JRA横山典弘「伝説の神騎乗」で7馬身差の独り旅! 10番人気で古馬三冠馬を置き去り…… 大波乱のパートナーが異国の地で天寿を全う

 先日、スイープトウショウ、シンボリクリスエスと平成の競馬を盛り上げた名優たちが亡くなったばかりだが、またひとつ悲報が舞い込んだ。

 2004年の天皇賞・春(G1)を優勝し、引退後は種牡馬となっていたイングランディーレが、韓国で死んだことが14日に分かった。21歳で死因は老衰だった。一般的にサラブレッドは人間の約4倍の早さで年を取るといわれており、約80歳と考えれば天寿を全うしたといえる。

 イングランディーレを語るにあたって、最も脚光を浴びたレースといえば04年の天皇賞・春で間違いないだろう。

 この年は1番人気に武豊騎手のリンカーン、2番人気が前年のクラシック二冠馬ネオユニヴァースとM.デムーロ騎手のコンビ、3番人気は安藤勝己騎手が手綱を取る前年の菊花賞馬ザッツザプレンティ、同年の秋古馬三冠を制したゼンノロブロイが4強を形成した。

 長距離戦の名手といわれる横山典弘騎手が騎乗するとはいえ、直前のダイオライト記念(G2)を5馬身差の2着と完敗していただけに、単勝71倍の10番人気も致し方なかっただろう。

 レースではスタートしてすぐにイングランディーレがハナに立ち、後続を大きく離す展開となった。2番手につけたアマノブレイブリーが追走を試みるものの、徐々に差が開いていった。そしてここからが名手・横山典弘の真骨頂。後ろが追いかけて来ないと見るや、絶妙にラップを緩めながらさらに差を広げに掛かる。

 2周目の3コーナーを過ぎた頃、2番手の馬との差は15馬身ほどに開いていた。後続がようやく”異変”に気付いたときには既にセーフティーリードを確保していたのである。イングランディーレは切れる脚がなくとも、ステイヤーズS(G2)をはじめとしたマラソンレースを勝ち負けしていた超ステイヤーだ。

 悠々自適の独り旅で余力は十分残しており、直線に入っても脚が鈍ることはない。ゴール板を通過したときには、2着に入ったゼンノロブロイに7馬身の差がついていた。

 アッと驚く大逃走を決めた横山典騎手は満面の笑みでガッツポーズ。管理する清水美波調教師も「勝った後、よく階段を転げ落ちなかったと思ったくらい興奮していました。横山騎手には思い切った競馬をして欲しいと言っていました。これほど上手くいくとは、ラッキーでした」と”神騎乗”を大絶賛した。

「上位人気に支持された馬に長距離適性が不安視される馬が多かったことも大きかったです。これらの騎手が折り合いを気にするあまり、積極的な騎乗を避けたことも、大きく影響したと思います。

また、鈴をつけに行く騎手がおらず、イングランディーレも10番人気の大穴でノーマークだったこともラッキーでしたね。長距離戦は先に動いたら負けるという騎手心理を逆手に取った横山典騎手らしいマジックだったといえます」(競馬記者)

 スピード競馬が主流となった昨今の競馬と異なり、当時はトップクラスの馬が天皇賞を目指すのが当然とすら考えられていた時代。父が欧州血統のホワイトマズル、母父に長距離戦の申し子リアルシャダイというイングランディーレは底抜けのスタミナを誇っていた。

 勿論、この勝利を横山マジックのひと言だけで済ませることはできない。イングランディーレは天皇賞以前にも日経賞(G2)やダイヤモンドS勝ちという能力の裏付けがあったことも確かだ。

 初騎乗だったにもかかわらず、勝機を見出すにはスタミナ勝負しかないと大逃げを敢行した関東の名手とまさに人馬一体での勝利だったといえるだろう。

来年、消える第7世代芸人は誰だ?絶好調のEXIT、宮下草薙、3時のヒロインに潜む落とし穴

 2020年は「お笑い第7世代」の年だった。しかし、栄枯盛衰のお笑い界。このまま軌道に乗る芸人もいれば、消える芸人もいる。そこで、実は今後が危うい第7世代芸人を挙げていこう。

どっちもポンコツ?宮下草薙の現状

 まずは宮下草薙だ。ボケ担当の草薙航基の慌てる様が母性本能をくすぐるのか、ファンからは「かわいい」という声もあるが……。

「一時期、彼はトークスキルも身につけ、自分の“癇癪”をコントロールできるかと思ったのですが、今度は忙しすぎて制御不能状態に戻りつつあります。また、番組内で自宅のゴミ屋敷話をするたびに、嫌悪感を持つ視聴者が急増。要は、ゴミがたまりすぎてロフト部分に暮らしていて、下にゴミを投げつけ、さらにそこに害虫駆除剤を投げつけたり、消臭剤をまいたりしているというものです。いずれにしても、出川哲朗や狩野英孝とは違う“笑えないポンコツ”とも言えるキャラなのです。致命的なのは、自分自身に“笑ってもらいたい”という気質がないところです」(テレビ局関係者)

 さらに、相方の宮下兼史鷹も“方向性”が定まらないという。

「今年初頭、宮下は『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で草薙とのコンビ格差について『解散してピンでやりたい』などと発言し、波紋を呼びました。また、12月1日放送の『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)では、おもちゃメーカーからスカウトの話がきていることを明かし、さらに『ちゃんと断ってない』と語り、驚かせていました」(同)

 地元の群馬では、中古のおもちゃ店でアルバイトをしていた宮下。店主も目をつけなかったベイブレードの在庫をきちんと売り場をつくって売ったところ、月に100万円売り上げたという逸話もあるほどだ。そんな宮下のおもちゃ愛と知識を見初めたメーカーから、声がかかったという。

「宮下草薙の“じゃないほう”芸人として注目され、草薙が目立てばいいということを語る宮下ですが、今や“じゃないほう芸人”といっても、コロコロチキチキペッパーズでいう西野創人、ハライチでいう岩井勇気のように、キャラクターが薄くても十分に才能があり、一定の活躍をしている芸人の方が多いのが実情です。

 ただ、宮下の場合は引き立て役ではあるとは思いますが、“じゃないほう芸人”だけでなく、自分が思っているほど“たいしてできない芸人”の部類であることを自覚した方がいいのではないでしょうか。また、在籍する太田プロの養成所時代の成績がトップクラスだったことをたびたび明かしていますが、その片鱗が十分に見えていないのも残念なところです」(同)

 宮下草薙は「第7世代」というくくりの中にあっては異質の存在だけに、すぐに消えるというわけではないだろう。しかし、ブームという“魔法”が消えたとき、「一体なぜ起用しているのか」と、制作側が思いとどまるときが来るかもしれない。

EXITは“令和のとんねるず”になるか?

 12月で結成3年目を迎えたEXIT。今やテレビで見ない日はないが、その絶大な影響力からか、お笑い以外の仕事も次々とこなしている。

「3月には歌手デビューを果たしました。コラボしたのは、登録者数310万人を誇る人気YouTuberユニット『スカイピース』と、5人組ダンス&ボーカルグループの『Da-iCE』。それぞれの楽曲は、3月に発売されたEXIT初のCD『EXSID』に収められています」(芸能ライター)

 アーティスト活動だけではない。ファッションの分野にも進出したEXITは、自身の新ブランド「EXIEEE(イグジー)」、ヘアスタイリングブランド「H.W.G.(ハウジー)」、さらにアパレルブランド「ANREALAGE(アンリアレイジ)」とコラボした期間限定ブランド「ANREALAGEXIT(アンリアレイグジット)」を立ち上げている。

「EXITは歌やファッションの他に、演技の仕事も徐々に増えています。お笑いにとどまらない活躍ぶりは、かつてのとんねるずを彷彿とさせます。彼らも、当時お笑い芸人には無縁だったスタイリストをつけ、ブランド服に身を包み、イメージ戦略を展開。彼らが着た服は飛ぶように売れたといいます。まさに、時代の波に乗っていたといえるでしょう」(同)

 しかし、あまりにも“時代と寝すぎる”と、少し外れただけで「古い」と言われてしまう。まさに数年前のとんねるずがそうであったように、EXITもその危険性をはらんでいないわけではない。

 さらに、EXITは多忙なあまり、お笑いへのモチベーション低下も心配される。

兼近大樹は『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)の準々決勝で敗退した後、YouTubeの『EXIT Charannel』の中で観客に対する不満をぶちまけ、「『M-1』って自称お笑いファン、お笑い通ぶったお笑いファンが集まってるじゃないですか』とバッサリ。さらに、『その人たちが“意地でも笑わない”みたいな顔してました』とディスっていました。兼近はこれまでも番組で『この仕事に飽きたら、いつ辞めてもいい』と公言しているように、すっぱり仕事を投げ打ってしまわないか、少し心配ではあります」(前出のテレビ局関係者)

3時のヒロインを上回る、ぼる塾の勢い

 19年の『女芸人No.1決定戦 THE W』(日本テレビ系)で優勝し、一躍ブレイクを果たした3時のヒロイン。今もなお注目度は高いが、お笑い枠ということで考えると、ぼる塾(本来は4人組)の方が若干勢いがあるだろう。

「ツッコミ担当のあんりが、ブサイクキャラとして『ダウンタウンDX』(同)に出てはダウンタウンにイジられて爆笑を生んでいます。こうした容姿イジりが定着していくためには、ハリセンボン・近藤春菜の『角野卓造じゃねーよ』『ステラおばさんじゃねーよ』のようにさまざまなツッコミパターンがないと息切れしますが、いずれにしても、アジアン・隅田美保、尼神インター・誠子、ガンバレルーヤ・よしこといったブサイクで売ってきた女芸人の活躍が落ち着いた今、さらに飛躍していくでしょう。

 ここで比べられるのが、同じトリオの3時です。最近は、かなでだけでなく、ゆめっちも“巨大化”しつつあり、ぼる塾と同じシルエットとなってしまいました。バラエティ番組のキャスティング会議で『どちらかを取れ』と言われたら、ぼる塾を取るでしょう」(同)

 ただし、あんり以外の、きりやはるか、田辺智加も自分で笑いをつくり出せるタイプではないため、ぼる塾の今後は決して安泰というわけではない。いずれにしても、この3組の動向を見守りたい。

(文=編集部)

松本人志『R100』2億円、黒木瞳『十二単衣を着た悪魔』3000万円! 芸能人監督の“大爆死”映画

サイゾーウーマンより】

 12月2日の『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)に、お笑いコンビ・キングコングの西野亮廣が出演。自身が原作を手掛け、製作総指揮と脚本も務めた劇場版アニメ『映画 えんとつ町のプペル』について言及した。

 今月25日に封切られる同作について、番組MCの宮根誠司が、目標としている“興行収入”について質問。その際、西野は「100億円」と答えていた。

「しかし、日本国内で興行収入が100億円を突破した映画は、これまでたった37作しかないそう。ちょうど100億円だった作品として、2006年の『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト』や、19年の『トイ・ストーリー4』といった大人気シリーズの名前が飛び出すと、西野は『なるほど、これは絶対に無理ですね』とあっさり諦めつつ、『80(億円)』とやや減額した目標を掲げ、笑いを誘っていました」(芸能ライター)

 同番組では、興行収入が好調だった作品に“アニメ”が多いことも紹介。『映画 えんとつ町のプペル』がどこまで健闘するのか注目が集まっているが、芸能人が制作に関わった作品では、「大爆死」といわれるほど振るわなかった作品も少なくない。

「09年に公開された『しんぼる』は、ダウンタウン・松本人志が監督を務めた作品でしたが、興行収入は4.7億円と大コケ。07年にも『大日本人』という監督作を公開し、こちらは11.6億円とまずまずでしたが、『しんぼる』は『シュールすぎる』『意味がわからない』といった口コミが多く、敬遠されたようです。また、13年にも『R100』を公開していますが、こちらも興行収入2億円と大爆死。これ以降、松本は映画から手を引いている状態です」(同)

 作品の出来・不出来だけでなく、出演者や監督の発言によって、公開前から酷評を集めることになったケースも。

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てんちむへの誹謗中傷に銀座の高級クラブ・Nanaeママが激怒「あまりに酷いんじゃないか」

正解のないWEBマガジン~wezzyより】

てんちむInstagramより

YouTuberてんちむが“愛天華”という源氏名で勤める銀座の高級クラブ「Nanae」のママ・唐沢奈々江さんが、自身のYouTubeチャンネルに「てんちむ(愛天華)さんへの誹謗中傷に対して思うこと」という動画を投稿にした。

 てんちむは自身の豊胸歴を隠して数々のバストアップ商品をプロデュースしていたが、親友だったかねこあやにその事実をバラされたことで、バストケア商品『モテフィット』の全額返金を自腹で行うことに。その額は4億3000万円にものぼり、てんちむは「昼間はYouTubeの撮影、夜は銀座のClub Nanaeと六本木バーレスク東京で働く」と決意した。

 だがてんちむの“働く宣言”も最初は「演出に過ぎない」と白い目で見られており、てんちむの復帰を手助けしたYouTuberのひとりであるシバターも、てんちむが豊胸炎上後に家賃月80万円の高級マンションからワンルームマンションに引っ越したことを「落ちに落ちたところから這い上がるストーリーを演出したいから」とバッサリ評していた。このほかにも、「破産は嘘」「本当に自腹で返金しているのか?」などといった疑問の声が溢れた。

井筒和幸監督が問題作『無頼』の舞台裏と映画人生を語った!「抗った後どう生きるか。それが生涯のテーマ」

 日本の戦後史をアウトローの視点から描いた異色の大作映画『無頼』が劇場公開された。『パッチギ!』(05)や『ヒーローショー』(10)などで知られる井筒和幸監督の最新作だ。無頼の徒である主人公(EXILE・松本利夫)は裏社会を生き抜き、やがて時代の変遷と共に、金融界、政界、宗教界と関わっていくことになる。上映時間146分になる大作に仕上げた井筒監督が、『無頼』の制作過程と自身の映画史を振り返った。

――8年ぶりの新作『無頼』がようやく公開されますが、前作『黄金を抱いて翔べ』(12)もメガバンク本店に眠る金塊を盗み出そうとする男たちを描いた犯罪映画で面白かったです。

井筒 虚無主義者たち、言ってみればアナーキストたちの物語だったわけだ。原作は高村薫さんの伝説の小説で、高村さんも映画化に大賛成してくれた。朝鮮から来たスパイや公安も出てきて、まとめるのは大変だったけど。時代を撃つ、そんな映画を撮ったつもりだよ。『ガキ帝国』(81)から僕が一貫して撮ってきたのは、社会からあぶれてしまった寄るべなき者たち。要は「お前らは、この社会からは無用だ」と烙印を押された人たちです。それは僕自身も無用者だと感じていたし、国家や体制に貢献する人間にはなりたくなかったからなんだよ。

――そんな井筒監督が、選んだのが映画業界だった。

井筒 高校を卒業してからは、実は一生遊んで暮らせる方法はないかなぁとずっと考えてたのよ(笑)。遊んで暮らす、というのが僕のテーマだった。なんで人間は社会に身体と時間を切り売りしなければならないのか。体制や権力に抗うのはいいけど、抗った後をどう生きるか、だったね。一生、抗い続けることはできないから。それで考えたのが、物書きだった。万年筆が一本あればいいわけだから、とりあえず万年筆だけ買った(笑)。まぁ、今でいえばエッセイや評論みたいなものを書いて食べていければいいな、と考えたんです。

――「明るい悩み相談室」で人気を博した中島らもさんみたいな?

井筒 まあ、そうか。らもと僕は同い年(1952年生まれ)です。でも、彼は真面目だった。ちゃんと広告代理店に就職して、プロのコピーライターとして最初は働いていたわけだからね。僕は会社に就職する気はなかった。といっても、物書きで食べていくのも容易じゃない。自分で「物書きです」と名乗っても、すぐ書けるわけもなく、ミニコミ誌で書かせてもらうくらいでした。

――そこで、ピンク映画『行く行くマイトガイ 性春の悶々』(75)で監督デビューすることに。

井筒 原稿用紙に書くなんてまどろっこしいことよりも、フィルムに撮って、映画にしたほうが力があるかと。カメラとフィルムを使った高価な遊びです。それが今でもずっと続いてるわけだ。

いつの時代も、社会からはみ出す人たちは必ずいる

――新作『無頼』は、アウトローの視点から戦後の昭和史を描いた大河ドラマ。

井筒 『無頼』で描きたかったのは「欲望の昭和史」「欲望の資本主義」です。「アウトローの真髄とは?」とか、そういうことはどーでもええんです。

――社会がシステム化されればされるほど、そこからはみ出してしまう人間がどうしようもなく出てしまう。『無頼』を観ていると、そんなことを感じさせます。

井筒 いくら高度経済社会が進んでも、本当の豊かな社会にはなれないということだよ。必ず差別される人、はみ出してしまう人たちが出てくる。部落差別とか在日差別とかを、中学くらいからずっと見てきた。そこから『岸和田少年愚連隊』(96)や『パッチギ!』(04)が生まれた。『無頼』はその集大成でもあるわけよ。

――井筒作品の集大成『無頼』に主演したのが、EXILEの松本利夫というのは意外です。

井筒 そのへんの適当なイケメンを起用する気にはなれなかった。松本くんはイケメンじゃないでしょ(笑)。素は真面目な好青年ですよ。青年ちゃうな、好中年か。心の解放を求めて、ずっとダンスしてきたそうだからね。髪はパンチパーマにしようかなとも思ったけど、田舎くさくなるなと思ってパンチは止めました(笑)。

――ヒロインは柳ゆり菜。『純平、考え直せ』(18)に続いて、ヤクザに惚れてしまう堅気の女性役。

井筒 彼女はいいねぇ! もっと、クローズアップされていいんじゃない? 顔も体型も昭和っぽい感じがして、昭和を見つめ直す作品にはぴったりだ。彼女はオーディション。書類も含めたら、3000人くらいオーディションしたよ。顔は大事。今どきの平成顔はあかん。しみじみしてないんだよ、平成顔は。もっと風雪に耐えた顔じゃないと。「カワイイ」とか、何ぬかしとんるんやと。木下ほうか、ラサール石井、升毅くんらは違うけど、3000人のオーディションの中から絞った400人くらいに出てもらってるよ。

――『黄金を抱いて翔べ』から『無頼』まで、8年。それだけ準備に時間がかかった?

井筒 実は沖縄の戦後史を描いた作品を考えていて、その取材にかなり時間を費やした。沖縄のヤクザの視点から描けば、これまでの日本の戦後史とは違うものが見えるかなと。これは『仁義なき戦い』(73)の脚本家・笠原和夫さんも考えて、映画にはならなかったけど脚本(『沖縄進撃作戦』)は残していた。沖縄に行って、沖縄の元マル暴の刑事さんから話を聞いたりもしていたんだけど、製作には至らなかった。それで、一からまたやくざ社会の資料を読み直したり、ヤクザ史をよく知るジャーナリストたちから話を聞いたりして、『無頼』に行きついたんですわ。

井筒監督がいちばん好きな女優

――主人公たちは他の暴力団との抗争中にもかかわらず、若尾文子主演作『赤い天使』(66)などの映画談義に花を咲かせる。他にも『ゴッドファーザー』(72)や『仁義なき戦い 代理戦争』(73)なども話題に。『無頼』はアウトロー視点の昭和史であると同時に、昭和の映画史も振り返っている。

井筒 自分が観てきた映画の歴史でもあるわけです。趣味で入れています(笑)。僕がね、日本の女優でいちばん好きな女優は若尾文子さん。最高の女優です。二がなくて、三もなくて、その次くらいが沢尻エリカだな。『赤い天使』はテーマがいいんだ。日中戦争時代の最前線で働く従軍看護婦が主人公なんだけど、エロくてドキドキするよ。

――若尾文子扮する看護婦と一夜を共にした兵士や軍医たちは、戦場で次々と散っていくことに。

井筒 そうそう。おそろしい話だよ。増村(保造)監督、よく日中戦争が題材で、あんな映画が撮れたなぁと感心しますよ。テレビじゃ放送してないんじゃないか。僕は『赤い天使』を何度も観ました。そんな僕が大好きな映画を、抗争中にもかかわらず主人公の組員たちはリバイバル上映中の映画館へ観にいく。なんて牧歌的な時代だったんだろう。

――劇中劇として深作欣二監督作『北陸代理戦争』(77)の名シーンも再現しています。

井筒 『北陸代理戦争』も大好きです。それまでの任侠映画はきれいごとばっかりで面白いとは思えなかったけど、生きた人間の本音丸出しで描いた「仁義なき戦い」シリーズも本当に面白かった。任侠モノは全共闘世代にうけたけど、少し下の僕らは、『仁義なき戦い』や『北陸代理戦争』を観て、笑いころげたよ。『北陸代理戦争』のオマージュシーンを入れたのは、深作欣二監督、脚本家の高田宏治さん、松方弘樹さん、西村晃さん、野川由美子さんらへの感謝の気持ちです。あのシーンは、僕じゃなくて助監督たちに撮らせたんだけどね。僕の青春をね、熱くしてくれた人たちへのオマージュのつもりですわ。

――こうしてお話を聞いていると、井筒監督なりの『仁義なき戦い』、もしくは『ゴッドファーザー』を撮りたかったんだなということが感じられます。

井筒 『ゴッドファーザー』や『仁義なき戦い』など70年代のニューシネマが、青春時代の僕の背中を押してくれたわけですよ。僕の物づくりの原動力となったんです。『ゴッドファーザー』はその骨頂だよ。『ゴッドファーザー』を初めて観たとき、それまで観てたアメリカ映画とは、同じ映画とは思えなかった。これが映画なのかと。僕には人生哲学書のように思えたんだよ。『ゴッドファーザー』が登場して、ハリウッドも大きく変わったでしょ。日本も高度成長期が終わり、新しい時代の節目だった。そこに新しい波が来た。びっくり、びっくりの連続だ。当時のコッポラ監督が、インタビューで素敵なことを語ってたんだよね。「これは米国の資本主義を描いたんだ」と。僕はその言葉にすごく納得した。いつか、自分もこんな映画を撮ってみたいと思ったね。

サバイバルの時代だった90年代

――裏社会でのし上がった『無頼』の主人公たちも、金融にも関わるようになる。主人公は「そこの家の便所がきれいなら、貸していい」とか言って、経済ヤクザとして稼業に励んでいく。

井筒 お金を貸すことが、資本主義でしょ。貸したお金が、ただ回っているだけのこと。銀行の元締めである日本銀行なんて、ヤクザの親分みたいなもんです(笑)。実際にお金がなくても、どんどん刷って外に出す。それが万年筆マネー。暴対法が施行され、ヤクザたちは生き残っていくために金融や株や不動産のヤクザになっていった。今回も、銀行についてもいろいろ調べました。政治家も新興宗教団体も、み~んなお金、カネで動いてるわけですよ。

――ここで井筒監督自身の昭和・平成史も振り返ってもらえればと思います。

井筒 面白かったなぁ、昭和は。お金がなくても。バブルが弾けて、平成になり、さぁどうやって何を撮っていくかと思案するのが90年代。第二の人生をどうやって歩んでいくかを考える中で、新しい映画の時代を迎え、『パッチギ!』や『黄金を抱いて翔べ』などを撮ることができた。

――ディレクターズカンパニーで制作した時代劇大作『東方見聞録』(93年ビデオ発売)は劇場未公開となり、大変だったのではないでしょうか。

井筒 あれは悲惨だった……。

――撮影現場で出演者が亡くなり、井筒監督は個人で賠償金を払い続けた。

井筒 ディレクターズカンパニーが潰れてしまったから、個人で支払うしかなかった。弁護士さんにも相談したけど、「誠意を示すしかないでしょ」と言われて自分が払うことにしたんです。誰かが払わないといけなかった。そうじゃないと、残された遺族は堪らないでしょう。

――ネット上では遺族への補償金3000万円以上、と出ています。

井筒 3000万円は保険会社から支払われた金額。それじゃとても足りないから、残りは僕が払い続けました。『黄金を抱いて翔べ』を撮る前年の2011年に完済しました。だから、それからはまた、自分が撮りたいと思うものを撮ろうと思った。僕くらいじゃないのかな、自分の好きなものだけ撮り続けてきたのは。

――角川映画『みゆき』(83)も撮りたい作品だった?

井筒 あれは、「メジャーなら何でも撮って名を売ってやろう」と思った初期の作品だからね。それでも、批評家から叩かれたよ。「井筒は、角川映画に魂を売った」とか書かれた。「裏切られた」という評論家もいた。いつ約束したんだよと(笑)。まぁ、自分が思ってもないことを書かれると、面白いよ。『フラガール』(06)も、最初は僕が撮ることになっていたんだよ。いろいろ調べたんだけど、炭鉱の歴史はきれいごとだけでは描けないから、あれはイチ抜けさせてもらいました。やっぱり、自分が撮りたいと思ったものじゃないと撮れないよ。

ブレイクした人間はおかしくなる

――中島らもさんは2004年に52歳で亡くなりましたが、井筒監督にはこれからも撮り続けてほしい。

井筒 らもは酔っ払って、階段から落ちて亡くなったなんだっけ? まぁ、らもらしいな。自由人らしく死んだんじゃないかな。僕もそうだけど、やっぱり自由人でいたいな。自由に生きたい。今、派遣社員とかで働いている人たちも、もう一回、人生哲学してみたらどうだろうか。会社に体と時間を売っているわけでしょ? 悪いことをしろとは言わないよ。でも、自分で何か新しくできることはないか、もう一度考えてみてもいいと思うんだよ。

――既成の社会に頼らずに生きてみろ、というテーマが『無頼』には感じられます。

井筒 何かに頼らずに生きていく方法はないのか、それを探るのが人生なのかなと思うんです。学校を卒業してから、僕はそのことをずっ~と考え続けてきたんです。ブレイクなんか、せんでええんです。ブレイクなんてしたら、人間おかしなことやってしまうでしょ。物づくりをして、自分が見えていれば、友また遠方より来たる、それでいいんですよ。

(取材・文=長野辰次 撮影=名鹿祥史)

映画『無頼
新宿K’s cinema、池袋シネマ・ロサ 他、全国順次ロードショー中

監督/井筒和幸 
脚本/佐野宣志、都築直飛、井筒和幸
主題歌/泉谷しげる「春夏秋冬~無頼バージョン」
出演/松本利夫(EXILE)、柳ゆり菜、中村達也、ラサール石井、小木茂光、升毅、木下ほうか
配給/チッチオフィルム
配給協力/ラビットハウス
2020年/日本/146分/カラー作品/ビスタサイズ/5.1ch/R15+
(c)2020「無頼」製作委員会/チッチオフィルム

映画『無頼』公式サイト  www.buraimovie.jp
映画『無頼』公式twitter @buraimovie2020
YouTube井筒和幸の監督チャンネル

●井筒和幸(いづつ・かずゆき)
1952年奈良県生まれ。1975年に自主映画『行く行くマイトガイ 性春の悶々』でデビュー後、一般映画『ガキ帝国』(81)で注目を集める。以後、つかこうへい原作の『二代目はクリスチャン』(85)、『犬死せしもの』(86)などの意欲作を発表。ディレクターズカンパニーで制作した『東方見聞録』は劇場未公開となったが、ナインティナイン主演作『岸和田少年愚連隊』(96)は高く評価され、『のど自慢』(99)、『パッチギ!』(2004)などをヒットさせた。その後も、実在の殺人事件を題材にした『ヒーローショー』(2010)や『黄金を抱いて翔べ』(2012)と話題作を撮り続けている。

JRA川田将雅、“極上馬質”確保も「空き巣」失敗!? 1番人気で「6連敗」の大誤算。年始の誓い「壇上のセンター」以前の問題か……

 13日、阪神競馬場で行われた阪神JF(G1)は1番人気ソダシが優勝した。白毛馬のG1制覇はJRAのみならず、世界初の大偉業となった。

 また、裏開催となる中山競馬場ではカペラS(G3)が行われ、4番人気ジャスティンが勝利。交流重賞2勝の実力馬がついにJRAタイトルを手に入れた。

 その一方、川田将雅騎手のレッドルゼルはクビ差の2着に敗れ、1番人気に応えることができなかった。

 現在、162勝で全国リーディング2位の川田騎手。1位のC.ルメール騎手とは36勝差と大きく開きがあるため、2位が濃厚な状態だ。また、獲得賞金ではルメール騎手が43億5253万3000円で、川田騎手とは10億円以上の開きがあり、このタイトルもトップが変わることはないだろう。

 唯一、川田騎手がトップに君臨しているのが勝率である。6日時点では、川田騎手の28.5%に対して、ルメール騎手は26.4%と2.1ポイント差をつけていた。残りの開催日数を考えれば、セーフティーリードに思われた。

 だが、先週末の開催で川田騎手は10鞍騎乗して0勝。これにより差は1.5ポイントまで詰められた。

「川田騎手の騎乗馬は1番人気6回、2番人気3回、3番人気1回とすべて上位人気でした。それで勝てなかったのはかなりの痛手ですね。特に、日曜日はG1の裏開催となる中山で6戦全敗ですからね。普段、関西で騎乗している川田騎手が関東でこれだけ騎乗するのは珍しいので、かなり勝ちに行っていたはずですよ。

今年は騎乗馬を絞っている印象があり、特に関東では顕著です。ジャパンC(G1)の開催日はわずか2鞍ということが象徴していますね。

ただ、先週末はトップジョッキー不在ということで有力馬の騎乗依頼が多く舞い込んだようです。2歳牝馬にこれといったお手馬がいないことから、レッドルゼルの騎乗を優先したことが功を奏したかに思われましたが、1勝もできなかったのは想定外だったかもしれません」(競馬記者)

 今年、川田騎手が関東で1日に6鞍以上騎乗するのは2月22日の東京競馬場以来、約10か月ぶり。この日は9鞍に騎乗し、3勝を挙げる大活躍だった。

 また、一部のファンから”空き巣”といわれるG1開催日に手薄な裏開催で勝ち鞍を稼ぐのも、5月のNHKマイルC(G1)開催日以来である。この時は京都で2勝を挙げていた。

 先週末で上位人気馬に騎乗しながらも、勝ち星を重ねられなかったのは大誤算に違いない。このまま不調が続くようなことがあれば、勝率のタイトルもルメール騎手に譲る可能性が全くないわけではないだろう。

 1月に行われた2019年のJRA賞授賞式に最高勝率ジョッキーとして出席した川田騎手は「今年こそはルメールさんに勝って、この壇上のセンターに立ちたいと思います」とコメントした。

しかし、最悪の場合はセンター以前に、壇上にすら上がれないかもしれない。

 JRAの開催日は残り4日間。最後にひと踏ん張りして、日本人トップジョッキーとしての意地を見せてほしいところだ。

パチンコ史上初「独創システム」実現の“神台”が登場!「約2000発」搭載の新感覚RUSHを堪能せよ!!

藤商事は変わります」

 これは同社の社長が『Pとある魔術の禁書目録』の導入前にPVにて公言していたものである。本機の登場によって、この言葉の通りパチンコメーカーとしての存在感を大きく変えたと言っても過言ではない。

 ライトノベル部門で3100万部の累計発行部数を記録し、堂々の1位に君臨する人気コンテンツとのタイアップ機。デビュー前の注目度は高かったが、最も関心を集めたのは突出したスペック面だ。

 継続率「約79%」で、電チュー7割が約1500発という優秀なST性能。そして大当りさえすれば「必ず突入する」という仕様で、抜群の安定感と爆発力を実現させた。

 出玉性能に特化するために初当りからのRUSHにハードルが生じてしまう既存マシンとは一線を画す本機。瞬く間にユーザーの心を掴み取り、人気機種としてホールで活躍している。

 社長自らが「変わります」と高らかに宣言し、それを見事に体現した藤商事の手腕は見事としか言いようがないが…。

 そんな同社は、次なる一手として累計発行部数7000万部を超える超人気マンガを題材としたパチンコ最新作を発表。パチンコ分野の勢力図を塗り替える勢いだ。

『P FAIRY TAIL2』(藤商事)

■大当り確率:1/199.8
■RUSH突入率:50%
■RUSH回数:77回
■RUSH平均継続率:約70%
■ゼレフバトルモード回数:10回
■ゼレフバトルモード引き戻し期待値:約20.0%
■遊タイム:756回(558回転到達で発動)
■賞球数:1&2&5&11
■大当り出玉:5R約560発・9R or 10R約1000発
○○○

『FAIRY TAIL』のパチンコ第二弾が遂に誕生。本機最大の特徴は、パチンコ史上初となる「ランクアップバトルシステム」を搭載している点だ。

 初当り時(1/199.8)に大当り図柄が「7揃い」であれば「5R+RUSH」で、それ以外の図柄は「5R+ゼレフバトルモードor RUSH」となる。突入率は50%で、どちらを引いた場合も電サポが付与される仕様だ。

「ゼレフバトルモード」は「時短10回+残保留」が付与。ここでの引き戻し期待値は約20%となっている。

 RUSHに関しては「電サポ77回+残保留」が付与される。右打ち中の大当りは約1000発の「FAIRY BONUS」と、約2000発の「SUPER FAIRY BONUS」の2種類。平均継続率は「約70%」を誇り、「約1000発以上が高ループ」するという爆発力に長けたスペックだ。

 また、本機には遊タイムが搭載されており、558回転に到達で「電サポ756回」へと突入。液晶部分のセブンカウンターで発動タイミングを告知する仕様で、遊タイムが発動すれば「勝利濃厚」だ。

「RUSH中はリーチが発生するほどバトル勝率がアップする『ランクアップバトルシステム』が採用されています。リーチは1回目の勝率が約30%で、5回目は『勝利濃厚』です。『テンパイするほど熱くなれる』という他機種とは違うバトルを楽しめそうです。

斬新なシステムに加え、遊びやすさだけではなく爆発力も持ち合わせています。これは大好評の『とある』以上の衝撃を与えるかもしれませんよ。『神台登場!!』と自負する本機の期待は高まるばかりです」(パチンコ記者)

『P FAIRY TAIL2』の導入予定は2021年1月。本機が従来機の常識を覆す活躍を見せてくれそうだ。

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JRA武豊お墨付き馬が「シルバーコレクター」ぶり発揮!? 昇級初戦で通算「18度目」の2着!過去30年の最多記録更新にマジック「1」

 2歳女王決定戦の阪神JF(G1)が開催された13日、準メインとして堺S(3勝クラス、ダート1800m)が行われた。

 このレースを制したのは、4歳馬のタイサイ。2番手追走から、荻野琢真騎手の好騎乗に導かれ、2着に1.1/4馬身差をつけ、オープン入りを果たした。そのタイサイの2着に飛び込んだのが、小崎綾也騎手が鞍上を務めた7歳馬のカフジキング(牡7歳、栗東・中竹和也厩舎)だ。昇級初戦ということもあり、7番人気に甘んじたが、好位から直線しぶとく伸びて、“定位置”の2着を確保した。

 このレースが通算49戦目のカフジキング。2着は、これが実に18度目というシルバーコレクターだ。通算成績は「4-18-11-16」で、2着の数は着外(4着以下)をも上回っている。

 さかのぼること2018年1月。前年の17年夏に1000万下(現2勝クラス)から500万下(現1勝クラス)に降級したカフジキングは、約1年2か月ぶりの勝利を挙げ、2勝クラスに再昇級を果たした。しかし、2度目の2勝クラスの居心地が余程よかったのか、勝ち上がるのに22戦、2年9か月を要した。その間、2着と3着がそれぞれ7回、4~5着も5回を数え、掲示板を外したのは僅か2回だけという安定感を誇り、コツコツ賞金を積み重ねた。

「(カフジキングは)2勝クラスで勝ちあぐねていましたが、スタートセンスが非常に良く、二の脚も使える器用な馬です。常に好位で立ち回れるレースセンスの高さが初の3勝クラスでも生きましたね。2年9か月ぶりの勝利を挙げた前走後には、手綱を取った武豊騎手も『上のクラスでもやれるんじゃないかな』と期待を口にしていたので、7番人気は過小人気だったのかもしれません。

2勝クラスで好走を続けていた時は、一部ファンから『賞金目当て?』という疑いまでかけられていたようです。それが昇級初戦でいきなり2着に好走したので、疑念が蒸し返されるかもしれませんね」(競馬誌ライター)

 2着が18回という成績は、中央ではほとんど記憶にない。稀代のシルバーコレクターと言われたステイゴールドですら、50戦して2着は12回だった。下のクラスを見ても、過去30年(1990年以降)の最多記録は、サイレントクルーズとエリモマキシムの18回(平地・障害を含む)。つまり、カフジキングはこの2頭に並んだことになる。

 この2走の内容から、3勝クラスを勝ち上がるだけの実力はあるだろう。過去30年では最多となる19回目の2着を達成する前に勝ち上がるかもしれない。

 堺Sで、730万円の賞金を加え、生涯獲得賞金は1億5700万円を突破。年が明けて、8歳を迎えるカフジキングの馬主孝行はまだまだ続く。

忠臣蔵と赤穂事件…「吉良上野介を処罰するなんてムリ!」という“幕府の論理”を考える

江戸城・松の廊下の刃傷事件

 12月14日といえば、忠臣蔵の日である。

 元禄15年12月14日(1703年1月)、本所松坂(現在の東京都墨田区両国のあたり)の吉良邸に赤穂浪士が討ち入り、元高家肝煎(こうけきもいり)の吉良上野介義央(きら・こうずけのすけ・よしなか/よしひさともいう)を討ち取って、主君・浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながのり)の仇討を果たした。

 その前年の元禄14年3月14日、江戸城松の廊下で吉良が浅野によって突然斬りつけられた。

浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけたのは、なぜ3月だったのか?

 江戸幕府には高家(こうけ)という、儀式を司(つかさど)り、朝廷や伝統のある寺社などとの交渉を担当する役職があった。幕府は毎年正月に高家を京都朝廷に派遣して年始の挨拶を行い、3月頃にはその返礼として京都から勅使が江戸に下向して幕府に挨拶をする慣習があった。

 天和3(1683)年に高家衆の統括役として高家肝煎が設置され、3人が選ばれた。京都朝廷への年始挨拶は、高家の職務のなかでも重要と考えられていたらしく、それ以降は高家肝煎が担っていた。

 元禄14年の朝廷への年始挨拶は、高家肝煎・吉良義央が担当した。

 1月11日に江戸を立ち、2月29日に江戸に戻って将軍・徳川綱吉に拝謁(朝廷への年始挨拶では、出立および帰府の際に将軍に拝謁し報告することが慣例となっていた)。

 朝廷からの答礼の勅使・院使(天皇および上皇からの使者)が3月11日に江戸に到着した。京都朝廷から公家が下向してくると、江戸幕府は将軍の使者として、老中・高家肝煎が宿所を訪れて慰問した。また、高家の指導のもと、勅使を饗応接待する馳走役(ちそうやく)として、5万石くらいの大名が任命された。浅野長矩のほかには、伊予吉田藩主・伊達村豊(むらとよ)が任命されていた。

 3月12日、江戸城で勅使・院使が将軍・綱吉に拝謁する。

 3月13日、勅使・院使を饗応するための猿楽(さるがく)が催された。

 3月14日、勅使・院使が京都に帰るにあたって、将軍・綱吉に拝謁する。

 そう、京都から年始の挨拶に来ていた朝廷の使者が帰るので、幕府の役人は城内であたふたしていた。

 留守居役(るすいやく/旗本の最高位)の梶川与惣兵衛頼照(かじかわ・よそべえ・よりてる)は、将軍の正室から勅使・院使への贈答品を贈る使者を務めることになっていた。ところが、勅使・院使の拝謁の時刻が予定より早くなると聞き、江戸城松の廊下で吉良義央を呼び止め、その段取りを立ち話していた。

 すると突然、浅野長矩が吉良を背後から斬りつけてきた。吉良は眉間を斬られ、もんどり打った。梶川は浅野を組み伏せた。「殿中でござる。殿中でござる」という名シーンである。

 目付(めつけ/主に旗本の監視役)数人が事件現場に駆けつけて浅野を隔離し、それぞれ尋問したところ、浅野は「一己の宿意(かねてからのうらみ)をもって前後を忘れてしたことである。いかようにお咎めに仰せ付けられようともご返答できる筋はない」と答え、吉良は「拙者にはなんの恨みを受ける覚えもなく、浅野の乱心と見える」と述べた。

 そこで、吉良を輿に乗せて帰宅させ、浅野長矩は陸奥一関藩主・田村建顕(たけあき)の藩邸に預けられた。

 一関藩邸に大目付(主に大名の監視役)が遣わされ、浅野の即日切腹が言い渡された。

 一方、吉良邸には高家肝煎、および大目付が遣わされ、お咎めなしと伝えられた。吉良義央は3月26日に高家肝煎の辞職を申し出、隠居した。

幕府による朝廷饗応の儀礼上のノウハウについて、余人をもって代えがたい人材であった吉良義央

 松の廊下の刃傷事件の原因は何か。

 おそらくその題材だけで1冊書けてしまうので、ここで深入りをするのは避けたいが、最も有力な説は、浅野長矩が高家による指導の見返りとしての謝礼をケチったから、吉良義央が儀礼上のノウハウを正しく伝授しなかったことを恨んだというものだ。

 ただ、考えてほしい。仮に社運を賭けたプロジェクトのプレゼン役に若手が選ばれたとしよう。個人的な恨みで、部長がプロジェクトに関する情報をその若手に教えないようなことがあるだろうか。それでプロジェクトが失敗したら、責任はその若手だけではなく、当然部長にも帰することになるのだ。むしろ、覚えの悪い若手を叱責したら、若手がプッツンしたと考えたほうが妥当ではないか。

 当時、吉良は余人をもって代えがたい人物だった。

 元禄14年3月当時、高家衆の構成は高家肝煎3人、奥高家8人であった。

 その内訳を見ると、経験年数は吉良義央が43年目、2番目の畠山基玄(もとはる)が14年目、以下10年選手が3人。吉良義央が三代目であるのに対して、二代目は戸田氏興(うじおき)しかおらず、家柄に伝承されるノウハウも経験も、吉良ひとりが圧倒的に飛び抜けていた。

 なぜ、ここで何代目かが問題になるかといえば、吉良家は初代・吉良義弥(よしみつ)以来三代にわたって『吉良家日記』を残し、「吉良懐中抄」など膨大な史料が継承されていた。日記といっても「いつ訪れても京都は優美だ。一首、歌でも詠もう」なんて文学的な要素は一切ない。いつ、どこでどういう儀式をして、誰がどの順番で座って、誰に何を贈ったかがこと細かに書かれているのだ。

 儀式は先例重視の世界なので、「はて? 我が家に伝わる日記には、これこれこういうふうに書いてありましたゾ」と吉良サンに言われたら、太刀打ちできるわけがない。

 幕府・朝廷も「吉良サンが仰るんなら間違いないでしょ」と認めていた。まさに余人をもって代えがたい人材だったに違いない。

 わけのわからない田舎大名がプッツンしたくらいで、吉良義央を処罰するなんて、高家衆にとってはあり得ない事態だったに違いない。おそらく浅野の一方的な逆恨みなんだろうが、下手に証言させて、吉良側の瑕疵が出てくるとヤバい。早いところ切腹させてしまえ――というのが、実態だったのではないか。

 忠臣蔵では、浅野が悪くないことが前提になっている。それでないと、仇討の名分が立たないからだ。しかし、吉良は浅野以外にも数多く指導していたはずだ。ただひとり、浅野の謝礼だけが少なく、浅野だけがパワハラを受けていたとは考え難い。むしろ、浅野だけが個人的資質に問題があり、プッツンしてしまったと考えるほうが適切ではないか。

浅野長矩を馳走役に命じたのは、広島藩と仙台藩“和解”のための裏プロジェクトだった?

 実は、浅野長矩を馳走役に命じたのには、知られざる裏プロジェクトがあったという憶測がある。

 浅野長矩は広島藩・浅野家の分家。浅野と共に馳走役に命じられた伊達村豊は、仙台藩・伊達家の分家筋に当たる。

 実は伊達家の藩祖・伊達政宗は、浅野家の藩祖・浅野長政と相性が悪く、絶交を言い渡して以来、広島藩と仙台藩は「不通(ふつう/儀礼的な挨拶すらしない)」大名といわれていた。

 そこで、広島藩と仙台藩の分家同士に一緒の仕事をさせて、そこから広島藩と仙台藩の仲を取り持とうという思惑があったとか。ちなみに、浅野長矩が切腹をする現場となった田村家も、伊達政宗の正室の実家で、江戸時代に入ると伊達家から代々養子を迎え、実質的には仙台藩の支藩のようになっていた。まぁ、そんなんじゃあ、うまくいかなかったんだね。

 そんなこんなで、浅野家と伊達家が和解したのは平成に入ってから。ほぼ400年の時が経っていた。浅野家当主は和解に際し「まさかお会いしていただけるとは思わなかった」と言ったとか、言わなかったとか。さすが、大名家ともなるとケンカのスケールも桁違いなのであった。

(文=菊地浩之)

●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)など多数。

新庄が「プロ復帰」断念…「悔しいし情けない」とコメントも「多くの人の背中を押してくれた」との意見

 15年ぶりのプロ野球復帰は、残念ながら叶わなかった。

 阪神や日本ハム、メジャーで活躍した新庄剛志(48)が、インスタグラムでプロ野球復帰の断念を発表した。

 新庄は2019年11月、インスタグラムで「みんな、夢はあるかい。1%の可能性があれば、必ずできる」とプロ野球への現役復帰を宣言。移住先のインドネシア・バリ島から今年夏に日本へ戻って本格的にトレーニングを開始すると、9月下旬には阪神時代に指導を受けた「打撃の師」柏原純一とタッグを組んで練習を行った。

 48歳とは思えぬキャッチボールと打撃練習を公開し、その姿には日本ハムで共に日本一に輝いた戦友の田中幸雄も「再びプロ野球で活躍できる」と動画で断言したほど。事実、12月7日に神宮球場で行われた12球団合同トライアウトのシート打撃では第4打席でタイムリーヒットを放ち、大々的に報道された。

 多くのファンや関係者から復帰が望まれたが、古巣の阪神や日本ハムは早々に獲得を否定。日本ハム時代に共に戦った中嶋聡監督率いるオリックスも、ファンから待望視されながらも獲得に動くことはなかった。

 トライアウト後の会見で、新庄は「結果はそんなに意識していなかったが、48歳という年で立てたことが嬉しかった。努力してきたものを見てもらって、少しでも勇気を与えられたかな」とコメント。「今日終わって、6日間でオファーが来なかったら野球は終わり」とも伝えていた。

 そのトライアウトから6日が経過した13日、新庄はインスタグラムで「1%の可能性を信じてやってきたが、今日0%になり、ただただ悔しいし情けない」と発言。「身の程を知りました」「応援してくれたみんな、サポートしてくれたみんなに申し訳ない」ともつづった。

 この報を受け、阪神時代にルーキーイヤーから5年連続で盗塁王に輝いた野球評論家の赤星憲広は、日本テレビ系スポーツ番組「Going!Sports&News」の電話取材で「挑戦するだけでなくて、トライアウトで結果を残した」「たくさんの人に期待を持たせてくれた」とコメント。「年齢を関係なくこのコロナ禍で頑張ってくれたことが、多くの人の背中を押してくれたのではないか」と挑戦を称えた。
 
 また、プロレスラーの大仁田厚も、Twitterで「48歳という年齢でトライアウトに挑戦し、ひたむきに野球を愛している姿、男新庄選手に拍手を送りたい」とつぶやいた。

 新庄は14日、インスタグラムを更新し「さぁまた今日から人生楽しむぞ」と落胆した様子はない模様。今後は、どのような形でファンを楽しませてくれるのであろうか。