誰も見たことのないアイデアを形にする

「こんなアイデア、ホントにできたらすごいよねー。」
「……ということで、あとは、藍さん、なんとかしてください(笑)」

こんな無責任な?会話。冗談じゃなく、よく打ち合わせで見られる一コマです。ここから、プロデューサーである私のアタマはフル回転し始めます。これ、ほんとにできたら、めちゃくちゃ面白いかもな!! しかも、できなく…はないかも。

打ち合わせ中に、ここまで思考がたどり着いたら、そのアイデアはプロデュース的にはひとまず生かして進めてみようか、という判断をします。

私の思考回路として、まだ見たことのないアイデアに直面したとき、

「これはすごい!見てみたい!!」

と、ひとたびテンションが上がってしまうと、そこに潜むリスクやスケジュールやコストという本来プロデューサーに必要とされる基本概念を一瞬で忘れ去り(あとでちゃんと考えます)、そもそもどうやったらこれができるか…というスイッチが入ります。

そのアイデアを成り立たせるためには、立てつけをどうすればよいだろうか?

技術的なチャレンジや課題はどこにあるのか!?
それをどう検証し、クリアすべきか!?
そのためのスタッフィングは?

こんなことを考え始めています。

「プロジェクト型」の仕事が増えてきている

CGで何でも表現できてしまう世の中。

一見すると、「すごっ!ウソでしょ!!」っていうビックリ映像も実はCGで加工していて…ということも珍しくないので、「どうせCGでしょ」っていう冷めた目で見られることも少なくありません。

でも、もしそれがリアルに起きていることだったら。

最近は、リアルな世界で一度しか起きない体験をつくって、それを見た人が感動し共感し大きな話題になり、最終的にそれがCMやウェブムービー、SNSなどで残っていくといったように、なんでも入っている「プロジェクト型」の手法が増えてきています。

そもそもCMとかイベントありき、という出口ありきの発想ではなく、なにをやったら課題解決になって、かつ面白いのか、制約も領域もいったん取り払って、ともすればこれは広告なのか?というような、業界のボーダーもなく自由に考えるクリエイターが増えてきているからだと思います。いわゆる異種格闘技戦、戦い方なんでもあり、倒せば勝ちみたいなことでしょうか。

そんな自由発想なクリエイターたちのアイデア実現のため、真っ向から向き合っていくためには、CMやイベントといったプロダクトをつくるという従来の領域を超えて、まずプロジェクトをつくっていくところからすべてを見回せるプロデューサーが必要になってきている気がします。

アイデアが起点で、プロデューサーはつくり出す前にそのアイデアを立てつけることに奔走する必要が出てきた、ということでしょうか。

当然アイデアは毎回変わるので、ルールがありません。
従来のつくり方では実現できないことばかり。
アイデアによってチーム編成もゼロから考えなければなりません。

CM・グラフィック・イベント・ウェブ・PR・メディアなど…、これらすべてにおいて複合的に絡み合う要素を整理して一つのプロジェクトとして成立させられるプロデューサー。それがプロジェクト型の案件に求められるプロデューサー像ということになります。

そして、困った(?)ことに、冒頭で挙げたシーンのような、私の「面白いからやってみたい!」というスイッチが入るときは、こういったプロジェクト型の案件の始まりだったりするのです。

プロジェクト型案件のカギは、「人を巻き込みまくる」こと

私は電通テックのイベント部署(現 電通ライブ)出身で、入社以来10年ぐらいイベント一筋でした。なので、ライブイベントの勘所は相当鍛えられてきた自負があります。しかし、それ以外で…というと、10年従事したイベント知識には当然及びません。そんな私がこうしたプロジェクト型の複合案件に対してどう向かい合うのか!?

それは「人を巻き込みまくる」ことです。

ただ「人を巻き込む」ってことですと「やたらと声をかける」ってことに聞こえるかもしれませんが、そうではなく、アイデアを形にするために必要なことを、必要な人と一緒に悩むってことかもしれません。

私の所属する「Dentsu Lab Tokyo」でのプロジェクト型案件は、ほとんどがテクノロジーを駆使した、形にとらわれないアイデアを起点としています。テクノロジーを使った表現は、想像や理論の上では成り立っていても、やってみないと分からないことだらけです。だから、アイデアをどう実現できるか、クリエイターと共に悩んで、手を動かして、試行錯誤して、アイデアに肉付けしてくれる人が必要です。そういう人を巻き込みまくります。だって今まで見たことがないもののつくり方に正解はないんです。一緒に悩んでくれる人が欲しくなりますよ。

DLC1
あるプロジェクトのテクニカル検証。暗闇で半透明のバルーンに強力なレーザー光線を照射してみたところ、自発光しているように見えるという発見が。結局このネタが使われることはなかったが、テクニカルチームと一緒に検証をしていく中で新たな発見やアイデアが生まれていくことがある。

この巻き込む人たちは、広告業界内のつながりで、実にいろいろな分野から集めます。さらに、時にはクライアントを「御社のこの技術がもっとこうなっていれば、面白いことができるんです!!」と巻き込んでみたり。

FUTURE-EXPERIMENT
NTTドコモの5Gなどを活用し、東京、ニューヨーク、ロンドンからの映像を合成してPerfumeのパフォーマンスをストリーミング配信。FUTURE-EXPERIMENT 第1弾「Vol.1 距離をなくせ。」

プロトタイプを勝手につくって、スポーツの競技団体に、「これやると観戦者がもっと競技を楽しめると思うんです!」と競技観戦システムを導入してもらったり。

BOCCIA RULER
画像解析技術を用いボッチャの戦況をリアルタイムで把握、3D描画できる競技観戦システムを独自開発。ボッチャ観戦システム:BOCCIA RULER

 テレビ業界の人と、「こんなコンテンツあったら面白いよね」と企みながら実現していくプロジェクトなど。

トットの夢プロジェクト
大阪大学・石黒浩教授の監修で、テレビ朝日など数社と黒柳徹子さんのアンドロイドを開発。「徹子の部屋」の会話データを基に、最新技術で合成した声で話し、本人の表情やしぐさ、クセなども研究し再現。トットの夢プロジェクト  https://totto-android.com/  ©totto製作委員会

このように、広告業界とは普段付き合いのない人たちも巻き込んだりして、広告以外の方法で表現することも多いんです。

そう考えると、今までのクライアント、エージェンシー、プロダクションとかの役割分担や関係性ってなんだろう、と思うことも多々あります。でも、そんな従来の役割分担を越境したり、統合したりして生まれてきたプロセスがあって、誰も見たことがないアイデアが形になる。つくり方の一種として間違ってはいないんだろうな、と思っています。プロデューサーのこれからは、アイデア次第でそのつくり方すらも柔軟に変化させ続けることも必要なのかもしれませんね。

家計が苦しいなら「生命保険・医療保険」解約を検討しなさい…“保障過多”の例多数

「保障(保険)は必要な時期に必要な保障を得る」

 家計を襲う収入減の嵐は長期化の様相を呈していることから、家計の見直しは急務といえそうです。家計の見直しといえば「節約」がまず頭に浮かび、水道光熱費や外食を含む食費あたりが削減の対象になるはずです。ただ、これらの費用を見直しても支出が大幅に減少する家計は少ないようで、さらなる削減が必要なケースが多いように感じられます。

 削減効果が高いのは一時的な費用よりも継続的に発生する費用。これまで幾度も見直しの対象になってきた生命保険料もその1つ。家計相談の現場からの視点では、相変わらず多額の保険料を払っている家計が多いからです。多額の保険料、言い換えれば「保障過多」になっている家計がいかに多いことか……。

 保険、ここでは「保障」と言い換えますが「保障は必要な時期に必要な保障を得ればよい」というのが基本であることを忘れてはなりません。見直しの際、筆者は「自動車保険」にたとえるのですが、車を運転する場合、事故のリスクを考え自動車保険に加入しますが、自動車を運転しなくなれば事故のリスクはなくなることから、自動車保険をやめるはずです。

 同じように生命保険も考えるのです。万が一亡くなった場合、経済的に困る家族がいるから死亡保障を得る、困る人がいなければ死亡保障は不要。大病やケガをした場合、多額の治療費を払うのは厳しいから医療保険に加入する、金融資産などで概ねカバーできるから医療保険も不要と考えれば良いわけです。

意外に医療費はかからない?

 加えて医療保険の要・不要を考える時には、「高額療養費制度」や勤務先の「健康保険組合」の保障も考慮する必要があります。高額療養費制度は、保険適用の治療行為であれば、1月(同じ月の1日~末日)に支払う医療費が自己負担額を超えた場合に、超えた分が払い戻される制度です。健康保険組合にも同様の制度があり、ある企業では1月の医療費の上限は2~3万円というケースもありました。健康保険組合は勤務先によりますが、少なくとも高額療養費制度は誰もが利用できる制度ですから、いわれるほど医療費はかからないのです。

 また医療保険を見直す際には、自分や家族がどのような治療行為を受けたいのかを考えるべきです。医療費には「かかる医療費」と「かける医療費」があるからです。かかる医療費は、誰もが診療行為を受けた場合に負担する窓口費用。現役世代なら通常は3割負担になります。この費用はどこの病院でも、保険適用のどの治療行為でも変わることはありません。一方、かける医療費は、保険適用外の治療を受けたい、入院時は個室に入りたいなど、保険外の治療などを受ける際にかかる費用です。このかける医療費の有無で、医療費は雲泥の差があるのです。

 さらに人は歳を重ねるほど健康に気を使うようになるはずです。健康でいるために体に良いものを食べよう、運動しようなどとお金をかける一方、多額の保険料を払うのは、お金の使い方として矛盾していると思われてなりません。ちなみに、筆者は約15年前に医療保険はやめてしまいました。

(文=深野康彦/ファイナンシャルリサーチ代表、ファイナンシャルプランナー)

破綻した東京ミネルヴァ法律事務所…問題発覚後も求人情報掲載を続行した日弁連の“罪”

 2020年6月24日に東京地裁から破産手続き開始の決定を受けた「弁護士法人東京ミネルヴァ法律事務所」(以下、東京ミネルヴァ)。本連載では、東京ミネルヴァが「非弁提携」(弁護士が弁護士以外の者から依頼者を紹介されて報酬を分配することなど。弁護士法違反)を行っていた疑いと、それを日本弁護士連合会(以下、日弁連)以下の弁護士会が知りながら放置してきた疑いを追及している。

 ここに来て、さらに疑いが深まる事実が発覚した。日弁連が公式のフェイスブックに東京ミネルヴァの採用情報を掲載していたのだ。「若手弁護士・司法修習生の皆様へ あなたを呼ぶ声が聞こえますか」というキャッチコピーで。

 東京ミネルヴァの負債は約51億円。そのうちの約30億円は消費者金融などから返還された過払い金(契約者が利息制限法の上限金利を超えて支払っていた金利)で、本来、報酬を差し引いて依頼者へ送金していなければならないもの。しかし、それが元武富士社員らが経営する広告代理店「リーガルビジョン」(以下、LV)などへ流出していたのである。

 消費者被害を防ぐべき弁護士が、一大消費者被害事件を発生させたのはゆゆしき事態。しかも、そこに弁護士会の関与があったのは間違いない。

問題発覚後も求人情報の掲載を続けた日弁連

 日弁連がフェイスブックに東京ミネルヴァの採用情報を掲載したのは、2013年の1月30日と10月23日。問題は、当時、すでに東京ミネルヴァなどの法律事務所と元武富士社員らの会社との非弁提携が当事者の弁護士により告発されていたことだ。

 2009年6月、東京弁護士会(以下、東弁)所属の松永晃弁護士は、広告代理店「DSC」(LVの前身)と元武富士社員3人が取締役を務める人材派遣会社「KKサポート」の支援で、「つくし法律事務所」を開設した。しかし、同年10月、松永弁護士は「元武富士社員らが、つくし法律事務所を乗っ取ろうとしている」として、両社との関係を絶った。

 その後、松永弁護士とDSCやKKサポートとの間で、広告料の支払いや拠出金の返還などをめぐる訴訟がいくつか提起された。KKサポートの代理人は東京ミネルヴァの室賀晃代表弁護士(当時)が務めていた。

 一連の訴訟の判決は、DSCやKKサポートが非弁提携を計画したり、一部を実行したりしていたことは認めつつも、松永弁護士に対し、両社へ数千万円を支払うよう命じた。

 訴訟が係争中、松永弁護士は月刊誌『紙の爆弾』(鹿砦社)でDSCなどの非弁提携を告発している。2010年8月号の「『債務整理業』に横たわる『非弁行為』の不法を告発!」と題する記事と、2012年7月号の「”非弁提携”悪徳弁護士と『債務整理』ビジネスの闇」と題する記事だ。

 加えて松永弁護士は、東京ミネルヴァなどの法律事務所と元武富士社員らの会社との非弁提携について、直接、各弁護士会へ告発している。以下、一連の訴訟で松永弁護士が提出した書証や準備書面から引用する。

○「資料を送付させていただきます。当職が、東京第1弁護士会及び日弁連に提出した『告発書』です。その結果として、東京第1弁護士会及び日弁連が当職に事情の聴取を求める予定となっております」(2010年4月ごろ、松永弁護士が鹿砦社の松岡利康社長へ送った手紙)

○「DSC裁判について報告致します。『経過報告書』と言う(ママ)形で纏めましたので添付します。訴訟の方向性は、あまり、いいものではないのですが、関係する諸先生に回覧していただけるよう、お願い致します。双方の最終準備書面は、11月30日に持参する予定です。他の書面、証拠についても、不足分を確認し、なるべく早めに提出いたします」(2011年11月24日、松永弁護士が東弁司法調査課事務局の杉山さやか氏へ送ったメール)

○「いつもお世話になっております。ご連絡ありがとうございました。先生方にご連絡しておきます」(2011年11月25日、上記のメールに対する杉山氏の返信)

○「控訴人は、東京弁護士会から、被控訴人DSCが整理屋であるので、整理屋組織DSCとの訴訟に関する全書面の提出を求められていた。そして、原審でも述べたとおり、整理屋組織DSC撲滅のための報告会が、東京弁護士会が公式に主催したものとして2回、非公式なものでさえも数回行われた」(2013年11月18日、松永弁護士が東京高裁へ提出した準備書面)

責任を回避しようとする日弁連、そして東弁

 非弁提携の疑いがある法律事務所の求人情報を、「あなたを呼ぶ声が聞こえますか」などとして、若手弁護士や司法修習生へ広めていた日弁連。取材すると、以下の長文の回答が返ってきた。

「ご指摘のあったフェイスブックの情報は、当連合会が運営している『ひまわり求人求職ナビ』に新たに求人情報の掲載がなされました法律事務所の名称を列挙しているもので、毎月、月末に、その月に新たに求人情報の掲載がなされた法律事務所の名称を一覧として掲載しておりました。現在は運用を停止しております(筆者注・官公庁などの求人情報は引き続き掲載している)。『ひまわり求人求職ナビ』は、司法修習生及び弁護士の就職支援を目的として、2008年から運営しているシステムです。当連合会の定める『求人及び求職情報の本会のホームページへの掲載に関する規則』に基づき、法律事務所、企業、官公庁などから掲載申請のあった求人情報を審査のうえ掲載しています。『ひまわり求人求職ナビ』に法律事務所から求人情報掲載申請がなされると、当連合会では、『求人及び求職情報の本会のホームページへの掲載に関する規則』の第6条第1項に基づき、当該法律事務所に所属している会員の所属弁護士会に掲載可否に関する照会を行い、その回答に基づいて、掲載作業を行っております。各弁護士会では、所属会員に関する情報に基づき、それぞれの弁護士会が定める会則、会規、規則、その他の規定に照らして、掲載可否の審査を行い、その判断について、当連合会宛に回答していると承知しています。なお、松永弁護士の『告発書』が当連合会に提出されていたという事実は確認できませんでした」

 日弁連のホームページやフェイスブックに掲載された求人情報にもかかわらず、都道府県の弁護士会に責任を転嫁する回答だ。

 東京ミネルヴァの求人情報が掲載された2013年、室賀代表弁護士(前出)は東弁に所属していた。そこで、東弁を取材したが、「特定の法律事務所への採用については、お答えいたしかねます」とのことだった。こちらも責任逃れに必死である。

 東京ミネルヴァの巨額破産は昨日今日で起きたものではない。「過払い金は儲かるから」と、非弁提携を放置してきた弁護士会の責任は重大だ。

(文=寺澤 有/ジャーナリスト)

セ・リーグ新人王争いが白熱!最有力の巨人・戸郷vs広島・森下、意外な“共通点”とは

 今年の日本プロ野球のセ・リーグ新人王争いは、2人の投手による一騎打ちの様相を呈している。1人は昨年のドラフト1位で広島東洋カープに入団した森下暢仁。そしてもう1人は、一昨年のドラフト6位で読売ジャイアンツに入団した戸郷翔征である。

 森下は最速155キロの伸びのあるストレートと落差のあるカーブ、そして沈むチェンジアップなどを武器に、10月5日現在で7勝3敗、防御率2.42をマーク。

 対する戸郷もスリークォーターのフォームから最速154キロのストレートを投げ込み、そこに切れ味鋭く曲がる2種類のスライダーやスプリットなどの多彩な変化球を交える投球を駆使して、10月5日現在で8勝4敗、防御率2.75という成績を残している。

 この2人はドラ1とドラ6と、入団時の球団からの期待値には大きな差があった。だが、意外な共通点があることをご存じだろうか。彼らはいずれも甲子園で活躍したスターではないのである。そんな2人がプロの世界で新人王を巡って争っているのだ。

 そこで今回は、この2人の高校時代の足跡を辿ってみたいと思う。まずは昨年のドラ1右腕・森下から。

 森下の出身は大分県大分市。13年春の高校進学時に選んだのは、当時、甲子園に春夏合わせて計19回もの出場を誇っていた地元の古豪・大分商であった。入学すると、いきなり1年夏から控え投手兼野手としてベンチ入りメンバーに選ばれるのである。しかも同校は2年生ながらエースナンバーを背負う笠谷俊介(福岡ソフトバンクホークス)の活躍もあり、この年の夏の県予選で16年ぶりの優勝を飾り、甲子園出場も果たした。

 ところが本番の甲子園ではチームは修徳(東東京)の前に2対8で初戦敗退を喫してしまう。森下は背番号11を背負ってベンチ入りしていたが、出番はなく試合は終わってしまったのであった。

 この直後の1年秋に結成された新チームでも主戦投手の座には笠谷が着き、森下は2番手投手として控えることとなる。2本柱の力投もあり、チームは夏に続き秋の県予選でも決勝戦まで進出。杵築との決勝戦で先発登板を果たしたのが森下だった。結果は7回3分の2を投げ、被安打7、失点2という好投をみせたが、味方打線の援護がなく、0対2で敗れて準優勝にとどまった。それでも続く秋の九州大会の切符を手に入れたチームは、その初戦で美里工(沖縄)と激突する。ここはエースの笠谷の登板となり、森下に出番は回ってこなかった。

 大事な初戦で笠谷は被安打5、6奪三振で完投したのだが、1回表に奪われた1点が致命的となり、チームは0対1で完封負け。こうして翌14年の春の選抜への道が絶たれてしまったのであった。

 翌2年夏の県予選。なんと森下は野手として活躍することとなる。初戦となる2回戦の別府鶴見丘戦で2番・サードでスタメン出場を果たすと、4打数2安打1打点をマーク。チームの12対0での6回コールド勝ちに大きく貢献したのであった。続く3回戦は大分南相手に5対1で快勝。森下はこの試合も5打数3安打1打点と、その打棒が爆発した。

 さらに準々決勝の大分上野丘戦でも4打数で1安打。だが、打線全体で相手投手に5安打に抑えられ、チームは0対5で完敗。結果、野手に専念した2年夏は予選3試合で13打数6安打2打点。打率は驚異の4割6分2厘と、打力もあることをアピールするも、チームを甲子園へと導くことはできなかった。

 そして最上級生となった2年秋。新チームでようやく森下はエースの座を掴むこととなる。エース・森下を擁する大分商は2回戦から登場すると、大分雄城台を7対0、大分西を2対0、そして準々決勝で藤蔭を6対4で降し、ついにベスト4進出。特に藤蔭戦では4失点したものの9回を投げ、13奪三振の力投を披露したほどだった。

 こうして次戦は、勝てば翌15年の春の選抜につながる秋の九州大会が決定する準決勝に挑む。ところがこの大一番の明豊戦で、前日の疲れが残っていたのか、肝心の森下が大乱調。味方守備陣も5失策を露呈し、0対8の大敗を食らってしまった。こうして3大会連続で甲子園行きを逃し、文字通り最後の夏に懸けることとなった。

 迎えた3年最後の夏。大分商は初戦となる2回戦で別府青山・翔青の連合チーム相手に2対0と完封勝利を飾り、好発進する。この試合ではなんと8球団のスカウトが森下の視察に訪れていたが、そのスカウト陣の前で自己最速タイとなる148キロをマークしたのだ。結局、相手打線に打たれたヒットはわずか3本。さらに9三振を奪う快投であった。

 その後も森下の右腕は冴える。続く3回戦は大分高専に7回コールドの7対0で大勝し、準々決勝では佐伯鶴城相手に3対2で競り勝ち、ベスト4へと進出。準決勝でも杵築に対して3対1で勝利し、とうとう甲子園まであと1勝というところまで迫った。

 迎えた決勝戦で雌雄を決する相手は、昨年秋の県大会で完敗を喫した宿敵・明豊であった。森下はこの難敵相手に9回を投げ、被安打6、与四死球1、4奪三振の力投をみせる。だが、3回表に失った1点を打線が取り返せず、0対1の惜敗に終わった。

 森下はこの最後の夏の予選全5試合に先発し、42回を投げ被安打21、与四死球6、21奪三振、4失点という見事な投球内容を披露したが、それでも甲子園には手が届かなかったのである。

 つまり、1年の夏に出場して登板せずに終わったあのたった1試合が、森下にとっての甲子園だったワケである。

戸郷翔征の高校時代

 一方、戸郷は宮崎県都城市出身。16年春に聖心ウルスラ学園に進学している。同校は05年夏に、創部3年目にして甲子園初出場を果たした経験もある県内の私立。いわば新興勢力である。そこで1年秋からベンチ入りを果たすと、なんと翌17年夏の県予選では主戦投手として05年以来12年ぶりとなる優勝を成し遂げ、チームを2度目の夏の甲子園へと導いている。

 初戦の延岡商戦では7回を投げ、被安打4、13奪三振、失点1の快投で10対1というチームの8回コールド勝ちに貢献した。2回戦の富島戦は登板を回避したものの、チームは12対3で7回コールドの大勝を収めている。続く3回戦は強豪・日章学園と激突し、延長11回にまでもつれる死闘となった。結果的に8対4での勝利となったこの一戦で、戸郷は11回を191球で完投し、10本のヒットを浴びて4点を失ったものの、16三振を奪う熱投でチームの勝利を呼び込んだ。

 続く準々決勝の鵬翔戦と準決勝の宮崎日大戦はともに5対2のスコアで快勝し、いよいよ決勝戦を迎える。この2試合、準々決勝では9回1イニングでリリーフ登板し、被安打1、奪三振1の無失点投球を披露したものの、準決勝では先発完投して被安打5、奪三振6ながら、8四死球を与える乱調ぶり。それでも失点をわずか2点に抑えているところはさすがのピッチングだった。

 甲子園出場をかけた決勝戦でも、戸郷の右腕は冴えた。日向学院相手に許したヒットはわずか4本。9奪三振、2失点で完投して、7対2で勝利を収めたのだ。

 そして迎えた夏の甲子園。聖心ウルスラ学園は初戦で早稲田佐賀と対戦することとなった。戸郷の右腕はここでもエンジン全開となる。141キロのストレートに縦のスライダーやチェンジアップを交え、毎回の11三振を奪ったのである。与えた得点もわずか2点。見事、5対2で勝って初戦を突破。そしてこの勝利は同校にとって春夏の甲子園を通じて記念すべき初勝利だった。

 続く2回戦は東北の強豪・聖光学院(福島)との対戦であった。この試合巧者相手に戸郷は苦投。7回3分の1を投げて奪った三振はわずかに1つ。さらに10本ものヒットを打たれ、チーム全体で3つもの暴投を献上してしまい、勝ち目はなかった。結果、戸郷は失点5、自責点4で、チームは4対5で逆転負けを食らってしまう。無念の2回戦敗退。そして戸郷にとってはこれが最初で最後の甲子園となるのである。

 最上級生となって結成された新チームだったが、秋の県大会は1回戦の飯野・都城高専戦は11対1の7回コールドで、2回戦の延岡星雲戦は7対2と2試合連続で快勝したものの、3回戦で不覚を取ってしまった。都城東相手にまさかの2対4で競り負けてしまったのだ。

 さらに最後の夏も、ベスト8で無念の涙を飲むこととなってしまう。初戦の都城農戦を4対3、続く宮崎西戦を10対4と下して挑んだ準々決勝だったが、前年夏にも3回戦で対戦して苦戦させられた日章学園に、2対6でリベンジを許してしまったのである。

 この試合、戸郷は9回を完投したものの、13本ものヒットを許し、序盤から小刻みに得点を許す結果となった。奪った三振もわずかに6。完敗であった。それでも大会初戦の都城農戦では自己最速の148キロを叩き出し、14奪三振をマークしている点は注目に値しよう。

 このように森下は甲子園で登板なし。対する戸郷も2回戦敗退で高校時代は甲子園のスターではなかった。そんな2人が、いったいいつ、プロ注目の投手となったのだろうか。

 森下は高3の春だ。3月に同じ九州の強豪・鹿児島実との練習試合で自己最速となる148キロをマークしたうえ、抜群のコントロールで相手打線をまったく寄せつけずに完封。続く春の県大会2回戦での大分豊府戦では7回参考記録ながら、ノーヒットノーランを達成している(チームは3回戦で敗退)。

 決定的だったのは、6月に行われた東海大相模との練習試合だ。146キロのストレートを武器に好投。実は当時の東海大相模には小笠原慎之介(中日ドラゴンズ)や吉田凌(オリックス・バファローズ)という、その年のドラフトの目玉である2人の投手がいたうえ、結果的にこの年の夏の甲子園で優勝するほどの巨大戦力を抱えていた。そのため、プロのスカウトたちが多く詰めかけてきていたのだが、なんと森下はそのスカウト陣の前で9回を完投し、被安打8、10奪三振、無四死球という見事な内容で、強豪相手に2対2の引き分けに持ち込む原動力となったのである。そこから一気に評価が急騰したというワケだ。

 実はこの好投の裏には、前年晩秋に森下を襲ったケガの影響がある。両第一肋骨を骨折し、1月下旬まで約2カ月にわたって戦線を離脱するハメになったのだが、この投げられない期間の身体づくりで体重が増えたのだ。これによってストレートの最速が148キロにまで上がったのである。これぞまさに“怪我の功名”であった。

 一方の戸郷は、夏の甲子園大会終了後に選ばれた宮崎県選抜チームでの試合が大きい。根尾昴(中日)や藤原恭大(千葉ロッテマリーンズ)ら、この年の春夏の甲子園を連覇した大阪桐蔭勢が中心となったU-18日本代表との壮行試合が行われ、リリーフ登板を果たした戸郷は、149キロのストレートに変化球を交えてU-18日本代表打線を翻弄。5回3分の1を投げ、被安打5、9奪三振、与四死球3、失点2という快投をみせたのである。特に中日にこの年、ドラフト1位で入団することとなる根尾から奪った3球三振は圧巻であった。

 こうしてプロ注目の投手となった2人。特に森下は甲子園不出場ながら、U-18日本代表に選ばれるなど、ドラフト上位候補として高い注目を浴びたが、プロ志望届を提出せずに東京六大学の雄・明治大への進学を決断した。

 その後の4年間で森下は明治大のエースにまで成長し、神宮で活躍、名実ともにドラ1投手となり、広島東洋カープに入団する。対する戸郷は高卒ドラ6ながら、読売ジャイアンツへと入団。互いに道は違えど、同じ九州の高校でエースとして君臨した2人が今年の新人王を争う展開となったのは、何かの縁を感じてしまう。

 その注目の新人王の行方だが、9月末現在で防御率はやや互角も、勝ち星は戸郷が2つリードする展開となっている。残り試合が40試合を切っていること。さらに読売がほぼ優勝を確実にしていることから、戸郷の有利は動かないとみられる。

 だが、その戸郷も直近の6~8勝目は無双状態で勝っているのに対し、3、4敗目は5失点以上の大量失点を喫している点が気に掛かる。対する森下は、好投するも打線の援護がないために勝ち星に見放されたり敗戦投手になるケースが多いだけで、安定感は抜群。味方打線次第では、まだまだ逆転の目も残されている。

 いずれにせよ、当確ラインは12~13勝あたりか。まずはその勝利数をクリアすることが新人王への必須条件となりそうだ。
(文=上杉純也/フリーライター)

スタバ、秋に買うべき商品5選!フラペチーノの裏メニュー、大人気の焼き栗モンブラン

 言わずと知れたコーヒーチェーン最大手の“スタバ”こと「スターバックス コーヒー」。1971年にアメリカ・ワシントンで開業し、日本では1996年の「銀座松屋通り店」オープン以来、約四半世紀の長きにわたって愛され続けている。

 新型コロナウイルス感染症の流行の影響で、今年の春は日本では約7割の店舗で休業を選択したスタバ。一方、アメリカのスターバックスが発表した今年4~6月の決算によれば、世界の純売上高は前年同期と比較して約38%減、既存店売上高は40%減にとどまり、それぞれ市場の予想を上回る結果を残した。

 そこで今回、世界的に回復傾向にあるスタバの商品をリサーチし、「この秋に買うべきスタバ商品」を厳選した。早速、おすすめメニュー5品を紹介していこう(※価格は税別、ドリンクメニューはトールサイズ)。

抹茶 クリーム フラペチーノ/490円

「抹茶 クリーム フラペチーノ」は、2019年7月の「スタバ、一度は絶対飲むべき“レアメニュー”?今、飲む&食べるべき商品5選!」と、20年7月の「スタバ、夏のオススメ商品5選!抹茶クリームフラペチーノ&アイスココアの最強カスタム」で紹介した商品だが、3回紹介したくなるほどの魅力が、このドリンクには存在するのだ。

 最大のポイントは、奥深い抹茶の風味をミルクと上品な甘みが一層際立たせているため、抹茶本来のおいしさが強く感じられるところだ。ふんわりと添えられたホイップクリームも、ドリンクにまろやかさをプラスして最後まで飲み飽きない味にしていて、見事なまでの相性の良さを発揮している。

 そのままでも文句なしのおいしさではあるのだが、カスタマイズすることによって無限に味を広げることができるのも特徴のひとつ。その中でもおすすめなのが、“グリーンエスプレッソフラペチーノ”と呼ばれる裏メニュー。これは、バニラシロップとホイップクリームを抜いて50円のエスプレッソショットを追加するカスタマイズで、エスプレッソの苦みによってすっきりとした味が楽しめると評判だ。“苦党”の方には、ぜひ一度試していただきたい。

エスプレッソ アフォガート フラペチーノ/570円

 バニラアイスやジェラートにエスプレッソなどをかけた、イタリア発祥のデザートであるアフォガート。そんなアフォガートに着想を得て誕生したのが、18年5月に期間限定で登場し、翌年にレギュラーメニューとなった「エスプレッソ アフォガート フラペチーノ」だ。

 マーブル柄の「エスプレッソ アフォガート フラペチーノ」の特徴は、スタバのフラペチーノシリーズとしては珍しく、苦みと控えめな甘さをアピールポイントにしていること。通常より少なめの液量で抽出されたエスプレッソはまろやかな苦みで、後味すっきりながら深いコクがあるクリームと相性抜群。

 甘すぎず苦すぎない絶妙な味わいは、まさにアフォガートそのもの。疲労で少し糖分を補給したいときに、うってつけなメニューといえるだろう。

抹茶&わらびもちマフィン/240円

 19年12月末に期間限定のカスタマイズメニューとなって話題を呼び、今年の7月に再登場を果たしたわらびもち。そして、同じく今年の7月に登場した「抹茶&わらびもちマフィン」はその名の通り、わらびもちを食材に使用したフードメニューである。

 抹茶味のマフィンの中身には、黒蜜味のわらびもちが。ふわふわでしっとりとしたマフィン、その上にトッピングされているサクサクのクランブル、黒蜜のほのかな甘みを醸し出すわらびもちが合わさることで、ほかにはない独特な食感を生み出している。単に好相性な抹茶とわらびもちを組み合わせた以上の、新しいおいしさが「抹茶&わらびもちマフィン」にはあるのだ。

 また、スタバのフードメニューの中では240円とリーズナブルな価格であることも魅力のひとつ。珍しい食感の商品なので、和テイストのスイーツが好きな方に限らず、多くの方におすすめできるマフィンである。

フランス産アップルのタルト/450円

 今年の9月に登場したばかりで、早速SNS上で注目を集めた人気のフードメニューが、この「フランス産アップルのタルト」である。

 話題となった最大の理由は、シャキシャキとしたアップルの食感。アップルコンポートの上にいくつにも重ねられて敷き詰められたスライスアップルはフランス産で、生の状態で焼き込まれている。瑞々しく歯ごたえ豊かなアップルと、バターの風味がほのかに香るしっとりしたタルト生地は見事にマッチしていて、口に入れた瞬間、思わずうっとりとしてしまうほど。

 上品な雰囲気を醸し出す、優しい甘さの「フランス産アップルのタルト」は、当然ながら苦いコーヒーともよく合う。なかなか旬のフルーツを食べる機会がないという方は、ぜひともこのタルトで秋ならではのおいしさを味わってほしい。

焼き栗モンブラン/460円

焼き栗モンブラン」は、先ほど紹介した「フランス産アップルのタルト」と同時期に登場したこの秋の新フードメニュー。秋の味覚である栗の魅力を存分に味わうことができるスイーツで、発売間もなく販売終了となった店舗が出るほどの人気商品なのだ。

 ココアスポンジが土台のモンブランは、外側からマロンペースト、ホイップクリーム、濃いめのマロンペースト、栗のダイスという多層構造になっている。さらに、仕上げとしてバーナーで表面に焼き色がつけられていて、香ばしい匂いも楽しめる。

 濃厚なマロンペーストと甘さが控えめでくどさのないホイップクリームは絶妙なハーモニーを奏でていて、口に入れた瞬間からやわらかい口どけと、の濃厚な風味が感じられる。栗のダイスは食感のアクセントとなっていて、最後のひと口まで飽きさせない。細部に至るまでの工夫が凝らされた逸品なので、店頭で見かけたら迷わず購入するのがおすすめだ。

――ラインナップ豊富で次々に新商品が登場し、他のコーヒーチェーンと比較するとやや高価なスタバはメニュー選びで迷いがちだ。そんなときはこの記事を参考にして、おいしいドリンクやスイーツに舌鼓を打ってほしい。

(文=「買うべき・買ってはいけない調査班」from A4studio)

※各種情報は2020年9月中旬時点

菅首相が「日本学術会議」問題で理由を説明せず! しかも記者会見でなく3社だけの「グループインタビュー」形式で追及封じ込め

 憲法に保障された「学問の自由」を踏みにじり、違法が指摘されている「日本学術会議」任命拒否問題で、本日はじめて菅義偉首相が内閣記者会の「グループインタビュー」に応じ、「それぞれの時代の制度のなかで法律に基づいて任命をおこなっている」「学問の自由とはまったく関係ない」と主張。...

パチスロ「高度な技術介入」マシンの後継機を発表! 人気パチスロ演者も「マジ面白い!」と絶賛!!

 オーイズミはこのほど、最新6号機『パチスロひぐらしのなく頃に祭2』の特設サイトを開設すると共に、ティザームービーを公開した。

 ひぐらしのなく頃に祭は、同人ゲーム「ひぐらしのなく頃に」を原作とするビジュアルノベルゲーム。2007年に「PlayStation2」のソフトとして発売され、大ヒットを記録した。

 2010年には、やはりオーイズミがそのゲームをモチーフとした『パチスロひぐらしのなく頃に祭』をリリース。獲得枚数の異なる3種類のボーナスに加えて1G純増約0.75枚の完走型RT「疑心暗鬼モード」を搭載し、RTはボーナス後や周期で訪れるCZ「運命分岐モード」中のベル、もしくはチェリーを引くことで突入する。RT後は再度CZからスタートし、RTループに期待できる。

 このCZ中には高度な技術介入要素があり、ベル成立時に中→右→左リールの順にフリー打ちすれば66or75%で50GのRTへ突入する一方、中→右リールと押した後、左リール枠上に白7絵柄をビタ押しすれば確実に50GのRTを獲得できる。ただし、失敗した場合はRTゲーム数が30Gに短縮される。

 また、CZ中の転落リプレイ成立時もビタ押しを駆使することで次回CZを250Gにセット可能。精度の高い目押し技術があれば、勝負を有利に進めることができるのである。

 冒頭で紹介したマシンは、この後継機にあたる。ティザームービーでゲーム性については一切触れていないものの、前作と同じく技術介入要素が組み込まれていることが予想できる。目押し自慢にとっては楽しみな1台といえるであろう。

 ところで、特設サイトおよびティザームービーが公開された同日は、SNS上でも大きな盛り上がりを見せた。パチスロ必勝本の嵐、1GAMEのてつ、パチスロ必勝ガイドのまりも、でちゃう!のピスタチオ田中、パチ7のパチ7編集長らが集結し、それぞれがその模様をアップ。どうやら、これらのメンツで同機の撮影をしたようだ。

 このうち、てつはTwitter上で「マジで面白い」「流行ってほしい」と絶賛。これにも多くのファンが「楽しみ」「期待できそう」などと反応した。

 気になる導入は「年末か!?」などと噂されているが、残念ながら現時点で詳細は不明。まずは特設サイトによるゲーム性などの発表と、著名ライターやタレントたちを集めて撮影したという動画の公開を心待ちにしたい。

唐田えりかサイド、活動活発な東出昌大へ抗議を検討か…芸能活動再開&女優復帰へ意欲

 世間を驚かせた騒動から約10カ月。早くも復帰へ向けて動き出したのだろうか――。

 1月、俳優の東出昌大と女優の唐田えりかの不倫が、幼い3人の子どもを抱える東出の妻で女優の杏の憔悴した様子とともに報じられ、日本中からバッシングを浴びた騒動が、まだ記憶に新しい。

 騒動後、出演映画がたて続けに公開になったことも幸いしてか、ここ数カ月は『コンフィデンスマンJP プリンセス編』(東宝)のPR活動などで地上波のテレビでも目に触れる機会が多い東出とは対照的に、唐田は出演予定だったドラマも放送中止になるなどして芸能活動休止の状態が続いている。

 その唐田が現在、所属事務所フラームが用意した事務仕事をこなす日々を送っていると、5日付「NEWSポストセブン」が報じた。記事には、バッサリと髪を切りショートヘア姿となった唐田が通勤する様子を収めた写真も掲載されている。

「一部では事務所も唐田と連絡が取れない状況だという報道もありましたが、見放してはいませんでした。ただ、しでかしたことは許されることではないということで、社長も唐田に対しては厳しく接していて、“服とか人間関係とか、一回全部捨てたら?”とアドバイスしたところ、唐田が自発的に髪を40-50センチ近く切ってきたようです」(業界関係者)

 そんな唐田サイドだが、東出に対しては強い怒りを感じているという。

「フラームの経営陣のみならずスタッフたちはみんな、いまだに東出がテレビや映画をはじめメディアに露出し続けていることに不快感を持っています。東出は唐田より10歳近く年上ということもあり、“東出にもてあそばれた”と憤りを感じてもおかしくはない。特に社長は、東出と唐田の境遇の差に怒りを覚えていて、一時は東出の所属事務所であるユマニテにクレームを入れることを検討したほど。ただ、あれだけの不祥事を起こしたにもかかわらず、それでも声がかかる東出については感心もしているようです」(業界関係者)

唐田に同情論も

 気になるのは唐田の今後だが――。

「もちろん、やってしまったことは許されることではないでしょうが、東出との不倫に落ちたとき、唐田はまだ10代で、きっかけも東出からの積極的なアプローチでした。当時の唐田が冷静な判断をできたのかと言われれば難しい気もしますし、唐田は何度も東出との関係を断ち切ろうとしていたものの、東出からの誘いを断れずにズルズルと続いてしまったという面もある。これで唐田の女優生命が絶たれるというのは、ちょっと酷なのではないかということで、業界内には唐田に同情する向きも少なくないんです」(週刊誌記者)

 また、芸能事務所関係者はいう。

唐田本人も事務所も“濡れ場でも脇役でも、なんでもやる”と意気込んでいますが、“こんなに目立つ脇役はいないでしょ”という声もあるようです。ただ、の所属事務所であるトップコートは、今や多くの人気俳優を擁する有力事務所となり、そうした事情もあり、ドラマなどで唐田を起用するテレビ局が出てくるとは考えにくい。他の事務所としてもトップコートとの関係を考えて、自分のところの俳優が唐田と共演するのは避けたいところでしょう。

 まずは舞台や映画などで少しづつ起用されるようになれば、時間はかかるかもしれませんが、女優としての道が開けてくる可能性はあると思いますよ。今一線で活躍しているベテラン女優のなかにも、若い頃に恋愛スキャンダルで日本中を騒がせたことがあるなんて女優も、結構いますからね」

 唐田の今後はいかに――。

(文=編集部)

 

竹内結子さん急死でフラッシュバック…うつ病で弟を亡くした自死遺族の悲痛な訴え

 竹内結子さん急死というニュースに触れて、2年前の個人的な記憶が脳裏をよぎり、心臓が高ぶった。

 私自身、かわいい弟の心の病に気づけなかったひとりであり、急死の連絡を受けた直後は気が動転。長い間、大好きな野球も水泳も、酒も競馬も何一つ手につかなくなった。

 この世に生を受けて50年以上が経つが、最も悲しい出来事だった。それだけに、ご遺族の悲しみは察するに余りある。

うつ病と上司の朝令暮改というWショック

 数年前の朝。10歳年下のかわいい弟は自ら死を選んだ。深夜、家族に遺言を書くとビールを飲み、近所の公園で首を吊ったのである。

 今思えば、半年ほど前からサインは出ていた。それは家族や親族を失って初めてわかるものだが、根が気楽者である私と明るくさわやかな弟だけに、自殺するなど考えもしなかった。

 弟は、愛妻と愛娘を遺してあの世へ旅立った。かわいい盛りの女の子を置いてまで旅立った要因は、うつ病改善のための抗うつ剤服用であり、同時に仕事面で度重なる上司の朝令暮改に振り回されていた。

「眠れないんだよ」――3カ月ぶりに会った弟は不眠症に悩まされていた。眠れない日々が続き、半年もすると体に急速な変調が表れ、全身が痒くなっていた。通院時間が増えて仕事に遅れがちになり、職場の後輩にかける面倒は日に日に増えていった。人一倍責任感が強かった弟を慕っていた後輩の女性は、ショックで仕事が手につかなくなった。

「最近はちょっとしたことするにもパワーが必要でさ、毎日体がダルくて、おまけに痒くて、そんで寝られなくて睡眠不足。本当にしんどい日々でまいってるんだ。なんなんだろうね、いったい。何をしても楽しめていなくてさ、本当に困ってるんだ」

 亡くなる数日前に受け取った、弟からの最期のメールだ。

抗うつ剤服用の前にカウンセリングを

 彼を心配する家族や友人は、いくつかの治療を勧めてくれた。少しでも心境に変化が芽生えればと、私もことあるごとに連絡をした。気分転換をさせようと草野球や飲みの席に誘ったが、弟の返答は「ごめんね。また今度行く」だった。

 一時期、私は仕事で精神薬関係に携わっていた。薬を服用して30分ぐらいすると、脳に変調が起きてくることを自覚しており、抗うつ剤は最後の手段であると感じていた。副作用がキツく、悪循環から抜け出せなくなるのだ。

 週刊誌連載で数多くの基礎的な医療知識を学ばせてくれた、ある有名医師は、私にこう教えてくれた。

「精神安定剤とは、恐怖を感じないよう感受性を鈍くさせると同時に、仕事や日常のパフォーマンスを落とすことになります。気力が衰えて、最悪の場合は依存症にも陥る危険性すらあります。薬を服用する前に、カウンセリングで元気を取り戻すようにするのが基本的な治療法となります。少しでもいいから話をする、明るく楽しい時間をともにすることで、トラウマを少しずつ忘れさせるのです」

 抗うつ剤に原因がある気がして弟の家を訪ねた際、ダイニングテーブルに3~5種類の薬が置かれていた。「こういう薬だけは飲むな」と言ったが、眠れなくて苦しんでいる彼は服用を止めなかった。

 数日後、の家に行った私は、とある民間治療を受けさせた。2時間ほどたって治療が終わった後、食事に誘ったが、「食欲がないんだ」との言葉を聞いて彼と別れた。

 これが最期の対面になるなど、このときは思いもしなかった。

死に至るまでの3日間

 弟が「もうダメだ」と絶望を悟ったのは、梅雨が明けた頃だった。

 職場の先輩から「某省庁に提出する資料を一手に任されていたが、中間管理職の上司が右往左往するため振り回されていた」と聞いた。職場の未来を担う大事な作業を1年ほどかけて進めていたが、金曜日の午前中に突き返され、目の前が真っ暗になったというのだ。

 それがきっかけとなり「心臓がバクバクし始めたんです」と、妻である義妹が涙ながらに語った。休日の土曜日はどうにか過ごせたが、翌日が仕事となる日曜日の深夜。「もうダメだ」と観念したのだろう、家族が寝た後にビールのロング缶を3本飲んだ。死の恐怖を少しでも少なくした上で、走り書きの遺書を記し、月曜日の午前3時頃、あの世へと旅立った。

 遺書には「みんな愛してるよ」と、家族・母・兄弟・友人の名前が書かれていた。数日前から考えていたのか、妻にあてた遺品や遺書には「銀行やローンのカードと暗証番号、生命保険の証券、契約内容を確認するための暗証番号」が細かく記されていた。

 娘たちの未来に対する備えだけは完璧だった。

計り知れない「遺族の精神的ダメージ」

 朝6時。母から知らせを受けた私は、急いで弟の家へ向かった。義妹が号泣しながら私に謝り続けるが、私には彼女を慰めるしか術がなかった。「君は何も悪くない。悪いのは俺だ」と言葉をかけるのが精一杯だった。

 数時間後、私は遺体の確認をした。弟の亡骸を目にすると同時に「どうして気づいてやれなかったのか」という自責の念に襲われ、告別式前夜は浴びるほど酒を飲み、涙が枯れ果てるほど泣き続けた。私のみならず妻、母、兄弟、上司や部下など身近な人間のほとんどが、いまだに自責の念に苛まれている。遺族の精神的ショックは、経験者にしかわからないだろう。

 こうして書くことさえ迷ったが、コロナ禍で増えると言われる「死にたいと思っている人」を少しでも救いたく、記すこととした。

 葬儀当日。私たちが弟にかけた言葉を思い出してみたい。

「ごめんなさい、何もしてあげられなくて」と義妹。

「私より早く死んじゃダメでしょ!」と母。

「もっとお前との時間を増やすべきだった。許してくれ」と私。

「あんないいヤツはいなかった」と多くの友人が号泣してくれたのが、せめてもの救いだった。

※ ※ ※

 最後に。この記事を読んでいただいた、深い悩みを抱えた方にお願いします。

 絶望を抱えていたら、誰にでもいいから話を聞いてもらってください。遺された家族や兄、友人のショックは想像を絶します。どう表現をしていいかわからぬほど、心は深い闇から抜け出せなくなります。

 いくら月日が経過しても、いまだに後悔はなくなりません。家族を愛しているならば、お願いだから悩みを誰かに打ち明けてください。もし話せる人がいなければ、私がお話をお聞きしますので、メールアドレスを記しておきます。時間の許す限り、お話をお聞きします。

 朝の来ない夜などありません。どうか希望を捨てないでください。

(文=本庄正彦/ライター)

メールアドレス:oga4337@yahoo.co.jp

自殺を防止するために厚生労働省のホームページで紹介している主な悩み相談窓口

▼いのちの電話 0570・783・556(午前10時~午後10時)
0120・783・556(午後4時~同9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)

▼こころの健康相談統一ダイヤル 0570・064・556
(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)

▼よりそいホットライン 0120・279・338(24時間対応)
岩手、宮城、福島各県からは0120・279・226(24時間対応)

JRA C.ルメール「ライバル、岩田さん」スプリンターズS(G1)勝利騎手に迫り来る「コロナ禍」の影!? グランアレグリア“陣営”とのコミュニケーションに心配も

 コロナウイルスの影響で無観客競馬が続いていた中央競馬だが、今週10月10日から指定席限定での入場を再開する。

 そんな中、4日に行われたスプリンターズS(G1)は、これまで通りの「無観客競馬」として行われ、1番人気のグランアレグリアが強烈な末脚で快勝した。

 見事な手綱捌きでグランアレグリアをゴールへと導いたC.ルメール騎手は、この勝利でJRA重賞通算100勝目を達成。メモリアル勝利を飾ったルメール騎手だが、その後の勝利騎手インタビューではしどろもどろ。苛立つ場面も見受けられた。

「はい、ありがとうございます」

 威勢よく始まったインタビューであったが、その序盤に「試練」は訪れる。

 インタビュアーが「レースを終えて帰ってきたときも、素晴らしい馬だったという声が聞こえましたが“陣営”とはどんな言葉を交わしたのでしょうか」と質問。

 それに対してルメール騎手は「誰と??」と、眉をひそめたのだ。

 インタビュアーが「陣営とは帰ってきたときに……とっ、トレーナーとは……」と、慌てて補足する。

 そう尋ねられ「ああ、トレーナーと」と、ようやく“陣営”の意味を理解したルメール騎手だった。

 以前も「抱負」や「設定」などの意味が理解できない事は度々あったのだが、今回のインタビューでは言葉に詰まるシーンも見られ、言葉の「意味」が汲みとれない場面も多くあった。

「このところで勝つためには無理ですけど」、「長期戦の相手ではすごくいい脚で伸びてくれました」など……秋「最初のG1」を「最後のG1」と言い間違えるところも見られた。

 これには、一部の競馬ファンからもSNSや掲示板を通じて「だんだん日本語下手になってないか?」「もう英語でいいんじゃない?」「日本語強要されて可哀想……」などと、心配の声が挙がっている。

「もうすっかり日本でもお馴染みのジョッキーとして認識されていますから、インタビュアーも以前と比べ言葉のチョイスに配慮がなくなっているのかもしれませんね。それと今はコロナ禍という状況ですから、もしかするとルメール騎手自身が日本語でのコミュニケーションが少なくなっている事も影響しているのかもしれません。

レースや調教で騎乗する際も、陣営とのコミュニケーションは必要です。今回の“陣営”という言葉は外国人騎手にとって少し難しかったかもしれませんが、最低限の日本語力はキープできるといいですよね」(競馬記者)

 確かに、今のコロナ禍ではJRAでさえ「身体的距離の確保にご協力ください」「大きな声での会話や応援はお控えください」と新しい観戦スタイルを発表しているぐらいだ。以前に比べ、会話する機会が減っている事は大いにあり得るだろう。

 過去のトークショーでは「日本語むずかしいね。日本語のライバル、岩田さん」と、冗談で笑いをとっていたルメール騎手。

 このままでは、ライバル・岩田康誠騎手との差は広がる一方かもしれない。

 意外なところにも影響を及ぼしているコロナウイルス。

 いち早い「終息」を願うばかりだ。