JRA名伯楽をして「エアグルーヴを超えた」と言わしめたファインモーション! クイーンS(G3)兄にピルサドスキーを持つ大本命に待ち受けていたまさかの結末

 8月1日、函館競馬場で開催されるクイーンS(G3)。牝馬限定の重賞競走として創設されたこのレースは、1996年にそれまでの芝2000mから芝1800mに距離が変更。秋華賞のトライアルとなったが、2000年からは札幌競馬場を舞台に3歳以上の条件へと生まれ変わった。

 芝2000m時代にはシンコウラブリイ、ヒシアマゾン、サクラキャンドルなど、後のG1馬が出走。芝1800mに変更されてからは、トゥザヴィクトリー、デアリングハート(デアリングタクトの祖母)、アヴェンチュラ。近年ではアエロリット、ディアドラなどが勝ち馬として名を連ねた。

 過去、多くの名牝を輩出したレースで確勝を期待されたのが、2003年に武豊騎手とのコンビでクイーンSに出走したファインモーションだ。

 父デインヒル、母ココットという血統で、97年度のヨーロッパカルティエ賞最優秀古馬ピルサドスキーの半妹。ファインモーションに惚れ込んだ伊藤雄二調教師が、血統的な背景からも将来の繁殖牝馬として伏木田牧場会長の伏木田達男氏に購入を持ち掛けた。

 現役時代に管理した伊藤師は、マックスビューティ、シャダイカグラ、ダイイチルビー、エアグルーヴなど多くの名牝を育てた凄腕。その関西の名伯楽をしてこれまで育てた馬のいいところをすべて集めたと言わしめたのだから、師のファインモーションに対する評価の高さも伝わってくる。

 そんな超良血馬のデビューは、2001年12月の阪神競馬。武豊騎手を背にスタートから先頭に立つと、2着馬に4馬身の差をつけて楽に逃げ切った。騎乗した武豊騎手からはその圧倒的なパフォーマンスに「海外で競馬をさせたい」という発言も飛び出したほどだった。

 当時はまだ外国産馬にとって不遇な時代ということもあり、クラシックレースに出走しなかった同馬の初G1勝利は翌年の秋華賞まで待つこととなる。続けて出走したエリザベス女王杯(G1)でも、年長の牝馬を相手に単勝1.2倍の断然人気に応えて圧勝する。

 無敗で挑んだ同年の有馬記念(G1)は、シンボリクリスエスを抑えて堂々の1番人気に支持されるも、当時まだ13番人気の穴馬に過ぎなかったタップダンスシチーにハナを奪われてリズムを崩して5着に敗れる。

 この敗戦でデビューから続いた連勝は6で途切れてしまったが、翌3年の復帰戦に選ばれたのが8月のクイーンSだった。ファインモーションをファンは単勝1.4倍の圧倒的1番人気に支持。2番人気には一つ年上の牝馬二冠馬テイエムオーシャンが続いた。

 ファインモーションは58キロ、テイエムオーシャンは59キロと、いずれも牝馬には過酷な重い斤量を背負ったが、二冠馬同士の対決は大いに盛り上がった。

 しかし、レースを制したのはそのどちらでもなく、スローペースと52キロの軽ハンデを味方に逃げ切った3歳馬オースミハルカ。お互いを意識し過ぎてか、追い上げの遅れたファインモーションは首差及ばず2着。テイエムオーシャンはさらに1馬身遅れの3着と敗れた。

 オースミハルカは、翌年もクイーンSを勝利して連覇。その後も府中牝馬S(G3・当時)を優勝し、エリザベス女王杯(G1)で2年連続2着に入った実力馬だった。とはいえ、この年のクイーンSはオースミハルカが勝ったレースというよりも、ファインモーションが敗れたレースとしての印象が強く残った感は否めない。

 思わぬ不覚を取ったファインモーションだが、以降はマイルCS(G1)でデュランダルの2着があるものの、G1のタイトルを再び手にすることは叶わなかった。また、現役生活を引退し、購入された当初の目的である繁殖牝馬としても期待されたが、医学的に受胎が不可能であることが判明してしまう。

 非凡な才能の持ち主であったがために、競走馬としてG1・2勝を挙げたファインモーション。その血を後世に残すことが出来なかったことは、関係者にとってもまさかの結末だったに違いない。

(文=黒井零)

<著者プロフィール>
 1993年有馬記念トウカイテイオー奇跡の復活に感動し、競馬にハマってはや30年近く。主な活動はSNSでのデータ分析と競馬に関する情報の発信。専門はWIN5で2011年の初回から皆勤で攻略に挑んでいる。得意としているのは独自の予想理論で穴馬を狙い撃つスタイル。危険な人気馬探しに余念がない著者が目指すのはWIN5長者。