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3メガバンクが「ミュトス」に続きOpenAIも採用…二刀流サイバー防衛の実力と課題
●この記事のポイント
3メガバンクがアンソロピックの「Claude Mythos Preview」に続き、OpenAIの「GPT-5.5-Cyber」のアクセス権も取得する見通しとなった。レガシーコードのバイナリ解析に強いOpenAI、OSSの脆弱性網羅スキャンに強いアンソロピックという役割分担のもと、複数AIの並走によって検出の死角を補い合う「二刀流」防衛体制の構築が日本の金融界で始まっている。
一部メディアが5月28日、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行の3メガバンクが、米OpenAIの最新AIモデル「GPT-5.5-Cyber」のアクセス権を取得する見通しになったと報じた。片山さつき金融担当大臣も30日の会見でこれを事実上確認し、「フロンティアAIが脅威になるという認識のもと、金融機関のサイバーセキュリティ強化の観点から歓迎すべきもの」と述べた。
当サイトでもすでに報じているが、3メガバンクは5月中にアンソロピックのAI「Claude Mythos Preview(ミュトス)」へのアクセス権も取得済みだ。世界最高水準のAIモデルを開発する2社のセキュリティ特化モデルを、同じ金融機関が同時に運用するという事態は、国際的にも先例が少ない。読者が当然抱く疑問は「なぜ1社では足りないのか」だろう。そこには、両社のアプローチの設計思想の違いと、金融インフラ防衛という課題の複雑さが絡み合っている。
●目次
OpenAIが打ち出した「信頼ベースの拡張」
まず、今回の報道の主役であるGPT-5.5-Cyberとは何か、整理しておきたい。
OpenAIは5月7日、「Trusted Access for Cyber(TAC)」と呼ぶプログラムを正式に拡充し、サイバーセキュリティに特化したモデル「GPT-5.5-Cyber」の限定プレビューを展開した。TACは、身元確認済みの防御側担当者や組織に対し、通常より制限を緩和した高性能モデルへのアクセスを提供する枠組みだ。具体的には、バイナリコードのリバースエンジニアリング——ソースコードへのアクセスなしにコンパイル済みのソフトウェアを直接解析してマルウェアや脆弱性を特定する能力——や、より複雑な多段階セキュリティ分析の支援が可能になっている。
英国のAI安全保障研究所(AI Security Institute)が行った評価では、GPT-5.5はサイバーセキュリティの一部タスクにおいてミュトスを上回る成績を記録したことも公表されている。これが「ミュトスと同水準の能力を持つ」と日経が報じた根拠だ。
アンソロピックのProject Glasswingが選定パートナー企業40社超への「閉じたコンソーシアム」を志向するのに対し、OpenAIのTACは身元確認を軸にスケーラブルな拡張を目指す。2社の設計思想の違いは、同じ目的地に向かう異なる道として理解できる。前者は「信頼できる少数に深く使わせる」、後者は「認証した幅広い専門家に開く」というアプローチだ。
「アンソロピックのGlasswingはコンソーシアム参加企業との緊密な連携のもとで自社製品の脆弱性を組織的にスキャンする設計で、金融機関よりもインフラ企業・テック企業向けに最適化されています。TACはより実務的なセキュリティ担当者のワークフローに組み込みやすい設計で、両者は補完的な関係にあります」(サイバーセキュリティコンサルタント・新實傑氏)
なぜ「二刀流」なのか——1社では埋まらない空白
3メガバンクが両社のモデルを同時に持つ理由は、金融インフラの防衛課題が一枚岩ではないという事実にある。
メガバンクのシステム環境を俯瞰すると、大きく三つの層が存在する。第一層は、数十年以上稼働する基幹系のレガシーコード群だ。COBOL等で書かれた古いシステムはソースコードへのアクセスが困難なケースもあり、バイナリ解析に強みを持つGPT-5.5-Cyberの適性が高い。第二層は、クラウドや外部ベンダーが提供するOSS(オープンソースソフトウェア)を含む現代的なインフラだ。OpenBSD、FFmpeg、wolfSSLといったOSSに潜む脆弱性をProject Glasswingの枠組みで網羅的に探索するミュトスが力を発揮する領域だ。第三層は、API連携や決済ネットワーク経由の実際のビジネストランザクションだ。アンソロピックはパートナー銀行との商取引でミュトスがBEC(ビジネスメール詐欺)的な電信送金詐欺を自律的に阻止した実績を報告しており、この層での実証は始まっている。
つまり、「ミュトスかGPT-5.5-Cyberか」という二者択一ではなく、それぞれの強みが異なる防衛の層をカバーするという発想で捉えることができる。
「複数のAIモデルを並走させることには、もう一つの重要な意義があります。モデルAが見逃した脆弱性をモデルBが検出する『検出の多重化』が期待できる点です。人間の専門家チームと同様に、異なるアーキテクチャのモデルは異なる弱点パターンへの感度が異なり、相互補完的に機能しうる」(同)
気になる「相乗効果」の実態
もっとも、2社のモデルを単に保有するだけで自動的に相乗効果が生まれるわけではない。
現時点で確認できる事実として、アンソロピックはProject Glasswingの初期報告(2026年5月22日)で1万件超の高・重大深刻度脆弱性を発見した実績を公表している。OpenAIのTACは同月7日に展開が始まったばかりで、金融機関での大規模な実績はまだ積み上がっていない段階だ。
実際の相乗効果を生み出すには、2つの運用課題を解決する必要がある。
一つは「発見後の修正速度」だ。Project Glasswingの報告でも、発見した脆弱性を修正するメンテナーのリソース不足が深刻なボトルネックとして浮上している。修正の平均期間は約2週間で、一部のOSSメンテナーからは「報告を止めてほしい」という声まで上がった。2社のAIが並走して発見件数がさらに増えれば、修正側の体制強化が急務となる。
もう一つは「情報の統合管理」だ。アンソロピックのモデルが発見した知見とOpenAIのモデルが発見した知見を、組織として一元的に管理・優先順位付けする仕組みがなければ、発見情報がサイロ化する。CISO(最高情報セキュリティ責任者)のもとで両ベンダーの知見を統合し、修正優先度を判断する体制設計が問われる。
金融庁が設置した官民ワーキンググループ(メガバンクからインターネット銀行、日本銀行、アンソロピックとOpenAI日本法人を含む36団体が参加)は、こうした情報統合と対応手順の標準化を業界横断で進めることを主要な目的の一つとしている。メガバンクが確立したモデルを地方銀行や信用金庫に横展開する「知見のカスケード」が機能するかどうかが、日本全体の金融システム防衛水準を左右する。
アクセス依存という構造的課題
2社のモデルへのアクセス権を保有することには、もう一つの構造的論点がある。技術的依存の問題だ。
Glasswingのアクセス権はあくまでアンソロピックが主導するプログラム内での提供であり、TACも同様にOpenAIが条件を設定・変更できる枠組みだ。米国の2大AIラボそれぞれのプラットフォームに金融インフラの防衛能力の一部を依存することは、アクセス条件の変更や地政学的な要因による提供停止というリスクを内包している。
「技術主権の観点から、日本の金融インフラの防衛において外部依存をどこまで許容するかは、長期的な政策議論として避けられません。一方で、自国単独でミュトスやGPT-5.5-Cyber相当のモデルを短期間で開発することは現実的でなく、現状では段階的に依存リスクを管理しながら活用する現実解を選ぶほかない」(国際政治・サイバー安保を専門とする研究者)
なお、2026年内の本格施行が予定されているサイバー対処能力強化法のもとで、能動的サイバー防御の制度的枠組みが整備されれば、政府と民間の役割分担・情報共有の法的根拠が明確化される。現状では政府側がミュトスを利用できない状態のまま民間3行が先行している「官民逆転」の構図が、法施行後にどう変化するかも注目点だ。
「二刀流」は世界標準になるか
日本のメガバンクが採用しつつある「複数AIベンダー並走」モデルは、国際的にも先行事例に乏しい。だが、その合理性は明確だ。AIモデルの能力が急速に向上・多様化する中で、特定の1社に防衛の全権を委ねることは、技術依存リスクと検出の死角を同時に抱えることを意味する。
アンソロピックのフロンティアレッドチームリーダーはミュトスの発表時、「同等の能力を持つモデルが他社から出てくるまで、早ければ6カ月、遅くとも18カ月だ」と語っている。実際、OpenAIはその予測より早く類似の能力を展開した。これは「閉じた管理」によって防衛のアドバンテージを長期維持することの限界も示している。
英AISIの評価でGPT-5.5がミュトスを一部で上回ったという事実は、「最強モデルは固定ではなく、タスクごとに異なる」という現実を可視化した。複数モデルの並走は、その現実への適切な回答と見ることができる。
今後の焦点は三点ある。第一に、発見した脆弱性を修正するまでのサイクルタイムを業界全体でどこまで短縮できるか。第二に、メガバンクで構築される知見を中小金融機関に実際に流通させる仕組みが機能するか。第三に、能動的サイバー防御の法施行後、政府と民間の連携が実務レベルで噛み合うかどうか。
日本の金融システムが「AI対AI」の時代に入ったことは、もはや疑いの余地がない。問われているのは、その道具を使いこなす組織と制度の設計力だ。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=新實傑/サイバーセキュリティコンサルタント)
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味の素・ダイキンがアジアで成功できた要因…海外展開が失敗する企業と何が違うのか
●この記事のポイント
6月1日開催の「Asia Insight 2026」で、味の素、ロッテ、ダイキン、KADOKAWAの実務責任者とASEAN各国のPR専門家が、日本企業のアジア戦略を議論した。本田哲也氏は「ローカルインサイトの欠如」を最大の課題に挙げ、味の素は31カ国・地域で培った現地主義を紹介。フィリピンのSNS利用時間3時間24分というデータも示され、日本ブランドの信頼を売上へ転換するための条件が浮き彫りになった。
本田哲也氏は、日本のPR業界でその名を知らない人はいない。P&G、トヨタ、資生堂、サントリーなど国内外の大手企業のPR支援を手掛け、PR専門メディア『PRWeek』が選ぶ「世界でもっとも影響力のあるPRプロフェッショナル300人」にも選出された人物だ。2006年に戦略PR会社ブルーカレント・ジャパンを創業し、2009年に上梓した『戦略PR』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)はマーケティング界隈のバイブルとなった。
その本田氏が2023年、拠点を東京からシンガポールへ移した。日本企業がアジアで勝つための支援をする、というのがその理由だ。そして2026年、ASEAN6カ国のPR専門家を束ねるネットワーク「PR Collective Asia」を立ち上げた。
6月1日、大手町三井ホールに約300名が集った。そのPR Collective Asia発足を記念するビジネスカンファレンス「Asia Insight 2026」。味の素・KADOKAWA・ダイキン工業・ロッテの実務リーダーと、ASEAN各国のPRストラテジストが一堂に会し、「アジアで日本企業はどう戦うか」を問い直した。
本稿では、4つのセッションを通じて浮かび上がった論点を報告する。
●目次
- 追い風の正体と、その死角――本田哲也が語ったアジアの現実
- 「相手のおいしさを見つける」――味の素が117年かけて磨いた哲学
- 変えるもの、変えないもの――3社が語ったアジアのリアル
- 信頼は自動的には売上に変わらない――ASEANから届いた警告
追い風の正体と、その死角――本田哲也が語ったアジアの現実
冒頭に立ったのは、本田事務所代表取締役の本田哲也氏だ。PRの仕事25年、3年前にシンガポールへ拠点を移した氏は、まず数字を示した。
ASEAN(東南アジア諸国連合)の人口は総計約6億人。GDPは10年で倍近くに拡大している。日本に対する好感度調査では、アジア各国の消費者の8〜9割が肯定的な回答を示す。
「日本の先輩方が積み上げてきた信頼は、今でも我々の強力な追い風になっています」
一方、課題も明確にした。アジアは1枚の板ではない。宗教、言語、メディア環境、消費行動……あらゆる軸で各国は異なる。日本企業はこれまで、1億2000万人の同質的な市場でマスマーケティングを磨いてきた。その成功体験が、そのままアジアでは通用しない。
本田氏が示したのが大塚製薬・ポカリスエットのインドネシア事例だ。日本での定番訴求=運動後の水分補給、二日酔い後の回復は、イスラム圏で運動習慣が少なく飲酒もしないインドネシアではほぼ機能しなかった。転機はラマダンだった。断食による脱水症状に着目し「ラマダン明けに最適な飲み物」として訴求を切り替えた結果、約2億人に関係するメッセージが生まれた。
「ブランド名もデザインも変えていない。変えたのは、その土地が何を信じているかへの向き合い方だけです」
ローカルインサイトとは、消費者心理の話だけではない。その社会が誇りを感じていること、信じていること、恐れていること。そこまで踏み込まなければ次のステージへはいけないと、本田氏は言い切る。
だからこそ立ち上げたのがPR Collective Asiaだ。ASEAN6カ国のPR専門家と連携し、日本本社の戦略とローカルの実行を繋ぐ「ミッシングピース」を埋める専門家集団である。「日本人がどれだけ頑張っても、そこで生まれ育った人のローカルインサイトには限界がある。逆もまた然りです」。その認識が、このネットワークの原点にある。
「相手のおいしさを見つける」――味の素が117年かけて磨いた哲学
基調講演に立った味の素株式会社代表執行役社長・中村茂雄氏は、研究者出身だ。アミノ酸をベースにした機能性材料の開発に20年以上従事し、半導体パッケージ基板用絶縁材料「味の素ビルドアップフィルム®」を世に送り出した。ラテンアメリカ本部長・ブラジル味の素社社長を経て、2025年2月に代表執行役社長に就任した。
味の素グループは現在、世界31の国と地域・121拠点に展開。売上高1兆5800億円(2025年度)のうち海外比率は約6割。アジア単独で事業利益の41%を生み出している。
「アジアはもはや当社グループの心臓と言える存在です」
その成長を支えてきた哲学が「3現主義」だ。現地スタッフが市場に足を運ぶ、現金で取引する、現物を販売する。この3原則を徹底することで、店主とのダイレクトな信頼関係を積み上げてきた。フィリピンを起点に始まり、今やアジア全域の基本的な考え方となっている。
商品開発では、その徹底ぶりが際立つ。フィリピンの「ギニサン」、タイの「ロスティ」、インドネシアの「マサコ」、ベトナムの「アジンゴー」——いずれもパッケージも味の設計も異なる。しかしその根底に一本通っているのが「おいしさ設計技術」だ。アミノ酸の働きを分子レベルで解析し、その国の人がその国の味でおいしいと感じる配合を科学的に再現する。
「うまみは万国共通です。でも、おいしさは各国でバラバラ。自分たちのおいしさを押し付けるのではなく、相手のおいしさを見つけて再現する——それが私たちのグローバル展開の根幹です」
社会制度への踏み込みも紹介された。ベトナムでは2012年、農村部の子供の低身長・低体重と都市部の肥満という「二重の栄養課題」に直面した現地社員たちが声を上げ、採算を度外視したプロジェクトが始動した。2025年3月時点でベトナム全62自治体・4367校に給食メニューを届け、2017年にはベトナム初の栄養士43名を誕生させた。
「目の前の現実を見て、自分たちの子供の世代のことを思って経営陣に強く訴えました」
その声に応えた採算度外視のプロジェクトは、今ビジネスにも還元されている。給食で育った子どもたちが将来、家庭を持つときに同社製品を選ぶ。社会価値と経済価値の循環が、ここにも宿っている。
タイのキャッサバ農家との連携では、ウイルス病で脅かされる農家を支えるべく土壌診断・アミノ酸由来肥料の提供・教育プログラムを展開。収穫量は平均30%以上向上し、2024年のASEANアワードで金賞を受賞した。
3つの事例をまとめながら、中村氏はこう締めくくった。
「コーポレートブランドとは、製品のロゴでも広告のスタイルでもありません。3万5000名が世界31の国と地域で毎日積み重ねている価値創出そのものです」
変えるもの、変えないもの――3社が語ったアジアのリアル
続くパネルには、KADOKAWA・石原輝明氏、ダイキン工業・片山義丈氏、ロッテ・野津健次郎氏が登壇した。
ここでは話が進むにつれ、3社に共通する構造が浮かび上がってきた。「変えてはいけないもの」を守るために「変えるもの」を徹底的に変える、その判断の積み重ねがアジアでの現場を支えているということだ。
ロッテの野津氏は、インドネシアでのキシリトールガムを例に挙げた。3色のパッケージデザインが「LGBTQを連想させる」と現地から指摘を受け、修正した。ブラックアンドホワイトのチョコがアメリカで人種的な文脈で問題視されそうになったこともある。「現地からの指摘で気づくことが本当に多い」と野津氏は語る。
ただ、日本の強みをやすやすと手放してはいけないとも続けた。日本のSNSユーザーは「失敗したくない」という動機でリサーチする。一方、東南アジアでは「よりいいものを見つけたい」という加点志向が強い。その違いを踏まえてインフルエンサー施策を厚くしながら、日本の品質というDNAは変えない。「グローカライズ」という言葉に、ロッテの現在地が凝縮されている。
ダイキンの片山氏が語ったのはインドでの教訓だ。インドは停電が多い。エアコンが落ちて再起動を繰り返すと機器が劣化する。日本では想定しない前提が、現地では最大の課題だった。
「日本では考えもしないことが、現地では一番困っていることだったりする」
技術を持ち込んだだけでは評価されなかった。停電に強い専用機を開発し、そのベネフィットをコミュニケーションの中心に据えて初めて市場が動いた。同じ発想で開発した製品は、停電の多い他国へも横展開されている。
もう1つ、片山氏が打ち明けた話が会場の笑いを引いた。キャラクター「ぴちょんくん」がいつの間にかタイで「妹」を持っていた件だ。現地スタッフが文化に合わせて独自にアレンジしていたのだが、誰の許可も取っていなかった。「それ以降はちゃんとやっています」と片山氏は苦笑した。ただその「勝手な妹」こそ、ローカルへの愛着が現地から自然発生した証でもあった。
KADOKAWAの石原氏は「弱者の兵法」という言葉を使った。強いIPを自前では持たないからこそ、現地に入り込み、現地の人の気持ちを掴めるようになるしかない。その発想が、社名を冠しない現地法人を積極的に設立することにつながっている。今や小学館・集英社・講談社をはじめ他社のIPを預かり世界展開する事例も増えている。
しかし、作品の現地化については、線引きが難しい。「現地に寄せよう」という下心で作り始めた作品は、ファンから「自信を持って日本の漫画を作れ」と怒られる。
「変に寄せた結果、誰からも支持されないケースは多々あります。日本で強いものを自信を持って作ることが、結局は現地でも響く」
東京は「何のためにやるか」という目的と素材の監修にとどめ、コミュニケーションの手法は完全に現地に委ねる。その分権が、スピードと現地適応を両立させている。
信頼は自動的には売上に変わらない――ASEANから届いた警告
後半のパネルには、シンガポールのイヴォン・コー氏、タイのソフィス・カセムサハシン氏、フィリピンのマリン・モリーナ氏が登壇した。
フィリピンのモリーナ氏が持ち出したのは、具体的な数字だった。日本人の1日あたりのSNS滞在時間は約53分。フィリピン人はその約4倍、3時間24分だ。
「フィリピンでは53分で信頼を作り始められるかもしれない。でも3時間半の会話を成立させなければ、意味がない」
フィリピンはZ世代とミレニアル世代が投票人口の73%を占める、東南アジアで最も若い国だ。コミュニティ志向が強く、家族や友人とのつながりの中で情報が流通する。日本ブランドへの信頼は高い。しかし「好きな日本ブランド」を聞くと歴史のある定番しか出てこない。信頼がまだ、熱量のある認知に転換されていないわけだ。
シンガポールのコー氏は「小さくて、遠くまで届く市場」という表現を使った。人口600万人の小市場だが、シンガポールでの企業評判はアジア全域に波及する。ESGやコーポレートガバナンスへの関心が高く、社会的インパクトを軸にブランドを構築することがアジア全体への信頼の礎になると語った。
タイのカセムサハシン氏は、現地の変化をデータで示した。タイはいまASEAN最大のVOD市場となり、情報は動画で消費される時代になった。ナノ・マイクロインフルエンサーを通じたコミュニティ型マーケティングが主流になりつつあり、本社発の硬直したメッセージでは若い世代に届かない。
3人の言葉を貫く共通点は1つだった。日本ブランドへの信頼という「資産」は確かにある。しかしその資産は、現地のコンテキストに乗せて初めて動く。乗せる努力をしなければ、信頼は信頼のまま眠り続ける。
4つのセッションを通じて、会場が繰り返し聞いた言葉がある。「変えるものと、変えないもの」だ。
味の素がアミノサイエンスを変えずに各国のおいしさを科学した。ダイキンがR32の技術を手放さずにルールを作った。KADOKAWAが日本IPの本質を守りながら届け方を現地に委ねた。ロッテが品質のDNAを保ちながら色と形と温度に適応した。
その境界線は誰かが引いてくれるものではない。現場で、データで、対話で、少しずつ育てていくものだ。アジアの6億人はすでにそこにいる。あとは、その人たちが信じているものに、誠実に向き合う覚悟があるかどうかだ。
(取材・文=昼間たかし)