石炭火力の延命か、脱炭素の架け橋か…三菱重工らが挑むトランジション技術とは

●この記事のポイント
日本のエネルギー・重工業大手が、東南アジアで石炭火力のアンモニア混焼やCCS(炭素回収・貯留)などの「トランジション技術」の実証実験を加速させている。三菱重工業やJERAなどが、アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)の枠組みで、既存インフラを活用しつつ脱炭素を目指す戦略だ。しかし、国際社会からは「化石燃料の延命策」との批判も強い。本記事では、技術競争力、コスト、国際政治などの観点から、日本の戦略が「脱炭素の架け橋」となるための条件と課題を、専門家の分析を交えて検証する。

 アジアの巨大なエネルギー需要を支える石炭火力を、段階的にゼロ排出へと導く「トランジション(移行)技術」。今、三菱重工業やJERAといった日本を代表するエネルギー・重工業大手が、東南アジアを舞台にこの技術に命運を賭けている。しかし、国際社会からの視線は冷ややかだ。

「化石燃料の延命策にすぎない」との批判が止まない中、日本が進める「多様な道筋(Multi-pathway)」は、世界の脱炭素化における現実的な解となるのか、それともガラパゴス化した袋小路なのか。日経新聞等でも報じられるアジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)の動きを起点に、その真価を検証する。

●目次

現場から:動き出したアジアの「脱炭素実証」

 現在、東南アジアの電力インフラの最前線では、日本の技術を用いた大規模な実証実験が次々と始まっている。

 象徴的なのは、インドネシア最大級の石炭火力であるスラヤ発電所でのプロジェクトだ。三菱重工業(三菱パワー)は、同発電所においてアンモニア混焼の実証試験を進めている。既存の設備を活かしつつ、燃焼時にCO2を出さないアンモニアを燃料に混ぜることで、排出量を段階的に削減する試みだ。

 また、JERAはタイやベトナムにおいて、現地の国営電力会社と提携し、石炭・ガス火力の低炭素化に向けたロードマップ策定を支援している。これらは、日本政府が主導する「アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)」の枠組みに紐付いている。2023年末のAZEC首脳会合では、11カ国の間で70件を超える協力覚書(MOU)が交わされた。

 資金面でも動きは加速している。経済産業省によれば、アジアのトランジションに必要な資金は年間数兆円規模に上るとされ、三菱UFJフィナンシャル・グループなどのメガバンクも「トランジションファイナンス」の枠組みを通じ、従来の「石炭=融資除外」という一線を引きつつも、排出削減に寄与する技術への投融資を拡大させている。

なぜ今、この戦略なのか――日本の論理

 日本がなぜ、欧米が主張する「再エネ一辺倒」ではなく、あえて火力の活用を残す戦略をとるのか。そこには東南アジアの厳しい現実がある。

 インドネシアやベトナムでは、石炭火力が電力供給の約60~70%を担っている。これらの設備は建設から日が浅い「ヤング・フリート(若い設備)」が多く、今すぐ廃止すれば巨大な座礁資産化(価値の喪失)を招き、経済混乱を引き起こしかねない。また、島嶼部が多い地形や脆弱な送電網は、天候で出力が変動する太陽光や風力の大量導入に耐えられないという技術的制約もある。

 日本政府の立場は明確だ。「各国固有の事情に応じた『多様な道筋』が必要」というものだ。これは2024年に改正された「GX推進法」や、2026年4月に施行を控える新制度とも整合している。2021年のG7サミットで、日本は「無対策の排出削減対策が講じられていない新設石炭火力への公的支援終了」を約束したが、逆に言えば「アンモニア混焼やCCS(炭素回収・貯留)などの対策を講じるなら支援の余地がある」というロジックを維持している。

「欧州は北海風力や域内融通という恵まれた環境があるが、アジアは独立系統の国が多く、ベースロード電源を急に捨てることは電力不足を意味します。日本の戦略は、エネルギー安全保障と脱炭素の『現実的な妥協点』を突いたものです。ただし、これが『時間稼ぎ』ではなく、本当にゼロに至るプロセスであることを証明し続けなければなりません」(エネルギー研究・政策アナリストの田代隆盛氏)

世界の目:なぜ「グリーンウォッシュ」と批判されるのか

 しかし、この日本の「現実路線」に対し、国際的な風当たりは極めて強い。

 フィリピンやインドネシアの現地NGOからは、「日本は自国の斜陽産業である重工業を守るために、アジアに化石燃料依存を押し付けている」との厳しい声が上がる。IEEFA(エネルギー経済財務研究所)などのシンクタンクは、アンモニア混焼のコスト高と削減効果の限定性を指摘する。20%の混焼ではCO2削減はわずか2割に留まり、コストは再エネ+蓄電池の急速な価格低下に追いつけないという予測だ。

 さらに、先進国と途上国が合意した「公正なエネルギー移行パートナーシップ(JETP)」の機能不全も影を落とす。インドネシアに対し218億ドルの資金支援が約束されたが、実際に動いている資金は2024年時点で34億ドル程度。しかもその多くが融資(借金)であり、受取側からは「条件が厳しすぎる」と不満が出ている。その隙間を埋めるようにAZECが進んでいることが、欧米勢からは「規律を乱す行為」と映っているのだ。

ビジネスの核心:日本企業に勝機はあるか

 注視すべきは、この技術競争における日本企業の「勝ち筋」だ。

 現在、アンモニア混焼や大型ガスタービンの技術において、三菱重工やIHIは世界トップクラスにある。この分野は、単なる発電機の販売ではなく、燃料の調達、CCSによるCO2処理、二国間クレジット制度(JCM)を活用した排出権取引まで含めた「パッケージ型インフラビジネス」としての性格を強めている。

 中国や韓国も脱炭素技術を強化しているが、彼らの強みは太陽光パネルやEVバッテリーの「量産化」だ。対して日本は、大規模で複雑なプラントの「低炭素化改造」という、よりエンジニアリングの難易度が高い領域で差別化を図ろうとしている。

 課題はやはりコストだ。再エネの発電原価が急落する中、アンモニアの製造・輸送コストをどこまで下げられるか。2028年から導入される「炭素賦課金」や、2033年から本格化する「発電部門への排出量取引(オークション制)」は、国内企業に対し、カーボンコストを経営に織り込むことを強いる。これが海外展開における価格競争力を削ぐのか、あるいは国内での先行事例が国際標準となるのか、今が正念場である。

「日本企業にとっての勝機は、既存設備の『資産価値を守りながら脱炭素化する』というコンサルティング能力にあります。単にアンモニアを売るのではなく、現地の電力価格を維持しつつ脱炭素化するスキームを提示できるか。2030年代初頭までにコスト競争力を証明できなければ、市場は一気に再エネ+蓄電池に流れるでしょう」(同)

分岐点:「架け橋」になれる条件

 日本のトランジション戦略が、世界から認められる「架け橋」となるためには、以下の3つの条件が不可欠だろう。

(1)「フェーズアウト(廃止)」の期限明示 混焼はあくまで通過点であり、最終的にいつ石炭を完全にゼロにするのかというタイムラインを、各国政府と合意し公表すること。

(2)技術コストの劇的低減 アンモニアのサプライチェーンを構築し、2030年までに再エネと戦える水準までコストを下げる実証結果を示すこと。

(3)多国間資金との調和 AZECを日本の独りよがりにせず、JETPなどの国際枠組みと連携し、透明性の高い資金の流れを作ること。

 2025年にブラジルで開催されるCOP30(国連気候変動枠組条約締約国会議)は、各国の2035年に向けた野心的な削減目標(NDC)が示される重要な局面となる。ここで日本の「多様な道筋」が、途上国の実態に即した有効な手段としてデータで証明できなければ、日本企業の技術は「過去の遺物」の延命装置というレッテルを貼られかねない。

「トランジション」という言葉は、都合の良い言い換えではない。それは、高難度の技術と膨大な資金、そして国際的な政治力を必要とする、極めて険しい道のりだ。 日本企業がアジアで進めるこの「賭け」は、現時点では切り札というよりも、世界を納得させるための「期限付きの挑戦」である。その成否は、技術の優位性だけでなく、アジアの成長と地球の未来をいかに高い次元で両立させるかという、日本の「物語」の説得力にかかっている。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=田代隆盛/エネルギー研究・政策アナリスト)

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23区の新築戸建てが9千万円超え…一般世帯が直面する職住分離の再来と限界ローン

●この記事のポイント
東京23区の新築戸建て平均価格が9,000万円を突破。マンション高騰の受け皿として戸建てに需要がシフトしていたが、資材費や人件費の高騰により戸建てまでもが一般会社員には手の届かない「第2の億ション」化。無理なローンか大幅な郊外移転かの選択を迫られる、新たな住宅格差の実態を解説する。

「億ションはもはや別の世界の話だと思っていたのに、戸建てまで手が届かなくなった」——都内在住の30代共働き夫婦がこう漏らすのも無理はない。

 不動産調査会社・東京カンテイによると、2026年3月に販売された東京23区内の土地面積50〜100平方メートル未満の新築小規模一戸建て住宅の平均価格は9256万円と、調査以来初めて9000万円を突破し、最高価格を更新した。

 この数字は、単なる価格上昇の延長線上にはない。マンション価格の高騰に疲弊した購入層が「管理費・修繕積立金が不要」「専有面積が広い」と戸建てに活路を見出してきたここ数年の流れを、根本から覆す転換点だ。

 同時期、東京23区で販売された中古マンションの平均価格(70平方メートル換算)は、前年同月比30%超の上昇で調査開始以来初めて1億2000万円を超えた。新築分譲マンションに至っては、2025年1〜5月の23区平均が1億4402万円に達し、港区・中央区・渋谷区・千代田区の4区が価格上昇を牽引している

 マンションが富裕層の資産形成ツールと化しつつある中、「普通のサラリーマンが手の届く住まい」として戸建てに向いていた目線は、今や宙に浮いた状態にある。

●目次

なぜ「普通の戸建て」がここまで高くなったのか

 価格高騰の背景には、三つの構造的な圧力が重なっている。

 第一は、土地の三つ巴の争奪戦だ。23区内の限られた用地を、マンションデベロッパー・建売業者・ホテル・民泊事業者が競い合っている。インバウンド需要の回復を追い風に、特に城東・城南エリアでホテル転用が加速。住宅向けの土地供給はさらに細る構造になっている。

 第二は、建築コストの恒常的な上昇だ。2021年の1ドル=110円台から2024年の150円台への円安進行により、木材・鉄鋼・断熱材などの輸入建材コストが大幅に上昇した。特に木材の輸入依存度は約60%、構造用集成材に限れば80%以上に達する。加えて、2024年の時間外労働規制適用(いわゆる「2024年問題」)と2025年の団塊世代大量退職による職人不足が、労務単価を押し上げ続けている。建設業就業者の3割が55歳以上という高齢化構造もあり、人件費圧力は短期的には解消されない。

 さらに2025年4月以降、全ての新築住宅に省エネ基準適合が義務化され、従来より高い断熱・省エネ性能が必要となったことも建築費を押し上げる要因となっている。2030年にはZEH水準が義務化される予定で、仕様コストはさらに上昇が見込まれる。

 第三は、狭小住宅の価格上昇限界だ。かつては3階建て・ペンシルハウスが「23区内居住の現実解」として機能してきた。だが今や設計の工夫だけではコスト上昇を吸収しきれず、ペンシルハウスでさえ8000万〜1億円が当たり前になりつつある。

 不動産アナリストの視点からは、「需要側の問題というより供給構造の歪みが本質」という指摘が多い。住宅評論家の櫻井幸雄氏はこう語る。

「戸建て価格の上昇は建材・人件費・地価の三重苦であり、どれか一つが解消されても焼け石に水。現在の価格水準が崩れるとすれば、金利上昇による需要蒸発か、景気後退という最悪のシナリオを伴うことになる」

一般会社員を襲う「選択肢なき二択」

 現在、住宅購入を検討する年収1000〜1200万円のパワーカップル世帯でも、23区内の新築戸建て取得は容易ではない。9000万円超の物件を35年ローン・変動金利で組む場合、頭金1000万円を用意しても月々の返済額は20万円前後となり、返済比率は額面年収に対して30〜35%に達する計算だ。

 ここに二つの現実的な選択肢が突きつけられる。

パターンA:フルローンによる綱渡り。日銀は2025年12月の金融政策決定会合で政策金利を0.75%程度に引き上げており、これは約30年ぶりの水準だ。民間エコノミストの予測では、政策金利は2026年末までに約1.1%に達する可能性がある。変動金利が1〜2%上昇した場合、9000万円超のローンでは月々の返済額が数万円単位で増加し、家計の安全マージンは急速に縮小する。住宅ローン控除や当初の低金利を前提とした計画は、金利正常化の局面では脆弱だ。

パターンB:郊外へのさらなる後退。23区を諦め、千葉・埼玉・神奈川のさらに奥へ移動する選択肢だ。ただしリモートワークの普及で一時後退したかに見えた通勤負担が、出社回帰の流れの中で再び現実的な問題として浮上している。「職住分離」の再来は、令和の時代に昭和の問題を繰り返す皮肉な構図だ。しかも首都圏郊外の住宅価格も上昇傾向にあり、割安感は年々薄れている。

「戸建てなら資産になる」という神話の検証

 高額で購入した戸建ての資産価値については、冷静な目線が必要だ。

 中古不動産市場は立地への評価が年々シビアになっている。駅から徒歩15分超の物件、特にバス便エリアの戸建ては、将来の売却時に“負動産化”するリスクが指摘される。マンションと異なり、戸建ては建物部分の評価が経年で大きく下落するため、土地の希少性がなければ資産価値の維持は困難だ。不動産ジャーナリストの秋田智樹氏は次のように分析する。

「9000万円で買った戸建てが10年後に同等の価格で売れるのは、よほど希少性の高い立地に限られます。多くの場合、建物評価はほぼゼロに近づき、土地値で勝負することになる。都心の駅近であれば成立しますが、それならそもそも9000万円では買えないという矛盾が生じる」

「価値ある戸建て」を安価に手に入れる選択肢は、事実上なくなりつつある。

問われる「持ち家信仰」の持続可能性

 今の価格高騰が「最後の上昇局面」なのか、それとも「さらなる通過点」なのかは、現時点では断言できない。ただ構造的に見えてくることがある。

 住宅価格の上昇は不動産市場単体の問題ではなく、少子化・建設労働者の高齢化・円安・金利正常化という複数の社会課題が重なった結果だ。賃金上昇が物価・資産価格の上昇に追いつかない限り、住宅取得は一部の高所得層と資産保有者に偏る「二極化」が進行する。

「家を持つことがゴール」という昭和・平成型の価値観は、今の価格帯でそのまま維持することは難しい。住宅ローンの借り過ぎリスク、金利上昇局面での家計圧迫、老後の資産価値消失——これらのリスクを正面から受け止めた上で、持ち家・賃貸・郊外移住・資産運用との組み合わせを含む多様な選択肢を検討することが、今の時代における現実的な住まいの戦略といえるだろう。

 9256万円という数字は、ひとつの閾値の突破を示すシグナルだ。それは同時に、日本の住宅市場が根本的な構造転換を迫られていることを静かに告げている。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=櫻井幸雄/住宅評論家)

23区の新築戸建てが9千万円超え…一般世帯が直面する職住分離の再来と限界ローン

●この記事のポイント
東京23区の新築戸建て平均価格が9,000万円を突破。マンション高騰の受け皿として戸建てに需要がシフトしていたが、資材費や人件費の高騰により戸建てまでもが一般会社員には手の届かない「第2の億ション」化。無理なローンか大幅な郊外移転かの選択を迫られる、新たな住宅格差の実態を解説する。

「億ションはもはや別の世界の話だと思っていたのに、戸建てまで手が届かなくなった」——都内在住の30代共働き夫婦がこう漏らすのも無理はない。

 不動産調査会社・東京カンテイによると、2026年3月に販売された東京23区内の土地面積50〜100平方メートル未満の新築小規模一戸建て住宅の平均価格は9256万円と、調査以来初めて9000万円を突破し、最高価格を更新した。

 この数字は、単なる価格上昇の延長線上にはない。マンション価格の高騰に疲弊した購入層が「管理費・修繕積立金が不要」「専有面積が広い」と戸建てに活路を見出してきたここ数年の流れを、根本から覆す転換点だ。

 同時期、東京23区で販売された中古マンションの平均価格(70平方メートル換算)は、前年同月比30%超の上昇で調査開始以来初めて1億2000万円を超えた。新築分譲マンションに至っては、2025年1〜5月の23区平均が1億4402万円に達し、港区・中央区・渋谷区・千代田区の4区が価格上昇を牽引している

 マンションが富裕層の資産形成ツールと化しつつある中、「普通のサラリーマンが手の届く住まい」として戸建てに向いていた目線は、今や宙に浮いた状態にある。

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なぜ「普通の戸建て」がここまで高くなったのか

 価格高騰の背景には、三つの構造的な圧力が重なっている。

 第一は、土地の三つ巴の争奪戦だ。23区内の限られた用地を、マンションデベロッパー・建売業者・ホテル・民泊事業者が競い合っている。インバウンド需要の回復を追い風に、特に城東・城南エリアでホテル転用が加速。住宅向けの土地供給はさらに細る構造になっている。

 第二は、建築コストの恒常的な上昇だ。2021年の1ドル=110円台から2024年の150円台への円安進行により、木材・鉄鋼・断熱材などの輸入建材コストが大幅に上昇した。特に木材の輸入依存度は約60%、構造用集成材に限れば80%以上に達する。加えて、2024年の時間外労働規制適用(いわゆる「2024年問題」)と2025年の団塊世代大量退職による職人不足が、労務単価を押し上げ続けている。建設業就業者の3割が55歳以上という高齢化構造もあり、人件費圧力は短期的には解消されない。

 さらに2025年4月以降、全ての新築住宅に省エネ基準適合が義務化され、従来より高い断熱・省エネ性能が必要となったことも建築費を押し上げる要因となっている。2030年にはZEH水準が義務化される予定で、仕様コストはさらに上昇が見込まれる。

 第三は、狭小住宅の価格上昇限界だ。かつては3階建て・ペンシルハウスが「23区内居住の現実解」として機能してきた。だが今や設計の工夫だけではコスト上昇を吸収しきれず、ペンシルハウスでさえ8000万〜1億円が当たり前になりつつある。

 不動産アナリストの視点からは、「需要側の問題というより供給構造の歪みが本質」という指摘が多い。住宅評論家の櫻井幸雄氏はこう語る。

「戸建て価格の上昇は建材・人件費・地価の三重苦であり、どれか一つが解消されても焼け石に水。現在の価格水準が崩れるとすれば、金利上昇による需要蒸発か、景気後退という最悪のシナリオを伴うことになる」

一般会社員を襲う「選択肢なき二択」

 現在、住宅購入を検討する年収1000〜1200万円のパワーカップル世帯でも、23区内の新築戸建て取得は容易ではない。9000万円超の物件を35年ローン・変動金利で組む場合、頭金1000万円を用意しても月々の返済額は20万円前後となり、返済比率は額面年収に対して30〜35%に達する計算だ。

 ここに二つの現実的な選択肢が突きつけられる。

パターンA:フルローンによる綱渡り。日銀は2025年12月の金融政策決定会合で政策金利を0.75%程度に引き上げており、これは約30年ぶりの水準だ。民間エコノミストの予測では、政策金利は2026年末までに約1.1%に達する可能性がある。変動金利が1〜2%上昇した場合、9000万円超のローンでは月々の返済額が数万円単位で増加し、家計の安全マージンは急速に縮小する。住宅ローン控除や当初の低金利を前提とした計画は、金利正常化の局面では脆弱だ。

パターンB:郊外へのさらなる後退。23区を諦め、千葉・埼玉・神奈川のさらに奥へ移動する選択肢だ。ただしリモートワークの普及で一時後退したかに見えた通勤負担が、出社回帰の流れの中で再び現実的な問題として浮上している。「職住分離」の再来は、令和の時代に昭和の問題を繰り返す皮肉な構図だ。しかも首都圏郊外の住宅価格も上昇傾向にあり、割安感は年々薄れている。

「戸建てなら資産になる」という神話の検証

 高額で購入した戸建ての資産価値については、冷静な目線が必要だ。

 中古不動産市場は立地への評価が年々シビアになっている。駅から徒歩15分超の物件、特にバス便エリアの戸建ては、将来の売却時に“負動産化”するリスクが指摘される。マンションと異なり、戸建ては建物部分の評価が経年で大きく下落するため、土地の希少性がなければ資産価値の維持は困難だ。不動産ジャーナリストの秋田智樹氏は次のように分析する。

「9000万円で買った戸建てが10年後に同等の価格で売れるのは、よほど希少性の高い立地に限られます。多くの場合、建物評価はほぼゼロに近づき、土地値で勝負することになる。都心の駅近であれば成立しますが、それならそもそも9000万円では買えないという矛盾が生じる」

「価値ある戸建て」を安価に手に入れる選択肢は、事実上なくなりつつある。

問われる「持ち家信仰」の持続可能性

 今の価格高騰が「最後の上昇局面」なのか、それとも「さらなる通過点」なのかは、現時点では断言できない。ただ構造的に見えてくることがある。

 住宅価格の上昇は不動産市場単体の問題ではなく、少子化・建設労働者の高齢化・円安・金利正常化という複数の社会課題が重なった結果だ。賃金上昇が物価・資産価格の上昇に追いつかない限り、住宅取得は一部の高所得層と資産保有者に偏る「二極化」が進行する。

「家を持つことがゴール」という昭和・平成型の価値観は、今の価格帯でそのまま維持することは難しい。住宅ローンの借り過ぎリスク、金利上昇局面での家計圧迫、老後の資産価値消失——これらのリスクを正面から受け止めた上で、持ち家・賃貸・郊外移住・資産運用との組み合わせを含む多様な選択肢を検討することが、今の時代における現実的な住まいの戦略といえるだろう。

 9256万円という数字は、ひとつの閾値の突破を示すシグナルだ。それは同時に、日本の住宅市場が根本的な構造転換を迫られていることを静かに告げている。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=櫻井幸雄/住宅評論家)

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