たどり着くべき男が、ついにここまでたどり着いた。
27日、中京競馬場で行われた菊花賞トライアル神戸新聞杯(G2)は、1番人気のコントレイル(牡3歳、栗東・矢作芳人厩舎)が単勝1.1倍の人気に応えて完勝。シンボリルドルフ、ディープインパクトに続く、史上3頭目となる無敗の三冠へ王手を掛けた。
「まずは勝ててホッとしています。休み明けとはいえ、落とすわけにはいかない状況の中で勝つことができました」
レース後、福永祐一騎手から最初に出たのは安堵の言葉だった。レース前「課題らしい課題はない」と春の二冠馬を評価していた主戦騎手だが、“課題”は自身の中にあったということなのだろう。
表面上は大本命馬が楽勝したレースだったが、そこには「『慌てない』ってことだけは肝に銘じて」と誓い、最後まで冷静だった鞍上の高い技術が示されている。
他馬に囲まれやすい1枠2番からのスタートだったこともあって、福永騎手も「戦前から『難しいレースになるな』と思っていました」と懸念を抱いていたようだが、予想通りライバルのマークは厳しく、最後の直線までは完全に囲まれた状況だった。
しかし、各馬がスパートに入った一瞬のスキを福永騎手は見逃さなかった。わずかに開いた進路を確保すると、そこからはまさに力の違いを見せつけた。
だが、レース後に「やっぱり難しいレースになりました」と振り返っていた通り、一歩間違えれば“悪夢”のような結果になってもおかしくはなかったはずだ。まさに「鞍上の隠れたファインプレー」といえるだろう。
またレース後、元JRA騎手で競馬界のご意見番・安藤勝己氏が「同世代の牡馬では、まさに力が違う」と太鼓判を押したことで、いよいよ現実味が増してきたコントレイルの無敗三冠。過去に偉業を達成したのは、シンボリルドルフとディープインパクトのわずか2頭だけだが、その主戦を務めたのは岡部幸雄と、武豊という、当時の「時代」を代表するレジェンドだった。
率直に述べて、天才と称された父・洋一騎手の息子として、大注目の中で騎手デビューを果たした福永騎手は岡部、武豊両騎手と並んで「競馬」を代表する存在になる“資格”がある。いや、現在の競馬界を見渡して、このレジェンド2人と肩を並べることができる人物は「福永騎手しかいない」と述べた方が、より正確かもしれない。
しかし、福永騎手のこれまでの騎手人生は、決して2人ほどスマートなものではない。
代表的なエピソードは、やはり騎手3年目で挑んだキングヘイローの日本ダービー(G1)だろう。
1997年にデビューした本馬は、福永騎手を背に3戦3勝で重賞を勝利し、一躍クラシック候補に名乗りを上げた。翌年の皐月賞は、主戦騎手の好騎乗もあってセイウンスカイの2着に好走。続くダービーはスペシャルウィークに続き、2番人気に支持された。当時20歳だった福永騎手は、ダービー初騎乗で初勝利という偉業に挑んだのである。
しかし、福永騎手とキングヘイローはまさかの暴走……。デビュー以来「逃げ」たことがなかった同馬が、当時史上2番目1000m通過60.6秒の逃げを打ち、見せ場もなく14着に大敗した。
「頭が真っ白になってしまい、何故かスタートして仕掛けてしまった。直線は穴があったら入りたい気持ちだった」というのは、若き日の福永騎手の言葉だ。
その後、2013年には自身初のJRAリーディングを獲得。最多賞金獲得、最高勝率の3冠を達成するMVJに輝くなど、名実ともに日本のトップジョッキーに上り詰めた福永騎手。
しかし、その一方で肝心の大舞台では“頼りなさ”が付きまとう。印象に残っているのは、単勝1.8倍の1番人気で12着に大敗した2016年のスプリンターズS(G1)だろう。
春の短距離王ビッグアーサーに騎乗した福永騎手だったが、激しくマークされると1枠1番の最内枠が災いし、最後まで進路が見つからず……ほぼ何も出来ないままレースを終えた福永騎手は自ら「最低の騎乗」と吐き捨てた。この“歴史的悪夢”は「ビッグアーサー、前は壁!」という名実況と共に、今でもファンの間で語り草となっている。
そんな福永騎手が、今回の神戸新聞杯を冷静に乗り切れたのは「ビッグアーサー事件」を乗り越え、教訓としたからに他ならない。コントレイルの無敗街道を支えているのは、間違いなく福永騎手が培ってきたエリートとは程遠い「経験と挫折」ではないだろうか。
本来、福永騎手は自身初のMVJに輝いた2013年頃に、コントレイルのような存在と出会うべきだったのかもしれない。何故なら、岡部騎手がシンボリルドルフと、武豊騎手がディープインパクトと出会ったのが揃って36歳のシーズンであり、福永騎手も同時期に騎手としての絶頂期を迎えていたからだ。
しかし、福永騎手がコントレイルと三冠に挑むのは、36歳から7年後の今年43歳のシーズンだ。岡部幸雄、武豊両騎手の偉業には大きく後れを取っているが、その7年間こそが「苦労人・福永祐一」が辿った“苦節”の結果なのかもしれない。
「次はいよいよ大一番になりますので……えー、(三冠を)なんとか達成できるように皆さんの応援をいただいて、後押ししていただければと思います」
約2分間に及んだ神戸新聞杯の勝利騎手インタビューで、福永騎手は最後まで「三冠」という言葉を口にしなかった。思い返せば、岡部騎手と武豊騎手は春の二冠を制した際、馬上で三冠を強く意識する1本指と2本指を立てたが、今年の福永騎手にそういったパフォーマンスは見られない。
これも福永騎手が、これまで数々の失敗と挫折を繰り返してきたからだろう。
長年、「ポスト武豊」の一番手に名前が挙がっていた福永騎手は、まさにたどり着くべくして、この場所までたどり着いたと言えるのではないだろうか。菊花賞では、胸を張って3本指を立ててほしい。