーム周期に対応している。

 AT終了後にいずれかの天体に振り分けられる。それぞれ周期ゲーム数の4倍が天井となるが、どの天体に滞在しているかは基本的に分からない。

 ややこしいかもしれないが、例えばたまに赤の天体だけが表示される場合がある。これは他の天体が無いので32ゲーム周期、つまり128ゲームまでには必ず当たるということになる。

 話を戻すが、小型液晶を確認すると赤の天体しかない。これは打たねばなるまい。

 前兆を挟んで144ゲームに当選、赤7が揃いAT「リベンジバトル」がスタート。1セット18ゲームしかないが継続率は最低でも77%、最高で98%の爆連型ATだ。

 赤7なのであまり期待はしていなかったが5連で終了。左上の「MODE」は継続率と完全リンクしていて今回は84%だった。

 本機で6連続単発も経験したことがあるので、5連してくれただけ僥倖。と、レバーを叩くと即前兆演出が発生。たまにそのまま当たってくれるので様子を見るとしっかりと再びATに当選してくれた。

 また赤7が揃い、先程と同じく期待薄であったが今回は少し違った。どうにか7連荘まで漕ぎ着けることに成功。すると「狙え」演出から鉤爪図柄が揃う。

 本機の特化ゾーン「オーバーフロー」に突入。3セットまで継続が約束され、以降は50%で特化ゾーンが継続していく。

 その50%を4回継続させ、最終的には19連荘まで伸ばすことが出来た。「MODE」はD、77%に対応している。継続率を考えるとよく頑張ってくれた。投資188枚の回収964枚だった。

 しかしながら本機の最大継続率は98%(MODE S)、1度だけ引いたことがあるが2連で終わってしまった。いつかこのリベンジをしたいと思っているのだが、いつになることやら。
(文=大松)