福岡市の千早病院で6月27日、40代の男性医師が診察中にいきなりナイフで何度も刺され、大けがをした。刺したのは59歳で無職の川野二郎容疑者らしく、病院の職員によって身柄を確保され、その後駆けつけた警察官に現行犯逮捕されている。
現時点では、刺された医師と川野容疑者がどのような関係だったのかはっきりしていないようだが、この手の事件はどんな医療機関でも起こりうる。それが最近の医療現場の現状であり、他人事とは到底思えない。
私自身、最近40代の男性患者に殴りつけられそうになり、「(クリニックに)火つけたるぞ」と脅された。この患者は久しぶりに来院し、睡眠薬や抗うつ薬などの現物を取り出して、「同じ薬を出してくれ」と一方的に要求した。「どうしておられたのですか」と尋ねると、「よそのクリニックに通っていた」と答えたが、どこのクリニックに通っていたかは言わず、お薬手帳もないとのことだった。不審に思ったものの、根負けして、要求通りに薬を処方することにした。ただ、1種類だけ依存性が強く、長期連用によって心身に悪影響が出る恐れのある薬があったので、「この薬だけ処方できない」と説明した。すると、激高して、私に殴りかかろうとしたのだ。
幸い、居合わせた男性スタッフの制止によって、拳が私に当たることは免れたが、私は強い恐怖を覚えた。その後も、この患者はクリニックに居座り、「薬を出してくれるか、医者(私)が謝るかしない限り、帰らない」と言って、暴言を吐き続けた。仕方なく、要求通り最後の1種類の薬も処方することにし、その旨を男性スタッフに伝えてもらった。
それで納得するかと思いきや、反応は真逆だった。いきなり診察室に入ってきて、また殴りかかろうとしたので、私は「申し訳ありませんでした」と謝罪した。それでも、追いかけてこようとしたので、私は別室に避難した。私が別室で診察を続けている間も、この患者はクリニックに居座り、暴言を吐き続けたようだ。クリニックを出たのは、これ以上遅くなると調剤薬局が閉まってしまい、薬を受け取れなくなるかもしれないという時間帯で、相当長く居座ったことになる。
この騒動が起きたとき、私はよほど警察に通報しようかと思った。だが、現実問題として、それはなかなか難しい。その理由として主に2つ挙げられる。
まず、警察を呼ぶと、病院や診療所の評判が悪くなるのではないかという危惧がある。しかも、来院中の患者さんに恐怖を与える恐れもあり、警察を呼ぶのはハードルがかなり高い。とくに最近は、ネット上に悪い評判を書かれると、患者さんが減るのではないかと心配している医療従事者も少なくない。現に、私を殴りつけようとした患者は「(クリニックの)悪口をネットに書いたるからな」と脅したので、まんざら杞憂というわけでもないだろう。
また、たとえ警察に通報して、暴力を振るった患者が逮捕されても、殴ったくらいでは拘束期間は短いはずだ。だとすれば、逮捕された患者が逆恨みして、仕返しをしてくる可能性も十分考えられる。DV被害者であれば、逃げて行方をくらますという手もあるが、病院や診療所はそういうわけにはいかない。その場所で診療を続けなければならないので、警察への通報にはどうしても二の足を踏む。
そういう事情を薄々わかっているのか、なかには「(病院や診療所は)どうせ何もできないだろう」と高を括っているように見える患者もいないわけではない。こういう患者は看護師への暴言やセクハラ、医師への理不尽な要求を繰り返すこともある。
もしかしたら、「自分は患者という“弱者“なので、何をしても許される」と思い込んでいる方もいるのではないかと疑いたくなることもある。こうした思い込みがあると、自分が悪いとは思わないようだ。
医療機関に刃物を持ち込んでも悪いとは思わない患者
今回の事件では、医師がナイフで刺されたが、「医療機関に刃物を持ち込むなんて、一体何を考えているんだ」と叫びたくなる。だが、そういうことをしても自分が悪いとは思わない患者が存在することは否定しがたい。
何年か前に私の外来を受診した20代の男性患者は、以前通っていたクリニックで、医師に対する不満から刃物を持ち出して脅したことがあるらしい。それ以降、そのクリニックでは受診のたびに持ち物検査をされるようになったようだが、そのことに対する不満をこの患者は私に延々と訴えた。
医師からすれば、診察中に刃物を持ち出されて脅されたら、やはり怖いので、それ以降持ち物検査をするのは当然だと思う。だが、持ち物検査に対する不満を繰り返し訴えた患者は、刃物を持ち込んだことを悪いとは思っていないように見えた。
このような患者もいることを考えると、私が患者に殴りつけられそうになったとき、その患者が刃物を持っていなかったのは不幸中の幸いといえるかもしれない。もし、その患者が刃物を手にしていたら、十中八九私は刺されていただろう。
もっとも、刃物ならまだましともいえる。昨年12月には大阪市北区で患者がクリニックにガソリンをまいて放火する事件が発生しているし、今年1月にも埼玉県ふじみ野市の民家で死亡した患者の家族が医師を銃殺する事件が発生している。
そのうち、医療機関に金属探知機を設置し、すべての患者に持ち物検査を実施しなければならない時代がくるのではないかと本気で心配する今日この頃である。
(文=片田珠美/精神科医)