遂に「パンドラの箱」が開かれようとしている。
6日、阪神競馬場で行われたチューリップ賞(G2)は、メイケイエールとエリザベスタワーが並んでゴール。メイケイエールに騎乗した武豊騎手にとって35年連続の重賞勝ちは、珍しい同着Vとなった。
武豊騎手が「相変わらずのお転婆で……」と語ったように、レースではまったく折り合わず。レース後の勝利騎手インタビューでは、終始浮かない表情だった。
これまで、馬具を替えたり、馬の後ろにつけたりと様々な工夫を凝らしてきたメイケイエール陣営。武豊騎手も「桜花賞(G1)の前にもう1戦できるのなら、そこが名実ともにトライアルになりそうです」と話していたが、折り合わせるという“試み”は見事に崩れ去ったといえる。
しかし、そんなメイケイエールに急展開。武豊騎手が自身のオフィシャルサイトで、驚きの内容を綴っているのだ。
「枠順やスタートにもよりますが、逃げるという選択もありでしょう」
これまで、控える競馬を教え込んできたメイケイエールに「逃げ」という選択肢を提示。一発勝負の本番で、パンドラの箱を開けようというのだ。
これには、どうも前走のチューリップ賞での走りが影響しているようで、武豊騎手が「ハナに立ってみたらフッと力みが抜けた感じがしました」と語っていることから、前に馬がいると追っかけてしまうということのようだ。
「そのレースぶりから、気性難と言われているメイケイエールですが、武英智調教師は『気性は本当にいい』と話していました。この馬が行きたがるのはレースだけで、パドックの周回や返し馬はむしろ上手な方。一般的な気性難の馬とは、少し異なるようです。
メイケイエールは師が『(レースで)前にいる馬を全部抜かすのが、自分の仕事だと思っているようで……』と話している通り、やんちゃというよりは真面目過ぎる馬。ですから、逃がしてしまえば折り合いがつく可能性もあると思いますよ」(競馬記者)
武豊騎手が騎乗した馬では、過去にサイレンススズカという伝説の逃げ馬がいる。
1997年2月、同馬は上村洋行騎手とのコンビでデビューを圧勝。5着のプレミアートに騎乗していた武豊騎手が「皐月賞もダービーも全部持っていかれる。痛い馬を逃したと思った」と『Sports Graphic Number』(文藝春秋)のインタビューで語ったように、そのポテンシャルは計り知れないほどのものだった。
しかし、3歳時はレースで見せるかかり癖が災い。思うような結果を出せず、出走に漕ぎ着けた日本ダービー(G1)でも9着に敗れている。
そんなサイレンススズカが武豊に回ってきたのは、同年末の香港国際カップ(G2)。レースでは5着と敗れたが、武豊騎手は師に対して「今日は負けたけれども、この馬には押さえない競馬が向いている」と進言したという。
逃げ馬として覚醒したサイレンススズカは、年明けから破竹の6連勝。他馬を大きく突き放す「大逃げ」は、負ける姿が想像できないほど鮮烈なものだった。最後のレースとなった天皇賞・秋(G1)でも圧勝が期待されたが、4コーナーの手前で突然の失速。結局予後不良と診断され「伝説」となったのは有名な話だ。
当時、同馬を管理した橋田満調教師は、サイレンススズカの気性について「普段は大人しく、人の言うことをよく聞く馬だった」と語っている。まさにメイケイエールに通ずるような性格をしていたといえるだろう。
サイレンススズカが天国に旅立って約22年。武豊騎手はメイケイエールについて「桜花賞は腹をくくって乗るしかありません」と答えた。「逃げるという選択もあり」という判断に至ったのも、押さえない競馬が向いている可能性を感じたからに他ならないのではないだろうか。
「不安に思うより、楽しみと考えることにします」
最後にそう語った武豊騎手。桜花賞では、伝説の続きが見られるかもしれない。