新型コロナ、「土足」で室内がウイルス汚染か…クルーズ船、トイレ床から高い頻度で検出

なぜ日本では「感染爆発」が起きていないのか

 一日当たりの新型コロナウイルス「COVID-19」(コビッド・ナインティーン)の新規感染者数(報告数)が、ようやく下がり始めている。3月下旬以降、右肩上がりで増え続け、ピークは4月12日に記録された714人。それが約1カ月後の5月8日には82人にまで激減している。

 我が国最大の“感染者多発地帯”である東京都を見ても、ピークが4月17日の201人だったのに対し、5月8日は39人と、全国と同じように大きく数を減らしている。東京都だけで新規感染者数のほぼ半数を占めているのは気になるところだが、小池百合子・東京都知事が危惧していた「オーバーシュート」(感染爆発)は当面、避けられたようにも見える。

 日本もまた、感染爆発を避けられず、米国ニューヨークやイタリアの後を追う――と予言する報道が、3月中旬以降の日本国内で相次いでいた。国の衛生状態も医療のレベルも、米国やイタリアとさほど変わりはないから、そう睨んだのだろう。だが、今のところそうはなっていない。

 米国ジョンズ・ホプキンス大学のウエブサイトによると、5月10日午後9時30分現在、世界全体の新型コロナウイルス感染者数は400万人を突破し、404万7915人(死者数27万9705人。感染者の約7%)となっている。

 国別では、1位の米国が130万9541人(死者数7万8794人。感染者の約6%)で、2位のスペインが22万3578人(死者数2万6478人。感染者の約12%)、3位のイタリアが21万8268人(死者数3万395人。感染者の約14%)であるのに対し、日本は1万5663人(死者数607人。感染者の約4%)で、世界ランキングでは32位となっている。同日(5月10日)夜にNHKが報じた国内の同感染者数は1万5842人、死者数は632人だったので、タイムラグなどを考慮すれば同大学サイトの信頼性はかなり高いことがわかるだろう。

 では、なぜ日本と欧米各国では、新型コロナウイルス感染者数にこれほどまでの差があるのだろうか。スペインやイタリアとは1桁、米国とは2桁も違うのである。日本のPCR検査数の低さをその理由として挙げている学者やジャーナリストもいる。もちろんそれも理由のひとつなのだろうが、そのことだけですべての説明がつくのかというと、どうも釈然としない。

 そこで、筆者の事務所(ルポルタージュ研究所)なりに、その理由を考えてみることにした。つまり、日本と欧米各国には、感染症対策を考えるうえでどんな違いがあったのか――ということである。

マスクの効能を否定した専門家と専門家よりマスクを信じた市民

 私たちが特に注目したのは、「生活習慣の違い」だった。

【1】マスクの着用

 欧州で感染拡大が確認された3月中旬は、日本では花粉症流行の真っただなか。外出の際はマスクが欠かせない人も多い。というか、春に花粉症と無縁で過ごせる人のほうが珍しいくらいだ。しかも、花粉症は「スギ花粉症」や「ヒノキ花粉症」だけでなく、中には桜の花粉に反応してしまう人もいる。すなわち日本の春は「マスクの季節」であり、例年マスクが最も売れるシーズンでもある。

 一方、欧米人のマスク観は「マスクは病人がするもの」。マスクをして出勤する日本人の姿は、嘲笑の対象でさえあった。それが新型コロナウイルスの登場で、今やこぞってマスクをし始めている。米国ロサンゼルス市のように、食料品店の従業員と客の双方にマスクやスカーフの着用を義務づけたところもある。もちろん、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためだ。

 感染症の専門家がマスク着用を推奨したからではない。WHO(世界保健機関)の事務局長や危機対応統括担当は、マスクの感染予防効果を今なお頑として認めていない。記者会見でも彼らのマスク姿を見たことはない。4月に入りWHOは、「自らが感染していると気づいていない人が他の人にうつさないためにはマスクの使用が役に立つこともある」との見解を出し、マスクの効能をしぶしぶ認めたものの、相変わらずマスクに感染予防の根拠はないと言い続けている。

 ご記憶の方も多いと思うが、実は日本の感染症専門家らも、2月や3月頃のテレビニュースで「マスクで感染は防げない」と繰り返し語っていた。中には、「マスクを口から外して顎に下げると、顎に付いたウイルスがマスクの内側に付いてしまうので、絶対に避ける」などと講釈を垂れていた人もいた。

 だが、現在市販されている不織布マスクの大半は顎までしっかり覆う形のものであり、解説として的外れと言うほかない。こうした注意が必要なマスクがあるとすれば、市販のものより一回り小さめで顎まできちんと覆えない「アベノマスク」くらいのものだろう。

 ともあれ、大半の日本人は感染症専門家の言うことを聞かず、マスクを着用し続けた。そのことは同時に、一般庶民は専門家ばかりかテレビ報道もまったく信用しなかった――ということを意味している。かえってそれが功を奏し、日本での感染爆発を防いでいる可能性は十二分にありそうだ。専門家の見立てと庶民の肌感覚のどちらに軍配が上がるのか、見ものである。あと半年か1年もすれば、白黒ハッキリするだろう。

 ついでにもうひとつ、これまでどの専門家も指摘していないと思われることを指摘しておきたい。

「土足文化」がパンデミックを招く?

【2】土足

 家の中まで土足で上がるか否か――という生活習慣の違いである。集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号で、感染者が滞在していた33の客室を国立感染所研究所(感染研)が調べたところ、21の客室で新型コロナウイルスの遺伝子が検出され、なかでも、客室内にあるユニットバスのトイレの床からウイルスの遺伝子が、高い頻度で検出されたのだという。

 新型コロナウイルスは、感染者の便からも検出されることが明らかになっている。水洗便所で水を流すたび、飛沫が床を汚すのか、それとも違う理由で床が汚染されるのかは今後の検証を待つほかないが、感染者が床まで汚染してしまうという事実は、感染を防ぐうえで大変重要な発見であり、役に立つ知見だろう。

 日本の家庭では、家に帰るとまず玄関で靴を脱ぐ。一方、欧米の家庭では土足のまま家の中に入り、トイレも靴を履いたまま使用する。この生活習慣の違いが、感染拡大の差を生み出している疑いがある――と、私たちは考えた。何らかの理由で汚染された土壌の上を知らずに歩き、靴の裏が汚染されたまま帰宅して、自宅内を汚染してしまう――という可能性も考えられる。感染が世界中に拡大している現在、決して空想次元の話ではあるまい。「土足」が本人の感染ばかりか、家庭内感染を招く原因となっている恐れもありそうだ。感染症専門家の皆さんに、ぜひ早急に検証していただきたいと思う。

 これまで私たちは「手」や「手が触れるもの」「手洗い」ばかりに注意を払い、「床」や「土足」に対してあまりにも無頓着だったのではないか――。そう考えながら、9年前の東京電力・福島第一原発事故を取材した際、体験したあるエピソードを思い出した。

 原発事故発生から約1カ月後の2011年5月、筆者は知人の弁護士らとともに福島県内の現地取材を敢行した。参加メンバーはそれぞれ積算線量計を持参し、一日ごとの被曝線量を記録していたのだが、同じ地域を揃って訪問していたにもかかわらず、3日間で3マイクロシーベルトも被曝線量に差が出ていたメンバーがいた。そのメンバーは、「宿泊しているホテルの部屋が怪しい」と言う。

 そこで、筆者が持参していたロシア製の簡易線量測定器RADEX(RD1703)を貸し、部屋の中の線量を調べてもらったところ、ベッドカバーから放たれる毎時0.2~0.3マイクロシーベルトほどの放射線を確認。これが余計な“放射線源”とみて間違いなかった。その部屋に泊まったメンバーにとっては大変不運なことに、その部屋を前に使っていた客が、汚れた土足をベッドカバーに乗せたか、それとも体そのものが放射能で相当汚れた人だったことが原因と思われた。私たちが宿泊していたビジネスホテルは当時、海外からの取材スタッフや研究者、技術者らでごった返していた。その中に、「土足」に無頓着な人が少しくらいいたとしても、何ら不思議ではなかった。

         ※

 日本国内で豚コレラや牛の口蹄疫が発生した際、白装束に身を固めた消毒スタッフが農場を訪れ、周囲を徹底的に消毒する光景をテレビニュースなどで見た覚えがあるだろう。彼らは、農場に出入りする人の靴の裏や、車のタイヤまで徹底的に消毒し、病原となったウイルスを根絶する。家畜の病気でこれほど「足元」に気を使っているのだから、人のパンデミック(世界規模の感染症大流行)でも同様かそれ以上の配慮がなされるべきだと、私たちは考える。

 日本が感染爆発に至っていないのは、単なる偶然の産物であるわけがない。まだわかっていないだけで、ちゃんとした理由が絶対にあるのだ。その真の理由を突き止めることができれば、間違いなくパンデミックの終息にも貢献できるだろう。

「外出自粛」は、100年前の「感染症対策」

 日本を感染爆発の危機から救ったのは、4月7日に発令された「緊急事態宣言」であると考える人もいるだろう。だがそれは、市民と企業が多大な犠牲を払い、仕事や学業、外食、観光旅行等々、さまざまな活動を停止したゆえのことである。その最大の功労者は一人ひとりの国民であり、市民なのであって、同宣言を発令した政治家が偉いわけでも威張れるわけでもない。

 そもそも外出自粛や都市封鎖という手段は、公衆衛生政策も医療技術も大したものを持ち合わせていなかった100年も昔の、大正時代の「感染症対策」なのである。実際、100年前の1918年に始まったインフルエンザのパンデミック「スペイン風邪」の際の対策は、「患者の隔離、接触者の行動制限、個人衛生、消毒と集会の延期といったありきたりの方法に頼るしかありませんでした」との記録もある。現在の対策とさほど変わりがないことに、愕然とさせられる。

 そんな前時代的な対策しか、有効策として打ち出すことのできない感染症専門家や政治家とは、なんと非力な存在なのだろう。100年前から進歩していないのだから、あまりにも情けなく、頼りにならない。進歩がないのではなく、単にパンデミックに備えていなかったのであれば、さらにたちが悪い。

 せめて、日本が感染爆発に至っていない理由だけでも解明し、新型コロナウイルスの終息に貢献していただきたいと願う。

(文=明石昇二郎/ルポライター)

JRAヴィクトリアマイル(G1)「最強女王」アーモンドアイに気になる不安要素!? ドバイ中止の影響は意外なところに

 17日、東京競馬場ではヴィクトリアマイル(G1)が行われる。同レースは古馬牝馬の競走充実を目的として2006年に創設された。

 今年の目玉は最強馬アーモンドアイ(牝5、美浦・国枝栄厩舎)の参戦だろう。昨年の有馬記念(G1)こそ9着と初めて大崩れしたが、その実力は折り紙付きだ。デビューからここまで積み重ねたG1勝利数は6勝と、現役最強馬の呼び声は高い。

 当初予定していたドバイ国際競走は、新型コロナウイルス感染拡大防止の影響で中止となったが、国内始動戦となるヴィクトリアマイルでの復活勝利を期したい。

 アーモンドアイの主戦であるC.ルメール騎手は同馬のポテンシャルを「僕が今まで乗ってきた中で一番強い」と高く評価している。アーモンドアイに乗れないのでは意味がないと、予定していた3日間の騎乗をすべてキャンセルしてまで出国を早めたほどである。

 ルメール騎手にとってもヴィクトリアマイルで再び「愛馬」に騎乗できることは非常に楽しみだろう。

 そんな鞍上の期待に応えるようにアーモンドアイは順調に調整が進んでおり、同馬を管理する国枝栄調教師も「安田記念みたいなことはもうないでしょう。普通に競馬できればと思っていますよ」と自信を隠さない。

 だが、そこで少し気になる材料があることも確かだ。ドバイから帰国して以降のルメール騎手の重賞成績が思わしくないのである。

以下はドバイから帰国して以降のルメール騎手の重賞での成績。

4.11NZT(G2) オーロラフラッシュ  1番人気7着
4.12桜花賞(G1) サンクテュエール  3番人気6着
4.19皐月賞(G1) サトノフラッグ   2番人気5着
4.26フローラS(G2) スカイグルーヴ 1番人気5着
5.3天皇賞・春(G1) フィエールマン  1番人気1着
5.5かしわ記念(G1) モズアスコット  1番人気6着
5.10NHKマイルC(G1) レシステンシア 1番人気2着

4月11日から日本での騎乗を再開して先週の5月10日の開催期間で7戦して1勝にとどまっている。

 人気の内訳は1番人気5回、2番人気1回、3番人気1回とすべて3番人気以内の馬に騎乗している。その1勝も天皇賞・春(G1)のフィエールマンだが、11番人気スティッフェリオにあわやの金星を取られそうになるハナ差での勝利だった。

「フィエールマンの勝利以外は、すべて人気より下の着順なのは気になりますね。天皇賞・春にしても勝利こそしましたが、ハナ差の薄氷といえるもので一歩間違えたら大波乱となるところでした。

 先週のNHKマイルCのレシステンシアにしても連対こそ確保しましたが、M.デムーロ騎手の好騎乗の方が目立ちました。ルメール騎手のアーモンドアイへの信頼は絶大ではありますが、引っ掛かって惨敗した有馬記念のイメージが残っている可能性があります。

 あまり慎重に乗り過ぎると、前に行った馬が残っているレースが目立つ現在の東京の芝コースでは取りこぼす可能性もなくはないかもしれません」(競馬記者)

 ヴィクトリアマイルは、外を回した馬が末脚不発に終わった先週のNHKマイルCと同じく東京の芝1600m条件でもある。もしも「最強女王」が外枠を引いてしまったときには、全幅の信頼を置くには怖いかもしれない。

 枠順発表の結果には十分に注意しておきたい。

抗議の声相次ぐ「検察庁法改正案」…問題だらけ、不要不急の定年延長は即刻撤回すべき

 検察官の定年を段階的に65歳へと引き上げる検察庁法改正案が衆院内閣委員会で審議入りした。主要野党が、森雅子法相の委員会出席を求めていたが、与党側は拒否。それに抗議して立憲民主党などの統一会派と共産党が委員会を欠席するなか、自民、公明、日本維新の会のみで質疑を強行した。

 政府は現行法の解釈変更という荒技で、黒川弘務・東京高検検事長の定年延長を行ったが、今回の法改正は、この解釈変更を追認するものでもある。各地の弁護士会などが、強く反発。週末には、この法案に反対する多くの人々が、ツイッター上で「#検察庁法改正案に抗議します」などの声を上げた。

検察官が一般公務員と異なる理由

 少子高齢化がますます進み、年金の支給開始年齢も引き上げられるなか、公務員の定年を延長することについては、理解はできる。問題は、そのやり方の問題だ。

 現在の検察官の定年は、検察庁法で以下の条文で定められている。

〈第22条 検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する〉

 ここには、誰の、なんの恣意も入り込みようがない。年齢がその年に到達すれば、退官ということだ。黒川検事長の件が起きるまで、定年延長された検事はいない。

 今回の法案によれば、検事総長以外の検察官の定年が65歳に引き上げられる。ただし、現在の定年である63歳になると、検事正(地検のトップ)、高検の検事長(高検のトップ)、最高検の次長検事(検事総長に次ぐナンバー2)といった幹部職には就けない。いわゆる「ヒラ検事」に降格人事となる。

 ところが、「内閣」や「法務大臣」が認めた場合は、その地位にとどまることができる、というのだ。

 幹部職とヒラでは報酬も大きく異なる。「余人をもって代えがたし」といえば格好がいいが、要するに、時の政権の覚えがめでたければ幹部にとどまることができ、そうでなければ冷や飯食いを強いられる。これでは、政権の顔色をうかがう検察幹部が出てきてもおかしくない。

 安倍政権は、これまでも内閣法制局次長だった横畠裕介氏や近藤正春氏の定年を延長して局長に就かせたり、防衛省前統合幕僚長の河野克俊氏の定年は3度も延長したりしている。

 ただ、検察官の定年延長はそれとは性格を異にする。

 なぜなら、検察官は総理やその周辺の者さえ刑事訴追するだけの権限を持っており、それだけに独立性や政治的な中立性が求められるからだ。国会議員を逮捕するとなれば、地検、高検のトップの決裁だけでなく、最高検の指揮も得ることになる。そういう幹部たちが、時の政権に気に入られるかどうかでその処遇が大きく異なり、そのために政権の顔色をうかがうようでは、公正な捜査は期待できなくなる。

 現在も、自民党の河井案里参議院議員の陣営による選挙違反事件が、広島地検と東京地検特捜部によって捜査中だ。昨年4月頃に県議会議員や市議会議員に金を配っていたのが買収に当たる、と検察側は見ている。ゴールデンウイーク中にも夫妻の事情聴取を行った、と報じられている。 河井案里氏は、昨年3月13日に自民党の公認を得て、同月20日に立候補を表明。党から他の候補者の10倍に当たる1億5000万円の資金が振り込まれ、官邸と党本部は案里氏を強力にバックアップ。安倍首相は自身の秘書を広島入りさせ、菅義偉官房長官も何度も応援に駆けつけた。いわば安倍政権肝いりの立候補者が、当選のために金をばらまいていた疑いが持たれているという事件だ。

 案里氏の秘書はすでに、車上運動員(いわゆるウグイス嬢)に法律で定められている以上の報酬を支払った件で起訴され、裁判が始まっている。

 黒川氏の定年延長は、そういう事件の捜査の最中に行われた。官邸は、黒川氏を検事総長に据えるつもりだとする見方がもっぱらだ。

 もっとも、黒川検事総長になったからといって、現実の捜査に影響が出るかどうかはわからない。けれども、すでに影響が出ている、という見方もある。事件を潰されるのではないかとの噂が立ち、それが黒川検事総長就任以前に立件しようという現場の焦りを生み、現金受取を否認する者に無理な取り調べを行い自白を迫っているのではないか、という指摘だ。また、捜査が期待したような展開に進まず、先細りとなれば、(実際にどうだったかはともかく)多くの人が政治的な圧力によって阻まれた、と考えるだろう。

 実際に影響が証明されずとも、こうした憶測が出回ること自体、決して望ましいことではない。

検察に求められる政治的中立性と独立性

 かつて、東京地検があるビルの入り口に置かれた「検察庁」と刻まれた石碑に、黄色いペンキがぶちまけられた事件があった。

 東京地検特捜部が捜査をしていた東京佐川急便事件で、当時「政界のドン」と呼ばれた金丸信・自民党副総裁が5億円ものヤミ献金を受けていたことが発覚したのに、逮捕どころか事情聴取すら受けずに、略式裁判で罰金20万円で済まされたことへの抗議だった。

 当時の国民は、政治家への配慮、いわば政治権力に対する忖度が不公正な捜査を招いている、と憤慨していた。東京地検には抗議の電話や投書が殺到。検察幹部からも、公然と批判の声が出た。検察への信頼は、大きく傷ついた。黄色ペンキ事件は、その象徴だ。

 検察の政治的中立性と独立性は、単にそれが守られているだけでなく、国民から見てそれが実感できるものでなければならない。政府に忖度して政権の関係者には甘く、一般国民には厳しい対応をするという疑念を持たれたら、検察への信頼は揺らぎ、それは司法への不信につながる。

 最近、アメリカでこんな事例があった。司法省が、トランプ政権の発足当初、安全保障問題担当の大統領補佐官を務めたマイケル・フリン被告の訴追を取り下げると発表したのだ。

 フリン氏は、2016年の大統領選にロシアが介入した疑惑を調べていた米連邦捜査局(FBI)の事情聴取を受けた際、ロシア外交官との協議について、虚偽の供述をしたとして、捜査対象になった。17年12月に訴追され、捜査協力に転じた。罪を認める代わりに、量刑を軽くしたり、他の罪での訴追をしない司法取引が行われたと見られる。法廷でも当初は罪を認めたが、その後否認に転じた。

 トランプ大統領は、捜査当局によるロシア疑惑の捜査を「魔女狩り」と公然と批判し、露骨に圧力をかけ続けた。それでも捜査が止まらないことにいらだち、司法長官のジェフ・セッションズ氏を非難して、更迭。ウィリアム・バー氏を後任の司法長官に据えた。

 今年に入ってから、バー司法長官はフリン氏の事件について、捜査や公判の見直しを命じ、新たな担当検事を任命していた。フリン氏側も、捜査の不当性を主張した。トランプ大統領は、3月に恩赦を検討していると表明していた。

 今回の起訴取り下げについてトランプ大統領は、「(フリン氏は)オバマ前政権によって標的にされた。(私を)大統領から引きずり下ろすために狙われた」などとして司法省の判断を歓迎。捜査当局を非難した。今後の大統領選でも、起訴取り下げを利用するものと見られている。

 一方、民主党側は、政治的圧力によって司法の公正性がゆがめられたと強く批判した。

 トランプ大統領の盟友だったロジャー・ストーン被告の裁判でも、検察側は当初禁錮7~9年を求刑していたのに、トランプ大統領がツイッターでこれを強く非難。後に検察は求刑を引き下げ、司法省内部からバー長官に対して抗議がなされる事態もあった。

 このような政権の検察への介入は、政権の熱烈な支持者には歓迎されるだろうが、それ以外の国民の司法への信頼を損なう。

「不急」の法案、やり方も姑息

 今回の法案が成立すれば、トランプ政権のようにあからさまな形ではなくても、政権が人事を通じて、検察に影響力を行使することが可能になる。特に長期政権の場合は、その影響力は大きい。検察の中立性や独立性が損なわれる懸念は、非常に深刻といわざるを得ない。

 しかも、通常の国家公務員の定年延長の法案に、異論の大きい検察官の定年延長を汲み込んだ法案にして、法務委員会での審議や法務大臣への質問の機会も奪って、一気に通してしまおうというやり方も姑息だ。

 このような問題があるうえ、現在は、新型コロナウイルスを巡る問題で、さまざまな経済対策や人々の生活を支える施策を、最優先で与野党挙げてやっていかなければならない時期だ。

 そんな時期に、ごり押しをしなければならないほど、検察官の定年延長は国民にとって急ぎの用件ではない。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、ということで、国民は「不要不急」の外出を控えるよう、おカミから繰り返し要請がなされている。1人ひとりにとっては「重要」な事柄でも、「火急」の用でなければ、「不要不急」の範疇に組み入れられ、がまんさせられてきた。

 なのになぜ、政府はこのような「不急」の法案をしゃにむに通そうとするのか。この政権は、モノゴトの優先順位をまったく間違っているとしかいいようがない。

 政府は、法案を一度引っ込め、検察官の定年延長については、政権の恣意的判断が入らないような形にして、法務委員会に出し直し、法務大臣も出席して、きちんと議論すべきだ。

●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か – 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。

江川紹子ジャーナル www.egawashoko.com、twitter:amneris84、Facebook:shokoeg

加藤清隆、竹内久美子、百田尚樹…安倍応援団が「#検察庁法改正案に抗議します」に「中国の陰謀」「テレビ局が黒幕」とトンデモバッシング!

 安倍政権が手下である黒川弘務・東京高検検事長を検事総長に据えるため、後付けで定年延長を合法化しようと企む「検察庁法改正案」。本サイトでも既報のように、この無茶苦茶な“権力私物化法案”には多くの芸能人や文化人が反対を表明し、普段は公に政治的発言をしない人々までもが抗議の声を...

安倍首相が「#検察庁法改正案に抗議します」を無視して大ウソ答弁! 井浦新、宮本亜門の批判を突きつけられて唖然の一言…

 Twitter上で広がりつづける「#検察庁法改正案に抗議します」の投稿。小泉今日子やきゃりーぱみゅぱみゅ、井浦新、浅野忠信、いきものがかり・水野良樹など、俳優やミュージシャン、作家など多岐にわたるジャンルの著名人たちが相次いで反対の声をあげたが、さらに10日に放送された『...

「#検察庁法改正案に抗議します」の声が止まらない! いきものがかりや大久保佳代子も参加、きゃりーぱみゅぱみゅは安倍応援団の攻撃を一蹴

「検察庁法改正案」が強引に審議入りになったことに、国民が一斉に反発している。ネットでは「#検察庁法改正案に抗議します」の署名呼びかけに337万件もの署名が集まり、信じられないほど多くの芸能人や文化人が抗議の声を上げ始めた。  しかも、ふだん政治的な問題にコミットしている人...

『進撃の巨人』編集者と考える、“人を動かす物語”とは

『進撃の相談室』(発行:講談社)は、大ヒット漫画『進撃の巨人』をベースにした戦略論の解説書です。主に思春期の子どもたちに向けて、「モヤモヤした感情との向き合い方」「捉えどころのない悩みとの戦い方」などを指南しています。

なぜ『進撃の巨人』を題材にすることになったのか、物語の中に隠された深い戦略や思考法とはどんなものなのか…?原作の制作秘話や諫山創先生にまつわる裏話なども交えつつ、講談社の『進撃の巨人』担当編集者・川窪慎太郎氏と、『進撃の相談室』著者である電通の工藤拓真氏が語り合いました。

川窪慎太郎氏と工藤拓真氏のツーショット

選択と理不尽…。『進撃の巨人』は、現代を映す鏡

工藤:僕が思春期の中学生に向けてこの本を書きたいと思ったのは、大人になってからではなく、若いうちに“戦略論”というものを知っておいてほしいと思ったから。何か悩み事にぶち当たったとき、感情で考えるのではなく、出来事を分解して数値や理論で考えるという思考法を知っていれば、グンと楽に生きられるようになると思ったんですよね。ちょっと考え方を変えるだけで伸びる子、戦える子もたくさんいます。そういう子たちに、思春期のモヤモヤした時期にこそ、ぜひ、この本に出合ってほしい、手に取ってほしいと考えました。

『進撃の巨人』を題材にしたいと考えた理由は、なにより「究極の選択を迫られるようなシーンが多いから」です。しかも、主人公たちが選択した道で仲間がバタバタと死んでいったり、逆に弱々しい一手から起死回生の大逆転が生まれたりすることも多い。一つの選択が絶対的なものではないところ、選択の意味合いが裏表どころではなく多元的に変化するところがすさまじいなあと思いました。

面白いのが、すさまじい話であるにもかかわらず、どこか僕たちの日常に似ている点があるところです。右に行くと決めたらありえない数の敵が待ち伏せしていて、上に行ったら矢が降ってきて、そうこうしているうちに、とんでもなく強い新能力を持った敵がやってくる…。こんな感じで予想外の出来事が次々と起こるところが、仕事や学校で、日々、理不尽と戦っている現代人の日常に近いように感じました。

あくまでファンタジーなのだけれど、選択、理不尽、そして壁の内側と外側といった、“普遍的な戦い”のようなものが、ぎゅっと凝縮して描かれているんですよね。そこが、戦略論の解説書として、あるいは現代を生き抜くためのサバイバルブックとしてマッチしているなと思いました。

川窪:お話を頂いて、これまでとは違う形で新規の読者にアプローチできるというのはとてもありがたいし、純粋に面白そうだなと感じました。

選択というのは、どんな人であっても、どんな人生であっても、必ずしなくてはならない、避けては通れないものです。子どもたちも、進学や就職など、常に人生を左右するような選択を迫られています。だからこそ、“選択の連続”である『進撃の巨人』が題材として適しているのだろうなあと思いました。

エレンがリヴァイに「悔いのない方を選べ」と言われるシーンや、アルミンが「何かを変えることができるのは、大事なものを捨てることができる人だ」と言うシーンなど…。少し考えただけでも、いろんなシーンやセリフが思い浮かびますよね。

進撃の巨人画像

工藤:いやもう、名シーンや名言が多過ぎて!選び放題の状態でした(笑)。『進撃の巨人』は、僕自身がこれまででもっとも衝撃と影響を受けた漫画です。課題解決の手法というか、問いの作法というか。そういうものを、『進撃の巨人』と一緒に届けられることがとてもうれしく、ワクワクしながら執筆させていただきました。

原作者・諫山創先生が繰り出す、戦略的サバイブ術

川窪:漫画の中で特に反響が大きかったのは、10巻の、エレンの仲間が自らの正体を明かすシーンです。一般的な漫画の場合は、少しずつ演出を加え、盛り上げて盛り上げて、ようやく最後に白状させるような、いわば“山場”となるような場面だったのですが…。すごく小さなコマで、サラッと済ませてしまったんですよね。超重大シーンを雑談レベルの扱いで見せるという。これはなかなか珍しい演出だったのではないかと思います。

工藤:あれは確かにびっくりしました…。

川窪:その前の8巻で、別の裏切り者が正体を明かすシーンがあって。そこは王道の演出で盛り上げていったので、「同じことはできないね」という話になり、それで作者の諫山創さんが、「10巻で真逆のことをやろう」と言ってくださったんです。

工藤:他にも、裏切りとか反逆とか、そういう事象をさまざまな演出で描かれていますもんね。見せ方の幅広さ、引き出しの多さに、いつもただただ驚かされています。

僕は、シーンというより、物語の流れすべてが印象に残っています。初めて連載を読んだとき、「これは読み切りか!?」と思うような勢いを感じ、その勢いに引っ張られるようにして、次号の展開をあれこれ予測してしまって。次の号でまた引き付けられて、考察したくなってしまうという…。1話1話の全力感と、読者の興味を引くようなくすぐりに、今も引き付けられています。

川窪:それが諫山さんのすごいところですよね。僕は諫山さんのことを、偉大な戦略家であり、クリエイターであり、そして、超優秀なプロデューサーでもあると思っています。

例えば、『進撃の巨人』の連載が始まる前。ちょうど『別冊少年マガジン』が新創刊するタイミングだったこともあって、新人を対象に、掲載作を決めるためのコンペが開催されたんです。そのとき、諫山さんが提出したのが、実際に発表された連載の4話目あたりまでの話が盛り込まれている1話・2話でした。

で、実際に連載が決まり、原稿にするとなったときに、「実は1・2話を直したんです」と言って、相談もなく違うバージョンを持って来たという(笑)。それが今の『進撃の巨人』なんですけれど。

諫山さんがわざわざコンペのためだけの1話・2話を描いたのは、「編集長たちに面白いと思ってもらえるよう、おいしいところまでしっかり描いておこう」と思ったから。一番面白いところまで見せてOKをもらったら描き替えようと思っていたそうです。

そういうことが自分でできてしまう人なんです。それから、常に「自分は名もない新人だから、打ち切られないためにどうしたらいいか」ということを考えているんですよね。毎回、一つ一つの話のお尻に、強烈な引きを持ってきている。今でこそ常識になっている描き方ですが、『進撃の巨人』が始まった頃は、まだそれほど意識されている手法ではありませんでした。そういう時期に、編集者になにも言われなくても、新しい描き方や演出を盛り込むことができる。本当に見せ方をよく考えている、稀有な作家だなと思います。

工藤:その時に立ち向かうターゲットや、求められている条件、遭遇している壁(バリア)に合わせて、アイデアの打ち出し方を巧みに変えていらっしゃる…。まさに名戦略家ですね。

諫山先生ご自身が俯瞰的な視点を持つバランス感覚の優れた方だからこそ、あそこまで智略と示唆に富んでいて、かつ、大胆な物語が描けるのだなと思いました。

物語は、人生をサバイブするために欠かせないもの

工藤:『進撃の巨人』をはじめとする多くの漫画には、冒険や夢、挫折、葛藤、そしてさまざまな知恵などが盛り込まれています。漫画を読んで勇気をもらったという子や、目標を見つけたという子、学びや発見を得たという子も少なくないことでしょう。そう考えると、漫画は、多分に教育的な側面があるような気がしますよね。

川窪:う~ん、そうですね…。漫画と教育のつながりというのは、正直、まったく考えたことがないんですが…。ただ、僕は、物語というものが、人間に必要なものだと思っているんですよね。それだけは、とても強く信じています。もし「人間がどう生きるか」みたいなことを教育と呼ぶのなら、そこに物語は、確実に役立つはずです。人には物語は必要である、そう信じて物語を作り続けていけば、いつか僕たちの仕事が、教育と呼ばれるなにかにつながっていくのかもしれないな、という風には思っています。

工藤:すてきですね。実は、僕、中学生のとき、めちゃくちゃ根暗だったんです。家でダラダラしてばかりいて、半分、引きこもりのような生活を送っていました。そのとき、僕を救ってくれたのがさまざまな漫画や小説たち。物語の裏にある事情を想像したり、背景を考察したり…。そんなふうに漫画や小説を読んで、得た栄養分を元に新しいアイデアを生み出すことが大好きでした。そのうちに、二次創作をし出したり、コピーライティングのようなことをし始めたりして、現在に至っています。そう考えると、僕も、物語から「どう生きるか」を教わったのかもしれないなと思います。

物語は、人生をサバイブするために欠かせないもの。だからこそ、漫画をベースにして本を書きたいと思いました。本書で、「こんな読み解き方ができるんだよ」「こんな解釈もできるよね」というような、物語の、ひとつの読み解き方のようなものを提示できれば、これほどうれしいことはありません。

※後編へつづく

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JRA【ヴィクトリアマイル(G1)展望】最強女王アーモンドアイが始動!サウンドキアラ、ラヴズオンリーユーも下剋上に虎視眈々

 17日、東京競馬場では古馬牝馬最強マイラー決定戦となるヴィクトリアマイル(G1)が行われる。この先の安田記念(G1)、宝塚記念(G1)に向けても見逃せないレースとなりそうだ。

 目玉となるのはアーモンドアイ(牝5、美浦・国枝栄厩舎)の参戦だ。単勝オッズ1.5倍の支持を受けながらも9着と敗れた昨年の有馬記念(G1)からの巻き返しを期す。今年はドバイターフ(G1)からの始動を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大防止の影響で中止となり、ヴィクトリアマイルが復帰初戦となった。

 天皇賞・秋(G1)を圧勝して臨んだ有馬記念の敗戦は、1週目のスタンド前で引っ掛かってしまい、ガス欠となったことが敗因ともいわれているが、香港C(G1)を熱発で回避した影響も少なからずあったのではないだろうか。

 順調さを欠いた前走に比して今回の調整過程は順調だ。国枝師も「体調面で気にするところはなく、普通にこられています」と不安はない。女王復権の準備は着々と整っている。

 そんな女王に対して、下剋上を狙っているのがサウンドキアラ(牝5、栗東・安達昭夫厩舎)だ。昨年のヴィクトリアマイルでは7着に敗れたが、この1年で着実に力をつけた。今年に入って京都金杯(G3)、京都牝馬S(G3)、阪神牝馬S(G2)と重賞3連勝を達成。4月26日の落馬負傷で心配された松山弘平騎手も今週から復帰。人馬ともに今年ブレイクしたコンビで女王打倒を目指す。

 昨年のエリザベス女王杯(G1)以来のレースとなるラヴズオンリーユー(牝4、栗東・矢作芳人厩舎)も侮れない。前走では自身初の敗戦となる3着に敗れはしたが、クロノジェネシスをオークス(G1)に続いて負かした。そのクロノジェネシスが大阪杯(G1)を際どい2着に好走したように世代トップクラスの力は証明している。鋭い末脚を持つ馬だけに、直線の長い東京コースは歓迎だろう。

 1分30秒5のレコードで昨年のヴィクトリアマイルを優勝したノームコア(牝5、美浦・萩原清厩舎)の連覇がなるかにも注目したい。昨年暮れの香港マイル(G1)を4着に敗れて以来のレースとなった今年の高松宮記念(G1)で15着と精彩を欠いたが、余裕残しの馬体と初体験となる1200mの流れに持ち味が生きなかった。2戦2勝の得意舞台である東京の芝1600mに替わり、反撃は必至だろう。

 プリモシーン(牝5、美浦・木村哲也厩舎)は、昨年のヴィクトリアマイルでノームコアの2着に惜敗した。東京新聞杯(G3)を快勝して、ダービー卿CT(G3)に臨んだものの、スローの展開に末脚不発の5着に敗れた。切れ味が武器の馬だけに東京コースで真価を発揮したい。

 他にも昨年の府中牝馬S(G2)で今年の大阪杯を制したラッキーライラック相手に差し切り勝ちを決めたスカーレットカラー(牝5、栗東・高橋亮厩舎)、武豊騎手と初コンビを組むコントラチェック(牝4、美浦・藤沢和雄厩舎)、阪神JF(G1)以来のG1勝利を狙うダノンファンタジー(牝4、栗東・中内田充正厩舎)など、伏兵陣も多彩な顔触れが揃った。

 アーモンドアイの復活勝利となるか、それともこれを阻止する馬が現れるか。

 注目のヴィクトリアマイルは、17日、15時40分の発走を予定している。

料理を出すときに「いただいてみてください」はOK? NG?

 

 日本語はとてもきれいな言語。要所要所にぴしっとスジが通っているし、奇跡のように整理整頓が行き届いている言語。

 そう述べるのは、『すばらしき日本語』(清水由美著、ポプラ社刊)の著者であり、30数年にわたり、海外からの留学生に日本語を教えてきた日本語教師の清水由美氏だ。

■「どうぞいただいてみてください」はOK? NG?

 ただ、普段当たり前に使っている日本語が、実は誤った使い方をしている場合は多い。中でも使い方を間違えやすいのが「敬語」だという。

 たとえば、料理番組を見ていると「いただく」という言葉がよく使われているのを目にする。番組のホスト役や料理人がゲストに向かって「どうぞいただいてみてください」と言っていることがある。

 この「いただく」は「食べる」の丁寧語として使っているのだが、「いただく」は謙譲語で、話し手側が自分や身内の行為を低めるときに使うもの。なので、食べようとする側が「これいただいてみていいですか」と使うのが正しい。

 食事を出す側が言うのであれば、「お召し上がりください」「ご賞味ください」「召し上がってください」という使い方なら問題ない。「いただいてください」は、単に「食べる」のちょっと丁寧な言い方という認識で広まってしまっているまちがった使い方だ。

「いただく」とは、「雪をいただいた富士山」のように、もともと何かを頭上に置くこと。「頭上にささげ持つ」というところから転じて、何かを頂戴する、という語義が生じたので、「いただく」ものは食べ物に限らなくていい。たとえば、勲章やお小言でもいい。

 なぜ、飲食の場面で謙譲語の「いただく」が、丁寧語表現として使われてしまうのか。これは子供の頃から「いただきます」と手を合わせて食事をしてきた日本人にとって、食べ物はどこか高いところからくだされるありがたいもの、という意識が染みついているからかもしれない、と清水氏は述べる。なので、客の行為にも、つつしんで「いただく」という動詞を使うのではないか。このように、飲食の場面での誤用が目立つのが「いただく」という言葉なのだ。

 知らず知らずのうちに、間違った日本語の使い方をしていたり、日本語の奥深さ、良さに気づかずに使っている日本人は多いはず。日本語のおもしろさを教えてくれる本書から、改めて日本語にしっかり触れてみてはどうだろう。
(T.N/新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

コンビニや銀行のATM手数料で大損しているかも?年間では1万円以上損している可能性も

生活をもっと楽しく刺激的に。 オトナライフより】

「使いすぎが怖い」といった理由で、コンビニや銀行ATMでちょくちょく小銭を引き出している人は案外多いのでは? でもそれ、ものすごく損しているかも! ATMの時間外手数料は1回110円~220円もかかるため、年間では1万円以上損している可能性があるのだ。少しでもお金を節約したいなら、真っ先にムダなATM手数料を見直そう。今回は、貧乏性で頻繁にATMを使う人にチェックしてほしい「ATM手数料節約」の方法を紹介する。

「お金の節約」はまず無駄なATM手数料の見直しから

 いつでもお金を引き出せる便利なコンビニや銀行ATMだが、忘れてはいけないのが時間外手数料だ。普段、ATM手数料がいくら引かれているか考えたことがないズボラさんもいるだろうが、「サイフにお金があると使うってしまう」といった理由で、ちょくちょく小銭を引き出していると、年間ではとんでもない金額を取られていることがある。

 ATMの引き出し手数料は昼間無料でも、時間外(早朝や夜)、土日祝日、提携先コンビニATMなどでは、1回お金を引き出すのに110円~220円の手数料がかかってしまう。仮に週1回220円の手数料を取られると、1カ月で880円、年間ではなんと1万560円も損していることになる。

 これがどのくらいの損かと言えば、たとえば、大手銀行で1億円を1年間定期預金(0.01%)したときの利息が1万円である。また、コンビニでキャッシュレス決済して5%のポイント還元を受けても、20万円以上使わないと1万ポイントはもらえない計算になるのだ。

「お金の節約」というと、つい銀行に預金してみたりクーポンを使うことなどばかり考えがちだが、まず最初に見直すべきは、ムダなATM手数料であることがお分かりいただけるだろう。

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