●この記事のポイント
・定年後の富裕層シニアを直撃するのは税よりも社会保険料だ。マイクロ法人は負担を大幅に軽減するが、その広がりは制度の逆進性と構造疲労を浮き彫りにしている。
・役員報酬を抑えることで社会保険料と税率差を活用するマイクロ法人は合法だが、資金拘束や相続、与信低下といった副作用を伴う「選別型スキーム」でもある。
・マイクロ法人の拡大は個人の節税テクニックではなく、現行の税・社会保険制度が生み出した合理的適応行動だ。問題は制度そのものにある。
●目次
- 老後富裕層を直撃する「税より重い」社会保険料の現実
- 「マイクロ法人」という制度的アービトラージ
- 金融機関が見る「マイクロ法人」の冷徹な現実
- 政策的論点:社会保険制度は「逆進的」なのか
- 試算で見る「本当に得なのか」
- マイクロ法人が成立する人・破綻する人
- マイクロ法人は“節税策”ではなく“制度批評”
老後富裕層を直撃する「税より重い」社会保険料の現実
定年退職後も、不動産収入やコンサルティング契約、顧問料などで高い収入を維持する「富裕層シニア」が増えている。だが彼らが直面しているのは、悠々自適とは程遠い現実だ。最大の重荷は、所得税よりもむしろ社会保険料である。
日本の所得税は累進課税制度を採用しており、課税所得1,800万円超で税率40%、住民税10%を含めると実効税率は約50%に達する。4,000万円超では55%という世界最高水準の税率だ。
しかし、それ以上に家計を圧迫するのが、国民健康保険料と介護保険料である。定年後は原則として全額自己負担となり、所得が高いほど保険料は上限に張り付く。自治体差はあるものの、年間100万円超の負担は珍しくない。
「多くのシニアが“こんなに取られるのか”と愕然とするのは社会保険料です。税金はまだ“高所得者ほど多く負担する”という納得感がありますが、社会保険料は給付との対応関係が弱く、実質的には強い負担感だけが残ります」(税理士・村井綾乃氏)
「マイクロ法人」という制度的アービトラージ
この負担を回避する手段として注目されているのが、いわゆる「マイクロ法人(プライベートカンパニー)」の活用だ。
個人で得ていた事業所得や不動産所得を法人に移し、自身は役員として最低限の役員報酬を受け取る。社会保険料は役員報酬に基づいて算定されるため、報酬を月4万5,000円程度に抑えれば、標準報酬月額は最低等級となる。
結果として、健康保険・厚生年金の保険料は会社負担分を含めても年間約25万円前後に圧縮できる。国民健康保険料が年間100万円超となるケースと比較すれば、約80万円のキャッシュフロー改善が生じる。
「これは脱税ではありません。法人税と個人所得税、社会保険制度の“設計の違い”を利用した正当な制度活用です。個人の最高税率55%と法人税実効税率約23〜30%の差を使った、いわば制度的アービトラージです」(村井氏)
だが、ここで重要な論点がある。“手取りが増える”という感覚は錯覚になりやすいという点だ。
「マイクロ法人を作ると、帳簿上の手残りは確かに増えます。しかし、個人が自由に使える可処分所得はむしろ減るケースも多い。法人に利益が残る一方で、生活費に使える現金が不足し、心理的な不安が増す人も少なくありません」(ファイナンシャルプランナー・田中真一氏)
FPが警鐘を鳴らすのは、「老後の生活資金」と「法人資金」の混同だ。法人に内部留保された資金は、自由に引き出せない。役員報酬を上げれば、社会保険料と税負担が再び増える。結果として、“お金はあるのに使えない老後”に陥るリスクがある。
「年金や金融資産だけで生活費を賄える人でなければ、マイクロ法人は向きません。老後の安心を得るはずが、日々の資金繰りに神経をすり減らす本末転倒なケースも見てきました」(田中氏)
金融機関が見る「マイクロ法人」の冷徹な現実
もう一つ見逃せないのが、金融機関の視点である。
「マイクロ法人そのものは問題ではありません。ただし、役員報酬が極端に低く、会社に資金が滞留している場合、個人としての返済能力は低く評価されます」(大手金融機関・リテール部門担当者)
銀行は「法人」と「個人」を明確に分けて見る。法人に多額の内部留保があっても、個人の役員報酬が低ければ、住宅ローンや個人向け融資の審査では不利になる。
さらに、会社資金を私的に流用する「役員貸付金」が常態化している場合、与信評価は著しく悪化する。
「役員貸付金が多い会社は、ガバナンスが弱いと判断します。税務調査リスクも高く、融資先としては敬遠せざるを得ません」(同)
政策的論点:社会保険制度は「逆進的」なのか
ここで浮かび上がるのが、制度そのものの歪みである。
社会保険料は名目上「応能負担」とされているが、実際には強い逆進性を持つ。一定以上の所得になると保険料は頭打ちになる一方、給付水準は所得に比例しない。結果として、高所得の個人事業主やシニア層ほど「負担と給付の乖離」を強く感じる。
「社会保険料は実質的に“第二の税金”ですが、税と違って再分配機能が弱い。マイクロ法人が広がる背景には、制度疲労があります」(田中氏)
この構造は政策的にも看過できない問題だ。制度が「抜け道」を許容しているのではなく、制度設計そのものが人々を“最適化行動”へと駆り立てていると言える。
試算で見る「本当に得なのか」
簡易モデルで比較すると、次のような差が生じる。
個人事業のまま(課税所得2,000万円)
・所得税・住民税:約900万円
・社会保険料:約100万円
→ 実質手残り:約1,000万円
マイクロ法人活用
・法人税・個人税・社会保険料合計:約600万円
→ 法人内部留保+個人手残り:約1,300万円
差は年間300万円規模になることもある。ただし、その多くは「使えないお金」である点が最大の違いだ。
マイクロ法人が成立する人・破綻する人
成立する人
年金・金融資産で生活費が完結している
法人利益を再投資・相続資産として割り切れる
会計・税務管理を厭わない
破綻しやすい人
消費志向が強い
資金管理がルーズ
「節税額」だけに目が行く
マイクロ法人は“節税策”ではなく“制度批評”
マイクロ法人は、単なる節税テクニックではない。それは、日本の税・社会保険制度が生み出した合理的な適応行動である。
制度がこの形で存在する限り、富裕層シニアは同じ結論にたどり着く。そして、その是非を個人のモラルに帰するのは本質的ではない。
マイクロ法人の拡大は、「社会保険制度はこのままで持続可能なのか」という問いを、私たち全体に突きつけている。
節税を選ぶか、制度を変えるか。この問題は、もはや個人の工夫の話ではない。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部)