嵐・相葉雅紀も、武豊も大絶賛のC.ルメール「伝説」の神騎乗! デムーロ×ルメールの「ライバル関係崩壊」を告げた2017年日本ダービー(G1)のドラマ

 2日、『サンデースポーツ』(NHK)の「アイバズ」に出演した嵐・相葉雅紀が、JRAのC.ルメール騎手と対談。知られざるトップジョッキーの素顔に迫った。

 ジョッキー御用達の某スポーツジムで初対談を行った相葉とルメール騎手。フランスのトップジョッキーが日本への移籍を決意した背景や、日本で4年連続リーディングを獲得した秘訣など、詳細はNHKの見逃し配信などでご視聴いただきたいが、中でも大きく取り上げられたのが2017年の日本ダービー(G1)だ。

 レイデオロとのコンビで、ルメール騎手にとっても初の日本ダービー制覇となった一戦は、今でも「ルメール騎手のベストレース」として、競馬ファンの間でも語り草になっている伝説的なレースだ。

「このポジションからは絶対に勝つことができないと思ったので、1秒半くらいで判断した」

 番組内でルメール騎手がそう振り返ったレースは、日本ダービー史上でも稀に見る超スローペースだった。後方に位置したレイデオロとルメール騎手は、向正面で一気に前へ進出。14番手から2番手までポジションを上げると、見事そのまま押し切ってしまった。

 この騎乗には、ダービー5勝を誇る武豊騎手も「ダービーですからね。大舞台で自分の判断で動いて結果、裏目に出ると責められることもあるだろうし、そこで迷いなく行動に移したところが凄いと思います」と絶賛。最後には「ちょっと褒め過ぎたかな?」とおどけた。

 この一戦でルメール騎手はますます評価を高め、日本でのトップジョッキーの地位を確固たるものにした。

 その一方で、このダービーを機に低迷し始めたのが、1番人気のアドミラブルに騎乗していたM.デムーロ騎手だ。

 2015年に外国人騎手として史上初のJRA移籍を同時に果たした、ルメール騎手とデムーロ騎手。競馬ファンに「外国人騎手といえば?」と質問すれば、まずこの2人の名が挙がるほど、すでに日本でも有名であり、同時に2人は日本最強の外国人騎手の座を巡るライバル関係にもあった。

 この2人の特徴は明らかだった。日本参戦3年目に重賞初制覇を飾ると、その2年後にはネオユニヴァースとのコンビで皐月賞(G1)と日本ダービーを勝ち、三冠獲りにも挑んだデムーロ騎手は典型的な大舞台に強いジョッキー。

 一方のルメール騎手は、その手腕こそ誰もが認めるものの、重賞で人気馬に騎乗しては敗れ続け、初重賞がディープインパクトを破った有馬記念(G1)まで遅れるなど、日本の大舞台でどこか勝ち切れない騎手だった。

 お互いにとってJRA移籍3年目となった2017年の日本ダービー。芝のG1レースの勝利から約半年間遠ざかっていたデムーロ騎手に対して、ルメール騎手はヴィクトリアマイル、オークスと2週連続のG1制覇。日本ダービーで3週連続のG1制覇に挑むなど、かつての勝負弱さが嘘のような絶頂期だった。

 そんな状況で迎えた日本ダービーは、デムーロ騎手のアドミラブルが1番人気、ルメール騎手のレイデオロが2番人気と、まさに一騎打ちの状態。特にデムーロ騎手にとっては、勢いに乗るライバルを止めるためにも、負けられない一戦だった。

 だが、結果は冒頭で触れた通り、向正面で積極的に進出したルメール騎手の「神騎乗」によってレイデオロが勝利。デムーロ騎手のアドミラブルは3着に敗れたが、イタリア人騎手がレース後、最初に呟いたのは「ついてない……」という言葉だった。

「ペースがめっちゃ遅かった」と話している通り、極端なスローペースはデムーロ騎手も当然気付いていた。アドミラブルのポジションはルメール騎手が「絶対に勝つことができない」と話したレイデオロの14番手より、さらに後ろの17番手。「勝つためには向正面で分かっていて(ルメールと)一緒に行きたかった」との言葉通り、やるべきことは決まっていた。

 しかし、デムーロ騎手が動こうとしたその刹那、レイデオロとアドミラブルの間に割り込んだ馬がいた。それは皮肉にも、皐月賞でデムーロ騎手とコンビを組んでいたペルシアンナイトだった。

「一緒に行きたかったが、ペルシアンナイトも行くと、外の外を回ってしまうので……」

 結局、デムーロ騎手はレイデオロについて行くことを断念。アドミラブルは後方から最後の直線でメンバー最速となる上がり3ハロン33.3秒の豪脚を繰り出したが、超スローペースを2番手から33.8秒で抜け出したレイデオロは遥か前だった。

 ペルシアンナイトに割って入られたことはデムーロ騎手の言葉を借りれば「ついてない」。だが、アドミラブルは大外枠からのスタート。少々無理をすれば、決してレイデオロについて行けない状況ではなかった。

 だが、デムーロ騎手の脳裏には、先述した武豊騎手の「ダービ-ですからね」という言葉があったはずだ。かつて「イタリアダービーを5回勝つより、1回の日本ダービーを勝つ方がうれしい」と祖国のダービーを持ち出して語ったのはデムーロ騎手本人である。

 結局、2017年の日本ダービーは「動いたルメール騎手」と「動けなかったデムーロ騎手」で大きく明暗が分かれた。この年、ルメール騎手は自身初の日本リーディングジョッキーに輝くと、昨年まで4年連続で騎手の頂点に立ち続けている。

 一方のデムーロ騎手はこの年こそ171勝を挙げたが、以降153勝→91勝→65勝と右肩下がり。かつての勝負強さも息を潜め、もうルメール騎手のライバルという声もあまり聞かれなくなってしまった。

「レース中は瞬時に判断を下さなくてはならない。そのためには確固たる自信が必要です」

 あのダービーから4年。『サンデースポーツ』の中で、ルメール騎手は「あの時」動けた要因をそう語っている。「あの時」のデムーロ騎手には「確固たる自信」が、ほんの少しだけ足りなかったのかもしれない。

(文=浅井宗次郎)

<著者プロフィール>
 アイネスフウジンが日本ダービーを勝った1980年生まれ。大手スポーツ新聞社勤務を経て、フリーライターとして独立。コパノのDr.コパ、ニシノ・セイウンの西山茂行氏、DMMバヌーシーの野本巧事業統括、パチンコライターの木村魚拓、シンガーソングライターの桃井はるこ、Mリーガーの多井隆晴、萩原聖人、二階堂亜樹、佐々木寿人など競馬・麻雀を中心に著名人のインタビュー多数。おもな編集著書「全速力 多井隆晴(サイゾー出版)」。