
前回は平成最強のJRA日本ダービー馬を検証したが、今回は逆に平成最弱の日本ダービー馬を検証したい。最強がいれば最弱もいるのが世の常、一度は頂点に立ったものの、残念ながらその後活躍できなかったダービー馬達。その軌跡をまとめてみた。
まずは日本ダービーを優勝後、G1レースを1勝もできなかった馬は20頭いる。30頭中20頭だから意外に多い数字だ。しかしここから現役のワグネリアンとマカヒキは除外する。マカヒキは戦績から最弱候補の一頭だが、現役でありチャンスはゼロではない。残り18頭のうち、怪我などが原因で日本ダービーが最後のレースとなった馬はタニノギムレット、サニーブライアン、アイネスフウジンの3頭で、これも除外。残り15頭のうち、G1レースは勝てなかったが重賞を勝利した馬も外す。該当馬はウイニングチケット、アドマイヤベガ、ネオユニヴァース、キングカメハメハ、ディープスカイ、キズナ、ワンアンドオンリー、ドゥラメンテだ。残りは7頭だがG1レースで2着の実績がある馬も外す。これに該当するのはミホノブルボン。残り6頭は以下の通り。
・ウィナーズサークル
1989年優勝
日本ダービー以降成績
京都新聞杯 4着
菊花賞 10着
・タヤスツヨシ
1995年優勝
日本ダービー以降成績
神戸新聞杯 5着
京都新聞杯 7着
菊花賞 6着
・フサイチコンコルド
1996年優勝
日本ダービー以降成績
カシオペアS 2着
菊花賞 3着
・アグネスフライト
2000年優勝
日本ダービー以降成績
神戸新聞杯 2着
菊花賞 5着
ジャパンC 13着
京都記念 2着
大阪杯 10着
天皇賞(秋) 15着
ジャパンC 16着
京都記念 6着
阪神大賞典 13着
・ロジユニヴァース
2009年優勝
日本ダービー以降成績
日経賞 6着
宝塚記念 13着
札幌記念 2着
札幌記念 14着
・ディープブリランテ
2012年優勝
日本ダービー以降成績
キングジョージS 8着
ウィナーズサークルはダービー後2戦2敗で引退。菊花賞のレース中に骨折しており、成績は度外視していい。また日本ダービー後に海外遠征で故障し引退となったディープブリランテは対象外だろう。さらに菊花賞3着のフサイチコンコルドも最弱と呼ぶほどではない。
タヤスツヨシはサンデーサイレンス産駒の日本ダービー馬1号。ただ、この世代ナンバー1と目されていたフジキセキが戦線離脱したこともあり、恵まれた部分もあっただろう。ダービー後は3戦3敗、菊花賞では牝馬のダンスパートナーに先着されるなど、日本ダービー馬らしからぬ成績だった。
ロジユニヴァースは脚元に不安を抱えており、ダービー後は満足にレースを使えなかった影響が大きい。しかし日本ダービーで負かした17頭の中で、後にG1レースを勝利したのはナカヤマフェスタのみ。その年の皐月賞馬アンライバルドも皐月賞以降は不振が続き、菊花賞を勝利したスリーロールスは1000万条件を勝ったばかりの馬。レベル的にも「?}が付く世代だったことも否めない。
このタヤスツヨシとロジユニヴァースは最弱候補の一角に数えられると思うが、成績や世代を総合的に考慮すると、河内洋悲願のダービー優勝と話題になったアグネスフライトか。
アグネスフライトはダービーまで5戦4勝ながら、ダービー後は8戦全敗で先着を許したのは73頭。さらに同年代でダービー2着、皐月賞と菊花賞を制した武豊のエアシャカールも、菊花賞以降は10戦10敗という成績や、皐月賞2着ダイタクリーヴァがその後G3しか勝てず、菊花賞2着トーホウシデンもG3勝ちまでという実績からも、最弱世代と呼ばれたこともある。アグネスフライトは無敗の皐月賞馬アグネスタキオンの兄。しかしタキオンの世代はダンツフレーム(宝塚記念)やジャングルポケット(ジャパンカップ)にマンハッタンカフェ(有馬記念・天皇賞・春)そしてクロフネ(ジャパンカップダート)が活躍。まさに対照的な世代だった。
実際に日本ダービー以降に負けたレースの数ではワンアンドオンリーの23レースが最多。先着を許した頭数189も当然最多だが、3歳秋に神戸新聞杯を勝利しており、ドバイシーマクラシック(G1)で3着の実績がある。そういった実績も勘案すると、平成最強の日本ダービー馬はアグネスフライトということになりそうだ。