今年2月、大河ドラマ『青天を衝け』(NHK)にかなり不安があるとして、いくつかの懸念される点について述べた。本稿では、1年を通じて同作を見続けた結果、これらの懸念がどのように払拭されたのか、されなかったのか、ということについて私見を述べていきたい。
(1)幕末期の描かれ方について
やはり幕末期というのは人気があるが、特筆すべきものとしては「徳川慶喜から見た幕末」という視点である。これは大河ドラマにおいてはなかなかないもので、そのためか幕末モノの定番である坂本龍馬などの人物が大胆にカットされている。
また、薩長の若き志士たちの群像とか、会津をはじめとした東北諸藩の悲劇といった描写もほとんどなく、代わりに、いわゆる飯能戦争というマイナーな事件、ただし、渋沢家にとっては跡継ぎとしていた平九郎を失うという大きな事柄を扱っている。この「渋沢家の幕末」という視点とも表裏一体の形で物語が展開されていき、やがて、その二つの視点が栄一によってつながっていくのには不思議なカタルシスがあった。
また、近代以降、特に『徳川慶喜公伝』編纂の過程で配せられてきた伏線が見事に回収された点は、まさに「快なり」と言えるものであったように思う。如上の点から、どうしても幕末編がボリューミーになってしまったのは致し方ないと思われた。あと、さらにはコロナ対応や東京五輪開催の関係で話数が少ないという事情もあり、それを考えると満足するべきものであった。
(2)渋沢栄一の描かれ方について
渋沢栄一は、特に幕末期については、本人の意に反して「志士」としてはあまり活躍している人物ではなく、“ワナビー志士”どまりで空回りする青年にすぎなかった。これが、一橋家の仕官と洋行によって覚醒したかのように、有為の人材となっていく過程がきちんと描かれていて好感が持てた。
また、一方で家庭人として至らない部分についても、不必要に貶めず、品位を失わないギリギリのところに留めていたように思う。渋沢は、その著書『論語と算盤』の中で、豊臣秀吉の欠点の一つとして「家道の齊(ととの)はなかった事」を挙げているが、同文中において自身も「口はばったく申し上げて誇り得ぬ一人」とし、「致し方のない次第で、余り酷に責むべきではなからうと思ふ」と自己弁護を並べており、その自覚は大いにあったのであろう。
ただ、それを素直に認めているあたりに、この人物における一種のかわいげのようなものを看取できるが、主演の吉沢亮氏の好演の中にも、多くそれを見ることができた。
(3)明治以降の描かれ方について
渋沢栄一が「日本資本主義の父」として活躍するのは、主として明治以降のことである。第一国立銀行の設立や500社にものぼる企業の設立にかかわるなど、その事業は多岐に及ぶ。これを描ききれるかという点を懸念したのであるが、やはり、かなりの部分が省略されてしまっていた。特に半島経営などの部分はセンシティブであることもあってか、概ね描かれずに終わっている。
一方で、幕臣たちのその後については、徳川慶喜を中心に要所要所で描かれていたように思う。ただ、個人的に不思議に感じたのは、勝海舟が出てこなかった点である。明治以降、徳川家の維持や名誉回復のために運動し、静岡の開発にも大きな関与を見せた人物なので登場するかと思われたが、さにあらずで、何か理由があるのだろうかと首をひねったところである。
また、軍人ではないため、戦争での勝利などによるカタルシスは望めない点については、逆に渋沢栄一の「平和主義者」としての部分を強く出すことを利用したのは、うまいやりかたであったように思われる。
意外に高評価だった徳川家康の解説
振り返って考えるに、近年の大河ドラマの中では良作であったように思う。難しい時代、また人物をモチーフに、ここまで魅力的な作品に仕上がったのは素直に評価するべきである。
また、意外にも解説の徳川家康(北大路欣也)が良かった。筆者は「徳川家康を出すというのは少し違う気がするし、それで『ならば見るか』となる戦国ファンはいないのではあるまいか」と懐疑的であったのだが、蓋を開けてみれば、多くが不案内かつ非常に速いスピードで移り変わる時代について、わかりやすい説明がなされたのは、同作から視聴者が振り落とされることを大いに抑止したであろう。
NHK大河ドラマでは、今年は「武家政権の終わり」、来年は「武家政権の始まり」について描かれるし、徳川家康は鎌倉期の歴史書である『吾妻鏡』の愛読者でもあったので、来年も登場させて、そのまま再来年の『どうする家康』につないではどうだろうか。
さて、『青天を衝け』も残すところあと1回となった。次回予告を見る限り、関東大震災とその復興、渋沢栄一のラジオ演説、そして、その死については描かれるようである。あとは、昭和天皇との単独での「御陪食」についても出てくるか否かというところであろう。その死の直前に発生した満洲事変についても、触れられるのではあるまいか。それは戦争が起こるたびに体調を崩す旨のセリフがあったからで、このあたりを伏線として用いてくるのではないだろうか。
また、最終回にも徳川家康が登場するとのことなので、「権現様」がどのような言葉を栄一にかけるのか、興味の尽きないところである。ともあれ、十分に楽しめる作品であったように思う。関わったすべての方に謝辞を申し上げたい。
(文=井戸恵午/ライター)