「ゴスデン×デットーリ」がフランスで大暴れ! エネイブル“後継候補”が5連勝でジャックルマロワ賞(G1)制覇!

 16日、フランスのドーヴィル競馬場で行われたジャックルマロワ賞(G1)はL.デットーリ騎手のパレスピア(牡3歳、英・J.ゴスデン厩舎)が優勝。無傷の5連勝でG1・2勝目を飾った。

 デビューから3連勝でロイヤルアスコットの3歳マイル王決定戦・セントジェームズパレスS(G1)に挑戦したパレスピア。当時、G1・2勝(現3勝)のピナトゥボが1番人気に支持され、パレスピアは3番人気だった。だが、その下馬評を覆して、ピナトゥボに1馬身差をつける勝利。一躍、3歳マイル王の座に躍り出た。

 そして、古馬混合戦であるジャックルマロワ賞に出走。昨年のセントジェームズパレスS、ムーランドロンシャン賞(G1)、今年のクイーンアンS(G1)でマイルG1・3勝のサーカスマキシマス、コロネーションS(G1)の勝ち馬で、仏オークス(G1)ではクビ差の2着だったアルパインスター、今年のイスパーン賞(G1)を制したペルシアンキングなど、強力なライバルが集まった。

 レースでは最後方に控えたパレスピアだったが、半マイルを過ぎたあたりから進出を開始。残り400mでアルパインスターに並んで先頭に立つと、そこからは2頭のデットヒートになるかと思われた。だが、すぐにパレスピアが抜け出し、3/4馬身差をつけてゴール。3着のサーカスマキシマスには5馬身差をつける快勝だった。

 ジャックルマロワ賞といえば、1998年に名マイラー・タイキシャトルが制したことで、日本でもお馴染みのレース。それ以外にもミエスク、ドバイミレニアム、ドバウィ、日本で種牡馬として活躍しているマクフィなども制した世界的な権威のあるマイルG1だ。

 そんな伝統あるジャックルマロワ賞を制したパレスピア。3歳マイル王から、世界のマイル王にステップアップして、今後はどれだけ無敗で勝ち星を伸ばすのかに注目が集まる。

「ゴスデン調教師×デットーリ騎手」と言えば、エネイブルのタッグでも有名だ。前日に行われたギヨームドルナノ賞(G2)を制した仏ダービー馬・ミシュリフも同タッグによる勝利。エネイブルが出走を予定している凱旋門賞(G1)より一足早く、フランスで2日連続の重賞ジャックを達成した。

 昨年での引退を撤回して、史上初の凱旋門賞3勝に挑戦するエネイブル。そのため、今年の凱旋門賞を最後に引退することが濃厚と見られている。ゴスデン厩舎を長きに渡り支えた屋台骨がいなくなる日も近そうだが、パレスピアという新星が出現したことで一安心だろう。

 パレスピアは10月17日にアスコット競馬場で行われるクイーンエリザベス2世S(G1)を最大目標にしている。ちなみに、凱旋門賞が行われるのは10月4日。10月の欧州競馬は「ゴスデン調教師×デットーリ騎手」の最強タッグが席巻するかもしれない。

【戦後75年】日本が取り組むべき残された「宿題」…朝鮮半島出身の元BC級戦犯に補償を

 コロナ禍のなかで迎えた75年目の「終戦の日」。実際に戦地で戦争を体験した人の多くは鬼籍に入り、生存者も90歳代の半ばを超え、生の証言を聞くことは難しくなっている。本土で空襲を経験した語り部も、もはや80歳代。歴史をどう未来に引き継ぐか、という課題に直面している同時に、日本社会が戦後の「宿題」をどれだけきちんと果たしてきたか、その優先順位も含めて点検しなければならない。

「受忍論」で退けられる民間人の戦争補償

 もっとも大きな「宿題」のひとつが、今なお海外にある遺骨の収集問題。厚労省によれば、海外戦没者のうち、いまだ収容されていない遺骨は約112万柱に上る。そのうち、「海没遺骨」と「相手国事情により収容が困難な遺骨」を除いた約59万柱が「未収容遺骨」となっている。

 また、空襲による民間人被害者の問題も、広島・長崎の原爆症以外はほとんど手つかずだ。

 原爆にしても、原爆投下後の「黒い雨」を浴びたのに被爆者健康手帳の交付申請を却下された人たちが起こした訴訟は、広島地裁が出した原告全面勝訴の判決を、政府の意向で国や県、広島市が控訴。引き続き裁判で争われることになった。提訴時の原告88人のうち、一審に要した4年の間に16人が亡くなった。現在、最高齢の原告は96歳(被爆時21歳)、最年少は75歳(同生後4カ月)という。

 軍人軍属にはなされる補償が、日本の民間人は受けられない。民間の空襲被害などの賠償を求めて起こした訴訟は、戦争の被害は「すべて国民がひとしく受忍しなければならない」という「受忍論」で退けられ、敗訴が確定している。しかも、補償を求める人たちに対して、「そんなにカネが欲しいのか」などと罵倒する手紙が何通も寄せられた、という。SNS上でも同趣旨のコメントが飛び交っている。しかし、同じ敗戦国のドイツやイタリアでは、民間人の戦争被害にも補償がなされている。私たちは「受忍論」を当たり前のように思い込まされ、思考停止に陥ってはいなかったか。再考してみる必要はあるように思う。

 民間人の戦争被害については、補償どころか、その実相すら明らかになっていない。8月16日付け毎日新聞によると、原爆を含む大規模空襲があった107自治体での死者数は約38万7000人。そのうち氏名がわかるのは6割に満たない約22万1300人にとどまる。十分な調査が尽くされておらず、正確な人数さえわからないのが現状、という。これでは、戦争の歴史を、将来にきちんと引き継ぐことができないのではないか。

 そして、きわめて早急な対応をなさねばならない「宿題」のひとつが、朝鮮半島や台湾出身の旧日本軍BC級戦犯への補償問題だ。彼らは、日本軍の軍人・軍属だった者として、戦後、連合国による軍事法廷で裁かれた。321人が捕虜虐待などの罪で有罪とされ、朝鮮半島出身の23人、台湾出身の26人は死刑になった。

 日本人の場合は、BC級戦犯も恩給の対象になり、刑死や獄死の遺族にも遺族年金が支給されるが、戦後、日本の国籍が失われた、朝鮮半島や台湾出身者は対象にされていない。

 2000年に朝鮮半島・台湾出身者の重度戦傷病者と戦没者の遺族を対象に、最高400万円の見舞金・弔慰金を支給する法律ができたが、BC級戦犯はその対象にはならなかった。

 結局のところ、彼らは日本人として軍務につき、そのことが罪に問われて刑罰を受けたのに、戦後は日本人ではなくなったとして、日本政府からなんの補償もなされないまま放置されてきたのだ。あまりにも理不尽というほかない。

理不尽かつ無責任な日本政府の対応

 この問題に当事者として取り組んできた李鶴来(イ・ハンネ)の手記『韓国人元BC級戦犯の訴え』(梨の木舎)によれば、現在の韓国・全羅南道の山村で生まれ育った李さんが、捕虜監視員として日本軍軍属となったのは1942(昭和17)年6月。17歳の時だった。

 訓練では、「生きて虜囚の辱めを受けず」の「戦陣訓」や「軍人勅諭」をたたき込まれた。捕虜の人道的な取り扱いを定めたジュネーブ条約などは、その存在すら教えられなかった。軍隊では暴力が横行し、殴られない日はなかった。「声が小さい」「姿勢が悪い」「立派な日本人にしてやる」などの名目でビンタを受ける毎日だった、という。

 その後、タイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道の建設現場に派遣された。この鉄道建設には連合国の捕虜約5万5000人が労働力として投入された。ジャングルを切り開く過酷な現場で、食料や医薬品も十分でなく、約1万3000名の捕虜が死亡した。そのほか、現地労働者約5万名のうち3万3000名も死亡したといわれ、「死の鉄道」と呼ばれた。

 宿舎の責任者として捕虜の監視にあたった李さんは、捕虜に規則違反行為があった時の対応を、こう書いている。

〈「適正」の方法は、やはりビンタでした。2~3回ビンタをして、反省させるといったものですが、教育の方法として日本軍では罪悪視されていなかったので、これが捕虜にとっては大変な恥辱だったことを私は知りませんでした〉

 そうした行為が、戦後、罪に問われることになった。捕虜虐待の容疑で拘束され、一度は釈放されたものの、再逮捕。「責任は私にある」として、裁判で証言してくれることになっていた日本人の上官は、裁判の前に死刑が執行されてしまった。李さんは、十分な打ち合わせもできないまま行われた裁判で、絞首刑を言い渡された。その後シンガポールのチャンギ刑務所で、死刑囚として収監。8カ月の間に多くの死刑囚を見送り、最後のひとりとなった後、突然「懲役20年への減刑」となる。

 1951年に日本人戦犯が順次送還され、李さんも8月に横浜に上陸。朝鮮戦争特需に沸く日本に、初めて「帰国」し、スガモ・プリズンに収容された。

 翌1952年4月にサンフランシスコ平和条約が発効すると、李さんは「日本人」ではなくなった。釈放を求めて裁判を起こしたが、認められなかった。一方、軍人恩給が復活したにもかかわらず、日本国籍を持っていない李さんは対象外とされた。日本人として刑罰を受け続けるのに、援護や補償は日本人ではないからと排除されたのだ。

 仮釈放されたのは1956年10月。仲間とタクシー会社を設立し、補償を求めて運動を始めた。1991年に李さんを含めた7人が、日本国に謝罪と補償を求める国家賠償訴訟を起こした。

 1審の東京地裁は、「国の立法政策に属する問題」として請求を棄却。東京高裁(1998年7月13日)は、控訴は棄却したものの、李さんたちが日本人に比べて「著しい不利益を受けていること」を認め、「適切な立法措置がとられるのが望ましい」「国政関与者において、この問題の早期解決を図るため適切な立法措置を講じることが期待される」と付言した。

 最高裁判決(1999年12月20日)も、請求は退け、「立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である」とした。李さんらの被害については、最高裁でも「半ば強制的に俘虜監視員に応募させられ……有無期及び極刑に処せられ、深刻かつ甚大な犠牲ないし損害を被った」として、その深刻さを認めている。

 以後、李さんたちは国会での立法を求める運動を展開した。2008年には民主党が特別給付金の支給を柱とする法案を衆議院に提出したが、審議未了で廃案となった。2016年には、超党派の日韓議員連盟で、1人260万円の特別給付金を出す法案をまとめたが、いまだに国会提出されないままだ。

 最高裁から「宿題」を与えられて20年以上が経つ。今なお立法措置がとられていないのは、いくらなんでも時間がかかりすぎだし、国家として無責任ではないか。

 これまで運動を引っ張ってきた李さんも、すでに95歳。時間はもう、あまり残されていない。急いで取り組むべき「宿題」だ。(文=江川紹子/ジャーナリスト)

●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か – 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。

江川紹子ジャーナル www.egawashoko.com、twitter:amneris84、Facebook:shokoeg

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 国際政治学者の三浦瑠麗氏のアマゾンプライムのCM出演をめぐって、ネット上で批判の声が高まり、アマプラ解約運動が巻き起こっている。  問題となっているのは、8月あたまから放送されているアマゾンプライムビデオのCM。以前から同CMに出演している松本人志の「プライムビデオ使う...

JRA 札幌記念(G2)マカヒキ「早熟説」を藤沢和雄調教師が否定!? 「ディープインパクト産駒は晩成」独自見解に復活のヒント?

 2016年の日本ダービー(G1)を制覇したマカヒキ(牡7歳、栗東・友道康夫厩舎)が、古馬になって勝てない苦しみを味わっている。陣営も苦労しているが、結果が伴わない。

 今週23日に札幌競馬場で行なわれる札幌記念(G2)に登録してきたが、秋のG1で復活するためにも、ここは復活のきっかけを掴みたい一戦だ。

 そもそも、なぜスランプに陥ってしまったのだろうか。

 早くから使われた牡馬のディープインパクト産駒は、3歳の秋以降にスランプになる傾向があるため、早熟だと指摘する声もある。2016年の日本ダービー2着馬サトノダイヤモンド、同3着馬ディーマジェスティもディープインパクト産駒であり、古馬になってG1どころか重賞レースでも苦しんでいた。

 そんな中、血統評論家の亀谷敬正氏は、著書『血統の教科書』(池田書店)で藤沢和雄調教師の言葉を借りて、ディープインパクト産駒の早熟説について解説している。

 藤沢和調教師といえば、ディープインパクトの姉レディブロンドを管理した経験があり、ディープインパクト産駒のスピルバーグを天皇賞秋(G1)で勝たせて、古馬になってG1制覇を果たした経験もある名伯楽だ。

「藤沢和調教師は『ディープインパクト産駒は晩成』と語った。さらに続けて、『ディープインパクトの血は、体ができ上がる前から走ることに前向きなので、早く走らせると反動が出る』という貴重な見解を示している」(亀谷敬正 血統の教科書より)

 著書によると2、3歳時のディープインパクト産駒は、体が能力に追いつかなくても走ってしまうようだ。また、3歳限定レースに能力を発揮するのは、米国色の強い繁殖牝馬との交配で生まれたディープインパクト産駒という亀谷氏の分析もあり、この辺りもマカヒキは合致する。

 つまり、近年のマカヒキの不振は早熟というよりも、3歳春からトップレベルで戦い続けた「反動」が出ている可能性もあるというわけだ。

 しかし、現役で走ることを選択した以上、陣営はどうにかしてマカヒキを復活させたいところだろう。昨年の大阪杯(G1)、ジャパンカップ(G1)ともに4着に入り、兆しは見せている。

 今回手綱を任されたのは、昨年の大阪杯で手綱を取った岩田康誠騎手だ。その大阪杯でも鞍上を務めて、重賞4戦中3着1回、4着1回とマカヒキと相性のいいジョッキーである。

「岩田康騎手は毎年夏になると函館、札幌に参戦しており、昨年は重賞で2着2回、今年はすでに3着2回と、北海道で存在感を示しています。

昨年の札幌記念は、サングレーザーを2着に持ってきており、その腕は鈍っていません。洋芝での騎乗は好結果が出ていますし、今年のマカヒキも楽しみです」(競馬記者)

 大阪杯後に放牧へ出されたマカヒキだが、7月中旬に栗東トレセンには帰厩し、順調に調整されている。友道康夫調教師も「馬体も若々しい」と調子のよさに手応えを感じているようだ。

 ディープインパクト産駒の早熟説よりも、「早使いの反動」というスランプ説のほうが正しいのであれば、マカヒキにはまだ復活の余地が残されている。

 札幌記念は、岩田康騎手のリードでマカヒキの復活を願いたいところだ。

JRA武豊「誤算続き」に抗えぬ世代交代の波!? 松山弘平と直接対決に敗れてリーディングでも逆転許す

 15日から開催が始まった小倉競馬は、絶好の馬場状態で行われたこともあり、好時計での決着が頻発した。

 1200m戦ではハイペースでも圧倒的に前残りする一方、中距離戦ではペースが上がると一転して差しが決まったように両極端な傾向。小倉で騎乗している騎手にとってはペースと展開の見極めが求められた。

 この特殊な馬場傾向は、前開催までの騎手リーディングで71勝の3位につけていた武豊騎手と、68勝で5位だった松山弘平騎手の直接対決でも大きく影響した。

 土曜の松山騎手は人気馬で3勝を挙げて堅実に勝ち数を加算。この時点で未勝利に終わった武豊騎手の71勝と並んだ。日曜にはそれぞれ1勝を挙げて72勝で臨んだのが10Rの博多Sだった。

 9頭立てで行われたレースで松山騎手は単勝1.7倍の圧倒的1番人気カセドラルベルに騎乗。武豊騎手は3番人気マルシュロレーヌに騎乗した。

 レースはマイネルウィルトスが意表を突く逃げの手に出たこともあり、1000m通過58秒4とハイペース。8番マルシュロレーヌ、9番カセドラルベル、ともに8枠に入った2頭で強気の騎乗を見せたのが松山騎手だった。

 2頭のスタートは五分。馬の行く気に任せた武豊騎手に対して、松山騎手は好位の競馬に拘った。外目の3番手をキープすると、ピッチが上がっても手綱は緩めない。4コーナー入り口でも、ロスのないコーナーワークで直線を早めの先頭で押し切った。

 武豊騎手は出たなりの位置取りのまま、中団やや後方から動かず。直線で猛追を見せたものの、わずかにクビ差及ばない2着と惜敗した。自分から動いた松山騎手と動かなかった武豊騎手の積極性の違いが、そのまま着順に反映されたといえるかもしれない。

 迷走するレジェンドはこの日のメーン・小倉記念でも、ペース判断を誤る失態を犯してしまう。

 奇しくも直前に行われた博多Sと同じく芝2000mの重賞で、レジェンド騎手は一転して積極策を選択。1000m通過58秒1で流れ、ハイペースとなったレースを直線入り口で先頭に立つ大誤算。3コーナー過ぎから抜群の手応えで、外を捲くって来たロードクエストに動かされたとはいえ、明らかな早仕掛け。直線半ばで力尽き、差し馬の餌食となってしまった。

 これには武豊騎手もレース後に「3コーナーでまくってきた馬がいたのが痛かった」とコメントしたが、このときすでにハイペースの3番手にいた事実に変わりはない。ペース判断を誤ったと見られても致し方ないだろう。

 武豊騎手が1番人気ランブリングアレーで6着と敗れた一方で、6番人気サトノガーネットを2着に好走させたのが松山騎手だ。

 惜しくも2着に敗れたとはいえ、「流れが速くなれば、差しも決まると思って、あの位置から進めました」と振り返った。しっかりとペースと展開を考えた上での好騎乗だったといえる。

「武豊騎手としては、後手に回って敗れた直前のレースのイメージが強く残っていたのかもしれません。レース後に『脚色が一緒になってしまった』とコメントしていましたが、武豊騎手ほどのベテランならば、松山騎手の好騎乗にやられたという印象はあったでしょう。

引き続き同じ距離で行われた小倉記念で積極的な騎乗を試みたことには、そういった心情も少なからず影響していたかもしれません。ペース判断や展開の読みが抜群の武豊騎手にしては、珍しく読み違いが続いてしまいました」(競馬記者)

 先週の開催を終えて、騎手リーディングでも新潟で勝ち星を伸ばした福永祐一騎手が3位。松山騎手は73勝で4位に浮上し、武豊騎手は72勝の5位と後退。気が付けば、リーディングを目指すどころか札幌で8勝と大暴れをした横山武史騎手の足音すら大きくなっている。

 トゥラヴェスーラとコンビを組む今週の北九州記念(G3)では、貫録を見せることが出来るだろうか。

キンプリ・岸優太への“イジリ”が酷すぎる!? 「体臭イジリ」「大量ワサビ」……イジメを危惧するファンも

 King & Princeの最年長リーダー・岸優太への“総攻撃”が止まらない。

 8月6日発売の雑誌『POTATO』(ワン・パブリッシング)で、岸が舞台裏でスベリまくっているというエピソードを披露したキンプリ。メンバーの平野紫耀は「つまらないギャグで楽屋の温度を氷点下にしちゃう」と語り、さらに永瀬廉も「たまに場が凍る」と指摘していたが、そうした“岸イジリ”が一部ファンの間で物議を醸しているという。

「永瀬によると、岸がすべって現場を凍らせた後に『すみません!!』と謝罪するまでの流れがワンセットで、そうしたネタで楽屋内を盛り上げているみたいです。いわゆるお笑い芸人の“スベリ芸”的な扱いのようですから、彼らにとってはじゃれ合いの一環なのでしょう。

しかし、ネット上では『仲でも悪いの?(笑)』『そこまで言わなくてもいいのに』といった不安の声が上がっており、またイジリ方があまりにハードなため、熱心な岸ファンは複雑な心境の様子。中には、岸のメンタル面を心配する人間もいるようです」(芸能ライター)

 時間さえ合えば一緒に食事に出かけるなど、プライベートでも親交があるというキンプリだが、7月30日放送のバラエティ番組『櫻井・有吉 THE夜会』(TBS系)では、岸の“体臭”をイジる場面があり、そこでもファンの不安を煽ってしまったという。

「永瀬は、メンバーの匂いを嗅ぎ分けられるという特技を披露したのですが、スタッフから『苦手な匂いのメンバーは誰?』と問われると、『調子悪い時の岸さんの匂いは、僕は嫌いです』と顔をしかめながら答えていたんです。

一応、岸の臭いの特徴について『実家のような安心感がある』とフォローしていましたが、嫌いになるほどのニオイってよっぽどですよね。場合によっては『相当クサい』という印象を植え付けかねないですし、仮にも若手トップクラスのアイドルですから、イジリ方を“もう少し考えるべき”と指摘する意見も少なくないです」(同)

 シングル曲『Memorial』のDVD特典では、大量のワサビが入った特製ケーキを岸に食べさせるという、イジリの域を超えるようなドッキリも。芸人ではあるまいし、アイドルらしい微笑ましいネタでファンを喜ばせてほしいところだが……。

パチンコ「平均で5500発」の一撃性!? コンテンツや演出の在り方を問う「極エンターテイメント」マシン!

 若い頃、別に菅野美穂ファンでもないのだが、何を思ったかイグアナを飼っていたことがある。イグアナといえば見た目がいかつい爬虫類なので、めちゃめちゃ虫とか食べそうなのだが、実はチンゲン菜とか小松菜などの野菜を好む。

 そして、意外なのがハイビスカスが好きなのである。人生で初めて買ったハイビスカス。イグアナがぐいぐい食べていた。思えばこの時期、30パイの光りも鈍かったかもしれない。一時期の溺愛によってこすれば光るハイビスカスが、うんともすんとも言わないのである。あれはイグアナの祟りだったのかもしれない。

 ただ、どんなに嫌われようと私がハイビスカスから離れることはない。演出にハイビスカスが付いている機種なら種類やタイプ、スペックを問わずにいつでも一定以上に楽しむことができるのである。

 そんなハイビスカスの魅力を今一番堪能できるのが『Pデカビスカス』なのである。

 盤面に咲いた巨大なハイビスカスの花。その下に設置された14段階のメーター。アンテナの感度が高いパチンコマニアなら一目見ただけで、「絶対面白い」と気づくであろうし、事実、面白いのである。

 ハイビスカスが搭載された幾千のマシン同様、ハイビスカスが光れば大当りとなる期待を裏切らないゲーム性となっている。

 そのハイビスカスを光らすためにはまず、盤面左にあるクルーンを狙い打つ。クルーンにはひとつの穴だけ穿たれていて、入賞すれば必ずその下部に設置された「GO」チャッカーの方向へ排出されるが、途中にある風車の加減で入賞したりしなかったり、やきもきさせられる。

「GO」にはいれば大当り抽選の開始。となるが、本機の抽選表示は液晶や7セグといった通常のデジタル機器ではなく、巨大なメーター役物がリーチの代わりとなるのである。

 このメーターが14目盛りまで上昇し、大当りの最終当否演出の結果、ハイビスカス光る、といったプロセスとなっていて、いうなれば欽ちゃんの仮装大賞メソッドなのである。14まで行って外れた後は当然「子どもたちがんばったよ。点入れてあげてよ」と懇願したくなるのである。

 それはさておき、このメーターがマックスまでいってランプが光るかどうかといった極めて単純な演出がそれだけでめちゃめちゃ楽しいのである。


 もちろん、ランプや音、ボタンなどの演出要素が組み合わさってのことであるが、私くらいの妄想ニストになると、魚群もキセルも役物ガッシャーンもいらず、メーターの浮沈と間だけで行間を埋め、興奮できるのである。

 このように、わずか14個のメーターランプには無限に読み取れる物語が詰まっているのであるが、それを可能にしているのが1/26.99という大当り確率である。いつ当たってもおかしくない、この確率が妄想とモチベーションの持続を可能にするのである。

 そして、当れば平均で5610発ほどの出玉が得られる一撃性も必要不可欠である。このリターンの存在がドキドキ感を増幅させる機能を果たしているのである。

 夏に一花咲かせてみてはいかが?

(文=大森町男)

JRA札幌記念、ラッキーライラック前走まさかの6着は想定内!? 宝塚記念の敗因は「馬場」にあらず……、勝負買い目とお宝穴馬3頭!

 夏競馬で唯一のG2競走である札幌記念。昨年はブラストワンピース、フィエールマン、ワグネリアンといった豪華メンバーが集結した夏競馬で最注目のレースと言っても過言ではないだろう。

 しかし、今年の出走メンバーはラッキーライラック「1強」の様相となっている。

 昨年のエリザベス女王杯(G1)で復活の勝利、そして今年の大阪杯(G1)で牡馬相手に勝利して、覚醒を印象付けたラッキーライラック。今回、他にもノームコア、マカヒキ、ペルシアンナイトというG1馬が出走を予定しているが、現在の勢いを考慮すれば、ラッキーライラックが抜けた存在と言えるはずだ。

 つまり、ラッキーライラックの人気が一本かぶりすることは目に見えている。圧倒的人気馬は配当妙味が少ない上に、必ず勝つとは限らない危険をはらんでいることを忘れてはならない。

 実際に、今年の安田記念(G1)では単勝1.3倍の圧倒的な支持を集めたアーモンドアイがまさかの敗戦。その結果、上位人気3頭による決着にもかかわらず、3連単は「万馬券」超えとなった。そして、今回圧倒的人気を集めるであろうラッキーライラックは前走の宝塚記念(G1)で3番人気ながら6着に凡走しているのだ。

 驚くことに、このラッキーライラックの敗戦は、競馬情報のプロフェッショナル集団「ホースメン会議」にとって「想定内」だったようである。

「今年の宝塚記念はレースの1時間前に降った雨の影響で、馬場状態は『良』から『稍重』に変わったことが結果を大きく左右したと思われています。1番人気サートゥルナーリアは道悪に泣き、それに対して2番人気クロノジェネシスは道悪を味方につけて勝利を挙げました。

 ラッキーライラックも馬場が影響しての敗戦と見られがちですが、それ以前に『状態面が万全ではない』という情報がありました。我々としては戦前からあまり評価が高くなかったため、決して驚きの敗戦というわけではありません」(関係者)

 ホースメン会議にとって、ラッキーライラックが宝塚記念で敗れたことは見立て通り。その一方で、中山記念(G2)は勝負気配との情報から3連単1万2020円を的中している。どちらも表面的には上位人気に支持されていたが、内情は違ったようだ。表に出ない情報こそが馬券攻略のカギと言えるのだろう。

 これには大阪スポーツの本紙を37年にわたって担当し「関西記者クラブのレジェンド」と呼ばれる米原聡氏が、ホースメン会議のメンバーに名を連ねていることが大きく影響しているようだ。

 ラッキーライラックを管理する松永幹夫調教師は、かつて栗東所属の騎手として大活躍した名手でもある。天覧競馬となった2005年の天皇賞・秋(G1)をヘヴンリーロマンスで制し、馬上で最敬礼した姿は競馬史に残る名シーンだ。そんな松永調教師を騎手時代から知る米原氏を擁するホースメン会議の情報は、ラッキーライラックの「取捨」を決定づけるに十分だったに違いない。

 また、ホースメン会議の情報がいかに現場に精通したものであるのか裏付けがある。これはほんの一例に過ぎないのだが、穴馬を見抜いての的中例を紹介したい。

 6月6日に行われた阪神12Rは単勝オッズ1.8倍の圧倒的1番人気が1着、2着は4番人気という堅めの決着となった。だが、3着には13番人気サンビショップが入る波乱。今年、5走して一度も馬券に絡んだことのない8歳馬と、人気薄になって当然の存在だった。

それでも、ホースメン会議の情報網に「激走気配」という強力ネタが入ったことで、見事に3連単「4万430円」を的中しているのだ。

 “競馬の神様”と呼ばれた故大川慶次郎氏が設立したホースメン会議。米原氏以外にも、日刊スポーツの本紙予想を25年にわたって務めた堀内泰夫氏、総監督を務める能勢俊介氏は競馬専門チャンネルやラジオで解説を歴任している大物だ。さらには皐月賞(G1)や有馬記念(G1)を制した元JRA騎手の東信二氏、騎手と厩舎を繋ぐ仕事である現役エージェント、某大手牧場スタッフなど、多くの「情報通」関係者が在籍している。その結果、世間には明らかにされない「マル秘情報」が入手できるというわけだ。

「最強軍団」と「マル秘情報」が相まって実現できる予想は超強力。人気馬の的確な取捨と同時に、勝負気配漂う人気薄を拾えるという夢のようなものだ。

 特に今年の札幌記念では、ラッキーライラックを除いた出走予定馬は混戦模様となっている。ラッキーライラックの取捨はもちろんだが、どの馬を拾うべきかも非常に重要になるはずだ。多くのファンが頭を抱えることになるのではないだろうか。

 そこでホースメン会議から朗報がある。なんと、「お宝馬穴馬3頭」を含めた札幌記念の買い目を「無料公開」するという。しかも、万が一、不的中だった場合は有馬記念まで年内のG1と重賞情報を無料で公開するというのだ。まだ秋G1が始まってもいないタイミングで、有馬記念までの情報提供を約束するということは、よほど札幌記念の予想に自信があるということの証拠だろう。

 ただ闇雲に馬券を買うのと、強力情報という武器を手にして馬券攻略に挑むのとでは、全く結果は異なるはず。今回の無料公開というビッグチャンスに乗っかり、秋のG1戦線に向けて弾みをつけてみてはいかがだろうか。

(文=編集部)

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※本稿はPR記事です。

かんぽ不正から1年、変われない日本郵政の病巣…土光敏夫“社長”なら、こう再建する

「週刊ポスト」(小学館/8月14・21合併特大号)で「窮地のニッポン企業を任せたい 昭和の名経営者」という企画で「日本郵政社長が土光敏夫だったら」を書いた。スペースの都合で、半分以上、削られてしまった。とても面白い企画なので、当サイトの読者にもぜひ、お読みいただきたいと思う。

土光敏夫とはどんな人物か

「メザシの土光さん」が、一躍有名になったのは、1982年の夏に放映された『NHK特集 85歳の執念 行革の顔 土光敏夫』というテレビ番組だった。行政改革を推進する宣伝として企画されたが、番組を観た人々が驚いたのは、土光の私生活の見事なまでの「つつましさ」にあった。横浜市鶴見区の古びた小さな家に住んで、散髪は自宅で息子が行う。つぎはぎだらけの帽子。戦前から使用しているクシ。使い古された歯磨き用コップ。農作業用のズボンのベルト代わりに古びたネクタイ。そして、妻と二人きりでメザシと麦飯の夕食。これが「メザシの土光さん」のイメージを定着させた。

 5000万円近い年収のうち、1カ月の生活費に使われるのは10万円程度しかない。収入のほとんどは、母親が創立した橘学苑(現・橘学苑中学・高校)という女子中学校のためになげうった。「財界総理」と呼ばれた経団連会長まで務めた土光のあまりに清貧な生き方は、国民に感動を与えた。

 土光は1950年6月、石川島重工業(社長時代の60年に播磨造船所を電撃的に合併。石川島播磨重工業となる。現・IHI)の社長に就任。進水量で世界一の造船会社にした。「財界総理」の異名をとる経団連会長の石坂泰三が、その手腕を買って、土光に東芝の再建を頼んだ。土光は1965年5月、東芝社長に就任した。

 74年5月から80年5月まで第4代経団連会長を2期6年にわたって務め、81年第二次臨時行政調査会長に就任。三公社(国鉄、専売公社、電電公社)の民営化路線を打ち出した。土光は「増税なき財政再建」を基本理念とした最終報告書をまとめた。82年に首相に就任した中曽根康弘が「臨調の答申を必ず実行する」と約束したことから、土光は行革に邁進した。

 こうした経歴から見ると、正統派財界人にみえるが、財界本流とは距離を置いた異端児。実直な人柄と余人の追随を許さない抜群の行動力、そして質素な生活から「ミスター合理化」「荒法師」「怒号敏夫」「行革の鬼」「メザシの土光さん」の異名がついた。

 土光が日本郵政グループを経営したら、どうなるか。石川島播磨と東芝でとった行動を見ればわかる。

土光の行動原理:機先を制する

 山本五十六連合艦隊司令長官の「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という言葉を好む土光の打った手は、徹底した合理化の率先垂範だった。石川島重工の社長に就任するとすぐに、役員だけでなく、一般社員が持っていた伝票や領収書の類をことごとく社長室に運び込ませた。伝票の山をバックに社員の1人1人を順番に呼び入れた。脛にキズもつ社員は多い。社内はパニック状態となった。

 効果はてきめんだった。翌月から経費は、半分から3分の1に減った。社長が自ら伝票をチェックしたという伝説が生まれたが、土光氏は後日、「伝票や領収書をただ集めただけのこと。目を通していない」と打ち明けている。相手の機先を制する威嚇戦術で人心を掌握した。

 東芝でも機先を制した。土光を迎える東芝の役員室の雰囲気は冷ややかなものだった。誰も口をきかない。それでも一度やると引き受けた以上、とことんやり抜くのが、土光の真骨頂だ。社長就任して初の取締役会で、役員たちを一喝した言葉は、今では語り草になっている。

「社員諸君には、これまでの3倍働いてもらう。役員は10倍働け。私はそれ以上働く」

 当時の重役クラスは朝10時ごろ出勤し、夜は銀座で接待を受けるのが当たり前だった。そんなだらけた雰囲気を一掃し、先陣を切って働くと土光は宣言したのである。

 東芝改革では一切の遠慮と妥協を断ち切った。それを象徴するのが“岩下御殿”と呼ばれる前社長の岩下文雄の社長室の打ちこわし作業だった。「ガーン、ガーン、バリバリ……」と、耳をつんざく社長室解体工事の大騒音がぬるま湯体質の東芝の風土を粉砕した。公約通り、土光は率先垂範して10倍以上働いた。午前4時に起床、仏間で30分、読経(土光は日蓮宗の熱心な信者だった)。それから散歩して庭で木刀の素振り、野菜ジュースとヨーグルトの朝食をとって7時半に出社。ゴルフもやらず、料亭も大嫌い。朝早くから夜遅くまで働きづめで、無駄な時間を過ごすことはなかった。

土光の人生哲学:根性と執念の人

「会社で働くなら知恵を出せ。知恵のないものは汗を出せ。汗も出ないものは静かに去って行け」

 元祖モーレツ経営者である土光は、部下に会社人間になることを求めた。部長クラスに対するしごきはすさまじかった。無理難題と思われることでも要求し、できなければ口汚くののしった。今なら、パワハラで問題になりかねないところだ。

「何だ、これしきのことが、まだできないのか。そんなに役立たずなら、もう死んでしまっていい……」

 これには“殿様気風”の強い東芝マンは誰もが落ち込んでしまう。気の弱い管理職が次々とノイローゼにかかったのも無理はない。役員人事に際し土光は役員候補にこう申し渡した。

「君を役員に推薦したいのだが、もし役員になると家庭生活が完全に犠牲になる。その覚悟があるかどうか。奥さんとよく相談して、一週間後に返事をしてくれたまえ」

 もちろん、役員候補は全員、受諾すると報告をした。晴れて名門東芝の取締役になれるからだ。ところが、数カ月もたたず脱落する人が相次いだ。それほど土光の“管理職しごき”はすさまじかった。大きな仕事を示されると、「できない、無理、難しい」と拒否反応を示し、その理由をあれこれ述べるサラリーマンは少なくない。土光は、「個人の能力には大きな差はなく、あるのは根性と持続力の差だ」と言っている。東芝の経営再建を見事にやり遂げた土光ほど「執念」という言葉が似つかわしい経営者はいない。

 有名な言葉を残している。「やるべきことが決まったならば、執念をもってとことんまで押しつめよ。問題は能力の限界ではなく、執念の欠如である」。けだし名言である。

土光の経営観:インテリ経営者ほど優柔不断で、決断と実行力に欠ける

「私はどのようなポストでも、一度引き受けたからには全知全能を傾けて全うします」

 土光は、根性と執念の人だった。理路整然と卓説を論じるインテリでは、決してなかった。そのため、石坂に推されて経団連会長になった時、インテリを自認する知性派財界人とは肌が合わなかった。モーレツ教教祖の土光の気迫と迫力に圧倒され、息苦しさを覚えたのだろう。「書生っぽ」と批判する土光嫌いの財界人は少なくなかった。

 土光は、そんな口舌の徒のインテリを心底嫌った。「大学卒はろくな奴がいない。とくにエリート大学出の秀才面をしている奴がいけない」というのが本心だった。土光は、インテリ経営者ほど優柔不断で、決断と実行力に欠ける人種はいないと見ていた。日本郵政グループの歴代トップは、まさに決断と実行力が欠如していた。

 現在、高学歴社会になって、土光が嫌ったインテリ経営者ばかりになった。日本経済が長い低迷から浮上できないのは、「メザシの土光さん」の根性と執念を失ったことに根ざしているといっても間違いはないだろう。

日本郵政の宿痾:ガバナンス(企業統治)不全

 かんぽ生命保険の不正発覚から1年が過ぎ、日本郵政グループは保険営業の再開の道を探り始めた。ただ、全容の解明にほど遠い。不正の横行を経営陣はなぜ見過ごしたのか。

 保険料の二重徴収などかんぽの不適切販売問題の原因究明にあたる特別調査委員会は昨年12月、ガバナンス(企業統治)不全を原因の1つとする報告書を公表した。鈴木茂樹総務事務次官(辞任)による日本郵政への行政処分情報の漏洩は、2007年に民営化した日本郵政グループが今なお総務省ともたれ合う構図を浮き彫りにした。監督官庁と企業は適切な距離を保たなければ、ガバナンスは働かない。

 鈴木総務事務次官から、極めて秘匿性の高い内部情報が日本郵政の鈴木康雄上級副社長に伝わっていた。鈴木副社長は1973年に旧郵政省に入省。2009年総務次官に就いた。13年から郵政の副社長を務め、郵政グループの人事を取り仕切るなど実権を握ってきた。実質的に日本郵政グループの“社長”だった。

 10年に退官後も「郵政のドン」と呼ばれる鈴木副社長は現役次官を上回る影響力を持っているといわれていた。郵政がかんぽ問題を報じたNHKに抗議した際の中心人物。NHKの取材手法を「まるで暴力団」と発言し、物議をかもした。

 高市早苗総務相は記者会見で「郵政グループの取締役クラスに旧郵政省採用のOBが入ることはマイナス」と指摘した。日本郵政、日本郵便、かんぽ生命の3社長と、実質的な最高権力者であった鈴木副社長が辞任した。

 2020年1月、元総務大臣の増田寛也が、日本郵政の社長に就任。取締役会は社外取締役で構成される体制に移行した。日本郵政が6月に開いた株主総会では、株主から「社外取締役は経営の監督・チェック機能を果たしているのか」と質問が飛んだ。社長の増田は、「問題を早期に把握し対処できなかった大きな要因に、適時に必要な情報が社外取締役に伝わっていなかったことがある」と強調し、以前からの社外取締役の多くが再任された。そこには、日本郵政グループのガバナンスを回復させるという熱意と迫力が感じられなかった。日本郵政グループの腐敗の一因は社外取締役がまったく機能していないところにあった。

土光敏夫ならどう変える。どう変わる:結論は日本郵政グループの完全民営化

 土光が日本郵政社長だったらどう変えるかだ。どんなポストでも根性と執念でやり遂げるのが土光流だ。彼が日本郵政の社長を引き受けたら、日本郵政グループの完全民営化に「全知全能」を傾ける。日本郵政とかんぽ生命、ゆうちょ銀行の株価は一連のスキャンダルで大幅に下落したままだ。マーケット(投資家)は、日本郵政グループは「成長性が乏しく、投資の対象ではない」とクールに判断している。

 現在、日本郵政への政府の出資比率は57%。本来なら昨年秋に株式の売り出しを行い、民営化法が定める3分の1超まで出資比率を下げるはずだった。日本郵政はかんぽ生命の株式の64%を保有する。ゆうちょ銀行は同88%である。日本郵政の出資比率が過半の現状のままで、新しいことをやろうとすると、「民業圧迫」と非難される。かんぽ生命、ゆうちょ銀行は新商品の認可などに大きな制約がある。だから、同比率を5割未満にすることを目指してきた。しかし、株価が低迷しており、それすらおぼつかない。

 株価低迷はそもそも3社同時上場という、ボタンのかけ違えに起因する。日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の日本郵政グループ3社は15年11月、東証1部に同時上場した。だが、これに欧米の機関投資家は拒否反応を示した。持ち株会社の日本郵政と、その完全子会社の金融2社の同時上場を目指す“親子上場”に「ノー」を突きつけた。

 東芝出身の社長の西室泰三(当時)が3社同時上場を強行したのは、売却益を東日本大震災の復興財源に充てるとする政府の意向を忖度したからだ。親会社、日本郵政の上場だけでは復興財源を確保できなかった。勲章ハンターの西室は安倍晋三政権に逆らう気は、さらさらなかった。利益相反を防ぐという観点から親子上場は歓迎されない。これが株価低迷の根本的要因であることを知るべきだ。

 東芝は第2代経団連会長の石坂泰三、第4代会長の土光敏夫を輩出したが、その後は新日本製鐵、東京電力、トヨタ自動車の経団連御三家の時代が続いた。西室は東芝から3人目の経団連会長になるという野望を抱く。だが、なれなかった。やむなく、日本郵政の社長に転じた。国鉄、電電公社、専売公社の民営化で、土光は歴史に名を残した。西室は郵政民営化で歴史の一ページを飾るという野心に燃えたが、見事に失敗。ガバナンス不全という負の遺産を残しただけで終わった。

 東芝は2015年4月、粉飾決算(全国紙など経済ジャーナリズムは不正会計問題と書くが、粉飾決算である)が発覚。ガバナンスの不全が明らかになった。同年6月25日、東芝は暫定的な株主総会を開いた。監査法人が決算を承認しなかったからである。株主から「現場を直視した土光さんの時代に戻って欲しい」との声が相次いだ。創業以来最大の危機に陥った東芝が今、必要とするのは土光さんだった。

 土光が日本郵政の再生に乗り出していたら、どう変わっているのだろうか。機先を制する威嚇の術で、取締役会の主導権を握る。「エリート大学出の秀才面した奴」が、大嫌いな土光は、学歴に関係なく、執念のある人物を執行役員に抜擢し、日本郵政グループの完全民営化のスキームを立案させる。総務省ともたれあうことから切り離す完全民営化へ向けて、抜群の行動力を発揮するだろう。石播や東芝、臨調で見せた実行力があればできる。

ラッキーな男

 土光は“日本株式会社”が金融引き締めによる大不況に喘いでいた1950年6月24日に、石川島重工業の再建社長に石坂に請われて就任した。土光、54歳の時である。その翌日の6月25日、朝鮮戦争が勃発した。朝鮮戦争特需が、その後の日本経済復興に大きく貢献した。朝鮮戦争特需で石川島は息を吹き返した。

 東京オリンピック特需の反動による「昭和40年不況」の最中に東芝の再建社長に就いた時(これも石坂の推薦だった)も、またまた幸運の女神がほほ笑んだ。まもなく「いざなぎ景気」が到来したからである。無事、再建を果たし、第4代経団連会長に推されたのである(もちろんこれも石坂の指名である)。石坂はこの時、経団連会長就任を固辞する土光にこう言った。「君は大工の棟梁としては一流になったが、このまま終わるつもりかね。樹木と同じで、人生には必ず節目がある。これからは一企業の枠を超えて、国家という巨大なビルづくりをやってみてはどうか」。

 土光は第4代経団連会長に就いた。77歳の遅咲きの「財界総理」であったが、「行動する財界」に変身させる使命を帯びていた。この時もラッキーだった。日本経済は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれる黄金期を迎えていた。

 土光は自ら持ち株会社、日本郵政の社長兼CEOとなり、かんぽ生命、ゆうちょ銀行、日本郵便(非上場)の各子会社の社長にラッキー(幸運)な星のもとに生まれた経営者を充てるだろう。火中の栗を拾うという気概を持った男を学歴に関係なく起用する。

具体的な処方箋はズバリこうだ

 日本郵便の全国一律サービスの扱いをどうするか。過疎地域では郵便局が唯一の金融機関という現実を無視できない。郵便局員のフットワークを活用して訪問介護、弁当の宅配などの事業への進出。先進的な企業との提携などを検討する。郵便事業の将来展望をきちんと示す。土光なら「やれないことは(民間企業では)やれない」とはっきり言うだろう。あいまいにはしない。国民に過大な期待を抱かせることはない。

 NTTがやったが、東日本、西日本に2分割する案もある。日本郵便東日本、同西日本にして効率化を図る。特に西日本の効率化が必要になる。持ち株会社、日本郵政のガバナンスの強化。役人出身の社長ではダメ。現社長の増田は元総務大臣。自公に担がれ東京都知事選に出て小池百合子・都知事に惨敗した。役人上がりだし、ラッキーな男でもない。民間企業の成功体験を持つ経営者を引っ張ってきて、ゆうちょ銀行、かんぽ生命、日本郵便のトップを刷新する。土光ならできる。

 日本郵政のゆうちょ銀行、かんぽ生命への利益依存度を下げる。ゆうちょ銀行、かんぽ生命はどうやって生き残るのか。日銀がマイナス金利を導入し、厳しい経営環境下にあるが、どう稼ぐかを考える。金融界のトップクラスの人材を土光はスカウトしてくるだろう。日本郵便に関しては全国一律サービスを続ける場合の費用負担について政府・地方自治体と本音で話し合う必要がある。

 日本郵政グループは不動産を多数、保有しているが、効率良く使われているとはいいがたい。都市部の一等地にある大きな郵便局(中央郵便局)の不動産を、早急に有効活用すべきである。この実現のためには、大手不動産会社との業務提携が必要になる。日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の政府保有株の放出を早める。そのためには株価を上昇させる必要があるのは、これまで書いた通りだ。

 日本郵政の大型M&Aの失敗を生きた教訓とする。豪州の物流大手、トール・ホールディングスを6000億円の巨額資金を投下して子会社にしたのは、西室泰三だった。「日本郵政グループに高い成長を牽引する機関車がいない」という海外の機関投資家の指摘に敏感に反応した結果、M&A市場に棚ざらしになっていたトールに飛びついたのだ。日本郵政グループは2015年11月に株式上場を果たしたが、同年2月にトールの買収を決定している。上場するにあたって企業実態を良く見せるために巨額のM&Aに踏み切ったわけだが、見事にすってんころりんした。時間をM&A、すなわちカネで買う戦略だったが、協業による相乗効果をあげられず、日本郵政は17年3月期に約4000億円の減損損失を計上。300億円弱の最終赤字に転落した。現在、トールの売却話が急浮上している。

 土光だったら、完全民営化が最終ゴールだとしても、日本郵政、かんぽ生命、ゆうちょ銀行の3社同時上場に待ったをかけたかもしれない。少なくとも熟慮したはずだ。そうすれば失敗することがわかっていたトールを常識外の高値で、慌てて買うこともなかった。

(文=有森隆/ジャーナリスト、文中敬称略)

新型コロナがもたらす「リモコンライフ」 その本質を探る

お互いの距離は離れていても、テクノロジーを上手に使うことで、今までよりも近くに感じられる。ちょっとした発想の転換で、まったく新たなつながりが生まれる。新型コロナをきっかけにして始まりつつある新しいライフスタイルは「リモコンライフ」(Remote Connection Life)といえるものなのかもしれません。リモコンライフは、Remote Communication Lifeであり、Remote Comfortable Lifeも生み出していく。そうした離れながらつながっていくライフスタイルの「未来図」を、雑誌の編集長と電通のクリエイターが一緒に考えていく連載が、近々、はじまります。

連載の開始を前に、担当の野澤友宏氏(1CRP局)に聞きました。


何げなく過ごしていった先の「ライフスタイルの未来図」

新型コロナウイルスは、私たちの生活にどんな影響を及ぼすのか?新型コロナウイルスの影響で、今後、世界はどう変化するのか?といったような書き出しの文章を、この数カ月どれだけ目にしてきたことか。

アフターコロナ・withコロナについては、AIなどの技術革新からの考察や若者たちの意識変化など、数え切れないほどのリサーチとレポートが世界中にあふれています。さまざまな情報は飛び交っているけれど、では、具体的に日々の暮らしの何がどう変わるのか、「暮らし方」について真正面に取り組んでいるものは少ない気がしています。

野澤氏写真

AIや5Gがもたらす未来を大げさに語るものでもなければ、世界情勢を読み解いて危機をあおるものでもなく。私たちが何げなく生活していく先の、さりげなく起こりそうな変化を予測することの意味は決して小さくないと思っています。暮らしの中にまぎれた、ささいな変化にこそ、実は、大きなビジネスチャンスが隠れている。日々の心の変化にこそ、時代を大きく変える兆しがあるように思うのです。

リモコンライフロゴ

雑誌の編集長の皆さんから話を聞いて、エピソードに落とし込む

そうした新しいライフスタイルを、僕らチームは仮に「リモコンライフ」と名付けてみました。リモコンのリモは、もちろん「リモート」のリモです。コンには、コネクションの他、コニュニケーション、カンフォタブルなど、リモートによって広がっていくであろう新しい生活イメージのコンセプトを込めてみました。

「ライフスタイルの未来図」をつくるに当たって、われわれチームは三つのことにチャレンジしようと考えています。

一つは、常に「今」を見つめ続けている雑誌の編集長の皆さんの知恵をお借りすることで、まずは全10誌。いずれも、ライフスタイルを語る上で欠かせない雑誌を想定。多忙な編集長の皆さんに時間を頂き、新型コロナをきっかけにして何が変わり、何が変わらないのか、独自の視点で語っていただく予定です。

二つ目は、編集長の皆さんから頂いた示唆をもとに想像力を膨らませ、ほんの数カ月後の未来をシミュレーションすること。チームでさまざまなキーワードを抽出しながら、具体的で分かりやすいエピソードをつくっていこうと考えています。

キーワードは「離れながら、つながっていく」

三つ目は、これから起こりうる「新しいライフスタイル」に名前をつけることで、それが最初にご紹介した「リモコンライフ」(Remote Connection Life)です。

「離れながらつながっていく」新しいライフスタイル。今を、そしてこれからの生活を表すシンボルでもあり、これから向かう先を示す指針にもなるような呼び方はないものか…。STAY HOMEが叫ばれる中でも、新しいコミュニケーションや生活の楽しみ方がたくさんある。編集長の皆さんから話を伺う中でいただいたたくさんのヒントから、思いついたワードです。

「物理的な距離」と「テクノロジー」と「心」の関係。「発想の転換」から生まれる「新しいつながり」や「ワクワク」。新しいライフスタイルの真ん中には、人々の「離れながらも、つながっていこうとする」欲望があるように思うのです。

これから、10回の連載想定で、編集長の皆さんと編むライフスタイルの未来図「リモコンライフ」をお届けしていこうと思います。ぜひ、お楽しみください。

リモート取材に応じていただいたDiscover Japan高橋編集長。(下段は、電通のプロジェクトチームメンバー)
リモート取材に応じていただいたDiscover Japan高橋編集長。(下段は、電通の「リモコンライフ」チームメンバー)

【連載予定】

▶︎vol.1「Discover Japan」
高橋俊宏編集長
 これからは、「観光スポット」よりも「観光パーソン」が人を呼ぶ

▶︎vol.2「AERA」片桐圭子編集長
 リモートワークで見えてくる、マイノリティの人々の新しいチカラ(仮)

▶︎vol.3「VERY」今尾朝子編集長
 「新しい時間割」から生まれる、新しい家族のつながり(仮)

▶︎vol.4「SPA!」犬飼孝司編集長
 「副業」から「複業」へ。そして、「福業」へ(仮)

▶︎vol.5「WIRED」松島倫明編集長
 複数の「リアリティ」がかなえる「場所」と「人」との新しい関係(仮)
 
以降も、「日経TRENDY」三谷弘美編集長、「BRUTUS」西田善太編集長、「Forbes JAPAN」藤吉雅春編集長、「週刊プレイボーイ」松丸淳生編集長、「anan」北脇朝子編集長といった方々の取材を、すでに終えています。ぜひ、お楽しみに。

【「リモコンライフ」チームメンバーより】

新型コロナウイルスで、私たちのライフスタイルはどう変わるのか ─── 人々の暮らしの中にまぎれた、ささいな変化や日々の心の変化に目を向け、身近な “新常態”を未来予測し、新たな価値創造を目指したい。新たに始まる連載では「リモコンライフ」という切り口で、その可能性を探っていきたいと考えています。