14日、東京競馬場では3歳重賞の共同通信杯(G3)が開催される。創設時は東京4歳S、1983年から2000年までは共同通信杯4歳Sと呼ばれていたが、馬齢表示が国際基準に変更された01年から現在の名称となった。
馬齢表示が変わって初めて開催された01年の「共同通信杯」を制したのが、その3か月後に日本ダービー馬に輝くことになるジャングルポケットだった。
前年9月に札幌の新馬戦でデビューしたジャングルポケット。8頭立ての5番人気という評価ながら、初戦を難なく勝ち上がると、続く札幌3歳S(G3)も5番人気で制覇。センスあふれるレースぶりから、一躍クラシック有力候補に名乗りを上げた。
年末には“出世レース”ラジオたんぱ杯3歳S(G3)でアグネスタキオン、クロフネという後のG1馬と激突。クロフネ(3着)には先着したが、デビュー2戦目のアグネスタキオンに子供扱いされ、2馬身半差の2着に敗れた。
この時のアグネスタキオンの衝撃的な勝ちっぷりから、牡馬クラシック戦線はアグネスタキオンの「1強ムード」になったのは言うまでもない。ジャングルポケットはそんなムードを打ち砕くべく、年明けの始動戦に選んだのが共同通信杯だった。
その実績から単勝1.4倍の1番人気に支持されたのはもちろんジャングルポケット。これに続いたのが、外国産馬でともに関東馬のスイートゥンビターとプレジオだった。この年から最大2頭の外国産馬がダービーに出走可能となったため、この2頭とジャングルポケットの比較という意味でも注目を浴びた。
しかし、レースはジャングルポケットの独壇場だった。好スタートからスッと好位につけると、スイートゥンビターを見る形で外目の5番手を追走。3コーナーすぎから馬なりのまま徐々に位置を上げると、先行していたスイートゥンビターに馬体を併せて4コーナーへ。直線半ばまでライバル馬たちも必死に食らいつくが、残り1ハロン付近で鞍上の角田晃一騎手(現調教師)がゴーサインを送ると、あっという間に他馬を突き放した。
終わってみれば、2着のプレジオに2馬身差、3着スイートゥンビターにはさらに1馬身半差をつける完勝劇を見せた。しかし、直線最後に角田騎手が右ムチを入れると、ジャングルポケットが大きく内によれるという課題も残った。
その後は皐月賞(G1)に直行したジャングルポケット。アグネスタキオンとの再戦でリベンジを誓ったが、出遅れが響いて0秒3差の3着に敗れた。
3冠を狙ったアグネスタキオンに悲劇が訪れたのはダービーを3週間後に控えた5月初旬。音速の貴公子は屈腱炎を発症し、ダービーを回避(その後、夏に引退が決定)。それでもダービーは、ジャングルポケットとクロフネの2度目の対決で盛り上がり、1番人気に支持されたジャングルポケットが貫録の勝利を収めた。最後の直線では、鞍上の右ムチにもしっかり応え、3か月前の課題をしっかりクリアしての戴冠だった。
秋は札幌記念(G2)をステップに菊花賞(G1)で2冠を狙うも、マンハッタンカフェの4着に敗退。その後、陣営はダービーと同じ舞台のジャパンCで王者テイエムオペラオーに挑んだ。結果はこの2頭のマッチレースの末、ジャングルポケットがクビ差しのいでG1・2勝目を飾った。
この勝利でジャングルポケットは東京競馬場で3戦3勝。府中が得意と言われるトニービン産駒とあって、4歳以降もさらなる活躍が期待されたが、翌02年の秋の東京開催は、改修工事のため、中山競馬場で代替開催という不運に見舞われた。
結局4歳春以降は、脚部不安などで順調さを欠いたジャングルポケット。秋は中山で開催されたジャパンCで5着、有馬記念では7着に敗れた。その後故障が判明したジャングルポケットは、翌03年1月に引退が決定。得意の府中では僅か3戦に終わり、改修工事のタイミングにも泣かされる形となった。
アグネスタキオン、クロフネ、そしてマンハッタンカフェという強豪がひしめいたこの世代。その頂点を決めるダービーで最も輝いたのがジャングルポケットだった。