5月30日、東京競馬場で行われた日本ダービー(G1)は、シャフリヤール(牡3、栗東・藤原英昭厩舎)が優勝。3馬身差の圧勝で皐月賞(G1)を制したエフフォーリアの無敗二冠を阻止したのは、かつてダービー勝利に跳ね返され続けていた福永祐一騎手だった。
毎日杯(G3)から直行でダービーを制したのも史上初なら、35年間続いた前走から継続騎乗の騎手が連勝中だった記録にも終止符を打った。近4年で2018年ワグネリアン、20年コントレイル、21年シャフリヤールと4戦3勝と、勝率75%のハイアベレージで勝ち星量産には恐れ入る。
福永騎手といえば、どちらかというとこれまでイジられやすい騎手でもあった。天才といわれた福永洋一騎手を父に持つ二世ジョッキーである。1996年のデビュー当時は、同じ二世ジョッキーである武豊騎手が数々の記録を塗り替える大活躍をしていた全盛期。ミスをしたときにはすぐに武豊騎手と比べられ、必要以上にバッシングされることも珍しくなかった。
また、福永騎手が“真面目過ぎる”ところも、本来の意図とは異なる方向で解釈されることも多々あった。SNSでアカウントを開設しながらも、福永騎手を好意的に見ていない人間から心無い罵声を浴びた結果、「なお、ツイッターでの経験を生かし、クレーマーや自分を嫌いで仕方ない人達のためにはやっていませんので、そんな人達は申し訳ないですがバンバンブロックしていきますのであしからず(^_^)/」と、更新を停止することになった。
その後、『netkeiba.com』でコラムを4年間続けた福永騎手。最終回に「この場を通して、発信することの意義を感じることもできたし、同じくらい難しさも知った。自分にとって、本当にいい経験になったと思ってる」と振り返ったことからも、意思疎通の難しさを痛感していたことが伝わってくる。
「本人がよかれと思って騎乗馬の敗因を分析した言葉も、一部のファンからは“言い訳”や“他人のせい”にしていると、揚げ足を取られることも見掛けました。
また、それに反応してしまう福永騎手を面白がる風潮は、今でもネットの掲示板やSNSで続いています。何かあると「前が壁」や「西日のせい」なんて言葉が出てきますからね」(競馬誌ライター)
ただ、SNSやコラムをやめて“周囲の雑音”をシャットアウトしたことは、福永騎手の大きな転機となったかもしれない。2018年3月にコラムを終了した途端に、ワグネリアンで悲願のダービー制覇。この勝利で何かが吹っ切れたのか、福永騎手のウィークポイントでもあった勝負弱さが鳴りを潜め、別人とも思えるほどその手腕に磨きが掛かった。
特に印象的だったのは今年のダービー勝利後のコメントだ。
スムーズさを欠いた騎乗と認めた中で、シャフリヤールの末脚を極限まで溜めることに成功。これが最後の爆発的な切れにも繋がった。もしこれがダービー初勝利だったなら喜びを爆発させていたかもしれないが「本当に馬の力に助けられた勝利」と謙虚なコメント。
さらには「たくさんの方々に応援していただいてありがとうございます。最後に個人的な話ですみません。病院のおじいちゃん見てくれてましたか?やりましたよ。早く元気になって。ありがとうございました」と、翠夫人の祖父と思われる人に“私信”まで出す余裕も見せている。
ダービー勝利に恋い焦がれたかつての福永騎手なら、このような気持ちの余裕はおそらくなかったのではないか。
振り返れば元アナウンサーの翠夫人と結婚したのは13年8月。エピファネイアと臨んだダービーでは、武豊騎手のキズナにゴール寸前で交わされて2着に敗れた年でもある。また勝てなかったのかとうな垂れた福永騎手の姿が映し出されていた。
もう騎手を辞めて調教師でダービーを目指そうとまで追い詰められた一方で、自身初のクラシック勝利となった菊花賞(G1)、後に世界的名馬へと駆け上がったジャスタウェイとの出会いなど、逆襲の予兆はこの頃からすでにあったともいえそうだ。
「あげまん」という言葉はもはや死語となりつつあるが、福永騎手と苦楽を共にし、支えてきた翠夫人の内助の功なのかもしれない。
地獄を見た男の4年でダービー3勝という覚醒。まるで恋人を奪われたことをきっかけに、数々の強敵と戦い、最強の伝承者となった“北斗の拳”の主人公ケンシロウのように思えたのは気のせいだろうか。
(文=高城陽)
<著者プロフィール>
大手新聞社勤務を経て、競馬雑誌に寄稿するなどフリーで活動。縁あって編集部所属のライターに。週末だけを楽しみに生きている競馬優先主義。好きな馬は1992年の二冠馬ミホノブルボン。馬券は単複派で人気薄の逃げ馬から穴馬券を狙うのが好き。脚を余して負けるよりは直線で「そのまま!」と叫びたい。