●この記事のポイント
・訪問介護の倒産が過去最多となり、在宅ケアの土台が崩れ始めた。報酬減と人材流出が重なり、地域で「介護難民」が連鎖する。
・訪問介護は需要増でも収益が成立しにくい公定価格ビジネスだ。最大手の非公開化は、制度依存モデルの限界を示すメッセージでもある。
・解決策はDXによる生産性向上と報酬設計の再検討に尽きる。在宅介護を社会インフラとして維持できるかが分水嶺となる。
日本の介護保険制度を根底から揺るがす危機が進行している。東京商工リサーチの調査によれば、2024年の介護事業者の倒産件数は172件と過去最多を記録した。とりわけ深刻なのが訪問介護で、倒産全体の約半数を占める80件超に達した。
倒産した事業所の大半が、従業員10人未満の小規模事業者で、負債額1億円未満の零細が中心だった点は見逃せない。地域で高齢者の生活を支えてきた「最後の手」が、経営体力の限界で次々と途切れている。
訪問介護の崩壊は、単に介護事業者の倒産が増えたという話ではない。医療に例えれば、入院治療(施設)より前段階の「在宅ケア」という一次医療が弱体化する現象だ。一次医療が崩れれば、社会全体の医療・介護コストは最終的に跳ね上がる。いま起きているのは、社会保障の“コスト構造の土台”が沈む現象である。
「訪問介護は“コスト削減の手段”ではなく、“医療・施設費の急増を防ぐインフラ”だ。在宅が維持できなければ特養や病院への集中が起き、結果的に公費負担は増える。いまの倒産増は、制度が節約に見えて将来負担を増やす方向へ振れているサインだ」(社会保障の専門家で社会福祉士の高山健氏)
●目次
- 最大手・セントケアHDの「上場廃止」が意味する強烈なメッセージ
- 「2%の報酬減」という致命傷と、他業種との賃金格差
- 地方で始まる「介護難民」の連鎖…家族に突きつけられる過酷な現実
- 解決への道筋:ビジネスの「効率」か、国の「覚悟」か
- 「絶望」を「希望」に変える処方箋はあるか?介護DXと制度の再定義
- セントケアHDが狙う「未来のインフラ」
最大手・セントケアHDの「上場廃止」が意味する強烈なメッセージ
こうしたなかで業界に衝撃を与えたのが、訪問介護最大手の一角、セントケア・ホールディング(HD)の上場廃止だ。2025年11月、MBO(経営陣買収)により非公開化へ踏み切った。
ここで注意すべきは、「上場廃止=撤退」と短絡的に決めつけるのは正確ではない点である。非公開化は必ずしも事業放棄ではなく、株式市場の短期圧力から距離を取り、再投資・再設計を優先する意思表示でもある。
とはいえ、訪問介護という公定価格ビジネスにおいて、上場企業が中長期で成長戦略を描く難度が極端に上がったのは事実だ。背景には大きく3つの構造がある。
(1)短期利益と公共性の矛盾
介護報酬は3年に1度の改定で収益構造が変わる。制度改定は政策目的に左右され、企業努力だけでは回避できない。四半期ごとに数字を求められる資本市場の論理と、公共性の高い事業運営はしばしば衝突する。
(2)先行投資の必要性
人手不足を補うためのICT、記録業務の自動化、配車最適化、教育コスト――。これらは一過性の費用ではなく継続投資を要する。しかし、訪問介護は“値上げ”ができない。つまり投資原資が枯渇しやすい。
(3)市場の圧力からの脱却
収益性が揺れる業界で、株主は合理的に「選択と集中」を求める。だが訪問介護は、採算が薄くても維持しなければ地域の生活が崩れる“インフラ事業”だ。上場企業である限り、その矛盾を抱え続ける。
「MBOは“逃げ”ではない。公定価格・人材依存・投資負担が重い業態では、短期評価から距離を置き、5〜10年単位でDXや人材施策を回す方が合理的だ。セントケアの非公開化は、訪問介護がもはや“上場で伸ばす産業”ではなく、“インフラの再設計が必要な産業”であることを示した」(金融アナリストの川﨑一幸氏)
「2%の報酬減」という致命傷と、他業種との賃金格差
ではなぜ、需要が増える一方で経営が成立しないのか。要因は大きく2つある。
1つは2024年の介護報酬改定だ。国は「全体ではプラス改定」と説明したが、訪問介護の基本報酬は2%以上引き下げられた。厚労省は「訪問介護の利益率が相対的に高い」とするデータを根拠にしたが、現場は強く反発した。
訪問介護は「移動」という特殊コストを抱える。移動時間は報酬が発生しないうえ、車両維持費・ガソリン代・渋滞・天候などの変動も大きい。数字上の利益率が高く見える局面があっても、それは一部の都市部や効率運営が可能な事業所に偏る可能性がある。
もう1つは、全産業的な賃上げ競争だ。物流、外食、小売、コールセンターなどが賃上げを加速する一方で、訪問介護は公定価格の上限に縛られ、賃上げ余力が乏しい。
「マクドナルドのアルバイトのほうが時給が高く、精神的・肉体的負荷も少ない。これでは若い人が来るはずがない」(都内事業所経営者)
厚労省の調査でも、事業所廃止の最大理由として「人員不足・高齢化」が繰り返し挙げられている。担い手であるヘルパーの高齢化が進み、若年層の参入が細っている状況では、訪問介護は「需要はあるのに供給できない」状態へ向かう。
「訪問介護は労働集約産業で、賃金が上がらない限り供給は回復しない。問題は“需要の不足”ではなく“賃金が市場均衡に届かない制度設計”だ。公定価格がある業界では、人材不足が慢性化しやすい」(高山氏)
地方で始まる「介護難民」の連鎖…家族に突きつけられる過酷な現実
この危機は、企業の業績問題を超え、すでに社会問題化している。例えば長野県高山村では2024年秋、村内唯一の訪問介護事業所が休止に追い込まれ、約40人の高齢者が突然日常支援を失ったと報じられた。
訪問介護が途切れると、生活はどう崩れるのか。起きる現象は連鎖的だ。
(1)施設への集中
在宅が不可能になった高齢者が特養や老健に流れ込む。しかし施設側も人手不足で受け入れが限界に近い。
(2)介護離職の増加
プロの介護が来ないなら家族が埋めるしかない。結果として、就労継続が困難になり、介護離職が増える。これは世帯収入を直撃し、消費の減退や企業の人材流出につながる。
(3)孤独死・老老介護の破綻
定期的な見守りがなくなることで異常の発見が遅れる。転倒・脱水・服薬ミスといった“避けられた事故”が増え、最悪の事態につながる。
「在宅介護が崩れると、医療現場にも跳ね返る。訪問介護は生活を支えるだけでなく、体調悪化の兆候を拾う“早期警戒装置”でもある。介護の断絶は救急搬送の増加として出てくる」(同)
解決への道筋:ビジネスの「効率」か、国の「覚悟」か
もはや“志”や“ボランティア精神”で持続できる段階ではない。必要なのは、構造的に「人手不足でも回る仕組み」か、「賃金を上げられる財源」だ。道筋は大きく2つに整理できる。
1)徹底的なDXと集約化――移動という「死に時間」を削る
訪問介護の最大の非効率は「移動」だ。移動時間は報酬が発生しない。ここを最適化できれば、同じ人数で提供できる訪問回数が増える。
・AI自動配車・ルート最適化
サービス提供責任者が数時間かけていたシフト作成をAIが短時間で組めれば、訪問件数を1〜2件増やせる可能性がある。
・記録業務の自動化・データ連携
介護記録、ケアマネ連携、請求作業の負担は想像以上に重い。ここが減れば現場の疲弊が和らぐ。
ただしDXには初期投資が必要で、小規模事業所ほど導入が難しい。結果として「DXできる事業者だけが生き残る」格差が広がるリスクもある。
「現場はDXを望んでいるが、投資余力がない。補助金だけでは足りず、導入後に運用を回せる人材がいない。だから本質は“IT導入”というより“業務設計の再構築”だ」(同)
2)基本報酬の再設計――“賃金が上がらない制度”を直す
訪問介護が持続不能な最大要因は、賃金を上げたくても上げられない制度にある。2024年の基本報酬引き下げが象徴したように、政策判断一つで収益が削られる業態で、人材確保は成立しにくい。
つまり、訪問介護を社会インフラとして維持するなら、国は「基本報酬」を現実的水準に再設計し、移動コスト・地域特性を織り込む必要がある。これは実質的に、社会保険料や公費の負担増と表裏一体だ。
「絶望」を「希望」に変える処方箋はあるか?介護DXと制度の再定義
訪問介護の窮地は、一企業の努力で埋められる範囲を超えている。ただし、打開の芽も出てきた。鍵は「時間の創出」と「制度運用の柔軟化」である。
(1)AIで移動時間を削る:介護の生産性を上げる唯一の道
訪問介護の“非稼働時間”を減らせれば、同じ人員でも提供量を増やせる。AI配車、ルート設計、記録自動化はその核となる。
(2)オランダ発「ビュートゾルフ」モデルの示唆
オランダの訪問介護組織「ビュートゾルフ」は、少人数の自律型チームで運営し、過剰な管理コストを削った。日本でも、管理の軽量化と現場裁量の拡大によって定着率を改善する動きがある。
「介護は“管理で回す産業”ではなく、“現場が回るように設計する産業”だ。自律型チームは理想論に見えるが、むしろ人材不足下では現実解になり得る」(同)
(3)国の緊急手当:処遇改善加算の拡充
国は処遇改善を拡充してきたが、現場からは「手続きが複雑で事務負担が重い」という声も根強い。賃上げを実現する制度が、現場を疲弊させては本末転倒だ。
(4)混合介護(保険外併用)の解禁は「禁断の果実」か
持続性を高める案として浮上するのが混合介護だ。保険内サービスに加え、保険外で生活支援を上乗せし収益を確保する。
ただし、これは「介護格差」を生む危険も孕む。経済力のある高齢者は手厚いケアを受けられる一方、困窮層は最低限の支援しか得られない社会になり得る。政策の設計次第で、社会の分断を加速させる可能性がある。
セントケアHDが狙う「未来のインフラ」
セントケアHDの非公開化は、訪問介護を“福祉”の枠だけで語る時代が終わったことを示す。短期利益を追う株式市場から距離を置き、AI投資や業務再設計、現場の働き方改革を進め、「生活支援プラットフォーム」へ転換する――。もしその構想が本物なら、訪問介護は衰退産業ではなく、社会の持続性を担う次世代インフラになり得る。
訪問介護の崩壊は、日本が「福祉の国」として生き残れるか、それとも「介護弱者が棄てられる国」になるかの分水嶺だ。在宅介護は、尊厳を守る最後の砦である。その砦を維持するのは、現場の献身ではなく、制度と投資の覚悟にほかならない。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部)