JRA 武豊「成績低迷」東京五輪の聖火ランナーしてる場合じゃない!? 右足骨折からスピード復帰を果たすも、思い出すのは11年前のあの「事件」

 27日、JRAの武豊騎手が東京五輪の聖火ランナーとして、滋賀県栗東市の第1走者を務めた。栗東市民体育館前を約200mゆっくりと走り、「できれば馬に乗ってやりたかったんだけどね」とジョークを飛ばしながらも、晴れやかな表情を見せた。

「大変名誉なこと。緊張もあったが、嬉しかった」と話すレジェンドジョッキー。次走者へ聖火を移すトーチキスでは騎乗ポーズも決めたそうであるが、あまりうかうかとしている場合でもないのかもしれない。

 本業の競馬では3月20日に右足甲を骨折、今月1日に復帰を果たしたものの、低迷が続いている。

 今年の武豊騎手は故障前まで119戦して22勝、勝率は18.4%と好成績を収めていた。だが復帰後は40戦して4勝、勝率は10%と数字を落としている。特にG1では2番人気だったヴィクトリアマイル(G1)のレシステンシアを始め、それなりに人気馬には騎乗しているものの、まだ1度も掲示板である5着以内にすら入れていない有様だ。

 3月に右足を骨折した際、「なんとかダービーには間に合わせたい」と思ったという武豊騎手。その後、驚異的な回復力を見せ、1日にスピード復帰を果たした。だが、ファンの間では、この早期復帰が「成績低迷の原因を招いてしまったのでは」という声もあるようだ。

 思い出されるのは11年に起きた、あの「事件」だろう。

 2010年3月27日。毎日杯(G3)でザタイキに騎乗していた武豊騎手は、直線に入ると馬が故障、馬場に叩きつけられる形で落馬した。左鎖骨遠位端骨折、腰椎横突起骨折、右前腕裂創……全治半年の重傷を負い、その年のダービーを諦めざるを得なくなった。

 8月1日にスピード復帰を果たしたものの、成績は低迷。その年は69勝に終わり、翌年も64勝止まり。さらに翌年の2012年に至っては、デビュー以来最低となる56勝に終わっている。早期復帰が引き金となり、長期のスランプに陥った形だ。

「当時の武豊騎手は早期復帰を果たしたものの、負傷した左肩の状態があまり思わしくなく、誤魔化しながら乗っていたようです。思うような騎乗ができなければ結果も出ず、結果が出なければ良い馬も集まらずにさらに成績が低下するという、負のスパイラルに陥っていました。

今回の武豊騎手も同じく早期復帰を果たしたものの、成績は大分落ちています。1月に騎乗を取りやめた腰痛も含め『まだ体調が万全ではないのではないか?』と勘ぐられても仕方ないのかもしれません」(競馬記者)

 その後、武豊騎手はキズナに騎乗した2013年の日本ダービー(G1)で優勝。勝利ジョッキーインタビューでは「僕は帰ってきました!」と宣言、見事に復活を果たした。

 思い返せば武豊騎手は2002年、2月に行われた未勝利戦で落馬して骨盤を骨折。一時は全治半年とも言われていたものの、約2ヶ月で復帰。その年のダービーをタニノギムレットで制し、最終的にはリーディングジョッキーのタイトルまで獲得している。

 武豊騎手の復活の鍵を握るのは、良くも悪くも「ダービー」なのかもしれない。

 日曜日、武豊騎手はダービーでディープモンスターに騎乗する。与えられた枠順は、奇しくも父ディープインパクトでダービーを制した2005年と同じ3枠5番。この年、ディープと共に無敗でダービーを制した武豊騎手はその勢いに乗り、最終的にはキャリアハイの212勝を挙げている。息子のディープモンスターと共に挑むダービーで、果たして浮上のきっかけは掴めるだろうか。

 聖火ランナーを務めた後、「日本ダービーでは思い切り走って金メダルを獲りたい」と語った武豊騎手。週末は競馬場で見守る観衆の期待に応えて欲しいところだ。(文=冨樫某)

<著者プロフィール>
キョウエイマーチが勝った桜花賞から競馬を見始める。まわりが学生生活をエンジョイする中、中央競馬ワイド中継と共に青春を過ごす。尊敬する競馬評論家はもちろん柏木集保氏。以前はネット中毒だったが、一回りして今はガラケーを愛用中。馬券は中穴の単勝がメイン、たまにWIN5にも手を出す。