JRA過去にはCMに起用! 武豊VS田原成貴、伝統の一戦・阪神大賞典(G2)騎手の腕が試された稀代の名勝負を振り返る!!

 今週末の21日(日)に行われる阪神大賞典(G2)は、今年で施行69回を迎える。記念すべき第1回は、今から約70年前の1953年に開催されるなど、数あるJRAのレースのなかでも有数の歴史を誇るレースだ。

 創設当初は「暮れの阪神開催を飾る名物レース」として親しまれていた同重賞。現在の年末の大一番・有馬記念の前身「第1回中山グランプリ」は1956年に開催されており、阪神大賞典のほうが先にスタート。同重賞は、今でいうところの有馬記念のような存在だった。

 当時はハンデ戦で、別定戦になったのは65年前の1956年。現在よりも短い2000mで施行されており、1965年からは3100mに変更。3000mに定着したのは約50年前の1974年から。重厚な歴史を持つ阪神大賞典では、幾多の名勝負が繰り広げられている。

 そんな長い歴史の中でも「No.1を決める」といわれたら、やはり1996年第44回を推したい。同年3月9日、土曜日にも関わらず6万人近い観客が集まった阪神競馬場。ナリタブライアンとマヤノトップガンの対決を観るべく、多くの競馬ファンが足を運んだ。

 前々年の三冠馬ナリタブライアンと、前年の菊花賞(G1)を制した後、有馬記念で古馬を蹴散らしたマヤノトップガン。ともに同じブライアンズタイムを父に持つ2頭が演じた残り600mからの壮絶な叩き合いは、今でも語り草になっている。

 このレースのゴール前の映像は、のちにJRAテレビCMにも起用されたほど。普段は競馬に興味をもたない視聴者からの反響も大きかったという。

 1番人気に推されたのは、マヤノトップガン。前年1995年度年度代表馬は、その期待を裏切ることなく激しいマッチレースを演じたものの、結果は2着。当時、手綱をとった田原成貴氏は後に「あれは名勝負ではない」とコメント。仕掛けのテンポをひとつ、ふたつ遅らせれば勝てたと悔やんだ。

 しかし翌年、田原氏はリベンジを果たす。翌1997年第45回でもマヤノトップガンに騎乗した田原氏は、それまでの先行策から一転して、誰もが驚く後方からの競馬でキッチリ勝利。名騎手として名を馳せた、田原氏の好騎乗が光ったレースだった。

 ちなみに田原氏の同重賞の成績は、1986年以降では6鞍に騎乗して1着、2着ともに1回ずつで、3着2回。勝率16.7%、連対率33.3%、複勝率66.7%の好成績を残している。

 1996年に話を戻せば、勝利したのはナリタブライアン。前年の天皇賞・秋(G1)からジャパンC(G1)、有馬記念で凡走を繰り返すなど、ファンはその復活を待ちわびていた。

 そんな同馬の手綱をとり、見事にクビ差で勝利に導いた武豊騎手は、今年の阪神大賞典にも参戦が決定。同重賞への騎乗回数は、今年でなんと23回目となる。

 昨年までの過去22回の騎乗成績を調べると、特筆すべきは8回を誇る優勝数だ。なかでもメジロマックイーンに騎乗した1992年3月15日(第40回)では、自身の誕生日を祝う勝利を挙げている。

 自身のバースデー勝利を含む1着8回のほか、2着5回、3着2回で、勝率36.4%、連対率59.1%、複勝率は7割近い68.2%。すべての部門で現役最多記録を保持しているなど、まさに「阪神大賞典男」と呼ぶにふさわしい武豊騎手。

 ともに名ジョッキーとして、誰もが認める田原氏と武豊騎手が、阪神大賞典を得意としている点は、「長距離戦は騎手で買え」という競馬格言に当てはまる。

 3キロもの長さを走り切り、着差はわずか数センチ。コンマ数秒の差で着順が決まる長距離戦こそ、いかにロスなく馬を操り、どうやってゴール前の接戦に持ち込むか、騎手のウデが問われる一戦となる。見応えあるレースになることを期待して、今週末を楽しみに待ちたい。