今春の競馬界で主役の1頭を務めたグランアレグリアが、秋の天皇賞(G1)で再び2000mに挑戦することが注目を集めている。
キャリア初の2000m挑戦となった4月の大阪杯(G1)では、重い馬場の影響もあって4着に敗れたグランアレグリア。だが、主戦のC.ルメール騎手、藤沢和雄厩舎ともに「良馬場の東京2000mなら」と強気な姿勢を崩していない。マイルG1・4勝の本馬にとっても、2000mの天皇賞・秋への挑戦はキャリアの集大成となりそうだ。
ただ、かつてはそんな話題が些細な問題とさえ思えてしまう型破りな馬がいた。1992年の安田記念で、今春のグランアレグリアと同じように2着したカミノクレッセである。
3歳2月の芝のデビュー戦で2着に敗れて以降、カミノクレッセの主戦場はダートだった。
晩成傾向にあった本馬は当然、クラシックとは無縁。地道に自己条件を勝ち上がり、初の重賞挑戦は4歳3月の中日新聞杯(G3)だった。芝のレースになったのは当時、ダート路線がまだまだ整備されておらず、これといったダート重賞がなかったからだ。G1どころかG2にすらなっていないフェブラリーSが大きな目標となるこの時代のダート馬は、とにかく不遇だった。
そんなカミノクレッセが全国の競馬ファンに名を馳せたのは、4歳10月に迎えたブリーダーズゴールドC(門別)だった。
このレースには当時デビュー30戦連続連対など、地方競馬で圧倒的な実績を残していたスイフトセイダイも参戦していたが、本格化したカミノクレッセの敵ではなかった。最後の直線で一方的に突き放すと大差で圧勝。当時のダート界の最有力候補に躍り出た。
しかし、カミノクレッセが次に出走したのは芝の天皇賞・秋だった。繰り返しになるが、適当なダートレースがないのだ。これまでの芝の最高実績は札幌記念(当時G3)の3着だったが、ファンは前走の圧勝ぶりを高く評価。芝の強豪に交じって5番人気に支持された。
そんなファンの目はホンモノだった。カミノクレッセは好位から粘りこむと4位入線を果たす、1位入線したメジロマックイーンが降着したことで3着に繰り上がった。なお、カミノクレッセは被害馬の1頭だった。
その後、5歳1月の日経新春杯(G2)で重賞初勝利を飾ると、カミノクレッセの怒涛の挑戦が始まる。
阪神大賞典(G2)と天皇賞・春(G1)は、いずれもメジロマックイーンの前に連続2着とあと一歩の競馬。ここまでならよくある話だが、陣営が次に矛先を向けたのが安田記念だった。
前走の天皇賞・春の3200mの半分。つまりは1600mの距離短縮である。各スペシャリストたちによってカテゴライズが確立された現代の競馬なら、カミノクレッセは完全に“お客さん”だろう。
しかし、あろうことか当時のファンは本馬を5番人気に支持。そして、カミノクレッセもそんな期待に応えるようにヤマニンゼファーの2着に“激走”したのだ。ちなみに、これまでの芝マイル以下の実績は新馬戦の2着が最高。あとは掲示板(5着以内)にすら載ったことがなかった。
これだけでも、カミノクレッセは相当な型破りだが、極めつけは勢いそのままに挑戦した宝塚記念(G1)だ。
当時の現役最強馬であり、カミノクレッセにとっては目の上のたん瘤だったメジロマックイーンが不在ということもあって、なんと本馬が1番人気に推された。3200mで2着、1600mでも2着なら「ちょうどいい2200mなら勝てるのでは」と思ったわけだ。
カミノクレッセは、ここでも得意の先行から堂々たるレースを見せる。最後の直線では後ろを4馬身引き離した。だが、その遥か3馬身前にメジロの刺客メジロパーマーが走っていた。
結局、カミノクレッセのG1・3連戦は3連続2着に終わってしまったが、天皇賞・春→安田記念→宝塚記念という強行軍をすべて好走したことは、1つの勲章といえるだろう。その後、脚部不安で休養した本馬は燃え尽きたように惨敗を繰り返してターフを去った。
やはり現代競馬では考えられないローテが祟ったとも考えられるが、実は前年の有馬記念(G1)を勝って、世間をアッと言わせたダイユウサクも、カミノクレッセと同じ春G1三連戦を走り抜いている。
レース間隔を開けることが正義とさえ見られている今の競馬からは考えられないようなタフネスが闊歩した時代だった。(文=銀シャリ松岡)
<著者プロフィール>
天下一品と唐揚げ好きのこってりアラフォー世代。ジェニュインの皐月賞を見てから競馬にのめり込むという、ごく少数からの共感しか得られない地味な経歴を持つ。福山雅治と誕生日が同じというネタで、合コンで滑ったこと多数。良い物は良い、ダメなものはダメと切り込むGJに共感。好きな騎手は当然、松岡正海。