●この記事のポイント
・ソニーGがテレビ事業を分離したのは撤退ではない。収益源をエンタメと半導体へ集中し、I&SSの独立上場で投資力を高める「企業価値の再定義」が始まった。
・半導体はスマホ部品からフィジカルAIの中核へ変わる。車載・産業・医療に拡大するセンシング需要を取り込み、ソニーは“AI時代のインフラ企業”へ進化し得る。
・パーシャル・スピンオフは資金調達と評価の最適解だ。コングロマリット・ディスカウントを解消し、技術者の価値を市場が直接測る構造転換が進む。
2026年1月20日、ソニーグループ(以下ソニーG)が発表した「テレビ事業の分離・TCLとの合弁会社設立」というニュースは、一つの時代の終わりを告げると同時に、次なる巨大企業体への進化を予感させるものだった。
かつてソニーの象徴であり、多くの家庭に“居場所”を持っていた「BRAVIA」の旗印を下ろす決断には、確かに寂しさがある。だが、今回の分離を「撤退」「敗北」と捉えるのは早計だろう。裏側にあるのは、これまでの日本企業が成し得なかった「未来への超・集中投資」という、むしろポジティブな意思である。
そして市場が次に注目するのは、売上高約1.8兆円規模を誇るイメージング&センシング・ソリューション(I&SS)事業、すなわちソニーの“半導体”だ。仮にここが「分離独立(パーシャル・スピンオフ)」という形で外部資本市場に出るなら、それは単なる事業ポートフォリオの再編に留まらない。日本企業が“コングロマリット”から脱皮し、AI時代のインフラ企業として再定義される瞬間になり得る。
本稿では、テレビ分離の意味を起点に、なぜ次の焦点が「半導体の独立上場」なのか、そしてその先に見える「フィジカルAI(現実世界をAIで解析し、制御する領域)」という巨大市場までを俯瞰する。
●目次
- 「BRAVIA」を脱ぎ捨てたソニーが手にする、身軽な翼
- 次の焦点、半導体事業。なぜ「売却」ではなく「独立上場」なのか
- 「フィジカルAI」の眼球として。2030年に向けた一筋の光
- 現場の誇り:技術者が「世界のプラットフォーマー」になる日
「BRAVIA」を脱ぎ捨てたソニーが手にする、身軽な翼
テレビ事業をTCLとの合弁(TCL51%、ソニー49%)へ移管した背景には、感情ではなく、冷徹で合理的な判断がある。
現在のソニーGの稼ぎ頭は、ゲーム、映画、音楽の“エンタメ3兄弟”である。視聴環境が「テレビの前」から「モバイル」「ストリーミング」「SNS短尺」に移行する中、巨額の設備投資と在庫リスクを伴うディスプレイ事業を抱え続けることは、グループの機動力を削ぐ足枷となりかねない。
さらに、テレビ事業は成熟産業であり、価格競争の強度が高い。部材高騰や為替の影響を受けやすい一方で、利益率の改善余地は限られる。競争相手がサムスンやLGといった「垂直統合型」企業、あるいはTCLなどの「スケールで勝つ」企業であることも、構造的に厳しい。
ソニーがテレビを手放したのは、「製品としてのテレビが不要になった」からではない。むしろ逆で、テレビを含む“視聴体験”は今後も重要だ。ただし、その価値の源泉は、もはや「パネルの製造」ではなく、コンテンツ、配信、体験設計、そしてIP(知的財産)へ移っている。そこに最適化した企業体へ変身する――それが今回の決断の本質である。
戦略コンサルタントの高野輝氏はこう指摘する。
「テレビの分離は“撤退”ではなく、資本効率を上げるための再編だ。ハードウェアの競争は『規模の経済』が支配するが、ソニーが本当に強いのは“体験の設計”と“IP”であり、そこで勝つための形に組み替えている」
今回の分離は「敗北」ではなく、「純度100%のエンタメ・サービス企業」へ脱皮するための“攻めの解脱”と言えるだろう。
次の焦点、半導体事業。なぜ「売却」ではなく「独立上場」なのか
市場が次に注目するのは、ソニーGのI&SS事業だ。しばしば「テレビと同様に切り離されるのでは」と取り沙汰されるが、テレビと決定的に異なるのは、ここが圧倒的な収益性と将来の“インフラ性”を持つ事業である点にある。
イメージセンサーはスマートフォンにとって不可欠な部品であり、長らくソニーの牙城だった。とりわけハイエンド帯での競争力は高い。一方で、同事業は特定顧客(代表的にはApple)への依存度が高いともいわれる。これは裏を返せば、顧客構造が変化した瞬間に業績が揺らぎ得るということだ。
そして、もう一つ重要なのが「投資の桁」である。半導体は、研究開発も設備投資も青天井になりやすい。微細化、積層技術、新材料、製造プロセスの刷新――競争に残り続けるには、継続的な巨額投資が避けられない。
ここでソニーGが直面するのが、いわば“投資のジレンマ”である。
・投資の資金争奪:年間数千億円規模にもなり得る投資は、ゲームの大型開発、映画・アニメの買収、音楽のIP投資など、グループ内の他事業と資金を奪い合う構造を生む。
・評価のギャップ:投資家の視点では、PERが高くなりやすいコンテンツビジネスと、資本集約的な半導体が同一グループ内で混在すると、企業価値が低く見積もられる“コングロマリット・ディスカウント”が起きやすい。
だからといって、半導体を完全売却する選択肢は現実的ではない。なぜなら、半導体がいまや単なる収益源ではなく、次の産業覇権(フィジカルAI)の核心に近いからだ。
そこで浮上するのが、2025年に金融子会社でも実施されたとされる「パーシャル・スピンオフ(部分的分離)」という手法である。これは、ソニーGが一定の株式を保有し続けながら、事業会社を上場させ、資金調達力と経営の独立性を強める構造だ。
「パーシャル・スピンオフは、日本企業が“企業価値の見せ方”を最適化するための手段として有効だ。完全分離ではなく持分を残すことで、シナジーと独立性の両方を取りにいける。市場が嫌う“何でも屋のコングロマリット”から脱し、投資家が評価しやすい形に再編できる」(同)
つまり半導体は「切り捨てる」のではなく、“独立させて加速させる”。それが最も合理的な解である。
「フィジカルAI」の眼球として。2030年に向けた一筋の光
半導体事業が独立・上場すれば、ソニーGは一定の株式を持ちつつ、半導体部門は市場から資金を調達し、顧客構造の転換と、爆発的な投資を同時に進めやすくなる。
狙うべき方向性は明確だ。スマートフォン向けの“高級部品”に留まらず、現実世界をAIで解析・制御する「フィジカルAI」の目となることである。
ここで重要なのは、生成AIの進化によって“脳(モデル)”は急速に賢くなった一方、現実世界を理解するための“目と耳”は依然としてボトルネックである点だ。AIが現場を変えるには、現実の情報を高精度で取り込むセンサーが不可欠になる。
その代表例が、自動車だ。
自動運転・ADAS:センサーは「車の命」になる
車載領域では、運転支援(ADAS)から自動運転へ進むほど、カメラ・LiDAR・レーダーの“冗長化”と高性能化が必要になる。とりわけカメラはコストと解像度のバランスから採用が進みやすく、CMOSセンサー市場は中長期で拡大が予測されている。
ソニーの高解像度・高感度センサーは、もはやスマホの部品ではなく、車の安全性を規定する中核部品になり得る。
産業用ロボット・医療:現実世界のデータ化が価値を生む
フィジカルAIの本丸は、工場、物流、医療現場といった「人手が足りず、失敗が許されない」領域だ。ロボットが環境を正確に把握し、異常を検知し、作業を最適化するには、映像・深度・温度・距離など多種多様なセンシングが不可欠になる。
「生成AIの競争が“頭脳の性能”から“現実世界の制御”へ移るほど、センサーの価値は上がる。高品質なデータを取り込める企業は、AI産業の『上流』を押さえることになる。ソニーのセンサーは、その入口を握る数少ないプレイヤーだ」(同)
この構図を突き詰めれば、ソニーの半導体事業は“部品メーカー”ではなく、AI社会のインフラ企業として再評価され得る。
現場の誇り:技術者が「世界のプラットフォーマー」になる日
この変革は、資本市場の話だけではない。最も大きな意味を持つのは、ソニーで働く人々、特に技術者にとっての未来である。
事業の独立は、エンジニアの評価制度を世界水準に近づける契機になる。ソニーGという大きな枠の中では、どうしてもエンタメの話題性や、キャッシュ創出力が注目されやすい。しかし半導体事業が独立し、市場から直接評価される構造になれば、技術者の仕事そのものが“企業価値の中心”に位置づけられる。
それは、かつての「家電メーカーの技術者」から、「知能化社会のアーキテクト」へとステージが変わることを意味する。
さらに重要なのは、独立してもシナジーが消えるわけではない点だ。デジタルカメラ「α」、業務用映像機器、映画制作の現場――ソニーGのエンタメ領域とセンシングは、今後も相互補完関係にある。資本関係を維持すれば、共同開発や顧客連携も続けられる。
むしろ、独立したパートナーとして互いに切磋琢磨することで、社内調整に時間を奪われず、より尖った製品が生まれる土壌が整う可能性すらある。
「日本企業の弱点は“守りの統合”にある。多角化はするが、構造改革で俊敏さを獲得できない。一方で、パーシャル・スピンオフのように『独立と連携の両立』ができれば、グローバル競争で必要な速度を取り戻せる」(同)
技術が評価され、投資が加速し、人材が集まる。もしこの循環が回り始めれば、ソニーの半導体は単なる優良事業ではなく、世界市場での“プラットフォーム級”の存在へ近づいていく。
ソニーが進めるのは「縮小」ではない。「価値の再定義」である。低利益率のハードウェア製造から距離を置き、高付加価値な「感動」(コンテンツ・体験)と、それを支える「技術インフラ」(センシング)に資本を集中させる。この大胆な新陳代謝こそが、日本企業がグローバルで時価総額を再び拡大させるための、数少ない正解なのかもしれない。
テレビのないソニー。それは終わりではなく、始まりだ。私たちの想像力をテクノロジーで拡張し続ける、より自由で強固な「未来のソニー」への第一歩なのである。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=高野輝/戦略コンサルタント)