競馬の祭典・日本ダービー(G1)に沸いた先週の競馬。
JRAが発表した同レースの売り上げは、250億7589万6600円。コントレイルが優勝した昨年の233億5390万2100円よりも、なんと17億円以上も増加したという。
コロナ禍で“在宅競馬”が浸透し、育成シミュレーション『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)の大ヒットで、競馬初心者が増えた影響もあるのか。とにかく競馬が盛り上がることは、総じて悪いことではないだろう。
そんな競馬初心者から「現役最強の騎手は誰?」と尋ねられたら、あなたは誰を挙げるだろうか。
C.ルメール騎手や川田将雅騎手、競馬ファン以外もその名を知るベテラン・武豊騎手……ここは意見が分かれるところだが、もうそろそろ「福永祐一」騎手と答えてもよいとはいえないか。
先のダービーでは4番人気シャフリヤールに騎乗して優勝した福永騎手。この4年で3度もダービージョッキーとなった“運”と“実力”は、競馬ファンなら誰もが認めるところだろう。
1976年12月9日生まれの福永騎手は、現在44歳。幾多の経験を積み、年齢的にも脂の乗り切ったタイミング。まさに心・技・体が整った、ジョッキーとして最高のパフォーマンスを発揮できる充実の時期を迎えているようにみえる。
そんな福永騎手だが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。どんなアスリートにも、栄光の裏には挫折がある。今回は福永祐一が味わった3つの挫折を振り返りたい。
JRA騎手として、1996年3月2日にデビューした福永騎手。同年第1回中京開催では、史上2人目となるデビュー連勝を含めて、合計12勝を挙げる大活躍をみせた。
この辺りは現在の新人騎手と比較すると、その“凄さ”がわかるというもの。しかし最初の挫折は、思わぬところで待ち受けていた。
同年3月23日、レースで使用する鞍を間違えたことで、斤量不足による1着失格事件を起こしてしまった福永騎手。52キロで騎乗すべきレース後の検量で、1.8キロ足りていなかったことが発覚。1着になったことで、事件は重大となり、裁定委員会から1ヶ月の騎乗停止処分を受けてしまったのだ。
当時の福永騎手は関係者に頭を下げて回り、さらにその頭をキレイに丸めて、謹慎1ヶ月を過ごしたという。
時を経て1998年。ダービー初騎乗を果たした福永騎手は、今度はその騎乗ぶりで、ネガティブな注目を集めてしまう。
騎乗したキングヘイローは、前年の東京スポーツ杯3歳S(G3・当時)で福永騎手にJRA重賞初制覇をプレゼントしてくれた馬。ダービー出走時の同馬は、スペシャルウィークとセイウンスカイと並んで“3強”とよばれていた。
騎手3年目にして有力馬で挑む日本ダービー。この上ない舞台を与えられた福永騎手は、そのプレッシャーが原因か、5月の最終週が近づくと熱を出して体調を崩したという。
迎えたダービー当日も、心身ともに最悪な状態。レースではスタート直後に手綱をしごいて先頭に立ってしまうと、気づいたときには後に引けない状況となり、最後の直線では後続勢にあっさりとかわされ、福永騎手のダービー初挑戦は14着に終わった。
「頭のなかが真っ白になった」とは当時の弁。後に「騎手人生で一番大きな失敗」とも語っている。
屈辱をバネに、切磋琢磨して迎えたデビュー4年目。福永騎手は1999年4月の桜花賞(G1)をプリモディーネで制覇。しかし念願の初G1制覇を成し遂げた翌週、悲劇が襲う。
返し馬の最中に落馬した福永騎手は、馬に背中を踏みつけられ、腎臓を摘出しなければならないほどの重症を負う。すい臓、脾臓も損傷して、肺や胃からも出血。肋骨も折れており、50日あまりも入院。騎手にケガはつきものとはいえ、身体的にも精神的にも大ダメージを負ってしまったのだ。
ところが福永騎手は驚異的な回復力で、7月に復帰。同時に精神力も磨かれたのか、同年12月の朝日杯3歳S(G1・当時)をエイシンプレストンで制している。
最後に10年区切りの年代別リーディングジョッキーを紹介したい。
1990年代は、武豊騎手が1421勝で堂々の王者に君臨。続く2000年代も、1572勝で武豊騎手がトップに立っていた。しかし2010年から2019年を振り返ると、1位は1159勝を挙げた、他ならぬ福永騎手である。
2020年は204勝のルメール騎手がリーディング1位も、福永騎手は134勝で3位。2021年も5月末まで54勝を挙げて3位につけている。
今年でデビュー26年目、5月末現在で通算2448勝を誇る福永騎手。「現役最強騎手」かどうかの議論はさておき、JRA史上に名を残す騎手であることに異論はないはずだ。
文=鈴木TKO
<著者プロフィール>
野球と競馬を主戦場とする“二刀流”ライター。野球選手は言葉を話すが、馬は話せない点に興味を持ち、競馬界に殴り込み。野球にも競馬にも当てはまる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を座右の銘に、人間は「競馬」で何をどこまで表現できるか追求する。