『鎌倉殿の13人』最終回、北条氏が報われる?研究者でも意見が割れる義時の毒殺説

 『鎌倉殿の13人』(NHK)が最終回を迎える。

 本年のはじめ、同作の見どころについて述べたが、今回はその答え合わせとしての総括を行うと共に、最終回の予想や期待する点についてお伝えしたい。NHK大河ドラマとしては61作目となるこの作品は、鎌倉幕府の二代執権とされる北条義時を主人公とするもの。脚本は『新選組!』『真田丸』を手がけた三谷幸喜が務めた。

 結論から言えば、素晴らしい作品であった。1年間大いに楽しませてもらったし、手放しで褒めちぎりたいところではある。しかし、それではいささかおもしろみに欠ける。そこで当初の『鎌倉殿の13人』について抱いていた期待と予測が、どのように叶えられ、また良い意味で裏切られたのかということについて述べていきたい。

 当該期については『吾妻鏡』という基礎史料が存在する。これを基盤として話が作られていくのは定石と言っていい。さりながら、同書は後世に北条氏により編纂されたものであるから、それに都合が良いように曲筆されている部分があるとの指摘も多い。また、総じて史料そのものの絶対数が少ないこともあり、歴史において多くの「行間」が存在する。

 『鎌倉殿の13人』がそこに、どのような解釈や創作を入れ込んでくるかというのは、最も期待し、かつ注視した点であるが、これについては大いに唸らされた。たとえば「泉親衡の乱」を引き起こした泉親衡の正体が源仲章であったと描く、またその仲章が源実朝暗殺時に巻き込まれて死亡したのを、北条義時より太刀持の役を奪った結果、義時と誤認されて殺されたとするなど大枠での定説的理解を外さない上で大胆に創作を入れ込み、物語として退屈させられることがなかった。

 歴史創作には「史実」とされていることという、強力なネタバレが存在する。特に最近ではインターネットで検索をかければ、それは手軽に知ることができるようになっており、見たくなくともSNSの書き込みなどで見てしまうということもある。『鎌倉殿の13人』は、それを逆手に取るようなプロットがふんだんに仕込まれていたように思う。

 また、その脚本を彩るキャラクターの数々も特徴的に造形されていて、一人ひとりが実によく「キャラ立ち」していた。「治承・寿永の乱」はもとより、鎌倉幕府成立後の政治闘争で多くの者が登場し、また倒れていったが、そのアクターを一人ひとり覚えておくのはなかなかに難事である。ましてあまり馴染みのないこの時代となれば、なおさらではなかったろうか。しかし、『鎌倉殿の13人』のキャラクター造形は強烈で、キャストの好演も相まって記憶に残りやすかった。

 ある大河ドラマのファンの方が「史実はどうでもいいから」、あの登場人物が生き延びるルートを見たかったと発言されていたのには驚かされた。大河ドラマのファンの中には「史実」の再現が行われることを期待する方が一定数おられる。また、そうでなくても十分に考証がなされているかについて、厳しい目を向ける人は多い。このファンの方も程度の差こそあれ、そのような一人である。

 それにも関わらず、生存ルートを欲している。これは『鎌倉殿の13人』の歴史創作としての力のなせる業に他ならない。その前には、いたずらに「史実」準拠を求めたり、考証の瑕疵を探そうということが小賢しくさえ感じるほどである。その点で同作は大河ドラマに限らず、歴史創作という営為の一つの形を示すものであったと言えよう。その作品が大いに惜しまれつつ、いよいよ最終回を迎える。

北条義時は毒殺か、あるいは別の死か

 最終回の題名は「報いの時」であるそうだ。これは複数のミーニングを含むように思われる。「報い」という言葉は本来、因果として自己に返ってくる事柄を指し、善悪共に用いられる言葉である。「時」については通常の意味とは別に、『鎌倉殿の13人』においては通字が「時」である北条氏そのものを指す。たとえば第38回の題名は「時を継ぐ者」であり、北条義時が父・時政を鎌倉から追放するに至る「牧氏事件」について描かれた回であった。

 このあたりを併せて考えると、義時が「報い」を受け、北条氏が「報われる」という筋立てではないかと予想される。後鳥羽上皇も承久の乱に敗北することで「報い」を受けるということになるので、これを含めると、さらに多くの意味合いがこもった題名ということになるだろう。

 義時が受ける「報い」としては、伊賀の方(役名:のえ)による毒殺ではないかと思われる。義時の死後、自分との間に生まれた政村を執権にしようと伊賀の方が画策したとされる「伊賀氏の変」が発生している。『吾妻鏡』においては義時は病死したことになっているが、毒殺説が存在しているからだ。これは、別件で六波羅探題に逮捕された尊長という僧侶が取調中に、伊賀の方が義時を殺した毒を自分にも使えと発言したことが『明月記』に記載されていることを根拠とするもので、その実否については研究者の中でも意見が分かれている。

 第47回「ある朝敵、ある演説」の中で、政村を北条氏の跡継ぎにと求める伊賀の方が冷淡にあしらわれ、また兄で京都守護であった伊賀光季を見殺しにされたと考え、義時に恨みを抱くシーンが描かれていた。これは義時毒殺の伏線ではないかと思われ、またそう予想する方も多いのであるが、あるいはこの露骨な伏線によって毒殺説とみせかけて、まったく別の義時の死を描いてくる可能性も大いにあるので油断ならないのである。

 ただその一方で、義時の死をもって終わりとしない形なのであれば、毒殺説が選択される可能性は高い。前述の「伊賀氏の変」によって尼将軍・北条政子と泰時が伊賀の方らを政治的に排除する筋立てをスムーズに立てられるし、ここでも伊賀の方が悪事の「報い」を受けたという形になるからである。このあたりを描くために「承久の乱」は早々に終わり、戦後処理についてもナレーションなどで簡単に片付けて尺を稼いでくるのではないだろうか。

 その上で義時の死、伊賀氏の変ときて、泰時が三代執権に就任して連署の時房と共に新時代の幕開けを告げる形で終わるというのが、私の予想である。なお泰時は「評定衆」という、有力御家人による合議による政務機関を設けた。このメンバーの数は発足当初で11人、ここに執権と連署を加えると13人となる。すなわち「シン・鎌倉殿の13人」である。それはまさに第5回「兄との約束」で宗時が義時に遺した「坂東武者の世を作る、そしてそのてっぺんに北条が立つ」という言葉の実現に他ならない。かくして長きに渡る苦闘の末に北条氏は「報われる」というものであるが、どうであろうか。

『鎌倉殿の13人』最終回、北条氏が報われる?研究者でも意見が割れる義時の毒殺説

 『鎌倉殿の13人』(NHK)が最終回を迎える。

 本年のはじめ、同作の見どころについて述べたが、今回はその答え合わせとしての総括を行うと共に、最終回の予想や期待する点についてお伝えしたい。NHK大河ドラマとしては61作目となるこの作品は、鎌倉幕府の二代執権とされる北条義時を主人公とするもの。脚本は『新選組!』『真田丸』を手がけた三谷幸喜が務めた。

 結論から言えば、素晴らしい作品であった。1年間大いに楽しませてもらったし、手放しで褒めちぎりたいところではある。しかし、それではいささかおもしろみに欠ける。そこで当初の『鎌倉殿の13人』について抱いていた期待と予測が、どのように叶えられ、また良い意味で裏切られたのかということについて述べていきたい。

 当該期については『吾妻鏡』という基礎史料が存在する。これを基盤として話が作られていくのは定石と言っていい。さりながら、同書は後世に北条氏により編纂されたものであるから、それに都合が良いように曲筆されている部分があるとの指摘も多い。また、総じて史料そのものの絶対数が少ないこともあり、歴史において多くの「行間」が存在する。

 『鎌倉殿の13人』がそこに、どのような解釈や創作を入れ込んでくるかというのは、最も期待し、かつ注視した点であるが、これについては大いに唸らされた。たとえば「泉親衡の乱」を引き起こした泉親衡の正体が源仲章であったと描く、またその仲章が源実朝暗殺時に巻き込まれて死亡したのを、北条義時より太刀持の役を奪った結果、義時と誤認されて殺されたとするなど大枠での定説的理解を外さない上で大胆に創作を入れ込み、物語として退屈させられることがなかった。

 歴史創作には「史実」とされていることという、強力なネタバレが存在する。特に最近ではインターネットで検索をかければ、それは手軽に知ることができるようになっており、見たくなくともSNSの書き込みなどで見てしまうということもある。『鎌倉殿の13人』は、それを逆手に取るようなプロットがふんだんに仕込まれていたように思う。

 また、その脚本を彩るキャラクターの数々も特徴的に造形されていて、一人ひとりが実によく「キャラ立ち」していた。「治承・寿永の乱」はもとより、鎌倉幕府成立後の政治闘争で多くの者が登場し、また倒れていったが、そのアクターを一人ひとり覚えておくのはなかなかに難事である。ましてあまり馴染みのないこの時代となれば、なおさらではなかったろうか。しかし、『鎌倉殿の13人』のキャラクター造形は強烈で、キャストの好演も相まって記憶に残りやすかった。

 ある大河ドラマのファンの方が「史実はどうでもいいから」、あの登場人物が生き延びるルートを見たかったと発言されていたのには驚かされた。大河ドラマのファンの中には「史実」の再現が行われることを期待する方が一定数おられる。また、そうでなくても十分に考証がなされているかについて、厳しい目を向ける人は多い。このファンの方も程度の差こそあれ、そのような一人である。

 それにも関わらず、生存ルートを欲している。これは『鎌倉殿の13人』の歴史創作としての力のなせる業に他ならない。その前には、いたずらに「史実」準拠を求めたり、考証の瑕疵を探そうということが小賢しくさえ感じるほどである。その点で同作は大河ドラマに限らず、歴史創作という営為の一つの形を示すものであったと言えよう。その作品が大いに惜しまれつつ、いよいよ最終回を迎える。

北条義時は毒殺か、あるいは別の死か

 最終回の題名は「報いの時」であるそうだ。これは複数のミーニングを含むように思われる。「報い」という言葉は本来、因果として自己に返ってくる事柄を指し、善悪共に用いられる言葉である。「時」については通常の意味とは別に、『鎌倉殿の13人』においては通字が「時」である北条氏そのものを指す。たとえば第38回の題名は「時を継ぐ者」であり、北条義時が父・時政を鎌倉から追放するに至る「牧氏事件」について描かれた回であった。

 このあたりを併せて考えると、義時が「報い」を受け、北条氏が「報われる」という筋立てではないかと予想される。後鳥羽上皇も承久の乱に敗北することで「報い」を受けるということになるので、これを含めると、さらに多くの意味合いがこもった題名ということになるだろう。

 義時が受ける「報い」としては、伊賀の方(役名:のえ)による毒殺ではないかと思われる。義時の死後、自分との間に生まれた政村を執権にしようと伊賀の方が画策したとされる「伊賀氏の変」が発生している。『吾妻鏡』においては義時は病死したことになっているが、毒殺説が存在しているからだ。これは、別件で六波羅探題に逮捕された尊長という僧侶が取調中に、伊賀の方が義時を殺した毒を自分にも使えと発言したことが『明月記』に記載されていることを根拠とするもので、その実否については研究者の中でも意見が分かれている。

 第47回「ある朝敵、ある演説」の中で、政村を北条氏の跡継ぎにと求める伊賀の方が冷淡にあしらわれ、また兄で京都守護であった伊賀光季を見殺しにされたと考え、義時に恨みを抱くシーンが描かれていた。これは義時毒殺の伏線ではないかと思われ、またそう予想する方も多いのであるが、あるいはこの露骨な伏線によって毒殺説とみせかけて、まったく別の義時の死を描いてくる可能性も大いにあるので油断ならないのである。

 ただその一方で、義時の死をもって終わりとしない形なのであれば、毒殺説が選択される可能性は高い。前述の「伊賀氏の変」によって尼将軍・北条政子と泰時が伊賀の方らを政治的に排除する筋立てをスムーズに立てられるし、ここでも伊賀の方が悪事の「報い」を受けたという形になるからである。このあたりを描くために「承久の乱」は早々に終わり、戦後処理についてもナレーションなどで簡単に片付けて尺を稼いでくるのではないだろうか。

 その上で義時の死、伊賀氏の変ときて、泰時が三代執権に就任して連署の時房と共に新時代の幕開けを告げる形で終わるというのが、私の予想である。なお泰時は「評定衆」という、有力御家人による合議による政務機関を設けた。このメンバーの数は発足当初で11人、ここに執権と連署を加えると13人となる。すなわち「シン・鎌倉殿の13人」である。それはまさに第5回「兄との約束」で宗時が義時に遺した「坂東武者の世を作る、そしてそのてっぺんに北条が立つ」という言葉の実現に他ならない。かくして長きに渡る苦闘の末に北条氏は「報われる」というものであるが、どうであろうか。