『家庭教師のトラコ』『初恋の悪魔』『新・信長公記』……今夏はとにかく日本テレビのドラマが奮わない。視聴率、配信再生数ともに夏ドラマの下位に低迷し、話題にすらあがらないことが苦しさを物語っている。
ただ放送前、日テレの関係者たちはそれなりの自信を見せていた。『家庭教師のトラコ』は『女王の教室』『家政婦のミタ』『過保護のカホコ』(すべて日本テレビ系)などの遊川和彦、『初恋の悪魔』は『Mother』(同)、『最高の離婚』(フジテレビ系)、『カルテット』(TBS系)などの坂元裕二が脚本を手がけるだけに、「視聴率と配信再生数のどちらもコケることはないだろう」と見られていた。
『新・信長公記』も人気ジャンルの歴史ファンタジーである上に、戦国武将のクローン役にそろえたキャスティングも豪華。それなりの勝算があっただけに、日テレ関係者の落胆ぶりを何度も聞いている。
なかでも最も嘆きの声が聞こえてくるのは、『家庭教師のトラコ』。水曜ドラマで30年弱に渡って脚本を手がけてきた遊川和彦のオリジナルであり、「ミステリアスなヒロインが破天荒な方法で問題解決していく」という筋書きもこれまで同様だけに、大ヒット狙いで「少なくとも大コケはないだろう」と見られていた。
遊川和彦の作家性に懸ける日テレ
しかし、その「ミステリアスなヒロインが破天荒な方法で問題解決していく」という筋書きは、『女王の教室』『家政婦のミタ』『○○妻』(日本テレビ系)などでさんざん見せてきた言わば“遊川フォーマット”。もはや視聴者から飽きられていて、だからこそ日テレでの近作は『過保護のカホコ』『同期のサクラ』『35歳の少女』という「こんなヤツいねえよ」と思わせつつも身元の明らかなヒロインの物語を手がけてきた。
ところが今回はミステリアスに回帰した上に、一般家庭に入り込む家庭教師の設定は『家政婦のミタ』に似ているという「どこかで見たようなもの」。だからこそ『家庭教師のトラコ』は「お金の使い方を教える」という差別化の設定を加えたのだが、それだけでは視聴者の熱狂を再燃させられなかった。
日本テレビで遊川作品の大半を手がける大平太プロデューサーは“脚本家・遊川和彦”を信頼し、その作家性を最大限に尊重。つまり、「自由を与えることでオリジナリティのある作品にしよう」というタイプのプロデュースを繰り返してきた。しかし、遊川がテレビ朝日で手がけた『ハケン占い師アタル』『となりのチカラ』が視聴率・話題ともに不振で終わったことも含め、そのスタイルが通用しなくなってきた感は否めない。
そろそろプロデューサー主導の形で、“遊川フォーマット”ではない新たなコンセプトの作品を手がけなければいけないタイミングなのに、「そこから離れられない」という消極性が『家庭教師のトラコ』の不振を招いた感がある。
ちなみに遊川は脚本家デビューした1987年から2006年まで、1~2年に1作ペースでTBSのドラマを手がけていた。しかし、それ以降はTBSで脚本を書いていない。そのTBSは、視聴率、配信再生数、ネット上の評判や記事数などで民放他局のドラマを圧倒している。遊川の主戦場である日テレとテレ朝のドラマが不調に陥っていることとは対照的であり、なおさら新たなコンセプトで勝負すべきだったのではないか。
テーマは日本の貧富格差だったのか
『家庭教師のトラコ』のストーリーに話を移すと、9月7日放送の第8話で大きな動きがあった。
トラコ(橋本愛)は里美(鈴木保奈美)の元夫であり銀行頭取の利明(矢島健一)から10億円を脅し取ることに成功。その理由と使い道を「貧しい人や困っている人にその10億円が届けばどれだけ助かると思います? 一部の富裕層がほとんどの富を独占して、それ以外の人たちは苦しい思いをするばっかり。そんな世界を私は変えたいんです」と明かした。
これはトラコが「世直しをしたい」ということだろう。物語が一家庭の問題から、日本社会の貧富格差に突然変わり、しかもまるで教科書のようなド正論。ネット上で「言っていることは間違ってないんだけど、あまりに飛躍しすぎてついていけない」というコメントを見つけたが、突然の飛躍に戸惑っているのではないか。
それ以外のシーンでもトラコは、「世界を変えたい」「私が正しくお金が使われる世界を作ってやる」「私は何だってやる。幸せになる人が一人でも増えるなら」などと、キャラ変したかのような言葉を放ち続けた。
さらにトラコは彼女を慕う真希(美村里江)、智代(板谷由夏)、里美の3人に「私なんかいなくてもみんな志望校に合格しますから。受験なんてしょせん受かるか落ちるかフィフティフィフティなんで確率は50パーセント。そう考えれば希望が持てるでしょ」と開き直る。
3人の子どもたちにも10億円の入金画面を見せながら、「これが私の本当の目的なの。家庭教師なんかただの手段。あんたたちを利用しただけ」「迷惑だから理想の教師みたいな目で見てくるのやめてくれないかな。お前らに私のことなんて死んでもわかるわけないんだから」「二度と先生って呼ぶな!」と暴言を吐いた。
“昏睡”は遊川和彦の十八番
トラコは親がいなくて苦労した恨みつらみを3組の親子にぶつけるヒールっぷりをさんざん見せたのだが、ラストシーンでは何者かに歩道橋から突き落とされてしまう。
この間、「今までの話は何だったのか」と置き去り状態の視聴者も多かったのではないか。良くも悪くも視聴者が先の展開を予測できないことも、“遊川フォーマット”と言えるかもしれない。
今回はトラコが歩道橋から突き落とされたが、その“昏睡”もまた遊川フォーマットの1つ。たとえば、『○○妻』では不良に蹴られた夫をかばったヒロインが土手の階段から転落。『純と愛』(NHK)ではヒロインの夫が終盤から最後まで脳腫瘍で意識不明。『同期のサクラ』ではヒロインがバイクにひかれて脳挫傷。『35歳の少女』はそもそも「25年間眠り続けていた女性が突然目覚める」という設定だった。
物語を動かすためならヒロインやその夫を昏睡状態に追い込むことは当たり前。そんな遊川の剛腕ぶりこそが「好き嫌いがはっきり分かれる脚本家」と言われるゆえんだが、今作の結果を見る限り、「現在の視聴者に通用しづらくなっている」ということだろう。
第8話では、これまでトラコが「メリー・ポピンズ」「熱血教師」「魔性の女」と家庭ごとにキャラクターを変えてきた理由も発覚。ところがその理由は「子どもたちの気を引くため」という何てことないものだった。何らかの意味があり、「伏線ではないか」と期待していた人々を落胆させたのは間違いない。
14日放送の第9話では、トラコが後妻業を始める上に、母親との再会に葛藤する様子が描かれるという。またも荒唐無稽な展開が続くが、それでも「文句を言いながらも結局見てしまう」というアンチファンがいることも、遊川フォーマットの特徴と言える。