「石油化学のコメ」が止まる日…ナフサ危機で露呈した日本経済の盲点

●この記事のポイント
ホルムズ海峡リスクによるナフサ不足が深刻化し、TOTOがユニットバス受注停止に踏み切るなど影響が顕在化。ナフサはプラスチックや医療資材など幅広い製品の基礎原料で、日本は8割超を中東に依存し備蓄は約20日分にとどまる。供給制約は住宅・食品・日用品に波及し、年間2.3〜3.5万円の家計負担増や「物がないインフレ」への転換リスクが浮上している。

 4月13日に住宅設備大手のTOTOが静かに発した通告が、SNSと業界メディアを揺るがした。ユニットバスやシステムバス、トイレユニットの新規受注を停止したというものだ。壁面の表面フィルムに使う接着剤や人工大理石のコーティング剤に使われる有機溶剤に、石油由来のナフサが使われていることが停止の理由だという。再開時期は「未定」。これらの製品の売上は2025年3月期通期で約1107億円に上り、TOTO全体の売上7245億円の約15%、日本事業の約23%を占める。

 競合のLIXILも樹脂原料不足やコスト上昇を理由に価格・納期・数量調整の可能性を表明し、タカラスタンダードなども同様の懸念を示しており、業界全体への波及が不可避とみられている。

 しかし、この事態は住宅設備業界一社の問題にとどまらない。ナフサとは何か、なぜ今これほどまでに重要視されるのか。その問いに答えることが、日本経済全体の構造的な脆弱性を理解する入り口となる。

 ナフサは原油の精製過程で得られる「粗製ガソリン」で、高温高圧下でエチレンやプロピレンなどの基礎化学品に分解される。石化基礎製品からポリエチレンなどの誘導品が作られ、最終的にはプラスチックや樹脂、ゴムなど多様な製品へと姿を変える。自動車部品や家電のほか、食品包装フィルムやビニール袋といった日用品、透析向けなど医療領域でも幅広く使われている。まさに「石油化学のコメ」と呼ぶにふさわしい素材だ。

●目次

サプライチェーンの「窒息」…業種別・波及のメカニズム

 ナフサ不足の影響は、上記の派生図が示す通り、日本経済の隅々に及んでいる。

プラスチック・樹脂ルート 自動車部品(バンパー、内装材)、家電の筐体、医療機器(注射器、透析回路、点滴バッグ)への原料供給が細っている。エチレン、プロピレンなどの減産が続く中、レジ袋、ゴミ袋、食品包装フィルム、洗剤、ペットボトル、ポリ容器、パイプ、食品容器、自動車部品といった多様な製品に供給不足が生じ、原材料価格の上が起きている。

溶剤・化学品ルート 建設・塗装現場への直撃が深刻だ。ナフサを原料とするシンナーは各メーカーが値上げや出荷制限の対象としており、フリマサイトでは通常5000円前後だった16リットル入り一斗缶が2万円超で転売されるケースも確認されている。塗料用シンナーを不正転売する動きに、現場の塗装業者は困惑を隠せない。

建材全般 断熱材(カネライトフォーム)は2026年4月1日出荷分から40%の値上げ、塩ビ管は信越化学工業が4月1日納入分から30円/kg以上の値上げを発している。さらに旭化成ホームズは戸建て住宅の値上げを決め、建材メーカー4割が在庫に影響が出ていという実態もある。

 こうした連鎖の最終的な家計負担について、野村総合研究所の試算は冷厳な数字を示す。ナフサ由来製品の価格上昇による家計負担額は年間2.3万円から3.5万円に上とみられている。

「代替なき」危機…エネルギー不足との決定的な違い

 今回の問題がガソリン高騰と本質的に異なる点は何か。エネルギー価格の上昇であれば、消費者は「高いが買える」という選択肢を持つ。しかし、ナフサ由来の特定素材が欠ければ「製品そのものが完成しない」というボトルネック特性がある。TOTOの受注停止はその典型例だ。

 構造的な問題として浮上するのが、日本の中東依存だ。日本は原油の95%超を中東に依存している。アラブ首長国連邦やサウジアラビアからの輸入がそれぞれ4割を占め、いずれもホルムズ海峡を通過して日本にもたらされている。輸入ナフサのうち中東からが74%を占め、国産ナフサの原料となる原油も95%程度が中東産であることから、実質的に日本はナフサの8割超を中東に依存している計算になる。

 さらに致命的なのが備蓄の非対称性だ。2025年12月末時点で、日本は国家備蓄・民間備蓄合わせて254日分の石油備蓄がある一方、ナフサには国家備蓄制度がなく、民間在庫は約20日分という非常に薄い水準にとどまっていた。この非対称性が今回の混乱を加速させた。

 効率性を極限まで追求した「ジャスト・イン・タイム(JIT)」生産方式の脆弱性も改めて問われている。平時の在庫コスト削減に最適化されたサプライチェーンは、地政学リスクという長期的・突発的な供給断絶に対して著しく無防備であることが露呈した。

「ナフサは石油化学の基幹であり、その供給が細るということは、素材産業の上流から下流まで全て影響を受けることを意味します。エネルギー不足と違い、代替品への切り替えが短期間ではできない製品が多い。今回のような事態に備えた国家レベルの備蓄制度や、平時からの調達先多様化の議論を、業界と政府が本腰を入れて行う必要があります」(化学産業に詳しい戦略コンサルタントの高野輝氏)

これから予測される「二次被害」と日本経済への衝撃

 ナフサショックが長引けば、インフレの質的変化が起きる。これまでのエネルギー価格上昇に伴う「コストプッシュ型インフレ」から、製品そのものが市場に出回らなくなる「需給逼迫型インフレ」へのシフトだ。前者は値段が上がっても物は買えるが、後者は価格を積んでも物が入手できない事態を招く。住宅や自動車の納期遅延は個人消費を直撃し、マインドの冷え込みが内需全体を圧迫しかねない。

 ゴミ袋・食品保存袋などのポリエチレン製品は5月下旬から30%以上の値上げが見込まれ、食品トレーなどに使われる発泡ポリスチレンシートは2026年4月下旬出荷分から1kgあたり120円の値上げが見込まれている。こうした食品関連コストの上昇は、スーパーの陳列棚に並ぶ総菜や弁当の価格にも波及する。

 企業業績への影響も二重構造だ。素材メーカーは原材料高に苦しみ、加工・組立メーカーは生産量の減少に直面する。特に中小企業にとっては、コスト転嫁が難しい川下に位置するほど、収益の圧縮が顕著になる。

「今回の問題で鮮明になったのは、ティア1(一次)だけでなく、ティア2・ティア3のサプライヤーが使う原材料まで把握しきれていない企業が多いという現実です。サプライチェーンの可視化は、コスト管理の問題ではなく、企業の事業継続(BCP)と経済安全保障の問題として取り組むべき課題です」(同)

日本企業が取るべき「次の一手」

 今回の混乱を「一時的な不運」として処理することは許されない。問われているのは、日本の産業構造そのものの設計思想だ。

「脱中東」と「脱ナフサ」の加速は、もはや環境対策の文脈にとどまらない。バイオプラスチックや植物由来原料、合成燃料(e-fuel)への転換は、純粋な「生存戦略」としての投資優先度を持つ。他国のホルムズ海峡経由の原油への依存度は、韓国が約68%、中国が45%であるのに対し、日本ほど強く依存する国は他にない。この事実は、日本が他のどの先進国よりも転換を急ぐ必要があることを示している。

 サプライチェーンの可視化も急務だ。自社が直接取引するサプライヤーだけでなく、ティア2・ティア3段階のサプライヤーが何の素材を使っているかを把握する経営管理体制の構築が、リスク耐性の鍵となる。

 政策面では、ナフサを原油と同様に国家備蓄の対象とする制度設計の検討が急がれる。民間在庫20日分という薄さは、地政学リスクが常態化する世界において、もはや看過できるレベルではない。

 ホルムズ海峡の封鎖という事態がいつ収束するかは、外交・軍事の問題であり、企業や個人の努力で変えることはできない。しかし、この危機を「日本の産業構造の脆弱性を克服する転換点」とできるかどうかは、私たち自身の選択にかかっている。「石油化学のコメ」が止まる恐怖を経験した今こそ、その覚悟を問われている。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=高野輝/戦略コンサルタント)