●この記事のポイント
・中国政府の渡航自粛要請で中国人宿泊予約が全国平均6割減。だがインバウンド全体では約1割減にとどまり、地域や業態で明暗が分かれる「まだら模様」の実態が浮かび上がった。
・団体客依存の高かった都市部や量販店は打撃を受ける一方、ニセコや京都など多国籍・富裕層リピーターを抱える地域は影響限定。観光の「量より質」が試されている。
・中国依存のリスクが露呈する中、1割減はオーバーツーリズム是正の側面も。日本観光は客数至上主義から脱却し、「インバウンド2.0」への転換点を迎えている。
日本のインバウンド産業が、再び「チャイナ・リスク」という現実に直面している。
2025年11月、中国政府による日本への渡航自粛要請を受け、中国人観光客の動きが急速に鈍化した。宿泊予約エンジンを手がけるtripla(トリプラ)の発表によれば、同月の中国からの宿泊予約件数は全国平均で前年比57%減。事実上の「半減」であり、業界にとっては看過できない水準だ。
大阪観光局の調査では、市内ホテルにおける12月末までの中国人宿泊予約の5~7割がキャンセルされたとの報告もある。地方空港では中国路線の減便が相次ぎ、コロナ後の回復局面を信じて投資を進めてきた宿泊・小売・交通事業者からは、悲鳴にも近い声が上がっている。
かつて「爆買い」に象徴された中国インバウンドは、日本経済の重要な成長エンジンと位置づけられてきた。その巨大市場が再び政治リスクに翻弄される――。この構図に、既視感を覚える関係者も少なくないだろう。
だが、この事態を単純に「インバウンド不況の到来」と捉えるのは早計だ。データを丁寧に読み解くと、浮かび上がってくるのは一様な衰退ではなく、地域や業態ごとに明暗が分かれる「まだら模様」の実像である。
●目次
明暗を分けた「依存度」と「客層の質」
今回の中国需要の急減で、特に大きな打撃を受けたのは、中国からの団体客依存度が高かった地域・業態だ。
大阪・ミナミ周辺の都市型ホテル、団体バスの立ち寄り先として機能してきた中部地方の観光地、中国人観光客を主要顧客としてきた量販店や免税店などでは、客数・売上ともに明確な落ち込みが見られる。ある大手小売チェーン幹部はこう明かす。
「免税売上への影響は無視できない。春節前という最も重要な時期に自粛要請が出たことで、計画していた在庫や人員配置が一気に崩れた」
一方で、同じ中国人観光客の減少が報じられる中でも、比較的落ち着いた状況を保っている地域も存在する。象徴的なのが、東京・浅草や北海道・ニセコエリアだ。
特にニセコでは、冬のスキーシーズンを目前に控えながらも、大きな混乱は見られていない。その理由は、中国人観光客の「量」ではなく「質」にある。
富裕層リピーターと「政治リスク耐性」
ニセコを訪れる中国人観光客の多くは、いわゆる団体ツアー層ではない。高所得層のリピーターが中心で、個人旅行(FIT)として訪日するケースが大半だ。こうした層は、政府の一時的な自粛要請や世論の動向に左右されにくい傾向がある。
さらに、ニセコの観光需要は中国一国に依存していない。欧米豪からのスキー客が全体の大きな比率を占めており、中国市場の変動があっても、全体の稼働率や単価への影響は限定的だ。
観光政策アナリスト・湯浅郁夫氏は、今回の現象を次のように分析する。
「今回の中国需要減少で明暗を分けたのは、単なる国籍構成ではなく、『どのような客層に、どの程度依存していたか』です。富裕層リピーターや多国籍マーケットを育ててきた地域は、政治リスクに対する耐性が高い」
この指摘は、日本観光が直面してきた構造問題を端的に示している。
「中国が消えたら終わり」は幻想だった
マクロで冷静に見れば、中国市場の変動がインバウンド全体に与える影響は、イメージほど大きくない。
現在、国・地域別の外国人宿泊者数に占める中国のシェアは約2割。仮に中国からの宿泊需要が半減したとしても、全体への影響は約1割減にとどまる計算になる。しかも、韓国、台湾、東南アジア、欧米豪からの訪日客は引き続き堅調だ。
この構造を象徴するのが京都である。京都市観光協会の分析では、中国人宿泊数が半減した場合でも、市内の客室稼働率は前年同月比で3ポイント程度の低下にとどまる見込みだという。
多国籍マーケットの分散に成功している都市では、特定国の需要減がもはや致命傷にはならない。かつての「中国一極集中モデル」は、すでに過去のものとなりつつある。
オーバーツーリズム解消という「皮肉な副作用」
興味深いのは、今回の中国需要減少を、必ずしも悲観的に捉えていない関係者が少なくない点だ。
京都や鎌倉、浅草などでは、近年オーバーツーリズムによる交通渋滞、生活環境の悪化、観光公害が深刻化していた。市民の不満が限界に達し、観光政策の持続可能性そのものが問われていたのだ。
「全体で1割減」という需要調整は、皮肉にも観光インフラを“正常な回転数”に戻す役割を果たしている。混雑が緩和されることで、これまで人混みを嫌って敬遠していた欧米の富裕層や長期滞在客が戻る可能性もある。
関西圏で複数の宿泊施設を運営するホテル経営者はこう語る。
「無理に稼働率を100%近くまで上げるより、落ち着いた環境でサービスの質を高め、客単価を維持するほうが、長期的には健全です。今はその方向へ舵を切るチャンスだと感じています」
「数」の呪縛から脱却できるか
中国政府の方針ひとつで市場が蒸発するリスクは、決して新しい問題ではない。今回の「予約6割減」は、日本の観光産業が長年抱えてきた特定国依存の脆弱性を、改めて浮き彫りにしたにすぎない。
インバウンド全体で見れば「1割減」という数字を、単なる打撃と見るか、それとも健全な調整と捉えるか。その分岐点に、日本観光は立っている。
訪日客数の「最大化」だけを追い求める時代は、すでに終わりを迎えつつある。これから求められるのは、多様な国籍・客層を前提としたマーケティングと、体験価値や地域資源を活かした高付加価値化だ。
中国予約6割減という衝撃は、日本観光が「インバウンド2.0」へ進化するための、避けて通れない産みの苦しみなのかもしれない。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部)