内田裕也が語った「ロック」と「カネ」

※画像:『俺はロッキンローラー』(内田裕也著、吉田豪監修、廣済堂出版刊)

 最後まで何をする人かわからなかったという人も多いのではないか。

 コメントを求められれば「ロックンロール」のひとことで締めるが、ヒット曲はなく、音楽をやっていたことも今では忘れられがち。俳優や映画監督という肩書もついて回るから、余計に職業がわかりにくい。

 今年3月に亡くなった内田裕也さんのことだ。そもそもこの人に職業的な肩書を求めるのは意味がない。それは「ロックンローラー」が必ずしもミュージシャンを指す言葉ではなく、ある生き方を示す言葉であるのと同じだ。

■内田裕也が語る「ロック」と「カネ」

 最後まで「ロックンローラー」を自称した内田さんだが、氏にとってのロックとは何だったのか。それが垣間見えるのが『俺はロッキンローラー』(内田裕也著、吉田豪監修、廣済堂出版刊)だ。

 ここでは自身の半生について語られ、音楽活動を始めた当時のシーンが語られると同時に、「ロック」や「人生」などについての氏の座右の銘が明かされている。

 たとえば「お金」。ヒット曲に恵まれなかったこともあり、内田氏はカネ回りのいいミュージシャンではなかった。それだけに「お金」については複雑な感情を持っていたようだ。

 「金というのが、これまた難物である。でも、いま俺は、金が欲しい」と語りつつも、「金を儲けるために工夫するのはイヤだなァ。工夫したことで、金が入ってくるのは理想的だろうけど……」ともしている。

 お金のためにプライドや意地を捨てられる人と、そうでない人。内田氏は後者である。そして「お金がほしい自分」を最後のところで押しとどめていたものがロックだったのだろう。

 その「ロック」については「ロックは、ハングリー・ミュージックだ」「俺は、ロックしかないみたいな人間だが、世の中にあるものの中では、ロックが一番大きい、すべてを含むものだというプライドがある」と熱い思いを隠さない。内田氏にとってのロックは「生きがい」という生ぬるい言葉では言い表すことができないものだ。

 思えば、私たちは内田氏のいう「すべてを含むもの」、あるいは「すべてを含むと思えるもの」を探して人生を生きている。人によってはそれがビジネスであったり、別の人にとっては宗教であったり、絵を描くことだったりするが、おそらくそれを見つけた人は、お金のあるなしや人生の長さ、他者から尊敬されるかどうかにかかわらず幸せだ。

 この本の座右の銘は様々なトピックについて、時にぶっきらぼうに、時には少しの皮肉を込めて内田氏の思いが綴られている。

 決して落ち着かず、世間を騒がせ続けて去っていった内田氏。「あの人は一体何だったのか?」という問いに、本書はきっと答えてくれるだろう。
(新刊JP編集部・山田洋介)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

「儲けることができないヤツはアホで低能」 47年前のベストセラービジネス書は内容も刺激的だった

※画像:『ユダヤの商法 世界経済を動かす』(著: 藤田田)

 今、ある伝説的な経営者が執筆したビジネス書が復刊し、大きな話題を呼んでいる。

 その経営者の名は藤田田。「ふじた・でん」と読む。

 1926年大阪に生まれ、東京大学に進学後、輸入雑貨販売店「藤田商店」を創業。1971年にフランチャイズ権を獲得し、日本マクドナルドを設立する。さらに1989年には玩具量販店の日本トイザらスを設立し、2004年に死去した。

 その代表著作として知られるのが82万部を超えるベストセラー『ユダヤの商法 世界経済を動かす』だ。1972年に出版され、その後長らく絶版となり中古本市場において高い価格で取引されてきた。

 そんな本書が2019年4月、KKベストセラーズより新装版として復刊したのだ。

 「銀座のユダヤ人」という異名を持っていた藤田。彼はユダヤ人のビジネスマンたちに学んだのはユダヤ商法の定石だった。その定石さえ守れば、金儲けは誰でもできる。そんなことを本書の中で語っているのだ。

 巻末に掲載されている「藤田田復刊プロジェクトチーム」によるメッセージの中には、社会環境が劇的に変化した厳しい時代においても、勝ち抜くための「答え」が藤田の商法の中に色あせることなく豊かに「ある」と指摘する。

 読み進めていくと、「これは今の時代の価値観にはそぐわないのではないか」という考え方もあるが、確かにビジネス、金儲けというところでは現在でも「定石」と言えるものがたくさん詰まっているし、ページ全体を通して伝わる「がめつさ」「ハングリーさ」は成功のための必須要素になるはずだ。

 では、そのユダヤ商法の定石とはどんなものがあるのだろうか。少しだけ紹介しよう。

■ユダヤ商法には商品はふたつしかない

 20年近い貿易商生活の中で、ユダヤ人から何度も言われたことが「ユダヤ商法に商品はふたつしかない。それは女と口である」という言葉だったという。

 その理由はこうだ。男性がお金を稼ぎ、女性がそのお金を使って生活を成り立たせる。つまり、男性はお金を持っていない。もっとはっきり言えばお金を消費する権限がない。儲けたいならば、お金を持っている女性をターゲットとすべき、ということなのだ。

 ただ、女性用品は儲けやすいとはいえ、扱うにはある程度の才能が必要。そこで出てくるのがもう一つの商品「口」である。「口に入れるものを取り扱う商品」――いうなれば「グルメ」だろうか。藤田は、凡人でも、凡人以下の才能しかない人でもできる商売だと言う。

 なぜか。それは口に入ったものは、必ず消化され、時間が経てば廃棄物になる。そしてまた新しく食べるものが必要になる。「こんな商品ほかには存在しない」と藤田は述べる。

 とはいっても、口に入れる商品は、女性用品ほどたやすく儲けることはむずかしい。というところで、第一の商品が「女性用品」、第二の商品が「口に入れる商品」となっているようだ。

■ユダヤ人は自信のある商品を「まけない」

 ユダヤ商人たちの特徴をもう一つ。

 彼らは自信のある品物を決してまけることはない。この商品を高く売ることがいかに正当であるかをあらゆる資料を用いて説明しようとする。 そして、高く売るためのデータ・資料を送り付け、「これで消費者を教育しなさい」と言うのだ。

 商品をまけなければ、もちろん利益は大きくなる。商品に対する自信、それが日本人には少ないのかもしれない。

 藤田の半生を挟みつつ、ユダヤ商人たちの商売哲学がつづられている本書。「働くために食うな、食うために働け」「百点満点で60点とれば合格」といった考え方や、「金儲けのできん奴はアホで低能や」「金を持っても、デカイ面するな」といった藤田の厳しい語録も収録されており、とことん刺激的である。

 この世の原理原則はそう変わりはしない。多くの経営者に影響を与え続ける実業家の言葉は、ビジネスで成功をしたい人にとって参考になる部分がたくさんあるはずだ。
(新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

年齢を自分で決める、下重暁子の老けないための生き方

※画像:『年齢は捨てなさい』(幻冬舎刊)

 年を重ねていくと、「自分、年を取ったなあ」と年齢を意識する機会が多くなる。
また、年齢で括られて不快な思いをすることもあるだろう。

 しかし、自分の年齢を気にせずに好きなことに没頭している人は、若々しくイキイキしているものだ。では、どうしたら年齢を意識せずに生きることができるのか。

 年齢にとらわれず、自由で充実した人生を送るヒントを紹介するのが、『年齢は捨てなさい』(幻冬舎刊)だ。著者は、『家族という病』などのベストセラーで知られる元アナウンサーの下重暁子氏。

■年齢を自分で決めるという生き方

 もうすぐ83歳を迎える下重氏だが、自分が今、82歳という自覚がないと語る。むしろ、これまでの人生の中で、今が一番頭も体も冴えている。なので、82歳を実年齢と呼ぶのもやめたという。82歳は戸籍上の年齢でしかなく、その実感がないからだ。

 しかし、それでも他人は実年齢を指摘するはず。そこで反論するのは面倒なので受け流し、「そうよ、周りはそういうわね。でも私の中では60歳よ。頭も体も」と心の中で呟けばいい。

 ただ、年齢は自分で決めるといっても、現実と向き合う必要はあると下重氏。なので、現実を認めるとしても、それに負けない主観年齢を持つことが大事だ。5年に1回、身のまわりを見わたす。3年に1回は体に気をかける。とはいえ、どこかに支障があった場合に限る。

■持ち時間はどんどん減っていく 嫌なことをしている暇はない

 年を重ねることは、さらに個性的になるということ。お金も体力も持ち時間も年を重ねることに減る。だからこそ、嫌なことや人と同じことをしている暇はないのだ。

 人間を年齢で重ねること以上の束縛はない。だから、下重氏は「年齢は捨てましょう」と提案するのだ。

 年齢は自分で決める。そうすることで、世間やまわりの人の価値観にとらわれることなく、もっと自由で充実した人生を送ることができるのだろう。
(新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

『いだてん』第19話、またも壮大な肩透かし…箱根駅伝誕生秘話をあえて盛り上げない謎脚本

『いだてん~東京オリムピック噺~』公式サイトより

 NHK大河ドラマ『いだてん』の第19話が19日に放送され、平均視聴率は前回と同じ8.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。

 今回は、現代でも絶大な人気を誇る箱根駅伝の誕生について描く内容だと予告されていた。日本人初のオリンピック選手としてマラソン競技に出場した金栗四三が箱根駅伝の創設に深くかかわった事実はあまり知られていないが、大河ドラマとしては格好のネタである。盛り上がりに欠けたここ最近の回を我慢して見ていた視聴者も、箱根駅伝誕生の過程を描く回ならさぞかしドラマチックな内容になるだろうと期待していたはずだ。

 ところが結論から言うと、その期待は大いに外れた。どうやら脚本の宮藤官九郎は、箱根駅伝誕生のいきさつを波乱万丈な成功物語に仕立てることには、まったく興味がなかったらしい。アメリカのロッキー山脈を越える駅伝の予選会を開くにあたり、平地より高地がいいだろうという金栗の発案で箱根駅伝が生まれた――という誕生秘話は、アバンタイトルの冒頭であっさり終了。肩透かしも甚だしい。

 ちなみに前回も、ゴム底のマラソン足袋誕生というドラマにするのに格好のエピソードをあっさりスルー。金栗(中村勘九郎)が「足袋の底をゴムにしてほしい」と突然言い出し、足袋屋の黒坂辛作(三宅弘城)が後日完成品を持ってきた――という描写だけで終わらせてしまった。こうなると、なんの意地を張っているのかわからないが、クドカンは誕生秘話や開発秘話など、「紆余曲折の末に成功に至る汗と涙のエピソード」を描くのを意図的に避けているとしか思えない。つまり、ドラマとして盛り上がりそうなベタな展開を回避しているという意味だ。

 もちろん、ベタな展開を避ける脚本が悪いわけではない。『踊る大捜査線』(フジテレビ系)の制作陣がそれまでの刑事ドラマの王道であった『太陽にほえろ!』を徹底的に研究し、その「王道展開」をことごとく避ける手法を採って大成功したことはドラマファンの間ではよく知られている。だが、前回の『いだてん』第18話は、「ゴム底のマラソン足袋誕生」というベタな盛り上がりポイントをあえて回避したものの、代わりになる軸のストーリーが存在しない、いわばヤマもオチもない回のまま終わった。

 では、今回はどうだったのだろうか。視聴者の声は、賛否両論かなり割れている。「あえてわかりにくくしている」「視聴者を突き放している」といった批判がある一方で、「久しぶりにおもしろかった」「今回は落語が邪魔しなかった」「駅伝と落語がちゃんとかかっていて、よく練られていた」と称賛する声もかなり多い。

「わかりにくい」との意見は初回からずっと出ているが、今回、さらに一部視聴者を混乱させたのは事実だ。何しろ、古今亭志ん生(ビートたけし)の若き日・美濃部孝蔵を演じる森山未來が、突然志ん生の前に姿を現したのだ。「まさかのタイムトラベル?」と思った人も少なくなかったようだ。種を明かせば、この回で森山が演じたのは志ん生の若き日の姿ではなく、やはり落語家として活躍している志ん生の2人の息子たち。息子が父の若い頃に似ているのは当たり前なのだから、キャスティングとしておかしくはないが、かなりトリッキーだったことは否めない。

 とはいえ、森山がこの回に限って、志ん生の息子を演じたことは字幕でも台詞でもしっかりと説明されており、これをわかりにくいと感じるようなら、ドラマを見るのをやめたほうがいいレベルである。

 むしろこの場面については、森山の演技を絶賛する声が圧倒的に多かった。森山をここで起用したのは演出担当の大根仁の案だというが、これに応えた森山もすごかった。破天荒な孝蔵とは見た目も雰囲気も話し方も全然違うのはもちろんのこと、流ちょうで聞きほれるような語り口で2人の落語家をしっかりと演じ分けてみせた。「美しい」という言葉がぴったりである。視聴者からも「本当にすごい役者さんだと思う」「天才がいた」「とんでもないものを見せられた」「あれはバケモノだ」などと絶賛が相次いだ。箱根駅伝誕生秘話をあっさりスルーした分の代わりとなるヤマ場がこんなところに用意されていたとは、思いもよらなかった。

 落語パート自体も、五りん(神木隆之介)が書いたネタをもとに第1回箱根駅伝の様子を振り返るというもので、本編としっかり絡んでいた。いつもは金栗を中心とした日本マラソン界の歴史をたどる物語をぶつ切りにして落語パートが入ってくることが多いが、これなら逆にストーリーが整理されて見やすくなる。

 ここに、「駅伝の噺だから落語家がリレー方式で演じる」というネタをねじ込んできたのはクドカンらしいが、それによってこの第19話全体が、志ん生による即興のサゲ「マラソンのないオリンピックなんて、黒豆のないおせち料理みたいなもんです」できれいにまとまった。志ん生はこの回で何度もおせちに黒豆が入っていないことに不満を呈していたが、それが伏線だったというわけだ。ここまで見せ場たっぷりの落語パートを見せられては、箱根駅伝誕生秘話をあっさり終わらせたのも納得がいく。クドカンが描きたかったのはそこではなく、落語パートだったのだとはっきりわかるからだ。

 駅伝の結末についても興味深い描き方がなされた。焦点が当たったのは優勝者ではなく、ゴール目前で転倒し、足をひきずりながら決死の表情でゴールを目指す2位の選手。昨年、骨折した駅伝選手が這ってたすきをつなぎ、賛否両論が沸き起こった出来事をほうふつとさせる。だが、劇中では四三をはじめ関係者も観客たちも、誰ひとりとして選手の体を心配しない。むしろ大声援を送り、ゴールの瞬間は皆で歓喜する。嘉納治五郎(役所広司)にブレーキを掛ける役回りだった岸清一(岩松了)ですらすっかり長距離競技のとりこになり、「こんな感動的なレースなら絶対(オリンピックで)やるべきです!」と嘉納に進言した。スポーツの持つ魔力に観客がいとも簡単に熱狂させられる様を、一歩引いたところから見事に表現したといえよう。

 さて、次回は金栗が2度目のオリンピックに参加するものの、またもや結果を出すことができなかったところまでを一気に描くようだ。これまでの傾向から予想すると、金栗がマラソンを走る場面自体はヤマではないと思われる。クドカンはその代わりにどんな見せ場を用意しようとしているのか、大いに気になる。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

これからは「思考力」の時代! 現役東大生が教える「自分で考える力」の鍛え方

※画像:『東大ドリル』(ワニブックス刊)

 これからの社会で必要とされるのは、どんな人なのか? 頭のいい人とは、どんな人なのか?

 回答の一つをあげるとするならば、それは「思考力」のある人だ。それは単に「物知り」ではない。ネットで調べればいくらでも情報を得られ、AIは人間の何億倍も記憶できる。これからの時代は「知識量」ではなく、「思考力」が求められる。

 では、どうすれば思考力を身につけ、磨くことができるのか。

 現役東大生の西岡壱誠さんが執筆した『東大ドリル』(ワニブックス刊)は、なぞなぞや身近なテーマを題材にした問題で、「思考力」を身に付けるための5つの能力「情報処理力」「読解力」「客観的思考力」「論理的思考力」「アイデア力」を段階的に鍛え、総合的な「思考力」を身につけることを目的とする一冊である。

■思考力を鍛えれば少ない情報でも解が出せるようになる!

 さて、先にもあげた5つの能力を鍛えれば、一つの問いに対して知識が不足していなくても解ける場面が多くなる。

 例えば本書の冒頭には、「牛乳は北海道で生産されているイメージが強いが、東京のスーパーなどで売られている牛乳は群馬県や栃木県など北関東で作られたものが多い。それはなぜか?」という問題が用意されている。

 さて、あなたの考えはどうなっただろうか?

 これを5つの能力と重ねるとこんな風に考えることができるだろう。

情報処理力…「北海道ではなく北関東」
読解力…「北関東と北海道の違いがポイント」
客観的思考力…「北海道を引き合いに出した出題者の意図は?」
論理的思考力…「北関東と北海道の違いと、牛乳の特徴とを結び付ける」
アイデア力…「北関東は東京から近いけど、北海道は遠いから牛乳が腐るのでは?」

 問題から情報を読み取り、質問者の意図を推察し、アイデア力を働かせる。なんだか頭をかなり使いそうだが、この思考力を高めれば、解けない問題でも解けてしまうことがあるのだ。

 この牛乳をめぐる問題は本書の入り口として用意されたもの。中に進んでいくとさまざまな問題が読者を待ち受けており、西岡氏は、本書の問題で目一杯悩んでほしいと述べる。なぜなら、悩めば悩むほど頭を働かせることになり、「思考力」を鍛えることができるからだ。

 また、もちろん本書は学生だけでなく、ビジネスパーソンにとって大いに有効だ。「新米YouTuberのあなたが『10万再生』を突破するには?」「男性にも化粧品を買ってもらうには?」といったマーケティング的なアイデア力を求められる問題もある。

 これからは持っている情報や知識をどう活用するかという「アウトプット」が求められる。そのためにも本書の問題でたくさん悩んで「思考力」を身につけるべきなのだ。
(新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

『中学聖日記』第8話で視聴率最高に爆上がり!最高のクソドラマ化でネット総ツッコミ祭り!

『中学聖日記』公式サイトより

 有村架純が主演する連続テレビドラマ『中学聖日記』(TBS系)の第8話が27日に放送され、平均視聴率は前回から1.2ポイント増の7.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。これは、同ドラマとしては過去最高である。最終回が間近に迫った第8話になって、急激に盛り上がりを見せている。

 このドラマは、婚約者がいながらも、自分が担任する中学校の男子生徒・黒岩晶(岡田健史)に心惹かれていく教員・末永聖(有村)の禁断の恋を描く物語として始まった。だが、2人の不適切な関係はやがて学校にバレてしまい、聖は学校を去ることに。晶ともそのまま別れ、3年の月日が流れた。現在は小さな町で小学校の教員として再起を図っていたが、運命が再び2人を引き寄せていく。

 第8話は、出勤する聖の前に晶の母・愛子(夏川結衣)が突然現れた場面から始まった。鬼の形相、とまではいかないが、どう見てもふつふつと怒りをたぎらせている表情だ。愛子は「若い女教師がかわいい息子をたぶらかした」と逆恨みに近い感情を抱き続けているのだ。どんな修羅場が始まるのかと視聴者の期待も高まったが、ちょっとイヤミを言っただけでおとなしく退散してしまった。なんだそれは。

 ところが、聖に敵対心を向ける橘美和(村川絵梨)がこの光景を陰から見ていた。美和はネグレクトしていた娘を実家に取り上げられ、なぜか学校や聖を恨んでいたのだ。「いいネタを見付けた」と思ったのか、美和は帰ろうとする愛子に近付き、聖の過去を聞き出す。そして、「聖は前にいた中学校で生徒と淫行して妊娠して辞めた」というガセネタをウキウキで母親たちに広めてしまう。

 妙に美人なのにめちゃくちゃ性格が悪く、人を陥れて勝ち誇ったような顔をする村川絵梨の演技は悪役としてかなりおもしろい。まだ登場して3話目だが、期待通りの大暴れである。と思ったら、ちょっと聖に親切にされたくらいでコロッと改心してしまった。なんなんだこの展開は。

 せっかく粘着質でヤバそうな敵を2人も登場させ、聖がじりじりと追い詰められていく展開になるのかと期待したのに、2人ともちっとも聖を追い詰めないのだ。つまらないにもほどがある。クソみたいな展開だなと思っていたら、今度は聖がいきなり「(中学校で生徒と問題を起こしたという)噂は本当です」と母親たちの前で告白し始めた。これには視聴者も呆れてしまい「なんで余計なこと言うのか」「あーあ、せっかく周囲が取り繕ってくれてたのに」「救いようのないアホだな」といった声が上がった。

 当然のことながら学校には抗議の電話が殺到し、聖は副担任から外されてしまう。聖がいきなり過去を告白したのは、晶から「過去を切り捨ててなかったことにしても、新しい自分にはなれない」という謎の理論を吹き込まれたからだ。やり直すためには、過去をさらけ出す必要があるのだと解釈したらしい。

 そんなことを言ったら、聖は今後どこに行っても「私はかつて中学校の教員をしていた時に生徒と不適切な関係になったことがありますが、そんな私で良ければよろしくお願いします」と言って回らなければならないことになる。そんなアホみたいな話があってたまるか。今までも到底頭が良さそうには見えなかったが、聖ったら本格的に頭が弱すぎる。

 この後、聖は、晶が掛けてきた思わせぶりな電話に誘われるままに彼を追いかけ、フェリー乗り場へ直行。船上に晶の姿を見付けてそのもとに駆け寄ると、船はそのまま岸壁を離れた。またしても「乗船券買ってないだろ」「無賃乗船かよ」「きっぷ買わないのにどうやって船に入れたんだろう」と視聴者からのツッコミが殺到した。

 まあ、ドラマだから乗船券を買ってないのには目をつぶるとしても、晶をひたすら追いかけた聖の行動はあまりよろしくない。なぜならこのとき聖は、晶が置き手紙をして行方不明になり、母親らが必死になって探していることを知っていたからだ。もし自分にだけ電話があったのなら、心配している母親に連絡するのが先だろう。そうせずにただ晶のもとへ駆け付ける時点で、教師どころか社会人失格と言わざるを得ない。

 生徒を好きになった過去は、「一時の気の迷い」「若気の至り」でまだ許される。だが、家出した高校生の居場所を親に知らせず、一緒に逃避行するというのは、後でどんなに言い訳をしようと誰も擁護できないのではないだろうか。制作側はここから最終回にかけて盛り上げていきたいはずだが、主人公である聖がこんなにクソ化してしまっては、せっかくおもしろ半分に楽しんでいた視聴者も離れてしまうのではないか。あれだけ晶を拒否していた聖が最終的に彼を追いかけた理由もさっぱりわからないし、もはや終着点が見えなくなってきた。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

今さら聞けない! 頻出する基本的ビジネス“頭字語”

※画像:『TJG頭字語辞典』(一校舎頭字語研究会著、ワニブックス刊)

 英語の熟語の頭文字をとってつなげた「頭字語」を目にする機会は多い。例えば「IOC」「TPP」「LGBT」などがそれに当てはまる。「LGBT」なら「Lesbian,Gay,Bisexual and Transgender」の略で、日本語訳は「性的少数者」となる。

 頭字語は使われるとスマートな印象を受けるものだが、意味が分からないまま使われるということも多い。そんなときに読みたいのが頭字語の解説をした『TJG頭字語辞典』(一校舎頭字語研究会著、ワニブックス刊)だ。

 本書では、必ず覚えておきたい基礎編から、ビジネス、経済、国際、医療、軍事、生活、IT、科学、スポーツ、娯楽・教養の全11ジャンルの頭字語を取り上げている。

 ここでは「ビジネス」の分野から、今さら聞けない基本の頭字語をあげていこう。

 まず「CS」と「CSR」はわかるだろうか。

 「CS」は「Custmoer Satisfaction」で、訳は「顧客満足」。「CSR」は「Corporate Social Responsibility」で、訳は「企業の社会的責任」。どちらも、しっかりと覚えておきたい頭字語だ。

 では、「PDCA」はどうだろうか。ビジネスの現場ではよく使われているが実はそれぞれ何を表しているかちゃんと理解できているだろうか? これは「Plan-Do-Check-Act」の略で、生産管理や品質管理などをスムーズに進め、事業活動をうまく進める方法の一つだ。

 「PDCA」に関連する頭字語は、「KGI」と「KPI」だ。「KGI」は「Key Goal Indicator」の略で、訳は「重要目標達成指標」。プロジェクトの最終的なゴールとなる目標を数値で示したもの。「KPI」は「Key Performance Indicator」の略で、訳は「重要業績評価指標」。KGIを達成するためのプロセスが適切かどうかを評価するだの中間発表を数値として示したもの。

 ここであげたものの他にも、ビジネスマンとして知っておかなければいけないものから教養を高めるためのものまで、多くの頭字語を紹介している本書。

 頭字語を理解しておけば、ビジネスの場面やニュースを読むときにも大いに役に立つはずだ。
(新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

『西郷どん』残りあと3話!クライマックスの西南戦争に突入、見どころはココ!

『西郷どん』公式サイトより

 鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第44回「士族たちの動乱」が25日に放送され、平均視聴率は前回から0.8ポイント増の12.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。

 政府を去った西郷隆盛(鈴木)の後を追って、薩摩出身の士族たちが続々と政府の役職を辞し、薩摩に帰ってきた。その筆頭格である桐野利秋(大野拓朗)は「東京に戻って政府を立て直してほしい」と西郷に頼むが、西郷は一向に動こうとせず、600人にも上る士族たちの間には政府への不満が募っていた。そんな時、西郷と同時期に政府を去った佐賀の江藤新平(迫田孝也)が不平士族を集めて蜂起するも、あっという間に政府に鎮圧されるという事件が起こる。このままでは薩摩士族もいつ暴発するかわからないと考えた西郷は、士族を集めた「私学校」を設立し、彼らに教養と軍事教練を授けることにした――という展開だった。

 自分を追って薩摩に帰ってきた者たちを当初は相手にしなかったものの、政府への不満をエスカレートさせていく彼らを放っておくことができず、学校をつくるという苦肉の策に打って出た西郷の苦悩がよく表現されていたように思う。

 西郷は、岩倉具視(笑福亭鶴瓶)や大久保利通(瑛太)らのやり方に抗議して政府を去った。それなのに、自分を慕ってついてきた者たちに対して「東京に帰れ」「政府のために励め」といくら言ったところで、説得力などないに等しい。「西郷先生をだまし討ちで追い出すような政府に仕えろと言うのか」といきり立つ彼らのほうこそ筋が通っている。

 仮に西郷が私学校を設立しなかったとしたら、薩摩士族による反乱や暴動が起こったかもしれない。たが、おそらくそれは西南戦争に比べればはるかに小規模なもので、西郷がその首謀者として命を落とすこともなかったのではないだろうか。結局、彼らを暴発させないために設立した私学校が、西南戦争を引き起こすことになるのだから、なんたる歴史の皮肉だろうかと切ない気持ちにさせられた。

 いずれにせよ、今年の大河ドラマは、あと残すところわずか3話しかない。次回はいよいよ西郷が政府に反旗を翻すようだ。見どころは、戦争そのものの描写ではない。むしろ、大久保と対立して地元に帰ってきた今回の時点ですら、「鹿児島から政府を支える」と宣言していた西郷が、どうやって心変わりするのかという過程である。また、戊辰戦争でたくさんの人を死なせたことをかなり後悔していた彼が、再び若い命が多数散るであろう戦争を始めることについて、自分の中でどう整合性をつけるのかも、しっかり描いてほしい。

 ちなみに、西郷が倒幕の際に、それまでとは打って変わってやたらと非情な人間になったことについては、結局、劇中で明確にその理由が説明されることはなかった。これについては、「脚本家が史実の解釈を放棄した」といってよい。だが、西南戦争の描写では同じ過ちを繰り返してほしくない。西郷はお人好しだから周囲に押されて蜂起したのか、それとも最後にもう一度ブラック化して本気で政府と戦おうとしたのか、はたまた大久保のために自分が犠牲となって不平士族を一掃しようとしたのか、『西郷どん』なりの解釈を視聴者に見せてほしい。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

六代目山口組が今年もハロウィンでお菓子配りをするも一部で反発が…任侠山口組ではブロック会議が開催

六代目山口組本部で行われたハロウィンでのお菓子配り

 当サイトでも既報の通り、8月以降、多数の離脱者を出すことになった任侠山口組。そんな同組織内にあって、今なお盤石な勢力を保持する地域が存在する。それは信州、長野県だ。今春、長野県で行われた親睦を兼ねた花見会では、約200人の任侠山口組関係者が集まり、その存在を内外に示したことがあった。

「長野県という地域は、二次団体である竹内組を筆頭に、傘下組織の団結力がとても強い。みんなが1人のために、という精神が組員の間に浸透しており、昨今は任侠内部が揺れているかのようにいわれているが、この地区はまったく揺れていない」(地元関係者)

 その任侠山口組の牙城ともいえる長野県で10月29日、関東の傘下組織を中心としたブロック会議が開かれている。

「関係者の間から漏れ伝わってくる話によれば、ブロック会議は約3時間行われたようで、昨今、任侠山口組については六代目山口組への加入が囁かれていましたが、ここでは当面は一本(独立組織)でやっていく方針があらためて確認されたのではないかとみられています。またヤクザ組織の原点であった盃ごとについても議題に上がったのではないかと聞こえてきています」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)

 結成以来、任侠山口組では、これまでのヤクザ社会の常識を超えて、盃による親分・子分といった縦のつながりではなく、同志としての横のつながりを重視してきた。それがここにきて、盃ごとを取り入れるべきか否かが検討され始めたというのだ。組員の離脱が相次ぐなか、その流れに歯止めをかけるために、保守的な要素も含んだ新たな組織改革に入ったともとれる。

六代目山口組によるハロウィンの波紋

 一方、六代目山口組では近年恒例となっている行事が行われた。

 いつからか一大イベントとして、すっかり世間で認知されることになったハロウィン。今年もハロウィン当日の10月31日、神戸市灘区にある六代目山口組総本部では、近隣住民に対してお菓子が配られた。

 六代目山口組が分裂することになった3年前には、この行事をいったん中止。分裂の影響がこうした面にまで及んだことを窺わせたが、翌年からは再び再開。分裂下でも、六代目山口組は平生と変わらぬ活動をしているという姿勢をアピールすることにつながった。しかし、今回は別の角度からの牽制が入ったのだ。

 それはすでにマスメディアでも報じられているが、組員らがお菓子を配るのに先立ち、一部の地域住民がハロウィン当日に、お菓子を配ることに反対するパレードを行ったのである。

 六代目山口組関係者によれば、そういった兼ね合いから、お菓子配りは例年よりも時間帯を早めて準備されており、大きな混乱はなかったという。

 ヤクザ問題に詳しい弁護士によれば、組員からお菓子をもらえば、子どもたちがお菓子をくれたヤクザが良い人だと認識してしまうことを地域住民は懸念しているという。そのため、暴力団排除条例を改正して、そうした行事を開催できないようにするべきだという主張を展開しているようだ。

 確かに、暴排条例施行以来、一般人とヤクザとの密接交際は禁じられている。しかし、現実はどうだろうか。何かあれば、虚栄を張るために一般人が平気でヤクザ組織の名前を騙る現状は変わっておらず、ヤクザにトラブル解決など相談ごとをする一般人が少なからずいることも確かだ。

「お菓子を組員からもらう子どもたちの表情は、みんな笑顔でした。自転車で親御さんが子どもたちと一緒にやってきて、組員たちからお菓子を受け取っている人たちもたくさんいました。それは傍目にも微笑ましく映っていました」(地元記者)

 日本は法治国家である。ヤクザであれ一般人であれ、法に背き悪いことをすれば、それは厳罰に処するべきだ。その厳罰化が、ヤクザの場合は、一般人よりも厳しくなることも仕方ないところだろう。

 だが、行き過ぎた締め付けは、必ず次の難題を生み出すことに気づかなければならないのではないだろうか。それが、“半グレ”と呼ばれる、ヤクザでも一般人でもない、当局では捕捉しきれないアングラ集団の台頭につながってしまい、極論を述べれば、そうした集団による特殊詐欺などの犯罪を拡大させてしまったのではないか。

 ある法曹業界関係者は、「国家がヤクザを本気でヤクザを根絶しようと思えば簡単です。暴排条例を改正し、ヤクザ組織の結社すら認めない“結社法”を施行すれば、世論を味方に間違いなく可決するでしょう。それをやらないということは、どこかにまだ、ヤクザ組織を必要悪とする空気があるのかもしれません」

 反社会的勢力と位置づけながらも、今でもどこかでは社会との接点を持ち続けているのがヤクザの実態でもある。今年のハロウィンをめぐる騒動は、その歪みが浮き出た一端といえるのかもしれない。
(文=沖田臥竜/作家・元山口組二次団体幹部)

フジテレビ『黄昏流星群』中山美穂の素人以下のクソ演技にネット大爆笑…黒木瞳は圧巻演技

『黄昏流星群』公式サイトより

 連続テレビドラマ『黄昏流星群』(フジテレビ系)の第5話が8日に放送され、平均視聴率は前回から0.2ポイント増の6.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。このドラマは、融資先へ出向になった元銀行員・瀧沢完治(佐々木蔵之介)と、母親を介護しながら食堂で働く目黒栞(黒木瞳)を中心に、人生や恋に葛藤する男女を描く作品だ。

 第4話は、ついに完治と栞がホテルに入るものの、エレベーターで娘の美咲(石川恋)と鉢合わせしてしまうという衝撃のラストだったため、この後の展開が注目されていた。しかも、娘の隣にいたのは婚約者の日野春輝(藤井流星/ジャニーズWEST)ではなく、かなり年配の男性(高田純次)だった。

 第5話はこの続きから始まったが、完治は美咲のことで頭がいっぱいになってしまい、結局、栞と結ばれることはなかった。翌日、美咲は完治に「お互い誰にも言わず、干渉しないように
」と告げる。

 この後、完治と妻の真璃子(中山美穂)、そして美咲は、春輝を含めた4人で温泉旅行に出かけるが、ここで物事が大きく展開していく。真璃子は夫の携帯にかかってきた栞からの電話に出てしまい、浮気相手からだとの疑いを深める。美咲は旅行中も絶えず不倫相手と連絡を取り合い、心配した完治と言い争いになってしまう。春輝はその様子を物陰から目撃してしまい、美咲の真実を知ってしまう。それが引き金となったのか、春輝は隙を見て婚約者の母親である真璃子にキスをした。

 もはや誰ひとりまともな人間がおらず、ぐっちゃぐちゃである。だが、「さすがにそこまではないだろう」というラインを軽々と越えてくるのが、このドラマの特徴だ。「なんだそれ」とツッコミを入れながら見る分にはとても楽しいし、むしろ「もっとやれ」という気にさえなる。視聴率こそ低いが、ある意味で視聴者をとても楽しませてくれる“いいドラマ”だ。

 中山美穂の素人以下みたいなクソ演技も、そういう意味では笑えて楽しい。特に今回は、春輝の前で急に両手をぶんぶん動かしてホタルをつかまえる仕草をした場面が視聴者に大ウケ。「何あのパントマイム」「盆踊り?」「幻覚でも見たのかな」「ぶりっこおばさん怖い」などと、ネットが沸いた。つまらない上に視聴者に毎回ストレスを与える『獣になれない私たち』(日本テレビ系)に、「もっと『黄昏流星群』を見ならえ」と言いたいくらいだ。

 それはさておき、栞が完治の携帯に電話したのは、施設に入っていた栞の母が死んだと知らせるためだった。知らせるためだったというより、孤独や不安に押しつぶされそうになって、完治の声を聞きたくなったというのが正しいのだろう。このあたり、黒木瞳はさすがである。葬儀での憔悴しきった様子もさることながら、葬儀を終えて一人で自宅に帰り、何気なく台所に立ったものの、ほどなくして泣き崩れる演技は圧巻だった。ネタドラマとわかってはいても、この場面だけは思わず感動したし、栞の境遇に同情して涙がこぼれそうになった。ネット上でも、この場面を絶賛する視聴者の声は少なくない。「黒木瞳本人はそんなに好きではないが、演技力は認めざるを得ない」との声も多い。筆者もその一人だ。

 こうして考えると、このドラマは案外ぜいたくなのかもしれない。あり得ないほどのバカげた展開と、何十年たってもアイドルから抜け出せない中山美穂の演技を笑い飛ばしつつ、その世界観をひとりで覆すほどの力を持った黒木瞳の重厚な演技を同時に楽しむことができるからだ。チグハグだといえばそうなのかもしれないが、良いほうにとらえれば「メリハリが半端ない」ともいえる。なんであれ、この先も楽しめることだけは間違いなさそうなので、引き続き密かに推していきたい。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)