パチンコ型スロットマシン、略して「パチスロ」が誕生してから5年後の昭和60年。再び、スロットマシン業界に大変革が巻き起こる。
それまでの風俗営業等取締法が大改正され、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(俗に言う新風営法)となった。
遊技機に関する規則も大幅に改訂され、それまで「その他の遊技機」とされていたパチスロが「回胴式遊技機」という名称で正式に法律の上で定義されたのである。
さらに、遊技機の仕様や規格、ホールでの営業・運用についても全国統一基準が定められ、現在のような保通協(保安電子通信協会)による型式試験がスタート。この試験にパスしなければ遊技機は発売できないことになった。
この大改正で誕生したのが、パチスロ1号機。以後、従来の旧基準のマシンは0号機という呼称で区別されることとなった。
先述のとおり、1号機で初めて全国統一基準が定められたわけだが、では0号機の時代はどうだったかというと、ざっくりいえば各都道府県で認可の基準はバラバラだった。
たとえば、貸しメダル料金にしても1枚20円のところもあれば10円、あるいは7円と都道府県ごとに異なっていて、それに対応するために同じ機種でも設置される都道府県ごとに仕様が異なっていたのである。
いまのようにコンプライアンスを遵守する意識もなく、取締もずっと緩かったので、不正改造など日常茶飯事。店ごとにカバン屋と称する業者を雇って基板を好き勝手にカスタマイズするなど、もうやりたい放題だったらしい。
そういったことがエスカレートして問題視されたことも、新風営法によって厳格に規制を受けることとなった大きな一因であろう。
話を1号機へ戻して、機械の仕様や規格の面での0号機との違いについて説明しよう。
最大の違いは、出玉獲得の要となるボーナスゲーム。0号機までは、現在の『ジャグラー』や『ハナハナ』などでいうところのレギュラーボーナスのみが搭載されていた。
1回あたりの出玉は、90枚程度。しかし、一度それが当ると、あたかもパチンコの確変状態のようになって連続で当り続け、所定の枚数に到達すると打ち止め終了となるシステムだった。
打ち止め枚数は当然のことながら店のレートによって異なっていたが、景品にするとだいたい1万円くらいになったらしい。これが「射幸性が高い」と問題視され、規制の対象となった。
そこで1号機では新たに、最大30回の小役ゲームと最大3回のJACゲームからなる「ビッグボーナス」を導入。獲得枚数は1回につき最大360枚と上限が定められた。
この1号機で導入されたビッグボーナスのシステムはその後、2号機や3号機へと規則が変わっても受け継がれ、パチスロのゲーム性の根幹を成すものとして定着する。
出玉が抑えられ一発逆転の要素が払拭されたことに、旧来からのファンは落胆した。しかし、見方を変えれば、出玉が少なくなった分、当たりやすくなり、気軽に遊べるようになったのだ。
このことは新たなファン層の獲得に繋がった。全国統一基準により、ホール側もパチスロを設置しやすくなった。結果、パチスロは一気に普及し、市民権を得てゆくのである。
(文=アニマルかつみ)